2017.2.7(火)
「その時の天皇さんの、いと(嬢)はんが務めはるんやな」
秀男は、斎王の説明を続けた。
いと(嬢)はん、と聞いて道代は嘆息を漏らした。囁くように呟(つぶや)く。
「お身内の……わが娘はん、どすか……」
「せや。わが娘、いわば我が血肉の半分を……お伊勢はんに遣わさはるわけや。代参として、これ以上に適(かな)うお方はおらはらへんやろのう」
道代は、天を仰いだ。
嵯峨野、野宮(ののみや)神社境内の天空は、変わらずに穏やかな京の冬日だった。
道代には言葉は無かった。仰向いた顔をゆっくりと足元に向け直す。
志摩子が、少し俯いた道代の頭越し、秀男に顔を向けて声を掛けた。少し高いその声音は、半ば詰問するような色合いがあった。
「ほ(そ)んな秀はん。なんぼお身内ゆうたかて、おなごしはん(女子衆)を伊勢てな遠くに……。息子はんを遣らはら(お遣りになれば)よろしいやん」
「いや、それは無理ですわ。おとこし(男衆)はんは次の天皇はんの……跡継ぎ、ゆうことになりますよってなあ。よそ(他所)に……手放すわけにはいきまへん。仮に天皇さんが許しても、周りが許しまへんわなあ」
「ふううーん」
志摩子は、納得したような出来ないような、そんな色合いの声を上げた。
俯き、押し黙る道代の思いも似たようなものであったろうか。
「ほんででんなあ」
秀男は言葉を継ぐ。
道代と志摩子は、ただ聞き入るばかりだった。
「お伊勢はんに参らはる、ゆうことになりますと、ほらやはり大ごとですわなあ。掛かり(費用)も多いやろし、色々下準備もおますし……。ほの下準備の一つがここ、ののみや(野宮)はんですわ」
道代が、絞り出すように声をこぼした。
「ここで……行かはる前の……精進、潔斎、しやはった、ゆうことですやろか」
秀男は、深く頷いた。
「そうゆうことやなあ。ほの精進潔斎の場ぁは、もともとは決まった場所やなかったそうや。あちこちの……まあ、いずれこの嵯峨野の近辺やったそやが、ほの場ぁをののみや(野宮)ゆうたんやな。で、いつかここ。決まって嵯峨野のこの場所でやらはるようんなった。で、ここにちゃんとした神社がでけて、いっつもここで……。
ほれがこの、ののみや(野宮)神社はん、ゆうことなんやな。代々の斎王はんは、この神社で精進潔斎しやはって、ほんで伊勢に旅立たはったそや」
志摩子が、少し弾むような声を上げた。
「せや、秀はん。いと(嬢)はんゆうたかて、お年召さはったお方やったら、まあ、辛抱でけはったんやないやろか」
秀男は、軽く顔を横に振った。
「いやいや姐さん。ほれはおません。斎王はんは、結婚前のおなごし(女子衆)はん、て決まってますんや。神さんに、いわばお仕えにならはるわけやから、やっぱし未婚の……まあ、生娘はんやないとあかんわけなんですわ」
「はあー、ほうなん(そうなのか)、秀はん」
「へい」
道代は、絞り出すように呟いた。
「やっぱり……神さんにお参りする、ゆうことはそういうことなんどすかなあ」
「せや。しやから、お歳もお若い。いってはたち(二十歳)代、普通は十と幾つか。中には二歳なんちゅう斎王はんもおらはったそや」
道代は地に俯き、志摩子は天を仰いで絶句するしかなかった。
「ほんでやな、ここ、ののみやはんで……一年くらい籠らはって……ほの後、伊勢に向かわはるわけやな」
「一年……」
道代がポツリと漏らした。
その声につられたように、志摩子が秀男に問いかける。
「まさかお一人で……ゆうわけや、ないんやろ」
「ほらむろんどす。お身内のお方はおらはらへんけんど、お供の女官とか、警護の衛士とか……百人、二百人のお供が付かはったそうで」
「ほんでも秀はん……」
「まあ、お気持ちの上では一人っきり、ゆうことやなかったですかのう。なんせ親兄弟、親類縁者の誰ともお会いになれんようになる、ゆうわけでっさかい」
志摩子は、視線を秀男から外し、再び軽く天を仰いだ。
道代は相変わらず俯いたままだ。
秀男がさらに言葉を継ぐ。
「この、斎王はんが伊勢に行かはる行列を、斎王群行ゆわはります」
「ぐんこう……」
道代はようやく顔を上げた。呟きながら秀男に問いかける。
「どない、書くんどすやろ。秀はん」
「群れて行く、やのう」
「なんや……兵隊さん、みたいですなあ」
「ふむ。お道はん、あんた葵祭(あおいまつり)は知っとるかいな」
秀男の話は、少し横道に逸れるようであった。
「あ、へえ。春にやらはる……賀茂神社はんのお祭り、でしたかいな。いっぺんも見たことはおへんけんど」
「せや。賀茂はんは上賀茂(かみかも)はんと下鴨(しもかも)はんがあってな。まあ、祭りの日にはいろんな儀式がもたれるんにゃけんど、全体に古来の、まあ、平安の頃のんに習(なろ)たんが多い。もともと葵祭は賀茂祭ゆ(云)うたんやが、それこそ平安の昔からの歴史がある。儂らに馴染み深い祇園祭はまあ、庶民の祭りやが、葵祭は貴族、ゆうか御公家はん、ゆうか、のお祭りなんやな」
祇園祭、が出て道代と志摩子の気持ちは少し軽くなったか。
秀男の説明が続く。
「中でも、京都御所から下鴨はん。ほんで下鴨はんから上賀茂はんへ行く行列が祭りの山場ゆうかのう。平安貴族の衣装を纏(まと)た大勢のお方がぞろぞろと、ほらあ華やかなもんや。牛車も行くしのう」
「ぎっしゃ……」
もう慣れたか、秀男は即座に道代に答えた。
「牛馬(ぎゅうば)。牛(うし)・馬の牛に車(くるま)、と書く。牛が人の乗った屋根付きの車を引っ張るわけや。馬が牽くと馬車やが、これは知っとるやろ」
「あ、へえ」
「この牛にまで、きんきらの衣装を着せてのう。ほらあ、ほんまに奇麗(きれえ)な……きらびやか、ゆ(云)うかのう」
「秀はん。見たことおありなん?」
問いかける道代に、秀男は答える。
「ふん。いっぺんだけちらっとな。まあ、子供の頃やったし、ようは覚えとらんが、ほらもう目も眩むような、ゆうかのう」
「へえ」
「ほの行列の中でいっちゃん(一番)華やかなんが女人列(にょにんれつ)。女子衆(おなごし)はんだけの行列や」
志摩子が、自分を励ますように、声を上げた。
「あ、わかった。秀はん。ほの女人列の中心に斎王はんがいやはる(おいでになる)、と。こういうことなんちゃう?」
「はは。またまた当たりぃ、ですなあ、姐さん」
「ちゅうことはやね。ほの、えーと女人列? ほれはひょっとしてさっきの。えー、斎王、ぐん……」
詰まる志摩子に、秀男が助け舟を出した。
「群行(ぐんこう)ですなあ」
「ああ、せや。斎王、群行。ほれを真似たもんちゃうのん、秀はん」
「御見それしました、姐さん。ようお分かりで」
志摩子は笑みながら言葉を継ぐ。
「ほらあ秀はん。あんたの話の流れ考えたら、誰でも分かりますがね」
「いやいや、お見事」
志摩子は、隣に座って相変わらず俯いている道代の背を軽く叩いた。励ますように声を掛ける。
「道ぃ、やったで」
道代はようやく顔を上げ、しかし相変わらず呟くように返事した。
「よろし、おしたなあ。姐さん」
「なんやのん、道。空は暮れかかっとるけんど、あんたまで黄昏(たそがれ)とってどないすんのん。元気、出しぃ」
「へえ……姐さん。すんまへん」
「別に謝ることないけど。まあ、斎王はんの気持ちとか考えて、あんたが落ち込んどんのんもようわかるけんど、うちらにはどないしようも無いことやないの」
「そう……ですなあ、姐さん」
秀男が、二人を引き立てるように、軽く声を継いだ。
「ただ、姐さん。100点、とはいきまへん。95点ですなあ」
志摩子は笑い交じりに声を返した。
「なんや秀はん、5点減点かいな。何が違(ちご)とったん」
コメント一覧
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1. ちんちんかもかもHQ- 2017/02/07 12:59
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やっちゃいました
今回、秀男センセの斎王話に“加茂”神社が登場します。
ところが!実はこの「かも」神社。正しい表記は『賀茂』神社なんですね。
探すのは大変なんですが……、
表示画面の本文86行目に“加茂神社”、
88行目に“加茂はん”と“上加茂”、
96行目に“上加茂”とあります。
管理人さん。
誠にお手数をおかけしますが、この4か所の“加茂”を『賀茂』に修正願えますでしょうか。まことに無様な仕儀、申し訳ありませんがよろしくお願いします。
あ、『下鴨』神社はそのままで結構です。
読者の皆様には「アホめ」と笑ってお許しいただきますよう、お願い申し上げるとともに、当面は、『賀茂』神社とお読み替えの上お読みいただきますよう(妙な日本語)伏して御願い奉ります。
えー、気を取り直して一言。
今回、斎王話の一環として『葵祭』が登場します。
夏の祇園祭、秋の時代祭りと並ぶ、京都三大祭りの一つですが、その中で最も古い歴史を持つ祭りです。なんせ平安の昔から行われていたわけで、あの源氏物語にも登場するそうですが、もちろんわたしは読んでいません。
正式には賀茂祭(かもさい)をなぜ葵祭(あおいまつり)と称するのか。
登場人物?はもちろん、乗用の馬、牛車を引く牛に至るまで、全て髪に(牛馬に髪はないけど)葵の小枝を挿しているからです。
これは江戸期から行われるようになったそうですが、由来は賀茂神社
の紋(神紋)『二葉葵』だとか。
もう一言
今回のラスト近く、秀男のセリフです。
「95点ですなあ」
♪知っているのにワザとまちがえる
65点のひとが好き
(松本ちえこ『恋人試験』)
志摩子は、ワザと間違えたわけではありません。
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2. Mikiko- 2017/02/07 19:57
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カモ違い
直しておきました。
投稿された文章を読み返されるのは、大したものです。
わたしは、一切読みませんので(人のも自分のも)。
投稿前に気づいていただけると、もっと良いのですがね。
葵祭。
徳川家の三つ葉葵と関係してるのかと思ったら……。
賀茂神社の二葉葵ですか。
アオイという草本は、現代ではあまりポピュラーでは無いようですね。
巨大になるため、現代の狭い庭には向かないからでしょうか。
タチアオイ(ホリホック)やモミジアオイは、2メートルになります。
線路際や街道脇に生えてると、花色が派手なので目を引きます。
でも、強烈な色彩は、夏の盛りが終わることを告げている気もします。
冬場は地上部が枯れてしまいますが……。
宿根草なので、毎年、生えて来ます。
今年は、植えてみようかな。
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3. かも南蛮ハーレクイン- 2017/02/07 21:35
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お世話様でした
有難うございます。
と言っておきながらの、言い訳めいた話です。
先日もご紹介しましたこちらのローカル局、KBS京都テレビ。ここはさすが、という感じでちょこちょこ「京都もの」の企画番組を放送します。
で、シリーズ物で『京都・国宝浪漫』という1時間番組があります。長いし、少し内容がくどいんであまり見ないんですが、昨日の放送がタイミングドンピシャリ『世界遺産・賀茂社』というやつで、録画しておきました。で、今日の投稿後にこれを見たわけです。
その中で、賀茂社(賀茂神社)の宮司さん(上か下かは失念)が、概略(ぼそぼそとした口調なんでよく聞き取れなかった)こんなことを言うてはりました。
「『かもじんじゃ』というのは、文字が成立する以前からあった(ホンマかーい)。で、その後、適当に文字を当てはめた。だから『賀茂』でも『鴨』でも、更に『加茂』でも構わないのだ」てなことでした。
ははあ、それで上は『賀茂』下は『鴨』なんかい。んじゃ、加茂でもあながち間違いとは云えんじゃんか、と思った次第です。
がまあ、もちろん、上社の正式名称は『上賀茂神社』です(下は『下鴨』)。
さらに、上・下とも、ホントのホンマの正式名称があるんですが、そこまで深入りすることもないでしょうね。
へい、ご退屈様でした。
徳川の三つ葉葵
お、鋭い。
関係してる、かな、というところでしょうか。
徳川家がパクった、といいますか、松平家の先祖が賀茂神社と縁があったことに由来するとかしないとか、ということのようですが「さふでござるか確とは存ぜぬ」。
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4. Mikiko- 2017/02/08 07:31
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鴨
鴨という鶏の語源は、はっきりしないようです。
“カモ”も“カモメ”も、語源はひとつで……。
水面に浮かぶ鳥の総称だったという説もあるとか。
ひょっとしたら、古代の賀茂社は、水に浮かんでたんじゃないですかね?
厳島神社みたいに。
あるいは、大きな池に面してたとか。
賀茂神社が、ほかにないか調べたところ……。
なんと、わが亀田郷にもありました。
樹齢600年の大ケヤキが、県指定の天然記念物になってるそうなので……。
増水しても、水に浸からない場所なのでしょう。
洪水のときは、まさしく水に浮かんでるように見えたと思います。
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5. 待ちかねたぞ弁慶HQ- 2017/02/08 12:54
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樹齢600年の大ケヤキ
亀田郷の賀茂神社、ですか。
結構あちこちにあるようですね「かもじんじゃ」。
前コメ、松平家ゆかりの賀茂神社はもちろん愛知県にあるとか、あったとか。
鴨神社
なんと、高槻市にもありました。
市の西部、隣の茨木市に近いあたりに位置し。境内の森林がウリのようですが、自然林かどうかはわかりません。創建も不明。
かつての巨椋池に面してたりして。
で、張り合うわけではありませんが……。
高槻市に『一乗寺』という結構有名な寺があり、市のHPにも載っています。
境内に、樹高29m、樹齢800年、市の保護樹木に指定されているというクスノキの古木があります。『弁慶の駒つなぎ』と言われ、弁慶が馬をつないだという伝説があるそうです。ホンマかどうかはわかりません。
京都の一乗寺とどういう関係があるのか、これもわかりません。
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6. Mikiko- 2017/02/08 19:51
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鴨の語源
“浮かむ”の“う”が消え、“かむ”から“かも”に転じたのでしょう。
そう云えば、鴨長明がいましたね。
鴨氏は、賀茂神社の禰宜の家系だそうです。
これがホントの、カモネギですかね。
さらに遡ると、賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族だとか。
賀茂建角身命は、八咫烏に化身して神武天皇を先導しました。
鴨の前身は、カラスだったんですね。
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7. リクルートHQ- 2017/02/08 21:39
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カモネギ
お、おもろい。座布団一枚。
鴨長明。
名前はもちろん知っていますが、人物は全く知りません。
歌人として売り出しましたが、下鴨神社の禰宜になりたくて果たせず出家したとか。つまり「神職」から僧侶に「転職」したわけで、どうもよくわからん人物ですね。
しかし、この国の歴史には「カモ」が深く関わっているということでしょうか。わたしなどは下手に関わらす「敬して遠ざく」が無難なようです。
でも、葵祭と斎王話は何とか締めくくらにゃならんのだよなあ。どうも、厄介な引っ張り方をしてしまったようです(引っ張っとったんかい!)。
参考文献、というより参考映像がたくさんありますので、“資料読み”が大変です。がまあ、これは嬉しい悲鳴というところでしょうか。
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8. Mikiko- 2017/02/09 07:36
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カモ
空に“浮かむ”もの。
鴨氏の祖先は、天神系。
連想するのは、天の浮舟です。
やっぱり、宇宙船でやってきた一族だったんでしょうか。
話は変わりますが……。
『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』。
本日、BSジャパンで、18時23分からの放送です。
今回は、『会津若松→由利本荘』の前編(後編は来週)。
マドンナは、新田恵利さん。
最近、録画を忘れてばっかりだったので、久々になります。
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9. 天の浮橋ハーレクイン- 2017/02/09 08:28
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↑なんてのもありますね
カモ類の中には……
飛べない種類もいるそうです。
泳ぐか歩くしかないんでしょうが、外敵に襲われたら逃げ切れるんですかね。浮舟に乗るってわけにもいかんでしょうし。
バス旅
会津若松→由利本荘。
太川・蛭子コンビの最終旅ですね。
録画して保存してあります(保存ファイル名は『鉄道』)が、まだ見てません。
ヒマなときにゆっくり楽しみたいと思います。
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10. 手羽崎 鶏造- 2017/02/09 12:02
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カモとは、空に浮かむもの。
素晴らしいご指摘に感嘆しました。
となると、一方、カヌーとは海に浮かぶもの
なのかもしれませんね。
ある海洋冒険家の講演を聴いたときに、
カヌーという言葉が日本書紀に出ているという
こと。また、ポリネシアの人がその舟を指して
カヌと呼んでいだことの話を聞きました。
言葉が潮の流れに乗って伝わっていく、うーん
海洋ロマンを感じます。
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11. Mikiko- 2017/02/09 19:43
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ハーレクインさん&手羽崎鶏造さん
> ハーレクインさん
なるほど。
そちらは、テレビ東京系列局があるから、リアルタイムで見れるんですね。
新潟の地上波では、忘れたころに他局が放映します。
> 手羽崎鶏造さん
カヌーの話は知りませんでした。
「枯野」という漢字があてられてるそうです。
“カヌー”という語は、発生がポリネシアで、それが西欧に伝わったとか。
日本には、西欧経由ではなく、ポリネシアから直接伝わってたんですね。
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12. 手羽崎 鶏造- 2017/02/09 21:48
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その海洋冒険家は、説としてですが、
逆に、日本人の祖先が「枯野」カノを
先に使っていて、ポリネシアの人たちが
真似たことも考えられる。「くり舟」の語源は
日本かもしれないと話していました。
どっちでもいいのですが、なにかロマンを
感じますね。
ついでに申すと、沖縄の「てーげー」という方言は全く同じ「いい加減」という意味で、岩手県沿海部に有るそうです。
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13. Mikiko- 2017/02/10 07:29
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にゃるほど
言葉は、舟に乗って旅をしたということですね。