2010.2.6(土)
これは、第371回から第379回までのコメント欄で連載した、「『春の童謡・唱歌』(Ⅰ~Ⅷ・番外編」)」を、『Mikikoのひとりごと』として、1本にまとめたものです。
おとといまでの連載「冬の新潟から ~ガーデニング雑感~」、を書いてたら……。
春を待ち望む思いが、いっそう強くなりました。
とは言え、まだまだ大寒を過ぎたばかり。
通勤の車窓から見える風景は、まさに冬真っ盛りです。
で、今回の連載は……。
そんな最中、一足先に春を感じてしまいましょう、という企画です。
車窓から見る景色のことを言いましたが……。
今、通勤電車の中では、コメントネタを練ったり、ネタ本を読んだりしてます。
でも、「Mikiko's Room」を始める前は、音楽を聴いてたんです。
そのころ、春を待つ季節になるとよく聴いたのが……。
童謡や唱歌でした。
まずは、春を待つ気持ちを歌った歌。
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■春よ来い【作詞:相馬御風/作曲:弘田龍太郎】
春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
蕾もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている
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作詞をした相馬御風(1883~1950)は、新潟県糸魚川市の出身。
糸魚川市は、新潟県の西の端にあります。
相馬御風は、早稲田大学校歌「都の西北」を作詞したことでも有名ですね。
ところで、糸魚川って、なんて読むかご存じですか?
昔は、他県の人で読める人は少なかったと思います。
読めたのは、一部の地学好きの人でしょう。
「糸魚川静岡構造線」というのが通ってますから。
フォッサマグナ(中央地溝帯)の西の縁です。
つい最近、糸魚川は、世界ジオパークに認定されて、俄然有名になりました。
読める人も増えたんじゃないでしょうか?
「いといがわ」と読みます。
世界的に有名な翡翠(ひすい)の産地でもあります。
この翡翠が出ることで……。
糸魚川の名は、神話の時代から広く知れ渡ってました。
糸魚川の奴奈川姫(ぬながわひめ)に求婚するため、大国主命がこの地を訪れてるほどです。
ちなみに糸魚川は、ちょっと意外な日本記録も持ってます。
1990年8月22日に記録されました。
何かと言うと……。
1日の最低気温が、最も高かった記録。
この日の糸魚川の最低気温は、30.8度でした。
最低気温が25度以上の日を、熱帯夜と呼びますが……。
30度以上って、何て呼ぶんでしょうね?
さて、「春よ来い」に話を戻しましょう。
“みいちゃん”の気持ち、新潟県人なら、ほんとによくわかります。
相馬御風がこの歌を作ったのは、39歳のとき。
大正12年(1923年)のこと。
この2年前に、長女文子が誕生してます。
“みいちゃん”のモデルは、この娘さんだったそうです。
歌詞の中の“じょじょ”は、草履を表す幼児語。
こういう言葉をさりげなく組み入れる技は、やっぱり巧いなぁと思います。
余談ですが……。
早大志望者の中には……。
春になったら「都の西北」を歌うぞ、との願いを込めて……。
この「春よ来い」を歌う人もいるとか。
続いて、わたしの大好きな歌。
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■早春賦(そうしゅんふ)【作詞:吉丸一昌/作曲:中田章】
春は名のみの風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
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春を待つ電車の中で、一番聞いたのがこの歌。
春を待つ雪国の人の気持ちを、これほど表した歌も無いでしょう。
ちなみに、作詞をした吉丸一昌(1873~1916)は、大分県の人だそうです。
なので、故郷を歌ったものではありません。
信州安曇野を訪れたとき、雪解け風景に感動して、この歌を作ったとか。
2番の歌詞の、「つのぐむ」は、「角ぐむ」のこと。
水面から葦の芽が、角のように尖って出てくることを云います。
俳句の春の季語に、「蘆の角」というのがあります。
「蘆の角」が出てくると……。
「さては時ぞ」と、わくわくします。
いよいよ春が来たって。
あぁ、それなのに……。
「あやにく」は、「予期に反して思いどおりにならないさま」を云います。
「生憎(あいにく)」のことです。
ほんとに、文語の歌詞って、どうしてこう美しいんでしょうね。
この歌が聞こえて来ると、もう春間近です。
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■うれしいひな祭り【作詞:サトウハチロー/作曲:河村光陽】
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔
金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
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「今日はたのしい」と歌ってますが……。
曲調は短調で、どこか悲しみを帯びてます。
作詞をしたサトウハチロー(1903~1973)が、「お嫁にいらした姉様」を思う気持ちが……。
作曲者の河村光陽にも伝わったんでしょうか?
ハチローには、4つ年上の姉がいました。
歌詞のとおり、色白の美人だったそうです。
ハチローは、この姉から読み書きを教わり、詩心を授けられました。
やがて、その姉に縁談がまとまり、嫁ぐことになりました。
しかし……。
嫁ぐ直前になって、姉に病気が見つかりました。
結核でした。
当時の結核は、死病です。
縁談は、相手から一方的に破棄され……。
姉は、そのまま寂しく息を引き取ったそうです。
まだ18歳でした。
ひょっとしたら……。
病床の傍らには、婚礼衣装が飾られてたかも知れません。
姉は、その衣装に袖を通すこともなく、死んでしまったのです。
でも、ハチローは詩の中で、「お嫁にいらした」と歌ってます。
優しい姉は、天国にお嫁に行ったのだと、ハチローは思ってたのかも知れません。
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■どこかで春が【作詞:百田宗治/作曲:草川信】
どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで春が うまれてる
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冬の最中の今、きっとどこかで……。
春は生まれてるんですね。
作詞をした百田宗治(1893~1955)には、「芽の出る音」が聞こえたんでしょう。
詩人の耳って凄いですね。
なお、最近の小学校の授業では、3番の「東風(こち)」を「そよ風」と歌っているようですね。
たしかに、東風はわかりづらいし、音数的にもちょっと苦しいですよね。
でも、日本らしい、素敵な言葉です。
俳句や和歌では、よく使われます。
俳句では、もちろん春の季語。
和歌で有名なのは、この歌。
東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
菅原道真が、京の都を追われる際に詠んだ歌です。
道真は、左遷先の太宰府で、失意の中亡くなりました。
命日は、旧暦の2月25日。
新暦に直すと、3月26日。
その夜、京の都で咲いていた梅が……。
一晩で、太宰府まで飛んで来たそうです。
道真公の死を悲しむあまり……。
紅梅は、白梅へと色を変じていたとか……。
有名な「飛梅伝説」。
その梅は、今も太宰府天満宮の本殿前で、花を咲かせています。
春は、別れの季節でもあります。
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■あおげば尊し【作詞:不詳/作曲:不詳】
あおげば とうとし わが師の恩
教えの庭にも はや 幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
互にむつみし 日ごろの恩
別るる後にも、やよ 忘るな。
身をたて 名をあげ やよ はげめよ
今こそ 別れめ いざさらば
朝夕 馴にし まなびの窓
螢のともし火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
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卒業式の定番ですね。
この曲って、今も卒業式で歌われてるんでしょうか?
もちろん、わたしの時代では歌われてました。
涙腺の緩い同級生なんかは……。
起立したときから、もう泣いてました。
バカじゃなかろうかと、思いましたね。
口には出しませんけど。
わたしは、一度も泣いたことはありません。
別れを惜しむ友も、お世話になった先生もいませんでしたから。
部活に入ったこともないので……。
先輩後輩とも無縁。
中学、高校、ともに……。
卒業式というのは……。
やっと、学校とオサラバできる日でした。
卒業証書をもらったときは……。
これさえもらえば、こっちのもんだと思いました。
その足で、トンズラしようかと思ったくらいです。
さすがにしませんでしたけど。
でも、「あおげば尊し」に、決して嬉しいイメージを持っているわけじゃありません。
別れの後は……。
必ず、新しい出会いがあります。
わたしは、別れより出会いの方が、遙かに苦手でした。
「あおげば尊し」が聞こえてくると……。
もうすぐ新学期が始まるんです。
春休みは、ほんとに憂鬱でした。
宿題も無いから、気楽なはずなのにね。
とにかく、鬱々として楽しまなかった。
4月になったら、またあの切ない気分を味わうのかって。
このへんの気持ちについては、158回のコメントで書きましたので、興味のある方はどうぞ。
気分的に一番ひどかったのが、中学と高校に入学したときでしたね。
新しい学校って、匂いが違うんですよ。
それで、さらに不安が大きくなった。
毎日、お腹が痛かった。
1ヶ月くらい、半泣きで暮らしましたね。
で、大学に入るとき、すごく心配したんです。
今度は、学校が変わるだけじゃありません。
上京して、ひとり暮らしを始めるわけです。
学校から帰っても、違う環境が待ってるわけです。
パニックになっちゃうんじゃないか?
新潟に逃げ帰るかも?
って怖れてました。
でも、実際行ってみると……。
まったく違ったんです。
ひとりになれたってことが……。
うっとりするほど快適だった。
布団に潜りながら、今ひとりなんだと思うと……。
布団の中で身悶えするほど嬉しかった。
で……。
大学には、ほとんど行きませんでした。
せっかくひとりになれたのに……。
人と口を利く気になれなかったから。
夏休みや冬休みには帰省しましたが……。
その間の、東京にいた時は……。
たぶん、一言も口を利かなかったんじゃないかな?
学校に行かないで何をしてたかと言うと……。
夜中じゅう、本を読んでました。
明け方散歩に出かけ、コンビニでお弁当を買って帰る。
朝のニュースなんかを見ながら、それを食べると……。
寝るわけです。
起きるのは、夕方。
夕ご飯は外食。
で、また本を読み始める。
お腹が空くと、ピザトーストかカップの焼きそばを食べ……。
朝まで読書。
って日々でした。
夢のような暮らしでしたね。
これ以上快適な生活は、ほかには考えられないと思いました。
もちろん、こんな夢のような暮らしが、長く続くわけありません。
学校に行かないんですから、当然落第です。
1年生を2回やって、退学(除籍?)になりました。
続いて、新学期を前にした歌。
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■一年生になったら【作詞:まどみちお/作曲:山本直純】
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で かけたいな
日本中を ひとまわり
ドッシン ドッシン ドッシンと
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
ワッハハ ワッハハ ワッハッハ
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この歌は、今もよく耳にします。
今年も、もうすぐ聞こえて来るでしょうね。
聞きたくなくても、否応なしです。
聞かされるのは、わたしが毎週行くスーパー。
もうすぐ、ランドセル売場が特設されます。
そこでこの歌が、エンドレスに流されるんです。
遠くの食品売場にいても、聞こえてくるんですから……。
イヤになっちゃいます。
わたしは、一年生が嫌いでした。
ただでさえ、環境の変化に弱いのに……。
通う学校まで変わるんです。
入学後、1ヶ月くらいは……。
ほとんど半泣きで、足萎えのような状態で暮らしてました。
窓から、家の方ばかり見てた。
ばあちゃんは、今ごろ何してるかななんて考えながら。
この歌のような一年生とは、正反対だったわけね。
だから、いまだにこの歌は苦手です。
ところで、この歌の歌詞には不思議な箇所があるってこと……。
お気づきですか?
一年生になったら、友達を100人作るわけですよね。
そうしたら、自分も入れると101人になります。
それなのに……。
なぜ、おにぎりを食べるのが100人なんでしょう?
日本中をかけるのも、世界を震わせて笑うのも、なぜ100人なの?
101人にしたら、歌詞の音数が合わなくなるから?
いえいえ。
100人のままでも、101人が表せるんですよ。
助詞を取り替えるだけ。
「100人で食べたいな」の「で」です。
これを、「と」に替えるだけでいいんです。
「100人と食べたいな」。
でしょ?
作詞のまどみちお(1909~)さんは、高名な詩人。
“さん”付けするのは、まだご存命だから。
現在100歳で、現役の詩人です。
昨年11月には、新詩集が出版されました。
スゴいですねー。
童謡の作詞も、たくさんされてます。
『ぞうさん(♪ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね)』
『やぎさんゆうびん(♪しろやぎさんから おてがみついた)』
『ふしぎなポケット(♪ポケットのなかには ビスケットがひとつ)』
こんな詩人が、助詞を取り替えれば済むことに、気づかなかったはずありません。
なぜ、詩人はひとり消しちゃったんでしょうね?
まったく、謎です。
ひょっとして……。
友達を100人作りたかったこの子は……。
それが叶わないことを、予感してたのかも?
100人が、一緒におにぎりを食べるのを見ながら……。
ひとりぼっちで、お弁当を食べることになるって。
そんなふうに考えると、この歌にも共感できます。
実はわたし、一年生になる度に……。
自分は変われるんじゃないか、と夢見ていました。
人見知りで引っ込み思案な自分を変えたかった。
でも、出来ませんでした。
とってもそんな余裕は無かった。
環境に順応するだけで、いっぱいいっぱいだった。
そんなわけで、春の歌は、痛みの記憶を伴う場合が多いです。
でも、だからこそ強く引かれるのかも知れません。
過去の自分に、出会える気がして。
いよいよ、待ちに待った春真っ盛り。
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■春の小川【作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一】文部省唱歌(4年)
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
春の小川は さらさら流る
蝦やめだかや 小鮒の群に
今日も一日 ひなたに出でて
遊べ遊べと ささやく如く
春の小川は さらさら流る
歌の上手よ いとしき子ども
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く
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あれ?、と思われた方もしらっしゃるんじゃないでしょうか?
メロディは確かにあの歌だけど……。
歌詞が違う!って。
そう。
「春の小川」は、最初はこういう歌詞だったんです。
それが、口語体の今の歌詞に変えられました。
現在の歌詞は、こうなってます。
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■春の小川【作詞:高野辰之(林柳波ほか改)/作曲:岡野貞一】
春の小川は、さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや こぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
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この改作、いつ行われたと思います?
普通に考えれば戦後、と思うでしょうが……。
実は、戦時中なんですね。
戦時下、学校制度改革により、「国民学校」が創設されました。
その3年生の教科書に、この「春の小川」が収録されることになったんです。
ですが、文語体を習うのが4年生からだったので……。
歌詞が口語体に変えられたということです。
そんなら、4年生の教科書に入れればいいだけですよね。
なんで改作までして、3年生の教科書に入れなきゃならなかったんでしょう?
戦時中の考え方は、さっぱりわかりません。
でも、そのおかげで、今の親しみやすい歌詞が生まれたわけですから……。
結果的には、よかったってことかも。
わたしは、文語体の唱歌が大好きですが……。
こと、この「春の小川」に限っては……。
口語体の歌詞の方が好きです。
まぁ、自分がそう習ったってこともあるんでしょうけど。
ところで、みなさん。
この歌の情景、どこのものだと思います?
「春の小川」が作られたのは、大正元年(1912年)。
作詞者の高野辰之(1876~1947)の故郷は、信州なので……。
この歌も、信州の山里の風景でしょうか?
でも、違うんですねー。
東京都心なんですよ。
受験生のメッカ、代々木!
高野は、この歌を作った当時、現在の代々木3丁目に住んでました。
当時の地名は、東京府豊多摩郡代々幡村。
一面の田園地帯だったとか。
すぐ近くを、河骨川と呼ばれる川が流れていました。
高野が歌った「春の小川」は、この河骨川だったそうです。
ちなみに、「河骨」って何かご存じですか?
スイレン科の水生植物です。
「こうほね」と読みます。
河骨川には、こんな花が群れ咲いてたんでしょうね。
「河骨」とは、ちょっと怖い名前ですが……。
水面下の茎が白く、骨のように見えるからだとか。
わたしは、水面上の緑の葉柄しか見たことありませんけど……。
余談ですが……。
この河骨川は、やがて宇田川に合流し、渋谷に向かいます。
渋谷区に宇田川町って地名があります。
そう、渋谷センター街のあたりです。
その地名の由来は、文字通り宇田川が流れてるからです。
「流れてた」んじゃありませんよ。
今でも、「流れてる」んです。
え?
センター街に川なんて無いって?
ところが、あるんですねー。
どこかというと……。
センター街の真下です。
暗渠となって地下を流れてます。
ていうか、宇田川に蓋がされて、その上に出来たのがセンター街なんです。
センター街って、道が曲がってるでしょ?
あれは、宇田川の川筋そのものだから。
100年前のセンター街は、↓こんな風景だったんでしょうね。
またもや、わたしの大好きな歌の登場です。
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■花【作詞:武島羽衣/作曲:滝廉太郎】
春のうららの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずやあけぼの露浴びて
われにもの言ふ桜木を、
見ずや夕ぐれ手をのべて、
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき
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この歌、お風呂でよく歌います。
母がいないとき限定だけど。
お風呂の隣がキッチンなんですよね。
歌声が聞こえちゃうから。
上手なら、いくらでも聞かせるんだけど……。
見事に音痴です。
昔、大声で歌ってたことがあったんですけど……。
後で苦情を言われました。
包丁が滑りそうになったって。
鼻歌を歌ってたときは……。
いきなり風呂の扉を開けられました。
具合が悪くなって苦しんでると思ったらしいんです。
腹立つ!
というわけで、普段は、お風呂で歌わなくなりました。
その反動か、母が留守の時は、思い切り歌いますね。
ほぼリサイタル状態。
特にこの「花」は、必ずレパートリーに入ります。
3番まで歌います。
歌い上げます。
アンコールも、もちろん!
ときには、ハモるまねごとまでします。
ここまでいくと、ただのバカですが……。
てなわけで、歌詞は3番まで完璧に頭に入ってます。
大好きな詩です。
つくずく、文語っていいなと思います。
作詞者は、武島羽衣(1872~1967)という人。
詩人で国文学者。
チンドン屋のテーマ曲、「美しき天然」の作詞者としても有名。
ちなみに、この「花」という曲名ですが……。
あまりにも抽象的だと思いませんか?
「隅田川」とか、なぜ具体的な曲名にならなかったんでしょう?
実はこの曲……。
単独で作られたものではないんですね。
西欧音楽からの借り物ではない、本格的な和製歌曲の一部として作られたんです。
4曲で構成された組曲「四季」の第1曲が、この「花」なんですね。
ちなみに、続く3曲の曲名は、「納涼」「月」「雪」です。
↓全曲聴きたい方は、こちらへ。
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Taki-Four_Seasons.htm
作曲は、「荒城の月」で有名な、瀧廉太郎(1879~1903)。
瀧は、わずか23歳で夭折してます。
日本最初の合唱曲である「花」を作曲したときは、まだ21歳でした(1900年/明治33年)。
「荒城の月」も、同年の作。
まさしく天才ですね。
なにしろ、19歳のときには、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の先生になってるくらいですから。
19歳で、東京芸大の先生になっちゃったんですよ。
ちなみに、芸大に入学したのは、15歳のとき。
どんな頭の構造してたんでしょうね。
つくずく、夭折が惜しまれます。
彼が長く生きたら、どれほど多くの名曲が生まれたかと思うと……。
悔しくてなりません。
それにしても、ほんとに、いい詩、いい曲ですよね。
タイムマシンに乗れたら……。
この風景を見に、明治のころの隅田川に行ってみたいです。
そろそろ歌も、春真っ盛り。
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■茶摘【作詞:不詳/作曲:不詳】文部省唱歌
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠
日和つづきの今日此頃を
心のどかに摘みつつ歌う
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ
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八十八夜とは、立春から数えて、88日目を云います。
今年の立春は、2月4日なので……。
八十八夜は、5月2日。
ゴールデンウィークの真っ最中。
日本の季節で、1番いいころじゃないでしょうか。
とは言っても、実際のゴールデンウィークは……。
急に寒さが戻ったり、お天気も安定しません。
月別の平均気温を見ると、5月と10月は、だいたい同じです。
でも、10月の気温は、比較的安定してるのに対し……。
5月は、寒暖の差が大きいですよね。
それでも!
気分はやっぱり、5月のほうがいいです。
これから暖かくなる5月と、寒くなる10月では……。
やはり気分的に違います。
5月は昔から、わたしにとっても嬉しい季節でした。
ようやく新しい環境にも慣れて……。
クラスメートとも、普通に話が出来るようになるころだったからです。
切ない気分が、波のように引いていく時季。
しかも、日は長くなるし……。
暖かくなるし……。
自然と笑みがこぼれ出すような季節です。
世に、「5月病」という病があるようですが……。
わたしには、まったく無縁でした。
5月は、ようやく4月の病が癒えたころだったからです。
そんなわけで、「茶摘」も大好きです。
この歌に歌われた、↓茶摘み風景ですが……。
どこだと思います。
静岡ではありません。
京都です。
宇治茶で有名な、宇治の風景。
と言っても、宇治市ではなく……。
そのお隣の、宇治田原町だそうです。
「茶摘」は、当時の宇治田原村の茶摘み唄を元に作られたとか。
2番の「摘まにゃ日本の茶にならぬ」は……。
もともとは、「摘まにゃ田原の茶にならぬ」だったそうです。
のどかな田舎の風景に、いきなり「日本」が出てくるのが奇異でしたが……。
なるほどという感じですね。
わたしは単純作業が得意なので、1日中茶摘みをしても平気だと思います。
農家の人にとっては、「心のどかに」なんて気分じゃ無いのかも知れないけど……。
やっぱり、こういう暮らしには憧れます。
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■鯉のぼり【作詞:不詳/作曲:不詳】文部省唱歌(5年)
甍の波と雲の波
重なる波の中空を
橘かおる朝風に
高く泳ぐや鯉のぼり
開ける広き其の口に
舟をも呑まん様見えて
ゆたかに振う尾鰭には
物に動ぜぬ姿あり
百瀬の滝を登りなば
忽ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
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これも同じく、ゴールデンウィーク真っ盛りの歌。
歯切れの良いメロディーに、身も心も弾んで来ます。
ところで、やたら「作詞:不詳/作曲:不詳」が続きますよね。
これでは、作者をネタにできないではないか!
なぜこんなに、「作詞:不詳/作曲:不詳」の歌が多いかというと……。
文部省唱歌では、作者名が伏せられていたからです。
明治から第二次大戦まで、匿名唱歌時代が続きます。
戦後の研究で、作者名が判明した歌もありますが……。
いまだ多くが、作者不明のままです。
さて、歌の話に戻ります。
この歌で印象深いのは……。
1番の、「橘かおる」というところ。
どうしても、人名に聞こえてしまいます。
わたしのクラスに、「橘かおる」はいませんでしたが……。
当然、この名を持つ方も、日本のどこかにおられたでしょう。
そんなクラスでは……。
きっと、「橘かおる」のフレーズが……。
とりわけ力を込めて歌われたことでしょうね。
ちなみに、3番の歌詞は、中国の故事に由来してます。
黄河の上流に「竜門」という急流がありました。
ここを登り切った鯉は、龍になったとか……。
「登竜門」という言葉は、ここから来てるんですね。
春も盛りを過ぎ、季節は晩春。
芭蕉の俳句で、この季節を吟じた名句があります。
わたしの大好きな句。
行く春を近江の人と惜しみける
ご紹介する春の歌も、これが最後になります。
これまた、わたしの大好きな歌です。
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■朧月夜【作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一】文部省唱歌(6年)
菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
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もう、これは……。
この世の景色じゃありません。
桃源郷……。
死んだら、こういうところに行きたいと、心から願います。
この夢のような風景が、日本のどこにあったかですが……。
意外や意外。
作詞の高野辰之は、「春の小川」も作った人でしたよね。
「春の小川」は、代々木にあった河骨川の景色でした。
そうです。
この「朧月夜」も、そうだったんですよ。
「朧月夜」の菜の花畑は、代々木上原あたりに広がってたそうです。
桃源郷のような風景は、東京の都心近くにあったんです。
この歌が作られた大正時代は……。
灯りにする菜種油を採るために、日本中に菜の花畑が作られてたそうです。
つまり、この歌の景色は、日本中、どこにでもあったってこと。
ほんとに、タイムマシンに乗って、行ってみたいです。
さて、もはや初夏といっていい季節まで来たので……。
夏の入口まで、入っちゃいましょう。
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■夏は来ぬ【作詞:佐々木信綱/作曲:小山作之助】
卯の花の 匂ふ垣根に
時鳥 はやも来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾濡らして
玉苗植うる 夏は来ぬ
橘の 香る軒端の
窓近く 蛍飛び交ひ
怠り諌むる 夏は来ぬ
楝散る 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月涼しき 夏は来ぬ
さつきやみ 蛍飛び交ひ
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
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ほんとに文語詩って、なんでこんなに素敵なんでしょうね。
作詞の佐々木信綱(1872~1963)は、歌人で国文学者。
歌人の家系に生まれ、歌人の父のもと、5歳から作歌を始めたそうです。
文化勲章まで受けた文学博士。
そんな人が作った詩ですから……。
格調高く、日本語の極美とも云える詩です。
さて、長々と連載してきた「春の童謡・唱歌」ですが……。
本来であれば、これでお終い、というとこです。
でも……。
「夏は来ぬ」の歌詞を読んでたら……。
無謀なことを思いつきました。
この替え歌を作っちゃおうって。
すなわち……。
「春は来ぬ」。
その前に、本歌となります「夏は来ぬ」を、もう一度鑑賞してみましょう。
旧仮名遣いの振り仮名も振ってみます。
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■夏は来ぬ【作詞:佐々木信綱/作曲:小山作之助】
卯の花の 匂ふ垣根に (うのはなの にほふかきねに)
時鳥 はやも来鳴きて (ほととぎす はやもきなきて)
忍音もらす 夏は来ぬ (しのびねもらす なつはきぬ)
さみだれの そそぐ山田に (さみだれの そそぐやまだに)
早乙女が 裳裾濡らして (さをとめが もすそぬらして)
玉苗植うる 夏は来ぬ (たまなへううる なつはきぬ)
橘の 香る軒端の (たちばなの かをるのきばの)
窓近く 蛍飛び交ひ (まどちかく ほたるとびかひ)
怠り諌むる 夏は来ぬ (おこたりいさむる なつはきぬ)
楝散る 川べの宿の (あふちちる かわべのやどの)
門遠く 水鶏声して (かどとほく くひなこゑして)
夕月涼しき 夏は来ぬ (ゆふづきすずしき なつはきぬ)
さつきやみ 蛍飛び交ひ (さつきやみ ほたるとびかひ)
水鶏鳴き 卯の花咲きて (くひななき うのはなさきて)
早苗植ゑわたす 夏は来ぬ (さなへうゑわたす なつはきぬ)
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うーむ。
何度聞いても、格調高いです。
やっぱり、この替え歌を作るなんて、無謀な試みでしたね。
でも、言っちゃったものは、仕方ありません。
お目汚しですが、ご披露いたします。
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■春は来ぬ【作:Mikiko】
雪解水 滴く棚田に (ゆきげみず しづくたなだに)
冬鳥の 影連なりて (ふゆどりの かげつらなりて)
北へ啼き渡る 春は来ぬ (きたへなきわたる はるはきぬ)
蘆踏みて 雉追ふ勢子の (あしふみて きじおふせこの)
声高く おらび交はして (こゑたかく おらびかはして)
枯れ野に火を放つ 春は来ぬ (かれのにひをはなつ はるはきぬ)
雪形の 残る山辺に (ゆきがたの のこるやまべに)
朝雲雀 高くも揚げて (あさひばり たかくもあげて)
囀り競へる 春は来ぬ (さへづりきそへる はるはきぬ)
菜花積み 堀ゆく舟に (なばなつみ ほりゆくふねに)
若鮒の 寄り添ひ群れて (わかぶなの よりそひむれて)
舳に風光る 春は来ぬ (みよしにかぜひかる はるはきぬ)
睦月風 冬鳥発ちて (むつきかぜ ふゆどりたちて)
雲雀揚げ 若鮒群れて (ひばりあげ わかぶなむれて)
枯れ野焼き尽くす 春は来ぬ (かれのやきつくす はるはきぬ)
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「春は来ぬ」の「ぬ」は、完了を表す助動詞。
たった今、春が来ましたという意味。
なので、初春の風景をイメージしてみました。
ネタ本は、俳句の歳時記です。
自分でも知らなかった語も使ったので……。
ちょっと説明します。
まず1番。
「雪消(ゆきげ)」「鳥帰る」が春の季語です。
ところどころ雪の残る田んぼに、北へ帰る鳥の影が流れて行く感じです。
2番。
「野焼」が春の季語。
阿蘇の山焼きが有名ですが……。
ここでは、渡瀬遊水池のヨシ焼きをイメージしました。
ちなみに、ヨシとは、アシのことです。
アシ(悪し)の語感を嫌って、ヨシ(良し)と呼び替えたもの。
ヨシ焼きは、葦簀(よしず)の材料となるアシの成長を助けるために行われます。
日光を地表まで届かせるため、枯れアシを焼き払うわけです。
3月中旬ころの、芽吹き前に行われます。
その効果は、日光を地面まで導くだけじゃありません。
地表が焼かれるわけですから、地温が高まります。
黒い焼け野原は日光を吸収し、さらに土中温度を高めます。
よって、アシの芽吹きが促されます。
焼かれた枯れアシの灰は、新しいアシの肥料となり……。
芽吹いたアシは、勢いよく成長するというわけ。
「野焼」を、ネット検索してたら……。
「焼け野の雉子(やけののきぎす)」という言葉があることを知りました。
雛を抱いたキジは、野火が起こっても逃げないそうです。
自らの身は焼き尽くされながら、お腹の下の雛は守り切るとか……。
で……。
キジが焼け死なないように、事前に追い払うというシーンをイメージしてみました。
「勢子」は、狩猟などで、鳥獣を追い出したりする役目の人。
「おらぶ」は、大声を出すことです。
もちろん、実際には、そんなことしないでしょうけど……。
3番。
「雪形」「雲雀」が春の季語。
「雪形」とは……。
山腹に残った雪と剥き出しになった岩肌が作る模様を、何かの形に見立てたもの。
白馬岳の「代掻き馬」とか、鳥海山の「種蒔きじいさん」などが有名。
昔から、農作業開始の目安とされて来ました。
その雪形の現れた山をバックに、雲雀が高く囀ってるイメージ。
あの囀りは縄張り宣言とのことなので、「囀り競へる」としました。
雲雀の囀りを聞くと、ほんとに春になった気がします。
4番。
「菜花」「風光る」が春の季語。
昔の亀田郷をイメージしました。
春野菜を積んだ舟が、堀の水をすべって行きます。
市場へ急ぐ舟です。
菜花の黄色が、船縁から零れそうです。
雪解け水をたたえて、堀は水かさを増し……。
水底に挿す棹が、深く沈みます。
「舳(みよし)」は、舳先(へさき)のことです。
知らない言葉でしたが……。
船の各部を表す名称を調べてて、見つけました。
5番。
睦月は1月。
今なら、もちろん真冬ですが……。
ここでは、旧暦の睦月をイメージしてます。
今の2月中旬から3月中旬くらいが、旧暦の睦月になります。
以上!
お粗末さまでした。
こんなものを作ってるヒマがあったら……。
小説を書け!、と叱られそうですが……。
突如、文語体の詩を作りたくなったんです。
どうぞ、ご容赦ください。
でも、文学モードにひたるのは、もうこれくらいにしますね。
というわけで!
「春の童謡・唱歌」は、これにて終了~。
おとといまでの連載「冬の新潟から ~ガーデニング雑感~」、を書いてたら……。
春を待ち望む思いが、いっそう強くなりました。
とは言え、まだまだ大寒を過ぎたばかり。
通勤の車窓から見える風景は、まさに冬真っ盛りです。
で、今回の連載は……。
そんな最中、一足先に春を感じてしまいましょう、という企画です。
車窓から見る景色のことを言いましたが……。
今、通勤電車の中では、コメントネタを練ったり、ネタ本を読んだりしてます。
でも、「Mikiko's Room」を始める前は、音楽を聴いてたんです。
そのころ、春を待つ季節になるとよく聴いたのが……。
童謡や唱歌でした。
まずは、春を待つ気持ちを歌った歌。
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■春よ来い【作詞:相馬御風/作曲:弘田龍太郎】
春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
蕾もみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている
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作詞をした相馬御風(1883~1950)は、新潟県糸魚川市の出身。
糸魚川市は、新潟県の西の端にあります。
相馬御風は、早稲田大学校歌「都の西北」を作詞したことでも有名ですね。
ところで、糸魚川って、なんて読むかご存じですか?
昔は、他県の人で読める人は少なかったと思います。
読めたのは、一部の地学好きの人でしょう。
「糸魚川静岡構造線」というのが通ってますから。
フォッサマグナ(中央地溝帯)の西の縁です。
つい最近、糸魚川は、世界ジオパークに認定されて、俄然有名になりました。
読める人も増えたんじゃないでしょうか?
「いといがわ」と読みます。
世界的に有名な翡翠(ひすい)の産地でもあります。
この翡翠が出ることで……。
糸魚川の名は、神話の時代から広く知れ渡ってました。
糸魚川の奴奈川姫(ぬながわひめ)に求婚するため、大国主命がこの地を訪れてるほどです。
ちなみに糸魚川は、ちょっと意外な日本記録も持ってます。
1990年8月22日に記録されました。
何かと言うと……。
1日の最低気温が、最も高かった記録。
この日の糸魚川の最低気温は、30.8度でした。
最低気温が25度以上の日を、熱帯夜と呼びますが……。
30度以上って、何て呼ぶんでしょうね?
さて、「春よ来い」に話を戻しましょう。
“みいちゃん”の気持ち、新潟県人なら、ほんとによくわかります。
相馬御風がこの歌を作ったのは、39歳のとき。
大正12年(1923年)のこと。
この2年前に、長女文子が誕生してます。
“みいちゃん”のモデルは、この娘さんだったそうです。
歌詞の中の“じょじょ”は、草履を表す幼児語。
こういう言葉をさりげなく組み入れる技は、やっぱり巧いなぁと思います。
余談ですが……。
早大志望者の中には……。
春になったら「都の西北」を歌うぞ、との願いを込めて……。
この「春よ来い」を歌う人もいるとか。
続いて、わたしの大好きな歌。
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■早春賦(そうしゅんふ)【作詞:吉丸一昌/作曲:中田章】
春は名のみの風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
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春を待つ電車の中で、一番聞いたのがこの歌。
春を待つ雪国の人の気持ちを、これほど表した歌も無いでしょう。
ちなみに、作詞をした吉丸一昌(1873~1916)は、大分県の人だそうです。
なので、故郷を歌ったものではありません。
信州安曇野を訪れたとき、雪解け風景に感動して、この歌を作ったとか。
2番の歌詞の、「つのぐむ」は、「角ぐむ」のこと。
水面から葦の芽が、角のように尖って出てくることを云います。
俳句の春の季語に、「蘆の角」というのがあります。
「蘆の角」が出てくると……。
「さては時ぞ」と、わくわくします。
いよいよ春が来たって。
あぁ、それなのに……。
「あやにく」は、「予期に反して思いどおりにならないさま」を云います。
「生憎(あいにく)」のことです。
ほんとに、文語の歌詞って、どうしてこう美しいんでしょうね。
この歌が聞こえて来ると、もう春間近です。
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■うれしいひな祭り【作詞:サトウハチロー/作曲:河村光陽】
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り
お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔
金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣
着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
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「今日はたのしい」と歌ってますが……。
曲調は短調で、どこか悲しみを帯びてます。
作詞をしたサトウハチロー(1903~1973)が、「お嫁にいらした姉様」を思う気持ちが……。
作曲者の河村光陽にも伝わったんでしょうか?
ハチローには、4つ年上の姉がいました。
歌詞のとおり、色白の美人だったそうです。
ハチローは、この姉から読み書きを教わり、詩心を授けられました。
やがて、その姉に縁談がまとまり、嫁ぐことになりました。
しかし……。
嫁ぐ直前になって、姉に病気が見つかりました。
結核でした。
当時の結核は、死病です。
縁談は、相手から一方的に破棄され……。
姉は、そのまま寂しく息を引き取ったそうです。
まだ18歳でした。
ひょっとしたら……。
病床の傍らには、婚礼衣装が飾られてたかも知れません。
姉は、その衣装に袖を通すこともなく、死んでしまったのです。
でも、ハチローは詩の中で、「お嫁にいらした」と歌ってます。
優しい姉は、天国にお嫁に行ったのだと、ハチローは思ってたのかも知れません。
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■どこかで春が【作詞:百田宗治/作曲:草川信】
どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで春が うまれてる
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冬の最中の今、きっとどこかで……。
春は生まれてるんですね。
作詞をした百田宗治(1893~1955)には、「芽の出る音」が聞こえたんでしょう。
詩人の耳って凄いですね。
なお、最近の小学校の授業では、3番の「東風(こち)」を「そよ風」と歌っているようですね。
たしかに、東風はわかりづらいし、音数的にもちょっと苦しいですよね。
でも、日本らしい、素敵な言葉です。
俳句や和歌では、よく使われます。
俳句では、もちろん春の季語。
和歌で有名なのは、この歌。
東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ
菅原道真が、京の都を追われる際に詠んだ歌です。
道真は、左遷先の太宰府で、失意の中亡くなりました。
命日は、旧暦の2月25日。
新暦に直すと、3月26日。
その夜、京の都で咲いていた梅が……。
一晩で、太宰府まで飛んで来たそうです。
道真公の死を悲しむあまり……。
紅梅は、白梅へと色を変じていたとか……。
有名な「飛梅伝説」。
その梅は、今も太宰府天満宮の本殿前で、花を咲かせています。
春は、別れの季節でもあります。
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■あおげば尊し【作詞:不詳/作曲:不詳】
あおげば とうとし わが師の恩
教えの庭にも はや 幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
互にむつみし 日ごろの恩
別るる後にも、やよ 忘るな。
身をたて 名をあげ やよ はげめよ
今こそ 別れめ いざさらば
朝夕 馴にし まなびの窓
螢のともし火 積む白雪
忘るる 間ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば
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卒業式の定番ですね。
この曲って、今も卒業式で歌われてるんでしょうか?
もちろん、わたしの時代では歌われてました。
涙腺の緩い同級生なんかは……。
起立したときから、もう泣いてました。
バカじゃなかろうかと、思いましたね。
口には出しませんけど。
わたしは、一度も泣いたことはありません。
別れを惜しむ友も、お世話になった先生もいませんでしたから。
部活に入ったこともないので……。
先輩後輩とも無縁。
中学、高校、ともに……。
卒業式というのは……。
やっと、学校とオサラバできる日でした。
卒業証書をもらったときは……。
これさえもらえば、こっちのもんだと思いました。
その足で、トンズラしようかと思ったくらいです。
さすがにしませんでしたけど。
でも、「あおげば尊し」に、決して嬉しいイメージを持っているわけじゃありません。
別れの後は……。
必ず、新しい出会いがあります。
わたしは、別れより出会いの方が、遙かに苦手でした。
「あおげば尊し」が聞こえてくると……。
もうすぐ新学期が始まるんです。
春休みは、ほんとに憂鬱でした。
宿題も無いから、気楽なはずなのにね。
とにかく、鬱々として楽しまなかった。
4月になったら、またあの切ない気分を味わうのかって。
このへんの気持ちについては、158回のコメントで書きましたので、興味のある方はどうぞ。
気分的に一番ひどかったのが、中学と高校に入学したときでしたね。
新しい学校って、匂いが違うんですよ。
それで、さらに不安が大きくなった。
毎日、お腹が痛かった。
1ヶ月くらい、半泣きで暮らしましたね。
で、大学に入るとき、すごく心配したんです。
今度は、学校が変わるだけじゃありません。
上京して、ひとり暮らしを始めるわけです。
学校から帰っても、違う環境が待ってるわけです。
パニックになっちゃうんじゃないか?
新潟に逃げ帰るかも?
って怖れてました。
でも、実際行ってみると……。
まったく違ったんです。
ひとりになれたってことが……。
うっとりするほど快適だった。
布団に潜りながら、今ひとりなんだと思うと……。
布団の中で身悶えするほど嬉しかった。
で……。
大学には、ほとんど行きませんでした。
せっかくひとりになれたのに……。
人と口を利く気になれなかったから。
夏休みや冬休みには帰省しましたが……。
その間の、東京にいた時は……。
たぶん、一言も口を利かなかったんじゃないかな?
学校に行かないで何をしてたかと言うと……。
夜中じゅう、本を読んでました。
明け方散歩に出かけ、コンビニでお弁当を買って帰る。
朝のニュースなんかを見ながら、それを食べると……。
寝るわけです。
起きるのは、夕方。
夕ご飯は外食。
で、また本を読み始める。
お腹が空くと、ピザトーストかカップの焼きそばを食べ……。
朝まで読書。
って日々でした。
夢のような暮らしでしたね。
これ以上快適な生活は、ほかには考えられないと思いました。
もちろん、こんな夢のような暮らしが、長く続くわけありません。
学校に行かないんですから、当然落第です。
1年生を2回やって、退学(除籍?)になりました。
続いて、新学期を前にした歌。
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■一年生になったら【作詞:まどみちお/作曲:山本直純】
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で かけたいな
日本中を ひとまわり
ドッシン ドッシン ドッシンと
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
ワッハハ ワッハハ ワッハッハ
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この歌は、今もよく耳にします。
今年も、もうすぐ聞こえて来るでしょうね。
聞きたくなくても、否応なしです。
聞かされるのは、わたしが毎週行くスーパー。
もうすぐ、ランドセル売場が特設されます。
そこでこの歌が、エンドレスに流されるんです。
遠くの食品売場にいても、聞こえてくるんですから……。
イヤになっちゃいます。
わたしは、一年生が嫌いでした。
ただでさえ、環境の変化に弱いのに……。
通う学校まで変わるんです。
入学後、1ヶ月くらいは……。
ほとんど半泣きで、足萎えのような状態で暮らしてました。
窓から、家の方ばかり見てた。
ばあちゃんは、今ごろ何してるかななんて考えながら。
この歌のような一年生とは、正反対だったわけね。
だから、いまだにこの歌は苦手です。
ところで、この歌の歌詞には不思議な箇所があるってこと……。
お気づきですか?
一年生になったら、友達を100人作るわけですよね。
そうしたら、自分も入れると101人になります。
それなのに……。
なぜ、おにぎりを食べるのが100人なんでしょう?
日本中をかけるのも、世界を震わせて笑うのも、なぜ100人なの?
101人にしたら、歌詞の音数が合わなくなるから?
いえいえ。
100人のままでも、101人が表せるんですよ。
助詞を取り替えるだけ。
「100人で食べたいな」の「で」です。
これを、「と」に替えるだけでいいんです。
「100人と食べたいな」。
でしょ?
作詞のまどみちお(1909~)さんは、高名な詩人。
“さん”付けするのは、まだご存命だから。
現在100歳で、現役の詩人です。
昨年11月には、新詩集が出版されました。
スゴいですねー。
童謡の作詞も、たくさんされてます。
『ぞうさん(♪ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね)』
『やぎさんゆうびん(♪しろやぎさんから おてがみついた)』
『ふしぎなポケット(♪ポケットのなかには ビスケットがひとつ)』
こんな詩人が、助詞を取り替えれば済むことに、気づかなかったはずありません。
なぜ、詩人はひとり消しちゃったんでしょうね?
まったく、謎です。
ひょっとして……。
友達を100人作りたかったこの子は……。
それが叶わないことを、予感してたのかも?
100人が、一緒におにぎりを食べるのを見ながら……。
ひとりぼっちで、お弁当を食べることになるって。
そんなふうに考えると、この歌にも共感できます。
実はわたし、一年生になる度に……。
自分は変われるんじゃないか、と夢見ていました。
人見知りで引っ込み思案な自分を変えたかった。
でも、出来ませんでした。
とってもそんな余裕は無かった。
環境に順応するだけで、いっぱいいっぱいだった。
そんなわけで、春の歌は、痛みの記憶を伴う場合が多いです。
でも、だからこそ強く引かれるのかも知れません。
過去の自分に、出会える気がして。
いよいよ、待ちに待った春真っ盛り。
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■春の小川【作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一】文部省唱歌(4年)
春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
春の小川は さらさら流る
蝦やめだかや 小鮒の群に
今日も一日 ひなたに出でて
遊べ遊べと ささやく如く
春の小川は さらさら流る
歌の上手よ いとしき子ども
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く
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あれ?、と思われた方もしらっしゃるんじゃないでしょうか?
メロディは確かにあの歌だけど……。
歌詞が違う!って。
そう。
「春の小川」は、最初はこういう歌詞だったんです。
それが、口語体の今の歌詞に変えられました。
現在の歌詞は、こうなってます。
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■春の小川【作詞:高野辰之(林柳波ほか改)/作曲:岡野貞一】
春の小川は、さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや こぶなのむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
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この改作、いつ行われたと思います?
普通に考えれば戦後、と思うでしょうが……。
実は、戦時中なんですね。
戦時下、学校制度改革により、「国民学校」が創設されました。
その3年生の教科書に、この「春の小川」が収録されることになったんです。
ですが、文語体を習うのが4年生からだったので……。
歌詞が口語体に変えられたということです。
そんなら、4年生の教科書に入れればいいだけですよね。
なんで改作までして、3年生の教科書に入れなきゃならなかったんでしょう?
戦時中の考え方は、さっぱりわかりません。
でも、そのおかげで、今の親しみやすい歌詞が生まれたわけですから……。
結果的には、よかったってことかも。
わたしは、文語体の唱歌が大好きですが……。
こと、この「春の小川」に限っては……。
口語体の歌詞の方が好きです。
まぁ、自分がそう習ったってこともあるんでしょうけど。
ところで、みなさん。
この歌の情景、どこのものだと思います?
「春の小川」が作られたのは、大正元年(1912年)。
作詞者の高野辰之(1876~1947)の故郷は、信州なので……。
この歌も、信州の山里の風景でしょうか?
でも、違うんですねー。
東京都心なんですよ。
受験生のメッカ、代々木!
高野は、この歌を作った当時、現在の代々木3丁目に住んでました。
当時の地名は、東京府豊多摩郡代々幡村。
一面の田園地帯だったとか。
すぐ近くを、河骨川と呼ばれる川が流れていました。
高野が歌った「春の小川」は、この河骨川だったそうです。
ちなみに、「河骨」って何かご存じですか?
スイレン科の水生植物です。
「こうほね」と読みます。
河骨川には、こんな花が群れ咲いてたんでしょうね。
「河骨」とは、ちょっと怖い名前ですが……。
水面下の茎が白く、骨のように見えるからだとか。
わたしは、水面上の緑の葉柄しか見たことありませんけど……。
余談ですが……。
この河骨川は、やがて宇田川に合流し、渋谷に向かいます。
渋谷区に宇田川町って地名があります。
そう、渋谷センター街のあたりです。
その地名の由来は、文字通り宇田川が流れてるからです。
「流れてた」んじゃありませんよ。
今でも、「流れてる」んです。
え?
センター街に川なんて無いって?
ところが、あるんですねー。
どこかというと……。
センター街の真下です。
暗渠となって地下を流れてます。
ていうか、宇田川に蓋がされて、その上に出来たのがセンター街なんです。
センター街って、道が曲がってるでしょ?
あれは、宇田川の川筋そのものだから。
100年前のセンター街は、↓こんな風景だったんでしょうね。
またもや、わたしの大好きな歌の登場です。
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■花【作詞:武島羽衣/作曲:滝廉太郎】
春のうららの隅田川
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る
ながめを何にたとふべき
見ずやあけぼの露浴びて
われにもの言ふ桜木を、
見ずや夕ぐれ手をのべて、
われさしまねく青柳を
錦おりなす長堤に
くるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金の
ながめを何にたとふべき
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この歌、お風呂でよく歌います。
母がいないとき限定だけど。
お風呂の隣がキッチンなんですよね。
歌声が聞こえちゃうから。
上手なら、いくらでも聞かせるんだけど……。
見事に音痴です。
昔、大声で歌ってたことがあったんですけど……。
後で苦情を言われました。
包丁が滑りそうになったって。
鼻歌を歌ってたときは……。
いきなり風呂の扉を開けられました。
具合が悪くなって苦しんでると思ったらしいんです。
腹立つ!
というわけで、普段は、お風呂で歌わなくなりました。
その反動か、母が留守の時は、思い切り歌いますね。
ほぼリサイタル状態。
特にこの「花」は、必ずレパートリーに入ります。
3番まで歌います。
歌い上げます。
アンコールも、もちろん!
ときには、ハモるまねごとまでします。
ここまでいくと、ただのバカですが……。
てなわけで、歌詞は3番まで完璧に頭に入ってます。
大好きな詩です。
つくずく、文語っていいなと思います。
作詞者は、武島羽衣(1872~1967)という人。
詩人で国文学者。
チンドン屋のテーマ曲、「美しき天然」の作詞者としても有名。
ちなみに、この「花」という曲名ですが……。
あまりにも抽象的だと思いませんか?
「隅田川」とか、なぜ具体的な曲名にならなかったんでしょう?
実はこの曲……。
単独で作られたものではないんですね。
西欧音楽からの借り物ではない、本格的な和製歌曲の一部として作られたんです。
4曲で構成された組曲「四季」の第1曲が、この「花」なんですね。
ちなみに、続く3曲の曲名は、「納涼」「月」「雪」です。
↓全曲聴きたい方は、こちらへ。
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Taki-Four_Seasons.htm
作曲は、「荒城の月」で有名な、瀧廉太郎(1879~1903)。
瀧は、わずか23歳で夭折してます。
日本最初の合唱曲である「花」を作曲したときは、まだ21歳でした(1900年/明治33年)。
「荒城の月」も、同年の作。
まさしく天才ですね。
なにしろ、19歳のときには、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の先生になってるくらいですから。
19歳で、東京芸大の先生になっちゃったんですよ。
ちなみに、芸大に入学したのは、15歳のとき。
どんな頭の構造してたんでしょうね。
つくずく、夭折が惜しまれます。
彼が長く生きたら、どれほど多くの名曲が生まれたかと思うと……。
悔しくてなりません。
それにしても、ほんとに、いい詩、いい曲ですよね。
タイムマシンに乗れたら……。
この風景を見に、明治のころの隅田川に行ってみたいです。
そろそろ歌も、春真っ盛り。
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■茶摘【作詞:不詳/作曲:不詳】文部省唱歌
夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠
日和つづきの今日此頃を
心のどかに摘みつつ歌う
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ
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八十八夜とは、立春から数えて、88日目を云います。
今年の立春は、2月4日なので……。
八十八夜は、5月2日。
ゴールデンウィークの真っ最中。
日本の季節で、1番いいころじゃないでしょうか。
とは言っても、実際のゴールデンウィークは……。
急に寒さが戻ったり、お天気も安定しません。
月別の平均気温を見ると、5月と10月は、だいたい同じです。
でも、10月の気温は、比較的安定してるのに対し……。
5月は、寒暖の差が大きいですよね。
それでも!
気分はやっぱり、5月のほうがいいです。
これから暖かくなる5月と、寒くなる10月では……。
やはり気分的に違います。
5月は昔から、わたしにとっても嬉しい季節でした。
ようやく新しい環境にも慣れて……。
クラスメートとも、普通に話が出来るようになるころだったからです。
切ない気分が、波のように引いていく時季。
しかも、日は長くなるし……。
暖かくなるし……。
自然と笑みがこぼれ出すような季節です。
世に、「5月病」という病があるようですが……。
わたしには、まったく無縁でした。
5月は、ようやく4月の病が癒えたころだったからです。
そんなわけで、「茶摘」も大好きです。
この歌に歌われた、↓茶摘み風景ですが……。
どこだと思います。
静岡ではありません。
京都です。
宇治茶で有名な、宇治の風景。
と言っても、宇治市ではなく……。
そのお隣の、宇治田原町だそうです。
「茶摘」は、当時の宇治田原村の茶摘み唄を元に作られたとか。
2番の「摘まにゃ日本の茶にならぬ」は……。
もともとは、「摘まにゃ田原の茶にならぬ」だったそうです。
のどかな田舎の風景に、いきなり「日本」が出てくるのが奇異でしたが……。
なるほどという感じですね。
わたしは単純作業が得意なので、1日中茶摘みをしても平気だと思います。
農家の人にとっては、「心のどかに」なんて気分じゃ無いのかも知れないけど……。
やっぱり、こういう暮らしには憧れます。
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■鯉のぼり【作詞:不詳/作曲:不詳】文部省唱歌(5年)
甍の波と雲の波
重なる波の中空を
橘かおる朝風に
高く泳ぐや鯉のぼり
開ける広き其の口に
舟をも呑まん様見えて
ゆたかに振う尾鰭には
物に動ぜぬ姿あり
百瀬の滝を登りなば
忽ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
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これも同じく、ゴールデンウィーク真っ盛りの歌。
歯切れの良いメロディーに、身も心も弾んで来ます。
ところで、やたら「作詞:不詳/作曲:不詳」が続きますよね。
これでは、作者をネタにできないではないか!
なぜこんなに、「作詞:不詳/作曲:不詳」の歌が多いかというと……。
文部省唱歌では、作者名が伏せられていたからです。
明治から第二次大戦まで、匿名唱歌時代が続きます。
戦後の研究で、作者名が判明した歌もありますが……。
いまだ多くが、作者不明のままです。
さて、歌の話に戻ります。
この歌で印象深いのは……。
1番の、「橘かおる」というところ。
どうしても、人名に聞こえてしまいます。
わたしのクラスに、「橘かおる」はいませんでしたが……。
当然、この名を持つ方も、日本のどこかにおられたでしょう。
そんなクラスでは……。
きっと、「橘かおる」のフレーズが……。
とりわけ力を込めて歌われたことでしょうね。
ちなみに、3番の歌詞は、中国の故事に由来してます。
黄河の上流に「竜門」という急流がありました。
ここを登り切った鯉は、龍になったとか……。
「登竜門」という言葉は、ここから来てるんですね。
春も盛りを過ぎ、季節は晩春。
芭蕉の俳句で、この季節を吟じた名句があります。
わたしの大好きな句。
行く春を近江の人と惜しみける
ご紹介する春の歌も、これが最後になります。
これまた、わたしの大好きな歌です。
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■朧月夜【作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一】文部省唱歌(6年)
菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわず)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
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もう、これは……。
この世の景色じゃありません。
桃源郷……。
死んだら、こういうところに行きたいと、心から願います。
この夢のような風景が、日本のどこにあったかですが……。
意外や意外。
作詞の高野辰之は、「春の小川」も作った人でしたよね。
「春の小川」は、代々木にあった河骨川の景色でした。
そうです。
この「朧月夜」も、そうだったんですよ。
「朧月夜」の菜の花畑は、代々木上原あたりに広がってたそうです。
桃源郷のような風景は、東京の都心近くにあったんです。
この歌が作られた大正時代は……。
灯りにする菜種油を採るために、日本中に菜の花畑が作られてたそうです。
つまり、この歌の景色は、日本中、どこにでもあったってこと。
ほんとに、タイムマシンに乗って、行ってみたいです。
さて、もはや初夏といっていい季節まで来たので……。
夏の入口まで、入っちゃいましょう。
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■夏は来ぬ【作詞:佐々木信綱/作曲:小山作之助】
卯の花の 匂ふ垣根に
時鳥 はやも来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾濡らして
玉苗植うる 夏は来ぬ
橘の 香る軒端の
窓近く 蛍飛び交ひ
怠り諌むる 夏は来ぬ
楝散る 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月涼しき 夏は来ぬ
さつきやみ 蛍飛び交ひ
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
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ほんとに文語詩って、なんでこんなに素敵なんでしょうね。
作詞の佐々木信綱(1872~1963)は、歌人で国文学者。
歌人の家系に生まれ、歌人の父のもと、5歳から作歌を始めたそうです。
文化勲章まで受けた文学博士。
そんな人が作った詩ですから……。
格調高く、日本語の極美とも云える詩です。
さて、長々と連載してきた「春の童謡・唱歌」ですが……。
本来であれば、これでお終い、というとこです。
でも……。
「夏は来ぬ」の歌詞を読んでたら……。
無謀なことを思いつきました。
この替え歌を作っちゃおうって。
すなわち……。
「春は来ぬ」。
その前に、本歌となります「夏は来ぬ」を、もう一度鑑賞してみましょう。
旧仮名遣いの振り仮名も振ってみます。
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■夏は来ぬ【作詞:佐々木信綱/作曲:小山作之助】
卯の花の 匂ふ垣根に (うのはなの にほふかきねに)
時鳥 はやも来鳴きて (ほととぎす はやもきなきて)
忍音もらす 夏は来ぬ (しのびねもらす なつはきぬ)
さみだれの そそぐ山田に (さみだれの そそぐやまだに)
早乙女が 裳裾濡らして (さをとめが もすそぬらして)
玉苗植うる 夏は来ぬ (たまなへううる なつはきぬ)
橘の 香る軒端の (たちばなの かをるのきばの)
窓近く 蛍飛び交ひ (まどちかく ほたるとびかひ)
怠り諌むる 夏は来ぬ (おこたりいさむる なつはきぬ)
楝散る 川べの宿の (あふちちる かわべのやどの)
門遠く 水鶏声して (かどとほく くひなこゑして)
夕月涼しき 夏は来ぬ (ゆふづきすずしき なつはきぬ)
さつきやみ 蛍飛び交ひ (さつきやみ ほたるとびかひ)
水鶏鳴き 卯の花咲きて (くひななき うのはなさきて)
早苗植ゑわたす 夏は来ぬ (さなへうゑわたす なつはきぬ)
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うーむ。
何度聞いても、格調高いです。
やっぱり、この替え歌を作るなんて、無謀な試みでしたね。
でも、言っちゃったものは、仕方ありません。
お目汚しですが、ご披露いたします。
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■春は来ぬ【作:Mikiko】
雪解水 滴く棚田に (ゆきげみず しづくたなだに)
冬鳥の 影連なりて (ふゆどりの かげつらなりて)
北へ啼き渡る 春は来ぬ (きたへなきわたる はるはきぬ)
蘆踏みて 雉追ふ勢子の (あしふみて きじおふせこの)
声高く おらび交はして (こゑたかく おらびかはして)
枯れ野に火を放つ 春は来ぬ (かれのにひをはなつ はるはきぬ)
雪形の 残る山辺に (ゆきがたの のこるやまべに)
朝雲雀 高くも揚げて (あさひばり たかくもあげて)
囀り競へる 春は来ぬ (さへづりきそへる はるはきぬ)
菜花積み 堀ゆく舟に (なばなつみ ほりゆくふねに)
若鮒の 寄り添ひ群れて (わかぶなの よりそひむれて)
舳に風光る 春は来ぬ (みよしにかぜひかる はるはきぬ)
睦月風 冬鳥発ちて (むつきかぜ ふゆどりたちて)
雲雀揚げ 若鮒群れて (ひばりあげ わかぶなむれて)
枯れ野焼き尽くす 春は来ぬ (かれのやきつくす はるはきぬ)
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「春は来ぬ」の「ぬ」は、完了を表す助動詞。
たった今、春が来ましたという意味。
なので、初春の風景をイメージしてみました。
ネタ本は、俳句の歳時記です。
自分でも知らなかった語も使ったので……。
ちょっと説明します。
まず1番。
「雪消(ゆきげ)」「鳥帰る」が春の季語です。
ところどころ雪の残る田んぼに、北へ帰る鳥の影が流れて行く感じです。
2番。
「野焼」が春の季語。
阿蘇の山焼きが有名ですが……。
ここでは、渡瀬遊水池のヨシ焼きをイメージしました。
ちなみに、ヨシとは、アシのことです。
アシ(悪し)の語感を嫌って、ヨシ(良し)と呼び替えたもの。
ヨシ焼きは、葦簀(よしず)の材料となるアシの成長を助けるために行われます。
日光を地表まで届かせるため、枯れアシを焼き払うわけです。
3月中旬ころの、芽吹き前に行われます。
その効果は、日光を地面まで導くだけじゃありません。
地表が焼かれるわけですから、地温が高まります。
黒い焼け野原は日光を吸収し、さらに土中温度を高めます。
よって、アシの芽吹きが促されます。
焼かれた枯れアシの灰は、新しいアシの肥料となり……。
芽吹いたアシは、勢いよく成長するというわけ。
「野焼」を、ネット検索してたら……。
「焼け野の雉子(やけののきぎす)」という言葉があることを知りました。
雛を抱いたキジは、野火が起こっても逃げないそうです。
自らの身は焼き尽くされながら、お腹の下の雛は守り切るとか……。
で……。
キジが焼け死なないように、事前に追い払うというシーンをイメージしてみました。
「勢子」は、狩猟などで、鳥獣を追い出したりする役目の人。
「おらぶ」は、大声を出すことです。
もちろん、実際には、そんなことしないでしょうけど……。
3番。
「雪形」「雲雀」が春の季語。
「雪形」とは……。
山腹に残った雪と剥き出しになった岩肌が作る模様を、何かの形に見立てたもの。
白馬岳の「代掻き馬」とか、鳥海山の「種蒔きじいさん」などが有名。
昔から、農作業開始の目安とされて来ました。
その雪形の現れた山をバックに、雲雀が高く囀ってるイメージ。
あの囀りは縄張り宣言とのことなので、「囀り競へる」としました。
雲雀の囀りを聞くと、ほんとに春になった気がします。
4番。
「菜花」「風光る」が春の季語。
昔の亀田郷をイメージしました。
春野菜を積んだ舟が、堀の水をすべって行きます。
市場へ急ぐ舟です。
菜花の黄色が、船縁から零れそうです。
雪解け水をたたえて、堀は水かさを増し……。
水底に挿す棹が、深く沈みます。
「舳(みよし)」は、舳先(へさき)のことです。
知らない言葉でしたが……。
船の各部を表す名称を調べてて、見つけました。
5番。
睦月は1月。
今なら、もちろん真冬ですが……。
ここでは、旧暦の睦月をイメージしてます。
今の2月中旬から3月中旬くらいが、旧暦の睦月になります。
以上!
お粗末さまでした。
こんなものを作ってるヒマがあったら……。
小説を書け!、と叱られそうですが……。
突如、文語体の詩を作りたくなったんです。
どうぞ、ご容赦ください。
でも、文学モードにひたるのは、もうこれくらいにしますね。
というわけで!
「春の童謡・唱歌」は、これにて終了~。
コメント一覧
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1. フェムリバ- 2010/02/06 11:33
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そういえば・・・
もうすぐ卒業シーズン。
私の時は、「仰げば尊し」と「時の旅人」と「マイバラード」を歌いました。
懐かしい・・・
「春は来ぬ」、今、5回歌いましたよ♪
やっぱり、二番良いですね・・・
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2. Mikiko- 2010/02/06 12:32
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漫画の吹き出しにあったよな。
かなり昔の漫画。
今もあるのか?
「仰げば尊し」のほかでは……。
「蛍の光」しか歌ったことないな。
あと、校歌。
卒業式じゃないけど……。
「おお雲雀」とう合唱曲が記憶に残ってます。
http://www.youtube.com/watch?v=jsoIJXW2Uyc
5回も歌うと……。
耳に付いちゃうぞ。