2017.10.7(土)
「ええっ、何ですって!? 娘さんはすでに嫁がれてこちらにはいないって!? 娘さんは何人いらっしゃるのですか?」
「娘は1人しかいませんよ。正確に言うと子供は、息子が1人、そして娘は1人です…それが何か…?」
「そうですか、娘さんはお1人ですか…。妙なことをお聞きしますが、この旅館には女将さんの他にどのような方がいらっしゃるのですか?」
「はい。こんなひなびた旅館ですから従業員は少ないんですよ。私の他には夫、それから板前が2人、仲居が2人います。以前はもっといたのですが最近不景気で……」
「そうですか。ところでつかぬことをお伺いしますが、仲居さんのお歳はおいくつですか?」
「1人は今年55歳になります。もう1人は確か47歳だったと思います」
「20歳前後の若い女性はいませんか?」
「はい、おりませんが……。え…? ま、まさか……」
女将の顔色はみるみるうちに青ざめていった。
「車井原さん……」
「どうされたのですか?」
「こんなことを言うのも何ですが……もしかしてあなたが見られた女性は……」
「えっ? 私が見た女性が何だって言うのですか!?」
「いいえ、そんなことはあり得ないですわ…きっと車井原さんはお疲れだったんです。それできっと悪い夢でも見られたのだと思いますよ」
女将は口ごもってそれ以上語ろうとはしなかった。
でも明らかに何か隠している。
「女将さん……お願いです、教えていただけませんか」
女将は言うべきか言わないでおくべきかかなり迷ったが、ついに意を決して驚くべきことを話し始めた。
「車井原さんがお越しになられた目的は雪女伝説の調査でしたね。みんな祟りがあるからとあまり多くを語りたがりませんが、実は今でもたまに雪女が出ると言う噂があるんです。何でも好みの男がやってくると、彼女は人の姿で現れ、そのたぐいまれな美貌で男を魅了してしまうと言われています。やがて彼女は男を床に誘い虜にしてしまい、精を吸い尽くし、最後には氷の息を吹き掛け殺してしまう……と言われています……」
俊介は愕然とした。
「女将さん…実はその雪女に遭ったんです…」
「やはりそうでしたか……」
「遭っただけでなく毎晩その女性を……」
さすがにその先のことは言葉を濁した。
事情を察した女将は微笑みながら、
「それより先のことはおっしゃらなくても構いません。だいたいの察しがつきますので。とにかく東京にお戻りになったらご祈祷に行かれるのが良いと思います」
「ご祈祷ですか? でも少し痩せたぐらいでこの通りピンピンしてますし」
「それはあなたがよほど運がよかったのか、それとも雪女があなたのことを心底愛してしまったのか……私にはよく分かりませんが、くれぐれもご注意くださいね」
「はい、よく分かりました。ご親切にありがとうございます」
俊介は女将に10日間滞在の感謝を述べ、小千谷を後にした。
◇
俊介が帰った後、仲居が部屋の清掃に入ったところ、布団がしっとりと湿っていることに気がついた。それだけなら布団の上で水を飲み誤ってコップをひっくり返したとも考えられたのだが、さらにそのうえ、明らかに男性のものではない細くて長い髪が数本白いシーツに付着していた。
「女将さん? 先ほど帰られたお客様のお部屋なんですけど、女性同伴じゃなかったですよね?」
「ええ、お1人でお泊りだったわ」
「滞在中、外から女性のお連れ様がお見えになりませんでしたか?」
「どうしたの? あのお客様のところへはどなたも見えてないけど」
「女将さん、実はですね……」
仲居は怪訝な表情で髪の毛のことを女将に説明したのだった。
◇
一方、俊介は取材出張から帰ったのち、1日で報告書をまとめ企画部長に提出した。
当然ながら亜理紗のことは報告書には一切触れなかった。
亜理紗とのことを書けばきっと絶好のネタとして話題を呼ぶだろう。否、真実ではなくフィクションと捉える者が大半かも知れない。
いずれにしても話題になれば、他のマスコミがこぞって現地を訪れ亜理紗を探索するかも知れない。
それは困る。絶対に避けなければならない。
小千谷でのあの艶やかな出来事はそっと胸の奥底に仕舞いこんでおきたかった。生涯語ることもなく…。
(亜理紗……また会いに行くよ……きっと……)
俊介がパソコンの手を止めふと窓から外を眺めると、珍しく東京に粉雪が舞っていた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2017/10/07 09:09
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m(_ _)m ありがとうございました m(_ _)m
『亜理紗 雪むすめ』、本日、最終回となりました。
第1話を投稿したのが、2017年6月3日。
『単独旅行記Ⅳ』から帰った翌週のことでした。
そのころは、最終回を迎える10月7日など、遙か先のことのように思えてました。
でも、あっという間でしたね。
季節は、夏から秋を迎え……。
そしてこれから、亜理紗の季節、冬に至ります。
小千谷の人たちは……。
稲刈りを終え、冬支度を始めるまでの間は、キノコ採りでしょうか?
市のホームページを見たら……。
↓「毒きのこに注意しましょう」という掲示がありました。
http://www.city.ojiya.niigata.jp/soshiki/kenko/dokukinoko.html
春の山菜採り、秋のキノコ採りは、雪国の人の楽しみでしょうね。
でも、くれぐれも熊にはご注意下さい。
↓同じく市のホームページに、熊の目撃情報も載ってました。
http://www.city.ojiya.niigata.jp/soshiki/shimin/kuma20170505.html
『愛と官能の美学』Shyrockさま。
素敵な物語を、ほんとにありがとうございました。
またのご寄稿を、心よりお待ちしております。m(_ _)m
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2. ハーレクイン- 2017/10/07 11:06
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>報告書には一切触れなかった
賢明でしたねえ車井原さん。
そんな報告を上げてれば、今夜亜理紗ちゃんがやって来るでしょう。「やっぱり一枚足りないわ」じゃなくて「喋ったからには生かしておけぬ」ってところです。
惚れたはれたは関係ありません、これは雪女の掟。
明日の朝にはShyrockさんの氷漬けが……。
楽しく読ませていただきました。
ありがとうございました。
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3. Mikiko- 2017/10/07 12:06
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報告書では触れませんでしたが……
その後、長い年月を経て、こうして小説として発表されたのです。
なぜなら、たとえ殺されるとわかっていても、亜理紗に会いたかったからです。
不治の病に冒され、余命を区切られた車井原には、もう死は怖くなかったのです。
きっと、病に殺されるより、亜理紗に殺されたかったんでしょうね。
でも、亜理紗がよぼよぼの婆さまになって出てきたら……。
跳ね起きて、逃げ出したかも?
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4. ハーレクイン- 2017/10/07 15:10
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凍死志願
たいがい……長い年月が経って、自分でも忘れてたのをふっと思い出すんだよね。で、「ヤバいかも」なんて考えもせずにぽろっと喋っちゃうんだよね。
不治の病かどうかはともかく、お喋り男の多くはだから結構な爺様。もうあまり先も無いし、取り殺されてかえって満足なんじゃないでしょうか。
雪女郎の被害者は、微かに笑みを浮かべているそうです(これは死に際しての単なる反射運動、とも)。
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5. Shyrock- 2017/10/07 17:01
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Mikiko様
4か月にわたりご掲載いただきありがとうございました。
また色々なご感想を頂戴しありがとうございました。
重ねてお礼を申し上げます。
ハーレクイン様、皆々様
長きにわたってご愛読いただき、そしてご感想を頂戴しありがとうございました。
厚くお礼を申し上げます。
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6. Mikiko- 2017/10/07 18:29
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ハーレクインさん&Shyrockさん
> ハーレクインさん
前にも書きましたが……。
凍死者の顔があまりにも穏やかなので、こういう説話が出来たのでしょう。
女の妖怪の話になったのは……。
気持ちよさそうな顔に見えたからじゃないでしょうか。
> Shyrockさん
ありがとうございました。
うちのサイトの良いところは、必ずコメントが付くことです。
ぜひまた、ご寄稿下さい。
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7. ハーレクイン- 2017/10/07 21:38
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仮面の告白 穏やかな死に顔はいわばデスマスク。
一皮剥げば……、
ぎゃあああああああああああああああああああ
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8. Mikiko- 2017/10/08 07:47
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一皮剥けば……
「ぎゃあ」なのは、死人に限らないでしょう。
楳図かずおに、『肉面』という漫画があります。
殿様に献上する面を造り悩んだ面職人が……。
自分の顔の皮を剥いで面にするというお話だとか(もろ、ネタバレでした)。
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9. ハーレクイン- 2017/10/08 11:15
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被った面が……
どうしても外れなくなる。
そして……という話は、漫画でも小説でも見かけます。
作者もタイトルも、そしてどうなったか、も思い出せませんが(ホンマに読んだんかーい)。