2013.10.28(月)
窓を開き切り、肺の奥まで外気を吸いこむ。
冷やされた室内の空気が、由美の脇をすり抜け、ゴーストのように逃げていく。
下の道路を行き交う車の音が、間遠に聞こえた。
夜の蝉が鳴いていた。
由美は、足元のサンダルに爪先を通した。
左手は窓枠に掛け、右手で男根を握っている。
目の前のガラスは消え、自らの姿は見えない。
自分は、鏡を抜け出ようとする怪物なのだ。
男根を生やした少女が、夏の夜に降臨する。
コンクリートを擦るサンダルの音が、ひと事のように聞こえた。
由美は、ベランダの腰壁まで進んだ。
壁の上に渡るバーに手を掛け、下を覗く。
まだ眠らない街には、様々な色の明かりが散りばめられていた。
このベランダを見下ろす建物は、周囲に無かった。
もちろん、ベランダの両サイドは、仕切り板で区切られている。
すなわち、全裸の自分を見るものは、誰ひとりいない。
しかし、男根を握る右手は、動き出さなかった。
ベランダに出るまでは……。
外気に包まれながら、思い切り擦るつもりだったのだが。
「アンバランス……」
由美は、闇に向かって呟いた。
そう。
内奥から突きあげる興奮に対し……。
誰からも見られないベランダでは、刺激が弱いのだ。
自らが一線を越えようとしていることは、自覚していた。
もちろんそれが、危険な衝動であることも。
しかし、抑えられそうになかった。
いや、抑えるつもりなど、はなから自分にはないのだ。
由美は踵を返し、室内に戻った。
サッシ窓を閉める。
目の前のガラスに、再び怪物が現れた。
飴細工めいた起伏の乏しい身体。
胸の微かな隆起と骨盤の曲線から、ようやく少女と判別できるフォルムだ。
しかし……。
細工師は、大きな過ちを犯していた。
その少女の股間から、長大な男根を起ちあげているのだ。
そう。
この少女は、人ではない。
この世に存在するはずのない、人外の化け物だ。
もちろん、このままの姿を人に見せるわけにはいかない。
しかし……。
男根を生やしたまま、人前に出てみたかった。
冷やされた室内の空気が、由美の脇をすり抜け、ゴーストのように逃げていく。
下の道路を行き交う車の音が、間遠に聞こえた。
夜の蝉が鳴いていた。
由美は、足元のサンダルに爪先を通した。
左手は窓枠に掛け、右手で男根を握っている。
目の前のガラスは消え、自らの姿は見えない。
自分は、鏡を抜け出ようとする怪物なのだ。
男根を生やした少女が、夏の夜に降臨する。
コンクリートを擦るサンダルの音が、ひと事のように聞こえた。
由美は、ベランダの腰壁まで進んだ。
壁の上に渡るバーに手を掛け、下を覗く。
まだ眠らない街には、様々な色の明かりが散りばめられていた。
このベランダを見下ろす建物は、周囲に無かった。
もちろん、ベランダの両サイドは、仕切り板で区切られている。
すなわち、全裸の自分を見るものは、誰ひとりいない。
しかし、男根を握る右手は、動き出さなかった。
ベランダに出るまでは……。
外気に包まれながら、思い切り擦るつもりだったのだが。
「アンバランス……」
由美は、闇に向かって呟いた。
そう。
内奥から突きあげる興奮に対し……。
誰からも見られないベランダでは、刺激が弱いのだ。
自らが一線を越えようとしていることは、自覚していた。
もちろんそれが、危険な衝動であることも。
しかし、抑えられそうになかった。
いや、抑えるつもりなど、はなから自分にはないのだ。
由美は踵を返し、室内に戻った。
サッシ窓を閉める。
目の前のガラスに、再び怪物が現れた。
飴細工めいた起伏の乏しい身体。
胸の微かな隆起と骨盤の曲線から、ようやく少女と判別できるフォルムだ。
しかし……。
細工師は、大きな過ちを犯していた。
その少女の股間から、長大な男根を起ちあげているのだ。
そう。
この少女は、人ではない。
この世に存在するはずのない、人外の化け物だ。
もちろん、このままの姿を人に見せるわけにはいかない。
しかし……。
男根を生やしたまま、人前に出てみたかった。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2013/10/28 07:35
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み「ま、ある程度有名とは云え……。
読み間違えられる可能性はあるか。
“陸奥(むつ)”も、そうかな」
食「実は『むつ市』は、日本で最初のひらがなの市なんです」
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20131026191131cfa.jpg
み「ほー。
最初って、いつごろ?
平安時代とか?」
食「そんなわけないでしょ。
昭和30年代だったと思います」
み「“思います”ではいかんではないか。
検索してみよ」
食「ほんとに、何で最初からタブレットを出してなかったんだろ」
み「それは、言わいでもよい」
食「あ、ありました。
昭和35年8月1日です」
み「ほー。
けっこう昔だな。
50年前か。
でも、何事も、日本で最初ってのには意義がある。
どういう経緯で、ひらがなの市名になったわけ?」
食「前年の昭和34年9月1日に、下北郡の『田名部町(たなぶまち)』と『大湊町(おおみなとまち)』が合併してます。
で、最初に付いた市名が、『大湊田名部市(おおみなとたなぶし)』」
み「長すぎだろ!」
食「当時、日本一長い市名だったそうです」
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/2013102619113015d.gif
↑現在は、『いちき串木野市』のほか、『かすみがうら市』および『つくばみらい市』の6文字。
み「日本初とか、日本一長いとか……。
まさか、下北半島でそんなことになってるとは思わなんだ」
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/2013102619113521b.jpg
↑下北半島といえば、サルしか思いつきませんでした。
食「市名で『大湊』を先にする代わりに、役場は『田名部』に置くという取り決めだったそうです」
み「ありがちじゃのぅ」
食「ところが、新市民からブーイングが起きた。
市名が長すぎて、住所を書くのが面倒くさいって」
み「わはは。
漢字5文字は、キツいわな。
冬は、特にそうだろうね。
手がかじかんでる時に……。
こんなに漢字が並んでたら、腹立つわ」
食「で、なんというか、極端に走ったわけですね。
というわけで、『むつ市』の誕生」
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20131026191133f15.jpg
み「東北人によくあることじゃ。
てことは、“陸奥”をひらがなにしたのは……。
読みが難しいからではなく、書くとき簡単だから?」
食「それもあるかも知れませんね。
経緯から言って。
でも、“陸奥(むつ)”自体、漢字や読みにも転遷があったみたいですね」
み「最初は、どんな字を書いてたわけ?」
食「後のほうの“奥”はそのままなんですけどね。
“陸”は、道路の“道”でした」
み「読みは?」
食「そのまんま、“道奥(みちのおく)”です」
み「それが詰まって“みちのく”になったわけね」
食「そうらしいです」
み「じゃ、どうして“道”が“陸”に変わったんだ?」
食「それが、はっきりしないようです」
み「はっきりせい!」
食「無理言わないでくださいよ。
ただ、『常陸国』ってありますでしょ。
ここに、“陸”が使われてます」
み「わかった。
常陸の奥ってことか」
http://blog-imgs-47.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/2013102619113688e.jpg
食「あるいは、“陸”自体、“道”と同じ使われ方をしてたのかも知れません」
続きは、次回。
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2. ハーレクイン- 2013/10/28 08:51
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あ、そうか。クーラーをつけているのか、由美ちゃん。
もう夏だもんなあ。
>鏡を抜け出ようとする怪物
合わせ鏡の遥か向こうから、何者かがやってくる、という話があったなあ。
ブラッドベリだったか、星新一だったか……。
由美ちゃんを突き動かす衝動「見られたい」。
さあ、どうするかな。
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3. ハーレクイン- 2013/10/28 08:54
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「つくばみらい」市と「かすみがうら」市は茨城県だよね。
大湊田名部市も、ひらがな表記にすれば日本一を奪還できるのに。
あ、もうないのか。今は「むつ」市。
下北半島といえばサル、ニホンザル。そりゃあ世界的に有名だからね、北限のサル。
あと、下北といえばマグロがあるじゃん。大間のマグロ。
イタコ(伊太郎ではない)の恐山も有名だぞ。
>『大湊』を先にする代わりに、役場は『田名部』に置くという取り決め
福岡と博多みたいなものかな。
常陸の国。茨城県だな。
しかし、陸奥が道奥はさておき、陸前と陸中があるじゃん。
これも道前、道中だったのかね。道中じゃ“どうちゅう”だよ。
♪イタコの伊太郎ちょっと見なれば 薄情そうな渡り鳥……
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4. Mikiko- 2013/10/28 19:30
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戊辰戦争の戦後処理で陸奥国(むつ)が分割され……。
陸奥国(りくおう)、陸中国(りくちゅう)、陸前国(りくぜん)、岩代国、磐城国に5分割されたそうです。
つまり、陸前、陸中は、明治になってから出来た地名ですね。
ちなみに、このときの陸奥、陸中、陸前の3国を総称して「三陸」と云うようになったのだとか。
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5. ハーレクイン- 2013/10/28 22:01
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五分割された後です。
ふーん、と思ってよく見たら、地図の脇にそのあたりの事情がちゃんと書いてありました。
以前持っていた地図帳では確か、東北地方は陸奥と出羽の二国だけ。つまり江戸時代ので載っていました。
しかし、戊辰戦争後に五分割したといっても、そのすぐ後に廃藩置県をやったんだからあまり意味ないよね。
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6. Mikiko- 2013/10/29 07:50
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陸前、陸中ときて、陸後でないのは……。
陸奥から、陸前、陸中が分割されたからってことでしょうか?
そう言えば……。
丹後の国はあるけど、丹前の国はありませんよね。
↓着物の丹前の由来は、面白いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E5%89%8D
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7. ハーレクイン- 2013/10/29 09:39
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丹前の由来は、江戸期の吉原遊女、勝山。
その前身は、堀丹後の守の下屋敷の前にあった風呂屋の湯女。
その風呂屋の名称は、「丹後の守」の前なので“丹前風呂”。
おもろい、座布団一枚、いや二枚!
いやあ、粋だねえ、江戸っ子ってえのは。
それにしても、越前と越後、羽前と羽後、備前と備後、筑前と筑後、肥前と肥後、豊前と豊後。大概揃うものだけどねえ。なんで丹後に対する丹前の国がないんだろう。
丹波の国は、丹後の隣にあるんだけどね。
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8. Mikiko- 2013/10/29 20:33
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なんと、越後村上藩主でした。
下屋敷は、最初、上野にあったそうです。
でも、屋敷地に寛永寺が建つことになって、土地が収用されたようです。
その後、神田に移ったんでしょうか?
しかし……。
下屋敷とは言え、その真ん前に銭湯なんかあるものなんでしょうか?
武家地と町人地は、分けられてたんじゃないかな?
江戸の初期は、そうでもなかったのか?
もし、ほんとに真ん前に銭湯があったとしたら……。
火事が怖いですよね。
丹前の国が無いわけ。
丹波の国から丹後の国が分離したようです。
陸奥と、陸前、陸中の関係と似てますね。
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9. ハーレクイン- 2013/10/29 22:12
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丹後の守。
例のあれですね。自己申告で適当な「守」を名乗っていいという取り決め。
それにしても越後とはねえ。
寛永寺の創建は寛永2年(1625年)、家光の時ですね。江戸の初期も初期、関ヶ原のわずか25年後です。
武家屋敷の前に銭湯。
ふむ、どういうことだったんでしょう。
やはり下屋敷だからあまり気にしなかったんじゃないですか。殿様が下屋敷に来るなんて年に1回あるかないかくらいだったらしいですから。
それに、武家地と町人地は結構入り混じっていたみたいですよ。
「丹波から丹後が分離」
ついでに丹前も作ればよかったのにね。
それとも、その頃には着物の「丹前」という言葉が行き渡っていたので、作りにくかったのかな。
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10. Mikiko- 2013/10/30 07:40
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越後出身の人が多いそうです。
もちろん、村上藩邸の前に銭湯があったからではありません。
銭湯の仕事は、思いのほか重労働で……。
続けるには、相当な我慢が必要だったそうです。
越後人に、そんな我慢が出来たのは……。
雪の無い江戸の冬から離れたくなかったからじゃないでしょうか。
雪深い越後に帰ることを思えば、どんな我慢も出来たでしょうね。
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11. ハーレクイン- 2013/10/30 09:24
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>雪深い越後に帰ることを思えば、どんな我慢も出来た
ふうむ。
それにしても、村上藩邸の前の銭湯は、やはり越後人がやってたんじゃなかろうか。故郷を懐かしんで。
「故郷は遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
…………
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ…………」
ついでに、
「美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ……」