2017.4.21(金)
客「現在、フェリー会社を募集してるようです」
み「採算が合わないから、就航してないんでしょ」
客「そうでしょうな」
み「そんなら、運航再開は無理ではないか。
潔く、国道の看板を返上すべし」
↑大政奉還の場面とのこと(高知県香南市『龍馬歴史館』)。こんな、こじんまりしたところでやったわけ?
客「そんな殺生な。
国道になってるからこそ、国のお金で道路の維持管理が出来るんです。
県道や町道になったら、そんなお金、出なくなりますよ」
↑広島県の県道です。
み「それが、これからの日本の定めです。
2065年には、日本の人口は、今より30%も減るそうではないか」
↑こんな時代が来るなんて、高度成長期には想像もしなかったでしょうね。
客「8800万人になるらしいですな。
ま、わたしは生きてませんけど」
み「わたしは、生きてる可能性がある」
↑生きてたとしたら、おそらくこんな有様。
み「わたしの年金は、ちゃんと払われるんだろうな」
客「微妙ですね」
み「人ごとだと思って。
団塊の世代くらいが、一番幸せな一生なんじゃないかね。
55歳で定年退職して、年金もすぐもらえて」
客「すみません」
み「こうして、好きな旅行もできるわけだな。
わたしが働いて払ってる税金で」
↑働けど働けど……。
客「なんで、こんな話になるんですか」
み「あーたが不景気なことを言うからでしょ」
客「海上国道に話を戻します。
最後のひとつは、国道338号」
み「海上区間は?」
客「279号と一緒です。
青森県大間町から函館市ですね」
み「津軽海峡を渡るフェリーは、なくなったんでないの?
青函トンネルが出来て」
↑青函トンネルと云えば、この曲です!
み「採算が合わないから、就航してないんでしょ」
客「そうでしょうな」
み「そんなら、運航再開は無理ではないか。
潔く、国道の看板を返上すべし」
↑大政奉還の場面とのこと(高知県香南市『龍馬歴史館』)。こんな、こじんまりしたところでやったわけ?
客「そんな殺生な。
国道になってるからこそ、国のお金で道路の維持管理が出来るんです。
県道や町道になったら、そんなお金、出なくなりますよ」
↑広島県の県道です。
み「それが、これからの日本の定めです。
2065年には、日本の人口は、今より30%も減るそうではないか」
↑こんな時代が来るなんて、高度成長期には想像もしなかったでしょうね。
客「8800万人になるらしいですな。
ま、わたしは生きてませんけど」
み「わたしは、生きてる可能性がある」
↑生きてたとしたら、おそらくこんな有様。
み「わたしの年金は、ちゃんと払われるんだろうな」
客「微妙ですね」
み「人ごとだと思って。
団塊の世代くらいが、一番幸せな一生なんじゃないかね。
55歳で定年退職して、年金もすぐもらえて」
客「すみません」
み「こうして、好きな旅行もできるわけだな。
わたしが働いて払ってる税金で」
↑働けど働けど……。
客「なんで、こんな話になるんですか」
み「あーたが不景気なことを言うからでしょ」
客「海上国道に話を戻します。
最後のひとつは、国道338号」
み「海上区間は?」
客「279号と一緒です。
青森県大間町から函館市ですね」
み「津軽海峡を渡るフェリーは、なくなったんでないの?
青函トンネルが出来て」
↑青函トンネルと云えば、この曲です!
コメント一覧
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1. 国道171号HQ- 2017/04/21 14:27
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↑うちの近くを通る国道 通称「いないち」
大政奉還
あれあ京の二条城だろ。なんで土佐が……で調査開始(Wikiを覗いただけ)。
土佐藩は、あくまで武力による討幕“一本それまで”を狙ってたんだけど、龍馬の建白、特に例の船中八策を時の土佐藩主山内容堂が受け入れて大政奉還路線に鞍替えした……。
で、土佐藩、特に龍馬は大政奉還に深く関わりあり、てなことだそうです。
ということは画像、上座に座ってんのは容堂公では。
広島の県道
うちの近くの府道はもう少し……(すぐに張り合う)。
>客「ま、わたしは生きてませんけど」
わたしも生きてませんけど。
城山三郎『毎日が日曜日』
お、わたしの愛読書。
というわけではなく、タイトルが気に入っただけ。確か新聞連載小説じゃなかったかなあ。
国道338号
なんか、わざわざ遠回りしてる、という感じなんですけど。
出ました(いつも出てるけど)名曲『カムイの風』
♪深さ2百4十メーター竜飛の海底(うなぞこ)に……
しかし津軽海峡ネタ、これをやりたかったからじゃないのか。
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2. Mikiko- 2017/04/21 18:33
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国道引っ張り合い
地方としては、せっかくの国道に、一直線に突っ切られたらウマ味が少ない。
出来るだけ、紆余曲折していただきたいわけです。
なにしろ、建設費も維持費も、国の金なんですから。
わたしとしては、土佐の山内容堂より……。
会津の松平容保。
なにしろ、イケメンです。
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3. 保科正之ハーレクイン- 2017/04/21 21:34
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↑会津藩の開祖
徳川第2代秀忠の庶子
むろん、わたしは(たぶん)血縁無し
馬見たっぷり 寄り道国道
いや、旨味ですな、ウマ味。
その主体はグルタミン酸とイノシン酸(何を言っておる)。
松平容保
会津の最後の殿さんですな。
権現様の直系じゃないけど、仮にも松平。徳川家臣の山内さんとは全然格が違います。
まあ、イケメンに異論はありません。
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4. Mikiko- 2017/04/22 08:06
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容保(かたもり)公
江戸四谷で、高須藩(岐阜県)藩主の六男として生まれます。
9歳の時、実の叔父にあたる会津藩8代藩主、容敬(かたたか)の養子となります。
このとき迎えられたのが、和田倉門内にあった会津松平家上屋敷。
少年のあまりの美貌に、家中が大騒ぎになったとか。
会津に赴いたのは、14歳のおり。
翌年、藩主の容敬の死去に伴い、会津藩第9代藩主となります。
後に、会津戦争で負け、囚われの身となりますが……。
処刑されることはなく、明治26年まで生きてます。
享年57。
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5. ♪そんなの嫌よHQ- 2017/04/22 11:27
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↑♪ラストまで(『東京ナイトクラブ』)
朝敵会津
ってことにされちゃいましたが、これは藩祖保科正之のせいもあります。正之の遺訓『会津家訓十五か条』ってのがありまして、その↓第一条。
「大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず」
『忠勤』は、無論徳川家に対してですから、平たく言えば、何がどうなっても必ず徳川家を守れ、ってことでしょう。
で、これを忠実に守った容保公と幕末の会津藩。朝敵の汚名を着せられて、薩長にぼこぼこにやられたわけです。
勝てば官軍、を地で行った薩長ですが、これはまあ徳川300年に対する恨み骨髄の成さしむるところ、でしょうか。
そういえば、ラストエンペラー(は、おかしいか。ラストサムライ大将?)徳川慶喜も天寿を全うしましたな。この人、なんと大正2年まで生き延びました。
こちらも結構イケメン。
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6. Mikiko- 2017/04/22 12:40
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会津
ご老人が、「先の戦争」と云うときは……。
会津戦争のことだそうです。
薩長に対する感情は、まだ残ってるみたいですね。
新潟の長岡でも、そうのようです。
徳川慶喜。
15人の将軍のうち、もっとも長生きしました。
皮肉なものです。
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7. 幼少期の継之助HQ- 2017/04/22 16:41
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↑ヘンタイだったそうです
「先の戦争」
会津人にとってはそれだけの体験だったということなんでしょうか。「明日が見えない」といいますかねえ。
幕末、佐幕派にとっては会津は反攻の拠点、中心だったんでしょう。
日向子姐さんの傑作『合葬』のラストシーン。事破れた彰義隊の若者が、会津を目指し落ちて行きます。それに重なる↓作者の独白。
「かくて江戸は過ぎ 遠のいて行く」
長岡ときますと……
河井継之助ですからねえ。
ま、この人はブサイクです。