2017.6.13(火)
恭子(のりこ)の左手は腰の前、臍の真下あたりに袴の上から宛がわれた。そのまま、袴ごと股間全体を鷲掴む。
着衣の衿元に向かった右手は衿の合わせ目を通り過ぎ、幾重かに着重ねた単物の上から、左の胸乳に宛がわれた。
恭子の乳房は、この年頃の少女にしては豊かに膨らんでいる。その膨らみを掬い上げ、持ち上げるように恭子の右手は動いた。
(おお……)
恭子は心中、嘆息を漏らした。それは室内の兵部の、こちらは憚ることなく上げる声に同調した。
兵部の声は、笹津由の手指と口唇の戯れに応じて漏らす声である。
兵部と恭子。共に笹津由の乳を我が血肉とした乳姉弟は、二人してその乳母の愛撫に肉の悦びを高められていった。
(この、ような……)
我が身に、このような触れ方をしたことは、これまで無い恭子であった。よく知っていると言うも愚かな我が身。が、今の恭子には生まれて初めて触れる我が身と思われた。
(なんと……)
(心地……よき……)
恭子の右手がもどかしげに衿元を割った。指先が胸の肌を這う。手の甲は煩(うるさ)げに衿の生地を内側から押し上げる。恭子の衿元はしどけなく緩み、胸の肌は乳房の膨らみの麓のあたりまでが露わになった。
恭子の右手は、その乳房の膨らみに辿り着いた。先ほど、着衣の上から触れた乳房に直(じか)に触れた。
恭子の全身に、これまで感じたことのない甘美な感覚が生じた。
(これは……)
無論、己が乳房に触れたことは恭子には幾度もあった。だが、それは単に触れたに過ぎない。わが顔に、頭髪に、足に体躯に……そして乳房に。しかしそれは手と体とが単に触れ合った、それだけの事であった。己が体に全く触れずに日を過ごすなど、そもそもあり得ぬことである。
だが今は……。
(このような……)
その感覚を確かめようと、恭子は軽く乳房を握りしめた。
(なんと……)
感覚はさらに大きくなった。
恭子の右手は乳房を撫でた。手指がうごめき、乳房全体を這い回る。指先は、自然と乳首を掠めた。
乳首に生じた感覚はさらに大きく鮮明であった。その感覚は乳首から発し、体の一点を目指して恭子の全身を貫いた。
一点……恭子の今一方の手、左手が鷲掴んでいる体の中心。それまでの恭子にとっては、単に「ゆばりするところ」に過ぎなかった不浄の場所。
その不浄のところを、乳首に生じた感覚が貫いた。いや、それは単なる感覚ではもはや無かった。恭子は、それを表す言葉を持たなかったがそれは、快感、であった。
不浄のところ、いや、股間に生じた快感は鮮烈であった。恭子は、思わず股間に当てた左手を握りしめた。その感覚を明確に捉えようとしての事であったが、恭子の股間、女の中心は恭子の左手に鷲掴みにされた。その股間に新たに生じた感覚、いや快感は、乳首のそれに倍して激しいものであった。
「あふ」
我知らず、恭子は短い声を漏らした。
(知られてはならぬ)
室内の兵部と笹津由の存在を、恭子は強く意識した。
知られてはならぬ。決して知られてはならぬ。
室内の二人の振る舞いと、我が身の変化の意味はわからないながら、知られてはならぬ、ということは恭子にはわかった。
(これは……)
(これは、そういうことなのであろう)
秘め事、などという言葉を恭子は知らない。だが、兵部、笹津由、そして我。今われらが成していることは、そういうことなのだ。
誰もが承知の事であり、けれども公にはできぬこと。知ってはならぬ、知られてはならぬこと。しかし万人が承知している……であろうこと。
そのようなことを兵部と笹津由は今行い、そして他でもない、我と我が身が行っているのだ。
(知られてはならぬ)
恭子は、両の唇を固く引き結んだ。
それほど知られてならぬものであれば、二人をここに残しこのままこの場を立ち去ればよい。だが、それは今の恭子には出来ぬ事であった。
立ち去ることなど思いもよらぬ。
恭子の両足は廊下に根を下ろし、そして恭子の全身は凍り付いていた。
(気づかれてはならぬ)
その思い一つが、恭子をその場に凍り付かせていた。
だが、己が体をまさぐる両手は……左右の手の動きだけは止められなかった。恭子の右手は己が左の乳房を直に、左手は袴越しに股間をまさぐり続けた。
恭子の二本の右手指。拇指と示指の先が、左の乳首を摘み上げた。生じた快感は、これまでにまして鮮烈であった。
(おおおお)
恭子の唇は、さらに固く引き結ばれた。漏れ出る声は止められたが、声にならない激しい吐息が恭子の鼻孔から噴き出た。これは止めようがない。恭子は鼻孔と咽喉で喘いだ。激しく出入りする息は、恭子の快感をたっぷりと載せていた。
(なんと……)
(なんと、心地よき……)
恭子の快感を訴える心中の思いは、さらに手指を突き動かした。右手の指は直(じか)に乳首を掴み、擦り、弾き、捻り上げた。まるで憎いものであるかのように、恭子の右の手指は乳首を蹂躙した。
股間を掴んだ左手は袴越しである。恭子はもどかしかった。右手と同様、左の手指にも直(じか)の肌を弄わせたかった。だが、さすがに袴を脱ぐことは考えられなかった。恭子は左手の中の指に力を込めた。枝を掴む鳥の脚爪。そのように曲げた中の指を、恭子は己が股間の中心に喰い込ませた。
誰に聞かずとも、教わらずとも、そこがすべての快感の源泉であると、恭子は知っていた。それは肉に刻まれた知識であった。何を教わることがあろう。恭子の左手の中の指は、過たず恭子の女の中心を探り当てた。恭子は渾身の力を指先に込め、喰い込ませた。狙いは過たなかったが、それは厚い袴の生地越しであった。
隔靴掻痒。
その言葉も恭子は未だ知らなかったが、その思いは恭子を炙りたてた。
(はああああ)
恭子は泣いていた。
もどかしさに泣いていた。
苛立たしさに泣き喚いていた。
得られたようで得られてはいない快感。それを求めて恭子の心ははすすり泣いていた。
今が今、袴の奥の肌に直(じか)に触れることができるなら……。
できるのならば……どうするというのかは知らず、恭子は乳首を摘まむ右手の指にさらに力を込めた。憎む相手であるかのように、仇であるかのように捻り上げた。快感に痛みが加わった。
「ぐふ」
再び短い声が、恭子の両唇をこじ開けて漏れ出た。
乳首に生じた痛みとも快感ともつかぬ感覚は恭子の体内、胸から腹に雪崩(なだれ)落ち、股間を直撃した。恭子の左手は、その激越な快感を受け止めようと、さらに力を込めて股間を鷲掴んだ。
恭子は、声を上げずに泣きじゃくりながら目を凝らした。救いを求めるように、室内の兵部と笹津由の動きを追った。
二人の体勢はさほど変わっていなかった。兵部は敷き栲(しきたえ;敷布団)の上に仁王立ち。笹津由は膝立ちで兵部に向かい合う。二人ともに全裸であった。
笹津由は、両の手で兵部の腰を左右から掴んでいた。そしてその口のみで、兵部の男の茎を捉えていた。いや、咥え込んでいた。笹津由の頭部は前後に動く。時に激しく、時に緩やかに自在に動く。
その動きとともに、硬く勃(た)ち上がった兵部の男根は笹津由の口を出入りした。いや、完全に出ることは無かった。兵部の男根の先、肉の塊は常に笹津由の口内にあった。
笹津由の舌も、もはや口から零れることは無かった。笹津由の口内で、兵部の肉塊と笹津由の舌は確かに絡み合っているはずであるが、その様は見ては取れない。
笹津由の口を出入りするのは、兵部の男根の茎の部分のみ。激しく出入りする男の肉茎は、笹津由の口の液に塗れている。その液は、兵部の肉の茎から、ふぐりを収めた肉の袋から、そして笹津由の口元から漏れ、零れ、滴り、敷き栲(しきたえ)を濡らしていった。
「ごぶ」
笹津由の口元から、一際(ひときわ)大きな音が漏れた。笹津由の頭部の動きはさらに激しく、その口を出入りする兵部の肉茎も動きを増した。
「おおっ」
兵部が仰け反った。
「おおお、今っ」
笹津由の頭部の動きが止まった。
兵部の肉の茎は、その大部分を笹津由の口内に置き、これも動きを止めた。
暫時……兵部と笹津由は微動だにしなかった。
一転、兵部の腰が崩れ、敷き栲(しきたえ)の上に落ちる。その肉の茎は笹津由の口から抜け出た。
軽く開いた笹津由の両唇の間から、白濁した液が漏れ零れ、敷き栲(しきたえ)の上に滴り落ちて行った。
コメント一覧
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1. 検非違使ハーレクイン- 2017/06/13 11:26
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ありゃ、やっちゃった、かな
この恭子エッチ話は、なんとなく平安時代。特に藤原氏が栄華を極めた頃を考えております。
平安遷都はご存知「鳴くよウグイス平安京」の794年。で、1868年のご維新まで、1,075年の長きに渡ってこの国の首都でした。いわゆる千年の都京都です。
(んなこたぁ、お前なんぞに言われいでも先刻承知じゃ)
そうですわな。そのあたりは百も承知ですが、そこを何故ごじゃごじゃと書きますかと申しますと、ふと考えました次第で。
つまり今回、恭子の身悶える様を称して「隔靴掻痒」と書きました。で、今読み返しまして旗と、いや、はたと考えました次第で。
はて「靴」なんぞ当時あったのかなあ。
で、調べましたところこの言葉。大陸中国、と云いますか当時は『宋』の時代ですね。その頃の大陸から伝わった言葉のようです「隔靴掻痒」。当時の書物に『詩話総亀』(1123年成立)というのがありまして、この中に記載があるとか。
ということで、なんとかセーフだったようです「隔靴掻痒」。
さらに調べましたところ、くつ(靴・沓・履)には「衣冠・束帯用の物もある」。「庶民は藁沓」だそうで、普通に用いられた履物だったようです。
それはともかく覗き見恭子。
室内の兵部-笹津由のフェラチオ(当時、なんて云ったんだろうね、おフェラ)に煽られ、その意味するところはよく分からないまま、「肉の悦び」に目覚め始めたようです。
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2. Mikiko- 2017/06/13 19:47
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くつくつ
『万葉集』の東歌に、有名な一首があります。
●信濃道(しなのじ)は今の墾道(はりみち)刈株(かりばね)に足踏ましなむ沓(くつ)履けわが背
「信濃路は、開かれたばかりの道です。刈り株を踏み抜かないよう、沓を履いてください、あなた」という意味。
713年ころ(奈良時代初期)の歌だそうです。
平安時代。
思いのほか、長かったんですね。
794年(平安京遷都)~1185年(平家滅亡)。
391年間です。
関ヶ原の戦い(1600年)から昭和の終焉(1989年)まで(389年)に匹敵します。
ま、縄文時代(1万年)とは比べものになりませんが。
上皇には京都にお住みいただきたいという京都人も多いようです。
気候的に、ムリでないの。
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3. 裸足が好きっHQ- 2017/06/14 00:07
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↑わたし近頃、冬でも靴下を履かなくなりました
沓履けわが背
思い出しました(ホンマかあ)。
確か、高校の古文か日本史で習ったような……。
わたしの持ってる資料。
大したものではありません、その高校の時に使った古語辞典巻末の図版集です。
によりますと、武家・殿上人は多くが沓。庶民は裸足、よくて草鞋。姫さんはぞろりと長い着物で足元は見えません。まあ、姫君が外で歩くことなぞありませんか。
長い平安
わたしも意外でした。
清盛がブイブイいわしてた頃はまだ平安時代ということですか。で、平家滅亡が平安の終わり(屋島・壇の浦の戦い)。
ということは、鎌倉幕府が出来て鎌倉時代、つまり平安期の終焉、ということですね(いい国、じゃなくていい箱作ろう鎌倉幕府)。
京都住い
「夏暑く、冬寒い」は北半球ならどこもそうでしょうけど、京都は特にねえ。暮らしにくい町、が通り相場です。住んだことありませんが。
まあ、今は冷暖房完備ですし、まさか上皇がふらふらと町歩き、コンビニなんぞに立ち寄る、なんてありえませんわな。
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4. Mikiko- 2017/06/14 07:34
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筒井康隆の雑文で読んだと思うのですが……
「〽平清盛、蟹にちんちん挟まれて」という歌があったとか(うろ覚えです。違うかも知れません)。
上皇は、貴船あたりに住まわれたらいかが?
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5. 驕るちん子は……HQ- 2017/06/14 13:50
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清盛のちんこ
挟んだのはやはり平家蟹ですかね。
こういうのを同士討ち、謀反というのでしょうか。
貴船住まい
夏は涼しくていいんですが、冬はちんこも凍る寒さ。
やめた方がいいです。
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6. Mikiko- 2017/06/14 19:43
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たぶん、間違いでした
平清盛ではなく、西郷隆盛だった気がしてきました。
西郷隆盛であれば、当然“ちんちん”ではなく、“きんたま”ですよね。
蟹だけは合ってると思います。
夏は、那須の御用邸。
冬は、葉山の御用邸。
春と秋を京都、というのはどうでしょう。
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7. ♪春は~早うからHQ- 2017/06/14 21:42
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↑川辺の葦に~
カニが店出し床屋でござる
(『あわて床屋』ですが、北原白秋作詞・山田耕筰作曲)
隆盛のきんたま
挟むのは、ヤシガニでも無理なのでは。
季節の変わり目ごとに移動
お年寄りにはきついのでは。
昔は知らず今の京都はね、観光に行くところで、住むとこではありません。
街中は騒がしいだけ(寺社の境内なども)で風情も何も無し。
出外れれば(観光地以外は)静かですが、気候がねえ。夏はあくまで暑く、冬はちんこも凍る……あ、書きましたな。
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8. Mikiko- 2017/06/15 07:40
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西郷隆盛の歌
↓下総の田舎歌だそうです。
https://blogs.yahoo.co.jp/lawyerkago/30711528.html
柳田国男によると、西郷隆盛ではなく、西行法師なんだとか。
移動が辛い件。
それでは、豪華お召し列車を仕立てて……。
1年中、日本を巡ったらどうでしょう。
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9. しゅっぱあつHQ- 2017/06/15 08:17
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↑しんこう!
西郷は西行
ダジャレかよ。
↓こんなの思い出しました
〽月夜の晩に火事いって
水もってこ~い木べえさん
金たま落として土ろだらけ
日曜の朝には無くなった
西郷さんときますと↓これ。
〽一かけ二かけ三かけて
四かけて五かけて橋を架け
橋の欄干手を腰に
はるか向こうを眺むれば
十七八の姐さんが
片手に線香 華を持ち
もしもし姐さんどこ行くの
わたしは九州鹿児島の
西郷隆盛 娘です
明治三年三月三日
切腹なされた父上の
お墓参りに参ります
お墓の前で手を合わせ
ナンマンダブツと拝みます
拝んだ拍子に幽霊が
ふうわりふわりと インジャンホイ!
つまり↑これ、ジャンケン(関西ではインジャン)をするときの掛け声?なんですね。唄いながら「せっせっせ」みたいな動作をします。
まあ、ヒマなこっちゃ。
お召し列車
へっへっへ。
そうくると思ったよ。
自分が乗りたいんだろ。
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10. Mikiko- 2017/06/15 19:53
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西郷隆盛が死んだのは……
明治10年9月24日です。
その娘、「騙(かた)り」ですよ。
しかも切腹ではなく、部下の別府晋介に首を刎ねさせてます。
西郷の首は見つかりませんでしたが……。
政府軍は、残された身体から西郷の死を確認しています。
大いなる特徴があったからです。
言わずと知れた、“きんたま”です。
お召し列車の運行には、「三原則」があるそうです。
①他の列車と並んで走ってはならない。
②追い抜かれてはならない。
③立体交差では、上の線路をほかの列車が走ってはならない。
ダイヤ作成者は、脂汗を流して考えるんでしょうね。
しかも、ダイヤを作ればそれで終わりじゃありません。
お召し列車に添乗するそうです。
なぜなら、他の列車に事故などの不測の事態が起これば……。
いつ、上記の「三原則」が脅かされるかわからないからです。
もし「三原則」が破られたら、どうするんでしょうね?
切腹ですかね?
お召し列車では、ぜひ原宿駅の宮廷ホームを使ってほしいものです。
最後に使用されたのは、2001年5月だったとか。
ま、原宿からお召し列車が出たら、ほかのダイヤがむちゃくちゃになるんでしょうが。
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11. 一刀両断ハーレクイン- 2017/06/15 21:57
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明治10年9月24日
それでは歌になりません。
それに斬首より切腹の方がかっこいいではありませんか。
こういうのを「脚色」または「見てきたようなウソ」といいます。
お召し列車三原則
なんか……子供みたいですな。
他の列車の運行をすべて止めればよろしい。一件落着。
添乗者は無論、懐剣持参です。大相撲の行司さんと同じですね。「差し違え」た場合はその場で切腹。
原宿駅にそんなホームがあるのは知りませんでした。
地下鉄の明治神宮前駅には無いんですかね。条件③、上を自動車が走るのは違反じゃないんだろ。
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12. Mikiko- 2017/06/16 07:30
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列車三原則
目的はすべて、相手の車両から狙撃されることを防ぐためじゃないですかね。
立体交差でも、上からは狙いやすいけど、下からは狙えないでしょう。
道路を禁止したら、跨線橋のある路線は、まったく通れなくなります。
跨線橋は、お召し列車が通過する間、通行止めにすればいいのです。
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13. 狙撃三原則HQ- 2017/06/16 11:35
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↑(ん?)
狙撃阻止
言われてみれば、なるほろーですね。
>下からは狙えない
ゴルゴはこれをやりました。無論成功です。
よくは覚えていないんですが、JR東の千葉方面から東京に向かう路線、総武本線? 京葉線?
ここを走る車両に、車体の壁と天井の境目がサンルーフみたいになってるのがあるんですね。で、このサンルーフ越し、沿線の高層マンションの上層階、ベランダに立つ標的の額を見事に撃ち抜く……。
昨夜は夕方帰宅。
少し寝るか、で寝てしまいまして投稿できなかった分があります。何をいまさら、ですので1点、単独Ⅳ-7の分です。レス不要。
>西京区は「にしきょうく」
ですねえ。もちろん「さいきょうく」ではありません。
問題は京都市旧市街の3区。
上京区、中京区、下京区はすべて濁ります。「かみぎょうく」「なかぎょうく」「しもぎょうく」。
西京区は近年できた区ですから、濁らないのでは(理由になっとらんわ)。
右京区・左京区も濁りません。
よって件のごとし。
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14. Mikiko- 2017/06/16 19:39
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夕べは……
お亡くなりになったのかと思いました。
命があって重畳です。
西京区。
西京味噌の語源となった地域とは違うんでしょうね。
同じなら、“さいきょうく”にするはずですから。
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15. 味噌も糞も一緒HQ- 2017/06/17 00:34
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>お亡くなりに……
いつかそんな日が来るでしょう。
断りもなくコメが入らなくなれば、そうお考えください。
西京味噌
メーカーの名称、つまり固有名詞だそうです。
ところが、本社所在地は京都市上京区。
なんでこんな名称にしたんですかね。“上京”味噌ならわかりやすいのに(大きなお世話;㈱西京味噌)。
創業はなんと、天保元年(1830年)だそうです。
調べました。と言っても㈱西京味噌さんのHPを覗いただけ。
明治のご維新で、江戸が東京に変わった。つまり「東の京」ですね。
で、これと区別するため(張り合うため)、いっとき京都を「西の京」と称した。この名残だそうです。
しかし、創業は天保年間だろ。ようわからん。
西京味噌は、京都名物?の白味噌。
甘口です。
うちではあまり使いません。たいがい残してしまうんでもったいない。近頃はさっぱりです。
味噌は目黒に限る(ん?)。
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16. 手羽崎 鶏造- 2017/06/17 05:37
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JR原宿駅の皇室専用プラットホームは、今も
見ることが出来ます。
JR山の手線、渋谷から新宿・池袋方面行き
(つまり外回り)に乗って、進行方向右側に
陣取ります。原宿駅を出発したら右側(内側)
を凝視していると程なく、小さな白いホームが
見えてきます。復活して欲しいのですが、引込み線が短いこと、接続する線路の運行本数がおびただしいことが、障害になりそうです。
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17. Mikiko- 2017/06/17 08:03
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ハーレクインさん&手羽崎鶏造さん
> ハーレクインさん
西京味噌の創業場所は、室町通と一条通の交差点。
御所の真ん前ですね。
味噌を、御所に納めてましたが……。
明治になると、天皇が東京に移ってしまいました。
でも、麹菌は蔵に付いてるので、天皇について東京に行くわけにはいかなかったのでしょう。
で、商いを一般市民ににも広めるようになったとか。
“西京”は、“東京”の対語じゃないですかね。
> 手羽崎鶏造さん
山手線が、埼京線の延伸や湘南新宿ラインの運行開始などに伴って過密ダイヤとなり……。
お召し列車を原宿から出すのは難しくなってるようです。
陛下も、ほかの列車を止めてまでの運行は望まれないとか。
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18. 北京南京ハーレクイン- 2017/06/17 11:13
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皇室御用達
ふむ。
西京味噌はともかく、こう銘打った商家を時折見かけますが、あれほんとなんですかね。
みんながみんな、とも思えないんですが、こういうのを詐称するとやはり罪になるんでしょうか。不敬罪、とか。
>“西京”は、“東京”の対語
読んどらんな。
わたし、前コメに書いておりますぞ。