2017.1.31(火)
「とりあえずは代参、やが……」
秀男は、横に腰を下ろした道代に軽く目を遣り、その目を前に戻した。その秀男の視線の先には、先ほど潜った黒木鳥居が静かに建っていた。
「へえ。だいさん……」
道代の漏らす言葉は、心中の軽い動揺をそのまま表していた。
(だいさん……)
(なんやろ)
(ほんまに、なんのことやろ)
「字ぃはわかったのう、お道はん」
「あ、へえ。さっき、書いてもらいましたし……」
「まず、『だい(代)』やが……」
「へえ」
「これは、代わりに、ゆ(云)う意味やのう」
「かわり……」
「せや。事情があって、自分ではどないしてもでけへん。その代わりに、ほれをやったげる(してあげる)ゆうことやな」
「へえ、代わりに……」
「せや。ええかな」
「へえ」
秀男は、首を廻して道代に視線を向けた。
その視線を感じたか、道代も秀男を見る。
秀男は、満足そうに視線を戻した。
「ほれで、問題は『参』やが……」
「あ、へえ」
「さっき、漢字の説明するとき、参詣とか参内とかゆ(言)うたけんど」
「へえ……」
「お参りする、ゆう方がわかりやすいかのう」
「おまいり……」
「せや。お寺はんや神社はんをたん(訪)ねて、願い事することやな。あんたも、したことあるやろ」
「あ、へえ……」
答えたものの、道代には近い記憶はなかった。子供のころ、母親に手を引かれて、近在の神社に参詣した遠い記憶がよみがえった。故郷を離れて祇園に暮らすようになってからは……。道代には寺や神社に参詣した記憶はなかった。
(あかん)
(こらあかん)
(ほんまに)
(ばち、かぶるわ〔罰が当たる〕)
(こっからもんたら〔戻ったら〕)
(いこ)
(お許しいただいて)
(かならず、行こ)
(八坂はんやな)
(祇園の八坂はん)
(お参りにいこ)
「しやから代参は、誰ぞの代わりに寺や神社にお参りして、ほの人の願い事を代わりにしたげる。そういうことやな」
秀男が言葉を継いだ。
「へえ、よう、わかりました」
「まあもちろん。本来お参りゆうのんは自分でするもんやろし、そないせんとご利益も薄いかもしれん」
「へえ……」
「しやけんど、そこはそれ。いろんな事情が人にはあるしのう」
秀男の口調には、どことなく慨嘆めいた色合いが加わった。
道代はその変化を敏感に感じ取った。
(秀はん……)
(何ぞ……思い出してはるんやろか)
道代のそのような思いを感じ取ったか、秀男は口調を変えた。秀男の声は、自らを励ますような、そんな色合いになった。
「そないゆうたら、お道はん」
「あ、へえ」
「あんた、浪曲て知っとるかいな」
「ろうきょく……」
「落語や講談みたいな、話芸の一種やが……」
志摩子が口を挟んだ。
「そないゆうたら、こないだどこぞのお座敷に、浪曲師や、ゆうお方がおらはった。まだお若いお方やったけんど」
道代は、顔を秀男から志摩子に振り向けた。
「へえ、そないどすか、姐さん」
「まあ、聞かしてもろた、ゆうわけやないんやけんどな、浪曲」
「へえ……」
「その、浪曲の演目に『石松代参』ゆう、有名なんがあるんやが」
秀男の話は、代参に繋がった。
「いしまつ……」
「森の石松、や」
「あ、次郎長親分の……」
道代の声が少し弾んだ。
「せやせや。清水の次郎長の一の子分が石松やな」
「へえ」
「この石松がな。次郎長親分の代わりに、讃岐の金比羅さんにお参りに行く。つまり、代参、やな」
「へえ」
「その道中の騒ぎ、顛末を面白おかしゅう語るんが『石松代参』や」
「へえへえ」
志摩子が、また話に乗ってきた。
「秀はん。『寿司食いねえ、酒飲みねえ』やろ」
「『江戸っ子だってねえ』」
「『神田の生まれよ』」
秀男と志摩子は、半ば掛け合いのように言葉を交わし、賑やかな笑い声をあげた。道代もつられて笑う。
野宮(ののみや)神社の静謐な境内に、三人の笑い声が広がった。
「ほれでやな、お道はん」
「へえ」
「問題は、石松やのうて、天皇はんや」
「あ、へえ」
「天皇さんはお伊勢参りに行かんならん」
「へえ」
「しやけど、ご自分では行くことでけん」
「へえ」
「そこで、代参のお方を遣らはるわけやが……」
「へえ」
「このお方を斎王、ゆう(云う)んや」
「さい、おう……」
秀男の言葉を、道代はそのままなぞるしかない。
「斎王の王は、『王様』の『王』や」
「へえ」
「『斎』は……」
秀男は少し言葉を切り、考え込んだ。『斎』の説明が難しい。
秀男は、軽く仰向いて考え込む。
道代は口を挟まず、秀男の説明の続きを静かに待った。
ややあって、秀男は言葉を続けた。
「『斎戒沐浴』てわかるかのう、お道はん」
「へえ……お祈りとかする時に、身を清めることどすやろか」
「せやのう。沐浴、が身を清めること。斎戒は心の不浄を清めること、やな」
「へえ……」
「まあ、沐浴はともかく、斎戒は儂ら凡人にはなかなかむつ(難)かしいわのう」
「そない、ですなあ」
道代は、どこか他所の世界の話を聞いているような気になった。知らぬ間に、志摩子に目を遣る。
志摩子の気持ちも、道代と同じようなものだったのであろうか。道代と志摩子は、思わず微笑みあった。
「しやから、さいおう、は『斎戒の王さん』と書くわけや」
「なんや……神主はん、みたいですなあ」
「神主ゆうより、巫女はん、の方が近いかのう」
「巫女……」
「お。ゆ(言)うてなんだが、斎王はんはおとこし(男衆)やない、おなご(女子)はんや」
「へえええ」
道代と志摩子は、同時に同じ声を上げた。
志摩子が即座に声を継ぐ。
「しやけんど(だけど)秀はん。『王さん』なんやろ」
「はは、そうですなあ。そういうことでは『女王』ゆ(云)うた方がよろしいんやろけんど、『斎王』謂わはりますんや」
「ふううん」
道代と志摩子は、再び同時に嘆息を漏らした。
道代は心中で呟いた。
(さいおう、はん)
(おなごし〔女子衆〕、はん……)
「ほんで、その斎王はんはやな」
秀男は、静かに語り継いだ。
コメント一覧
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1. 物知らずハーレクイン- 2017/01/31 09:58
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秀男
祇園の置き屋(屋号、決めませんでした これは失敗)の下働きの老爺です。京都生まれの京都育ち。たいがいの歳なのに体は頑健、頭もまだまだしっかりしているという人物です。がしかし、さほど学があるとは思えません。
この秀男が、道代と小まめを相手に何やら講釈を始めました。ここまでの道中でもそうだったのですが、意外に物知りのようです。
小まめの志摩子は商売柄、耳学問と言いますか何やかんやの雑学めいた知識はあるようですが、問題は道代。学校にもろくろく通えなかったとはいえ、無知ぶりをさらけ出しております。
この道代が相手ですから、秀男が博学多才に見えるのは無理からぬところかもしれません。
問題は、そんなことやっている暇あるんかい、ということ。お座敷の時間が迫っていると思うのですが、秀男によりますと「まだまだ大丈夫」だそうです。
さらに問題は、この嵯峨野行が始まって以来、エッチシーンが全くないこと。変態エロ料理小説『アイリスの匣』といたしましては、誠に忸怩たる思いがあります。
野宮(ののみや)神社話に早急にけりをつけ、物語のクライマックス激エロシーンに移りたいと思います。
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2. Mikiko- 2017/01/31 19:53
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高橋是清は……
一時期、借金に追われ、置屋の三味線持ちになってます。
古典落語でも、身を持ち崩した若旦那が……。
船宿で、いきなり船頭をやるという無茶な話があります(『船徳』)。
秀男も、ひょっとしたら、とんでもない出自なのかも知れません。
嵯峨野のお座敷の、元・若旦那だったりして。
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3. 道草ハーレクイン- 2017/01/31 21:00
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秀男の出自
ふむ。
なんか……俄然、興味が湧いてきました。
お座敷に着く前に、これでもう少し寄り道しますか(やめとけ)。
しかし、寄り道に寄り道を重ねるというSF的?手法は、Mikikoさんに教わったんだよなあ(ほんまに、やめとけって)。
高橋是清
えらい以前の話題のようですが、よく考
えたら、物語時間?ではついこないだなんだよね。
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4. Mikiko- 2017/02/01 07:31
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嵯峨野の料亭に入ると……
出てきた女将が、「あら、兄さん」と驚くわけです。
兄が出奔した後、妹が後を継いだんですね。
『江戸東京たてもの園』で、高橋是清邸を見学したわけです。
現在連載中の『国立科学博物館』の前日でした。
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5. 嵯峨野の料亭HQ- 2017/02/01 13:06
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>あら、兄さん
ぼったくられる(たぶん)からなあ、秀男の給金では暖簾をくぐれないと思う。入るなら裏口・勝手口ですかね。
甘いもの屋なら大丈夫かな。
そういえば、京都の食べ物屋紹介のテレビ番組では、よく菓子屋や甘味処が登場します。
そのものずばり『京の菓子ごよみ』という、菓子店だけを紹介する番組もあります。一乗寺下がり松近く、双鳩堂の『鳩餅』(『アイリス』#112)は、この番組で知りました。
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6. Mikiko- 2017/02/01 19:44
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舞妓を連れて来たのに……
なんで裏口から入るんですか。
和菓子と云えば、蓬餅。
奈良市の『中谷堂』です。
ここは現在、世界的に有名になってます。
味ではなく、餅つきの技でです。
↓まずは、とくとご覧あれ。
https://www.youtube.com/watch?v=cGeUE9KK-es&feature=youtu.be
動画は海外にも広まり、「引退した忍者じゃないのか」などと噂されてます。
これを見るためだけに日本に来るアホもいるとか。
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7. 餅は餅屋ハーレクイン- 2017/02/01 23:16
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連れもって
大阪語;連れだって。
なんだ、志摩子と一緒するのか。
京都紹介番組。
『舞妓みらくる』というのもあります。舞妓はんが京都各所を訪れ店の紹介をする、わずか5分のミニ番組。
昨日の舞妓は祇園甲部の実佳子はん。甘いもの屋でわらび餅と葛餅を食べてはりました。
超高速餅つき
はじめは「なんや大したことないやんけ。儂、三人で(杵三本で)つくのん見たことあるで」と思いましたが、後半、まさにその三人搗き。最後は圧巻、まさに超高速の搗きと臼取り。いやあ、お見事。
●この世をばわが世とぞ思ふ餅搗きの欠けたることもなしと思へば(それは望月)
で、日本に来るアホ。
地獄谷の温泉猿も超人気。こやつらを見るために、わざわざ来日するアホもようけいてはるとか。
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8. Mikiko- 2017/02/02 07:25
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だから……
これから志摩子を連れて行くお座敷が、秀男の実家なんです。
中谷堂。
臼取り(こう言うんですね)をしてるのが、社長さんのようです。
日本以外の猿は、みんな熱帯にいます。
寒いところにいる猿というのは、海外の人にとって、とても珍しいようです。
下北で、小猿を吹雪から夫婦で守る写真も有名になりました。
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9. サル取りハーレクイン- 2017/02/02 08:29
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志摩子のお座敷
これは今後の展開の重要な舞台、コメントは一切控えたいと思います(そんな大層なもんかい)。
臼取り
まあ、こういう伝統行事?ですから、地方によって呼称は異なるようです。しかし、社長自ら……ですか。リキ、入ってますなあ。
北限の猿
でしたね、ニホンザル。
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10. Mikiko- 2017/02/02 19:56
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臼取り
捏ね取り、後取り、手合わせ、などの言い方があるようです。
わたしは、いずれも知りませんでした。
北限の猿。
海岸で貝を剥がしたり、海藻を採って食べるそうです。
漂着する野菜などもエサとするとか。
森の食べ物だけでは生きられないようです。
最近では、民家にまで出没し、台所を漁ったりして問題になってます。
天然記念物に指定されてるので、駆除することもままなりません。
人と猿との共存は、難しいでしょうね。
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11. ひと臼ふた臼HQ- 2017/02/02 21:12
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↑餅つきで、1回あたりで搗けた餅の数え方
茶臼
性交体位で、一般に女性上位を云いますね。
本茶臼、鏡茶臼、織り茶臼など、各種バリエーションがあります。
月見茶臼という優雅な名称のものも。
茶臼山
大阪市天王寺区の山。標高26メートル。
大阪五低山の一つだそうですが、青森県から宮崎県まで、全国各地にあるそうです。茶臼山。
>共存は難しい
それはそうです。
人と猿は別種。つまり赤の他人。
相手を滅ぼしてでも生きる、というのが本来の姿です。
共存しよう、なんてのは人だけの発想でしょうね。