2017.7.18(火)
得意満面という風情で高く叫ぶ恭子(のりこ)を、笹津由は笑みながらも普段の調子で窘(たしな)めた。
「これ、姫。何をそのように……はしたなき事」
「乳! をのこには、乳がございませぬ!」
恭子は全く意に介さず言葉を継ぐ。
鬼の首でも取ったかのような恭子に、笹津由は苦笑しつつも柔(にこ)やかに聞き入った。
「そなたの……笹津由、そなたの乳は斯様に……」
改めて、笹津由のふくよかな乳房に伸べようとする恭子の手を、笹津由は視線一つで留めた。
笹津由の目の光に射竦(すく)められた恭子の手は、目標のすぐ手前で止まる。未練をたっぷりと残し、恭子は腕を引いた。
「姫……」
「あい」
「我が乳。恋しきお気持ちはようわかり申すが……」
「…………」
「今は、なりませぬ」
「今は……」
「左様。これは良き折。姫に大事なることをお教えする良き機会」
「大事……」
「左様」
「大事とは、何事に御座いましょうや、お師匠様」
師匠、と笹津由に呼び掛ける恭子(のりこ)は姿勢を正した。師の教えを受ける、その弟子の姿勢であった。
「姫よ」
「あい」
「今よりお教え参らすること……この後(のち)の姫にとりて大事の事と我は考え申す。異論も多々あるやと思ひまするが……」
笹津由が、恭子に対してここまで言葉を躊躇(ためら)うことは、これまでに無いことであった。
「ささ……」
「…………」
「そなたは我が師匠」
「…………」
「我が生きる規範」
「…………」
「そなたが口より出づる言の葉。これ並(な)べて我への教へ」
「姫……」
恭子は莞爾と笑んだ。
「お教えくだされ、お師匠様」
何の屈託もない恭子(のりこ)の笑みであった。
寸刻、なおも躊躇う笹津由の背を、その恭子の笑みが押したものであろうか。笹津由は言葉を発した。
「されば、恭子姫」
恭子は即座に応じた。
「あい」
「この世には……」
「あい」
「をのこ(男)と……をみな(女)、がおり申す」
「あい」
皇女(ひめみこ)恭子の、わが師笹津由の教えに聞き入る姿勢は些(いささ)かも変わらない。
「しかして……」
「…………」
「をのこ(男)とをみな(女)の他に、人はおり申さぬ」
「…………」
「いや」
「…………」
「鳥獣虫魚。花にも、野辺の草に至るまで、並(な)べての生き物にはをのこ(男)とをみな(女)がおり申す」
「…………」
「これはお分かりか、姫」
「……あい……」
恭子(のりこ)は、改めて笹津由の強い視線を真っ直ぐに受け止めた。いったい、何の話を……。そうは問いかけぬ恭子であった。師たる女官笹津由。その教えを全身で受け止めようとする皇女恭子であった。
「では、何故この世の生き物には、並(な)べてをのこ(男)とをみな(女)がおるのか」
「…………」
「お分かりか、姫」
恭子は、即座に応じた。
「それは……」
「うむ」
「子を……」
「む」
「子を成すため、にござりましょう」
笹津由は、莞爾と笑んだ。先ほどの恭子に習うかのような笑みであった。
「左様にありまするなあ」
躍り上がりそうな恭子(のりこ)を、女官笹津由は視線一つで留めた。その言の葉が恭子に追い打ちを掛ける。
「これ、姫よ。話はこれからにありまするぞ」
笹津由の視線に射竦(いすく)められた恭子は、改めて姿勢を正した。膝上に置いた両手を固く組み直す。
「お師匠様。それで……」
「うむ。では、をのこ(男)とをみな(女)にて子を成す。いかにして、はお分かりか、姫」
暫時、皇女恭子は絶句した。
いかにして……。
それは……。
「ともね、成すにありましょう」
恭子(のりこ)の脳裏に「共寝」の文字が浮かんだ。男女二人して枕を並べる。共に仰向き。手はそれぞれ胸前に組んで……。
それ以上の情景は思い浮かばぬ恭子であった。
そして、恭子の脳裏の情景は、手に取るように承知の笹津由であった。
「それは左様にありまするが……ただ並んで眠るだけが『共寝』にはござりませぬぞ」
「…………」
「子をなすためには……」
「あい」
「をのこ(男)の成す精の液を、をみな(女)の胎内に注ぎ入れねばなりませぬ」
「…………」
「をみな(女)の胎内には、子の元(もと)となる『卵』があり申す」
「卵……」
恭子(のりこ)の目が泳いだ。思いも及ばぬ笹津由の話に、なんとかついて行かんとする恭子であった。
「左様。をみな(女)の体は月ごとに卵を作り申す」
「月ごとに……」
「しかしてその卵の寿命、わずか数日にあり申す」
「…………」
まったく言葉の出ない恭子であった。
笹津由は、淡々と言葉を継ぐ。
「寿命の尽きし卵は、体の外に捨て申す」
「捨つる……」
「左様。姫よ、過ぐる昨月より、姫も月のものを見られるようになりましたなあ」
「月の……」
「左様。あらかじめお教え置き申した故、さほど姫には動ずることも無き事にお見受けし申したが……」
「ふむ」
「あれは、をみな(女)の体の捨つる、古き卵に御座ります」
「あれが……卵」
絶句するしかない恭子(のりこ)であった。
「卵は、目にも見えぬ小さきもの。卵と共に体内の……そう、卵を守る衛士が如きもの、もお役御免とて共に捨てられ申す。それらを並(な)べて含め、月のものとて……」
「あれ、が……」
「しかして、卵と衛士とは新たに、月々に生まれ申す。再生、と云うべきにありましょうかのう」
をみな。
我はをみな。
その思いが、恭子の脳裡の総てを占めた。
しかして兵部さまは……。
我(われ)がをみなならば、兵部さまはをのこ(男)
心中の思いを、そのまま、即座に口にする恭子であった。
「ならば笹津由。をのこ(男)とは……」
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/07/18 11:13
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始まりました
女官笹津由の性教育講座です。
受講生はただ一人、皇女恭子。いずれ斎王に選定されることになるわけですが、この時点ではまだ無邪気な小娘。ようやく女のしるしを見るようになった、まだまだねんねです。
そのねんねが、老獪女官笹津由の指導を得て、どのように変貌していくのでしょうか。待て!次回。
ありゃ、終わっちゃったよ。
もう一つ。今回の笹津由のセリフに↓こんなのあります。
「鳥獣虫魚。花にも、野辺の草に至るまで、並(な)べての生き物にはをのこ(男)とをみな(女)がおり申す」
無論、これは不正確。中には無性生殖をおこなう生き物もいるわけですが、物語の時代は平安期。さすがの笹津由もそこまでは知らなかったということですね。
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2. Mikiko- 2017/07/18 19:57
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聖母マリアも……
無性生殖なんですかね?
鳥獣戯画には、11種類の動物が描かれているそうです。
カエルとウサギが相撲を取ってる絵が印象的です。
でもどうして、カエルとウサギが同じサイズに描かれたんでしょう?
カエルは、ウサギの耳に噛みついたりして、明らかに反則してます。
平安末期から鎌倉にかけて描かれたそうです。
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3. ハーレクイン- 2017/07/18 23:57
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無性生殖
違います。
マリア自身はれっきとした女性。
女性が、男性の関与無しに妊娠するのは「単性生殖」といいます。
カエルとウサギ
同じサイズじゃないと相撲にならないじゃん。
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4. Mikiko- 2017/07/19 07:29
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なるほど
単性生殖ですか。
オスが、単性生殖することは出来るんですかね?
あ、生殖した時点で、オスではなくメスということになるわけか。
小錦と舞の海。
↓このくらいの差があっても、相撲になりまっせ。
https://www.youtube.com/watch?v=bKxyETFgwmQ
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5. ハーレクイン- 2017/07/19 10:08
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ブッブー
間違えちゃいました。
“単性”ではなく「単為生殖」でした。
オスは出来ません。
オスとメスの違いというのはいろいろありますが、そのひとつが生殖用の細胞、生殖細胞です。
高等動物の場合、オスが「精子」メスが「卵(らん)」です。この両者の違いの最も顕著なのは大きさ。「精子」は1ミリの千分の一ほどですが、「卵」はこの百倍から千倍、大きなのもでは数センチになるものもあります。
この大きさの違いは、細胞内に蓄えた栄養分の量にあります。精子はほとんどありませんが、卵は多量の栄養分を蓄えています。この栄養分で、受精後の初期発生に必要なエネルギーを賄うわけです。
ですから、精子が仮に受精せずに発生を始めたとしても、エネルギー不足ですぐ死んじゃいます。
小錦と舞の海。
カエルとウサギの大きさの違いは、そんなものじゃあないでしょう。
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6. Mikiko- 2017/07/19 19:46
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最近、あまり鳴き声を聞きませんが……
わたしの地域にも、食用ガエルが住んでます。
いわゆる、ウシガエルですね。
食用としてアメリカから輸入されましたが……。
日本では、カエルを食べる習慣は根付きませんでした。
寒さに強いので、逃げ出したものが野生化して、そこら中に巣くってます。
とにかく、鳴き声が野太いのが特徴です。
水辺などを歩いてて、いきなり鳴かれると、飛びあがります。
体長は、20センチにもなります。
最小のウサギ、ネザーランドドワーフと、大きさは同じくらいだと思います。
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7. ハーレクイン- 2017/07/19 22:06
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ネザーランドワーフ
聞き初めです。“ネバーランド”つまり与太じゃないだろうね。
確かにウシガエルの声はデカい。一発で覚えますね。でも、ウシガエルの合唱は聞いたことありませんから、まあ許せる。
たまらんのはセミですね。一昨日あたりから、近所の桜の樹で派手に鳴き出しました。
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8. Mikiko- 2017/07/20 07:22
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ネザーランドワーフ……
ではありません。
ネザーランドドワーフです。
実は、わたしも読み間違いました。
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9. ハーレクイン- 2017/07/20 08:33
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“ネバーランドのウサギ”
じゃなくてネザーランド(オランダ産の)のドワーフ(西洋の神話・伝承・童話などに登場する小人・侏儒、白雪姫の七人もこれだとか)だそうです。
ネザーランドドワーフは体長26センチ、体重1キログラム。確かに、ウシガエルと相撲は取れそうです。
決まり手は……ウシガエルなら立ち合いのかちあげ一発、ドワーフなら、いったん組み止めての蹴返しが決まりそうです。
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10. Mikiko- 2017/07/20 19:52
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宇良の四股名
怒倭亜麩(どわあふ)はどうでしょう?
宇良は、高安戦で膝を痛めたようです。
勝ち越しはムリでしょう。
あの相撲では、必ず怪我をしますよ。
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11. ハーレクイン- 2017/07/20 22:21
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>宇良改め……
>怒倭亜麩
「麩」はあんまりですので、怒倭亜「風」はどうでしょう。
高安戦は惜しかった。
あれが「ゼニの取れる相撲」です。
惜しかったんだけどなあ。高安の土俵際、あの首投げがすっぽ抜けてれば……。ですが勝負に「たら・れば」はありません。
宇良はすでに6勝してますので、残り3日は休場、という手もあるのですが、協会が許さないかもしれません。ねえ、八角理事長。