2016.11.16(水)
なお、ここからは余談ですが……。
吉良邸情報探索のからみで、ちょっとお時間を拝借。
情報探索で思い出すのは、何と言っても“夜泣き蕎麦屋の十助”です。
赤穂浪士の一人、杉野十平次です。
吉良邸近くで夜泣きそばの屋台を開き、吉良邸の動向を探ってました。

吉良邸の門番に大盛りサービスしたり、酒を振る舞ったりして取り入り……。
代金代わりに水を所望して、邸内に入り込んだりもしたそうです。
この蕎麦屋の常連客が、かねてより浅野贔屓の俵星玄蕃でした。
玄蕃は、尾張藩の武士でしたが……。
訳あって浪人し、吉良邸近くの横網(よこあみ)町で宝蔵院流の槍の道場を開いていました。
玄蕃には、十助がただの蕎麦屋ではないことが、ひと目でわかりました。
なぜなら、丼を差し出す指には、竹刀ダコがあったからです。
しかし、鍛錬を積んだ武士が夜泣き蕎麦屋になろうというのは、そうとうな訳があるはず。
玄蕃はあえてその訳を聞かず、蕎麦屋と客の付き合いを続けます。
蕎麦屋の十助も、玄蕃を「先生」と呼び、親しみを持って接しました。
そして、12月14日の夜。
この日、玄蕃は自宅でひとり呑んでました。
まさにそのとき!
冴えきった冬の大気に乗って届いてくる、太鼓の音を耳にします。
玄蕃の住まいから吉良邸までは、わずか1キロあまり。
陣太鼓の音色は、はっきりと吉良邸方向から聞こえてきます。
そしてその音色こそ、一打ち二打ち三流れ……。
まさしく、山鹿流の陣太鼓にほかなりません。
当時、吉良邸で何かあるとすれば、それは「赤穂浪士の仇討ちだ」というのは、江戸っ子なら百も承知のことでした。
もちろん、玄蕃も知ってました。
すぐさま、先祖伝来、俵弾正(たわらだんじょう)工夫の槍を掴んで飛び出します。
九尺(2.7メートル)もある大槍です。
↓以下、三波春夫先生『元禄名槍譜 俵星玄蕃』の名ゼリフ。
『けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高く取り上げし、白綾たたんで後ろ鉢巻眼の吊る如く、長押にかかるは先祖伝来俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて一足表に踏み出せば、天は幽暗地は凱々たる白雪を蹴立てて行手は……。松阪町~!』
このセリフの箇所では、毎回鳥肌が立ちます。
さて!
吉良邸に駆けつけると、まさに討ち入りが始まろうとするところでした。
総大将の蔵之助を見つけ駆け寄り、助太刀を申し出ます。
しかし、蔵之介には丁寧に断られます。
敵を討つのは、浅野の家臣に限られた務めだからです。
玄蕃もそれを悟り、槍を引きます。
その折、目の前を駆け抜けていく浪士がひとり。
その浪士が、振り向きざまに玄蕃に声をかけます。
「先生!」
その浪士こそまさしく、“夜泣き蕎麦屋の十助”その人でした。
「おうッ、蕎麦屋かー」
これが蕎麦屋の十助との今生の別れになることを、玄蕃は一瞬にして悟りました。
玄蕃は、吉良邸に背を向けると、槍を構えて仁王立ち。
もちろん、邪魔する者があれば、ひとりとして通さないという気構えです。

〽打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪ふみしめた
槍に玄蕃の 涙が光る
それではお聞きください。
↓三波春夫先生による『元禄名槍譜 俵星玄蕃』、フルバージョンです。
吉良邸情報探索のからみで、ちょっとお時間を拝借。
情報探索で思い出すのは、何と言っても“夜泣き蕎麦屋の十助”です。
赤穂浪士の一人、杉野十平次です。
吉良邸近くで夜泣きそばの屋台を開き、吉良邸の動向を探ってました。

吉良邸の門番に大盛りサービスしたり、酒を振る舞ったりして取り入り……。
代金代わりに水を所望して、邸内に入り込んだりもしたそうです。
この蕎麦屋の常連客が、かねてより浅野贔屓の俵星玄蕃でした。
玄蕃は、尾張藩の武士でしたが……。
訳あって浪人し、吉良邸近くの横網(よこあみ)町で宝蔵院流の槍の道場を開いていました。
玄蕃には、十助がただの蕎麦屋ではないことが、ひと目でわかりました。
なぜなら、丼を差し出す指には、竹刀ダコがあったからです。
しかし、鍛錬を積んだ武士が夜泣き蕎麦屋になろうというのは、そうとうな訳があるはず。
玄蕃はあえてその訳を聞かず、蕎麦屋と客の付き合いを続けます。
蕎麦屋の十助も、玄蕃を「先生」と呼び、親しみを持って接しました。
そして、12月14日の夜。
この日、玄蕃は自宅でひとり呑んでました。
まさにそのとき!
冴えきった冬の大気に乗って届いてくる、太鼓の音を耳にします。
玄蕃の住まいから吉良邸までは、わずか1キロあまり。
陣太鼓の音色は、はっきりと吉良邸方向から聞こえてきます。
そしてその音色こそ、一打ち二打ち三流れ……。
まさしく、山鹿流の陣太鼓にほかなりません。
当時、吉良邸で何かあるとすれば、それは「赤穂浪士の仇討ちだ」というのは、江戸っ子なら百も承知のことでした。
もちろん、玄蕃も知ってました。
すぐさま、先祖伝来、俵弾正(たわらだんじょう)工夫の槍を掴んで飛び出します。
九尺(2.7メートル)もある大槍です。
↓以下、三波春夫先生『元禄名槍譜 俵星玄蕃』の名ゼリフ。
『けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高く取り上げし、白綾たたんで後ろ鉢巻眼の吊る如く、長押にかかるは先祖伝来俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて一足表に踏み出せば、天は幽暗地は凱々たる白雪を蹴立てて行手は……。松阪町~!』
このセリフの箇所では、毎回鳥肌が立ちます。
さて!
吉良邸に駆けつけると、まさに討ち入りが始まろうとするところでした。
総大将の蔵之助を見つけ駆け寄り、助太刀を申し出ます。
しかし、蔵之介には丁寧に断られます。
敵を討つのは、浅野の家臣に限られた務めだからです。
玄蕃もそれを悟り、槍を引きます。
その折、目の前を駆け抜けていく浪士がひとり。
その浪士が、振り向きざまに玄蕃に声をかけます。
「先生!」
その浪士こそまさしく、“夜泣き蕎麦屋の十助”その人でした。
「おうッ、蕎麦屋かー」
これが蕎麦屋の十助との今生の別れになることを、玄蕃は一瞬にして悟りました。
玄蕃は、吉良邸に背を向けると、槍を構えて仁王立ち。
もちろん、邪魔する者があれば、ひとりとして通さないという気構えです。

〽打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪ふみしめた
槍に玄蕃の 涙が光る
それではお聞きください。
↓三波春夫先生による『元禄名槍譜 俵星玄蕃』、フルバージョンです。
コメント一覧
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1. ♪すがた蕎麦屋にHQ- 2016/11/16 09:49
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↑♪やつしてまでも
しのぶ杉野よ せつなかろ
二八そば
値段が2×8=16、つまり一杯十六文だったから、と聞いたことありますがホントなんですかね。
そういえば「按摩かみしも(上下)十六文」てのもありますね。上半身&下半身、つまり全身くまなく揉みほぐして16文。
今でいうと十六文は……500円くらい?
ということは、一文は30円ということかな。
で、いやあ、
たっぷり語っていただきましたなあ、俵星玄番。
気持ちよかろ、「み」さん。
♪今宵名残に見て置けよ 俵崩しの極意のひと手
これがはなむけ(餞)男の心
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2. Mikiko- 2016/11/16 20:02
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二八そばの語源
様々あるようです。
確かに蕎麦の値段は16文でしたが、そうなったのは、19世紀以降。
でも「二八そば」という言葉は、18世紀初頭から使われてたようです。
むしろ、「二八そば」だから、シャレで値段を16文にしたんじゃないでしょうか。
もう一つの説は、粉の割合。
蕎麦粉が8割で小麦粉が2割の蕎麦が、「二八そば」。
でも、この説もおかしい。
割合を言う場合、普通、主材料を先に言います。
つまり、「八二そば」となるはず。
ですがなんと!
江戸時代の蕎麦は、まさに「二八」だったそうです。
すなわち、蕎麦粉が2割、小麦粉が8割。
これで一件落着と思いきや……。
なんと、「二八うどん」があることが判明。
うどんは小麦粉だけで作りますから……。
「二八」が粉の割合であるという説が通りません。
で、ここでわたしが思いついたのが、セブンイレブン。
つまり、「二八」は、営業時間なのではということです。
でも、すぐに却下。
「二つ」という時刻は無いからです。
「四つ」から「九つ」までです(なんでじゃ?)。
結局のところ、定説はないようです。
蕎麦1杯、500円は高すぎでしょ。
それじゃ、おかわり出来ませんよ。
↓こちらのサイトでは、264円になってます。
http://www.teiocollection.com/kakaku.htm
俵星玄蕃。
三波春夫先生の歌唱は、芸の局地、まさしく“至芸”です。
しかしながら、この俵星玄蕃、実在の人物ではありません。
江戸時代の講談師の創作です。
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3. それにSF作家もHQ- 2016/11/16 22:54
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二八論考
いやあ、またも語っていただきました、二八そば。
本来なら、さらにいちいち考察すべきところ、どうも傷跡が痛んで集中できぬ。
やはり、退院が早すぎたかなあ。
俵母趾、いや、俵星
講釈師見てきたような嘘を言い、とはよく言ったものです。
まさに至言。
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4. Mikiko- 2016/11/17 07:24
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江戸の時刻
“九つ”から、“八つ”“七つ”“六つ”“五つ”“四つ”と下がり、また“九つ”に戻ります。
なぜ逆順で、しかも“一つ”から“三つ”が無いのか調べました。
9の倍数だったんです。
9(9×1)→18(9×2)→27(9×3)→36(9×4)→45(9×5)→54(9×6)。
この、十の位を省略して呼んでたんですね。
昼と夜を、それぞれ6等分するので、“四つ(9×6)”で終わりで、また“九つ(9×1)”に戻るわけです。
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5. 草木も眠るHQ- 2016/11/17 09:18
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↑丑三つ時
ついでに、↑これはどういうこと?
9の倍数
以前から気にはなってたんですよ。
理屈はわかりました。
が、なぜこんな表記法?になったのか、そのあたり全く理解不能です。
はっきり言って……アホじゃねえ?
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6. Mikiko- 2016/11/17 19:49
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丑三つ時
江戸時代の時刻の表し方には、前述した『数(九つ~四つ)』による方法のほかに……。
十二支による方法があります。
数では「九つ~四つ」が2組になるわけですが、十二支ならいっぺんに表現できます。
今の、12時間表示と24時間表示みたいなものでしょうか。
で、十二支表示の各時刻は、さらに四等分されて表現されます。
『丑』の刻であれば、『丑一つ』から『丑四つ』まであるわけです。
つまり、『丑三つ時』と云うのは、『丑』の刻を4等分した内の3番目ということです。
春分・秋分のときで、『丑三つ時』は、30分間ですね。
お化けが出る季節では、もう少し長くなりますが。
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7. 丑年生まれHQ- 2016/11/17 20:33
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丑三つ
お見事です。
秋分・秋分の日ですと、丑の時は午前1時~3時。
この120分を4等分しますから、丑三つ時は午前2時~2時半。
まさに草木も眠る……百鬼が夜行し、魑魅魍魎の跋扈する闇の刻限ですね。