2017.4.4(火)
天を目指し、高く突き上がった斎王恭子(のりこ)の右の乳首。
恭子は左手で乳房を下から支えたまま、上から押さえつけていた右手を、乳房から軽く離した。
自由になった恭子の右の五指。そのうちの二本、第一指と第三指。拇指と中指(ちゅうし)とが、固く凝(しこ)った右の乳首を挟み込んだ。二本の指は力強く乳首を捻り上げた。
「くっ……」
固く引き結んでいた恭子の両の唇をこじ開け、それまで堪えていた声が漏れた。
少し浮いていた恭子の第二指、示指が乳首の頂点に着地する。恭子の示指は、突き上がる乳首を上から押し潰した。拇指と中指は乳首を捻り上げ、示指は押し潰す。恭子の三本の指は、まるで仇であるかのように乳首に噛み付いた。
が、やはりそれは愛撫であった。自虐であり自愛。指と乳首の相剋は、その内心を吐露する恭子の孤独な独り舞台、独演とも見えた。
「いいっ」
さらに声が漏れる。ひとたび開いた両の唇は、もはや結ぶことは叶わない。
恭子(のりこ)は、上下の歯を渾身の力で噛み締めた。
白い前歯が、夜の闇に浮かび上がった。
(兵部〔ひょうぶ〕、さま……)
恭子は心中、再び呟いた。いや、それは呼び掛けだった。恭子の脳裏に懐かしい想い人の顔が、姿が、姿態が鮮やかに映し出された。
(お会い……したし)
(今、一度〔ひとたび〕)
(未練と、笑わば笑え)
(せめて、一目……)
乱れる思いに苛まれ、煩悩の火に全身を焼かれる斎王恭子(のりこ)であった。
(暑や……)
(いや、熱や)
(燃ゆる……)
(この、身が……)
(おおっ)
恭子(のりこ)は、夜具の上掛けを撥ね除けた。
露(あらわ)になる上半身。その衿元は大きく寛げられ、先ほど剥き出しになった皓歯よりもさらに白い雪の肌が、夜闇に抗って輝きを放った。
双の乳房は……。
恭子は今、仰臥している。通常この姿勢では、胸の双丘は地に引かれ、なだらかな丘になってしまう。だが恭子の半球はその高さをいささかも変えることなく、ほぼ完全な半球形を保っていた。誇らしく盛り上がる純白の乳房。その頂点には薄桃色の乳首が、天を指して屹立していた。
いや、その色は、闇に沈んで見て取れなかった。が、何者かを糾弾するような乳首の様相は、恭子の心身の昂ぶりを如実に表していた。
恭子は右手を右の乳房に置いたまま、左手を乳房から離した。その手は、身に纏う単衣の夜着の上から胸を、腹を、擦りながら移動する。
恭子の単衣の夜着は絹糸で織られた絹織物。大陸からの渡来品で、しなやかで強靭、美しい光沢と滑らかな手触りが珍重される織物であった。
だが今の恭子に、その光沢や手触りを楽しむ余裕は無論、無い。その左手はひたすら自身の下半身を目指し、胸高(むなだか)に締めた細帯を、越えた。
恭子は遅滞なく、左右の前身頃の隙間に左手を滑り込ませた。同時に両の脚を軽く開く。
夜着の裾が割れ、恭子の足首から脛、膝、内腿の付け根近くまでが露わになった。
恭子は胸元と乳房、それに両脚の内側まで剥き出しにし、右の乳房を右手で鷲掴む。さらに股間深くに左の手指を差し込む恭子のその姿態は、しどけなかった。限りなく淫らであった。
だが、恭子の気品はいささかも失われていなかった。気高さと淫らさを、何の無理もなく併せ持つ恭子であった。
恭子(のりこ)の右手の指は、再び右の乳首を摘み上げる。
両の内腿の間(あわい)に差し込まれた左手は、豊かな下腹部の陰毛を掻き分け、恭子の女の部分にたどり着いた。中指(ちゅうし)、第三指が直(す)ぐに伸び、その指先が過つことなく女の感覚の源泉、核(さね)を探り当てた。だが、中指の先は核(さね)を素通りする。
恭子は、自らの中心に伸べた左手を、さらに奥へ送った。斎王にして女。恭子の女の体の最も奥まるところに、その左手の指先は辿り着いた。そこは煮え滾(たぎ)る熱泉であった。滾る女の体液が湧き出る情欲の坩堝(るつぼ)であった。恭子の女の部分は、時に激しく、時に緩やかに、指先の刺激に応じて、あたかも間欠泉のように女の体液を絞り出していた。
恭子は、自らが絞り出した女の証に、差し伸べた左の中指を浸した。とろりとした女の液は、恭子の中指にたっぷりと纏(まと)わり付いた。
恭子は中指を引く。
濡れ濡れと女の証を纏った指は今来た道を戻り、先ほど通り過ぎた核(さね)に戻る。
恭子は、自らの体液に塗(まみ)れた指で、いきなり核(さね)を押し潰した。
「ぐあっ」
恭子(のりこ)の口から、先ほどの、引き絞るように抑えた声とは比べ物にならない大きな声が漏れた。それは、半ば悲鳴であった。
「ぐううううううううううううっ」
恭子は、さらに容赦なく核(さね)を擂り潰した。それは愛撫というより、虐待であった。恭子は、仇であるかのように自らの核(さね)を嬲った。
「あひいいいいいいいいいいいい」
恭子の口から、高く低く、歓喜の歔欷が零(こぼ)れ続けた。
恭子(のりこ)は俯せに夜具に横たわっていた。その顔は、夜具の下敷きに半ば埋めている。枕は何処に行ったのか見当たらなかった。狂乱のひと時が過ぎ、身の火照りが些(いささか)収まってくると、恭子には、白々とした現実が戻ってきた。
(明日は……)
(伊勢への旅立ち)
(明日からは……)
(いや、もう今日の事か)
恭子は寝返りを打った。
側臥になる。
未だ火照りの収まりきらぬ恭子の股間が、ふと微かな涼風を感じた。
その感覚に我に帰った恭子は、風の吹き来る向きを見遣った。入口の板戸が、一尺ほどの幅に開いていた。
今、恭子が横たわる室内はすべての灯りを落としてある。その室内と、開いた板戸から垣間見える戸外とは、ほとんど同じ仄暗さであった。しかし恭子は、その、わずかに開いた板戸の隙間に、人の座す影を見て取った。
恭子はゆっくり身を起こした。悠然と、着乱れた夜着を直す。人影に視線を送る。
斎王恭子(のりこ)は小さく静かに、しかし威厳を込めて誰何(すいか)した。その声には、狼狽(うろたえ)た色合いも、いささかの怯えもなかった。
「誰(た)そ〔誰だ〕」
遅滞なく、影が答えた。
「兵部にござります、ひめみこ(皇女)さま」
恭子は、一瞬の間を置いて応じた。
「兵部の、卿、どの……」
北の兵部卿宮(ひょうぶのきょうのみや)。
つい今しがた、自らの身に指を這わせながらその姿態に思いを馳せた、恭子の想い人。
(なぜここに、兵部さまが……)
恭子は、居住まいを正し、正座に座り直す。内心の想いをそのまま口にした。
「なぜ、ここに……」
「は」
「しかも、かような夜更けに」
「申し訳ございませぬ」
「ここが何処か、無論ご存知であろうな」
「承知」
「言うまでもなく、ここは斎王潔斎の場。いわば斎王が結界の内、神の領域じゃ。許しなく余人の立ち入るは、神に背く所業。このこと公になれば、そなた徒(ただ)では済みませぬぞ」
「百も承知。覚悟の上にて」
「私(わたくし)とてどうなるか……」
恭子(のりこ)は人影から、恋い焦がれた兵部卿宮から、首を軽く水平に回すことで視線を逸らせた。その動きにより、恭子の髪が少し顔に掛かる。恭子は髪をかき上げた。自らは意識しない動きであった。
根元で一つ結んだのみ。結い上げず、垂らしたままの恭子の髪の長さは優に腰を過ぎ、恭子の座す夜具に軽く蜷局(とぐろ)を巻いていた。
恭子は言葉を継いだ。
「ここに、どのように入られた」
「は」
「外には警護の衛士たちが大勢詰めておろうに」
「は」
「篝火なども焚いておろうに」
「は……ひめみこ(皇女)様が乳母(めのと)、笹津由(ささつゆ)殿の手引きにて」
「笹津由と昵懇か」
「は、以前より」
斎王恭子の眉が軽く吊り上がった。
「あの者、そのようなこと一言も……」
「私(わたくし)が言葉巧みに取り入りましたことにて……お叱りになられませぬよう」
コメント一覧
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1. とざい東西HQ- 2017/04/04 09:49
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アイリス嵯峨野編野宮神社の場(長いぞ、読みづらいし)
変態斎王恭子(のりこ)のエッチシーン、本格的に始まりました。まずはオナニー。次いで恭子年来の想い人兵部、北の兵部卿宮(きたのひょうぶのきょうのみや)の登場です。もちろん、この男の名前と云いますか官職名と云いますか、はテキトーにでっち上げたものです。
で、斎王恭子(のりこ)。なにやらエラソげ(偉そう)です。威張っております。「われは皇女。内親王にして斎王。木っ端役人(そうでもないんだけど)風情、頭が高いわ」てな態度です。
オナニー中にも恋い焦がれるほどの想い人に対して、えらくよそよそしいわけですが、これはもちろん、オナニーシーンを覗かれたであろう恥じらいと、軽々しく縋りついたりはできないという皇女としての矜持でしょうか。
苦労しましたのはやはり、平安朝の風俗なぞ何も知らないわたくし。ただエッチシーンを書くだけならともかく、細部を書き込んで話にリアリティを持たせるには(おうおう、えらそうに)このあたりの表現は欠かせないわけですが……。
服装は単衣一枚。で、すぐに脱がせればいいわけで、十二単などは無論パス。男なんぞ書き込むつもりは沙羅沙羅無し。
問題は会話と独白なんですが、むろん平安朝の王侯貴族の言葉遣いなんぞ知らんわーい。
それらしく聞こえますよう、なんとかでっち上げましたが……(源氏物語、読んどきゃよかったなあ)。
次回、斎王恭子(のりこ)、からみシーンに突入です。
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2. 手羽崎 鶏造- 2017/04/04 10:25
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愉しく読ませていただいております。
私の想像ですが、一般的に、単衣・夜具の下も
腰巻きだけは着けておったのではないでしょうか。
斎王の場合、神事に突入していたから腰巻無し、
今で言うノーパン状態というのも想定は出来ますけどね。
明治25年生まれであった私の祖母は、生涯
パンティは穿かずに、腰巻であったように
覚えています(紐で結ぶヤツ)。
きっと汚してもそれだけは毎日というか
取り替えておったのでしょう。
「勝負」腰巻きってあったのかな。
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3. Mikiko- 2017/04/04 19:53
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源氏物語
高校の古文で読まされました。
とにかく源氏が、「よよと泣きたまふ」とか女々しいので腹立たしかったです。
清少納言は、まさしく「賢しら」で、これも嫌いでした。
古文で面白かったのは、『徒然草』の「仁和寺の法師」の話です。
京都の修学旅行では、自由行動の日に、わざわざ仁和寺を見に行きました。
「これが、アホの法師を多数輩出した仁和寺か」と、感慨深かったです。
女性の下履きの件。
白木屋百貨店の火災(昭和7年)で、悲惨な事故が起きました。
死者14名の内、女性は8名で、全員が転落死。
ロープを伝って降りる際……。
着物の裾が捲れるのを抑えようとして、片手を離してしまい、転落したとか。
着物の下に、下履きを履いてなかったからです。
以来、日本の女性たちは、ズロースを穿き始めたと云われます。
↓でもどうやら、転落した要因は違うみたいですね。
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/061shirokiya.htm
生きるか死ぬかの瀬戸際になったら、裾の乱れなんか気にしていられませんわな。
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4. ♪春は二重にHQ- 2017/04/05 03:08
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↑♪巻いた帯、三重に巻いても余る秋……
>手羽崎 鶏造さん ご愛読いただき、誠にありがとうございます。
書く方も楽しく書かせていただいておりますが、まさか平安朝が舞台の話を書こうとは夢にも思っていませんでした。
で、腰巻きですか。
とりあえず「勝負腰巻き」。おもろい、座布団一枚。
どうなんでしょうね。江戸期では間違いなく着けていたでしょうけど、なんせ江戸を遡ること更に数百年の昔ですからねえ。映像も画像もあるわけ無し。頼るは絵のみ、です。
それも、下着や夜着など見たこともありません。
で、今これを書きながら、あれ、ひょっとして、で高校のとき使っていた古語辞典の参考資料を見てみましたら、載っていました風俗・装束。ただし、残念ながら下着姿はほとんど無し。辛うじて、そこらのおっさんのふんどし姿がありましたが、これでは何の参考にもなりません。残念。
ところで、よく『蹴出し』って聞きますよね。わたしこれを腰巻きの別称だと思っていたんですが、調べてみますとさにあらず。いわば「腰巻きの上重ね」だそうです。
よく、和装の女性が裾を軽く捲るシーンがあります。で「赤い蹴出し」を覗かせるわけですが、あれは別に下着を見せているわけではないので構わない。“猥褻物陳列罪”には当たらないそうです。へええ、ですね。
♪髪のみだれに手をやれば 赤いけだしが風に舞う……
美空ひばり姐さん↑『みだれ髪』ですが、凄絶な色っぽさですね。
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5. ♪源氏の白旗HQ- 2017/04/05 03:14
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↑♪あぐる日いつぞ(それは『牛若丸』)
>Mikikoさん
源氏
↓これだけ覚えています。
いづれの御時にか。女御、更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやんごとなき際にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり。
(出だしだけやんけ)
少納言は……
その「賢しらさ」がええんやないですか。小面憎さ、かな。覚えているのは無論、やはり出だしだけ。
春はあけぼの……(それだけかい!)
仁和寺
最寄駅は『嵐電(嵐山電車)北野線』(あやめと久美が乗ったやつ;と必ず番宣)の『御室仁和寺おむろにんなじ駅』を北側へ下りてすぐ、という便利な場所にあります。いわば、まだまだ町中、ですね。わたしは行ったことありません。
桜が有名だそうですが、今年はどうかな、咲いたかな。全国的に、平年より1週間ほど遅れているそうです、桜。
こちらはほぼ全壊、じゃなくて満開。春や春……ですがまだまだ寒いぞ、と。
実録白木屋事件
なるほどねえ。ですが「ズロースが原因」の方が夢があるなあ、なんていうと怒られますわな。
で、知らなかったんですが、白木屋はなんと寛文2年(1662年)の創業だそうで、江戸が始まったころやんけ、です。
で、その後江戸・明治・大正と営々と商売繁盛で笹もってこい。例の関東大震災(大正12年)で全焼するも建て直し、昭和7年に火災を引き起こすわけですね。
昭和7年ですから、女性の服装は多くがまだまだ和装だったでしょう。で、腰巻一件になるわけですね。
白木屋はその後、東急百貨店と改称し(へええ、ですが、東京の方には常識なのかな)営業を続けるも、平成11年(1999年)業績不振により閉店。延べ338年の歴史を閉じたそうです。
♪火事も地震も踏み越えて……きたデパートの閉店。これも時の成さしむるところ、でしょうか。
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6. Mikiko- 2017/04/05 07:37
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三重に巻いても余る秋
秋のウェストを、仮に55㎝とします。
これが三重ですから、帯の長さは、55㎝×3=165㎝(結び目は除く)。
“余る”ので、170㎝としましよう。
春は、これが二重だったわけです。
つまり、170㎝÷2で、ウェストは85㎝あったことになります。
これじゃ、癌ですよ。
「白木屋はその後、東急百貨店と改称し」。
そこはちょっと違います。
白木屋が東急百貨店に買収され、『東急百貨店日本橋店』となったのです。
この日本橋店が閉店したわけです。
東急百貨店自体は、今でもたくさん店舗があります。
本店は渋谷です。
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7. 阪急阪神大丸HQ- 2017/04/05 11:05
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↑JR大阪駅前の3大デパート
詩や歌詞に……
リアリティを持ち込んではいけません。
白木屋≒東急百貨店
ふうん。
まあ、東京の百貨店事情は何も知りません。
そういえば「渋谷の東急」は、よく聞きますね。
で、白木屋を蒸し返しますが、江戸ものの小説で結構登場します『白木屋』。「そこらの小商いの店が仰ぎ見る超大店」という扱いですね。ただ、お家騒動とか、直接の舞台にはならないようです。
白木屋を買収した東急日本橋店が閉店ということは、白木屋はもはやこの世のどこにもに存在しない。伝説の一つになったということでしょうか。
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8. Mikiko- 2017/04/05 19:45
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新潟市の百貨店
古町という中心地にはかつて……。
大和デパートと小林デパートがありました。
小林デパートは、後に三越が買収し、新潟三越となりました。
大和デパートは金沢が本店ですが、近年閉店し、今、建物の解体が始まってます。
中心地には、新潟三越だけが残ったわけですが……。
店内の閑散ぶりは、薄ら寒くなるほどです。
明らかに、客より店員の方が多いです。
信濃川を渡った対岸には、新潟伊勢丹があります。
こちらは、少しはマシなんでしょうかね。
ダイエーもイトーヨーカドーも、早々と撤退しました。
なんで、デパートだけ残りますかね。
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9. 『紫禁城の黄昏』HQ- 2017/04/05 21:08
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↑こんなのあります
デパートじゃないけど
デパートの落日
末期の恐竜みたいなんじゃないですかね。
デカいだけに小回りが利かない。
終焉が近いのに気づかない。
気づいていてもどうしていいかわからない。
加えて、歴史と伝統と過去の栄光からくるプライドが邪魔をする……。
わたしは長いことデパートには行っていません。こちらの市には西武と松坂屋があるんですがね。
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10. Mikiko- 2017/04/06 07:21
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西武と松坂屋
西武の本店は、東京池袋。
松坂屋は、名古屋。
大阪には、阪神、阪急、近鉄もあるのに、なんでですかね?
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11. 松坂大輔は西武HQ- 2017/04/06 08:25
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↑現在ソフトバンクホークス
なんせうっとこは人口35万
本格的に出店しても引き合わないでしょう。
西武だ松坂屋だといっても、店舗自体は大型スーパーみたいなものです。
来るなら阪急でしょうが、まあ、ありえないでしょうね。
そういえば、京都には大丸がありますが、こちらはなかなかのものです。