2016.9.29(木)
すらりとした八頭身が船に乗り込む様子を、お竜は物欲しげな眼差しで見つめた。
「じゃ春蘭、気を付けて行っといで」
船べりに片手をついて姿勢を保つと、春蘭は愛らしい笑顔で振り返る。
「はい。今度帰ったら、またゆっくりお酒飲みましょうね」
笑顔につられてつい片手を振ったお竜は、心の中で小さく舌打ちをした。
“ち、あの娘、酒に酔ったかと思ったらいつも要領よく逃げやがって……”
そんなお竜の横から鷹も船に片足をかける。
「みんな乗り込んだか……?」
舳で退屈そうに座っている春秋花を見つけた後、鷹は周囲を見回した。
「飛燕は……?」
岸で見送る沙月女が、船尾の方を見やる。
「飛燕なら心配いらないよ、ほら……」
船尾に身を持たれた細身の黒装束がじっと鷹たちに視線を向けていた。
鷹は小さくうなずくと沙月女を振り返る。
「では沙月女、ここは頼んだ。若のこともある、念のため向こうで最初の段取りが付いたら飛燕は先に返す」
「私の仲間も残したから使ってください」
傍らの春蘭も沙月女に向け笑みを浮かべた。
「わかった」
沙月女が合図を送ると、はしけの縄を解いた人足が船を櫂で押した。
ゆっくり動き始めた船の上で再び鷹が口を開く。
「もし怪しい者がいたら……」
そのつぶやきが消えぬうちに、蓬莱が錫杖の輪を鳴らす。
「わかってるよ。鷹がゆっくり寝られるようあたしが片づける」
「あれ頼もしい! ゾクゾクするねえ」
春花秋花の悪戯っぽい笑みを船べりに乗せたまま、滑るように船は岸を遠ざかっていった。
つづれ織りに下る道の途中から海が見え始めた。
「小浜か……」
日に輝く海辺沿いに街並みを見つけると、大石桔梗は少年のような凛々しい眉を吊り上げた。
羅紗からの書状では、賊はこの小浜に潜んでいるらしかった。
そして若もこの町のどこかに捕えられているのかもしれない。
だが情報を掴みかけた忍びも相次いで賊に討たれ、与えられた書面ではその人数さえ不確かなままだったのである。
とにかく今は賊の情報が欲しかった。
その上で用意周到に策を練り、追って小浜を訪れる伊織とお蝶と合流し、先ずは若の救出を優先せねばならない。
そして若を救い出した後、その時こそ……。
“おのれ、見ておれ”
10年前、羅紗姫をお国元へ送る大役で父は命を落とした。
桔梗は右手を握りしめて、再び海に向かって歩き始める。
しかしその時、物陰から自分の後をつける黒い影があることに、桔梗はまだ気づいてはいなかった。
「桔梗、頼みます、若を助けて!」
夢の中の羅紗の叫びで桔梗は目を覚ました。
小柄ではあるが引き締まった体がびっしりと汗ばんでいる。
布団から上半身を起こすと、気の強そうな眦の上がった目を二三度瞬かせた。
小浜に着いてから一夜が明けて、逆に道を後戻りした山間の農家の一室である。
焼き物の土を求めてと嘘をついて、費用先払いで長期宿泊できる農家を探し出した。
小浜の宿ではよそ者は目立ち過ぎて、これからのお役目に支障をきたすと思ったからである。
昨日は目立たぬように町の飯屋や雑貨屋などで世間話を交わした。
最初は口が重かった店の人間も、まだごく若侍に見える桔梗に気を許したのか、慣れるにつれ町の噂を口にし始めたのである。
その中で特に気になったのは、港の口入を主に取り仕切って、このところ夜の商売にも進出している天竜一家の話であった。
最近ではよその港にも勢力を張りだしているという噂で、このところ一家や港に見知らぬ顔が出入りしている様子も見受けられたということである。
“あやしい……”
心の中でそうつぶやいた桔梗は、港の近くをそれとなく探ってみようと思った。
漁船や人足連中の姿もまばらになった午後、初夏の日を受けて船着き場のほど近くに大小の海小屋が立ち並んでいた。
のどかに波が打ち寄せる音を聞きながら、一人の若侍が一見のんびりとその裏手で釣り糸を垂れている。
やがて土産のない釣りにも飽きたのか、大きく伸びをして立ち上がると、釣竿を担いでぶらぶらと歩き始めた。
周りよりひときわ大きい一軒の小屋の前で若侍は足を止めた。
入口の引き戸が二寸ほど開いている。
“よし、少し中を探ってみるか……”
周りに人影のないことを確かめると、大石桔梗は素早く小屋の引き戸を開けて中へ入っていく。
小屋の中は壁にいくつもの網が掛けられ、魚を入れるためだろうか、たくさんの桶が並べられていた。
どうやら普通の漁具小屋のようではある。
さらに中の間取りを確かめている時、突然桔梗はその動きを止めた。
誰かが静かに引き戸を開ける気配がしたからである。
急いで袖壁に身を隠した途端、
「だれだ?」
低い女の声がした。
「隠れても無駄だよ。遠くから入って行くのが見えたからね」
土間の土を踏む音と共に、ゆっくりと女が近づいてくる。
身を隠したまま桔梗は刀の柄に手をかけた。
袖壁の上から錫杖の先が覗く。
桔梗が刀を抜いて飛び出ようとする瞬間、誰かがその手を押さえた。
驚いて振り向いた桔梗の背後に、いつの間にか一人の黒装束が潜んでいた。
間髪を入れず黒装束は床に何かを叩きつける。
鈍い音を立てて小屋の中に白煙が舞い上がった。
「な、何だ!」
女が声を上げた後に、何かが重く風を切る音がした。
大きな音を立てて、桔梗が隠れていた袖壁の柱が叩き折られた。
「こっちへ!」
黒装束に手を引かれるまま、桔梗は身を低めて出口へと走った。
「まて!」
白煙の中を後ろから女の声が追ってくると、黒装束は懐から取り出した竹筒を振った。
「あ!」
液体の様なものをかけられて、女が声を上げる。
続けて黒装束が紙袋を放り投げると、途端に空気を震わす不気味な音が舞い上がった。
何匹かの仮面を被った様な蜂が白煙の中に飛び込んでいく。
「な、なんだこの虫は!」
女の驚きの声とともに、握りつぶされた蜂が煙の外に投げ出された。
「あ?!」
今度は黒装束の目が、覆面の間で大きく見開かれた。
「さあ早く!!」
引き戸から表へ飛び出すと、桔梗は黒装束に続いて海小屋の間を一目散に走り去って行った。
山際の森の中に走り込んだ二人はようやくその足を止めた。
「はあ……、もう大丈夫でしょう。ここらで一休み致しましょう。はあはあ……」
黒装束は脇の切り株に腰を降ろすと、顔を覆った黒い布に両手をかける。
まだ荒い息を吐きながら桔梗はじっとその様子を見つめた。
「あ! おまえは……」
「茶店では失礼を致しました」
女は青白い顔に微かな笑みを浮かべた。
「おまえ、なぜ………、いや、お前一体何者だ……?」
女がひっつめに結った紐を解くと、艶のある黒髪が肩の上に揺れ落ちる。
「それはまだ申し上げる訳には参りませんが、ここ二日ほど陰ながらお付き合いした加減では、お武家様と私は……たぶん反目ではございません」
一重瞼の切れ長の目が桔梗をじっと見つめた。
その目から冷徹な忍びの心を感じた桔梗ではあったが、何故かその女に敵意や恐怖を感じることはなかった。
「私は丹波以外より命を受け、ある場所の不穏な動きを調べております」
「丹波以外より……?」
桔梗は胸を突かれる思いでつぶやいた。
「してその、ある場所とは……?」
女は一瞬口を閉じたが、小さく息を吐いて桔梗を見上げる。
「お武家様になら大事はないでしょう。丹後の潮影でございます」
「丹後の潮影……」
桔梗は木々の間から差し込む日の光をじっと見つめた。
「おそらくお武家様は丹波の若君をお探しですね? 私は若君の一件とは無縁ですが、道行く先はたぶん一緒だと……」
しばしじっと女の顔を見つめた桔梗であったが、やがて思い切ったように口を開いた。
「そうだ、私は丹後より若様を救いに参った大石桔梗と申す。お前が誰の命で何を探っておるかは知らぬが、頼む、若を無事お救いする術を何か知っていたら教えてはくれぬか」
少年のような一途な顔に、ふと女の表情が緩んだ。
「まあお武家様、まずはこちらに……」
女は横の切り株に向けて片手を広げた。
傍らに腰を降ろした桔梗を女はじっと見つめた。
「もうお名前までお教えいただいて、きっとお若いだけじゃなく、大石様はまじめで正直な方でいらっしゃいますね」
桔梗の顔に心なしか赤みが射した。
「私はただお役目を……」
「分かっておりますよ。私の名前は、蔓(かずら)と申します」
「かずら……?」
「はい。私もまだ若君については何も分かってはおりませんが、ここは一人より二人で動いた方がお互いに得策の様ですね……」
桔梗は蔓に頷いた。
「後に若君を助けに参る方もいるが、それまで少しでも情報を得ねば」
蔓は切り株から立ち上がった。
「では話は決まりました。しばらく力を合わせて動きましょう」
「うむ」
桔梗も立ち上がると、もう歩き始めた蔓の後を追う。
「大石様、今日の様に相手とやり合うのは得策ではございません。腕がお立ちになるのは承知しておりますが、顔が知れてしまっては動きも出来なくなります。今日のところは、煙玉でまだ大丈夫でしょう」
「わかった」
肩を並べて歩きながら、桔梗には珍しく大人しい返事を返す。
「ああそれから……」
蔓の足が止まる。
「大石様には、ひとつだけ正直ではないところがありました」
桔梗は蔓の顔をじっと見上げた。
「大石様は、女の方でいらっしゃいますね……?」
桔梗の目が大きく見開かれた。
「やはり……」
蔓は再びゆっくりと足を進める。
「ではこれからは、大石様ではなく桔梗様とお呼びすることに致しましょう」
蔓の後を追いながら桔梗は問いかける。
「お前なぜ? そうか、宿の中で……」
そんなつぶやきに蔓はゆっくりと首を振った。
「匂いです。最初の茶小屋でお会いした時から分かっておりましたよ」
慌てて襟元に鼻を近づける桔梗に蔓は続ける。
「一度騒動を起こした以上、いずれ今の農家にも手が回ってきます。すぐ荷物を引き取って、今夜から私と一緒に野宿をしていただきます」
「あ……、なに、野宿?」
まるで姉に諭された妹の様に、桔梗は蔓の背中に呟いたのである。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2016/09/29 07:54
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小浜
ずーっと、“こはま”と読んで来ましたが……。
違ってました!
“おばま”でしたね。
オバマ大統領就任のとき、大騒ぎになった市です。
福井県の若狭地方にある港町。
古くから、畿内との関係が深い地方で……。
国宝や国指定の重要文化財が多く、"海のある奈良"と呼ばれてるそうです。
人口は、3万人弱。
豪雪地帯に指定されているそうです。
新潟市より降るんでしょうね。
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2. 海のない奈良HQ- 2016/09/29 09:00
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よっ、大統領!
知り合いに「小浜」さんがいてはります。
ちょっと前に話したとき「儂、ホンマは『おばま』やねん」て、言わはりました。周りの人はみんな「こはま」さんと呼びます。
で、「みんなにそない言わはったらええのに」と言いますと、「もうええねん。どっちゃでもええわ」と、笑(わろ)てはりました。
ウソのようなホントの話です。
『海のある奈良に死す』は有栖川有栖。
つまらないから読まない方がいいです。
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3. Mikiko- 2016/09/29 19:47
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苗字の読み方
戸籍にフリガナはありませんからね。
新潟では、五十嵐は、“イカラシ”である場合が多いです。
小柳が“おやなぎ”も同様です。
小浜市。
継体天皇とは、関係が無いんですかね。
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4. 読み書き算盤HQ- 2016/09/30 02:50
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読み方
そういえば、名前に使える漢字には制限がありますが、読み方は自由だと聞いたことがあります。
第26代継体天皇
福井県で幼少期を過ごしました。ひょっとして小浜だったりして。
と思ったら、福井県坂井市でした。残念。
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5. Mikiko- 2016/09/30 07:46
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読み方
自由というより、登記の項目に無いんですから、規制しようがありません。
海原お浜・小浜。
どちらも、岡山県高梁市の出身で、小浜市とは関係がありませんでした。
高梁市には、海さえありません。
芸名は、“お浜・小浜”が先にあって、その流れから“海原”が付いたようです。
上沼恵美子(海原千里・万里)の師匠ですね。
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6. コーリャン市HQ- 2016/09/30 17:46
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高梁市
備中高梁(びっちゅうたかはし)ですね。
『八つ墓村』の匂いがぶんぷんします。
フーテンの寅さんシリーズでは、二度、舞台になりました。
上沼恵美子
千里の方ですね。
ABC『おしゃべりクッキング』は、どうしても見てしまいます。











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