2016.9.20(火)
小まめの志摩子は、改札係の駅員から受け取った切符を握りしめ、改札口を通り抜けた。秀男を探す。
秀男は、プラットホームの上、少し線路側に寄ったところに立って、改札口に向き直っていた。
道代は、志摩子に続いて改札口を通る。駅員に切符を差し出した。切符は縦が2~3センチ、横幅が5~6センチほどの長方形。硬い、しっかりとした紙質の硬券であった。
切符を受け取った駅員の手元で、改札用の鋏が立てる軽い音が聞こえた。と思う間もなく、駅員は切符を付き返してきた。
その手際のあまりの鮮やかさに、道代は少しどきまぎした。おずおずと差し出す道代の手に、押し付けるように切符が押し込まれた。切符の角が道代の掌に食い込む。その軽い痛みは道代に、確かに受け取った、という妙な安心感を抱かせた。背後に続く乗客に背を押されるように、道代は改札口を通り抜けた。改めて、手の中の切符を見つめる。切符の縁には、一か所、小さな切り欠きが出来ていた。駅員の改札鋏が切り取った痕だった。
(これは……)
(改札を通り抜けた、ゆう印なんやろかなあ)
そんなことを考えながら顔を上げた道代に、こちらに笑いかけてくる秀男と、小まめの志摩子の姿が目に入った。道代は、小走りに二人に駆け寄った。
「すんまへん、お待たせしました」
「なんぼも待ってへんよ、道。上手いこと改札、通ったやないか」
「とんでもおへん。こないなこと初めてどすさかい、何や慌ててもうて(しまって)……」
「あんたなんか上手い方や。うちなんか、切符渡せへんかったり、受け取んのん忘れたり……。だいたいが、切符なんちゅうもん、初めてやさかいなあ」
志摩子は、道代と秀男を等分に見詰めながら言葉を継いだ。
「しやけど道。秀はんに付いて来てもうて(もらって)、ほんまよかったなあ。うちら二人だけやったら、どないなっとったか……」
小まめの志摩子は、出がけに駄々を捏ねたことなど忘れたように笑った。
「ほんまですなあ、姐さん。間違いのう、今頃迷子になってましたやろなあ」
「ふん。しやけど、これで電車の乗り方わかったさかいな。こん次は大丈夫や」
意地っ張りの小まめの言い様に、秀男は笑い混じりに声を掛けた。
「ほな行きまひょか、姐さん。こっちですわ」
改札口を向いていた秀男は、案内するように、自分の左手方向に歩き始めた。道代と志摩子には知る由もなかったが、そちらは大阪方面であった。
秀男の後を追い志摩子が、続いて道代が一歩、二歩……。
その時、鋭い汽笛が駅構内に響いた。驚いて立ち竦み、目を遣る道代と志摩子の眼前に、連結棒(カップリング・ロッド)を動かし、ゆったりと三つの動輪を動かして動き始めた蒸気機関車の姿があった。車体上部の煙突から白煙が吹き上がる。煙は、ほぼ無風の京の空に昇って行く。C58型蒸気機関車であるが、そのような型式番号など、道代と志摩子はもちろん、秀男も知らないことであった。
道代と志摩子、それに秀男の三人が歩み始めたのは、京都駅の最も北寄りのプラットホームである。その隣のホームとの間に留まっていた列車が、動き始めたのだ。C58型蒸気機関車に牽引された列車は、貨物列車であった。
列車を構成する各車輌は、それぞれ連結器で繋がれている。先頭の機関車に引かれ、全ての連結器の遊びが伸び切った。噛みあう連結器の顎どうしがぶつかり合い、騒々しい音を立てた。
三人の向かっている方向とは逆向き、東京方面に向かって、ゆっくりと列車は速度を上げてゆく。

↑クリックすると、大きい画像が見られます。C58が牽引する奈良線貨物列車『京都駅/昭和46年9月』。
見たこともない列車の容貌に、道代と志摩子は思わず見惚れた。足が止まる。
貨物列車は、多様な貨車が多数連結されている。道代と志摩子の前を通り過ぎていく貨車は……屋根のある、箱状の有蓋(ゆうがい)車。屋根のない、積み荷が剥き出しの無蓋車。
有蓋車の積み荷は、もちろん外からは見えない。だが、中には車体の壁に多数の隙間が開いた車輌も混じっていた。車内の通気性を高めるための工夫である。道代は、その隙間から動物の姿を見て取った。
(あ)
(牛や)
(ちゃう、山羊、かな)
(なんやろ)
(豚、ゆうことはないやろ)
(あんなんまで載せるんやなあ)
(ああもう……行ってもうた〔しまった〕)
道代が見送った有蓋車は、通風車、ないし家畜車と称される貨車である。家畜や野菜、果物などを運ぶための車輌であった。
その積み荷の動物を確認する暇もなく、道代の眼前を次々と各種の貨車が流れるように移動してゆく。多くは無蓋車であった。その積み荷は木材、砕石、各種機械類……。
積み荷の種類が見て取れないほど、列車の速度は上がってゆく。
道代の眼前を、ひときわ目立つ車両が行き過ぎて行った。台車の上に、横倒しの、巨大な円筒形の容器のようなものが据えてある。石油など液体状の物を運ぶタンク車と称する貨車であった。
貨物列車の最後尾の車輌が行き過ぎていった。その尾部には展望台のようなデッキが設けられている。列車の車掌が乗務する車掌車であった。
既に遠くなったC58型蒸気機関車が、別れの挨拶のようにもう一度汽笛を鳴らした。遠ざかる列車のレール音とその汽笛の音は混ざり合い、道代の耳朶にかろうじて届いた。
道代は、空になったレールの向こう、隣のホームに目を遣った。人が溢れていた。こちらのホームとは比べ物にならない位の人波が、ホーム一杯に佇み、行き交っていた。
(まあー、なんと)
(あないに、ようけのお人が……)
(あのお人らの中にうちらも……)
加わるのだろうか、と考えた道代は、足が竦んだ。
いまさらながら、祇園以外はほとんど知らない、いわば京の田舎者だ、と思い知らされた道代だった。
その道代に、志摩子が声を掛けた。
「何してんのん、道。行くで」
志摩子と秀男は、すでに歩き出していた。
我に返った道代は、慌てて小走りに二人を追った。その掌の中には、お守りであるかのように、嵯峨駅ゆきの切符が握りしめられていた。
歩む三人の前に上りの階段が現れた。壁と屋根の付いた跨線橋の階段である。踏み面も含め、すべて木製であった。跨線橋は、ホームから隣のホームへ移動するための、まさに橋である。
道代は、心中ため息をついた。
(やっぱし……)
(あっちへ行くんか)
(気ぃ、重〔おも〕なるなあ)
そんな道代の思いを見透かしたように、秀男は階段の登り口を逸れた。跨線橋の脇をすり抜けるように、さらにホームの先へ進む。ホーム上の人は一気に少なくなった。
道代は、そっと秀男に語り掛けた。
「あの、秀はん……」
「なんや、お道はん」
「あっちへ行くんやないんですか」
あっち、と道代は、向かいのプラットホームを指さした。
「ああ、あっちゃは東海道線や。大阪や東京へ行く列車のホームやさかいなあ、今日の儂らには関係ない。儂らの乗るやつは、このホームのもうちょっと先や」
「そないどすか……」
秀男の答えに返答する道代の声音は、心底安心した、という色合いが滲み出ていた。
それを感じ取ったか、秀男は改めて道代に声を掛けた。
「なんや、お道はん。あっちゃのホームには行きとなかったんかいな」
「え……へ、へえ、まあ……」
「ほうか」
秀男の声音は、納得した、というように柔らかくなった。
志摩子と秀男は、先になり後になりしながら歩みを進める。あとに続く道代。
ホーム脇の線路に、列車が止まっていた。
「秀はん、あれかいなあ」
「そうですわ。このホームは山陰本線。今から行く嵯峨駅を通る路線ですなあ。急行とかやったら嵯峨には停まりまへんけど、さっき確認しときました。これは鈍行でっさかい大丈夫です。発車まで、少うし間がおますけんど、乗って座っときまひょか」
「せやなあ」
列車の中ほどの車輌にたどり着いた三人は、乗降口に向かった。
コメント一覧
-
––––––
1. いちおう「鉄」HQ- 2016/09/20 15:28
-
硬券
懐かしいですね。
今の若いお方はご存じないかなあ。
で、入鋏(にゅうきょう)。
道代が呟いたとおり、「改札を抜けた」という印、チェックですね。
この切り欠きの形は、駅それぞれで異なっていました。大阪駅の場合、アルファベットの「M」字の形でしたが、子供のころ考えたものです。「全国すべての駅で違う形なんやろか」。もちろん、そんなことはあり得ないですよね。確認したことはありませんが。
C58が牽引する貨物列車画像
UPいただき、ありがとうございます。
しかし、よう見つけはりましたなあ。
何度か書きました、毎夏、泊りがけで遊びに行ったわたしの母親の実家。
近江の能登川というところなんですが、すぐ裏に東海道線が通っていました(今も通っていますが)。で、蒸気機関車が牽引する貨物列車もよく通りました。
いとこ連中と一緒に、貨車の数をよく数えたものです。
50輌以上という長い編成もありました。
わたしが小学生の頃は、まだ東海道線に蒸気機関車が走っていました。大阪駅に留まっているのを見たこともあります。
近江の実家に行く列車も蒸気機関車が牽いていました。
残念ながら、型式は記憶にありません。というより、当時はまだそれほど鉄道に興味を持ってはいなかったんですね。
-
––––––
2. Mikiko- 2016/09/20 19:48
-
C58画像
↓のページから、拝借しました。
http://omoidenoshasoukara.web.fc2.com/nara/nara4.html
D51も、貨物用として開発されたそうですね。
馬力のいる路線では、旅客列車も引いてたようですが。
わたしの家の近くを走る信越本線では、まだ貨物が走ってます。
もちろん、牽引するのは、電気機関車です。
牛などの生き物を見たことは、一度もありません。
昔、貨物で運ばれてたのは、出荷された食用牛だそうです。
当時は冷凍技術が発達してなかったうえ、運搬時間がかかったので……。
生かしたまま運ぶ必要があったのだとか。
今はもう、加工した肉として運搬されてます。
効率がぜんぜん違いますよね。
-
––––––
3. 食肉卸売業HQ- 2016/09/20 21:37
-
家畜車
もちろん、生きたまま運ぶための車輌です。
で、行先は屠殺場、と。
なんか、↓思い出すね。
♪ある晴れた昼下がり
市場へ続く道
荷馬車がゴトゴト子牛を載せてゆく
可愛い子牛売られてゆくよ
悲しそうな瞳で見ているよ
ドナドナドナドナ子牛を載せて
ドナドナドナドナ荷馬車は揺れる
(『Dana Dana』)
-
––––––
4. Mikiko- 2016/09/21 07:34
-
ドナドナ
ユダヤの民謡だそうです。
ホロコーストの悲劇を歌ったという説もあるとか。
なんだか、「ハチのムサシは死んだのさ」に似てますね。
-
––––––
5. ピアニストHQ- 2016/09/21 13:26
-
↑じゃなくてフルーティスト
ウシとハチ
そうかなあ。
ウシは運命に従順なだけ(従順であるしかなかったわけ)ですが、ハチは叶わぬ相手と知りつつ、果敢に戦って玉砕するわけです。
ホロコーストで、映画『戦場のピアニスト』を思い出しました。
監督、ロマン・ポランスキー。
2002年。仏・独・波・英合作。
作中、主人公のユダヤ系ポーランド人ピアニストが、廃墟の中で演奏するショパンの『ノクターン嬰ハ短調・遺作』は、あまりにも美しく有名です。
そういえば、ショパンもポーランドですね。
-
––––––
6. Mikiko- 2016/09/21 19:47
-
似てるというのは……
曲が、政治的史実を象徴しているという意味でです。
京都、連休前に台風が通り過ぎて良かったですね。
観光客も宿も、ホッとしてることでしょう。
しかし、今、ビジネスマンの京都出張では、宿が取れなくなってるそうです。
外国人を主とする観光客が、1ヶ月以上前に予約してしまうからみたいです。
早く予約すると、割引になるんですね。
わたしも、今年の東京泊では、45日前予約の割引を使いました。
これに対し、ビジネスマンの出張は、急な場合が多いです。
少なくとも、1ヶ月以上前から出張の日取りが決まってることなど、滅多にないでしょう。
というわけで、直前に予約しようとしても、空室が無いのです。
-
––––––
7. 待ちかねたぞ!HQ- 2016/09/21 23:39
-
↑ムサシ!!
政治的史実ぅ?!
ウシはともかく、ハチは何だろう。
台風は消えましたが、秋雨前線が居座って雨模様が続きます。
京都取材、明日は行けないので、明後日の予定なんですが、間違いなく雨のようです。困ったぞ、と。
ホテルをどんどん増やそう、という計画が進んでいるそうです。
あ、あれは大阪だったか。
-
––––––
8. Mikiko- 2016/09/22 08:04
-
ハチのムサシ
コメント、読んでないんですか。
2087回(https://mikikosroom.com/archives/10729109.html)で書いてますよ(鶏造さんへのレスです)。
京都。
なんで連休の只中に行くんです?
ヒマなんだから、間日に行けばいいのに。
-
––––––
9. おいそが氏HQ- 2016/09/22 08:46
-
2,087回
今朝は時間がない。また後刻。
なんで連休にって……こちらも暇を持て余しているというわけではありません。それなりに忙しいのだよ。
-
––––––
10. Mikiko- 2016/09/22 12:15
-
今日は……
デイの日であったか。
祝日にやっても支障のないことを祝日にやり……。
平日の方がいいことを、平日にやればよいのではないか?
-
––––––
11. おやかま氏HQ- 2016/09/22 17:57
-
2087回のハチ
確認しました。
今日14時頃、病院の予約を取るのに予約センターに電話したところ、自動応答で「現在、受け付けておりません。平日13時30分から16時30分の間にお電話ください」。
「なんでやねん、今日は木曜日で現在14時。返答せい、このヤロ」、で、ハタと気づきました。「ああ、今日は祝日かあ」。