2013.4.21(日)
ヴェロニカが意識を取り戻すと心配そうにデビッドが覗き込んでいた。
「ここはどこ?」
「良かった! 意識を取り戻したようだ。ここはヘリの機内だよ。気分はどう?」
「ウオトカが飲みたい気分」
「その願いは叶えられ、腹いっぱいに飲ましてくれると思う。……それから、遅くなったけど、助けてくれてありがとう。君は僕の命の恩人だ」
デビッドは笑顔を見せ彼女の手を握りしめた。
「ううん、礼は妹に言って。彼女が言わなければ二人ともここにいなかったわ」
彼女はかぶりを振り、笑顔を見せた。
「奴らは?」
「ああ、彼らが退治した。
君がいることが分かると俄然張り切りってね。あっという間だったよ。
君にも見せたかった」
見わたすと興味深そうに隊員たちがこちらに視線を送っていた。
「君の話題で持ちきりだよ。先ほど看護兵からも“少尉殿、すごい美女をどこから拾ってきたのですか?”と聞かれたから言ってやったよ。“俺が彼女に拾われたのさ”ってね。
彼は目を白黒させていたよ」
ウィンクし笑顔を見せるデビッドに微笑んで見せた彼女であったが、目の前で微笑む少尉の為に、敵とはいえどれほどの命が絶たれたか計り知れないし、彼らの中には取材中、親切にしてくれた人々が混じっていたことを考えると複雑な心境になっていた。
「ところで、少尉のご家族には連絡したの?」
衛生兵が点滴の袋を替えに来た。
「先ほど、させてもらったよ。妻は絶句して泣いていた。私が行方不明になったと知らされて数週間、死亡通知が今朝届いたと言っていた……。妻には心配かけた……」
(タチアナには連絡しておいたはずなのに。……彼女に夢中になっていたということね。タチアナが夢中になるほどの彼の娘って会ってみたいもの)
「お嬢さんはどう言っていました?」
「そうそう、君の妹さんにも礼を言わなければならないな。
レイラは、電話口から耳を離さなければならないほど大きい声で、喜びの声を上げていたよ。
要点だけだったけど、君の妹さんと共同生活を始めたいとも言っていた。
どういうことなのか、後で聞いてみるが、命の恩人の妹さんなら安心だけどね」
(あの子も隅に置けないわ。……どちらが虜になっているかは分からないけど、楽しみが出来た……)
「お嬢さんを紹介させていただきたいわ。妹がお世話になっている方なのでぜひともお会いしたいです」
「こちらこそ! 私を救ってくれた命の恩人を紹介するにきまっているでしょう! ぜひともあってください。……それから司令部からの連絡ではあなたを表彰したいとの連絡があり、是非とも受け取ってほしいと要請がありましたが、どうしますか?」
(私の情報が欲しいということね。……ある程度は話さなければならいようだわ、仕方がない)
「分かりました、心よりお受けいたしますと連絡してください」
「良かった。拒絶されたらどうしようかと思案していたけど承諾してくれてありがとう」
嬉しそうにヴェロニカに握手をすると、仲間のもとへ戻って行った。
彼に会わなければ、アフガンで取材を続けられ、ピュ―リッツァー賞という栄誉も手に入ったはずなのに、彼を救うことによって今までの努力がふいになったが、なぜか後悔はしていなかった。
彼は私の運命を変えた人、そしてこれから出会う彼の娘も私の運命を変えるような気がする。
彼の後姿を見ながら彼女はそんな予感を感じていた。
一週間後、祖国の空軍基地に静かに着陸した輸送機から降り立った帰還兵の一団にデビッド少尉はいた。
彼は、帰還兵を出迎える関係者たちの中に自分の家族がいるのを知り、笑顔をこぼした。
妻のアリソン、娘のレイラ、少し背が伸びたエヴィン、みんなが盛んに手を振っている。
そしてレイラの横にぴったりと寄り添って傍らに立つヴェロニカの妹らしい人物。
黒縁のメガネにビジネススーツを着込んだ姿は、ウォール街でも通用するようないでたちではあったが、デビッドは不思議な感覚を覚えていた。
「あなた、お帰りなさい。……私、私……。本当に良かった……」
妻のアリソンはデビッドの胸に顔を埋め嗚咽を漏らした。
「苦労かけてすまなかった。……家族に会えることだけを考えていた。
君を愛しているよ」
アリソンを抱き寄せると口づけをした。
遠くで二人を見ていた子供たちが駆け寄ってきた。
「パパ! お帰りなさい!」
エヴィンが父に飛びついた。
「ただいま、エヴィン。大きくなったな。イタズラはしなかっただろうな?」
エヴィンの頭を撫でながら聞いた。
「するわけないよ! パパに約束したじゃないか」
レイラの顔をちらりと見ながらエヴィンは父親に報告した。
「レイラ、私の宝石。……来ておくれ」
レイラは三人の様子を静かに見つめていたが、デビッドに手招きされ、ゆっくりと近づいて行った。彼女の目から一筋の涙がこぼれた。
「パパ、お帰りなさい」
「レイラ、ただいま。心配かけたな、悪かったな」
「ううん、誤らなくていいの。パパが悪いわけがないから」
「ありがとう。……見ない間に雰囲気が変わったね、大人になったというか、落ちついたというか、見違えたよ」
レイラの頬にキスをすると彼女に聞いた。
「ところで、あそこにいる方がタチアナ・マリーニナさんかな?」
レイラはぱっと笑顔を見せ、女性に走り寄ると手を引いて彼のもとに戻ってきた。
「パパ、紹介するわ。この方がタチアナ・マリーニナさんよ」
「タチアナ・マリーニナです。娘さんには、お世話になっています」
眼鏡をポケットに差し入れた彼女を見たデビッドは目を見開いた。
「こいつは驚いた! ……いや、これは失礼。あまりにもお姉さんに似ていたものだから驚いてしまいました。改めて、今回のことでは、お二人にはなんとお礼をしてよいかわからないほど助けられました。心より感謝いたします」
「私より姉にお礼を言ってやってください。
私の無理な願いで、危険なことをさせてしまったことを後悔しております」
デビッドや彼の家族には返す言葉がなかった。彼女たちの努力がなければ、ここにはデビッドはいなかっただろう。
「あそこに見えるのはタチアナさんのお姉さんじゃないかしら?」
重い雰囲気を払しょくするように明るい声でレイラが尋ねた。
ストレッチャーに横たわり衛生兵に押され、出口に向かう彼女がいた。
「おーい! そこの衛生兵待ってくれ!」
タチアナを先頭に彼ら家族が駆け寄って行った。
「Сестра!(お姉さん!)」
「Татьяна!(タチアナ!)」
二人は抱きしめ、互いの頬にキスを交わした。この様子を見たレイラが目を見開いた。
「そっくり!」
エヴィンがみんなの思っていることを叫んだ!
そう、二人は双子であった。
姉のヴェロニカは日焼けし浅黒い顔立ちではあったが、その他の体の特徴は二人とも同じで、髪や瞳の色そしてプロポーションまでもがすべて一緒だった。
違いといえば、ヴェロニカは野性的でそれに対しタチアナは都会的な雰囲気を出していた。
二人の周りに家族が集まった。
「ヴェロニカ・マリーニナさん、なんとお礼をしたらよいか分かりません。主人を救っていただき感謝の言葉が見つかりません。主人の為に怪我をされたとうかがった時には胸が張り裂けそうになりました」
「奥様、そんなに泣かれると困りますわ。奥様が愛されているご主人が無事に戻られたので笑顔を見せてください。私の方こそ、ご主人のおかげでタチアナと数年ぶりに再会することが出来ましたし、二度と経験できないスリルを味わえましたから」
ウィンクしてアリソンを優しく抱きしめたがその眼はレイラに注がれていた。
ヴェロニカに見つめられていたことに気が付いたレイラは、背中に電流が走って行くのが分かった。
タチアナに出会った時とは比べられないほどの強烈な感覚だった。
一方のヴェロニカはタチアナの方が虜になっていることに彼女を見て知り、自分自身の体の奥に熱い物がふきだしていることを感じていた。
「ヴェロニカ・マリーニナさん、パパの為に傷を負ってまで救っていただいて、なんと勇気のある方だと感心し感謝しています。なんとお礼を述べていいか分かりません。それとともに妹のタチアナさんにも公私ともお世話になっており、感謝しております」
ヴェロニカから放たれる雰囲気に近寄りがたく少し離れてレイラはいんぎんに礼を述べた。
「よろしければ、もう少し近くによって下さらない? ……そう、それでいいわ。
お父様が自慢するだけあって魅力的なお嬢さんね。
タチアナがあなたをどうしてでも友人にしたいというのが分かる気がするわ。
妹を優しくしてやってくださいね。よろしくお願いします」
レイラは頬が熱くなっているのが分かった。
「あ、それから私もあなたの友人の一人に加えていただけるかしら、ダメかな?」
タチアナがヴェロニカの腕を強く握った。
「友人なら構わないと思いますが……いいでしょ、タチアナさん?」
タチアナは複雑だった。
ソフィア社長から自分に彼女の心を向けさせることが出来て、共同生活という心待ちしていた同棲が出来る矢先だったので姉が介入してくるとは夢にも思わなかったからだ。
ただ、他人にレイラを取られるより姉であれば、自分に引き戻せる自信があったので承知した。
「良かったわ。
タチアナ、後で彼女の連絡先教えてね。
彼らから解放されたら連絡するから……」
そう言った彼女の視線の先にどこから来たのか、前後に黒のセダンを従えた黒塗りのワンボックスカーがこちらの方へと向かっているのが見えた。
彼女が乗るストレッチャーの傍にワゴンが静かに止まると、数人のスーツを着たサングラス姿の男たちが開け放たれたスライドドアから降り立ち、彼女の周りを取り囲んだ。
デビッドたちや衛生兵が唖然と見ている中、あっという間に彼女をリアドアーから車内へ引き入れると3台もろとも基地のゲートから、すごいスピードで表へ飛び出していった。
タチアナはその姿を目で追っていたが何も言わずレイラの手を握りしめた。
(彼女から結局最後まで素性のことは聞かされなかったな……。だが……)
デビッドは彼女を乗せた車を目で追いながら、ある疑念を持った。
自分たちは、おとりとして利用されたのではないだろうか?
あの日、捕まって以来、一連の出来事を考えると事が上手く行きすぎて腑に落ちないことだらけであった。
自分の運が良いと当初は軽く考えていたが、そうでないことは、今、目の前にした彼女に対しての政府の対応ではっきりとした。しかし、それ以上の詮索はしないことにした。
それ以上首を突っ込むと、自分自身だけならまだ良いが、家族の身にも危害が及ぶことを軍で生活をしてきた彼は十分すぎるほど理解していたからだ。
「パパ、そんなにヴェロニカさんが未練なの? ぼーとして車が見えなくなるまで見ているものだからママが焼きもち焼いているわよ」
クスリと笑ってレイラが囁いた。
「いやー、ちょっと考え事をしていただけさ。
未練もなにもない。
ママのことだけを愛しているに決まっているだろう。そうだろアリソン?」
妻のアリソンは目を細めて親子二人の姿を黙って見つめていた。