2016.10.30(日)
↓まずは、是清邸の間取り図です。
思いの外、簡素ですが……。
移築されたのは、主屋部分だけなんです。
赤坂にあったころは、3階建ての土蔵や、離れ座敷もある大邸宅でした。
敷地、2,000坪(正方形とすると、一辺が81メートル)ですからね。
以前にも書いたとおり、江戸時代には……。
丹波篠山藩青山家の中屋敷でした。
丹波篠山の語感から、田舎大名を連想しがちですが……。
れっきとした譜代大名で、幕府の要職にも度々就いてます。
なお、赤坂の隣、青山の地名は、青山家の屋敷があったことに由来するそうです。
さて、是清邸です。
赤坂にこの建物が建ったのは、明治35(1902)年。
是清は、本所押上から、この地に移り住みました。
建物が完成するまでは、敷地内の古屋敷で過ごしたそうです。
その古屋敷が、青山家の中屋敷かどうかは、わかりませんでした。
おそらくは、明治以降に建てられた、さほど立派でない建物だと思います。
というのも、是清の自伝に、↓のような記述があるからです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「この日、かねて赤坂表町に新築中の新宅が、玄関及び廊下を除いて、ほぼ落成したので、邸内の旧家からその方へ引っ越した。そうして家内一同新食堂にて屠蘇や雑煮を祝い、久し振りで、人間の住居らしい我が家に新年を迎えた」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
つまり、「邸内の旧家」というのは、「人間の住居」らしくなかったわけです。
しかし……。
不思議な記述です。
「玄関と廊下を除いて」って、これらを除いたら、中に入れないじゃないですかね。
ま、いいとして……。
以後、是清は、昭和11(1936)年2月26日に暗殺されるまでの34年間を、この家で暮らしました。
是清は、家族との団欒や夕食をなによりの楽しみにしていたそうです。
↑これは、葉山の別邸だそうです。この半年後に暗殺されてしまいます。
夕食後に風呂を浴び、2階の寝室と書斎で、ラジオを聞いたり読書をしたりして過ごしたそうです。
孫と一緒に、庭を散歩する姿も見かけられたとか。
しかし、そんな幸せな日々は、軍靴と凶弾により踏みにじられました。
何よりも愛した、2階の部屋で、波乱万丈の生涯は終わりを告げたのです。
二・二六事件の2年後、この家と屋敷地は東京市に寄贈されました。
この主屋部分は、3年後、是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として使用されたそうです。
屋敷地は公園となり、元あった土蔵が改修され、高橋是清翁記念館となりました。
しかしながら、この記念館は、太平洋戦争で罹災し、消失したそうです。
敷地の一部はカナダ大使館になり、残った部分が『高橋是清翁記念公園』となっています。
↑庭園部分が、そのまま残されてます。是清も、ここを散策したんですね。しかし、歩きずらそうな庭ですね。
思いの外、簡素ですが……。
移築されたのは、主屋部分だけなんです。
赤坂にあったころは、3階建ての土蔵や、離れ座敷もある大邸宅でした。
敷地、2,000坪(正方形とすると、一辺が81メートル)ですからね。
以前にも書いたとおり、江戸時代には……。
丹波篠山藩青山家の中屋敷でした。
丹波篠山の語感から、田舎大名を連想しがちですが……。
れっきとした譜代大名で、幕府の要職にも度々就いてます。
なお、赤坂の隣、青山の地名は、青山家の屋敷があったことに由来するそうです。
さて、是清邸です。
赤坂にこの建物が建ったのは、明治35(1902)年。
是清は、本所押上から、この地に移り住みました。
建物が完成するまでは、敷地内の古屋敷で過ごしたそうです。
その古屋敷が、青山家の中屋敷かどうかは、わかりませんでした。
おそらくは、明治以降に建てられた、さほど立派でない建物だと思います。
というのも、是清の自伝に、↓のような記述があるからです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「この日、かねて赤坂表町に新築中の新宅が、玄関及び廊下を除いて、ほぼ落成したので、邸内の旧家からその方へ引っ越した。そうして家内一同新食堂にて屠蘇や雑煮を祝い、久し振りで、人間の住居らしい我が家に新年を迎えた」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
つまり、「邸内の旧家」というのは、「人間の住居」らしくなかったわけです。
しかし……。
不思議な記述です。
「玄関と廊下を除いて」って、これらを除いたら、中に入れないじゃないですかね。
ま、いいとして……。
以後、是清は、昭和11(1936)年2月26日に暗殺されるまでの34年間を、この家で暮らしました。
是清は、家族との団欒や夕食をなによりの楽しみにしていたそうです。
↑これは、葉山の別邸だそうです。この半年後に暗殺されてしまいます。
夕食後に風呂を浴び、2階の寝室と書斎で、ラジオを聞いたり読書をしたりして過ごしたそうです。
孫と一緒に、庭を散歩する姿も見かけられたとか。
しかし、そんな幸せな日々は、軍靴と凶弾により踏みにじられました。
何よりも愛した、2階の部屋で、波乱万丈の生涯は終わりを告げたのです。
二・二六事件の2年後、この家と屋敷地は東京市に寄贈されました。
この主屋部分は、3年後、是清の眠る多摩霊園に移築され、休憩所として使用されたそうです。
屋敷地は公園となり、元あった土蔵が改修され、高橋是清翁記念館となりました。
しかしながら、この記念館は、太平洋戦争で罹災し、消失したそうです。
敷地の一部はカナダ大使館になり、残った部分が『高橋是清翁記念公園』となっています。
↑庭園部分が、そのまま残されてます。是清も、ここを散策したんですね。しかし、歩きずらそうな庭ですね。
コメント一覧
-
––––––
1. 設計師ハーレクイン- 2016/10/30 11:12
-
是清邸
ケータイではよくわかりません。別棟があるんですかね。
田舎大名
歌いたくなっちゃうね。
♪丹波~篠山 山家の猿が~
押上
スカイツリーの近くだっけ。
玄関と廊下がない……
別に不思議ではありません。座敷が剥き出しになっていた、ということでは?
-
––––––
2. Mikiko- 2016/10/30 12:30
-
別棟ではなく……
左上の図は、2階です。
本所押上。
こんなところに住んでたのは、やっぱり茶屋遊びしたころのつながりなんですかね。
正月に座敷が剥き出しの家に引っ越したら、寒くてたまらんわ。
-
––––––
3. うちも……HQ- 2016/10/30 16:36
-
↑二階はありますが、
別棟はありません
別棟ではなく二階
ははあ、なるほど。