2012.9.6(木)
お通は揺らぐ身体に鞭打って、山間の川辺りにさ迷い出て来た。
“ちくしょう。若い頃なら、あれぐらいで気取られるほど息も乱れなかったのに・・。”
やっと水辺に近寄るお通は、苦しげに片手で脇腹を押さえている。
水月の放った小柄で、不覚にも脇腹に深手を負ってしまったのであった。
やけに喉が渇き、息が詰まると共に気が遠くなる。
“鉤縄の針に毒が仕込んであったか・・・。”
お通はまだ足に絡んだままの鉤縄の切れ端を忌々しげに外した。
両手で川の水を掬い上げると、浴びるように口に運ぶ。
乱れた水面が静まりゆく中に、ぼんやりと羅紗姫の顔が浮かんだ。
“お姫様、待っててください。早く、早く薬草を見つけねば・・・。”
次第に薄らいでいく意識を奮い立たせて、お通は必死に視線を巡らせながら川べりをさ迷い始める。
しかし、やっと川の向こう岸に薬草を見つけた時、お通は背後から迫り来る何者かの気配を感じた。
「あっ、あれだっ!」
赤蛇尼は森の中から川べりに出た所で小さな声を上げた。目指す相手は川っぷちの岩の上に身を横たえている。
仕込み杖を抜くと、赤蛇尼は用心深くお通に近づいていった。
胸元に刃を突き付けながら、相手の腕を掴んで脈を診る。
“ふむ、もう事切れたか・・・。”
赤蛇尼はふうっと大きな息を吐くと仕込み杖を収めた。
“本当に手こずらせましたね。敵ながら天晴れな女・・。“
そう思いながら、赤蛇尼はしばしお通の顔を見つめた。
その時、死んだはずのお通の目が大きく見開かれた。
「はっ!!」
驚く間もあろうことか、お通の右手に持たれた鉤縄の切れ端が赤蛇尼の首に巻きついていた。
「ぐっ、何故っ! ・・くうっ・・、は、離せっ・・・!」
両手で鉤縄を締めながら、お通は赤蛇尼の身体を引き寄せた。鉤縄の針が赤蛇尼の首の白い肌に食い込んでいく。
「残念ながら油断したね。くっ・・、手の脈は腋に物をはさめば止められるんだよ。今度からは首で診るんだね。もっともあんたには、もう今度は無くなったようだ・・・。」
「くっ! ・・ぐうっ・・は、はなせ・・・。」
「そうはいかないよ。あたしもあんたと一緒で寂しくないし、幸い尼さんと一緒で迷う事も無さそうだ。お礼にあなたは楽にいけるよ・・・、すぐに気を失って、そのまま毒であの世へ行けるからね・・・。」
見る間に気を失った赤蛇尼の身体から力が抜けていった。
お通は赤蛇尼の身体を岩の上に横たえると、もう自分の最後も近い事を感じた。
ほとんど力の入らぬ身体で薬草を取りに行っても、もう途中で川に溺れる事は目に見えている。
お通は懐から狼煙を取り出して火を点けた。空に白い煙が立ち上って行き、やがてそれは徐々に青白い色に変化していくのだった。
立ち上る煙をじっと見届けると、お通は川べりの大きな岩に背をもたれた。
懐から短刀を取り出して顔にあてがう。しかしふとその手を止めて、お通は苦笑いで独りごちた。
「何だ、顔を崩すこたあなかったんだ、これはお役目じゃないんだからね・・。爺さんにも褒められたことだし、この綺麗なまま行かせてもらおう・・・。」
お通の意識は、もう夢うつつに薄れていく。
「お姫様、ごめんなさい・・・。あたしは、もう約束を守れそうにありません。どうか、きっとご無事で・・・。
お蝶、有難うよ。さんざん忍びで殺生してきたあたしに、こんないい死に様をくれてさ・・。
あたしは役目で死ぬんじゃない、大事な人の為に死ねるんだ。
お蝶・・・、幸せになんなよ・・・。」
うっすらと瞳を閉じかかったお通に、何やら青白い光が近づいて来る。
川の陰で薄暗い中に、その小さな光はゆらゆらとさ迷いながら、お通の肩先にとまり付いた。
「ほ、蛍・・・? そうか、もう五月も半ば・・・。あんた、気の早い蛍だね・・・。」
もう薄らいでいく視野の中で、その青白い光は徐々に暗い中へと消えていった。
羅紗姫は森の中を石部に向けて必死に走っていた。
もう横には、江戸から優しく見守ってくれた伊織や、先程まで温かく支えてくれたお通の姿は無い。
心の臓が張り裂けそうに苦しく、もはや華奢な二の足は棒の様に感覚を失っていた。
いったい自分は何の為にこれほど必死に走っているのか?
余りの苦しさに、もう何度も立ち止まって涼しそうな下草に寝転がろうと思った。
だがそう思う度に、脳裏に伊織の優しい顔が浮かび、お通の声が甦ってきて、羅紗姫はまた歯を食いしばって走り続けるのだ。
姫はおぼろげにその疑問の答えを感じた。
勿論自分の命の為もある。だが走り続けるのは、自分を大切に思ってくれる人の為、そして自分が大切に思う人の為ではないかと。
やがて右側の木立の隙間から、小さく川のせせらぎの音が聞こえ始めた。
急いで走り寄ってみると危うくそこは崖っぷちで、まだ川面は遥か下の谷底に光っているばかりである。
“お姫様、川に出たら、それに沿って下れば石部に出て行きます。後ろを見ずに走って!”
お通の言葉が姫の脳裏に甦る。羅紗姫は再び唇を噛みしめて走り始めた。
とその時、背後からがさがさと草を踏み分けて、何かが自分に近づいて来る音がした。
急に恐怖が湧き上がって、羅紗姫は喘ぎながら必死に足を動かす。
しかし萎え切った姫の身体は、まるで悪夢の中であがく様にもどかしくその自由を失っていた。
もう覚悟を決めて懐刀に手をかけた時、
「姫! 羅紗姫様!!」
聞き慣れた声が自分の名を呼んだ。
「はあっ・・・、お、お蝶さんっ!」
羅紗姫は振り返って、もう焼け付きそうな息と共に答えた。
「お姫様、よくご無事でっ!」
そう叫びながら駆け寄って来たお蝶の胸に、羅紗姫は倒れる様に抱き留められた。
すぐに顔を上げると姫はお蝶に訴える。
「お、お通さんが、お通さんが一人で残って・・・。」
「ええ、分かっております・・・。」
お蝶は姫の顔をじっと見つめて小さく頷いた。
「そ、それで、お通さんは!?」
「・・・・・。」
お蝶は万感の思いを押し殺す様にゆっくりと首を横に振った。
「そ、そんな・・・。・・・ああ・・、わああ~~っ!」
羅紗姫は呆然として両膝をつくと、そのまま激しく地面に泣き伏した。
「ねえさんが初めて、そして最後に上げた青い狼煙が見えました。あれは・・・ぐっ・・・あれはねえさんの別れの合図・・・・。」
お蝶は自分のせいで死んでいったお通を思い、きつく唇を噛んでうつむいた。
深い森の静寂の中に、しばし羅紗姫の嗚咽の声だけが響く。
お蝶は決然と顔を上げて姫に言った。
「さあ、こうしてはいられません。先を急ぎましょう。」
「あああ、もうっ、もう嫌ですっ! こんな思いまでして何故!? 私はお通さんの元に残ります。もう私の命などいらないっ! ・・・・くううう~~~・・・。」
「姫っ! そんなだらしないことで、ねえさんが浮かばれると思うのですかっ!
さあ立って、・・・姫・・、ねえさんの為にも・・さあ、先に進みましょう・・・。」
鋭い語気を含んだお蝶の言葉は、終いには慰める様な口調に変わっていった。
「うっ・・・、くっ・・・」
姫は涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。口を真一文字に結ぶと、溢れそうな嗚咽を飲み込んで立ち上がる。
「夕方には伊織様も石部で待っています。さあ、参りましょう。」
羅紗姫はお蝶の顔にしっかりと頷いた。胸の内に大きな悲しみを抱いたまま、二人は再び西へ向かう道をたどり始めたのであった。
コメント一覧
-
––––––
1. ハーレクイン- 2012/09/06 11:45
-
八十郎さん、死なせちゃったよ、お通姐さんをよう。
ま、“赤”を道連れにしたからまだしも、だが。
しかし、向こうの一人と、こっちの一人とでは重みが違うからなあ。
それにしても気の毒なお通姐さん。
このことかなあ。八十郎さんの古い読者さんが「死なせないで」と言ったのは。
残存戦力は、白蝋衆4(美夜叉、水月、春花、秋花)に対し、チーム羅紗姫3(伊織、お蝶、羅紗姫)。しかも羅紗姫は実質、非戦闘員。
うーむ。
ま、もともと戦力には格段の差があったんだけどね。
それにしても、お通姐さんの肩にとまった“蛍”って……。
-
––––––
2. ハーレクイン- 2012/09/06 18:12
-
久方ぶりの話題ですが、人気ブログランキング、現在7位。この位置は久しぶりですので、ついつい書いてしまいました。
いやあ、一時11位まで落ちたことがありましたからねえ。10や20ポイントの差など、さほど意味ない、とは思うものの、ベスト10落ちの11位と、久方ぶりの7位との差は、やはり感慨深いものがあります。
頑張れ、Mikiko!
こちらは例によって例のごとく、誰そ彼どきの雷雨。
もう、いちいちパソを落とすのも面倒になってきた。んなことしとったら仕事にならん。もう、好きにしろ、というところです。
今日のザックジャパンの試合は、どうなるのでしょうか。
-
––––––
3. Mikiko- 2012/09/06 19:57
-
女教師、黒麗、赤谷、じゃなくて赤蛇尼、そしてお通さん。
4人目にして、初めての惜しまれる死者です。
羅紗姫は、さぞかし辛いでしょうね。
自分のために、母親みたいに慕ってた人が命を落としたんですから。
でも、お通さんは決して、不幸では無かった。
お通さんの最後の言葉(「あたしは役目で死ぬんじゃない、大事な人の為に死ねるんだ」)には、胸を打たれます。
ブロラン。
どうしたわけでしょうね。
ひとつ考えられるのは、『放課後のむこうがわⅡ』の連載。
これで、『由美美弥』本流の読者が離れてしまい、一時期アクセスが減った。
でも最近になって、『緊縛新聞』系の読者が増えてきて、ランクを回復。
ま、ちょっと動きが急すぎる気はしますが。
ザックジャパン。
残念ながら……。
午後から雨が上がってしまいました。
チケットをお持ちのみなさん、おめでとうございます。
でも、ピッチはそうとう雨を含んでるはず。
さて、どんな試合になりますことやら。
もう、始まってるのかね?
-
––––––
4. ハーレクイン- 2012/09/06 20:22
-
『由美美弥』本流の読者が離れたって、離れるなよ。頼むぜ。
『緊縛新聞』系の読者って、いらっしゃるんですかねえ。
午後から雨が上がって、なんで“残念”なんだよう。
ピッチコンディションは、やはり波乱(?)含み。ボールはほとんど転がりません。
さあ、これが吉と出るか凶と出るか(だから、言い回し古いって)。
現在、ハーフタイムです。
お通姐さん。よく考えたら、登場回数はそんなでもないんだよなあ。惜しい人をなくした……のかあ、ほんとに。
未練なのかなあ。
-
––––––
5. ハーレクイン- 2012/09/07 03:03
-
前半は0-0。
後半24分、駒野のクロスをハーフナーがヘッドで合わせゴール。
ま、終始押し気味の展開だったのだが、結局得点はこの1点のみ。UAEに得点は許さなかったがしかし……おいおい、だいじょうぶか、という試合ではあった。
一番元気だったのは新潟のサポーターかなあ。ええい、うるさい!っちゅうくらいの声援だった。
頑張れよ、新潟アルビ。
-
––––––
6. Mikiko- 2012/09/07 06:27
-
お通さんが似合いそうな人って見あたらないよね。
昔の女優なら、けっこういたように思うけど。
やっぱ、時代劇の衰退のせいでしょうかね。
きのうの帰りは……。
新潟駅でも、ブルーのユニフォームを着た人をたくさん見かけました。
勝って良かったですね。
アルビがダメなので、ウップンを晴らしたんじゃないかな。
でも、ハーフナーって、どうして日本代表なの?
-
––––––
7. ハーレクイン- 2012/09/07 07:45
-
うーむ。
まず、アクションが出来んとあかんし、かといって若い人はもちろんだめだし。
それに、あの、何とも言えん色気と柔らか味がないとあかんし。
うーむ、むづかしいのう。
寺島しのぶってのはどうよ。
ハーフナーがどうして日本代表って、マイク・ハーフナーは1987年広島生まれ、1993年に一家そろって日本国籍を取得したれっきとした日本人でっせ。
親父っさんは元Jリーガーのディド・ハーフナー。つまり、史上初の親子Jリーガーだ。
お袋さん、ギッダさんは、陸上7種競技のオランダチャンピオン。
弟ニッキは、現在名古屋グランパスのユースに所属、U-17日本代表でもある。
-
––––––
8. Mikiko- 2012/09/07 20:10
-
由美かおるはどう?
今、何してんのかね。
野川由美子とか。
ハーフナー。
日本国籍取得してたのか。
それは、失礼いたしました。
でも、それなら、漢字の苗字になるんじゃないの?
昔、いましたよね。
三都主とか、呂比須とか。
ハーフナーも、変えるべきじゃないの?
覇亜鮒とかに。
-
––––––
9. ハーレクイン- 2012/09/07 22:06
-
由美かおるねえ、野川由美子ねえ。
どうも色気とアクションのバランスがのう、も一つかな。
ほんとに、あのひとは今、だな。
んじゃキィハンター、野際陽子はどうよ。
♪あゝ あの日愛した人の
墓に花を手向ける明日
あゝ 昨日恋して燃えて
今日は敵と味方の二人
夢も恋も希望も捨てて
命懸ける非情の掟
あゝだから あゝもっと もっと愛して
マイク・ハーフナー
Wikiによりますと、
……………………………………………………………………
戸籍上の本名が片仮名で登録されているため、名前の漢字表記は公式には存在しないが、中国語圏では「哈維納爾 邁克」という表記で名前が報じられている。
……………………………………………………………………
だそうです。