2017.3.21(火)
話をひと段落させた秀男は、道代にも志摩子にも目を遣ることなく軽く仰向いた。その眼には、暮れ泥(なず)む京の冬空が映っているはずであったが、何か秀男にしか見えないものを見るともなく見ている、そのようにも見える秀男の姿勢だった。
道代も志摩子も口を噤(つぐ)んだ。二人の手は変わらず握り合っている。道代は右の、志摩子は左の……。掌(てのひら)どうしを重ね合う、そんな、幼い子供のような二人の手の繋がりは、秀男の沈黙の時間の中でその色合いを変えていった。
ぴたりと合わさっていた二つの手が軽く開く。合わさっていた指は……それぞれ五本、合わせて十本の指は隣り合う指を離れる。二つの掌と十本の指は大きく開いた。開いた二つの掌は生じた隙間を恐れるように、すぐに再び合わさる。そのとき、開いた指と指との間には、異なる手に属する指がそれぞれ一本ずつ挟まり合った。道代と志摩子の、それぞれ五本の指どうしは、互い違いに重なり合い、少しの隙間も作ってなるか、としっかり絡み合った。
道代の右手の五本の指先は志摩子の左手の甲に、志摩子のそれは道代の手の甲に軽く当たり、浮き、擦り、掻き……。道代と志摩子は指先で会話を交わし始めた。
(道)
(姐さん)
(道ぃ)
(姐……さん)
(こないして触り合うん)
(へえ、姐さん)
(久しぶりやねえ)
(へえ、姐さん)
(あの、貴船ん時以来やねえ)
(そないですなあ、姐さん)
(あん時ゃ、死ぬか生きるかやったけんど)
(へえ)
(楽しかったねえ)
(楽しおしたなあ)
(気持ちよかったねえ)
(気持ちよ、おしたなあ)
(あないに興奮したこと)
(へえ、姐さん)
(初めてやったねえ)
(うちも、むちゃくちゃ興奮しました)
(あん時あんた)
(へえ)
(うちのおしっこ)
(へえ)
(飲んでくれたわなあ)
(へえ、姐さん)
(すまんかったなあ、道)
(なにおいやすな〔何を仰る〕姐さん)
(道ぃ)
(姐さん、うち)
(なんえ、道)
(うち、姐さんのおしっこもろて〔いただいて〕)
(道ぃ)
(ほんま、嬉しかったんどす)
(嬉しいてかいな、道)
(へえ、ほれに……)
(なんえ、道)
(美味しかったんどす、姐さんのおしっこ)
(道……)
(ほんまどすえ、姐さん)
(道)
(へえ、姐さん)
(そんなん言われたら、うち)
(へえ、姐さん)
(なんや、おかしなってまいそうやわ)
志摩子は、繋いだ左手を軽く引いた。
引かれた道代は、あっけなく志摩子に凭(もた)れ掛かった。道代の右肩と志摩子の左肩。二人の肩どうしが触れ合った。いや、互いに上体の重みを相手に掛け合った。
触れ合う二つの肩は、密着したまま軽く、不規則に左右に揺れる。揺れるたびに、互いの肩にかかる重みの配分も変化する。
道代がより多く重みを志摩子に掛ける。
志摩子がより多く重みを道代にかける……。指先と共に、二人の肩も会話を交わしていた。
(姐さん……)
(道、うち……)
(姐さん)
(なんや、あこが……あこが熱うなってもて)
(あこて、姐さん)
(あこはあこや、おめこやがな)
(ねえさんのおめこ……)
(熱うなって、ほんで濡れてきて……)
(姐さん)
(道ぃ)
(姐さんうち)
(なんえ、道)
(うちまた、姐さんのおめこ、舐めとおす)
(舐めておくれかいな、道)
(へえ、舐めさしとくれやす)
志摩子は五指を大きく開いた。絡み合っていた道代の手から逃れるように自らの手を外す。
(!!)
道代は、声にならない悲鳴を上げた。失われたものに必死に縋るように、志摩子の手を求め腕を上げかけた。
その道代の右腕に、志摩子の左腕が絡んだ。二匹の蛇がその身体を絡め合うように二本の腕は絡み合った。蛇の尾は腕の付け根、頭は掌。二匹の蛇は頭をぶつけあった。互いにその口を大きく開き、相手の口に噛みつく。道代と志摩子のそれぞれの五指は、先ほどと同様に、いや、さらに固く硬く絡み合った。
ギリシャ神話の神ヘルメス。この青年神の持つ黄金の杖には二匹の蛇が絡み付き、その頭部を向き合わせているという。
道代の右腕と志摩子の左腕は、ヘルメスの蛇さながらに絡み合う。蛇はその口で相手を呑み込もうとする。そのように、道代と志摩子は指を絡ませあった。
十本の小さな蛇は、やはりヘルメスの蛇であった。
(舐めて、舐めて、おめこ舐めて)
(舐めます、舐めます、姐さんのおめこ舐めさしてもらいます)
(舐めて、吸うて、噛んで、しゃぶって)
(舐めます、吸います、噛みます、しゃぶり……)
(どしたんえ、道)
(姐さん、うちもなんや熱うおす)
(熱いか、道)
(へえ、姐さん、ほんで……)
(なんえ、道)
(なんや、濡れて……)
(濡れてきたか、道)
(へえ、あ……)
(どないしたんえ、道)
(ちびっと漏れたような)
(漏れたてかいな)
(あ、また……)
(道ぃ)
「あ……」
道代は我知らず声を漏らしていた。幽かな、囁きのような吐息だったが、耳を凝らして聞けば生々しい女の声だった。道代はまるでアクメを迎えた後のような、肉の悦びを貪り尽した後のような、そんな風情でがっくりと首を折った。
しかし、この場で道代の吐息を聞く者と云えば志摩子と秀男しかいない。
指で、腕で、肩で道代と言葉を交わしていた志摩子には、道代の女の吐息は、肉の喘ぎは手に取るように分かった。志摩子は道代を休ませるように、絡めていた指と腕を、そっと道代のそれから外した。
秀男は……道代と志摩子から視線を外し、軽く仰向いて空を見上げている秀男は、道代の漏らした声が聞こえたのか聞こえなかったのか、眉一つ動かさず泰然としていた。
志摩子は、俯く道代の頭越し、秀男の横顔を見遣りながら声を掛けた。
「なあ、秀はん」
「なんですやろ、姐さん」
秀男は志摩子に顔を振り向け、答えた。
志摩子は続けて問いかける。
「秀はん……なんで結婚せえへんかったん?」
「なんですかいな、いきなり」
「いやあ。なんや、ふっとそないなこと思てしもてなあ……ええお人とか、おらへんかったん?」」
「そらまあ……縁がなかった、としか言いようがおませんなあ。まあ儂らみたいなもん、仮に誰かと一緒になったかて食わしていけまへんしのう。まさか夫婦で住み込みゆうわけにもいきませんし」
舞妓もそうだが、花街の置屋で働く者は、ほとんどが住み込みである。独立できるほどの給金はもらえない、というのが実情であったろうか。
それを考えれば舞妓は……。無事衿替えを済ませ芸妓になれば、晴れて独立できる。志摩子はそれを考えて、嬉しいような申し訳ないような、妙な気持になった。
志摩子は、自ら気を引き立てるように話題を変えた。
「秀はん、斎王はんの話やけど……」
「おお、そうでしたなあ」
「いや、話の本筋とはあんまし関係ないんやけど」
「なんですかいな」
「斎王はんて……みんなお若い娘はん、やったんやろ」
「そないですなあ。まあ、中には若い、ゆうより幼い、ゆうたほうがよろしいお方もいてはったらしいですけんど」
「ほなら……ほならやで、秀はん……中には、前々から想い想われるお相手はんがいやはる、ほないな斎王はんがいやはったちゅうこと、無かったやろかいねえ」
「ははあ、ほれは……斎王はんに選ばれる、ほれ以前から、ゆうことですかいなあ」
「ほうなるねえ」
「うーん、どうですやろ。儂かて、宮中の暮らしなんぞまるっきり知りまへんからなあ、なんとも……。しやけど、儂らみたいに気軽にそこらの横丁で逢い引き、てなわけにはいかんやろ、とは思います」
志摩子は笑みを浮かべて秀男を追及する。
「なんや秀はん。そないな経験、あんの?」
「はは、それはおまへんけんど……儂らみたいに何十年も祇園でうろうろしてますとなあ、そらあいろんな話、見聞きしてきましたわ」
コメント一覧
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1. エロの神髄HQ- 2017/03/21 14:34
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秀男の斎王話
ひ(し)つこく続きます。
京を出はずれた今、話を締めくくるいい機会だったのですが秀男め、まだ語り続けるようです。
しかも、斎王はん。何やらエロ斎王に変貌しそうです。そんなことやってる暇ないんだけどなあ。
まあ、これは道代と志摩子にも責任があるわけでして、例によって何やらごしょごしょやり始めたようです。神社の境内でんなことして、罰かぶるぞ(罰が当たる)。
で、今気づいたのですがわたくしめ、前回アイリス186のコメに↓こう書いております。
>次回、秀男の講釈にけりをつけ、小まめのお座敷に向かいたい……
まったく「どの口がそないなことを言う」というところです。
かくてはならじ(聞き飽いたわ)。
『アイリスの匣』嵯峨野の場、斎王編。次回必ずけりを……つけられないと思います(おいおい)。
暫く、いましばらくお付き合い願います。
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2. Mikiko- 2017/03/21 18:23
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嵯峨野の竹林
先日の『COOL JAPAN』を見てたら、外国人が京都で行ってみたい場所のランキングトップでした。
てことは当然、大混雑ということですよね。
竹は、日本が北限のようですが……。
ヨーロッパや北米でも、育つ地域は十分にあるでしょうね。
アフリカなどでは、井戸の上総掘りの普及などのためには、もっと植栽されていいでしょう。
しかし、日本の管理できなくなった竹林は、全国的に問題になってるようです。
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3. ♪京都嵯峨野にHQ- 2017/03/21 21:35
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大混雑
嵯峨野。
こないだ取材に行きましたが、もう二度と行きたくありません。
あの大混雑ぶり。
いや、大大大混雑ぶり。ウルトラスーパーメガギガシライ2の混雑ぶり。いまだに夢でうなされます(ちょっとオーバー)。
野宮神社に気づかずスルーしちゃったんで、もう一度とも思いました。寒くなれば少しは人出も減るのでは、とも考えましたが期待薄でしょう。
もう、二度とやだ。
テレビで、主役以外、人っ子一人いない嵯峨野竹林の道が映されることがあります。どうやって撮影してるんですかね。規制をかけてるとしか思えません。
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4. 「かぐちゃん」HQ- 2017/03/21 21:40
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上総掘り
なんじゃらほい、で調査開始。
とりあえず、無いやろなあ、で広辞苑を引きますと……、
●かずさ‐ぼり【上総掘り】
上総地方で始まった井戸掘りの技術。
割り竹を長く継いだ「へね竹」を数人で操作して掘削。
明治以後は国内で油井の掘削にも用いられた。
ふうん、そないに有名なんか。しかし、掘り方自体はこれでは不明(なんじゃい「へね竹」)。
次いでWiki。
◆上総掘りは、掘り抜き井戸の代表的な工法。
やぐらを組んで大きい車(水車みたいな感じ)を仕掛け、これに割り竹(これが「へね竹」だな)を長くつないだものを巻いておき、その竹の先端に取り付けた掘鉄管で掘り抜く。
古くから上総国を中心に行われた。
ふうん、ですが「掘鉄管」の画像はありませんでした。がまあ、「へね竹」は要するにロープ代わり、ということでしょうか。
さらに……、
◆人力のみで500m以上の掘削が可能である事から、開発途上国への技術指導が行われている。
ははあ、これですな、アフリカの井戸掘り。しかし「500m以上」はすごいな。
しかし、アフリカに竹って……再びWiki。
■タケ(竹)
気候が温暖で湿潤な地域に分布し、アジアの温帯・熱帯地域に多い(ははあ、だから日本にも)。
タケの分布は、北は樺太から南はオーストラリアの北部、西はインド亜大陸からヒマラヤ地域、アフリカ中部にも及ぶ。
北アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカの大部分には見られない。
ふうん、多少はあるのか「アフリカ竹」。
まあ、地域によっては自生していないようですから、上総掘りのためには植えるか輸入しかないんでしょうね。しかし、植物の持ち込みはなあ、厳しく制限されるから、やはり植栽ですか。
大変だなあ。
★千葉の女が乳しぼり
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5. Mikiko- 2017/03/22 07:34
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嵯峨野
狙い目は、早朝でしょう。
夏至のころの京都の日の出は、4:42分です。
もちろん、前泊しなきゃムリですが。
上総掘り。
YouTubeに動画があります。
掘った井戸の水で、竹林を育てればいいですね。
竹は成長が早いですから……。
井戸が涸れる前に、次の井戸を掘る材料が出来るでしょう。
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6. ♪サンライズHQ- 2017/03/22 10:21
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↑♪サンセット
(ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』劇中歌)
>日の出は、4:42
まだ電車も動いてないな。
前泊ったって、嵐山に泊まらないと間に合いませんが、旅館ってあるのかなあ。料亭はありますが。
上総掘り
前コメ。「『へね竹』は要するにロープ代わり」と書いちゃいました。もちろんその意味もあるんですがもう一つ、上から突いて土を掘る、という役目もあるそうです。これはロープじゃ無理だよね。
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7. Mikiko- 2017/03/22 19:43
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竹林で……
野宿すればよろし。
アフリカでは、水汲みが子供の仕事になってる集落があるようで……。
往復に何時間もかかるため、学校に通えません。
井戸が出来れば、そうした子供たちも教育を受けることができます。
重要なのは、現地の人自身が、現地にある材料を使って修理できる施設をつくることです。
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8. 回転禁止の青春さHQ- 2017/03/22 21:32
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↑歌唱:美樹克彦(誰?それ、というお方が多いんだろうなあ)
竹林は……
侵入禁止です(たぶん)。
あのように延々と垣根を結んでいるのは、何の為とお思いかね。
寝泊りするなど論外、ましてキャンプファイアーなど(あ、そこまでは言うてはらんか)。
なるほど
竹の栽培を現地で、というのはそういう意味ですか。
自助努力ということですな(ちょっと違うような……)。
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9. Mikiko- 2017/03/23 07:27
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垣根は……
ところどころ穴が空いてると言っておったではないか。
↓アフリカでの上総堀りの動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=KHbHGyOtR9w
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10. パンツの穴HQ- 2017/03/23 08:36
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垣根の穴
「上手の手から水が漏る」というやつですな。
上総掘り動画
お、これは楽しみ。
後刻、ゆっくり拝見しましょう。
それにしても、このところ相撲に野球にサッカー(今日はWCアジア予選最終戦)と、スポーツばっかりで、映画を見る暇がないよ。
♪垣根の垣根のまがりかど~
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11. Mikiko- 2017/03/23 19:40
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垣根の穴
「ざるに水」というやつですな。
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12. 御垣守ハーレクイン- 2017/03/23 22:39
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ざるに水
だから、竹林内に入っちゃダメだって。
東京で桜の開花宣言が出ました。
予報では、こちらは3月29日だそうです。
♪さざんか さざんか さいたみち~