2017.11.23(木)
蔓は丹後に続く峠へと目を向けた。
鶴千代の手を引いて走る桔梗の姿がその向こうに消えて行く。
“追い付かれた時は、一人が若と共に国元を目指し、もう一人は追っ手をくい止める”
それは若狭の山中で野宿した時二人で決めた事だった。
“こうも早く追い付かれるとは……”
蔓は悲壮な眼差しで桔梗の後ろ姿を見送る。
“早く! 桔梗様、早く逃げて!”
唇を噛んで再び下を見た時、大きく錫杖を振り上げる大女の姿が見えた。
とっさに蔓は一間ほど離れた隣の木に飛び移る。
背中で激しく空気を揺るがす振動が巻き起こり、幹をへし折られた中木がめりめりと音を立てて倒れた。
「逃げたか。すばしこいやつだね」
そう呟いた蓬莱が再び近付いてくる。
蔓を見上げながら、その後ろで妖しい笑みを浮かべた沙月女が右手を懐に忍ばせた。
蓬莱が再び錫杖を構えるや否や、蔓は思い切って二間ほども離れた別の木へ飛んだ。
その瞬間、沙月女の右手が空中の蔓に向かって光を放つ。
日差しに輝く一文字手裏剣が蔓の肩先に消えた。
「く!!」
危うく姿勢を保ちながら蔓は何とか木にしがみついた。
気丈に肩先から手裏剣を抜き放つと、近づいてきた蓬莱の頭上に投げおろす。
きな臭い音を立てて蓬莱が右腕の鉄輪でそれを弾き返した時には、二三本立ち木伝いに逃げた蔓は地上へ飛び降りていた。
そのまま峠とは逆方向に山を走り下りて行く。
「追うんだ、蓬莱!」
言うが早いか走り出した沙月女を、慌てて錫杖を担いだ蓬莱が追う。
「毒を仕込んでたから、必ず動きが悪くなるはず」
「なるほど、そうか」
沙月女の言葉に片頬を緩めた蓬莱は、木立を縫って走りゆく蔓の背中を追っていく。
「はあはあ……お、おかしい……はあ……」
走りながら荒い息遣いで沙月女がつぶやく。
時折地面に落ちた血を見ても、相手が手裏剣で傷を負っているのは明らかだった。
しかしいくら必死に逃げていると言っても、毒を受けたはずの獲物が一向に衰えを見せないのだ。
「はあ……もしや……はあはあ……」
そのつぶやきに、傍らを走る蓬莱も沙月女の顔を窺う。
「間違いない……はあはあ……この女、甲賀の薬使いだ。だからこんな毒では効かないんだ。ちくしょう、このままでは若との差が広がるばかり……はあはあ……」
「なんだって!」
声を上げると蓬莱は十間ほど先を逃げる蔓を睨みつける。
獲物を追って木立が開けた辺りに走り出た時、突然蓬莱はその足を止めた。
「はあはあ……。沙月女、離れて!」
叫びを上げて沙月女を遠ざけると、肩の錫杖を右手で掴む。
円を描く様に大きくそれを振り回すと、勢いをつけて前方の蔓に投げた。
不気味な風切り音と共に、激しく回転しながら重い錫杖が獲物を追っていく。
「ひゃあああ!!」
悲鳴と共に蔓の身体が空中に舞い上がった。
蔓の後ろ一間ほどで地面から跳ね上がった錫杖が、その身体をなぎ払ったのである。
空中で血反吐を吐いた蔓の身体が、まるで木の葉のように舞いながら再び地面に落ちた。
「よし!」
沙月女が獲物に向かって走る。
よろめきながら立ち上がって逃げる蔓に、沙月女は再び右手の一文字手裏剣を放った。
無情にもその輝きが背中を捉えて、ゆっくりと蔓は前のめりに地面へ倒れ込んだ。
落ち葉の上で動かなくなった蔓に、沙月女と蓬莱は用心深く歩み寄っていく。
追っ手が近づいたことを感じた蔓は、もう力の入らぬ右手を廻して背中の手裏剣を抜き放った。
そのままゆっくりと身体を回して仰向けになる。
一瞬足を止めた沙月女たちの用心に反して、血の付いた一文字手裏剣は蔓の右手から地面に零れ落ちた。
もう生気を失くした蔓の眼差しが青空に向けられる。
“桔梗様……、どうかご無事で……”
おびただしい血が蔓の口から流れ出ていた。
「どうやらもう、臓の腑が破れてしまったようだねえ」
沙月女と蓬莱は横に立ち止まると、薄笑いを浮かべて蔓の顔を覗き込んだ。
「この……化け物……」
「え……何だって……? 今、何と言った!?」
蔓のつぶやきに蓬莱は身を乗り出す。
「ふふ……化け物と言ったんだよ、お前に……」
「な、なんだって!!」
蓬莱が目を怒らせて顔を近付けた時、
「蓬莱! 危ない!!」
沙月女の叫びと共に、蔓は渾身の力を込めて血を吹いた。
蔓の血しぶきを目に受けた蓬莱は身をのけ反らせて後ろに尻もちをつく。
「こいつ!!!」
慌てて沙月女が小刀を抜いた時には、もう蔓の視線は虚ろに中空を見つめたまま動かなかった。
木々の隙間から見える空も紺色に沈み始めて、薄暗くなった森の中で桔梗は足を止めた。
山道から外れて目立たぬように木立の中を進んできたが、もう丹後への国境も間近に迫っていると思われた。
山肌が奥まった辺りに小さな洞窟が見える。
じっと周囲の物音に耳を澄ました後、ようやく笑みを浮かべて桔梗は鶴千代の顔を覗き込んだ。
「お疲れでございました。直に暗くなりますが故、今日はもうあの祠で一夜を過ごすと致しましょう」
「うん、わかった」
額に汗を浮かべたまま、鶴千代は桔梗に大きく頷いた。
大人が身を縮めて入る程な祠の中で、二人はなるべく乾いた岩床に腰を降ろす。
大石桔梗はその顔に優しい笑みを浮かべて口を開いた。
「若、おみ足は如何ですか?」
「なに、今はもう大事ない。大石……その……すまぬ……」
言葉尻が小さなつぶやきに変わり、鶴千代は申し訳なさそうにその顔を俯かせた。
「え? 何が……でございますか?」
「このように大変な世話になり……」
「若……」
笑みを浮かべて桔梗は小さく首を横に振った。
普段の少年の様な顔が、珍しくまるで優しい姉のように見える。
「そうだ。忘れておりました」
桔梗は脇に置いた背袋を開いて小さな竹包みを取り出す。
「おなかが空かれたでしょう? 少しですが餅を用意しておりましたのでお召し上がりください」
「うん。そう言えば、私もおなかが空いたのを忘れておった」
「あははは……」
桔梗は夢中で餅をほおばる鶴千代を嬉しそうに見つめた。
しかしふと餅を食べる手を止めて鶴千代がつぶやく。
「あの者は大丈夫であろうか……?」
「え……? その……蔓ですか……?」
思わず真顔に戻った桔梗だったが、せっかく元気を取り戻した若を思って再び笑みを浮かべる。
「なに、ああ見えて蔓は相当手練れの忍びでございます。今頃はもうどこかで若のように夕餉を食べておりますよ」
「そうか。いや、そうだな」
再び餅にかぶりつく鶴千代から、桔梗は夕闇の迫る外の森へ目を向けた。
“蔓……”
胸の内でそうつぶやいた桔梗の顔からもう笑みは消えていた。
薄暗くなった山あいの河原に二つの影が寄り添っている。
「ほら蓬莱、もう一度洗って」
蓬莱は両手で冷たい谷川の水を掬いあげて目を洗う。
「大丈夫だよ。目は見えるから」
しかしそう言いながら立ち上がった蓬莱の身体が危うく揺らいだ。
「蓬莱、さあこっちへ」
沙月女は蓬莱の身体を両手で抱きかかえるようにして岩場へと運ぶ。
大きな岩に背中を持たれかけて、蓬莱は力なくその場に座り込んだ。
「何だか力が抜けていくようだ……」
「ほ、蓬莱……!」
目を見開いて沙月女が見守る中、蓬莱の隆々とした身体が少しずつ細くなっていく。
蓬莱は二の腕を見つめていた目を虚しく宙に向けた。
「あいつ、蜂のように最後にあたしを刺しやがった……」
「ほ、蓬莱!」
徐々に細く伸びやかに変化してゆく身体が、夜目にもほの白く岩陰に浮かんだ。
心なしか白衣のような肌から血の気が引いていくようにさえ見える。
「どうやらあたしは、もうだめらしいよ……」
「何を言うんだ蓬莱、少し休めば元気になるさ。そうだ、寒いんだろ? 今、火を燃やしてやるからね」
薪を拾いに立ち上がろうとした沙月女の手を蓬莱の手が掴んだ。
蓬莱は力なくその目を沙月女に向ける。
「沙月女……、あんたはあたしのことどう思う?」
「どう思うって……?」
怪訝な表情の沙月女の顔を蓬莱はじっと見上げた。
「あたしは……、あたしは化け物かい……?」
「蓬莱!!」
思わず沙月女は細い蓬莱の身体をかき抱いた。
忘れたはずの涙がその目から溢れ出る。
「何を言うんだ! あんたは、あんたは……天女みたいにきれいだよ……」
沙月女の胸に抱かれたまま、仰向けの蓬莱の顔に微かな笑みが浮かんだ。
「あ……ありがとう……」
そのままゆっくりと目を閉じて、蓬莱はその顔を沙月女の胸にあずけた。
「蓬莱……? 蓬莱! しっかりして!! あんたがいなくなったら、誰があたしを守ってくれるんだよう!」
しかし沙月女の胸で力なく揺れる蓬莱の口は、もう再び開くことはなかった。
「蓬莱! 蓬莱! わああ~~!」
せせらぎの音に混じって、蓬莱をきつく抱きしめた沙月女の泣き声が暗い谷間に響いた。
どれくらいの時が経ったのだろう。
沙月女は蓬莱の身体をそっと横たえると暗闇に立ち上がった。
思い錫杖を引きずってその横に添わせる。
「じゃあ蓬莱、先に向こうで待ってておくれ」
月を見上げて方角を確かめる沙月女の目は、もうその鋭い輝きを取り戻していた。
「蓬莱、見てておくれ。このままじゃ済まさないよ」
そう呟くと、沙月女の姿は月明かりから森の暗闇の中へと消えていった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2017/11/23 08:21
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とうとう……
主要登場人物2人が、相打ちのかたちで命を落としてしまいました。
物語の性質上、避けられない場面ですが、やはり悲しいです。
さて、今回の場面でもそうでしたが……。
時代劇になくてはならないのが、血しぶきシーン。
テレビ時代劇では、まず見られません。
暴れん坊将軍は、必ず峰打ちですし。
これは、子供や妊婦が見てしまうことに対する配慮でしょう。
でも、半分は建前だと思います。
本音は、衣装を汚したくないから。
血糊は何で作るのかわかりませんが……。
白っぽい着物では、洗って再利用も難しいんじゃないですか。
血糊が映えるのは白系統の衣装ですから、痛し痒しです。
しかし、ある程度お金をかけられる映画では、かなりの血しぶきシーンが見られます。
その端緒となったのが、黒澤明の『椿三十郎』。
斬られた仲代達矢の胸から、血しぶきが5メートルも上がりました。
ポンプを使ったそうで、仲代達矢は、圧力に堪えて立っているのがやっとだったそうです。
その後の映画では、若山富三郎の『子連れ狼』。
このシリーズは、その血しぶきの過激さから海外でも評判となり……。
『元祖スプラッタームービー』と評されてるそうです。
『キル・ビル』を撮ったクェンティン・タランティーノに、大きな影響を与えたことでも有名です。
ちなみに、タランティーノ監督は、梶芽衣子の大ファンで……。
日本で舞台挨拶をする条件に、梶との対面を要求したとか。
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2. ハーレクイン- 2017/11/23 17:32
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落命
忍者もの、剣戟ものでは避けられないシーンです。
わたしは幸い、まだ登場人物を殺したことはありません。
が、先行き、誰をどう殺すかも含め、予定はしております。
峰打ち
某剣豪もので読みましたが、刀とは本来、峰で打つものではない。打った弾みに折れることもあるとか。
『キル・ビル』
まだ見たことありません。
テレビ放映やらんかなあ。
〔抜けば玉散る氷の刃HQ〕
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3. Mikiko- 2017/11/23 18:50
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「花よ志」殺人事件で……
1人死んでるではないか。
いちおう、登場人物ではあります。
峰打ち。
本来、斬る瞬間に刀身を返す技だとか。
暴れん坊将軍みたいに、最初から裏返して構えることはないそうです。
『キル・ビル』。
間違った日本のイメージがふんだんに出て来て楽しいです。
栗山千明が敵役で出てました。
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4. ハーレクイン- 2017/11/23 21:21
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「花よ志」殺人事件被害者
あれは「殺した」わけではありません、登場時点で「すでに死んでいた」のです。
>最初から裏返して……
は、いない。
なるほど。
それはそうか。相手にしてみれば「少なくとも殺されることは無い」と思って、気持ちに余裕ができますわな。
で、峰打ち側、手加減したつもりが逆に切られ、敢え無く……。
〔世の中、どこに落とし穴が……HQ〕
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5. Mikiko- 2017/11/24 07:40
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最初から裏返し
刀身は、反りが打ってます。
裏返して構えたら、切っ先までの間合いが違ってしまうでしょう。
まともに振れないと思います。
峰打ちと云っても、細身の重い鉄の板が当たるわけですから……。
痛みはそうとうなものだとか。
打たれた相手は、斬られたと錯覚し、戦意を喪失するそうです。
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6. ハーレクイン- 2017/11/24 10:28
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間合い、峰打ち、戦意喪失
そういえば、実際の切り合いでは、竹刀や木刀のように派手に刀同士を当て合うことはあまり無いとか。
んなことをすれば、あっという間に大きく刃こぼれ、ヘタすると折れちゃうとか(そりゃあ鈍刀;こう書くそうです、ナマクラガタナの場合だろ)。
〔案ずるな、峰打ちじゃHQ〕
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7. Mikiko- 2017/11/24 12:47
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日本刀は……
刃の向きと振り下ろす角度が少しでも違うと、斬れないそうです。
ヘタクソ同士の斬り合いは、叩き合いみたいなものだったでしょう。
日本刀の刃に、銃弾が真っ直ぐ当たるとどうなるか。
↓こちらをご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=HFs56XBdwXQ&t=532s
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8. ハーレクイン- 2017/11/24 14:25
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日本刀vs.銃弾
銃弾が真っ二つになるんでしょ。
以前、テレビで見ました。
〔一刀両断(そういえば、子連れ狼の名は拝一刀)HQ〕











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