2017.8.26(土)

↑「み」
赤いダイヤル式の電話機があります。
いわゆる赤電話です。
10円玉を入れて掛けます。
年配の方にとっては当たり前の説明でしょうが……。
若い世代では、赤電話の使い方を知らない人も多いようです。
レトロを基調とした喫茶店などでは、今でも置かれてるお店もあります。

↑神保町の喫茶店『さぼうる』。いかにもなネーミング。営業マンにとっては、携帯のなかった古き良き時代。
使えると聞くと、若い人が興味を示すそうです。
でも、使い方がわからないようで……。
ダイヤルの穴を一生懸命押してたり、受話器を持ちあげないでダイヤルしたりする人もいるとか。
文化の伝承ってのは、こんなに短期間で消えてしまうもんなんですね。

↑「み」
これは、たばこ屋の店先でしょうか。
とにかく、説明書きがまったく無いんです。
↓様々なタバコが並んでます。

でも、奥の畳は、居心地が良さそうです。
猫とおばあさんが、一緒に座ってたら絵になりますね。

↑売り物ではありません(たぶん)。

↑「み」
ラジオとかレコードプレーヤーがあります。
そう言えば、先月(2017年6月)のニュースで……。
ソニーが、アナログレコードの自社生産を、29年ぶりに再開すると報道されてました((参照)。

↑「み」
映画ポスターが、そこここに掲げられてます。
これらは、新しく描かれたものなんでしょうか?
右のポスターの女優は、吉永小百合のはずですが……。
びっくりするほど似てません。

↑「み」
これは、文具類のようです。
もうちょっと整理して、説明を付けて展示してほしいものです。
これじゃ、がらくた市の店先です。

↑「み」
自転車の荷台に載ってるのは、紙芝居ですね。
引き出しの中には、商売ものの飴などが入ってるのでしょう。
この飴を子供に買わせ、紙芝居を見せるわけです。

↑これは伴奏付きですね。子供たちの真剣な顔が微笑ましいです。
しかし……。
とーてー、これだけで食べていけるとは思いません。
いったい、どういうビジネスモデルなんでしょう。
単に、道楽だったんですかね?

↑渥美清が道楽息子に扮したテレビドラマ『放蕩一代息子』。紙芝居屋になったわけではなく、乞食になりました。妹役は倍賞千恵子。

↑「み」
これは、駄菓子屋の店先です。
わたしは残念ながら、子供のころ、駄菓子屋に入った記憶がありません。
近隣に、駄菓子屋というものが存在しませんでした。
学校の前に文房具店があっただけです。
東京の下町などでは、今でも駄菓子屋があるそうです。
ちょっぴり、羨ましいです。

↑「み」
↓駄菓子屋の奥に、テレビがあります。

↑「み」
ダイヤルをガチャガチャ回してチャンネルを変えるテレビです。

↑上がVHF、下がUHFのチャンネル。UHFは、チューニングするように回すんだと思います。
これは、わが家に昔ありました。
ダイヤルが、スポッと外れてしまうテレビでした。
でも、差せば普通に回せます。
チャンネルを変えられたくないとき、ダイヤルを抜いて隠したりしました。

↑うちだけじゃ無かったんですね。
もちろん、怒られましたが。

↑「み」
これは、薬類だと思います。
ゾウのマスコットは、佐藤製薬のサトちゃんでしょう。
薬には説明書きがないので、何が何だかわかりません。

↑「み」
今も売ってると言っても、名称が続いてるだけで、パッケージは違ってるはずです。
ボンカレーとか。

↑今は、こんなパッケージのようです。これじゃ、印象は薄いですね。
昔懐かしいパッケージは、女優の松山容子さん。

↑沖縄だけは、まだ往年のパッケージのままのようです。味も、昔と同じだとか。
↓上の段にある整髪料は、子供のころ、洗面所で見た記憶があります。

↑「み」

↑「み」
おもちゃです。
かなり古い感じですね。
野球盤などはありません。
↓ダッコちゃんが萎びてます。

↑「み」
↓クイズダービーゲーム。

↑「み」
この番組は記憶にあります。
第1回は、1976(昭和51)年1月3日。
司会は、今は亡き大橋巨泉。

はらたいらや篠沢教授を覚えてます。

↑この方も故人です。
しかし、あの番組をどうやってゲーム化したんでしょう。

詳しく解説したサイトがありました。
詳しすぎるので、わたしは途中で読むのを諦めてしまいましたが……。
興味のある方はどうぞ(こちらです)。
↓ポスターではなく、映画看板と呼ぶようです。

↑「み」
↓やはり、『緋牡丹博徒』に惹かれます。

↑「み」
一度も見たことはありませんが。
主演はもちろん、藤純子(現・富司純子)。

↑凄絶なまでの美貌です。
鶴田浩二、高倉健、菅原文太、若山富三郎、丹波哲郎、松方弘樹などが助演で出ていることでも……。

↑高倉健が後ろです。
藤純子が、どれほどの大スターだったか、よくわかります。
一度、見てみるかな。
![]() 隔週刊東映任侠映画傑作DVDコレクション 第2号『緋牡丹博徒』 |

↑「み」
コカコーラ関係のグッズですね。
わたしの子供のころは、これが飲めない同級生もいました。
ノドがピリピリするのがイヤなんだとか。

↑このシュワシュワがダメなようです。
こういう子は、大人になってビールは飲めたんですかね?
↓バブル期のコカコーラのCMは、かっこいいです。
美男美女ばっかり出てきて、だんだん腹が立ってきますが。
↓こんな機械が置いてありました。

↑「み」
生まれた日(別に生まれた日じゃなくてもいいですが)の新聞が、プリントアウトアウトできます。
↓値段は400円と、微妙に高価。

↑「み」
入館料が、350円ですからね。
新聞は、一面とテレビ面が選べます。

5分くらい逡巡しましたが、ネタとして買ってみることにしました。
↓一面は面白くないだろうと思い、テレビ欄にしました。

用紙は、A3サイズです。
はっきり言って、記憶がない番組がほとんど。
考えてみれば当たり前です。
生まれた日の番組なんですから。
小学生のころの日付にすれば良かった。
もちろん、もう1回買う気にはなれませんでした。
↓2階への階段がありました。

↑「み」
この建物は、昔の家具屋さんを改造して作られたそうです。

1階のスペースで、家具を展示販売してたんでしょうね。
この階段も、元からあったものでしょう。
とにかく、急です。
酔っ払ってたら、ぜったいに降りられません。
2階には、何が展示されてるかというと……。
↓これです。

↑『雪女の部屋』。表札(?)の横の女性は、もちろん雪女ではありません。若き日の小泉今日子さんです。

↑「み」
『雪女』に関する資料が展示されてます。
↓誰もが感じる疑問だと思います。

↑「み」
でも、江戸時代は、今よりそうとう寒かったのは確からしいです。
気温は、時代によって変化してます。
縄文時代が温暖で、縄文海進という現象が起きてたことは有名です。
三内丸山遺跡は、現在、海から4キロも離れてますが……。
縄文時代は、海端の高台だったそうです。

↑青い太線が、縄文時代の海岸線。
↓平均温度は、こんな具合に変化してます。

有史以降では、平安末期から鎌倉時代にかけてが温暖です。
『中世温暖期』と呼ばれてます。
新潟の海岸近くでは、この時代の遺跡が出ないんです。
すなわち、このころは、海の底になってたということです。
これに対し、江戸時代は、有史の中で一番寒かったことが、上のグラフからわかります。
雪国越後の暮らしを描いた、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜』。

↑1837(天保8)年に初編、1841(天保12)年に二編が発行。
積雪十八丈(54メートル)などという、どう考えても白髪三千丈な記述もありますが……。
今よりはるかに積雪が多かったことは確かなようです。
当時の江戸で、大ベストセラーになったとか。

↑『鈴木牧之記念館』刊行。
越後高田を言い表した、こんな小話があります。
急ぎの飛脚が、高田まで文を届けに行ったのですが……。
辺り一面が雪の原で、町どころか、家一軒見えません。
呆然としつつ、さまよってると……。
斜めに傾いだ立て札が目に入りました。
そこには、↓こう書かれてあったそうです。

これもまた、多少は眉唾ですが、こんな話が出来るほどの積雪だったことは確かでしょう。

↑昭和36年の高田(現・上越市)。道路の向こう側へは、トンネルを掘って渡ったそうです。

↑「み」
雪女の人形が、たくさんあります。
あまり気味の良いものではありません。
作った人は、祟りに遭わなかったんでしょうか。
『雪女』は、もちろん……。
小泉八雲の『怪談』にあるお話です(こちら)。
あ。
ここで、突然わかってしまいました。
階段の登り口に、小泉今日子さんの看板が飾られてた意味です。
“怪談”と“階段”、“小泉八雲”と“小泉今日子”。

ですよね?

↑「み」
長火鉢の方が気になります。
熱燗を付けて飲んだら、さぞ美味しいでしょう。

↑これは、『炭火酒燗器』と云うそうです。復刻版です。燗が付く仕組みは実に面白いので、ぜひこちらをご覧ください。熱燗につけるには、1時間かかるそうです。のんびりした時間が流れそうです。
火鉢手前の台みたいになってる部分を、猫板と呼ぶようです。
外してお盆として使えるとか。
なぜ、猫板と呼ぶかというと……。
まさしく、ここが猫の特等席だったからです。

ちなみに、寅さんの台詞に出てくる「猫灰だらけ」ですが……。
猫が、火鉢の灰をトイレ代わりにすることがよくあり、それで灰だらけになったとのことです。

↑犯行後の足跡。

↑「み」
怖いですね。
でも、何で笹なんですかね?
パンダじゃあるまいし、雪女の主食ではないでしょう。
七夕とも季節が真逆です。
さて、青梅と『雪女』の関係ですが……。
まさしく、青梅が『雪女』の舞台なのです。
物語の冒頭に「武蔵国、西多摩郡調布村の百姓が私に語ってくれた」とあり……。
その地域は、現在の青梅市の南部に相当するのだとか。
今とは比べものにならないほど、当時の江戸は寒かったと云うことです。

↑歌川広重『飛鳥山暮雪』。東京都北区王子の景色です。
なお、先の写真、雪女の手前にある枠組みみたいなのは、櫓(やぐら)ごたつですね(参照)。
もちろん、布団を掛けて使います。
ここもまた猫が好きな場所ですが、ヘタすると一酸化炭素中毒でお陀仏です。

電気ごたつの恩恵を一番受けたのは、猫じゃないでしょうか。

↑「み」
怪談、じゃなくて、階段の降り口です。
蓑がかかってます。
しかし、家具屋だったころ……。
この2階は、何のためのスペースだったんでしょう?
台所もないし、家族の居住スペースとは考えにくいです。
主人や使用人の休憩用ですかね?
ひょっとしたら狭い階段は……。
家具を担いで上り下りする、トレーニング用だったりして。

↑昔のタンスには、担ぐための金具が付いてました。でも階段じゃ、棒が滑りますよね。ストッパー機能が必要です。楔でも差せるようになってたんでしょうか?
2階の用途として考えられるのは、やはり使用人の居住エリアでしょう。
昔の使用人は、住みこみでしょうから。
泥棒よけにもなりますし。
簡単な煮炊きやトイレは、1階で出来たのかも知れません。
主人が通いで、使用人が住みこみというのも面白いですね。

↑緒方洪庵が開いた『適塾』。2階は、塾生が暮らす大部屋だったそうです。ここで、福沢諭吉などの塾生が競い合って勉強したとか(やだやだ)。
『昭和レトロ商品博物館』の写真は以上です。
↓1枚目の写真(チケット売場の案内)の撮影時間は、11:29分。

↑「み」
最後の階段降り口写真が、11:42分。
滞在時間、わずか13分です。
予定では、ここでの見学時間として、50分を見積もってました。
ずいぶん早く見終えてしまいました。
これで、青梅での目的は終了です。
何しに来たのかわかりません。
青梅からは、今回の目的『路線バスと昭和を巡る旅』のとおり……。
路線バスを使って移動します。
しかし、青梅あたりでは、バスは頻繁に出てるわけではありません。
ましてや、平日の昼間です。
バス停に早く着いても、ただ待つだけになります。
バス乗り場とは逆方向ですが、一旦『青梅駅』に戻ることにしました。
お土産を買える店があるかも知れないと思ったからです。
ぶらぶら歩きながら、『青梅駅』に向かいます。

↑「み」
通りのそこここには、こうした映画看板が掲げられてます。

↑「み」
こちらは、祭用品を扱うお店。
青梅市では、ゴールデンウィーク中、『青梅大祭』というお祭りが行われてるようです。

駅前の主要な通りが通行止めにされ、12もの山車が曳かれ……。
山車同士が出会うと、「競り合い」が行われるとか。

ぶつかるんですかね?
当事者にはなりたくありませんが……。
遠くから眺めるだけなら、面白そうです。
通り沿いの商店の2階が特等席でしょうね。

↑不思議と、2階から見物してる写真が見あたりません。禁止なんですかね?

↑「み」。下のカゴは、何の意味があるんでしょう? 猫が入るんでしょうか?
パロディかと思いましたが……。
実際、『猫と共に去りぬ』という小説があるようです。

イタリアの児童文学作家、ジャンニ・ロダーリの作。
でも、映画にはなってないようです。
この看板は、やっぱりパロディでしょうね。
青梅駅前に戻って来ました。
↓ここもやはり、寂れつつある街のようです。

↑「み」

↑「み」
『青梅駅』です。
見ればわかりますが、工事中です。
なんだか、大仏殿みたいですね。
ひょっとして、工事中の状態が、一番立派に見えるんじゃないでしょうか(失礼)。

↑これが、覆いがかけられる前の状態。きっと、外壁の補修ですね。1924(大正13)年に、青梅鉄道の本社として建てられた建物だそうです。
↓昭和58(1983)年の『青梅駅』です。

さて。
青梅駅に戻ったのは、土産物屋のようなものが無いかと思ってのことでしたが……。
実に、潔いほど何もありませんでした。

↑ロータリーだけ、むやみに広い印象でした。
早い話、観光地では無いんですね。
観光地じゃない駅前に土産物屋が無いのは、理の当然です。
期待した方が悪いです。
ほかに見るところもなさそうなので……。
踵を返し、バス乗り場に向かうことにしました。
このころには、もう雨が上がってました。
『google map』を起動し、歩き始めます。
バス停は、『昭和レトロ商品博物館』の前の道を、さらに行きすぎたところにあるはずです。
ちなみに、この道路は、青梅街道です。

↑新宿から青梅を経て、甲府まで続きます。
ナビなど見なくても行けると思いますが……。
ナビの使い勝手や性能を確かめるため、あえて起動しました。

↑「み」
途中、またこんな建物がありました。
『青梅市民会館』です。
これを見たときは、この街は滅びつつあるのかと思ってしまいました。
でも、今調べてみたら……。
使われなくなったから閉鎖されるわけではありませんでした。
古いことは見た目でわかりましたが……。
建てられたのは、1966(昭和41)年でした。

↑立派な建物です。
築51年。
早い話、老朽化と耐震性の問題です。

↑こんな大ホールもあります。
建物前の青梅街道が、災害時の緊急輸送道路に指定されているんです。
地震で建物が崩れ、緊急輸送道路を塞ぐ恐れがあるということから……。
取り壊されることになったそうです。

↑阪神淡路大震災で倒壊し、道路を塞いだビル。
跡地には、生涯学習施設が、2019年までに建設されるとか。

↑細い柱だけで支えられて、大丈夫なんですかね? わざと、道路と反対側に崩れるようにという設計でしょうか?

↑「み」
新旧、見事なコントラストです。
昔は、右側のような建物が連なってたのでしょう。
↓これは、お風呂の煙突ですかね?

↑「み」
ということは、薪のお風呂ということですか。

こういうのが残ってれば、ちょっとくらい不便でも改築したくないですよね。
でも、トイレは新しくしてほしい。

↑「み」
お米の自動販売機がありました。
↓関東産の「こしひかり」より、新潟県産の「こしいぶき」の方が高いです。

↑「み」。右が関東産「こしひかり」、左が新潟県産「こしいぶき」。
嬉しい気もしますが、ちょっと微妙です。
ほんとにそんなに、新潟県産が美味しいんですかね?
ブランドに、舌が誤魔化されてるんじゃないですか。
新潟県産の「こしひかり」は、生産量より流通量の方がずっと多いそうです。
早い話、ニセモノが流通してるということです。


↑「み」
このまま、『江戸東京たてもの園』に持って行けそうです。
でも、いつか無くなっちゃうんでしょうね。
仕方ないです。
わたしが相続するとしたら……。
たぶん売り飛ばして、マンションに移住するでしょう。

↑「み」
飾り物ではなく、ちゃんと使われてるポストでした。
これを見てたら、眉村卓のジュブナイルを思い出しました。
『ねじれた町』。

↑今は無き『秋元文庫』の表紙。
たしか、ある町に引っ越したばかりの主人公(中学生)が、手紙を出そうとポストを探すうち……。
古い街並みに迷いこむという冒頭だったと思います。
これ以上書くとネタバレになりますので、止めておきます。
珍しい和風テイストのジュブナイルです。
さて、そうこうするうちに、バス停に着きました。
写真の時刻を見ると、12:20分ころ着いたようです。
予定表のバスの発車時刻は、12:40分。
ちょっと時間があります。
バス停と云っても、道端にある停留所じゃありません。
バス停の名称は、『青梅車庫』。

都バスの営業所を兼ねてます。

↑「み」
↓『東京都交通局 早稲田自動車営業所 青梅支所』。

↑「み」
↓『早稲田自動車営業所』は、その名のとおり、新宿区西早稲田にあります。

山手線の内側です。
その支所が、青梅にもあるというのは、ちょっと驚きです。
さて、『青梅車庫』のバス停ですが……。
道端では無く、『早稲田自動車営業所青梅支所』の敷地内にあります。
ベンチがあったので、座ろうと思ったのですが……。

↑拝借画像です。写真を撮り忘れました。
↓ベンチの背後にこんな張り紙が。

↑「み」
おそらく、支所のトイレを借りようとする人がいるのでしょう。
ケチケチせずに貸してやればいいのにとも思いましたが……。
公共交通機関として、セキュリティ上の問題でもあるんですかね。
こんな張り紙を見ると、催しそうな気になります。

とりあえず、神社だけでも見てこようと思いました。

↑「み」
神社と云うより、ただの祠です。
もちろん、無人。

↑「み」
銀杏です。
雷でも落ちたんですかね?

↑「み」
もう1本の木は、立派です。
↓シラカシでした。

↑「み」
新潟で、常緑の高木広葉樹を育てるのは、難しいです。
クスノキは、全く育ちません。

↑新潟市中央区古町通りのアーケードに植えてあります。冬の季節風があたらないアトリウムなのでどうにか生きてますが、まったく成長しません。
シラカシは、冬、痛んでしまいますね。
やっと生きてるような木をよく見かけます。

↑わたしがよく行く銀行の駐車場前に植わってます。銀行のビルで北西の季節風が防がれてるので、状態は良い方です。
タブノキは自生しており、農家の庭などには巨木もありますが……。

↑新潟市内の農家の庭にそびえるタブノキ。
成木を植えると、結果が良くない場合もあります。
植栽するなら、スダジイが一番向いてるでしょう。

↑茨城県東茨城郡城里町のスダジイ。樹齢400年程度。常緑樹ですが、成長は早いです。
マテバシイも寒さには耐えますが、葉が大きいので雪で枝折れしてしまいます。

↑南国の風情を感じさせる樹木です。洋風建築に似合います。
などと、得々と書きましたが、すべて叔父の受け売りです。

↑「み」
神社のシラカシに戻ります。
根元も痛んでないようです。
周りより、一段高いところに植わってるので……。
根が水に浸かることがなく、健康なんでしょうね。

↑「み」
「神社にあります」というトイレは、↑のようです。

↑「み」
工事現場の仮設トイレだろ!
開けたら、変態が出てきそうです。
とーてー、使う気にはなりません。
早々に、バス乗り場に戻ります。

↑「み」
広い敷地に、バスがたくさんあります。
車両ファンには見応えがあるのでしょうが……。
わたしは、ハード面には興味がありません。

↑「み」
洗車の設備もありました。
考えてみれば、ガソリンスタンドの洗車機には入りませんから……。
こういう施設がなければ、洗車もままならないわけです。

↑「み」
バスが出たり入ったり。
好きな人は、退屈しないかも知れません。

↑「み」
ヒマなので、バスばっかり撮ってます。
うさんくさいバスオタク女と思われたかも知れません。

↑こんな雑誌も刊行されています。
実は、この停留所に早めに着いて良かったんです。
わたしがメモしてた発車時間は、12:40分だったのですが……。
バス停の時刻表を見ると、12:35分だったのです。
後で調べたら、12:40分発は、土日の時刻表でした。
あんなにバスの写真を撮ったのに……。
肝心の自分が乗るバスは、撮り忘れました。

↑拝借画像です。この日は5月5日。祝日には、日の丸を付けるようですね。ちょっと意外です。
乗ったのは、わたしと、おじいさんが1人だけでした。
さて、このバスの行き先ですが……。
西武新宿線の『花小金井駅北口』です。
実はこの『花小金井駅』、昨年の『単独旅行記Ⅲ』でも降り立ってるんです。
ここで降りて、『江戸東京たてもの園』まで歩いたんですね。

↑「み」。『江戸東京たてもの園』前に聳えるキンモクセイ。圧巻です。
でも、そのときは、駅の南口でした。
今日のバスは、北口に着きます。

↑北口・南口、ともにロータリーがあります。住所は、小平市。23区を抜けると、やはりゆったりしてますね。
『青梅』と『花小金井』ですが……。
けっこう、離れてます。

『青梅車庫』発が、12:35分。
『花小金井駅北口』着が、14:09分です。
↓1時間34分のバス旅です。

実はこの『都営バス【梅70】』という系統ですが……。
かつては、『青梅車庫』から『西武柳沢駅』まで行ってました。

↑西武新宿線で2駅先です。
でも、2015年3月31日で、『花小金井駅北口』から先の部分が廃止になってしまったのです。
名残を惜しんで乗りに行った方も多いようです(参照)。
こうして、面白い路線は、次々と消えていってしまうのでしょうね。
東京の路線バスの乗車記で面白いのは……。
泉麻人の『大東京バス案内』です。

お勧めします。
さて、出発。
その前に、もう1枚写真を撮ってました。

↑「み」
ベンチにかかる屋根を見あげた写真。
↓何を撮ったかというと、これです。

↑「み」
ツバメです。
気象庁は、『ツバメの初見日』というデータも公表してます(こちら)。
2017年、東京は4月17日。
新潟は、4月10日です。
南が早いというわけではないようです。
函館も、4月10日。
青森だけ極端に遅く、5月17日です。
こういうデータは、いったい誰が観測してるんですかね?
調べてみたら、長野地方気象台のページに、次の記述がありました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
観測の方法は、原則決まった範囲内の場所で観測担当者の目視または聴覚による認識によって、現象を確認した日が記録されます。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
早い話、担当職員が偶然見かけた日、ということですね。
あんまり当てにならないデータっぽいです。