2017.3.11(土)
ハチの遺体は、東京帝国大学農学部に運ばれ、病理解剖がなされました。
フィラリアに侵され、腹水が溜まっていたそうです。
しかし、ホルマリン液で保存された臓器を、後年に再検査したところ……。
直接の死因は、癌だったようです。

↑上野氏とハチ公は、東大の庭でようやく出会うことが出来ました。
ハチの剥製が造られたのは、『国立科学博物館』の前身『東京科学博物館』です。
ハチの遺体は、実際にはそうとう汚れ、臭気も酷かったそうです。
毛の洗浄、折れた耳の修復などを行い、元気なころのハチを再現しました。
制作者のひとり、本田晋は……。
ハチの胴体に、「いつ死に、いつ作られ、誰が作ったのか」を記載した封筒をこっそり収めたと、後年述懐しています。
何万点も剥製を作った人ですが、そんなことをしたのはハチだけだったとか。
さて、もう一度、ハチの剥製を見てみましょう。

顔つきが、今の秋田犬とは違うような気がします。
今の秋田犬は、もっと潰れた顔をしてますよね。
プーチン犬とか。

極端なのは、わさおです。

ハチが生まれたのは、秋田県大館市で、両親とも名前の付いた犬ですから、おそらく純血種でしょう。
東大教授のもとに送られたわけですからね。
わたしは、ハチの顔の方が好きです。
今の秋田犬は、なんであんなブサい顔になっちゃったんですかね。
さて、キリがないので、次の犬に移ります。
上段の右側にいるのは、カラフト犬です。

熊みたいですね。
これも、たいへん有名な犬の剥製です。
名前は、ジロ。
そう、南極観測隊と共に南極に渡り……。
そのまま南極に置き去りにされたにもかかわらず、1年後に生きて発見された犬です。
生き残ったのは、15頭のうち、タロとジロの兄弟犬2頭のみ。

↑置き去りにした隊員を恨むこともなく、尻尾を振ってじゃれついてきたそうです。
犬を置き去りにしたことにより、観測隊は激しい非難を浴びました。
氷に閉じ込められた南極観測船『宗谷』を救出したのは、アメリカ海軍の砕氷艦『バートン・アイランド号』。

犬を置き去りにすることは、この艦長の命令だったのです。
この話を続けようとしたら、まったく筆が進まなくなってしまいました。
なので、カラフト犬の話をします。
名前のとおり、樺太や千島列島で作り出された犬種です。
アイヌなどの北方民族が、犬ゾリや猟犬として使ってました。

熊のような外見からもわかりますが、寒冷地に適した長毛が特徴です。
氷点下40度にも耐えるそうです。
反面、暑さにはからきし弱く、気温が10度を超えると消耗してしまうとか。
日本犬ブームですが、まったく見かけないなと思ったら、すでに絶滅してしまったそうです。
ひとつには、車や機械が普及し、使役犬としての役目が終わったこと。
そのため、純血種を守る必然性がなくなり、雑種化が進みました。
野犬となったものは、エキノコックス症の発生による野犬狩りで掃討されてしまったそうです。
1970年代のようです。

↑北海道旅行に行ったときは、バスガイドさんから、キタキツネには絶対に触るなと言われました。バスが見えると道路に出てくるキツネがいるんです。ガイドさんは、“観光ギツネ”と呼んでました。
さて、3匹目の犬です。
こちらは、甲斐犬。

甲斐黒号という名前だそうです。
と云っても、誰も知らないでしょう。
でも、この犬は、ものすごい記録を持ってるのです。
生まれたのは、昭和13(1938)年1月。

↑国家総動員法が制定された年です。
亡くなったのが、昭和41(1966)年8月。

↑ビートルズが来日した年です。
なんと、28年7ヶ月も生きたのです。
甲斐犬が、とりわけ長命というわけではありません。
平均寿命は、14~16年のようです。
28年というのは、平均寿命の倍生きたわけです。
人間にしたら、150歳くらいになるんじゃないですか。
甲斐犬は、昭和9(1934)年、天然記念物に指定されてます。

もちろん、出身は山梨県です。
昭和4年に発見され、以後、保護活動が始められたそうです。
体格は中型犬。

↑かなりなイケメンくん。
北海道犬や琉球犬と同様、弥生時代以前からの特徴を有しているそうです。
山岳地帯での猟に使われてきたそうです。
真っ黒い姿で疾走する様は、弾丸のようだとか。

↑黒ラブみたいですね。
気性が荒く、集団での猟には向かないそうです。
飼い主以外には心を開かず、逆に飼い主には忠誠を尽くします。

↑気品があります。
そのため、「一銃一狗の単独猟」において、優れた狩猟性が発揮されるとか。
天然記念物ですが、普通に飼うことは出来るようです。
でも、ペットショップに並ぶことはないので、ブリーダーに直接連絡を取る必要があるとか。

↑子熊みたいですね。
販売価格は、15万円くらいからみたいです。
この値段が、ほかの犬種と比べて高いのか安いのか、わたしにはわかりません。
でも、わたしの予想よりは安いなという気がします。
しかし、この犬を都会で繋いで飼うのは、気の毒な気がしますね。
昔、シベリアンハスキーがブームになったことがあります。
狼みたいな風貌の犬が、繋がれて飼われてる姿は、気の毒に見えました。

↑こいつは、あんまり不満を感じてないようですが。
この犬は、名前のとおり、シベリアが故郷ですので……。

日本の夏は暑すぎます。

最近、街で見ることはほとんどなくなりました。
やっぱり、日本の平地では長生きできないんじゃないでしょうか。
何かの本で読んだ話ですが……。
異常に竹輪の好きなシベリアンハスキーがいたそうです。
竹輪を1本丸ごと放り投げると、空中でかぶりつき、着地したときには飲みこんでたそうです。

↑こういうことをしたら、手ごと食べられたでしょう。
いったいどれくらい食べるのかと思った飼い主さんが、竹輪を大量に買って試してみたとか。
でも、26本で竹輪が無くなってしまい、そのポテンシャルは計れなかったそうです。
あまり利口な犬種ではないようです。

↑侵入を企ててるようです。
↓さて、次の写真はこちら。

↑「み」
これは、ニホンオオカミの骨格標本です。
ニホンオオカミは……。
明治38(1905)年、奈良県で捕獲されて以来見つかっておらず、絶滅したものとされています。

↑だそうです。
オオカミと云えば、平井和正のウルフガイを思い起こします。

でも、ニホンオオカミは、そんな格好いいものではありませんでした。
↓こちらが、ニホンオオカミの剥製です。

↑これは、作り方がヘタすぎなんじゃないでしょうか。
この剥製も、『国立科学博物館』にあるようですが……。
どうやらわたしは見過ごしたみたいです。
骨格標本は『日本館』にあり、剥製は『地球館』にあります。

しかし、見過ごしたのも、↓この剥製を見れば、むべなるかなです。

↑どう考えても、ヘタクソです。
オオカミという語から連想する精悍さ、迫力は、まるでありません。

↑ハイイロオオカミです。
実際、大きさは中型犬程度。
体重も、15㎏前後らしいです。
昔、山犬と呼ばれてたのが、ニホンオオカミのようです。

↑もののけ姫の山犬。違うよなー。
現在、ニホンオオカミと一番近い日本犬は、柴犬だとか。

↑タバコ屋で店番をする柴犬。キュウリが好物。
現在の犬との大きな違いは、夏と冬で毛色が変化したこと。
↓は、『和歌山県立自然博物館』に展示されてる剥製。

↑これは、多少はオオカミっぽいですが、やはりどこか妙です。
これは、冬毛でしょうね。
なお、ニホンオオカミの剥製は、国内に3体、オランダに1体あるのがすべてだそうです。
日本の残り1体は、東京大学農学部にあります。

↑これが一番マシでしょうか。でも、なんかヘンですね。脚とか。
こちらも冬毛ですね。
どうも、顔つきは、標本製作者の思い入れに影響されるみたいですね。
和歌山の標本は、頭から鼻にかけて段差があり、日本犬のようです。
オランダにある1体は、江戸時代にシーボルトが持ち帰ったものだそうです。

↑日本の植物を初めてヨーロッパに紹介した本。
↓さて、続く1体は、こちら。

↑「み」
これも、日本列島から絶滅してしまった動物です。
ニホンカワウソ。

↑これまた、ヘンな形です。これじゃ、管狐ですよ。ほんとに中に骨が入ってるのでしょうか。東京都羽村市立動物園所蔵。プレートには、『明治40年3月18日購入 31円』とあります。
ニホンオオカミと比べても、かなり大きな動物だったことがわかります。

↑2体は上下にあるのですが、2体を入れて撮った写真がこれしか見つかりませんでした。このあたり、撮影者の一人としても、反省ですね。
尻尾を入れない体長で、80㎝くらい。
尻尾まで入れると、1.3メートルくらいになります。

↑1974年6月発行の切手。
日本列島で最後に目撃されたのは、1979年。
↓なんと、8ミリフィルムの映像が残ってました。
以後、目撃例がなく、2012年に絶滅種とされました。
絶滅させたのは、もちろん人間です。
毛皮が保温力に優れていたため、乱獲されたのです。

さらに、河川の護岸工事により、住処が失われ……。

↑多摩川です。まだ、こんな工事が続けられてるようです。
河川の汚染により、餌も奪われました。
これだけの体格ですから、生存するにはそうとうな魚介類が必要だったでしょう。

↑体格の比較。⑥アメリカミンク ⑦エゾクロテン ⑧ホンドテン ⑨ニホンカワウソ。それ以外の番号は、こちらを御覧ください。
残念でなりません。
昔話に出てくるカワウソは、キツネやタヌキと同様、トリックスターです。
妖怪視されてた地域も多く……。

室町時代の国語辞典『下学集』には、「獺(かわうそ)、老いて河童に成る」と書かれてるとか。

↑今の子供に、効果があるんでしょうか。
ニホンカワウソはいなくなりましたが、カワウソ自体は、水族館でも見られます。
とても愛嬌のある動物で、とても妖怪の一種には見えません。
↓カワウソとタッチできる水族館は、大人気。
↓夏には、流しカワウソを見られる水族館もあります。
ペットとして買ってる人もいるようです。
最大の魅力は、お風呂の中で、一緒に遊べること。
猫ではぜったいに出来ません。
↓飼い主の腕に絡みついたり、とにかく可愛いです。
これらのカワウソは、すべて、コツメカワウソという種類。
名前のとおり、爪が小さいので、危険が少ないそうです。
体格も、ニホンカワウソよりずっと小さく、猫くらい。
↑前足が器用なので、異様に可愛いです。
わたしも飼いたいなと思って、ネットを探したんですが……。
信じられない値段でした。
なんと、70万円が相場だとか。

↑飼えるのは、セレブだけ。
ひとつは、人工繁殖が非常に難しいこと。
犬や猫のように、ブリーダーが存在しないんでしょうね。
となれば、野生の子供を捕獲してくるほかはありません。
入荷自体が非常に少なく、珍種専門のショップでも、年に1,2匹入るかどうかとのこと。
これで、寿命は犬よりも短く、12年ほどです。
しかも、飼うのも大変。
まず、運動量が多いので、広い場所が必要。
水浴びの施設も要ります。
↑このお宅のお風呂、すごく広そうです。
餌も、生の魚介類になります。
普通の家では、とても飼えないと思います。
↑フェレットフードなども食べるようですが、新鮮な魚介類も必要だとか。
ここで思いついたのですが、漁港で飼ったらどうでしょうか。
広い場所も、水浴びの出来る水槽も、元からあります。

魚介類だって、市場に出せない雑魚がたくさん確保出来るはず。

↑とある漁港で捨てられた雑魚。保健所の指導により、一般人が食用に貰い受けることは出来ないとか。
海の魚は、食べられないですかね?
塩味がついてて、むしろ喜ぶのでは。
↑美味しそうですが、行列してまで食べますかね。スーパーで、1匹100円でしょ。
で、カワウソがいることで、漁港に人が呼べます。
子供連れの家族が、たくさんやって来るはず。
そうした人たち向けに、魚介類を提供するコーナーも作れば、ぜったいに流行りますよ。

↑熱海魚市場『浜焼きコーナー』。
このアイデア、どこかで採用してくれませんかね。
アイデア料は要りません。
パクリ放題でけっこう。
ただし、わたしが行ったらタダにしてください。
大丈夫、カワウソほどは食べませんから。

↑ホッケです。これ一匹で満腹しそう。
ただし、ビールはたくさん飲みます。

↑どんどん持って来い。
↓さて、続いてはこちら。

↑「み」
またまた、人間の暮らしに戻って来ました。
パネルには、『弥生の米づくり』とあります。
現代の田んぼと比べて、圧倒的に違うのは、人の数ですね。

現在、わたしの住む亀田郷の田んぼは、区画整理されてます。
すべて、綺麗な長方形です。

いったいあれは、何メートル×何メートルなのでしょうか。
50メートルプールよりは広い感じがします。
人が入ってるのを見るのは、田起こし、田植え、農薬や肥料の散布、稲刈りでしょうか。

↑コンバインでの稲刈り。これは、やってみたい気がします。
でも、せいぜい、人は2人くらいしかいません。
もちろん、機械は入ってます。
お父ちゃんが機械に乗り、お母ちゃんがその補助。
総員2名という感じですかね。

↑田植え機。これはスゴい発明だと思います。
これで米が高く売れれば、ボロ儲けですが……。
そんなわけはありませんね。

亀田郷は、もともと湿地帯だったところの水を抜いて乾田にしたので……。
どこもかしこも真っ平らです。

↑“地図にない湖”と呼ばれたころの亀田郷。
どの区画に入っても、さほどの違いはないはず。
でも、昔は違ったでしょうね。
重機もありませんから、土地を作り変えるのではなく……。
米を植えられる場所を選んで、田んぼにしたはずです。
平らでないところでは、大切な条件が違ってきます。
米作りで最も大事なもの。
すなわち、水です。

↑水入れの瞬間。ワクワクするでしょうね。
昔は、村同士、家同士で、水争いがあったようですよね。

当然それは、米作りを始めた当初からあったはずです。

こういうジオラマや絵を見ると、弥生時代のくらしは、とても平和そうに思えます。

でも、ぜったいにそうではなかったはず。
水争いレベルの小競り合いはしょっちゅうあったでしょう。
それが村と村の対立になれば、争いはエスカレートし、戦争になります。

殺し合いです。

↑戦争で殺された弥生人の骨。
敵の蔵を襲って強奪したりもしたでしょう。

ひょっとしたら、収穫した米は、簡単にはわからない場所に保管したのかも。
どこからも見える高床式倉庫などは、格好の標的ですよね。

↑『登呂遺跡(静岡県)』で復元された高床式倉庫。なお、現代の教科書では、『高床倉庫』という表記になっているようです。
ほんとにあんな目立つところに、大事な米を入れておいたのでしょうか。
ただ、収穫した米なら隠しようもありますが……。
収穫前では、どうしようもありません。
田んぼを持って逃げるわけにはいかないのです。
夜陰に乗じて、よその村の田んぼに入り、稲を刈ってしまうなんてこともあったかも知れません。
収穫期には、そこここに篝火を焚き、櫓の上から見張ったんじゃないでしょうか。

↑『吉野ヶ里遺跡(佐賀県)』で復元された物見櫓。
ひょっとしたら銅鐸は……。
櫓に吊るし、異変を知らせるために鳴らしたのかも知れません。

以後、豊作を祈る神事には、欠かせない祭器にもなっていったわけです。
豊作を脅かす一番の敵は、集落外の人間だったということです。
↓続いての写真は、こちら。

↑「み」
弥生時代と変わり映えしませんが……。
パネルには、『江戸の里』とあります。
農村風景は、弥生時代も江戸時代も、大して変わらなかったようですね。

このジオラマで表現されているのは、里山を利用した暮らしです。
里山とは、まさしく、里と山の間にある自然。
自然ですが、人が手を入れ、管理している自然です。

↑唱歌『故郷(ふるさと)』の世界ですね。
里山では、炭の材料となる落葉広葉樹(いわゆる雑木)が育てられ……。

↑伸びた幹が定期的に伐られるので、「株立ち」という特殊な形状になります。
それらの木々が落とす葉は、畑の肥料として持ち出されます。

↑「落ち葉かき」は、大切な作業でした。
したがって、雑木のひこばえ(刈られた後に出る芽)に光が当たるよう……。

また、林での作業がしやすいよう、下草が綺麗に刈られた林となります。

↑自然風に見えますが、純粋な自然林は、決してこんな景観にはなりません。
秋の七草として知られる、キキョウ、ナデシコ、オミナエシなどは……。

自然林にあっては、被圧されてしまい、繁栄できません。
しかし、人が作った人工林に適応したことにより、身近な植物として生き延びることができたのです。
さて、そんな里山ですが……。
現在は、どんどん姿を消しています。
炭を焼くための木を育てる必要はなくなり……。

↑炭焼き。3日くらい泊まり込みになる大変な作業です。
化学肥料の発達により、堆肥を作る落ち葉も不要となりました。

さらに、そこで暮らす人たちの高齢化により、里山を管理する担い手が失われています。
で、どうなるかと云うと……。
里山が消え、山に帰るわけです。
昔の村落のエリアは、「山→里山→里」というふうに分けられてました。
里山は、山と里の間にあるバッファゾーン(緩衝地帯)だったのです。

山の動物、熊や猪は、里山までは下りて来ても……。
どこかほんとうの自然とは異質なことを感じるのでしょう。
そこに定住しようとはせず、餌を探し終えると、また山に帰っていきました。
しかし、里山がなくなるとどうなるか。
山と里が、直接接することになります。

山の動物が、ひょいと山を抜けると、里に出てしまうのです。
そこには、畑があります。
作物が取りやすい状態で植えられた畑は、彼らにとってどう見えるでしょう。
「食べ放題」チケットを貰ったようなものです。

↑じゃがいも畑に踏みこんだイノシシの足跡。
イノ、シカ、サル。

猟友会も高齢化して、畑を荒らす動物を狙う銃口もありません。

↑猟友会ではないと思われます。
彼らの跳梁跋扈を防ぐためには、電気柵のような方法しかありません。

↑悲惨な事故も起きましたよね。
電気柵は、生産性を上げるための投資ではありません。
当たり前の収量を死守するための設備です。
こんなところに投資額がかさめば、疲弊するばかりです。
やがては限界集落となり、里の暮らしは立ち行かなくなるでしょう。

なんともやるせない話ですが、画期的な策は編み出せそうもありませんね。
さて、滅入るばかりなので、次に進みましょう。
↓こちらです。

↑「み」
パネルには、『稲作に伴う環境の変遷』とあります。
ジオラマで表現されているのは、縄文時代の稲作です。
以前は、稲作は弥生時代に始まるとされていました。

しかし、縄文後期の土器片から、プラントオパールが発見されたことにより、この定説は覆りました。
イネ科の植物は、吸い上げた水分中の珪酸を、細胞に蓄積する性質があります。
珪酸は、細胞内でひとつに固まり、珪酸体となります。
イネ科植物が枯れたとき、有機物は分解されて土に還りますが……。
珪酸体は、ガラス質であるため腐ることがなく、そのまま1万年でも土の中に残留することになるのです。
その珪酸体が掘り出されたものがプラントオパールと呼ばれるものです。

↑『吉野ヶ里遺跡(写真:佐賀県教育委員会)』。
つまり、土器から珪酸体が発見されたということは、イネ科植物が煮炊きされていたということなのです。

と云っても、縄文時代の稲作は、弥生時代のような、大規模、集約的な営みではなかったようです。
ジオラマは、河川の氾濫原で、小規模に行われてる稲作の様子です。

もちろん、この程度の生産量では、主食にはなりえないでしょう。
とりあえず植えといて、収穫できれば儲けものといった感じじゃないでしょうか。
別に、米が採れなくても、ほかに食べ物はたくさんありました。
なにしろ、縄文時代は温暖ですからね。
この時代に作られていた米は、畑みたいな乾燥地でも育つ、熱帯ジャポニカ米だったそうです。

↓さて、次の写真はこちら。

↑「み」
突然、何を思ったか、天井を撮ってます。
ドーム天井ですね。
どうやら、見学場所を移るため、ホールに戻ったようです。
↓この天井を外から見ると、こんな感じ。

現在、博物館を作るとして、こんなドーム天井が設計されることはまず無いでしょう。
↓非常に装飾的なデザインです。

ステンドガラスに施された絵柄は、鳳凰。

↑上に2羽。左右に1羽ずつ。
ドームの中心にも、ステンドガラスが嵌められてます。

この『日本館』が竣工したのは、1930(昭和5)年。
起工は、その2年前です。
よくこんな華美な装飾に予算がついたものだと感心します。
今、こんなのを作ろうとしたら、おそらくやり玉でしょう。
なお、この建物は、2008年に重要文化財に指定されてます。

↓次の写真は、これ。

↑「み」
『フナクイムシからシールド工法』というパネルです。
↓その下に展示されてるのは、こちら。

↑「み」
↓アップします。

見るからに気持ちの悪い虫です。
実は、“ムシ”と名が付いてますが、虫ではありません。
貝の仲間だそうです。
ま、船のそばにいるわけですからね。
海水生のフナクイムシは、海中の木材を食べて生きてるそうです。

↑キモい!
食べると同時に、空けた穴を巣穴にするわけです。

↑高知県安芸郡東洋町の浜に打ち上げられた流木。
しかし、ここで疑問が生じます。
海中にある木材ってのは、どんなものなんでしょう?
海底からは、木は生えません。
あるとしたら、沈没船くらい。

↑長崎沖で見つかった、元寇船。
でも、木製の船なんて、腐ちてしまうのにそう長い年月はかからないんじゃないでしょうか(元寇船は、なんで腐らないんだ?)。
ひとつの船が腐ちてしまったら、次の船には、どうやって移るのでしょう。
広い海の中で、沈没船に行き当たる確率なんて、そうそうあるものじゃないです。

↑こんなのに出会う可能性は、さらに低いでしょう。
やっぱり、浮かんでる船を狙うんですかね。
船を追いかけて、蛭みたいに貼り付くんでしょうか?

↑これじゃ、泥棒です。
でも、航行してる船に取り付くのは無理でしょう。
やっぱり、港に停泊してる間ですかね。
動き出すまでの間で、身体が潜れるだけの穴を空けなくてはなりません。

よほど歯が丈夫じゃなきゃ無理ですね。
と思って、よく調べてみたら、歯で齧ってるわけじゃありませんでした。
ギョウチュウのような体ですが、ごく一部に貝殻が残ってるのです。
元々は二枚貝ですので、貝殻は2枚付いてます。
この貝殻を、ドリルのように使って木材を削ってるそうです。
恐るべき生き物です。

↑白いのが、貝殻のドリルビット。
さらにスゴいことがあります。
水中で木材に穴を空けると、穴の表面から水を吸って、木材が膨張するのだそうです。
後戻りできなくなりますし、下手すれば潰されてしまいます。
しかし、そうはならない。
なぜかと云うと、穴の内壁に石灰質の粘液を分泌して、穴を補強しているからです。
これを観察から発見したのは、イギリスのエンジニア、マーク・ブルネル。

↑ロンドンに建つ銅像。
19世紀初頭のことです。
彼は、ひらめきました。
この習性は、トンネル掘削に応用出来るんじゃないかと。
で、誕生したのが、『シールド工法』。
これによって、テムズ川の川底を渡る『テムズトンネル』を掘ることに成功したのです。

↑19世紀半ばの『テムズトンネル』内部。日本はまだ、江戸時代です。
『シールド工法』については、↓をどうぞ。

↑「み」
↓さて、次の写真です。

↑「み」
いったい、何を意図して撮ったのか、さっぱり思い出せません。
おそらく、黄色い帽子の小学生を撮ったんだと思います。
彼らが展示内容を理解するのは、まだ難しいかも知れません。
でも、たとえ理解できなくても、こういう施設を体験するというのは良いことだと思います。
こういうのを見ると、都会に生まれたかったなと感じます。

↓さて、次です。

↑「み」
『鳥に似た新幹線』というパネル。
カワセミが、羽音を消していたとは驚きです。
でも、水の中の魚に、水上の音は聞こえるものなんですかね?
確かに子供のころ、叔父の釣りに付いていったとき……。

↑叔父ではありません。このまま転がり落ちたら、中に入ってる人は助からないんじゃないすか?
大声で喋ると怒られました。
そう言えば、池の鯉は、手を叩くと寄ってきます。

↑浅ましいです。
でもあれは、人の姿が見えるからじゃないですかね?

↑鯉に餌をやる田中角栄。1972年、総理大臣になった当日の写真だそうです。
水槽を叩けば驚きますが、あれは振動が伝わるからじゃないでしょうか?

↑音が無いなら、音に敏感にはならない気もしますが……。
ま、翼にそういう仕組みのあるカワセミが、選抜されて生き残ったと云うことは……。
効果があるということなのでしょう。

さて、このパネルに写ってる新幹線。
500系というタイプです。

今の新幹線は、鼻面が長くて膨らんでおり……。
カモノハシがおたふく風邪になったみたいで格好良くありません。

でも、この500系は違います。
シュッとしてますよね。

イケメン新幹線です。
SF的というか、未来的なフォルムです。
今はまだ使われてるようですが、近いうちにラストランを迎えるという噂です。
惜しいですね。
カモノハシの方が、空気抵抗とかで有利なのかも知れませんが……。
日本の技術力を象徴する新幹線には、デザイン面も重視してもらいたいものです。

↑イケメンとブサイクが並んだところ。
↓次の写真です。

↑「み」
このように、さまざまな年代の子供たちで一杯です。
ここで放牧してレポートを書かせれば、修学旅行の半日、先生方は楽を出来ます。
お茶でもしてるのかも知れませんね。
『国立科学博物館』には、カフェがあります。
コーヒーや紅茶が290円と、超リーズナブル。

↑もちろん、税込みです。
フードメニューも、ビーフカレーやミートソースパスタが、600円です。

↓次は、こちら。

↑「み」
入館してすぐ、リュックを預けた中庭のロッカーです。
と云っても、これで帰るわけではありません。
このときは、特別展をやってたんです。
『恐竜博2016』。
副題は、『二大肉食恐竜、夢の共演!』。

先に書いたように、『国立科学博物館』の常設展の入館料は、高校生以下は無料です。

つまり、小学生から高校生まで、あまた蝟集している修学旅行生は……。
すべて、タダで常設展を見てるわけです。

↑これは、ダダ。
当然のことながら、ひどく混んでます。
やかましいです。
いいかげんうんざりして来ました。
しかし、特別展には、お金を払わないと入れません。
普段のわたしだったら……。
別料金を払ってまで、特別展を見ることは無かったかも知れません。
でも、とにかく常設展のカオスから逃れて、静かに鑑賞したい気分になってたので……。
ほぼ、即決で『恐竜博2016』に入ることにしました。

安くありませんよ。
なんと!
大人の当日券は、1,600円です(高校生以下は、600円)。
常設展の大人の入館料は、620円ですから、3倍近くになります。
両方合わせると、2,220円。
大散財ですね。
フィラリアに侵され、腹水が溜まっていたそうです。
しかし、ホルマリン液で保存された臓器を、後年に再検査したところ……。
直接の死因は、癌だったようです。

↑上野氏とハチ公は、東大の庭でようやく出会うことが出来ました。
ハチの剥製が造られたのは、『国立科学博物館』の前身『東京科学博物館』です。
ハチの遺体は、実際にはそうとう汚れ、臭気も酷かったそうです。
毛の洗浄、折れた耳の修復などを行い、元気なころのハチを再現しました。
制作者のひとり、本田晋は……。
ハチの胴体に、「いつ死に、いつ作られ、誰が作ったのか」を記載した封筒をこっそり収めたと、後年述懐しています。
何万点も剥製を作った人ですが、そんなことをしたのはハチだけだったとか。
さて、もう一度、ハチの剥製を見てみましょう。

顔つきが、今の秋田犬とは違うような気がします。
今の秋田犬は、もっと潰れた顔をしてますよね。
プーチン犬とか。

極端なのは、わさおです。

ハチが生まれたのは、秋田県大館市で、両親とも名前の付いた犬ですから、おそらく純血種でしょう。
東大教授のもとに送られたわけですからね。
わたしは、ハチの顔の方が好きです。
今の秋田犬は、なんであんなブサい顔になっちゃったんですかね。
さて、キリがないので、次の犬に移ります。
上段の右側にいるのは、カラフト犬です。

熊みたいですね。
これも、たいへん有名な犬の剥製です。
名前は、ジロ。
そう、南極観測隊と共に南極に渡り……。
そのまま南極に置き去りにされたにもかかわらず、1年後に生きて発見された犬です。
生き残ったのは、15頭のうち、タロとジロの兄弟犬2頭のみ。

↑置き去りにした隊員を恨むこともなく、尻尾を振ってじゃれついてきたそうです。
犬を置き去りにしたことにより、観測隊は激しい非難を浴びました。
氷に閉じ込められた南極観測船『宗谷』を救出したのは、アメリカ海軍の砕氷艦『バートン・アイランド号』。

犬を置き去りにすることは、この艦長の命令だったのです。
この話を続けようとしたら、まったく筆が進まなくなってしまいました。
なので、カラフト犬の話をします。
名前のとおり、樺太や千島列島で作り出された犬種です。
アイヌなどの北方民族が、犬ゾリや猟犬として使ってました。

熊のような外見からもわかりますが、寒冷地に適した長毛が特徴です。
氷点下40度にも耐えるそうです。
反面、暑さにはからきし弱く、気温が10度を超えると消耗してしまうとか。
日本犬ブームですが、まったく見かけないなと思ったら、すでに絶滅してしまったそうです。
ひとつには、車や機械が普及し、使役犬としての役目が終わったこと。
そのため、純血種を守る必然性がなくなり、雑種化が進みました。
野犬となったものは、エキノコックス症の発生による野犬狩りで掃討されてしまったそうです。
1970年代のようです。

↑北海道旅行に行ったときは、バスガイドさんから、キタキツネには絶対に触るなと言われました。バスが見えると道路に出てくるキツネがいるんです。ガイドさんは、“観光ギツネ”と呼んでました。
さて、3匹目の犬です。
こちらは、甲斐犬。

甲斐黒号という名前だそうです。
と云っても、誰も知らないでしょう。
でも、この犬は、ものすごい記録を持ってるのです。
生まれたのは、昭和13(1938)年1月。

↑国家総動員法が制定された年です。
亡くなったのが、昭和41(1966)年8月。

↑ビートルズが来日した年です。
なんと、28年7ヶ月も生きたのです。
甲斐犬が、とりわけ長命というわけではありません。
平均寿命は、14~16年のようです。
28年というのは、平均寿命の倍生きたわけです。
人間にしたら、150歳くらいになるんじゃないですか。
甲斐犬は、昭和9(1934)年、天然記念物に指定されてます。

もちろん、出身は山梨県です。
昭和4年に発見され、以後、保護活動が始められたそうです。
体格は中型犬。

↑かなりなイケメンくん。
北海道犬や琉球犬と同様、弥生時代以前からの特徴を有しているそうです。
山岳地帯での猟に使われてきたそうです。
真っ黒い姿で疾走する様は、弾丸のようだとか。

↑黒ラブみたいですね。
気性が荒く、集団での猟には向かないそうです。
飼い主以外には心を開かず、逆に飼い主には忠誠を尽くします。

↑気品があります。
そのため、「一銃一狗の単独猟」において、優れた狩猟性が発揮されるとか。
天然記念物ですが、普通に飼うことは出来るようです。
でも、ペットショップに並ぶことはないので、ブリーダーに直接連絡を取る必要があるとか。

↑子熊みたいですね。
販売価格は、15万円くらいからみたいです。
この値段が、ほかの犬種と比べて高いのか安いのか、わたしにはわかりません。
でも、わたしの予想よりは安いなという気がします。
しかし、この犬を都会で繋いで飼うのは、気の毒な気がしますね。
昔、シベリアンハスキーがブームになったことがあります。
狼みたいな風貌の犬が、繋がれて飼われてる姿は、気の毒に見えました。

↑こいつは、あんまり不満を感じてないようですが。
この犬は、名前のとおり、シベリアが故郷ですので……。

日本の夏は暑すぎます。

最近、街で見ることはほとんどなくなりました。
やっぱり、日本の平地では長生きできないんじゃないでしょうか。
何かの本で読んだ話ですが……。
異常に竹輪の好きなシベリアンハスキーがいたそうです。
竹輪を1本丸ごと放り投げると、空中でかぶりつき、着地したときには飲みこんでたそうです。

↑こういうことをしたら、手ごと食べられたでしょう。
いったいどれくらい食べるのかと思った飼い主さんが、竹輪を大量に買って試してみたとか。
でも、26本で竹輪が無くなってしまい、そのポテンシャルは計れなかったそうです。
あまり利口な犬種ではないようです。

↑侵入を企ててるようです。
↓さて、次の写真はこちら。

↑「み」
これは、ニホンオオカミの骨格標本です。
ニホンオオカミは……。
明治38(1905)年、奈良県で捕獲されて以来見つかっておらず、絶滅したものとされています。

↑だそうです。
オオカミと云えば、平井和正のウルフガイを思い起こします。

でも、ニホンオオカミは、そんな格好いいものではありませんでした。
↓こちらが、ニホンオオカミの剥製です。

↑これは、作り方がヘタすぎなんじゃないでしょうか。
この剥製も、『国立科学博物館』にあるようですが……。
どうやらわたしは見過ごしたみたいです。
骨格標本は『日本館』にあり、剥製は『地球館』にあります。

しかし、見過ごしたのも、↓この剥製を見れば、むべなるかなです。

↑どう考えても、ヘタクソです。
オオカミという語から連想する精悍さ、迫力は、まるでありません。

↑ハイイロオオカミです。
実際、大きさは中型犬程度。
体重も、15㎏前後らしいです。
昔、山犬と呼ばれてたのが、ニホンオオカミのようです。

↑もののけ姫の山犬。違うよなー。
現在、ニホンオオカミと一番近い日本犬は、柴犬だとか。

↑タバコ屋で店番をする柴犬。キュウリが好物。
現在の犬との大きな違いは、夏と冬で毛色が変化したこと。
↓は、『和歌山県立自然博物館』に展示されてる剥製。

↑これは、多少はオオカミっぽいですが、やはりどこか妙です。
これは、冬毛でしょうね。
なお、ニホンオオカミの剥製は、国内に3体、オランダに1体あるのがすべてだそうです。
日本の残り1体は、東京大学農学部にあります。

↑これが一番マシでしょうか。でも、なんかヘンですね。脚とか。
こちらも冬毛ですね。
どうも、顔つきは、標本製作者の思い入れに影響されるみたいですね。
和歌山の標本は、頭から鼻にかけて段差があり、日本犬のようです。
オランダにある1体は、江戸時代にシーボルトが持ち帰ったものだそうです。

↑日本の植物を初めてヨーロッパに紹介した本。
↓さて、続く1体は、こちら。

↑「み」
これも、日本列島から絶滅してしまった動物です。
ニホンカワウソ。

↑これまた、ヘンな形です。これじゃ、管狐ですよ。ほんとに中に骨が入ってるのでしょうか。東京都羽村市立動物園所蔵。プレートには、『明治40年3月18日購入 31円』とあります。
ニホンオオカミと比べても、かなり大きな動物だったことがわかります。

↑2体は上下にあるのですが、2体を入れて撮った写真がこれしか見つかりませんでした。このあたり、撮影者の一人としても、反省ですね。
尻尾を入れない体長で、80㎝くらい。
尻尾まで入れると、1.3メートルくらいになります。

↑1974年6月発行の切手。
日本列島で最後に目撃されたのは、1979年。
↓なんと、8ミリフィルムの映像が残ってました。
以後、目撃例がなく、2012年に絶滅種とされました。
絶滅させたのは、もちろん人間です。
毛皮が保温力に優れていたため、乱獲されたのです。

さらに、河川の護岸工事により、住処が失われ……。

↑多摩川です。まだ、こんな工事が続けられてるようです。
河川の汚染により、餌も奪われました。
これだけの体格ですから、生存するにはそうとうな魚介類が必要だったでしょう。

↑体格の比較。⑥アメリカミンク ⑦エゾクロテン ⑧ホンドテン ⑨ニホンカワウソ。それ以外の番号は、こちらを御覧ください。
残念でなりません。
昔話に出てくるカワウソは、キツネやタヌキと同様、トリックスターです。
妖怪視されてた地域も多く……。

室町時代の国語辞典『下学集』には、「獺(かわうそ)、老いて河童に成る」と書かれてるとか。

↑今の子供に、効果があるんでしょうか。
ニホンカワウソはいなくなりましたが、カワウソ自体は、水族館でも見られます。
とても愛嬌のある動物で、とても妖怪の一種には見えません。
↓カワウソとタッチできる水族館は、大人気。
↓夏には、流しカワウソを見られる水族館もあります。
ペットとして買ってる人もいるようです。
最大の魅力は、お風呂の中で、一緒に遊べること。
猫ではぜったいに出来ません。
↓飼い主の腕に絡みついたり、とにかく可愛いです。
これらのカワウソは、すべて、コツメカワウソという種類。
名前のとおり、爪が小さいので、危険が少ないそうです。
体格も、ニホンカワウソよりずっと小さく、猫くらい。
↑前足が器用なので、異様に可愛いです。
わたしも飼いたいなと思って、ネットを探したんですが……。
信じられない値段でした。
なんと、70万円が相場だとか。

↑飼えるのは、セレブだけ。
ひとつは、人工繁殖が非常に難しいこと。
犬や猫のように、ブリーダーが存在しないんでしょうね。
となれば、野生の子供を捕獲してくるほかはありません。
入荷自体が非常に少なく、珍種専門のショップでも、年に1,2匹入るかどうかとのこと。
これで、寿命は犬よりも短く、12年ほどです。
しかも、飼うのも大変。
まず、運動量が多いので、広い場所が必要。
水浴びの施設も要ります。
↑このお宅のお風呂、すごく広そうです。
餌も、生の魚介類になります。
普通の家では、とても飼えないと思います。
↑フェレットフードなども食べるようですが、新鮮な魚介類も必要だとか。
ここで思いついたのですが、漁港で飼ったらどうでしょうか。
広い場所も、水浴びの出来る水槽も、元からあります。

魚介類だって、市場に出せない雑魚がたくさん確保出来るはず。

↑とある漁港で捨てられた雑魚。保健所の指導により、一般人が食用に貰い受けることは出来ないとか。
海の魚は、食べられないですかね?
塩味がついてて、むしろ喜ぶのでは。
↑美味しそうですが、行列してまで食べますかね。スーパーで、1匹100円でしょ。
で、カワウソがいることで、漁港に人が呼べます。
子供連れの家族が、たくさんやって来るはず。
そうした人たち向けに、魚介類を提供するコーナーも作れば、ぜったいに流行りますよ。

↑熱海魚市場『浜焼きコーナー』。
このアイデア、どこかで採用してくれませんかね。
アイデア料は要りません。
パクリ放題でけっこう。
ただし、わたしが行ったらタダにしてください。
大丈夫、カワウソほどは食べませんから。

↑ホッケです。これ一匹で満腹しそう。
ただし、ビールはたくさん飲みます。

↑どんどん持って来い。
↓さて、続いてはこちら。

↑「み」
またまた、人間の暮らしに戻って来ました。
パネルには、『弥生の米づくり』とあります。
現代の田んぼと比べて、圧倒的に違うのは、人の数ですね。

現在、わたしの住む亀田郷の田んぼは、区画整理されてます。
すべて、綺麗な長方形です。

いったいあれは、何メートル×何メートルなのでしょうか。
50メートルプールよりは広い感じがします。
人が入ってるのを見るのは、田起こし、田植え、農薬や肥料の散布、稲刈りでしょうか。

↑コンバインでの稲刈り。これは、やってみたい気がします。
でも、せいぜい、人は2人くらいしかいません。
もちろん、機械は入ってます。
お父ちゃんが機械に乗り、お母ちゃんがその補助。
総員2名という感じですかね。

↑田植え機。これはスゴい発明だと思います。
これで米が高く売れれば、ボロ儲けですが……。
そんなわけはありませんね。

亀田郷は、もともと湿地帯だったところの水を抜いて乾田にしたので……。
どこもかしこも真っ平らです。

↑“地図にない湖”と呼ばれたころの亀田郷。
どの区画に入っても、さほどの違いはないはず。
でも、昔は違ったでしょうね。
重機もありませんから、土地を作り変えるのではなく……。
米を植えられる場所を選んで、田んぼにしたはずです。
平らでないところでは、大切な条件が違ってきます。
米作りで最も大事なもの。
すなわち、水です。

↑水入れの瞬間。ワクワクするでしょうね。
昔は、村同士、家同士で、水争いがあったようですよね。

当然それは、米作りを始めた当初からあったはずです。

こういうジオラマや絵を見ると、弥生時代のくらしは、とても平和そうに思えます。

でも、ぜったいにそうではなかったはず。
水争いレベルの小競り合いはしょっちゅうあったでしょう。
それが村と村の対立になれば、争いはエスカレートし、戦争になります。

殺し合いです。

↑戦争で殺された弥生人の骨。
敵の蔵を襲って強奪したりもしたでしょう。

ひょっとしたら、収穫した米は、簡単にはわからない場所に保管したのかも。
どこからも見える高床式倉庫などは、格好の標的ですよね。

↑『登呂遺跡(静岡県)』で復元された高床式倉庫。なお、現代の教科書では、『高床倉庫』という表記になっているようです。
ほんとにあんな目立つところに、大事な米を入れておいたのでしょうか。
ただ、収穫した米なら隠しようもありますが……。
収穫前では、どうしようもありません。
田んぼを持って逃げるわけにはいかないのです。
夜陰に乗じて、よその村の田んぼに入り、稲を刈ってしまうなんてこともあったかも知れません。
収穫期には、そこここに篝火を焚き、櫓の上から見張ったんじゃないでしょうか。

↑『吉野ヶ里遺跡(佐賀県)』で復元された物見櫓。
ひょっとしたら銅鐸は……。
櫓に吊るし、異変を知らせるために鳴らしたのかも知れません。

以後、豊作を祈る神事には、欠かせない祭器にもなっていったわけです。
豊作を脅かす一番の敵は、集落外の人間だったということです。
↓続いての写真は、こちら。

↑「み」
弥生時代と変わり映えしませんが……。
パネルには、『江戸の里』とあります。
農村風景は、弥生時代も江戸時代も、大して変わらなかったようですね。

このジオラマで表現されているのは、里山を利用した暮らしです。
里山とは、まさしく、里と山の間にある自然。
自然ですが、人が手を入れ、管理している自然です。

↑唱歌『故郷(ふるさと)』の世界ですね。
里山では、炭の材料となる落葉広葉樹(いわゆる雑木)が育てられ……。

↑伸びた幹が定期的に伐られるので、「株立ち」という特殊な形状になります。
それらの木々が落とす葉は、畑の肥料として持ち出されます。

↑「落ち葉かき」は、大切な作業でした。
したがって、雑木のひこばえ(刈られた後に出る芽)に光が当たるよう……。

また、林での作業がしやすいよう、下草が綺麗に刈られた林となります。

↑自然風に見えますが、純粋な自然林は、決してこんな景観にはなりません。
秋の七草として知られる、キキョウ、ナデシコ、オミナエシなどは……。

自然林にあっては、被圧されてしまい、繁栄できません。
しかし、人が作った人工林に適応したことにより、身近な植物として生き延びることができたのです。
さて、そんな里山ですが……。
現在は、どんどん姿を消しています。
炭を焼くための木を育てる必要はなくなり……。

↑炭焼き。3日くらい泊まり込みになる大変な作業です。
化学肥料の発達により、堆肥を作る落ち葉も不要となりました。

さらに、そこで暮らす人たちの高齢化により、里山を管理する担い手が失われています。
で、どうなるかと云うと……。
里山が消え、山に帰るわけです。
昔の村落のエリアは、「山→里山→里」というふうに分けられてました。
里山は、山と里の間にあるバッファゾーン(緩衝地帯)だったのです。

山の動物、熊や猪は、里山までは下りて来ても……。
どこかほんとうの自然とは異質なことを感じるのでしょう。
そこに定住しようとはせず、餌を探し終えると、また山に帰っていきました。
しかし、里山がなくなるとどうなるか。
山と里が、直接接することになります。

山の動物が、ひょいと山を抜けると、里に出てしまうのです。
そこには、畑があります。
作物が取りやすい状態で植えられた畑は、彼らにとってどう見えるでしょう。
「食べ放題」チケットを貰ったようなものです。

↑じゃがいも畑に踏みこんだイノシシの足跡。
イノ、シカ、サル。

猟友会も高齢化して、畑を荒らす動物を狙う銃口もありません。

↑猟友会ではないと思われます。
彼らの跳梁跋扈を防ぐためには、電気柵のような方法しかありません。

↑悲惨な事故も起きましたよね。
電気柵は、生産性を上げるための投資ではありません。
当たり前の収量を死守するための設備です。
こんなところに投資額がかさめば、疲弊するばかりです。
やがては限界集落となり、里の暮らしは立ち行かなくなるでしょう。

なんともやるせない話ですが、画期的な策は編み出せそうもありませんね。
さて、滅入るばかりなので、次に進みましょう。
↓こちらです。

↑「み」
パネルには、『稲作に伴う環境の変遷』とあります。
ジオラマで表現されているのは、縄文時代の稲作です。
以前は、稲作は弥生時代に始まるとされていました。

しかし、縄文後期の土器片から、プラントオパールが発見されたことにより、この定説は覆りました。
イネ科の植物は、吸い上げた水分中の珪酸を、細胞に蓄積する性質があります。
珪酸は、細胞内でひとつに固まり、珪酸体となります。
イネ科植物が枯れたとき、有機物は分解されて土に還りますが……。
珪酸体は、ガラス質であるため腐ることがなく、そのまま1万年でも土の中に残留することになるのです。
その珪酸体が掘り出されたものがプラントオパールと呼ばれるものです。

↑『吉野ヶ里遺跡(写真:佐賀県教育委員会)』。
つまり、土器から珪酸体が発見されたということは、イネ科植物が煮炊きされていたということなのです。

と云っても、縄文時代の稲作は、弥生時代のような、大規模、集約的な営みではなかったようです。
ジオラマは、河川の氾濫原で、小規模に行われてる稲作の様子です。

もちろん、この程度の生産量では、主食にはなりえないでしょう。
とりあえず植えといて、収穫できれば儲けものといった感じじゃないでしょうか。
別に、米が採れなくても、ほかに食べ物はたくさんありました。
なにしろ、縄文時代は温暖ですからね。
この時代に作られていた米は、畑みたいな乾燥地でも育つ、熱帯ジャポニカ米だったそうです。

↓さて、次の写真はこちら。

↑「み」
突然、何を思ったか、天井を撮ってます。
ドーム天井ですね。
どうやら、見学場所を移るため、ホールに戻ったようです。
↓この天井を外から見ると、こんな感じ。

現在、博物館を作るとして、こんなドーム天井が設計されることはまず無いでしょう。
↓非常に装飾的なデザインです。

ステンドガラスに施された絵柄は、鳳凰。

↑上に2羽。左右に1羽ずつ。
ドームの中心にも、ステンドガラスが嵌められてます。

この『日本館』が竣工したのは、1930(昭和5)年。
起工は、その2年前です。
よくこんな華美な装飾に予算がついたものだと感心します。
今、こんなのを作ろうとしたら、おそらくやり玉でしょう。
なお、この建物は、2008年に重要文化財に指定されてます。

↓次の写真は、これ。

↑「み」
『フナクイムシからシールド工法』というパネルです。
↓その下に展示されてるのは、こちら。

↑「み」
↓アップします。

見るからに気持ちの悪い虫です。
実は、“ムシ”と名が付いてますが、虫ではありません。
貝の仲間だそうです。
ま、船のそばにいるわけですからね。
海水生のフナクイムシは、海中の木材を食べて生きてるそうです。

↑キモい!
食べると同時に、空けた穴を巣穴にするわけです。

↑高知県安芸郡東洋町の浜に打ち上げられた流木。
しかし、ここで疑問が生じます。
海中にある木材ってのは、どんなものなんでしょう?
海底からは、木は生えません。
あるとしたら、沈没船くらい。

↑長崎沖で見つかった、元寇船。
でも、木製の船なんて、腐ちてしまうのにそう長い年月はかからないんじゃないでしょうか(元寇船は、なんで腐らないんだ?)。
ひとつの船が腐ちてしまったら、次の船には、どうやって移るのでしょう。
広い海の中で、沈没船に行き当たる確率なんて、そうそうあるものじゃないです。

↑こんなのに出会う可能性は、さらに低いでしょう。
やっぱり、浮かんでる船を狙うんですかね。
船を追いかけて、蛭みたいに貼り付くんでしょうか?

↑これじゃ、泥棒です。
でも、航行してる船に取り付くのは無理でしょう。
やっぱり、港に停泊してる間ですかね。
動き出すまでの間で、身体が潜れるだけの穴を空けなくてはなりません。

よほど歯が丈夫じゃなきゃ無理ですね。
と思って、よく調べてみたら、歯で齧ってるわけじゃありませんでした。
ギョウチュウのような体ですが、ごく一部に貝殻が残ってるのです。
元々は二枚貝ですので、貝殻は2枚付いてます。
この貝殻を、ドリルのように使って木材を削ってるそうです。
恐るべき生き物です。

↑白いのが、貝殻のドリルビット。
さらにスゴいことがあります。
水中で木材に穴を空けると、穴の表面から水を吸って、木材が膨張するのだそうです。
後戻りできなくなりますし、下手すれば潰されてしまいます。
しかし、そうはならない。
なぜかと云うと、穴の内壁に石灰質の粘液を分泌して、穴を補強しているからです。
これを観察から発見したのは、イギリスのエンジニア、マーク・ブルネル。

↑ロンドンに建つ銅像。
19世紀初頭のことです。
彼は、ひらめきました。
この習性は、トンネル掘削に応用出来るんじゃないかと。
で、誕生したのが、『シールド工法』。
これによって、テムズ川の川底を渡る『テムズトンネル』を掘ることに成功したのです。

↑19世紀半ばの『テムズトンネル』内部。日本はまだ、江戸時代です。
『シールド工法』については、↓をどうぞ。

↑「み」
↓さて、次の写真です。

↑「み」
いったい、何を意図して撮ったのか、さっぱり思い出せません。
おそらく、黄色い帽子の小学生を撮ったんだと思います。
彼らが展示内容を理解するのは、まだ難しいかも知れません。
でも、たとえ理解できなくても、こういう施設を体験するというのは良いことだと思います。
こういうのを見ると、都会に生まれたかったなと感じます。

↓さて、次です。

↑「み」
『鳥に似た新幹線』というパネル。
カワセミが、羽音を消していたとは驚きです。
でも、水の中の魚に、水上の音は聞こえるものなんですかね?
確かに子供のころ、叔父の釣りに付いていったとき……。

↑叔父ではありません。このまま転がり落ちたら、中に入ってる人は助からないんじゃないすか?
大声で喋ると怒られました。
そう言えば、池の鯉は、手を叩くと寄ってきます。

↑浅ましいです。
でもあれは、人の姿が見えるからじゃないですかね?

↑鯉に餌をやる田中角栄。1972年、総理大臣になった当日の写真だそうです。
水槽を叩けば驚きますが、あれは振動が伝わるからじゃないでしょうか?

↑音が無いなら、音に敏感にはならない気もしますが……。
ま、翼にそういう仕組みのあるカワセミが、選抜されて生き残ったと云うことは……。
効果があるということなのでしょう。

さて、このパネルに写ってる新幹線。
500系というタイプです。

今の新幹線は、鼻面が長くて膨らんでおり……。
カモノハシがおたふく風邪になったみたいで格好良くありません。

でも、この500系は違います。
シュッとしてますよね。

イケメン新幹線です。
SF的というか、未来的なフォルムです。
今はまだ使われてるようですが、近いうちにラストランを迎えるという噂です。
惜しいですね。
カモノハシの方が、空気抵抗とかで有利なのかも知れませんが……。
日本の技術力を象徴する新幹線には、デザイン面も重視してもらいたいものです。

↑イケメンとブサイクが並んだところ。
↓次の写真です。

↑「み」
このように、さまざまな年代の子供たちで一杯です。
ここで放牧してレポートを書かせれば、修学旅行の半日、先生方は楽を出来ます。
お茶でもしてるのかも知れませんね。
『国立科学博物館』には、カフェがあります。
コーヒーや紅茶が290円と、超リーズナブル。

↑もちろん、税込みです。
フードメニューも、ビーフカレーやミートソースパスタが、600円です。

↓次は、こちら。

↑「み」
入館してすぐ、リュックを預けた中庭のロッカーです。
と云っても、これで帰るわけではありません。
このときは、特別展をやってたんです。
『恐竜博2016』。
副題は、『二大肉食恐竜、夢の共演!』。

先に書いたように、『国立科学博物館』の常設展の入館料は、高校生以下は無料です。

つまり、小学生から高校生まで、あまた蝟集している修学旅行生は……。
すべて、タダで常設展を見てるわけです。

↑これは、ダダ。
当然のことながら、ひどく混んでます。
やかましいです。
いいかげんうんざりして来ました。
しかし、特別展には、お金を払わないと入れません。
普段のわたしだったら……。
別料金を払ってまで、特別展を見ることは無かったかも知れません。
でも、とにかく常設展のカオスから逃れて、静かに鑑賞したい気分になってたので……。
ほぼ、即決で『恐竜博2016』に入ることにしました。

安くありませんよ。
なんと!
大人の当日券は、1,600円です(高校生以下は、600円)。
常設展の大人の入館料は、620円ですから、3倍近くになります。
両方合わせると、2,220円。
大散財ですね。