2017.1.10(火)
秀男は、曲がり角の少し先で立ち止まり、二人に顔を向けて辛抱強く待っていた。
「すんまへん、秀はん」
「えらいすんまへん、お待たせして〔し〕まいまして」
志摩子と道代は、同時に秀男に声を掛けた。
辛抱強く、というより何の苛立った風情も見せぬまま、悠然と二人を見守っていた秀男は返答した。その声音は、佇まいと同じく、いや、それ以上に泰然としたものだった。
「もうよろしか。姐さん、お道はん」
「へえ」
「すんまへん、大丈夫どす」
志摩子と道代は、再び同時に言葉を返した。
軽く顔を綻ばせた秀男は、その顔を元に戻し、竹林の道の奥に向き直った。歩みを始めると同時に、志摩子にとも道代にともつかない声を掛けた。
「ほな行きまひょか」
秀男の歩調は、何事もなかったように落ち着き払い、一歩一歩を確かめるようなゆったりとしたものだった。
小まめの志摩子と道代は、その落ち着いた秀男に導かれるように、寄り添って付き随った。
いくらも行かずに、三人は再び曲がり角に行き着いた。今度は単に曲がり角ではなく三差路、いわゆるT字路であった。右回りに横に寝かせたT字とでも云おうか……まっすぐ伸びる三人の辿る径の途中から、左へ延びる径が現れたのだ。その交差点、二本の径の交点で秀男は立ち止まった。
志摩子と道代の行き足も自然に止まる。
京都祇園の舞妓小まめこと、竹田志摩子と、その付き人、小野道代。そして二人が属する置屋の下働きの老爺、秀男の三人は、嵯峨野竹林の道の只中で立ち止まった。
静かだった。
行き交う人は一人としてなく、鳥の声も聞こえない。時折、かすかに三人の耳に入るのは、頭上はるか、嵯峨野の風に軽く煽(あお)られる竹の葉叢の葉擦れ音だけだった。
「静かやねえ、秀はん」
志摩子が、囁くような声を秀男に掛けた。
顔だけ振り向いた秀男は、さらに小声で返事を返した。
「そうですなあ」
「これ、どっち行くのん、秀はん」
分かれ径をまっすぐ行くのか、それとも左へ曲がるのか。志摩子はその意味を込めて秀男に問いかけた。
秀男は、すぐにはその問いに答えず、前方に向き直る。片手を水平に挙げ、左前方を指し示した。
「姐さん、あこ〔あそこ〕……」
その指し示す先には、竹ではなく広葉樹の小さな森があった。
「へえ、秀はん」
「神社はんですわ。まだ時間おますし、よろしかったらちょと〔少し〕寄って行きまひょか」
「じんじゃ……」
「へい、ののみやはん、ゆ〔云〕わはります」
二人の会話を何となく聞いていた道代は、神社、の言葉で思い出した。
(せや)
(神社ゆ〔云〕うたら)
(八坂〔やさか〕はん)
(祇園の)
(八坂神社はん)
(お参りせなあかんかったんや)
(忘れとった)
(ころっと忘れとった)
(あかんあかん)
(あれは……)
(いつのことやったか)
道代は、思い出を辿りながら少し顔を上げた。しかしその目は、竹の葉叢も、少し暮れかけた京の空も見ることなく、過去の思い出だけを見ていた。
(たしか姐さんが)
(せや姐さんが)
(家出しやはって)
(ほんで)
(うちもお供して)
(ほして)
(行くとこの〔無〕うなって)
(鴨の土手で)
(行き暮れて)
(さぶ〔寒〕かった)
(ひもじかった)
(そこを)
(ほや)
(そこをこの)
(他でもない)
(秀はんが)
(見つけてくれはって)
(ほの帰り道)
(おせ〔教え〕てくれはった)
(八坂はんは)
(祇園の守りやあ、て)
(ほんでほのとき)
(うち)
(お参りしよ、て)
(八坂はんにお参りしよ、て)
(思たのに)
(忘れとった)
(ころっと忘れとった)
(あかん)
(こらあかん)
(こら罰かぶる〔罰があたる〕わ)
(お参りに行こ)
(こっからもんた〔戻った〕ら)
(お許しいただいて)
(必ずお参りに行こ)
「なにしてんのん、道」
道代の心中の独白は、志摩子に掛けられた言葉で遮られた。目を上げた道代は、曲がり角を曲がらず、真っ直ぐに進む志摩子と秀男に気付いた。慌てて後を追った道代はすぐに追いついた。志摩子と秀男は、曲がり角からいくらも行かずに立ち止まっていた。
「のみや、じんじゃはん」
志摩子は、神社の正面脇の石柱に刻まれた名称を、声に出して読んだ。
秀男は、軽く笑いを交えて訂正した。
「野宮、と書いて『ののみや』と読みますな」
「ののみや……はん」
「へい」
「どなたをお祀りやのん? 秀はん」
「天照皇大神、アマテラスオオミカミはんですな」
「アマテラス……」
「この国を作らはった神さんですなあ」
「へえ……」
「そないゆうたら、祇園の八坂はん」
「へえ」
「ご存じでっしゃろ」
「秀はん。祇園に住んどって八坂はん知らんお人はおへんやろ」
「はは、そうですなあ」
秀男は、志摩子から目を逸らしたまま、笑い混じりに答えた。
志摩子は、さらに言葉を継ぐ。
「八坂はんがどないしたん」
「八坂はんがお祀りしてんのはスサノオ、スサノオノミコトはんです」
「スサノオ……」
「へい。そのスサノオはんと、ここのアマテラスはんはご兄弟、ゆうか、姉弟ですなあ。アマテラスはんが姉さんで、スサノオはんが弟になります」
「へえ、姉と弟」
「へい。嵯峨野と祇園ですから、おんなし京都ゆうても、ちょと離れてますがな」
「へえ」
「なんで近くにないんか。まあ、あんまし仲のようないご姉弟やそうでっけど」
「へええ」
「なんや、派手な喧嘩騒ぎ、やらかさはったそうで」
「へえええ」
道代は、二人のやり取りを聞きながら思い出していた。
(ああ、やっぱし〔やはり〕)
(スサノオはん)
(祇園の、守り神はん)
(せやった)
(ほのスサノオはんと)
(仲のおよろしゅうない、アマテラスはん)
(先にお参りしてもうた〔してしまった〕)
(こらあかん)
(ほんまに)
(戻ったら)
(祇園に戻ったら)
(真っ先にお参りに行こ)
(せやないと)
(ほんまに罰かぶる〔罰があたる〕わ……)
「えんむすび……」
志摩子は、「野宮神社」と縦に刻んだ石柱の脇に立てられた高札の、かな書きの文字を読んだ。
「へい。この野宮はんのご利益は『縁結び』、つまり結婚の縁組成就なんですな」
「へえ。そらあ、お参りするお人、多いんやろねえ」
「はは。そうですなあ」
「まあ、うちらにはあんまし関係ないかな」
「そないなこと、姐さん。めったに来れるとこやなし。お参りしときまひょうや」
「せやなあ。あ、道。道、て。あんたも来よし。一緒にお参りしょ」
声を掛けられた道代は、志摩子の背後にそっと立った。数段の石段のさらに奥、蒼然としたたたずまいの鳥居が立っている。道代は思わず声を漏らした。
「あの鳥居……生(なま)の木ぃですやろか」
「お、よう見たのう、お道はん。あれが野宮神社名物「黒木鳥居」や。無論生やないけんど、皮を剥かんままの丸木をそのままつこ(使)た鳥居やなあ」
「へえ、黒木鳥居……」
志摩子は呟きながら石段を昇った。秀男と道代がすぐ後に続く。三人は肩を並べるように、野宮神社の黒木鳥居を潜った。
コメント一覧
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1. ♪京都嵯峨野にHQ- 2017/01/10 10:12
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♪吹く風は~
>静かだった
>行き交う人は一人としてなく……
京都嵯峨野、竹林の道ですが、今では考えられない情景です。
現在の竹林の道は「一人としてない」どころか、ひと、ひと、人でごった返し、足元の径さえ定かには確認できない(ちょっとオーバー)様な込みようです。
が、「小まめ時間」はそう……昭和30年代の初期というところですから、こんなものだったのではないでしょうか。
しかし、頭上はるかを吹き過ぎる嵯峨野の風は、今も変わらぬ風情?だと思います。
野宮(ののみや)神社
またも寄り道、早よ「お座敷」に着かなあかんのですがね。
野宮神社は、嵯峨野竹林の只中にあるこじんまりとした神社です。
白状しますと、わたしが竹林の道を訪れた時には、気が付かずにスルーしちゃってました。後日、ネットで嵯峨野を検索しているときに気付いたんですね。風景・様相はネットで見ることができます。まあ、わたしはこれを参考に書いたんですが。
黒木鳥居
古色蒼然、という言葉がよくあてはまる鳥居です。平安神宮の朱塗りの大鳥居(参考文献:『アイリスの匣』#58・#59)とは大違いですね。
がまあ、神社のたたずまいとはよくマッチしているようです。
で、次回、ようやく『最終目的地』(2009年アメリカ映画、主演:アンソニー・ホプキンス)に『とうちゃこ』(火野正平の自転車旅番組;NHKBSプレミアム)です(あくまで予定;こら!)。
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2. Mikiko- 2017/01/10 19:55
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京都
ちょっと、世界的に有名になりすぎました。
どこもかしこも、外人でいっぱい。
通の外人は、奈良や熊野に流れてるようです。
東京の浅草も、外人ばっかりみたいですね。
見た目は日本人な人たちも、ほとんどがアジア系外国人だとか。
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3. 見た目老人HQ- 2017/01/10 21:51
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↑実際老人
見た目日本人
すぐわかります。
わかるほど大声でしゃべってはりますから。
それはともかく、
今回の嵯峨野取材は竹林の道、つまりJR嵯峨野線の南側だけでした。で、今度機会を見つけて、北側にも行ってみようと思います。こちらには落柿舎や大覚寺、祇王寺など著名な建物があります。
まあ、志摩子と道代を歩かせるつもりはありませんので、取材じゃないんですが。
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4. Mikiko- 2017/01/11 07:33
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確かに……
わたしの行くスーパーにもいますね。
どうしてあそこまで、傍若無人に喋れるのか不思議です。
外国に来て、テンションが上ってるんですかね。
わたしが外国に行ったら、むしろ静かになると思うのですが。
落柿舎。
このあたり、修学旅行で、自由行動の日に行った気がします。
さっぱり覚えてませんが。
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5. 嵯峨野さやさやHQ- 2017/01/11 11:12
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↑歌唱:たんぽぽ
見た目日本人2
もともと地声がデカい、または仰る通り海外でテンション上がりまくり、の二通りの可能性がありますがさあどっち!?
落柿舎を覚えとらんとはどういうわけのもんじゃろかい。芭蕉ゆかりの建物ではないか。
まあ、高校生では無理かな。
名称の由来は少し間抜けですね。
♪雨の落柿舎田んぼみち~
あ、というより、そもそもどの建物を見たのか覚えていない、ということですかな。
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6. Mikiko- 2017/01/11 19:54
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落柿舎
芭蕉の弟子、向井去来の庵だそうですね。
芭蕉は、ここを3度訪ねたとか。
現在の庵は、江戸中期以降の再建のようですが。
保存・運営は、公益財団法人落柿舎保存会。
所有者は、誰なんですかね?
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7. 火事と喧嘩は……HQ- 2017/01/11 23:04
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↑それは京じゃなく江戸
再建落柿舎
火事で焼けたりしたんですかね。あ、応仁の乱か(あれは江戸じゃなく室町時代)。
所有者は去来の子孫じゃないすか。
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8. Mikiko- 2017/01/12 07:16
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再建したのは……
井上重厚(1738-1804)という俳人のようです。
向井去来が建てた場所と、現在の場所は違うみたいですね。
従って、もし私財だとすれば、所有者は重厚の子孫ということになります。
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9. 柿一つハーレクイン- 2017/01/12 08:35
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↑落ちて天下の秋を知る(それは桐一葉)
井上重厚
「しげあつ」はんですかね。
そうですか、場所違いですか。
建物の造作自体はどうなんでしょうね。大きく建て替えていたら、もはは『落柿舎』とは呼べませんが(呼んでますが)。
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10. Mikiko- 2017/01/12 19:53
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今の建物の敷地には……
柿は落ちなかったわけです。
なぜ、落柿庵ではなく、落柿舎なのでしょうね?
落柿舎大学って、ありそうですけど。
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11. 柿はあまり……HQ- 2017/01/12 22:22
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↑好きではありません、実は
落柿舎大学
それは同志舎。あ、同志社か。
嵯峨野には『直指庵』てのもあります。浄土宗の寺院で紅葉の名所だそうです。まあ、秋ともなりますと嵯峨・嵐山全域が紅葉に覆われますが。