2017.12.5(火)
「旦さん……」
吸いつけられるように床の間の絵に目を遣る志摩子が、視線はそのまま、相馬禮次郎に声を掛けた。
「なんや」
「この絵ぇ、どなたかモデルはんとか、いやはる(おいでになる)んどすやろか」
「モデル、のう。おる、ゆうたらおる」
「へえぇ、どこの、どなたはんどすやろ」
志摩子は視線を戻し、手にした徳利を相馬に差し出しながら問い掛けた。
相馬禮次郎は酒を受け、軽く、唇を湿すほどに口を付け、杯を膳に戻す。改めて志摩子を見遣りながら、逆に問い掛けた。
「小まめ……」
「へえ」
「おまはん、なんでこの絵にモデルがある、思(おも)たんや」
「へえ……なんや、えろう(随分)……生々しい、云いますか……ぞくっときたもんどすさかいに……作り事やない(ではない)んや無いやろか、思いまして……」
俯く志摩子を改めて見遣り、相馬は言葉を継いだ。
「おまん(お前、あなた)……なかなか鑑賞眼、あるやないか」
志摩子は、思わず声を大きくした。
「と、とんでもおへん、ただ……」
相馬禮次郎は改めて杯を取り上げ、一気に干した。空の杯を志摩子に突き出す。
志摩子はすかさず徳利を傾けた。
再び杯を干した相馬は、改めてその杯を志摩子に突き出した。
志摩子は徳利を膳に置き、杯を受け取る。
膳の徳利を手に、相馬は志摩子の手の杯に酒を注(つ)ぐ。注ぎながら言葉も継ぐ相馬だった。
「おまはん(お前、あなた)『源氏』は読んだか」
「げんじ……源平の合戦、とかの、どすやろか」
酒で満たされた杯を手にしたまま、志摩子は言葉を返した。
相馬禮次郎は徳利を膳に戻し、苦笑交じりに返答する。
「せやない(そうではない)。『源氏物語』や。紫式部やがな」
志摩子は、異国の言葉を聞かされたように絶句した。ややあって杯を干し、相馬に答える。
「ほんな旦さん、そない高尚なもん……うちらみたいなもんが読みますかいな」
志摩子が返す杯を受け取りながら、相馬禮次郎は教え諭すような口調で言葉を掛けた。
「ほらあ、あかんど(いけないよ)小まめ。芸妓・舞妓は芸が仕事。踊り、舞踊は大事な仕事やろが。
おまんら(あなた方)はゆうたら(言ってみれば)芸術家、日本文化の担い手やないか。ほれやったら、他(ほか)にもいろんなこと知っとかなあかん。絵、音楽、歴史、文学……みいんな芸の肥やしやないか」
相馬の言葉は真正面から志摩子を射た。
(せや)
(そらそうや)
(あかん〔いけない〕)
(こらあかん)
(勉強せな〔しなければ〕あかん)
(べんきょ、せな……)
(ほれにしても)
(この旦さんに)
(こない〔このように〕諭されるとはなあ)
「そうどすなあ、旦さん。日本文化、は、たいそ(大層)過ぎますけんど、勉強させてもらいますう。
ほんで……」
志摩子は、改めて徳利を差し出しながら問い掛けた。
相馬禮次郎は即答せず、軽く仰向いて言葉を紡ぎ出した。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに……」
志摩子は、再び異国の言葉を聞いた。
「なんどすやろ、それ……旦さん」
相馬禮次郎は、今度は即答した。
「今ゆ(言)うた『源氏』の、出だしやがな。がっこ(学校)で習わんかったか」
「堪忍しとくれやすな、旦さん。うちら(私共)小学校もろくに出てまへんよってに……」
「『源氏物語』ゆうのはのう、小まめ」
言いながら、相馬禮次郎は志摩子に手の杯を突き出した。
酌をし、そのまま徳利を手に志摩子は相馬を見遣った。
「へえ」
「ゆ(言)うてみたら『好色一代男』の平安版、みたいなもんや」
「こう……しょく……」
「西鶴、井原西鶴の書いた……江戸期の、まあ、女(おんな)遍歴を繰り返す男の一代記や」
三度(みたび)異国の言葉を聞く志摩子だった。自らの言葉は、無い。
「かなり過激な性描写もある」
「…………」
「作中、主人公が交わった女は三千と数百人に上(のぼ)るそや(そうだ)」
「…………」
「男どうし……男色やな、これの相手は七百数十人」
「…………」
「無論、一生のうちに、ゆうことやが、ほれでもほないな(それでもそのような)ことがでけるんか、と思うがまあ、これはお話やさかいな。なんぼでも話は作れる」
「…………」
志摩子には、言葉の挟みようが無い。
耳を傾けるだけの志摩子だったが……こない(このように)よう(よく)喋らはるお方やったやろか、との思いがふと志摩子の脳裏を掠めた。
志摩子が相馬禮次郎の座敷に出たのは、これまで数度しかない。
その座敷での相馬は、どちらかというと寡黙であったように志摩子は覚えていた。
「さっき……『源氏』は平安版の『好色一代男』や、ゆ(言)うたが……」
相馬禮次郎は、言いながら手の杯を干した。
「あ、へえ」
ようやくひと声返しながら、志摩子は手の徳利を傾け、相馬に酌をする。その両手を徳利ごと膝に戻し、聞き入る志摩子だった。
「言い方が反対やったな。『好色』が江戸版の『源氏』、ゆ(言)うべきかのう」
志摩子は少し考えこんだが、さすがにこれは理解できた。
「ほな旦さん……『源氏』が先にあって……ほのあとに、えーと……」
「『好色一代男』か」
「あ、へえ、ほの『好色……』が後やあ、てことどすやろか」
相馬禮次郎は、再び軽く仰のいた。声には出さず笑う。笑いながら志摩子に答える相馬だった。
「ほらほや(それはそうだ)。『源氏』は平安のはじめころ、西暦でゆうと1,000年ころかのう。『好色』は江戸の初めころやから……ざっと七百年くらいの開きがある」
志摩子は、深く考えもせずに言葉を返した。
「へええ、そうどすかいな、旦さん」
相馬禮次郎は、軽く志摩子に目を遣りながら言葉を継いだ。
「なんや……なんでこないな(このような)話になったんや」
「旦さん……この絵ぇのモデルはんがどなたや、ゆ(云)うとっから……」
この絵、と、軽く自らの左手を見遣りながら答える志摩子に、苦笑交じりに答える相馬だった。
「せやった(そうだった)なあ」
「へえ、旦さん」
「ほの……『源氏』やが」
「へえ」
「『好色』、ほどやないけんど、主人公は女遍歴を重ねる」
「へええ」
「なんでそないに、は、まあいろいろあるんやけんど、ほれはええやろ」
「……へえ……」
「ほの、主人公。光源氏(ひかるげんじ)、ゆ(云う)うんやが……」
「ひかる……」
「光り輝くように美しい、ゆうことや。ひかる君(きみ)ともゆう」
「へえ……」
思わず、目を泳がせる志摩子だった
「ほの、光源氏の女遍歴。ほの、はじめん頃のお相手に『六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)ゆうお方がおらはった(御出でになった)』
「ろくじょう、の…………」
「美しく、気品ある、美貌と知性・教養を兼ね備えた絶世の美女やったそや(そうだ)」
「…………」
「六条京極(きょうごく)に住まわはってたさかい(お住まいになっていた)に、ほの名ぁがあるそや」
「下京(しもぎょう)の……塩釜あたりですなあ」
今で云う五条河原町、京の繁華街である。
「で、やな」
「へえ」
「なんやかんやあって……光源氏はんの訪(おとな)いが間遠(まどお)んなった」
「間遠に……」
「下世話に言や、振られはった、わけやな」
「はあ、ほれは……」
余所ながら、架空の話ながら、女の身、志摩子にとっては身に詰まされる話であった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/12/05 10:41
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上村松園画『焔』
の話題が(しつこく)続きます。
ということでまず『源氏』
更についでの『好色一代男』
で、源氏と来ますと光源氏。
さらに絵のモデル、六条の御息所……。
引っ張りまくっております。
いや、そんなつもりはないのです。
この絵『焔』は、今後の志摩子を暗示しているわけです。まあ、少し意味は違うのですが、これまで幾度も触れて来ました「志摩子の恨み」。殺したいほどの、あやめへの恨みの原因が、これから展開されるわけでありまして、そのいわばシンボルとしての『焔』なんですね。
で、物語はこの後、もう少し酒宴が続いて後、志摩子が一差し舞うことになります。そして……。
ということでございまして、話はいよいよ佳境。
次回以降を乞う!ご期待。
〔好色半ちく男HQ〕
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2. Mikiko- 2017/12/05 19:50
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六条御息所
架空の人物ですが、絵のモデルにもなるほどの有名人。
『源氏物語』では、生霊として大活躍。
対して、実在の人物で死霊として有名なのが菅原道真。
以前にも書きましたが、平安時代は、世界的な「中世温暖期」でした。
すなわち、現在起こってるような異常気象が、頻繁にあった時代。
↓この当時の人が、「スーパーセル」などを目撃すれば……。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%AB&newwindow=1&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi3kt-gsfLXAhWDlpQKHSDJA28Q_AUICygC&biw=1422&bih=1005
怨霊の怒りと恐れおののくのは無理もありません。
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3. ハーレクイン- 2017/12/05 21:46
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安倍晴明
を、持ち出すまでも無く、呪いと祟りの時代です、平安期。
そのベースにあったのは、自然への畏敬の念でしょうか
スーパーセルは知ってますが、ご掲示のサイトさんには(例によって)入れませんでした。
URLが長いと、たいがいアカン様です。
〔祟りじゃあ~犬神の祟りじゃあ~HQ〕
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4. Mikiko- 2017/12/06 07:27
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自然現象と理解していれば……
怨霊など恐れません。
怨霊の仕業と思ってたからこそ、恐れたわけです。
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5. Mikiko- 2017/12/06 19:49
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菅原道真と云えば……
飛梅伝説が有名です。
●東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
太宰府に左遷される道真が……。
京の邸の梅との別れを惜しみ、詠んだ歌です。
現在、この梅の木は、太宰府天満宮にあります。
主人の道真を慕うあまり……。
一夜のうちに、京から太宰府まで飛んで来たという伝説があるのです。
わたしは、正月飾りに買った梅の鉢植えを、幾鉢も枯らしてしまいました。
慚愧に堪えません。
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6. 手羽崎 鶏造- 2017/12/06 20:43
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大宰府といえば、名物は梅ヶ枝餅。
粒餡入りの焼き餅です。
現地で常に行列が出来ているのは、
一軒だけですが。
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7. ハーレクイン- 2017/12/06 20:52
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菅公
菅原道真。
廟所は、京都市上京区の北野天満宮。
あやめと久美が降り立った、嵐山電鉄「北野白梅町」駅の程近くです、と、何でも来いの番宣。
福岡の太宰府にもあります。こちらは太宰府天満宮。
まあ、俗に「天神さん」
受験生の聖地だそうですが、さて。
うっとこの市にもあります、天神さん。
鉢植えを枯らすMikiko
バチあたりめ。
〔こちふかば~HQ〕
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8. Mikiko- 2017/12/07 07:21
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手羽崎鶏造さん&ハーレクインさん
> 手羽崎鶏造さん
梅ヶ枝餅。
初めて知りました。
焼き餅の中に餡子が入ってるわけですね。
左遷された道真に、餅売りの老婆が餅を供したのが始まりとか。
画像を見ると、餅はかなり薄く、餡子がたっぷり入ってるようです。
> ハーレクインさん
天神さま。
新潟県では、『吉田天満宮(燕市)』と『菅原神社(上越市)』だけみたいです。
これからの受験シーズンは、賑わうんでしょうね。
梅の鉢は、お正月に咲かせるため、暖かい部屋に入れます。
正月に咲いた花が散ると、2月には葉が出てしまいます。
時差呆けならぬ時季呆けで、生理的におかしくなるのかも知れません。
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9. ハーレクイン- 2017/12/07 10:58
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こ~こはど~この細道じゃ~
♪天神さまの細道じゃ~
↑こんなの思い出しちゃいました。
諸星大二郎が天神さまをネタに短編を描いてます。
結構、怖い。
>手羽崎 鶏造さん
梅ヶ枝餅は、うえやまとち作の漫画『クッキングパパ』で知りました。
わたし、酒を断って以来、甘党に変身。一度食べてみたいものですが……。
“食べるもんなら何でも来い”のこちらですから、ひょっとして売ってるかもしれません。大阪駅前のデパ地下あたりが狙いめでしょうか。今度探してみます。
〔あ、通販もあるかなHQ〕
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10. Mikiko- 2017/12/07 19:52
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諸星大二郎
『妖怪ハンター(天の巻)』ですね。
↓集英社文庫に入ってました。
https://books.rakuten.co.jp/rb/3685000/
買おうかな。
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11. ハーレクイン- 2017/12/07 23:21
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稗田礼二郎シリーズ
ですね。
朝から探してるんですが、見つかりません。
蔵書処分事件の犠牲になったか、礼二郎。
この主人公名は、稗田阿礼からいただいたとか。
「妖怪ハンター」というサブタイトルは、編集者が付けたもので、諸星はんは嫌がったとか。
〔諸星あたるは高橋留美子HQ〕