2012.9.27(木)
大津の小さな旅籠の一室、伊織と羅紗姫を重苦しい沈黙が包んでいた。
強まり始めた風で雨戸が不気味に軋む音を聞いて、羅紗姫はそっと夕餉の箸を置いた。
顔を上げた伊織が重い口を開く。
「姫、もう召し上がられぬのですか・・? もう少し上がらねばお体に障りますよ。」
羅紗姫は依然としてぼんやりと膳の上を見つめながら答えた。
「伊織様こそ、まだ半分も召し上がっておられないではありませんか・・。」
物憂い静けさが再び二人を包む。
季節外れの嵐が到来するのだろうか、窓の外では軒先が風を切る音を立て始めた。
「あの時は楽しゅうございましたね・・・。」
「岡崎ですか・・?」
伊織もまた、その時の事を思い出していた。お通が持ち込んだ酒を飲んでお蝶と四人、賑わった夜は夢のように楽しかった。
しばし一夜の幻に心を遊ばせた伊織であったが、それがいっそう今の悲しみを胸の内に募らせることはよく分かっていた。
やがて伊織は悲壮な面持ちで口を開いた。
「姫・・・、明朝寺に赴けば、今生の別れになるやもしれませぬ。お覚悟はよろしゅうございますか・・・?」
「はい・・・。」
羅紗姫は浮つくことも無く答えた。
「もう私は、誰かの命と引き換えに生き長らえようとは思いませぬ。お通さんやお蝶さんを亡くした今、このような悲しい思いは二度としたくはありません。
たとえ私の命と引き換えにしても、必ずやお美代さんの命を救いたいのです。」
伊織は羅紗姫の顔を急に大人びて感じながらゆっくりと頷いた。
「それに私・・・、お蝶さんを亡くした伊織様の心中はいかばかりかと、胸が痛む思いです・・・。」
「姫・・・?」
歳は二つしか違わぬが、まだ子供だと思っていた姫の言葉に伊織は戸惑った。
「心から慕い合った人を亡くすのがどれほど辛いことか・・・。私は人を慕うことも慕われることも許されないと思って生きて参りました。」
伊織は思わず姫の顔を見つめた。一瞬見返した姫の目線は、逃げる様にまた畳へと向けられた。
「そんな私の心を開いてくれたのが、お通さんでした・・・。」
「ひ、姫・・・。私には姫が一体何を言おうとしておられるのか・・?」
羅紗姫は唇を噛んでじっと俯いていたが、やがて意を決した様に口を開いた。
「伊織様、私には江戸を旅立って以来、ずっと重く心に隠してきたことがございます。今、それを申し上げてもよろしゅうございますか?」
「姫、私たちはもう明日よりの命は知れないのです。この世の要らぬ重荷は降ろしてしまいましょう・・・。」
羅紗姫は伊織の瞳を見つめると静かに頷いた。
「わたくしは女の心を持ち、そして女の身体を持ち・・・、ですが・・・、ですがその中に・・・、男の身体も宿っているのでございます。」
「・・・男の身体・・・!?」
伊織は姫の荒唐無稽な言葉に目を見開いた。
「江戸を発って以来、優しく見守ってくださる伊織様のことを、次第にわたくしは・・・、お慕いしてしまいました・・。」
いじらしく目を伏せた羅紗姫を伊織は呆然と見つめていた。
「で、ですが女の心で伊織様をお慕い申し上げる時、なんと・・なんと恨めしい事か・・、私の中の男の身体が・・・・。」
「ひ・・・、姫・・・・。」
乙女の伊織にとって、羅紗姫の言葉は朧げにしか理解出来なかった。かける言葉も見つからず、ただ唇を噛んだ姫を見つめている。
「伊織様におぶっていただいた時も、そして夢の中に伊織様を見た時も、伊織様とお蝶さんが思い合っているのが分かっているにも拘らず、私の中の男のものが私を苦しめたのです。」
羅紗姫はうなだれたまま消え入りそうにつぶやく。
「顔は明るく振る舞っていても、私は生まれながらにして呪われた身だと、今までずっと心の闇に縛られてまいりました。そして私は、もう一生誰とも思いを添わす身の上ではないのだと・・・・。」
しばし潤む瞳を伏せていた姫であったが、やがて顔を上げて言った。
「でもお通さんは、そんな私に明るくおっしゃいました。女と男の心体が入り混じっても、それでも何も恥じることはないって・・・。殿方である伊織様のことを思って私の男が応えても悪いことじゃありませんよって・・・。」
お通を思い出しているのか、遠くを見る様な眼差しで姫は続ける。
「世の中には人の生き血をすすって贅沢してる様な人間もいる。自分も忍びというお役目だけで沢山の人の命を奪ってきたんですよって。そうやって生きてきた人間は、だんだんそれが当たり前になる。自分も含めて、それが呪われるってことなんですとおっしゃいました・・・。」
伊織はいつの間にか輝きを取り戻した姫の眼差しから、目を逸らすことが出来なかった。
「心や体に関係なく、人を好きになるのは貴いことですよって。真心を持っていれば、必ずそれに応えてくれる人がいるはずですと教えていただきました。」
「お通さんがそのようなことを・・・。」
何故か伊織は自分の心も温かくなっていくのを感じた。
世の憂き目により男の姿を借り、侍として目的に向かっていた自分。そんな自分を命がけで愛してくれたお蝶・・・。
そんなお蝶を愛したのは自分の女の心だった。心も体もすべてが分かり合える女同士・・、いやもうそんな事さえ考える必要が無いほどお蝶の心は温かだった。
「もう私の命は明日潰えるやもしれません。でもわたくしは人を慕う心を持つことを知り、束の間でも自分を大切に思ってくださる方たちと過ごす喜びを得ました。そしてその方たちを失うという、この上もない悲しみも・・・。もう何も思い残すことはございません。」
その姫の言葉に伊織はふと我に返った。
改めて羅紗姫の顔を見ると、まだあどけなさが残る顔立ちに何とも言えぬ悲喜こもごもの思いが浮かんでいる。
「姫・・・。」
伊織は二つしか歳の違わぬ我を忘れて、身を寄せて健気な姫の肩を抱いた。
羅紗姫は堪りかねたように伊織の胸に顔を伏せ、初めて嗚咽の声を漏らした。
伊織の胸中に渦巻いていたものが、急に切ない痛みを伴って込み上げて来る。そして自ずと口が開き、小さく震えている姫に語りかけていた。
「羅紗姫様・・・、明日の決戦を前に私も申し上げねばならない事がございます。ですがその前に、ごゆるりと風呂をお使い遊ばされませ。その間に私も宿よりお湯をもらい、ここで身を清めさせていただきます。」
「は、はい・・・。」
羅紗姫は名残惜しげに伊織の胸から顔を上げた。湯浴みの支度をして風呂へと部屋を出て行く。
伊織はその背中にお辞儀をした後、何故か静かに目を閉じた。
しばらくお蝶の笑顔を思い浮かべた伊織であったが、やがて思い切って若侍に結った髷に手をかけていった。
湯を上がった羅紗姫が部屋へと戻って来る。長い洗い髪を直しながら、姫は襖の外から声をかけた。
「伊織様、入ります。」
「ええ。どうぞ。」
中から伊織の返事が聞こえ、羅紗姫は襖を開けて中へと入って行った。
「・・はっ・・・!」
部屋に足を踏み入れた姫は息を呑んで小さな声を上げた。
部屋の中には、白い襦袢を身に纏い、肩より少し下がる位に艶やかな黒髪を光らせた女人が座っていた。
その女性はゆっくりと畳に手をつき深々と頭を下げた。
顔を上げると、抜ける様に白い細面に斜に黒髪がかかって、涼やかな目元で羅紗姫を見上げた。
しなやかな体を純白の襦袢に包んだその風情は、凛とした気高さと女らしさが匂い立って、まさに輝くが如くに美しかった。
「羅紗姫さま、菊にございます。今まで心よりお仕えして参りましたが、お姫様に対し奉り、わが身を偽って参ったことに違いはございません。この期に及び何と申し上げてよいか・・・、お詫びの言葉もございません。」
「い、・・・伊織様・・・。」
頭を下げた伊織を呆然と見つめながら、羅紗姫は何故か女へと身を変えた伊織に驚くような違和感を覚えなかった。
この上もない美しさをその女性に感じながら、姫にとってその女性は伊織本人に違いなかったのだ。
「羅紗姫様・・・、私に、さぞやお腹立ちの事と思います・・・。」
伊織は麗しい眉を寄せてその目を伏せた。姫はその言葉尻を追いかけるように叫んだ。
「いいえ、決してそのような・・・!」
自分を落ち着かせるように小さく息を吐いて姫は続けた。
「ここまで心より支えていただいて、わたくしは本当に嬉しく思っています。そして今、このように伊織様を拝見しても何故か・・、いいえ本当に、わたくしの伊織様を・・、お・・・・。」
姫はしばし言葉を詰まらせた後、絞り出すように続けた。
「お慕いする気持ちは変わらないのです。」
「羅紗姫様・・・・。」
伊織は顔を上げて身を固くした姫を見つめた。
まんじりともしない羅紗姫との間にしばらくの沈黙が流れた。
伊織はやがて意を決した様に、しかしさすがに目を伏せながら口を開いた。
「羅紗姫様、今宵は私たちにとって今生最後の宵になるやもしれません。恐れながら菊は、わたくしをそのように思うてくださるお気持ちに、お応えしたく存じます・・・・。」
「えっ・・・!?」
姫は目を見開いて伊織を見つめた。その戸惑った風情に、乙女ながら年上の伊織が続けた。
「本当に私のことをお慕いに・・・?」
「ええ本当に・・・、本当にお慕いしております・・・。」
姫は胸のつかえを吐き出すように答えた。
その答えを聞くと伊織はふと立ち上がり、肩が触れ合わんばかりに羅紗姫に身を寄せて座った。
お蝶ならすぐさまその身体を抱き寄せてくれたであろう。しかし羅紗姫はそんな伊織の精一杯の意思表示にも、身を固くして俯いたままである。
二つの女体が寄り添ったまま、しばし息苦しい沈黙が流れた。
伊織は切れ長の目を微かに上げて、斜に羅紗姫の様子を窺った。依然として姫は顔を赤らめて俯いたままである。
ついに伊織は、しなやかな二の腕をゆっくりと姫の肩に回した。そしてその華奢な身体を優しく胸に抱き寄せる。
ビクッと姫の身体が震えた。
“ああ・・、伊織様・・・。”
しどけなくその胸に身をあずけながら、姫は伊織の身体の甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
体中の血がそこに集まったかと思うように、自分の身体に変化を感じる。
以前ならもうそれだけで罪悪感に縛られていた姫であった。だがお通の言葉を思い出すと、目を閉じたまま一途に伊織のことだけを思った。
伊織は己が胸の中で目を閉じたままの愛らしい顔を見つめた。
そして両膝をゆっくりと崩すと、姫を優しく抱いたまま自分の上に導く様に、自ら仰向けに横たわっていった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2012/09/27 08:17
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今明かされるこの真実!
つっても、もう皆わかっておったことだが。
羅紗姫様はふ・た・な・り。
どっちが優勢なのかなあ。
ま、かりにも「姫」様だからなあ。
伊織ちゃん、髷を落として女に。
抜けるがごとき白面にかかる緑の黒髪。
身に纏うは純白の長襦袢。
よっ、「菊ちゃん!」
羅紗「お慕い申しております」
大津の夜は更けゆく……
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2. Mikiko- 2012/09/27 20:03
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みんなわかってたのか?
わたしはわからんかったぞ。
同性愛の世界で……。
ある人物の、ネコとタチが逆転することを……。
“どんでん”が来る、と云うそうです。
ふたなり。
映像で見てみたいね。
でも、モザイク入りじゃ何にもならん。
と言って、時代劇なんてお金が掛かるもの、裏物ではやれんわな。
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3. ハーレクイン- 2012/09/27 23:10
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伊織ちゃん、いや、菊ちゃん。
しかし、静ねえさまとの決闘はどうするのだ。
裏物の時代劇、見たことあるよ。
服装、髪型、建物、室内の調度、けっこうきちんとしていた。
なんと、琴を弾く場面まであって、なんちゅう曲かは知らんが、なかなかのものだった。
もちろん、主演女優さんが弾いたのではないでしょう。手元だけだから、あれはひょっとしてプロかもしれん。
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4. Mikiko- 2012/09/28 07:44
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どこで借りられるんでしょうね。
裏物時代劇、見てみたいです。
↓表なら、けっこうあるんですけどね。
http://www.sokmil.com/av/_item/item020149.htm
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5. ハーレクイン- 2012/09/28 09:54
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そりゃあ、損料屋だろうぜ。
裏物時代劇。
私が見たのは、田口ゆかり主演「さむらいの娘」。
裏は裏だけど、エロさはも一つ。表の方がよっぽど興奮すると思う。
ま、古い作品だからなあ。
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6. Mikiko- 2012/09/28 20:13
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今もあるのか?
しかし、AVには貸したくないわな。
ヘンな染み、着けられそうで。
借りる方も、黙って借りるんだろうね。
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7. ハーレクイン- 2012/09/28 22:38
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ないよ、んなもん、今どき。
参考文献。
山本一力『損料屋喜八郎始末控え』
ま、レンタルショップだな。
あ、貸衣装屋か。これはあるやろ。
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8. Mikiko- 2012/09/29 07:51
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江戸時代のレンタルショップですね。
↓現代のレンタルショップにも、貸衣装ありました。
http://www.tokyoisho.co.jp/rental/japanese.html
しかし、高けー(表示料金は、3泊4日の値段だと思われます)。
裏物の予算じゃ……。
2,3人しか出せんわな。
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9. ハーレクイン- 2012/09/29 09:24
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わたしの見たやつだと……、
姫 31,500円、
腰元 18,900円、
代官 18,900円、
侍 15,750円、
〆て、85,050円。
あと、お床入りの時の白装束、男女各1セットが必要です。
ま、この位なら元、取れるんでないかい?
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10. Mikiko- 2012/09/29 13:05
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その衣装を着る出演者にも、ギャラを払わにゃならんでしょ。
出演料、まさか衣装代より安くないよね。
それだけ投資して作っても……。
発売するとすぐに、違法コピー版が、1枚200円で出回っちゃうからね。
正規版なんて、買うやついるんだろうか。
ドキュメントものなら、ホテル代と謝礼金だけで出来ちゃうから……。
ま、元くらいは取れるだろうけど。
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11. ハーレクイン- 2012/09/29 15:38
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そら、当然払わなならんわなあ。
幾ら位なんだろうね。
新人女優さんで1本数万円、と聞いたことある。もちろん有名女優さんだともっと高いんだろうけど。
男優さんは安いらしいねえ。
特にぶっかけものの男優さんはタダ同然だとか。
>正規版なんて、買うやついるんだろうか
ま、これはいつも思うことです。
ほんとに、商売になってるのかなあ、裏業界。
なってるから作るし、出回るんやろけど。
お世話になります。
ご苦労さまでございます。