2016.11.18(金)
さて。
何で、討ち入りの話をしてたんですかね?
あー、そうそう。
山田宗偏が、大高源五に吉良邸の茶会の日時を教えたという逸話からでした。
いやー。
実に面白いです。
物事を調べ出すと、さまざまなことが繋がってきます。
「禍福は糾える縄の如し」(ちょっと違う?)。
共に雪の日に起きた2つの大事件。
赤穂浪士の討ち入りと、二・二六事件。
これに関係した2人にゆかりの建物、『会水庵』と『高橋是清邸』が、目と鼻の先に建ってるんです。

不思議な運命を感じずにはおられません。
さてさて。
パンフレット解説の続きに戻りましょう。
この『会水庵(かいすいあん)』を建てたのは、山田宗偏ではないのです。
ここから、忠臣蔵に脱線してしまいました。
『会水庵』の施主は、宗偏が興した「宗偏流」の茶人、山岸宗住(会水)です。
この宗住を調べてみたら、またまた驚くべき事実を発見。
なんと、この『会水庵』が最初に建てられたのは、新潟県長岡市だったんです。
山岸宗住は、長岡市にある真照寺の出身で、本名は普該。
こちらも、お寺の息子です。
茶禅一昧(さぜんいちみ)という言葉があるように、茶の湯と禅は本質が同一だという考えがあります。

宗住は、若いころから、茶の湯、生け花、能などに親しむ育ちだったようです。
長岡では、江戸時代から藩主牧野家の茶道が宗偏流であったそうで……。

↑長岡市には立派な資料館もあるようです。今度、行ってみなくては。
宗住も、自然と宗偏流を習いました。
号の『会水』は、長岡にかつてあった『会水(あいみず)城』からとったそうです。
長岡に建ったのがいつなのか調べましたが、ほとんど情報が得られませんでした。
それ以前に、山岸宗住の生年すらわかりませんでしたが……。
執念で探索。
ようやく、1954(昭和29)年、89歳で亡くなったという記述を見つけました。
ということは、生まれは、1865(元治2・慶応元)年前後。
『会水庵』の竣工は大正期のようです。
しかし山岸家は、1927(昭和2)年、東京吉祥寺に移住します。
何で移住したのかは不明ですが、わたしが邪推するに……。
宗住は、この茶室を異常に気に入ってしまっていた。
いや、偏愛していた。
なぜなら、『会水庵』を吉祥寺に移築してるんです。
長岡を出たのは、『会水庵』が雪で潰れるのを恐れたからじゃないでしょうかね。

↑新潟の雪は湿っていて、ひとりでに落ちてはくれません。重いので、放っておけば確実に家が潰れます。
何で、討ち入りの話をしてたんですかね?
あー、そうそう。
山田宗偏が、大高源五に吉良邸の茶会の日時を教えたという逸話からでした。
いやー。
実に面白いです。
物事を調べ出すと、さまざまなことが繋がってきます。
「禍福は糾える縄の如し」(ちょっと違う?)。
共に雪の日に起きた2つの大事件。
赤穂浪士の討ち入りと、二・二六事件。
これに関係した2人にゆかりの建物、『会水庵』と『高橋是清邸』が、目と鼻の先に建ってるんです。

不思議な運命を感じずにはおられません。
さてさて。
パンフレット解説の続きに戻りましょう。
この『会水庵(かいすいあん)』を建てたのは、山田宗偏ではないのです。
ここから、忠臣蔵に脱線してしまいました。
『会水庵』の施主は、宗偏が興した「宗偏流」の茶人、山岸宗住(会水)です。
この宗住を調べてみたら、またまた驚くべき事実を発見。
なんと、この『会水庵』が最初に建てられたのは、新潟県長岡市だったんです。
山岸宗住は、長岡市にある真照寺の出身で、本名は普該。
こちらも、お寺の息子です。
茶禅一昧(さぜんいちみ)という言葉があるように、茶の湯と禅は本質が同一だという考えがあります。

宗住は、若いころから、茶の湯、生け花、能などに親しむ育ちだったようです。
長岡では、江戸時代から藩主牧野家の茶道が宗偏流であったそうで……。

↑長岡市には立派な資料館もあるようです。今度、行ってみなくては。
宗住も、自然と宗偏流を習いました。
号の『会水』は、長岡にかつてあった『会水(あいみず)城』からとったそうです。
長岡に建ったのがいつなのか調べましたが、ほとんど情報が得られませんでした。
それ以前に、山岸宗住の生年すらわかりませんでしたが……。
執念で探索。
ようやく、1954(昭和29)年、89歳で亡くなったという記述を見つけました。
ということは、生まれは、1865(元治2・慶応元)年前後。
『会水庵』の竣工は大正期のようです。
しかし山岸家は、1927(昭和2)年、東京吉祥寺に移住します。
何で移住したのかは不明ですが、わたしが邪推するに……。
宗住は、この茶室を異常に気に入ってしまっていた。
いや、偏愛していた。
なぜなら、『会水庵』を吉祥寺に移築してるんです。
長岡を出たのは、『会水庵』が雪で潰れるのを恐れたからじゃないでしょうかね。

↑新潟の雪は湿っていて、ひとりでに落ちてはくれません。重いので、放っておけば確実に家が潰れます。
コメント一覧
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1. 人間万事塞翁が馬HQ- 2016/11/18 12:04
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↑意味、似てるよね
禍福は糾える縄の如し
全然違います。
これは……人間の幸不幸は、縄の筋目のようにすぐ隣り合っている。不幸の次には幸福が、そのすぐ後にはまた不幸が……。禍福は人間の思案の埒外の要因で転変し、全く予測できない。だから、一喜一憂するものではない、気楽にいこうよ人生は、てなとこでしょうか。
「糾(あざな)う」は、撚り合わせる、くらいの意味ですかね。
会水庵を建てたのは山岸宗住
そうかあ、大工さんじゃないんだ。と、とりあえず古典的ギャグをかましておき、長岡かあ。
全然かんけーないけど、今読んでる本の登場人物の一人に河井継之助がいます。この人は越後長岡藩。ときますと読んでるのは幕末・明治もの。
「み」さんの行ったことない資料館(五七五、季語無し)
行かないんだよねえ、地元の美術館・博物館。
こちらにもようけあるんやけど、おそらく生涯行かないままになるんやろなあ。
滋賀、奈良、東京なんて結構行くんだけどね。
で、なにい!?
会水庵、長岡から吉祥寺に移築ぅ!
それはまたなんとなんと。
執念と云いますか、妄念と云いましょうか……。
よっぽどの思いだったんだろうね。
しかし、一体なんぼかかったんやろ、移築費。
てなことをすぐ考えるのが、大阪人の性です。
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2. Mikiko- 2016/11/18 19:44
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河井継之助
山本五十六と並び、長岡の生んだ偉人です。
米百俵の小林虎三郎も、長岡ですね。
長岡は、新潟市からすると、地元という感はありません。
普通列車だと、1時間以上かかります。
新幹線でも、2駅あります。
高速バスでは、1時間20分です。
あの程度の茶室なら……。
分解すれば、トラック1台に積めるんじゃないですか。
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3. ♪遠い他国でHQ- 2016/11/18 23:15
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↑♪忘れたさ(裕次郎・ルリ子『夕陽の丘』)
小林虎三郎
こさぶろう、じゃなく「とらさぶろう」だそうですが、全く知りませんでした
人を育て国を興す、ですかね。なるほど。
「米百俵」の逸話は、小泉元首相も所信表明演説で引用したそうです(2001年)。
虎三郎の↓漢詩『清夜吟』の一部です。
天上万古月(天上万古の月)
照我万古心(我が万古の心を照らす)
で、新潟と長岡は全くの他国。
新潟は広い、というより長いからなあ。
大阪と……そう、兵庫の姫路くらいかな。
これは歴とした他国ですね。
会水庵移築一件
いや、だからね。
分解・積載と云ったって、相当手間暇をかけないと、あちこち傷だらけになるんじゃないかなあ、との老婆心です。
大相撲
豪栄道。
一瞬立ち遅れて一気に押し込まれました。
完敗です。
ついでに白鳳。
やはり立ち合い負け。真っ直ぐ後ろに下がってそのまま土俵を割りました。
完敗です。
やはり病み上がりかなあ、白鳳。
殊勲の星は、今場所絶好調の遠藤。
こうなると、悪役顔の頃が懐かしいね。
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4. Mikiko- 2016/11/19 08:11
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新潟市と長岡市
中心部は遠いんですが、実は接してるんです。
新潟市に岩室村、長岡市に寺泊町が合併されたからです。
岩室村と寺泊町が接してたんですね。
寺泊町と和島村を合併したことにより、長岡市は海を持つことになりました。
日本の引っ越し会社の丁寧さには、外国人(特に中国)は驚嘆してるようです。
『会水庵』は、吉祥寺まで曳家したんでないの?
遠藤は、一刻も早く四股名を付けるべき。
相撲協会は、師匠を指導すべきです。
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5. 遠くて近きものHQ- 2016/11/19 10:54
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↑極楽、舟の道、男女の仲(『枕草子』)
遠いけどお隣
ということは、どちらもデカい、ということかな、新潟と長岡。
曳家
山を幾つも越えてかい。
その方が体(建物)に悪いわい。
遠藤の四股名
えらくこだわりますな。
故郷石川県の大先輩、輪島の例もあることだし……と考えているのかもしれません、追手風親方。
まあしかし、今場所の結果次第では、改名の話も出るんじゃないですかね。
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6. Mikiko- 2016/11/19 12:46
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輪島
輪島市が、改名しないでほしいという意向だったようです。
ちなみに、輪島の出身地は、七尾市です。
遠藤は、穴水町の出身ですね。
穴水山でもいいんでないの。
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7. ハッキヨイ!HQ- 2016/11/19 14:41
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穴水山
勝負師にアナ(欠陥)があったらアカンやろ~。
輪島もそうですが、穴水も能登。
石川県は旧加賀の国と能登の国。加賀と能登では、地理も人情も随分違うそうです(よくは知りませんが)。
で、能登人の人柄を表した言い回しに「能登は優しや土までも」てのがあります。一方、「能登は優しや人殺し」なんてのもありますが、これは贔屓の引き倒し、てな意味があるんでしょうか。
ついでに、「能登人の通った後は草も生えない」なんてのもあるそうです。
地元穴水では、恐ろしいほど盛り上がっているようです、遠藤人気。
これは、下手な四股名はつけられないでしょう。
Wikiによりますと、お喧し解説者の北の富士は、「三役昇進を果たした際には(かねて襲名の予定である)追手風部屋ゆかりの『清水川(元大関)』という素晴らしい四股名をぜひ名乗ってもらいたいね」と言っているそうです。
『清水川』は、大正・昭和期に活躍した大関で、現追手風部屋の創始者だそうです。何やかんやあった人のようですが、まあ時代が時代ですからねえ。
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8. Mikiko- 2016/11/19 18:23
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清水川
“川”のついた四股名は大成しないというジンクスがあるようです。
でも、“不知火型”の横綱は短命というジンクスを、白鵬は見事に覆しましたからね。
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9. どすこいハーレクイン- 2016/11/19 20:55
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「川」関
確かに、少ないです。
で、あまり強そうに聞こえませんが、何と云っても第34代横綱『男女ノ川(みなのがわ)』。昭和初期に活躍した関取ですから、もちろんわたしは見たことありません。
茨城県出身。四股名は百人一首の「筑波嶺の峰より落つる男女川……」に由来するそうです。
わたしらの年代の者になじみ深い「川」関は、元関脇の『長谷川』。この四股名は本名です。
大鵬、柏戸、北の富士、輪島、初代貴ノ花ら、錚々たるメンツと同世代の、懐かしいお相撲さんです。
長谷川関。
関脇で優勝しながら、大関になれませんでした。
不知火型
白鵬自身は嫌がったそうですね。