2010.11.14(日)
秋かぜや日本の国の稲の穂の 酒のあぢはひ日にまさり来れ
それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
津の国の伊丹の里ゆはるばると 白雪来るその酒来る
まさむねの一合瓶のかはゆさは 珠にかも似む飲まで居るべし
酒飲めば涙ながるるならはしの それも獨りの時に限れる
いざいざと友に盃すすめつつ 泣かまほしかり酔はむぞ今夜
一杯を思いきりかねし酒ゆゑに けふも朝より酔ひ暮したり
寒鮒のにがきはらわた噛みしめて 昼酌む酒の座は日のひかり
妻子等を寝静まらせつ残りいて 夜のくだちゆく煮る真白酒
酔ひはててただ小をんなの帯に咲く 緋の大輪の花のみが見ゆ
たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴る さびしき心うちつれて鳴る
やまいには酒こそ一の毒という その酒ばかり恋しきは無し
妻が眼を盗みて飲める酒なれば あわて飲みむせ鼻ゆこぼしつ
そして……
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけれ
以下の駄文を、日毎夜毎、一升酒を呷(あお)り、43歳で酒に殉じた漂泊の酒仙歌人、我が師、牧水に捧げます。
人類の歴史は、アルコール飲料(酒)の歴史とも言えましょう。
有史以前より、人類は酒をつくり、酒を楽しみ、酒と共に歩んできました。
ウィスキー、ビール、ワイン、テキーラ、ウォッカ、ラム、馬乳酒、白酒、紹興酒、マッコリ……そして、日本酒。
Mikiko's Roomをお借りして、
我が酒、日本酒について、少し語らせて頂きます。
よろしく、お付き合いをお願い申し上げます。
現在、日本酒は衰退の一途をたどっている、との評価が一般的です。
「ださい」「まずい」「臭い」「口当たりが悪い」「甘すぎる」「べたべたする」「ひりひりする」「二日酔いする」……。
もう、散々です。
これらの評価は、後で申し上げるように、一応その通りです。間違いありません。
しかし、千数百年に亘り、営々と造り続けられて来た日本酒。
その実力・実態は、実際にはどうなのでしょうか。
それほど酷いものなのでしょうか。
このあたりから、始めたいと思います。
全てのアルコール飲料には、
良し悪し、出来不出来、美酒駄酒悪酒、旨い不味い……必ず評価が下ります。
そしてその評価は、同一の容器内の全く同じ酒に対しても、人によって異なる場合があります。いわゆる主観的な評価ですね。
酒が、人の生命を維持するための必須の食物ではなく、いわゆる嗜好品である以上、これは当然のことです。
しかし、日本酒の現状と、その未来を考える場合、やはり客観的な評価をもとに考察したい。
日本酒に対する客観的評価法とは何なのでしょうか。
日本酒の客観的評価基準は二つあります。
その第一は、原材料としての米粒を「どれだけ精米するか」にあります。これを精米歩合(せいまいぶあい)といいます。
少し長くなりますが、この評価基準「精米歩合」は、日本酒の本質を理解するために避けて通れませんので、お付き合い願います。
米粒は、生物学的には、稲と言う植物の果実に相当します。林檎や、柿や、梨などの果実と同じ位置付けになります。
収穫直後(脱穀直後)の米粒は、大雑把に言いますと、中心部がデンプンを主成分とする「胚乳」、中間層がタンパク質やアミノ酸、脂質などを豊富に含む「糊粉層」、最外層が保護層である「籾(もみ)」という、三層構造になっています。
最外層の籾は単なる保護層で、米粒本体ではありません。林檎や柿でいうと皮に相当するといえます。林檎の皮は食べられますが、籾は食べられませんので削り落とします。
これが脱穀の次に行われる作業で、籾摺り(もみすり)といい、籾摺り後の胚乳&糊粉層コンビを玄米といいます。
このあたりは、Mikikoさんのコメ、無洗米の話351~355に詳しく書かれています。
なお、糊粉層には、稲の次世代、つまり哺乳類でいうと胎児に相当する「胚」が付着しています。糊粉層&胚乳は、本来この「胚」が翌春、発芽・成長するための栄養分貯蔵組織なんですね。
この玄米を炊飯すれば、炭水化物(デンプン)、タンパク質、脂質の三大栄養素が全て含まれることになり、いわゆる完全食(それのみで人体が必要とする全ての栄養分を採ることができる食物)に近いわけです。
しかし、玄米をそのまま炊飯したものは、味・香り・舌触りなどがあまりよろしくないので、籾摺りの次の作業、精米が行われます。精米は玄米の外層、糊粉層を削り落とし、胚乳のみにする作業です。この段階で胎児である「胚」も削り落とされてしまいます。
この段階での米粒を白米といい、私たちが普段に炊飯、食しているものです。
白米の成分は、ほとんど炭水化物(デンプン)だけですので、栄養学的には偏っている、つまり白米のみでは人は生命を維持できません。
このあたりの話も、Mikikoさんのコメに、軍隊のエピソードを交えて書かれています。
ちなみに、「胚芽米」とは、胚と糊粉層の一部を残して精米した、「準玄米」ともいえるもので、栄養学的には白米より優れ、味わいは玄米より良いという優れものです。
さて、ここまでは前置き、ここからが評価基準「精米」の本題です。
ということで、栄養学的には玄米の勝ち・白米の負け、という評価になりますが、米を日本酒に醸造する場合は、その評価が逆になります。
玄米に多く含まれるタンパク質やアミノ酸、脂質などは、雑味や不快な香りなど酒質を低下させる要因に繋がるのです。純粋なデンプン質のみ(つまり白米)を用いると味・香りなどの酒質がよくなります。
したがって、良質の日本酒をつくるためには、醸造過程(酵母菌によるアルコール発酵)に入る前の原材料処理として、玄米の外層(糊粉層)を削り落とし、胚乳部分のみにする精米作業が極めて重要になってきます。
欲を言えば、胚乳も中心に近いほどデンプンの純度が高くなりますから、糊粉層はもちろん、胚乳部分も極力削り落とし、米粒のぎりぎりの中心部分を原料として用いるほど、優れた酒質の日本酒を得ることができるわけです。
このように、精米作業を極限まで行って造られた高品質の日本酒を、吟醸酒(その中でも特に優れた酒質のものを大吟醸酒)といい、それほど精米しないものを普通酒といいます。
当たり前のことですが、同じ量の酒を得るためには、吟醸酒は普通酒に比べ、より大量の米を必要とします。
後述しますが、醸造過程で様々な手間がかかる、ということもあり、吟醸酒は普通酒に比べ高価です。
玄米をどれだけ精米したか、を表す数値を「精米歩合(せいまいぶあい)」といいます。
これは、玄米の何%を削ったかではなく、何%を残したかという数値です。
例えば「精米歩合70%」というのは、玄米の30%を削り落とし、70%を残した、という意味です。
したがって、評価基準「精米」とは、精米歩合の数値が小さい日本酒ほど、優れた酒質である、ということになります。
吟醸酒はおおむね、精米歩合50%前後、大吟醸酒はそれ以下、というのが目安ですが、これは原材料としての稲(米;酒米)の種類も関わってきますので、一概には言えません。
この精米歩合の数値は、日本酒のラベル、パック酒の場合はパックの表面に記載してあります。
が、この記載は表示義務というわけではないので、記載の無いものもあります。記載のない酒は間違いなく普通酒(または、後に述べる増醸酒)です。
吟醸酒の場合、その矜持を込めて「精米歩合55%」のように必ず表示されています。
ただ酔っ払うだけなら普通酒で十分ですが、吟醸、特に大吟醸と称する日本酒の味わいは、一つの芸術である、ともいえましょう。
心せよ、酒飲み!
で、私が普段飲んでいるのは普通酒です(吟醸は高いからなあ)。
わはは。この貧乏人。
吟醸酒は……美味いよ!
で、その香りがまたなんとも……たまらん。
この香りを楽しむには、やはり温燗(ぬるかん)がいいでしょうね。吟醸に燗をつけるのは邪道だ、と言う人もいますが。
燗酒は、匂いがダメ、と言う人が多いですね。
普通酒は、雑味や不快臭が多いので、これは全くその通り。あなたの嗅覚は正常です。
普通酒の燗酒は、飲むのにコツがいるくらいです。
そういう人は、一度吟醸酒を試してみて。
日本酒観、変わるよ。
毎晩、吟醸で晩酌できれば最高でしょうが、んなことしていたら、小原庄助さんでなくとも、あっという間に身上を潰すな。
吟醸酒の唯一の欠点は「値段が高い!」だな。
美味いものは高い。これは酒には限らんがな……。 嗜好品だから、蔵元に文句を言ってもしょうがない。
で、ここからが問題です。
吟醸酒・普通酒の定義、つまり精米歩合何%以下を吟醸酒とするか、は実は法律では決まっていません(おい!)。
為政者、つまりこの国の法律(酒税法)にとっては、酒の質などには全く関心がない。要するに、如何に税金を搾り取るか、これだけしか考えていない。
かつては、日本酒は、特級・一級・二級の区分がなされており、高等級の酒ほど高税率を賦課されていた。つまり高価な酒だった。若い人は知らんだろうなあ。
昔の酒飲みは、味もわからず、見栄を張って(もちろん金のあるときだけ)「一級をよこせ」と、言っていたものだ。
等級区分は生産者の申請により、一方的に決まるもので、酒質は関係ありませんでした。
で、「私、特級にします」と申告しさえすれば特級、「一級にします」と申告すれば一級、しなければ自動的に二級酒として扱われた。
そのため、特級や一級に相当する品質の酒(つまりは吟醸酒だな)の生産者でも、敢えて高等級への申請をせず、二級酒として販売する業者が増加していった。ただただ、販売量を維持し、生き残るために……(う、涙)。
で、税金をぶったくるためのこの制度は、次第に意味がなくなり、現在では公的な等級制度は(やっと)廃止され、日本酒全体に一律の税率が賦課されるようになった。ようやっとそうなった。
となれば、後は酒質で勝負! となるはずなのですが、そこは不思議の国、日本。
この現状、つまり「酒税は一律、酒質の法律的定義は無し」の下では、逆に、いい加減な酒質の酒を「吟醸」と称して販売することも可能なわけですね(おいおい!!)。
ラベルに「吟醸」とあっても、実質的には普通酒という場合が多い(おいおいおいおい!! 詐欺やないか!!)。
日本酒の現状の問題点の一つがここにあります(なんなんじゃぁ、そりゃ!!! 無茶苦茶やないか!!!)。
騙されない為には、ラベルに小さく表記されている「精米歩合の値」をチェックしよう。派手な銘柄名などに目をやっていると騙されますぜ。お客さん。
このあたりのいい加減さを何とかしない限り、日本酒の未来は暗い。しかし、お上がこれを統制しようとすることなど、到底期待できない。彼らにとっては酒質なんざぁどうでもいい。酒税が入ってくれさえすればいいわけだから。
それだけに蔵元(日本酒の製造元)の矜持(きょうじ)と、飲み手の姿勢(酒質を味わう能力)が問われている、とも言えましょう。
さらに心せよ、酒飲み!
大吟醸酒の温燗(ぬるかん)。
世界で一番美味い酒だと思う。
麹黴(コウジカビ)&酵母菌。有り難う。
それほどにうまきかとひとの問ひたらば 何と答へむこの酒の味
津の国の伊丹の里ゆはるばると 白雪来るその酒来る
まさむねの一合瓶のかはゆさは 珠にかも似む飲まで居るべし
酒飲めば涙ながるるならはしの それも獨りの時に限れる
いざいざと友に盃すすめつつ 泣かまほしかり酔はむぞ今夜
一杯を思いきりかねし酒ゆゑに けふも朝より酔ひ暮したり
寒鮒のにがきはらわた噛みしめて 昼酌む酒の座は日のひかり
妻子等を寝静まらせつ残りいて 夜のくだちゆく煮る真白酒
酔ひはててただ小をんなの帯に咲く 緋の大輪の花のみが見ゆ
たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴る さびしき心うちつれて鳴る
やまいには酒こそ一の毒という その酒ばかり恋しきは無し
妻が眼を盗みて飲める酒なれば あわて飲みむせ鼻ゆこぼしつ
そして……
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけれ
以下の駄文を、日毎夜毎、一升酒を呷(あお)り、43歳で酒に殉じた漂泊の酒仙歌人、我が師、牧水に捧げます。
人類の歴史は、アルコール飲料(酒)の歴史とも言えましょう。
有史以前より、人類は酒をつくり、酒を楽しみ、酒と共に歩んできました。
ウィスキー、ビール、ワイン、テキーラ、ウォッカ、ラム、馬乳酒、白酒、紹興酒、マッコリ……そして、日本酒。
Mikiko's Roomをお借りして、
我が酒、日本酒について、少し語らせて頂きます。
よろしく、お付き合いをお願い申し上げます。
現在、日本酒は衰退の一途をたどっている、との評価が一般的です。
「ださい」「まずい」「臭い」「口当たりが悪い」「甘すぎる」「べたべたする」「ひりひりする」「二日酔いする」……。
もう、散々です。
これらの評価は、後で申し上げるように、一応その通りです。間違いありません。
しかし、千数百年に亘り、営々と造り続けられて来た日本酒。
その実力・実態は、実際にはどうなのでしょうか。
それほど酷いものなのでしょうか。
このあたりから、始めたいと思います。
全てのアルコール飲料には、
良し悪し、出来不出来、美酒駄酒悪酒、旨い不味い……必ず評価が下ります。
そしてその評価は、同一の容器内の全く同じ酒に対しても、人によって異なる場合があります。いわゆる主観的な評価ですね。
酒が、人の生命を維持するための必須の食物ではなく、いわゆる嗜好品である以上、これは当然のことです。
しかし、日本酒の現状と、その未来を考える場合、やはり客観的な評価をもとに考察したい。
日本酒に対する客観的評価法とは何なのでしょうか。
日本酒の客観的評価基準は二つあります。
その第一は、原材料としての米粒を「どれだけ精米するか」にあります。これを精米歩合(せいまいぶあい)といいます。
少し長くなりますが、この評価基準「精米歩合」は、日本酒の本質を理解するために避けて通れませんので、お付き合い願います。
米粒は、生物学的には、稲と言う植物の果実に相当します。林檎や、柿や、梨などの果実と同じ位置付けになります。
収穫直後(脱穀直後)の米粒は、大雑把に言いますと、中心部がデンプンを主成分とする「胚乳」、中間層がタンパク質やアミノ酸、脂質などを豊富に含む「糊粉層」、最外層が保護層である「籾(もみ)」という、三層構造になっています。
最外層の籾は単なる保護層で、米粒本体ではありません。林檎や柿でいうと皮に相当するといえます。林檎の皮は食べられますが、籾は食べられませんので削り落とします。
これが脱穀の次に行われる作業で、籾摺り(もみすり)といい、籾摺り後の胚乳&糊粉層コンビを玄米といいます。
このあたりは、Mikikoさんのコメ、無洗米の話351~355に詳しく書かれています。
なお、糊粉層には、稲の次世代、つまり哺乳類でいうと胎児に相当する「胚」が付着しています。糊粉層&胚乳は、本来この「胚」が翌春、発芽・成長するための栄養分貯蔵組織なんですね。
この玄米を炊飯すれば、炭水化物(デンプン)、タンパク質、脂質の三大栄養素が全て含まれることになり、いわゆる完全食(それのみで人体が必要とする全ての栄養分を採ることができる食物)に近いわけです。
しかし、玄米をそのまま炊飯したものは、味・香り・舌触りなどがあまりよろしくないので、籾摺りの次の作業、精米が行われます。精米は玄米の外層、糊粉層を削り落とし、胚乳のみにする作業です。この段階で胎児である「胚」も削り落とされてしまいます。
この段階での米粒を白米といい、私たちが普段に炊飯、食しているものです。
白米の成分は、ほとんど炭水化物(デンプン)だけですので、栄養学的には偏っている、つまり白米のみでは人は生命を維持できません。
このあたりの話も、Mikikoさんのコメに、軍隊のエピソードを交えて書かれています。
ちなみに、「胚芽米」とは、胚と糊粉層の一部を残して精米した、「準玄米」ともいえるもので、栄養学的には白米より優れ、味わいは玄米より良いという優れものです。
さて、ここまでは前置き、ここからが評価基準「精米」の本題です。
ということで、栄養学的には玄米の勝ち・白米の負け、という評価になりますが、米を日本酒に醸造する場合は、その評価が逆になります。
玄米に多く含まれるタンパク質やアミノ酸、脂質などは、雑味や不快な香りなど酒質を低下させる要因に繋がるのです。純粋なデンプン質のみ(つまり白米)を用いると味・香りなどの酒質がよくなります。
したがって、良質の日本酒をつくるためには、醸造過程(酵母菌によるアルコール発酵)に入る前の原材料処理として、玄米の外層(糊粉層)を削り落とし、胚乳部分のみにする精米作業が極めて重要になってきます。
欲を言えば、胚乳も中心に近いほどデンプンの純度が高くなりますから、糊粉層はもちろん、胚乳部分も極力削り落とし、米粒のぎりぎりの中心部分を原料として用いるほど、優れた酒質の日本酒を得ることができるわけです。
このように、精米作業を極限まで行って造られた高品質の日本酒を、吟醸酒(その中でも特に優れた酒質のものを大吟醸酒)といい、それほど精米しないものを普通酒といいます。
当たり前のことですが、同じ量の酒を得るためには、吟醸酒は普通酒に比べ、より大量の米を必要とします。
後述しますが、醸造過程で様々な手間がかかる、ということもあり、吟醸酒は普通酒に比べ高価です。
玄米をどれだけ精米したか、を表す数値を「精米歩合(せいまいぶあい)」といいます。
これは、玄米の何%を削ったかではなく、何%を残したかという数値です。
例えば「精米歩合70%」というのは、玄米の30%を削り落とし、70%を残した、という意味です。
したがって、評価基準「精米」とは、精米歩合の数値が小さい日本酒ほど、優れた酒質である、ということになります。
吟醸酒はおおむね、精米歩合50%前後、大吟醸酒はそれ以下、というのが目安ですが、これは原材料としての稲(米;酒米)の種類も関わってきますので、一概には言えません。
この精米歩合の数値は、日本酒のラベル、パック酒の場合はパックの表面に記載してあります。
が、この記載は表示義務というわけではないので、記載の無いものもあります。記載のない酒は間違いなく普通酒(または、後に述べる増醸酒)です。
吟醸酒の場合、その矜持を込めて「精米歩合55%」のように必ず表示されています。
ただ酔っ払うだけなら普通酒で十分ですが、吟醸、特に大吟醸と称する日本酒の味わいは、一つの芸術である、ともいえましょう。
心せよ、酒飲み!
で、私が普段飲んでいるのは普通酒です(吟醸は高いからなあ)。
わはは。この貧乏人。
吟醸酒は……美味いよ!
で、その香りがまたなんとも……たまらん。
この香りを楽しむには、やはり温燗(ぬるかん)がいいでしょうね。吟醸に燗をつけるのは邪道だ、と言う人もいますが。
燗酒は、匂いがダメ、と言う人が多いですね。
普通酒は、雑味や不快臭が多いので、これは全くその通り。あなたの嗅覚は正常です。
普通酒の燗酒は、飲むのにコツがいるくらいです。
そういう人は、一度吟醸酒を試してみて。
日本酒観、変わるよ。
毎晩、吟醸で晩酌できれば最高でしょうが、んなことしていたら、小原庄助さんでなくとも、あっという間に身上を潰すな。
吟醸酒の唯一の欠点は「値段が高い!」だな。
美味いものは高い。これは酒には限らんがな……。 嗜好品だから、蔵元に文句を言ってもしょうがない。
で、ここからが問題です。
吟醸酒・普通酒の定義、つまり精米歩合何%以下を吟醸酒とするか、は実は法律では決まっていません(おい!)。
為政者、つまりこの国の法律(酒税法)にとっては、酒の質などには全く関心がない。要するに、如何に税金を搾り取るか、これだけしか考えていない。
かつては、日本酒は、特級・一級・二級の区分がなされており、高等級の酒ほど高税率を賦課されていた。つまり高価な酒だった。若い人は知らんだろうなあ。
昔の酒飲みは、味もわからず、見栄を張って(もちろん金のあるときだけ)「一級をよこせ」と、言っていたものだ。
等級区分は生産者の申請により、一方的に決まるもので、酒質は関係ありませんでした。
で、「私、特級にします」と申告しさえすれば特級、「一級にします」と申告すれば一級、しなければ自動的に二級酒として扱われた。
そのため、特級や一級に相当する品質の酒(つまりは吟醸酒だな)の生産者でも、敢えて高等級への申請をせず、二級酒として販売する業者が増加していった。ただただ、販売量を維持し、生き残るために……(う、涙)。
で、税金をぶったくるためのこの制度は、次第に意味がなくなり、現在では公的な等級制度は(やっと)廃止され、日本酒全体に一律の税率が賦課されるようになった。ようやっとそうなった。
となれば、後は酒質で勝負! となるはずなのですが、そこは不思議の国、日本。
この現状、つまり「酒税は一律、酒質の法律的定義は無し」の下では、逆に、いい加減な酒質の酒を「吟醸」と称して販売することも可能なわけですね(おいおい!!)。
ラベルに「吟醸」とあっても、実質的には普通酒という場合が多い(おいおいおいおい!! 詐欺やないか!!)。
日本酒の現状の問題点の一つがここにあります(なんなんじゃぁ、そりゃ!!! 無茶苦茶やないか!!!)。
騙されない為には、ラベルに小さく表記されている「精米歩合の値」をチェックしよう。派手な銘柄名などに目をやっていると騙されますぜ。お客さん。
このあたりのいい加減さを何とかしない限り、日本酒の未来は暗い。しかし、お上がこれを統制しようとすることなど、到底期待できない。彼らにとっては酒質なんざぁどうでもいい。酒税が入ってくれさえすればいいわけだから。
それだけに蔵元(日本酒の製造元)の矜持(きょうじ)と、飲み手の姿勢(酒質を味わう能力)が問われている、とも言えましょう。
さらに心せよ、酒飲み!
大吟醸酒の温燗(ぬるかん)。
世界で一番美味い酒だと思う。
麹黴(コウジカビ)&酵母菌。有り難う。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2010/11/14 11:44
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若山牧水の歌と言えば……。
●幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
●白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
などが有名です。
でも、わたしが一番好きな歌はこれ。
●足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる
この歌を目にすると、父を思い出すんですね。
ハーレクインさんのおかげで……。
日本酒というものを、見つめ直す機会を得ました。
燗酒も覚えました(酒燗器まで買ってしまった)。
で、わたしの感想ですが……。
普通酒を飲むくらいなら、ほかの酒を飲めばいいってこと。
日本酒は、特別な日に、吟醸酒をいただくことにします。
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––––––
2. ハーレクイン- 2010/11/14 20:43
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>Mikikoさん
私のしょうもない駄文を掲載下さり、ありがとうございます。
みき律さんが越乃寒梅を飲みだしたのがきっかけでした。
なんせ、根が好きなものですから、すき放題コメさせて頂いて来ました。
それが、こういう形でMikiko's Roomの一隅を汚すとなると「ええのか」「こんなことしてええのか」と、散々迷いました。
でも、心から日本酒を愛する者の1人として、
これから様々な酒を経験しようとしている若い人に、日本酒のすばらしさを知って欲しい。
しょうもない駄酒を飲んで、日本酒を誤解して欲しくない。
そういう思いで、この文を綴らせて頂きました。
私の日本酒歴のスタートは、中学3年のとき。好奇心で、台所の流しの下においてあった父親の酒を盗み飲みしたときです。
ばれてたら、どつきまわされてたやろな。
牧水は、数百にのぼる酒の歌を残しています。
牧水がもし吟醸を飲んだとしたら、どんな歌を詠じたでしょう。
*足音を忍ばせて行けば台所に わが酒の壜は立ちて待ちおる
この歌、載せたかったんですけどね。
絞り込むのに苦労しました。
切りがありませんが、あと二首。
*舌つづみうてばあめつちゆるぎ出づ をかしや瞳はや酔ひしかも
*人の世にたのしみ多し然れども 酒なしにしてなにのたのしみ