2017.6.17(土)
「なるほど……そうなんですか。とても切ない話ですね」
そして静かな口調でつぶやいた。
「今日から10日間宿泊させていただきますのでよろしくお願いします。改めて詳しく聞かせてくださいね」
「はい、よろしゅうございます。今日はお疲れでしょうから、温泉にでも浸かってゆっくりされるのがよろしいかと思います」
「ええ、そうさせてもらいます」
「ではまた後ほど参りますので。ごゆっくり……」
女将が部屋を出て行った後、急いで鞄からスマートフォンを取り出し女将の話を一心不乱に記録した。
記録が一段落した俊介は広縁の椅子に腰をかけ、窓から外の景色を眺めながらゆっくりとビールを飲んだ。
外ではしんしんと粉雪が舞い、まるで真綿のように美しい。
こんな大雪を間近で見るのは数年前にスノーボードで行った白馬八方尾根以来だ、と感慨深げに雪景色を見惚れていた。
俊介はコップのビールを飲み干すと、思い立ったかのように突然ムートンコートを羽織った。
それにしてもすごい雪だ。豪雪の苦労や大変さを知らない俊介にとっては、その光景は幻想的で美しいものとして映った。
幼い日、新潟とは比べ物にならないが東京にも雪が降った。東京の雪は積もることが少なく降っても直ぐに溶けることがほとんどであった。俊介は子供の頃に帰って雪遊びがしたくなった。
俊介は旅館に頼んで傘と長靴を借りて外に出てみた。
外は辺り一面が銀世界だった。
降る雪をてのひらを広げて受けてみたが、水分が少なくてさらさらしている。
ふと見上げると灰色の空の下に雪帽子を被った山並みが見えている。
あの山は何と言うのだろうか。
その時、やまかげに数ヵ月前に別れた恋人の顔がぼんやりと浮かんだ。
二人の間に亀裂が生じ絶えず衝突していた。
お互いに疲れ果てていた。
俊介は雪をてのひらですくいとり丸めてみた。
だけどさらさらの雪はうまく丸まらないでてのひらからこぼれ落ちていった。
まるで別れた女とのラストシーンのようだと俊介は思った。
かなり気温が下がってきたのか、足元がジンジンと冷えてきた。
都会の寒さとは比べものにならない。
俊介は旅館に戻ることにした。凍えた身体には温泉が一番だ。
俊介は2階にある自室から1階の廊下突き当たりにある大浴場へと向かった。
大浴場の扉を開けるとそこは情緒あふれる岩風呂になっていたが、湯気が立ち込めていて向こうが良く見えない。
俊介以外に人はいないようだ。
大浴場は爽快なものだが、自分以外誰もいないだだっぴろい風呂というものは、どこか不気味さ漂うものだ。
俊介は身体を洗っていると、いずこともなく水が跳ねるような音を耳にした。
それは湯口から湯が流れ出る音ではなく、水面をバシャッと手で引っかいたような音だった。
俊介は音のする方向に目を凝らしてみたが人の気配はなかった。
(気のせいだったか……)
部屋に戻り、夕食までのひとときをインターネットをして過ごそうと思ったが、圏外になってしまい接続ができなかった。
(そんなに山中でもないのになあ……)
ネットで情報収集をしようと思っていただけに俊介は些か落胆を隠し切れなかったが、直ぐに気を取り直し冷蔵庫からビールを1本取り出した。
ちょうどその時、玄関先から若い女の声がした。
「失礼します……」
「ん? はい、どうぞ」
襖を開けて入ってきたのは、和服姿のまだうら若い娘であった。
俊介は思わず息をのんだ。
娘は透き通るように色が白く長い黒髪をたたえた美少女で年齢は18、9歳くらいとか思われた。
若いが襖の開け閉めの作法も板についており、娘は静かに俊介の前で正座すると三つ指をついて丁寧にお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。私はこの旅館の娘で亜理紗と申します。ご挨拶にあがりました。この度は遥々東京からお越しいただきありがとうございます。こんな何もない田舎の温泉ではございますが、どうぞごゆっくりとお過ごしください」
亜理紗と名乗った娘はすらすらと流暢な挨拶をした後、深々と頭を下げた。
そのあまりの丁寧さに俊介は驚きを隠しきれず返答に困った。
「ああ、それはそれは、どうもご丁寧に。何かとお世話になると思いますが、よろしく頼みます」
俊介は取り合えずそのように言葉を返し、にっこりと微笑んだ。
亜理紗も笑顔を浮かべたが、その表情は冷たくてどこか翳りがあるように思われた。
美人というものは凛としたその表情のせいでとかく冷たく見えるものなので、俊介はそれほど気にはしなかった。
「亜理紗さんはいくつなの?」
「19歳になります」
「へぇ~、そうなんだ。学生さんかな?」
「はい、そうなんですが、病気を患ったためこちらに帰って養生してるんです。かなり良くなったので来月大学に戻るつもりなんです」
「大学はどこ?」
「東京のO女子大学です。車井原さんと同じ東京なんですよ」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2017/06/17 08:50
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広縁の椅子
旅館の和室には、必ずと言っていいほどありますね。
わたしも、子供のころの家族旅行で……。
この椅子に座って、窓の外に広がる山霧を眺めた記憶があります。
大人になってからは……。
冷蔵庫から出した高いビールを、この椅子で飲むのが贅沢な楽しみになりました。
この広縁、どういう経緯で旅館に普及するようになったのでしょう。
そう言えばこの話題、昔書いたよなと思い、コメントを探してみました。
『単独旅行記Ⅲ(106)https://mikikosroom.com/archives/12606382.html』で、わたしは↓のように書いてました。
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旅館でなぜ広縁が普及したのか、今、気づきました。
布団を敷かれると、居場所がなくなるからですね。
テーブルは、部屋の隅にどけられますから。
で、寝るまでの時間や、起きて布団が仕舞われるまでの時間、広縁のソファーで過ごすわけです。
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ネットを検索しても、この理由を書いてるサイトはないようです。
これって、わたしだけの新発見?
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2. ♪山男にゃHQ- 2017/06/17 11:34
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↑♪惚れるなよ~(誰も惚れやせんって)
白馬八方尾根
これは懐かしい。
わたしが初めて登った本格的な山がここでした。
と言っても夏山、雪は……まあ、かけら程度はありました。
白馬。
北アルプスの白馬岳ですが「はくば」か「しろうま」か、読みは意見の分かれるところです。
で、温泉、ビールに美女。
男の三大快楽(そんな三大、ないって)そろい踏みですね。
広縁由縁
ははあ、なんとなく覚えがあります。
で、単独Ⅲ(106)
ついこないだじゃん。
総集編で探すのは大変だし……で、アドレス(じゃねえな、なんてったっけ)をコピペしましたが、入れませんでした。間違ってねえ?
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3. Mikiko- 2017/06/17 12:32
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URLは……
間違っておりません。
検索で、「Mikiko's Room 単独旅行記Ⅲ(106)」と入れるとヒットすると思います。
ビールに必要なのは、かき揚げとテレビです。
今は田舎でも、BSが入れば退屈しませんよね。
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4. ♪abcdefgHQ- 2017/06/17 15:05
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↑♪hijklmno~
はいはいURL
この、アルファベット3文字って、覚えられんよ。
PTAとか、BCGとか、TNTとか、何の略かわかればまだしも……。
JPN、はおいといてUSA、これがわかるのはかえって腹立たしい。
あ、KKKもわかるぞ。
それはともかく「Mikiko's Room 単独旅行記Ⅲ(106)」で検索を掛けましたところ、ヒットしました。そらするわな、まんまやもん。
ヒットしたのはいいんですが、件の表記が見当たりません。なんでやのーん。
ビールの友
わたしはもう飲めないので友も不要。
映画(と言ってもテレビで放映するやつ)があればそれでいいです。
そういえば「金も要らなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」は誰のギャグだっけ。池乃めだか師匠?
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5. Mikiko- 2017/06/17 18:16
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表記が見つからないわけありません
広縁で、椅子が向かい合った画像も載せてます。
わたしは休肝日に、ノンアルビールを飲んでます。
けっこう、飲んだ気になれますよ。
その後、すぐに寝てしまうのがコツです。
毎日を休肝日にしたら、ほぼ寝たきりになりますね。
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6. 月月火水木金金HQ- 2017/06/17 20:38
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毎日が休肝日
新聞商売には禁句、禁忌、タブーです「毎日がきゅうかんび(休刊日)」
ノンアルビール
酒を飲むのは味わうためではありません、酔うためです。
「酔えない酒など、切ねえだけだろうよ」(談;渓斎英泉)
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7. Mikiko- 2017/06/18 07:41
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そういう飲み方を……
「酒に飲まれる」と云います。
ロシアのイルクーツクでは、昨年末……。
酒代わりに入浴剤を飲んで、住民が70人も死んだそうです。
入浴剤には、75~90%もアルコールが含まれてるのだとか。
住民が飲んだ入浴剤は偽物で、メチルアルコールが使われてたとのこと。
ま、真冬のイルクーツクでは、飲まずにいられないのでしょうが。
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8. ♪ひとり酒手酌酒HQ- 2017/06/18 10:15
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↑演歌を聞きながら~(吉幾三『酒よ』)
メチルアルコール
別名メタノール。
戦後すぐの闇市などで出回ったカストリ、カストリ焼酎は、酒粕を再利用した粗悪な酒ですが、これはまだ飲用のエチルアルコール(エタノール)を含んでいました。
しかし中には工業用のメタノールを薄めただけ、なんてのもあって呑めば「眼が潰れる」つまり失明すると云われたとか。
わたし、学生の時、実験室のエタノールを蒸留水で薄めて飲んだことがあります。味もしゃしゃりもありませんでしたが、酔うことは出来ました。