2017.2.2(木)
街道に女従者を見つけた大石桔梗は、右手の茶碗を置いて立ち上がった。
「ご苦労、用は済んだか?」
「ええ、先ずは歩きながら……」
「すまぬ、ここに置くぞ」
茶店の縁台に小銭を置くと、編み笠を被りながら桔梗はおもむろに歩き始める。
葛はそれとなく周囲に目配せをしてその背中に続いた。
「前を向いたままお聞きください」
つい振り返りそうになる桔梗に後ろから蔓は囁く。
「阿片の件は仲間に伝えました。昼間の目立つ捕り物にはならないでしょうが、近いうちにあの港は丹後から抑えられるはずです」
「なるほど……。では我々もそれに乗じて若をお救いすることが出来るかもしれぬな」
桔梗は笠の中で顔を輝かせた。
「ええ……しかし私は、あの潮影に若はいらっしゃらないのではないかと」
「どういうことだ?」
とうとう振り返った桔梗に、仕方なく蔓は足を止める。
「賊が要の仕事場に人質を一緒にしているとは思えません。おそらく若様は小浜のどこか……、そう、仲間の息のかかった場所ではないかと……」
「うむ……」
桔梗はその凛々しい眉を上げて唇を噛んだ。
「よし小浜に帰ろう。お役を積んだお前の言うことに間違いはあるまい……ん?」
同意を求めて顔を上げた桔梗であったが、編み笠を通して見た蔓の眼差しは、桔梗の脇を抜けて後方に固まっていたのである。
「桔梗様……、ゆっくりと振り返ってそのまま歩きましょう……」
桔梗が振り返った先に、いそいそと街道を歩み寄ってくる商人の姿が見えた。
“あの女……”
細く引き締まった肢体に、頬かむりの前から前髪を垂らした陰鬱な女が近づいてくる。
何気なく二人はまた歩き始めた。
「二度目です。この度はいつでも抜く用意を……」
背後の囁きに、桔梗は息を吐いて肩の力を抜いた。
みるみる女との距離が詰まっていく。
その間合いが二間余りに縮まった時、女の冷たい眼差しと桔梗の目が合った。
桔梗は一瞬息を止めて手の振りを女と刀の間合いに合わせる。
しかし音もなくすれ違ったその女は、そのまま後方に歩み去って行った。
しばらく黙って歩き続けた桔梗はようやく体の緊張を解く。
蔓は後ろを振り返りながら口を開いた。
「あいつ、阿片を守るために呼び戻されたに違いありません」
「ふうう……」
桔梗はもう米粒ほどに小さくなった女を振り返ってゆっくりと息を吐いた。
「おそらくあの女……、化身したり忍んで調べなどするより、狙った相手を殺めたり邪魔者を消す刺客と思われます。同じ忍び同士とはいえ、あの女には生臭い血の臭いがします」
「あの漁具小屋であった女と同じ類か……」
蔓は険しい表情のまま静かに頷いた。
「よし、ではあやつが戻って来ぬうちに早く若をお助け申さねば。蔓、私に手を貸してくれるか?」
「はい。我が身を顧みず私をお助けいただいた桔梗様を、このまま一人で行かせるわけには参りません」
頼もしい葛の返事に、桔梗はその少年の様な顔を輝かせた。
「よし、急ごう!」
二人は小さく頷き合うと、再び急ぎ足で小浜に向けて歩き始めたのである。
もうすっかり夕闇に包まれた海小屋。
外の波音を聞きながら茣蓙に座した鷹の目が薄っすらと開いた。
「帰ったか……」
音もなく入り口の引き戸が動いて、細身の女が蝋燭の灯に浮かび上がる。
「ご苦労だったね、飛燕」
待ちわびた仲間の到着に、鷹は目を輝かせて立ち上がった。
小屋の隅から黒衣装を持ってくると飛燕に差し出す。
「これは……?」
問いかけた飛燕の目をじっと見ながら鷹は口を開く。
「どうやらこの度の相手は甲賀だ。薄い油紙を挟んで薄絹の裏打ちをさせた。動きも落ちて音もするが仕方あるまい」
「甲賀……」
鷹は飛燕のつぶやきに静かに頷く。
「顔もこれで巻いて……。お前なら心配あるまいが、目には気を付けるんだ。もう春花と秋花はこれで蔵を見張っている」
飛燕は鷹を見つめ返しながら黙って装束を受け取った。
「明日は人足が集まり船で品物を運び出す段取りがついた。その後は小分けで京に運び込む」
鷹の話を聞きながら、もう飛燕は商人服の帯を解き始める。
「取り逃がした奴から知らせが回ったとすれば、今夜にでも丹波がここを抑えに来るかもしれん」
音もなく飛燕の着物が足元に落ちた時、鷹の視線がその身体に注がれる。
飛燕は商人服の下に何も身に着けてはいなかった。
カモシカの様に引き締まった、見事な裸身が蝋燭の明かりに照らし出される。
身を捩って衣装を纏う身体に、鍛え上げられた筋肉の動きとともに影がうつろう。
「春蘭は地下を見張っている。春花秋花、あたし、そしてお前と交代で見張りを続けるんだ」
「わかった」
やがて黒装束に背袋を負った飛燕は、そのままの格好で壁を背にして腰を降ろした。
再び自分も茣蓙に座った鷹は、つい苦笑いを浮かべて口を開く。
「ふふ……。あたしもあまり無駄口は叩かない方だが、いつもお前が敵方ではなくて良かったと思うよ……」
返事もせず目を閉じて腕を組んだ飛燕を、鷹は頼もし気に見つめた。
突然小屋梁にぶら下がった鈴が鳴った。
いち早く立ち上がった飛燕が引き戸から飛び出していく。
鷹も黒頭巾を覆いながらその背中を追う。
二人が走り寄っていく先に、蔵の入口の庇の上で篝火に浮かんだ春花秋花の姿が見えた。
何ということか、その下には二十人を超えるほどの黒装束の一団が取り巻いている。
「うふふふ、大勢でお出ましだね。面白くなりそうだ」
春花がそう見栄を切った途端、四五本の十方手裏剣が飛んだ。
耳を突く音で秋花が一本を跳ね返した後は、器用に二人はその飛び道具を交わした。
身をひるがえして大屋根に飛び上がった二人を、さらに何本もの手裏剣が襲う。
その得物を交わしざまに春花は一本の金串を放つ。
きらめく輝きに喉元を深く差し込まれた一人の黒装束が、もんどりうって仰向けに昏倒する。
「あっははは、遅い遅い。それじゃあ虫が止まっちまうよ。さすがに虫を使う連中だね。あっははは……」
上向きに飛び道具を使うことが不利と承知の上で、秋花は相手を煽り立てる。
しかしむきになって攻めを重ねると思いきや、世話役の指図で三四人が蔵の扉をこじ開けに庇の下に走り込んだ。
後の十数人は遠巻きに春秋花の二人を挑発する。
「ちくしょう、臆病者! 尋常にかかってこい!」
取り巻いた黒装束に秋花が罵声を浴びせると、春花がため息交じり呟く。
「なんだそりゃあ、こないだの坊やの受け売りかい?」
春花をにらみ返すかと思われた秋花だったが、下を見たままのその顔に笑みが浮かぶ。
「あっははは、やっぱり尋常は取り消しだ。あたしたちゃあ、こっから相手してあげるよ」
「ん……?」
秋花の視線の先をたどった春花に、一軍の背後から走りくる二つの黒影が目に入った。
一軍の最後尾から風の様に飛燕が舞い込むと、二三人の刺客の首筋から血しぶきが上がった。
逆手に握られた短めの刀が篝火に輝く。
一斉に一団の陣形が崩れると、その上から幾筋もの金串の輝きが線を描いた。
首や肩に金串を受けた数名の悲鳴が上がる。
慌てて体制を立て直そうとする中を、鷹は蔵の入口へ走り込む。
錠を引き切ろうとしていた一人の背中を袈裟懸けに切りつけた。
しかし肉を切る手ごたえがなく、何故か滑った刃は布を切り裂いたに過ぎなかった。
“鎖かたびら”
さすがに各地でお庭番を務める甲賀は、小屋を開ける役目の物を決めてそれなりの備えをしていたのだ。
振り返った相手の二人が鷹に切りかかる。
“いかん、このままでは……”
一人の刀を受けつつ身をかわした鷹は、心の中でそう呟いた。
防具ごと叩き殺すことのできる蓬莱は今ここにいない。
そう思いつつ渾身の力で相手の身体を蹴り返した時、
「ぐあ!」
春秋花の金串による敵の混乱に乗じて、入り口に忍び寄った飛燕の刀が解錠役の喉を貫いていた。
続けざまに鷹も切り込んで来たもう一人の敵の刀を受け返す。
しかし振り返った二人の前には、やっと態勢を戻した十数人の敵が迫っていた。
後列の数人が屋根の上に向かって何やら白い塊を投げ上げた。
それを見た鷹が叫びをあげる。
「受けるな! 離れろ!!」
頭上から落ちて来る白い玉を見上げた春花秋花は慌てて後方へ逃げる。
白い塊は屋根の上に落ちて次々と小さく破裂した。
飛び跳ねたかけらが瓦の上を焦がすようにじりじりと煙をあげる。
立ち上がる刺激臭に春花と秋花は、顔を覆った黒装束の上からさらに鼻を袖口で覆う。
「煙を吸い込むな!」
そう鷹が叫んだ途端、手裏剣と白い球が下の二人にも襲い掛かる。
鷹は身を飛ばして蔵の角から奥に転がり込む。
甲賀の一団は五六人ずつに分かれて鷹と飛燕を取り囲む。
さらに残りの三四人が屋根の上を窺い、もうもうと白煙の立ち上る屋根の上で春花と秋花は動きを封じられた。
その時びゅうと風を切る音がして、数人の黒装束が飛び道具片手に身をのけ反らせた。
左手に鎌の輝きを握って、飛燕の右手が三間にも余ろうかという鎖で円を描いている。
突然鎖が直線に動きを変えると、その先の鉄の分銅が敵の一人を襲う。
鈍い音を立てて頭を割られた相手が、二間も後方に飛ばされて地面に倒れ込んだ。
引き戻した鎖を振ってなおも相手を追うと、相手はたじたじと後足を使う。
思わず別の一団がその様子に目を向けた隙に、鷹は飛燕に向かって走った。
「飛燕、気を付けろ!」
鎖鎌は両手を使う上に、自分はほぼ同じ位置にとどまって戦う。
相手が少なければ交わされた後に刀で応じることも出来る。
ただ相手が大勢の場合、敵との距離が取れる代わりに、鎖を巻き付けるなどの特性は次の動作を遅くするため使いにくいのも確かだった。
鷹が叫んだのは、大勢相手に鎖鎌は言わば自滅覚悟の策だったからである。
さらに風を切った分銅が二人の足を払ったところに、鷹の放った一文字手裏剣が襲う。
相手は立ち上がりざまの首筋に深手を負って地面に転がった。
しかし飛燕が鎖を振り戻すと同時に、敵の一人が飛燕の顔めがけて何やら小さな袋を放つ。
鎖を引いたまま動けぬ飛燕がそれを払いのけると、破けた袋から飛び散った液体が頭から降りかかった。
頭巾の上からその液体が伝い降りた時、
「ぐ……!」
右目に激痛を覚えた飛燕は両目を閉じてうなりを上げた。
「飛燕、目を開けるな!!」
さらに飛び来る手裏剣を飛燕の前で防ぎながら鷹は叫ぶ。
「ぎゃ!!」
その時何故か、襲い来る黒装束の後方から別の叫びが聞こえた。
鎖とは違った、鋭く風を切る音が聞こえる。
騒動を聞きつけて地下から駆け上がった春蘭が、両手の鞭を振るい始めたのである。
それを見た鷹は叫んだ。
「よし! 飛燕、敵味方構わず、気配があれば思い切り鎖を振るんだ!!」
飛燕は両目を閉じたまま鎖を振るい始める。
鋭く風を切って分銅が飛んだ先で、飛び上がってそれを避けた鷹の大刀がそのまま相手の頭上から振り下ろされた。
脳天を砕かれた相手がその場に崩れ落ちる。
敵味方関係なく突き進んでくる飛燕の攻撃に、再び敵の陣形が崩れた。
「あははは、こりゃあ面白くなった」
「さあ、こうなったらもう下に降りるか」
懐から取り出した金串の束を口に咥えると、春花秋花も屋根から下に飛び降りる。
うなりを上げる飛燕の鎖鎌を飛び交わしながら、鷹たちの姿が躍動する。
体術に秀でた鷹たちの動きに、甲賀一団の叫びは徐々に小さくなっていった。
そこここに篝火に照らし出された黒装束が転がる中で、片膝を落とした飛燕の顔を鷹が覗き込んでいる。
傍らに立った春秋花姉妹をすり抜けて春蘭が近づく。
「ほら、もう一杯水を持ってきました」
再び飛燕が水で目を洗うと、鷹はその顔に両手を添えて火の方へ向けた。
「目を開けて……」
じっと見つめる鷹の顔がみるみる曇る。
「飛燕……。すまん……」
顔を伏せた鷹の廻りで、春蘭と春花秋花姉妹も神妙な面持ちでたたずむ。
毒で焼けた飛燕の右目は白く濁っていた。
「かまわない……」
ぽつりと漏れ聞こえた呟きに鷹は顔を上げる。
「左は見える。まだ仕事は出来る」
飛燕は立ち上がって懐から一本の一文字手裏剣を取り出す。
「飛燕……」
何事かと見つめる三人の前で、突然飛燕はその手裏剣を蔵の入口に向けて放った。
鋭く宙を飛んだ手裏剣は入口の柱の右一寸ほどに深々と刺さる。
「ふうん、少しまた稽古しなければならないね……」
ちらと鷹に視線を送った飛燕はそのまま海小屋へと歩き去っていく。
“敵ではなくてよかったか……”
鷹はその背中を見送りながらそう心の中で呟いていた。
コメント一覧
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1. 武具馬具武具馬具HQ- 2017/02/02 17:48
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↑三武具馬具
合わせて武具馬具六武具馬具
手裏剣
一応飛び道具、でしょうか。
鉄砲に比べ近距離でしか使えないし、殺傷能力は高いとは云えないでしょうが「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」(ちょっと論点が……)。受ける側にすると厄介な武器でしょうか。
各種の形態があるようです。伊賀と甲賀でも違うでしょうしね。
手裏剣の「裏」は「内」という意味だそうです。つまり、掌の中に隠し持って打つ、と。
鎖鎌
ときますと宍戸梅軒。
二天一流宮本武蔵に立ち塞がる巨大な壁、でしょうか。
しかし鎖鎌。
手裏剣と同じく、刀剣から見れば「意表を突く武器」。もっと云えば「邪道」「卑怯」と言いたくなるかもしれませんが、勝てば官軍。負けて死んでは文句も言えません。
金串
何も言うことはありません。
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2. Mikiko- 2017/02/02 19:58
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串焼き
串焼き屋と焼き鳥屋は、違うんですかね?
鶏以外のも焼く店が、串焼き屋?
日本で串を使う場合、どうして竹なのでしょう?
金串にすれば、再利用できるのに。
金串なら発熱して、具材の中からも火が通るし、いいと思うんですが。
なぜですかね?
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3. 居酒屋兆治HQ- 2017/02/02 21:21
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↑高倉の健さん&渡辺謙、各主演の映画
開店前、黙々と串に肉を刺す作業が印象的です
串焼き
は、焼鳥とほぼ同義のようです。
鶏以外だと「焼肉」になるんですかね。
金串
熱くて食べづらいではないか。下手すりゃ口を火傷します。
バーベキューじゃないんだから。
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4. Mikiko- 2017/02/03 07:49
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焼き鳥屋としないのは……
豚の臓物なども出すからじゃないでしょうか。
わたしは、焼き鳥を食べるときは、先に串から全部外してしまいます。
串のまま咥えると、串に残る肉がほっぺたに触れたりしますから。
外してから出してくれると助かるんですけど。
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5. 臓物の煮込みHQ- 2017/02/03 12:01
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豚の臓物
ホルモン、と言ってほしい。
ホルモンは「放るもん」。つまり「ゴミ、捨てる物」という意味です。
わたしは、焼くより煮込みが好みですが、これをこちらでは『ホルモン焼き』と云います。
>外してから……
これを嫌がる店主が、テレビでそう言ってました。
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6. Mikiko- 2017/02/03 13:06
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ホルモンは……
忘年会で食べました。
味は良かったんですが、なかなか噛み切れずに往生しました。
煮込むのに『ホルモン焼き』。
茹でるのに『カップ焼きそば』と云うがごとしですね。
串は焼くために打つんでしょう。
食べるときは邪魔なだけです。
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7. イカタコ食べないHQ- 2017/02/03 15:48
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↑噛み切れないんだよ
噛み切れないホルモン
それは調理が下手なんでしょう。
または、歯が弱っている、とか。
茹でるのに「焼き」
うまいツ! 座布団1枚。
邪魔なだけ一件
それが、料理人の矜持というものでしょう。
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8. Mikiko- 2017/02/03 18:30
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調理ではなく……
材料がそれなりだったんでしょう。
2時間飲み放題付きで、3,000円でしたから。
料理人の矜持を、客に押し付けてはいけませんね。
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9. 人生譲りっぱなしHQ- 2017/02/03 21:34
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>料理人の矜持
まあ、プロというのは多かれ少なかれそういうものでしょう。
ただ、野球やサッカーなら選手と客との接点はあまりありませんが、料理の世界はねえ。料理人と客とはいわば「サシ」の勝負。お互いに「譲れない」というところがあるのでは。