「聖路加」の読みは、“せいるか”だそうです。
今回、初めて知りました。
ずっと、“せいろか”と読んでました。
この名からもわかるように……。
このビルの向こうには、聖路加国際病院があります。
さらにその奥には、聖路加国際大学があります。
元の校名は、聖路加看護大学でした。
2014(平成26)年に、改称したようです。
でも学部は、看護学部看護学科だけみたいです。
私立の看護学部では、トップクラスの難しさのようです。
↓尖塔が見えます。
↑「み」
これは、聖路加国際大学です。
ミッションスクールですから、チャペルがあるわけです。
こういう学校で、勉強してみたかったです。
↑チャペルでの戴帽式じゃないでしょうか。鳥肌、立ちっぱなしだと思います。
でも、わたしが看護師になるのは、性格的にぜったい無理ですね。
↓せめて、ペギー葉山『学生時代』を聴きましょう。
↓レンガ色の塀のようなものが連なってます。
↑「み」
↓看板がありますね。
↑「み」
この画像では読めませんが、「水たき 治作」と書かれてるようです。
↑ストリートビューの画像です。
『つきじ治作』という有名料亭のようです。
でも、レンガ塀は、『つきじ治作』のものではないようです。
↓ストリートビューの画像を見ると、隣のビルにも続いてますから。
なお、右のビル、のっぺらぼうですが……。
これは、画像加工されてますね。
ここ、警視庁の寮なんです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
勝鬨橋。
橋長、246メートル。
架橋は、1933(昭和8)年。
日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが……。
1970(昭和45)年11月29日を最後に、開閉が停止されました。
1980(昭和55)年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされてます。
↑真ん中の平らな部分が開くわけです。
再び跳開させようとの市民運動や都、一部都議の動きがあるそうですが……。
機械部の復旧に、10億円(東京都の試算)かかるそうです。
でも、このくらいの予算なら、なんとかなりそうな気がします。
↑開いたときの様子。ほんとに跳開が実現したら、見物人がスゴいでしょう。
↓『勝鬨橋資料館』で、100分の1ジオラマの開閉が見られるようです。
機械部の復旧予算より問題となるのは……。
上を通る都道「晴海通り」への影響でしょう。
大渋滞が起きてしまうはずです。
↓遺跡のようです。
↑「み」
もちろん冗談ですが、半分はほんとうです。
これは、閉鎖された築地市場。
今はもう、解体されてるんじゃないでしょうか。
↑昨秋(2019年)の画像のようです。解体工事は、今年(2020年)2月いっぱいで終了する予定みたいです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
築地大橋。
↑かっちょえー。
橋長、245メートル。
架橋は、2018(平成30)年11月4日。
どうりで、橋の裏が真新しいです。
出来てからまだ7ヶ月半くらいの写真ですからね。
上を通るのは、都道(環二通り)。
これが、隅田川に架かる最も下流の橋。
もう、橋を潜ることはありません。
レインボーブリッジがあるじゃんとお思いの諸兄。
あれは、東京湾に架かってる橋です。
結局、国道が渡る橋は両国橋だけでしたね。
↓わたしの目的地が見えてきました。
↑「み」
もちろん、船の終着地です。
↓これは、船が向きを変えてるのかな?
↑「み」
↓わけがわからないまま、写真だけ撮ってます。
↑「み」
↓橋が見えてると云うことは、上流を向いてるんですね。
↑「み」
↓すでに接岸したのかな?
↑「み」
どうも、肝心なところが撮れてませんね。
↓上陸しました。
↑「み」
乗ってきた船を撮っておけば良かったのにね。
さて、ここはどこでしょう。
なんだか、南国の小島のようですが……。
もちろん、そんなわけはありません。
『都立浜離宮恩賜庭園』です。
↑運航ルートです。クリックすると、大きい画像が見られます。
上陸時刻は、11時10分。
10時40分に浅草を出ましたから……。
乗船時間は、30分。
あっという間の船旅でした。
浜離宮の入園料は、300円。
クルーズ船から上陸した人は、庭園内を通らなければ、外に出られません。
↑右上の角が水上バスの発着場です。クリックすると、大きい画像が見られます。
従って、「浅草→浜離宮」のクルーズ料金(1,040円)には、浜離宮の入園料も含まれてます。
↑お天気の良いときに来たかった!
『都立浜離宮恩賜庭園』は……。
東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ「回遊式築山泉水庭園(かいゆうしきつきやませんすいていえん)」。
江戸時代に、庭園として造成されました。
元々は甲府藩下屋敷の庭園だったそうです。
それが、徳川将軍家の別邸浜御殿となり……。
明治以降は、宮内省管理の離宮。
その後、東京都に下賜され、昭和21(1946)年、都立公園として開放されました。
広さは、250,215.72m2(25ヘクタール)。
7万5千8百坪。
ちょっと、想像がつかない大きさです。
残念ながらの雨ですが……。
そのおかげか、とても空いてました。
クルーズ船から下りた人は、そこそこいましたが……。
元から公園を歩いてる人はほとんどいませんでした。
乗船客がばらけてしまうと、ほぼ人影は見えなくなりました。
それにしても、水上バスを下りた真ん前で迎えてくれた、この花木はなんでしょう?
↑「み」
真っ赤な花が咲いてます。
↓根元には、花が散ってました。
↑「み」
一瞬、ブーゲンビレアかと思いましたが……。
あれは、こんな巨木にはならないはず。
近づいてみましょう。
↓葉と花の形から、マメ科であろうと思われます。
↑「み」
このときはわかりませんでしたが……。
今、ネット検索して判明しました。
アメリカデイゴだそうです。
↑うさぎ島(広島県竹原市大久野島)のアメリカデイゴ。落ちた花は、ウサギの好物だそうです。
やはり、マメ科でした。
Wikiでは低木とありますが、十分デカくなるようです。
南アメリカ原産だそうです。
花期は6~9月。
鹿児島県の県木。
アルゼンチン、ウルグアイの国花。
当然のことながら、寒さには弱いです。
でも落葉樹なので、関東以南では生育できるようです。
クスノキが育つところなら、大丈夫じゃないでしょうか。
新潟ではぜったい無理ですね。
つくずく、東京は南国だと感じます。
日本には江戸時代に渡来したそうです。
なお、沖縄県の県花であるデイゴは、同じマメ科の落葉樹ですが……。
アメリカデイゴとは別種だそうです。
↑デイゴの花。さらに南国っぽいです。
デイゴは、さらに寒さに弱く、日本での北限は沖縄。
↑『島唄』の歌詞の冒頭に出て来ます。
もちろん、関東などでは植えられません。
でも、アメリカデイゴなら育つわけです。
アメリカデイゴを植えておけば、十分、南国の雰囲気は楽しめますし……。
見る人に、驚いてもらえるかも知れません。
塀の上から見えてたりしたら、面白いんじゃないかな。
↑見事にありました。静岡市のようです。
ちょっとお高いですが、通販で手に入るようです。
↓園路は古く、雨が水溜まりになってます。
↑「み」
でも、一応、コンクリートが敷いてあったと思います。
スニーカーがぬかるようなことはありませんでしたから。
↓人っ子一人、歩いてません。
↑「み」
↓この木にはもう、たくさんの実が成ってます。
↑「み」
おそらく、タブノキだと思います。
巨木になる樹種です。
↓この木は、ずいぶん小さいですね。
↑「み」
植栽された木ではく……。
実生から育ったんじゃないでしょうか。
常緑で、主に暖地の海岸近くに生息します。
でも、新潟でも十分生育できる耐寒性を持ってます。
新潟市内にも、農家の庭などに巨木があります。
↑新潟市江南区で、わたしが撮った写真です。
↓これはちょっと、撮影意図を覚えてません。
↑「み」
枝振りが面白かったからでしょうか。
樹種は不明です。
↓下を見てないと歩けません。
↑「み」
東京都さん、なんとかしてください。
↓池が見えてきました。
↑「み」
この水は、海水なわけです。
↓こんな生き物がいます。
↑「み」。↑クリックすると、大きい画像が見られます。
釣りができそうですね。
もちろん、禁止でしょうが。
最初は、甲府藩の下屋敷として造られたそうですから……。
当時は、釣りを楽しんだ藩士もいたんじゃないでしょうか。
甲府は、海がありませんからね。
海の魚は、江戸勤めじゃなければ食べられなかったでしょう。
こんなところの屋敷勤めで、日がな一日、魚釣りで暮らせたら幸せでしょうね。
そんな幸運な藩士も、いたのかも知れません。
↑内職として釣りをする武士もいたそうです。
↓海水の引き入れ口じゃないでしょうか。
↑「み」。上方が園内の池だと思います(たぶん)。
↓立派な水門がありました。
↑「み」
もちろん、江戸時代にはなかったはずです。
当時は、高潮で庭園が水浸しになることもあったのでは?
↓説明書き発見。
↑「み」
しかし、大雑把な説明です。
「昔から」って、いつからなんですか?
江戸時代からじゃないでしょ?
↓園路の様子。
↑「み」
コンクリートがボコボコになってます。
なんとかしてちょ。
↓相変わらず東京は、ビルの建設ラッシュのようです。
↑「み」
↓船が見えてます。
↑「み」
でもあれは、隅田川のクルーズ船じゃないはず。
あの高さでは、橋を潜れませんから。
見えてる水は、浜離宮の池ではなく……。
庭園の外側です。
↑グーグルマップの画像です。見えてたのは、矢印のあたり?
↓アップにしたら、船がいました。
↓反対方向。
↑「み」
見えてる橋は、最後に潜った築地大橋でしょう。
↓ようやく、園内深く侵入。
↑「み」
見事に人がいません。
7万5千坪、独占状態。
雨の日もいいものです。
「海手お伝い橋」の「海手」は……。
↑「み」
おそらく、「海方向の」という意味だと思います。
つまり、池を渡る橋は、ここだけじゃないということです。
もちろん、この写真を撮ったとき、そんなことには気づいちゃいません。
↓潮の作用でしょうか。
↑「み」
藻ではないと思います。
不気味に汚くて、興味をそそられます。
↓しつこく撮影。
↑「み」
↓「海手お伝い橋」を渡り中。
↑「み」
不思議だったのは、欄干に張られた糸というか、紐です。
↑「み」
こんなもので、転落防止になるとは思えません。
でも、心理的なストッパーにはなるかも。
身を乗り出したりする人がいるんでしょう。
ひょっとしたら、欄干の高さに、法的な規定があるのかな?
↑これは、防護柵の規定のようですが。
この紐の高さまで欄干ですよということでしょうか?
今、ネットを調べたら、わかりました!
ぜんぜん、違ってました。
なんと、鳩よけだそうです。
この紐は鳩には邪魔で、欄干に留まれないのだとか。
確かに、糞をされたら掃除が大変です。
考えたものですね。
↓こんな市販品がありました。
↓磯をイメージした石組みでしょうか。
↑「み」
正直、わたしは日本庭園は苦手です。
そんなら、なんで来たんだということですが……。
月曜日に開館してる公共施設が、とても少ないんですよ。
月曜日にお出かけの方は、目的の施設の休館日を調べておいた方がいいです。
まず、月曜はやってませんから。
↓整然と3段に石を積んでるところは、意匠的にどうなんでしょう。
↑「み」
手前の荒々しい岩の向こうに、きちんと積まれた石組みが連なってます。
こういう作庭の作法があるんですかね?
↓これは、まん丸の石を撮ったのではなく……。
↑「み」
中央のツワブキを撮ったんだと思います。
↑「み」
ずいぶん、小さいです。
耐潮性が強くないんじゃないかと思い、調べたら……。
ツワブキは元々、海辺に近い岩場に自生するものだそうです。
さすが、調べて植えてあるわけですね。
わが家にもあって、毎年晩秋、黄色い花を咲かせてくれます。
てっきり、山の植物かと思ってました。
↓逆に、ツワブキしかありません。
↑「み」
池の緑色の様子から見ても、潮気が強そうです。
土の表層部は、かなりの塩分を含むのかも。
根の浅い草では、ツワブキくらいしか生きられないのかも知れません。
植物の根は、浸透圧により水分を吸収してます。
↑植物が水を吸う仕組み。これでわかってください。
土の塩分が多いと、逆に、根から水が吸い出されるのです。
漬物を考えれば、よくわかると思います。
塩を塗すと、野菜から水気が出て来ますよね。
↑おー、わたしと同じ袋を使ってる。底にマチが付いてて、材料が入れやすいです。
土の塩分が多いと、その現象が起こるのです。
生きながら漬物にされてるようなものです。
海岸部で生育できる植物は限られるわけです。
あいかわらず、人がいません。
↓鳥が一羽、いました。
↑「み」
↓こちらの木も、黒い実がたくさん成ってます。
↑「み」
でもこれは、さっきのタブノキとは違います。
ユズリハです。
↑「み」
この名前は、実に含蓄があります。
常緑樹ですので、葉は秋に一斉に落ちません。
でも、常緑樹の葉も、ずっと枝に付いているわけではありません。
何年か経つと、順繰りに落ちます。
たいがい、新葉が開いた後ですね。
ユズリハも同じです。
初夏に新葉が開いた後、夏から秋にかけて古い葉が落ちます。
↑新葉が開いたころ。この後、下の古葉が落ちるわけです。
つまり語源は、「譲り葉」です。
新葉が開いて固まってから、古い葉が落ちるので……。
理想的な世代交代なわけです。
新旧の世代が交代しながら、絶えることなく続くという事から……。
縁起の良い木とされてます。
↑正月飾りにも使われます。
常緑樹ながら耐寒性も強く、新潟でも問題なく生育します。
ただ、葉が大きく密に繁りますから……。
雪が積もると枝折れしやすいです。
庭に植えた場合、雪囲いをしないのであれば……。
雪が積もったときに、払ってやる必要があると思います。
なお、この仲間で、エゾユズリハという木があります。
ユズリハは高木になりますが、エゾユズリハは灌木状に繁ります。
なので、たいがいは群植します。
このエゾユズリハ、名前のとおり、耐寒性は非常に強いです。
ところが、全体のテクスチャーが、実に南国風なんですよ。
↑新潟市内の『新潟県立自然科学館』でわたしが撮った写真。
すごく面白い木です。
海沿いのレジャー施設などに植えると、トロピカルムードを演出できると思います。
新潟の冬でも、まったく放任して大丈夫です。
脱線しました。
写真のユズリハも、落ちた実から生えたんじゃないでしょうか。
この実には毒があるそうですが、ヒヨドリなどは食べるみたいです。
↑ユズリハに留まるヒヨドリ。葉も食べるようです。
↓これまた、意図不明な写真。
↑「み」
何が撮りたかったんでしょう?
↓しつこく、水溜まりを撮ってるのかと思いましたが……。
↑「み」
↓どうやら、落ちた花茎を撮ったようです。
↑「み」
↓ユズリハではなく、その前に撮ったタブノキの花茎のようですね。
↑「み」
落ちた花茎に、実は付いてません。
鳥に食べられたのでしょうか。
↓庭園と高層ビルの取り合わせ。
↑「み」
外国には、あまりこういう景色はないようです。
それにしても、人がいません。
↓手入れの行き届いた芝生。
↑「み」
ここで、お弁当を食べられるのかな?
もちろんこの日は、誰もいませんでした。
↓今度こそは、水溜まりを撮ったんだと思います。
↑「み」
芝生を、あれだけ綺麗に維持する予算が取れるなら……。
園路の補修費も、ぜひ計上していただきたいものです。
↓ここはなぜか、クローバーが進出中。
↑「み」
↓遠くに人影が!
↑「み」
見学者と、初めて出会いました。
傘を差してないところを見ると……。
外国人観光客じゃないでしょうか。
彼らはなぜか、傘を差しません。
↑こちらはソウル。左端の女性は地元の方でしょう。
↓緩やかな石段。
↑「み」
車椅子の方は、ぜったいに登れません。
ところで、バリアフリーの反対語って何なんでしょう。
ネットで探しましたが、ちょっとみつかりませんでした。
面白かったのは、「バリアアリー」。
それらしかったのは、「バリアフル」。
↑国会もバリアだらけ。女性は「れいわ新選組」の議員さん。
↓頂上まで登りました。
↑「み」
なんじゃここは?
ベンチがひとつだけで、見事に何も無し。
苦労して登る人がいないとも限りませんよ。
「登っても何もありません」とか、立て札が必要なんじゃないすか?
望遠鏡を設置したらどうでしょうね?
↑覗き穴の周りに墨を塗ったりするのは止めましょう。
周りのビルから、苦情が出る可能性もありますが。
↓頭上を覆う大木。
↑「み」
これも、タブノキです。
↓石段にも、花茎が落ちてます。
↑「み」
↓これも、タブノキかな?
↑「み」
↓またも、ツワブキ。
↑「み」
日陰と潮気に強い植物は、ツワブキくらいなのかも知れません。
海岸近くというのは、基本的に空が開けてます。
↑ハマヒルガオです。
太陽大好きという植物は、たくさんあるでしょうが……。
日陰を好む植物は、海岸近くには多くはないのでしょう。
砂防林の林床は、こんな感じなんでしょうか。
↑秋田県能代市「風の松原」。松林の林床が綺麗に保たれてます。落ち葉などを放置すると林床が富栄養化し、落葉樹などが生えてきてしまうのだとか。
ツワブキは、見てのとおり地味ですが……。
↓晩秋に開く花は、ほんとに綺麗です。
↓また、水門がありました。
↑「み」
これは、池の水位を調節するためのものでしょうか?
↓「汐留水門」とありました。
↑「み」
汐留川と繋がる水門ですかね?
↓2本目の「お伝い橋」がありました。
↑「み」
↓最初に渡ったのが、「海手お伝い橋」。
↑「み」
今度の「お伝い橋」の方が、メインの橋なんでしょう。
↓池にスロープ。
↑「み」
カモが上がりやすいようにという設備ではないと思います。
舟でも出すためのものでしょうか。
風流ですね。
あ、釣り舟用だったのかな?
↑こういった仕掛け?
↓注意書き。
↑「み」
欧米には木製の橋なんかないでしょうから……。
橋の手すりが折れるなんてこと、想像もしないんでしょうね。
巨漢外人に凭れられたら、ひとたまりもないと思います。
↓屈曲させてるのには、どういう意味があるんでしょう。
↑「み」
景観的に、単調さを嫌うんですかね。
実用的な理由は、ちょっと思いつきません。
釣りはしやすそうですが。
↓営業してる御茶屋です。
↑「み」
↓この程度の値段なら、納得できるんじゃないでしょうか。
↑「み」
わたしはもちろん、入りませんでした。
ひとりで入ったって、することありませんよ。
↑実際の抹茶セットのようです。
わたしなら、1分で食べ終えてると思います。
↓ドウダンツツジのような花ですが……。
↑「み」
花期が違ってます。
↓ドウダンツツジは、「ツツジ」という名のとおり、初夏に咲きます。
あ、モッコクかな?
↑「み」。樹形からしても、ドウダンツツジではあり得ません。
モッコクは成長が遅いので、庭木にはもってこいの木です。
このくらいの大きさの木を買おうとすると……。
かなりお高いかと。
↓丁寧に刈りこまれた低木。
↑「み」
茶色くなった花柄が見えます。
花の時期からして、サツキツツジですかね。
↓こちらも、モッコクだと思います。
↑「み」
さっきの木と同じだったかは、忘れました。
これは、モッコクの花と云うより、咲く前の蕾のようです。
↓こちらが、咲いた状態です。
↓これまた、意図不明の写真。
↑「み」
↓御茶屋をもう1度、撮ってます。
↑「み」
そんなに気になるなら、入れば良かったのにね。
入らなかったのは、腰の調子が悪くなかったからかも知れません。
↓また橋を渡ってます。
↑「み」
クルーズ船で、橋の下からばっかり見てましたから……。
上を渡りたかったんですかね。
今回、初めて知りました。
ずっと、“せいろか”と読んでました。
この名からもわかるように……。
このビルの向こうには、聖路加国際病院があります。
さらにその奥には、聖路加国際大学があります。
元の校名は、聖路加看護大学でした。
2014(平成26)年に、改称したようです。
でも学部は、看護学部看護学科だけみたいです。
私立の看護学部では、トップクラスの難しさのようです。
↓尖塔が見えます。
↑「み」
これは、聖路加国際大学です。
ミッションスクールですから、チャペルがあるわけです。
こういう学校で、勉強してみたかったです。
↑チャペルでの戴帽式じゃないでしょうか。鳥肌、立ちっぱなしだと思います。
でも、わたしが看護師になるのは、性格的にぜったい無理ですね。
↓せめて、ペギー葉山『学生時代』を聴きましょう。
↓レンガ色の塀のようなものが連なってます。
↑「み」
↓看板がありますね。
↑「み」
この画像では読めませんが、「水たき 治作」と書かれてるようです。
↑ストリートビューの画像です。
『つきじ治作』という有名料亭のようです。
でも、レンガ塀は、『つきじ治作』のものではないようです。
↓ストリートビューの画像を見ると、隣のビルにも続いてますから。
なお、右のビル、のっぺらぼうですが……。
これは、画像加工されてますね。
ここ、警視庁の寮なんです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
勝鬨橋。
橋長、246メートル。
架橋は、1933(昭和8)年。
日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが……。
1970(昭和45)年11月29日を最後に、開閉が停止されました。
1980(昭和55)年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされてます。
↑真ん中の平らな部分が開くわけです。
再び跳開させようとの市民運動や都、一部都議の動きがあるそうですが……。
機械部の復旧に、10億円(東京都の試算)かかるそうです。
でも、このくらいの予算なら、なんとかなりそうな気がします。
↑開いたときの様子。ほんとに跳開が実現したら、見物人がスゴいでしょう。
↓『勝鬨橋資料館』で、100分の1ジオラマの開閉が見られるようです。
機械部の復旧予算より問題となるのは……。
上を通る都道「晴海通り」への影響でしょう。
大渋滞が起きてしまうはずです。
↓遺跡のようです。
↑「み」
もちろん冗談ですが、半分はほんとうです。
これは、閉鎖された築地市場。
今はもう、解体されてるんじゃないでしょうか。
↑昨秋(2019年)の画像のようです。解体工事は、今年(2020年)2月いっぱいで終了する予定みたいです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
築地大橋。
↑かっちょえー。
橋長、245メートル。
架橋は、2018(平成30)年11月4日。
どうりで、橋の裏が真新しいです。
出来てからまだ7ヶ月半くらいの写真ですからね。
上を通るのは、都道(環二通り)。
これが、隅田川に架かる最も下流の橋。
もう、橋を潜ることはありません。
レインボーブリッジがあるじゃんとお思いの諸兄。
あれは、東京湾に架かってる橋です。
結局、国道が渡る橋は両国橋だけでしたね。
↓わたしの目的地が見えてきました。
↑「み」
もちろん、船の終着地です。
↓これは、船が向きを変えてるのかな?
↑「み」
↓わけがわからないまま、写真だけ撮ってます。
↑「み」
↓橋が見えてると云うことは、上流を向いてるんですね。
↑「み」
↓すでに接岸したのかな?
↑「み」
どうも、肝心なところが撮れてませんね。
↓上陸しました。
↑「み」
乗ってきた船を撮っておけば良かったのにね。
さて、ここはどこでしょう。
なんだか、南国の小島のようですが……。
もちろん、そんなわけはありません。
『都立浜離宮恩賜庭園』です。
↑運航ルートです。クリックすると、大きい画像が見られます。
上陸時刻は、11時10分。
10時40分に浅草を出ましたから……。
乗船時間は、30分。
あっという間の船旅でした。
浜離宮の入園料は、300円。
クルーズ船から上陸した人は、庭園内を通らなければ、外に出られません。
↑右上の角が水上バスの発着場です。クリックすると、大きい画像が見られます。
従って、「浅草→浜離宮」のクルーズ料金(1,040円)には、浜離宮の入園料も含まれてます。
↑お天気の良いときに来たかった!
『都立浜離宮恩賜庭園』は……。
東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ「回遊式築山泉水庭園(かいゆうしきつきやませんすいていえん)」。
江戸時代に、庭園として造成されました。
元々は甲府藩下屋敷の庭園だったそうです。
それが、徳川将軍家の別邸浜御殿となり……。
明治以降は、宮内省管理の離宮。
その後、東京都に下賜され、昭和21(1946)年、都立公園として開放されました。
広さは、250,215.72m2(25ヘクタール)。
7万5千8百坪。
ちょっと、想像がつかない大きさです。
残念ながらの雨ですが……。
そのおかげか、とても空いてました。
クルーズ船から下りた人は、そこそこいましたが……。
元から公園を歩いてる人はほとんどいませんでした。
乗船客がばらけてしまうと、ほぼ人影は見えなくなりました。
それにしても、水上バスを下りた真ん前で迎えてくれた、この花木はなんでしょう?
↑「み」
真っ赤な花が咲いてます。
↓根元には、花が散ってました。
↑「み」
一瞬、ブーゲンビレアかと思いましたが……。
あれは、こんな巨木にはならないはず。
近づいてみましょう。
↓葉と花の形から、マメ科であろうと思われます。
↑「み」
このときはわかりませんでしたが……。
今、ネット検索して判明しました。
アメリカデイゴだそうです。
↑うさぎ島(広島県竹原市大久野島)のアメリカデイゴ。落ちた花は、ウサギの好物だそうです。
やはり、マメ科でした。
Wikiでは低木とありますが、十分デカくなるようです。
南アメリカ原産だそうです。
花期は6~9月。
鹿児島県の県木。
アルゼンチン、ウルグアイの国花。
当然のことながら、寒さには弱いです。
でも落葉樹なので、関東以南では生育できるようです。
クスノキが育つところなら、大丈夫じゃないでしょうか。
新潟ではぜったい無理ですね。
つくずく、東京は南国だと感じます。
日本には江戸時代に渡来したそうです。
なお、沖縄県の県花であるデイゴは、同じマメ科の落葉樹ですが……。
アメリカデイゴとは別種だそうです。
↑デイゴの花。さらに南国っぽいです。
デイゴは、さらに寒さに弱く、日本での北限は沖縄。
↑『島唄』の歌詞の冒頭に出て来ます。
もちろん、関東などでは植えられません。
でも、アメリカデイゴなら育つわけです。
アメリカデイゴを植えておけば、十分、南国の雰囲気は楽しめますし……。
見る人に、驚いてもらえるかも知れません。
塀の上から見えてたりしたら、面白いんじゃないかな。
↑見事にありました。静岡市のようです。
ちょっとお高いですが、通販で手に入るようです。
↓園路は古く、雨が水溜まりになってます。
↑「み」
でも、一応、コンクリートが敷いてあったと思います。
スニーカーがぬかるようなことはありませんでしたから。
↓人っ子一人、歩いてません。
↑「み」
↓この木にはもう、たくさんの実が成ってます。
↑「み」
おそらく、タブノキだと思います。
巨木になる樹種です。
↓この木は、ずいぶん小さいですね。
↑「み」
植栽された木ではく……。
実生から育ったんじゃないでしょうか。
常緑で、主に暖地の海岸近くに生息します。
でも、新潟でも十分生育できる耐寒性を持ってます。
新潟市内にも、農家の庭などに巨木があります。
↑新潟市江南区で、わたしが撮った写真です。
↓これはちょっと、撮影意図を覚えてません。
↑「み」
枝振りが面白かったからでしょうか。
樹種は不明です。
↓下を見てないと歩けません。
↑「み」
東京都さん、なんとかしてください。
↓池が見えてきました。
↑「み」
この水は、海水なわけです。
↓こんな生き物がいます。
↑「み」。↑クリックすると、大きい画像が見られます。
釣りができそうですね。
もちろん、禁止でしょうが。
最初は、甲府藩の下屋敷として造られたそうですから……。
当時は、釣りを楽しんだ藩士もいたんじゃないでしょうか。
甲府は、海がありませんからね。
海の魚は、江戸勤めじゃなければ食べられなかったでしょう。
こんなところの屋敷勤めで、日がな一日、魚釣りで暮らせたら幸せでしょうね。
そんな幸運な藩士も、いたのかも知れません。
↑内職として釣りをする武士もいたそうです。
↓海水の引き入れ口じゃないでしょうか。
↑「み」。上方が園内の池だと思います(たぶん)。
↓立派な水門がありました。
↑「み」
もちろん、江戸時代にはなかったはずです。
当時は、高潮で庭園が水浸しになることもあったのでは?
↓説明書き発見。
↑「み」
しかし、大雑把な説明です。
「昔から」って、いつからなんですか?
江戸時代からじゃないでしょ?
↓園路の様子。
↑「み」
コンクリートがボコボコになってます。
なんとかしてちょ。
↓相変わらず東京は、ビルの建設ラッシュのようです。
↑「み」
↓船が見えてます。
↑「み」
でもあれは、隅田川のクルーズ船じゃないはず。
あの高さでは、橋を潜れませんから。
見えてる水は、浜離宮の池ではなく……。
庭園の外側です。
↑グーグルマップの画像です。見えてたのは、矢印のあたり?
↓アップにしたら、船がいました。
↓反対方向。
↑「み」
見えてる橋は、最後に潜った築地大橋でしょう。
↓ようやく、園内深く侵入。
↑「み」
見事に人がいません。
7万5千坪、独占状態。
雨の日もいいものです。
「海手お伝い橋」の「海手」は……。
↑「み」
おそらく、「海方向の」という意味だと思います。
つまり、池を渡る橋は、ここだけじゃないということです。
もちろん、この写真を撮ったとき、そんなことには気づいちゃいません。
↓潮の作用でしょうか。
↑「み」
藻ではないと思います。
不気味に汚くて、興味をそそられます。
↓しつこく撮影。
↑「み」
↓「海手お伝い橋」を渡り中。
↑「み」
不思議だったのは、欄干に張られた糸というか、紐です。
↑「み」
こんなもので、転落防止になるとは思えません。
でも、心理的なストッパーにはなるかも。
身を乗り出したりする人がいるんでしょう。
ひょっとしたら、欄干の高さに、法的な規定があるのかな?
↑これは、防護柵の規定のようですが。
この紐の高さまで欄干ですよということでしょうか?
今、ネットを調べたら、わかりました!
ぜんぜん、違ってました。
なんと、鳩よけだそうです。
この紐は鳩には邪魔で、欄干に留まれないのだとか。
確かに、糞をされたら掃除が大変です。
考えたものですね。
↓こんな市販品がありました。
↓磯をイメージした石組みでしょうか。
↑「み」
正直、わたしは日本庭園は苦手です。
そんなら、なんで来たんだということですが……。
月曜日に開館してる公共施設が、とても少ないんですよ。
月曜日にお出かけの方は、目的の施設の休館日を調べておいた方がいいです。
まず、月曜はやってませんから。
↓整然と3段に石を積んでるところは、意匠的にどうなんでしょう。
↑「み」
手前の荒々しい岩の向こうに、きちんと積まれた石組みが連なってます。
こういう作庭の作法があるんですかね?
↓これは、まん丸の石を撮ったのではなく……。
↑「み」
中央のツワブキを撮ったんだと思います。
↑「み」
ずいぶん、小さいです。
耐潮性が強くないんじゃないかと思い、調べたら……。
ツワブキは元々、海辺に近い岩場に自生するものだそうです。
さすが、調べて植えてあるわけですね。
わが家にもあって、毎年晩秋、黄色い花を咲かせてくれます。
てっきり、山の植物かと思ってました。
↓逆に、ツワブキしかありません。
↑「み」
池の緑色の様子から見ても、潮気が強そうです。
土の表層部は、かなりの塩分を含むのかも。
根の浅い草では、ツワブキくらいしか生きられないのかも知れません。
植物の根は、浸透圧により水分を吸収してます。
↑植物が水を吸う仕組み。これでわかってください。
土の塩分が多いと、逆に、根から水が吸い出されるのです。
漬物を考えれば、よくわかると思います。
塩を塗すと、野菜から水気が出て来ますよね。
↑おー、わたしと同じ袋を使ってる。底にマチが付いてて、材料が入れやすいです。
土の塩分が多いと、その現象が起こるのです。
生きながら漬物にされてるようなものです。
海岸部で生育できる植物は限られるわけです。
あいかわらず、人がいません。
↓鳥が一羽、いました。
↑「み」
↓こちらの木も、黒い実がたくさん成ってます。
↑「み」
でもこれは、さっきのタブノキとは違います。
ユズリハです。
↑「み」
この名前は、実に含蓄があります。
常緑樹ですので、葉は秋に一斉に落ちません。
でも、常緑樹の葉も、ずっと枝に付いているわけではありません。
何年か経つと、順繰りに落ちます。
たいがい、新葉が開いた後ですね。
ユズリハも同じです。
初夏に新葉が開いた後、夏から秋にかけて古い葉が落ちます。
↑新葉が開いたころ。この後、下の古葉が落ちるわけです。
つまり語源は、「譲り葉」です。
新葉が開いて固まってから、古い葉が落ちるので……。
理想的な世代交代なわけです。
新旧の世代が交代しながら、絶えることなく続くという事から……。
縁起の良い木とされてます。
↑正月飾りにも使われます。
常緑樹ながら耐寒性も強く、新潟でも問題なく生育します。
ただ、葉が大きく密に繁りますから……。
雪が積もると枝折れしやすいです。
庭に植えた場合、雪囲いをしないのであれば……。
雪が積もったときに、払ってやる必要があると思います。
なお、この仲間で、エゾユズリハという木があります。
ユズリハは高木になりますが、エゾユズリハは灌木状に繁ります。
なので、たいがいは群植します。
このエゾユズリハ、名前のとおり、耐寒性は非常に強いです。
ところが、全体のテクスチャーが、実に南国風なんですよ。
↑新潟市内の『新潟県立自然科学館』でわたしが撮った写真。
すごく面白い木です。
海沿いのレジャー施設などに植えると、トロピカルムードを演出できると思います。
新潟の冬でも、まったく放任して大丈夫です。
脱線しました。
写真のユズリハも、落ちた実から生えたんじゃないでしょうか。
この実には毒があるそうですが、ヒヨドリなどは食べるみたいです。
↑ユズリハに留まるヒヨドリ。葉も食べるようです。
↓これまた、意図不明な写真。
↑「み」
何が撮りたかったんでしょう?
↓しつこく、水溜まりを撮ってるのかと思いましたが……。
↑「み」
↓どうやら、落ちた花茎を撮ったようです。
↑「み」
↓ユズリハではなく、その前に撮ったタブノキの花茎のようですね。
↑「み」
落ちた花茎に、実は付いてません。
鳥に食べられたのでしょうか。
↓庭園と高層ビルの取り合わせ。
↑「み」
外国には、あまりこういう景色はないようです。
それにしても、人がいません。
↓手入れの行き届いた芝生。
↑「み」
ここで、お弁当を食べられるのかな?
もちろんこの日は、誰もいませんでした。
↓今度こそは、水溜まりを撮ったんだと思います。
↑「み」
芝生を、あれだけ綺麗に維持する予算が取れるなら……。
園路の補修費も、ぜひ計上していただきたいものです。
↓ここはなぜか、クローバーが進出中。
↑「み」
↓遠くに人影が!
↑「み」
見学者と、初めて出会いました。
傘を差してないところを見ると……。
外国人観光客じゃないでしょうか。
彼らはなぜか、傘を差しません。
↑こちらはソウル。左端の女性は地元の方でしょう。
↓緩やかな石段。
↑「み」
車椅子の方は、ぜったいに登れません。
ところで、バリアフリーの反対語って何なんでしょう。
ネットで探しましたが、ちょっとみつかりませんでした。
面白かったのは、「バリアアリー」。
それらしかったのは、「バリアフル」。
↑国会もバリアだらけ。女性は「れいわ新選組」の議員さん。
↓頂上まで登りました。
↑「み」
なんじゃここは?
ベンチがひとつだけで、見事に何も無し。
苦労して登る人がいないとも限りませんよ。
「登っても何もありません」とか、立て札が必要なんじゃないすか?
望遠鏡を設置したらどうでしょうね?
↑覗き穴の周りに墨を塗ったりするのは止めましょう。
周りのビルから、苦情が出る可能性もありますが。
↓頭上を覆う大木。
↑「み」
これも、タブノキです。
↓石段にも、花茎が落ちてます。
↑「み」
↓これも、タブノキかな?
↑「み」
↓またも、ツワブキ。
↑「み」
日陰と潮気に強い植物は、ツワブキくらいなのかも知れません。
海岸近くというのは、基本的に空が開けてます。
↑ハマヒルガオです。
太陽大好きという植物は、たくさんあるでしょうが……。
日陰を好む植物は、海岸近くには多くはないのでしょう。
砂防林の林床は、こんな感じなんでしょうか。
↑秋田県能代市「風の松原」。松林の林床が綺麗に保たれてます。落ち葉などを放置すると林床が富栄養化し、落葉樹などが生えてきてしまうのだとか。
ツワブキは、見てのとおり地味ですが……。
↓晩秋に開く花は、ほんとに綺麗です。
↓また、水門がありました。
↑「み」
これは、池の水位を調節するためのものでしょうか?
↓「汐留水門」とありました。
↑「み」
汐留川と繋がる水門ですかね?
↓2本目の「お伝い橋」がありました。
↑「み」
↓最初に渡ったのが、「海手お伝い橋」。
↑「み」
今度の「お伝い橋」の方が、メインの橋なんでしょう。
↓池にスロープ。
↑「み」
カモが上がりやすいようにという設備ではないと思います。
舟でも出すためのものでしょうか。
風流ですね。
あ、釣り舟用だったのかな?
↑こういった仕掛け?
↓注意書き。
↑「み」
欧米には木製の橋なんかないでしょうから……。
橋の手すりが折れるなんてこと、想像もしないんでしょうね。
巨漢外人に凭れられたら、ひとたまりもないと思います。
↓屈曲させてるのには、どういう意味があるんでしょう。
↑「み」
景観的に、単調さを嫌うんですかね。
実用的な理由は、ちょっと思いつきません。
釣りはしやすそうですが。
↓営業してる御茶屋です。
↑「み」
↓この程度の値段なら、納得できるんじゃないでしょうか。
↑「み」
わたしはもちろん、入りませんでした。
ひとりで入ったって、することありませんよ。
↑実際の抹茶セットのようです。
わたしなら、1分で食べ終えてると思います。
↓ドウダンツツジのような花ですが……。
↑「み」
花期が違ってます。
↓ドウダンツツジは、「ツツジ」という名のとおり、初夏に咲きます。
あ、モッコクかな?
↑「み」。樹形からしても、ドウダンツツジではあり得ません。
モッコクは成長が遅いので、庭木にはもってこいの木です。
このくらいの大きさの木を買おうとすると……。
かなりお高いかと。
↓丁寧に刈りこまれた低木。
↑「み」
茶色くなった花柄が見えます。
花の時期からして、サツキツツジですかね。
↓こちらも、モッコクだと思います。
↑「み」
さっきの木と同じだったかは、忘れました。
これは、モッコクの花と云うより、咲く前の蕾のようです。
↓こちらが、咲いた状態です。
↓これまた、意図不明の写真。
↑「み」
↓御茶屋をもう1度、撮ってます。
↑「み」
そんなに気になるなら、入れば良かったのにね。
入らなかったのは、腰の調子が悪くなかったからかも知れません。
↓また橋を渡ってます。
↑「み」
クルーズ船で、橋の下からばっかり見てましたから……。
上を渡りたかったんですかね。
さて、ありがたいことに、待合所の椅子に腰掛けられました。
テーブルもあり、飲食も出来そうです。
2階のテーブルが空いてました。
相席にもならなかったので……。
浅草寺で買ったお土産を撮影してしまうことにしました。
↓まずこれ。
↑「み」
リュックに詰めると、やはり包装紙はしわくちゃになってしまいます。
こういうのがイヤな人は、キャリーバッグにすべきでしょう。
わたしは中身さえ潰れなければ、さほど気になりません。
↓中身は無事でした。
↑「み」
鈴です。
パッケージには、「福聚守」と書いてあります。
わたし用ではありません。
母へのお土産。
実はわたし、身に付けた鈴がしゃらしゃら鳴るのが好きでないのです。
昔、自動車を共有で使ってたとき、母がキーに鈴を付けてました。
その鍵を持ってる間中、音が気になって仕方なかったです。
実は、500円の鈴を買おうとしたのですが、運悪く売り切れ。
↑500円の鈴です。これで、500円……。対価ではなく、お布施ということです。
高かったけど、違う鈴を買いました。
あ、「買いました」じゃなく、「授かりました」ですね。
領収書をもらったわけじゃないので、値段は忘れてしまいました。
↓ようやく、画像を発見。
高!
よく買ったな、これ。
あ、「授かりました」でした。
たぶん、早く帰りたかったんでしょうね。
しかし、今ネットを見ると、わたしが授かった鈴がリスト(こちら)に載ってないんです。
限定品だったんですかね?
ま、わたしの手元を離れたので、もうどうでもいいですが。
↓待合所の天井です。
↑「み」
あえて天井板を張らず、ダクトを見せているのでしょう。
ダクトを統一色で塗ってますからね。
天井板を張ってしまう方が、ずっと安あがりなんじゃないでしょうか。
でも、こっちの方が、近未来感も出て楽しいです。
メンテも、やりやすいでしょうしね。
↓2階の待合所に上り、吾妻橋を撮影。
↑「み」
↓石のアーチがいいですね。
↑「み」
↓同じ待合所から、発着所を撮影。
↑「み」
宇宙船みたいな船が停まってます。
船はどれも、マッハゴーゴー的なシャコタン形状です。
理由は簡単。
橋の下を潜らなければならないからです。
↓どうやら、「ヒミコ」のようです。
デザインは、松本零士氏。
星野鉄郎やメーテルの船内放送が聞けるそうです。
↓出航したのかな。
↑「み」
と思ったら、違いますね。
右下に、まだ停まってます。
左上のは、別の船ですね。
撮影時刻は、10:03分ですから……。
10:00発の「ホタルナ」だったでしょうか。
↑こちらも、松本零士氏デザイン。
10:00発は、「お台場海浜公園」行きです。
わたしの乗る船は、10:40発。
まだまだ時間があります。
わたしは、お台場には行きません。
わたしの行き先は、始発便が10:40分なんです。
なので、いくら早く発着所に着いても、ただ待つだけです。
こんなに待つ羽目になったのは……。
浅草寺の外国人と腰痛のせいです。
↓人がいなくなった隙を付き、ハーさんを撮影。
↑「み」
撮影時刻は、10:07分。
ジュースは、ロキソプロフェンを飲むために買いました。
朝、6時に飲みましたから……。
ちょうど、4時間経ってます。
ロキソプロフェンは、4時間の服用間隔を空けなければならないのです。
↑ロキソニンの説明書きですが、ロキソプロフェンも一緒です。
腰痛が出てるわけではありません。
予防です。
船を下りてから、けっこう歩くことになると思うので。
腰の具合と相談しながら、歩くコースも考えるつもり。
こういう自由が利くのも、ひとり旅の良いところです。
↓ときおり、こんな瞬間もありました。
↑「み」
出航を何便も見送ったからでしょうね。
月曜日だし。
この席には、直前まで女性の2人連れが座ってて……。
しきりと、この日のお天気を嘆いてました。
翌日の天気予報は晴れ。
実際晴れて、東京は27度になったようです。
精進の悪いのは、どっちだったんですかね?
あ、わたしか。
撮影時刻は、10:13分。
わたしの便の出航まで、まだ27分もあります。
↓いきなり乗船してます。
↑「み」
撮影時刻は、10:37分。
出航の3分前。
出航が近づくにつれ、写真を撮ってる余裕がなくなったのでしょう。
窓の水滴が、なんとも恨めしいです。
なお、わたしが乗った船は……。
「ホタルナ」でも「ヒミコ」でも「エメラルダス」でもありませんでした。
↓たぶんこの「リバータウン」というやつです。
内装も古く、↓船内はこんな感じ。
↓屋根は透明。
↑「み」
晴天時には、日焼け対策が必要でしょう。
↓東京スカイツリーが霞んでます。
↑「み」
写真を撮ったときは、スカイツリーが見えてるのは気づいてなかったと思います。
↓船内前方の様子。
↑「み」
↓年代物の内装であることがわかります。
↑「み」
撮影時刻は、10:40分。
出航直前か直後ですね。
最前列は、おばさんの3,4人連れに取られてしまいました(わたしもおばさんですが)。
これは、そのおばさんたちが、飲み物を買いに行った隙に撮りました。
あんなに早くから待ってたくせに……。
一番乗り出来なかったのはアホとしか思えません。
↑誰です、この人?
↓うんこビルが遠ざかります。
↑「み」
雨は降ってますが、風はなく、水面も穏やかです。
揺れた記憶はまったくありません。
バスより揺れないと思います。
バスで酔わない人なら、船酔いする心配はありません。
↓返す返すも、窓の水滴が恨めしいです。
↑「み」
最新式の船には、ワイパーとかないんでしょうか。
しかし、車のワイパーも、進化しない仕組みですよね。
風圧で、窓に水滴があたるのを防ぐとか出来ないものですかね?
↓初めての橋に差しかかります。
↑「み」
側面が覆われてるのからわかるとおり……。
吾妻橋です。
つまり、うんこビルを右後ろにした後……。
船は180度、方向転換したわけです。
まったく覚えてませんでした。
↓吾妻橋を潜ります。
↑「み」
ボケボケでしたね。
屋根が透明なのは、橋の裏側を見せるためでしょう。
船からしか見られない光景ですから。
てことは、橋の管理者としては……。
橋の下のメンテも、きっちりしておかなければならないと云うことです。
塗装はもちろんですが……。
でっかいボルトとかが屋根に落ちたら大変ですから。
調べたら、隅田川に架かる橋の管理者は……。
東京都と国土交通省に分かれるようです。
吾妻橋は、東京都。
橋長、150.1メートル。
現在の橋は、1931(昭和5)年の架設。
関東大震災の復興事業のひとつだそうです。
平成の初めに、浅草寺との調和を図るために赤く塗り替えられたとか。
↑吾妻橋を潜った直後でしょう。お天気が良くて羨ましいです。
↓川岸の船は、屋形船でしょうね。
↑「み」
こういう船で飲むのは風情がありそうですが……。
心配なのはトイレ。
でも、ちゃんと水洗トイレがあるようです。
↑実際の屋形船のトイレです。すげー。
虫とかは入ってこないんでしょうかね。
↑虫、めっちゃ来そうです。
↓次の橋を潜ります。
↑「み」。右の丸いのは、船内の照明がガラス屋根に映ったもの。
駒形橋です。
橋長、146.3メートル(管理者:東京都)。
架設は、1927(昭和2)年。
こちらの橋も、関東大震災の復興事業により架けられました。
↓優雅な橋です。
↓高層ビルはありませんが、びっしり隙間なくビルが建ってます。
↑「み」
↓ここにも屋形船が係留されてます。
↑「み」
↓また橋です。
↑「み」
厩橋(うまやばし)。
橋長、151.4メートル(管理者:東京都)。
現在の橋の架設は、1929(昭和4)年。
同じく、関東大震災の復興事業による架橋。
↓3連アーチの優美な橋。
↓大きな建物は、東京都下水道局かも。
↑「み」
↓タイミングが、ちょっと早すぎました。
↑「み」
蔵前橋です。
橋長、173.4メートル(管理者:東京都)。
架設は、1927(昭和2)年。
同じく、関東大震災の復興事業によるもの。
↓こちらは、アーチが下にある橋です。
↑なんか、わたしの写真の橋とは違う感じもしますね。塗り立てのころですかね。
黄色いのは、米蔵に収められる稲穂をイメージしたものだとか。
吾妻橋同様、平成初期に塗り替えられたそうです(それ以前は水色)。
蔵前には昔、蔵前国技館が建ってました。
1984(昭和59)年に両国国技館に移る前は……。
蔵前国技館で大相撲が行われてたんです。
↑1984(昭和59)年秋場所千秋楽の写真。
その最後となった秋場所を制したのは、平幕の多賀竜。
↑貴乃花の廃業騒動で、協会側の使者となり門前払いを食ってた人です。
↓ご覧のように、船内はガラッガラです。
↑「み」
スマホで船外を撮ってる人たちは、アジアンのようでした。
↓今、初めて気づきましたが、ほかの船とすれ違ってます。
↑「み」
松本零士船ですね。
右の3人連れは、これを撮ってたわけです。
シャコタン船は、確かに格好いいですが……。
わたしはどうしても、昔の汚穢船を連想してしまいます。
糞尿を運搬する船です。
昔は、こういう船が、たくさん停泊しており……。
その船から船へ、八艘飛びで渡る子供がいたそうです。
↑源義経の八艘飛び(壇ノ浦の戦い)。実はこれ、右の平教盛(たいらののりもり)から逃げてるんだとか。
もちろん、度胸試しを兼ねた遊びでしょう。
汚穢の中に落ちるバカも、後を絶たなかったようです。
川で洗っても、臭いは取れなかったでしょうね。
めちゃくちゃ叱られたと思います。
↑かあちゃんに叱られるジャイアン。
↓前のベンチ。
↑「み」
撮影意図は、老朽船であることを伝えたかったのでしょう。
松本零士船とは大違いだと思います。
もちろん料金は、船によって変わりません。
航路ごとに決められてるだけです。
松本零士船が、どの便で運航されるかは、時刻表に明記されてます。
どうしても乗りたければ、その時間に合わせればいいだけです。
↓この撮影意図は、ちょっとわかりかねます。
↑「み」
↓でも、よくよく見たら、岸沿いになまこ壁のようなものが続いてます。
↑「み」
なるほど。
昔の蔵前を表現してるわけですね。
↓どうやら、「隅田川テラス」という川沿いの遊歩道のようです。
堤防を、なまこ壁風にデザインしてあるわけです。
さすが東京、お金があります。
地方だったら、堤防を造るだけで精一杯でしょう。
↓次の橋。
↑「み」
これは、今までの橋とは違います。
道路橋ではありません。
JR総武線が渡る鉄橋です。
名称は、隅田川橋梁のようです。
↑黄色い総武線の電車が渡ってます。
橋長、172メートル。
架橋は、1932(昭和7)年。
管理者はもちろん、JR東日本なんでしょうね。
船が下を通ることなんか、まったく考慮してない雰囲気です。
まさか、スケルトン構造だとは思いませんでした。
糞尿垂れ流しトイレの時代は……。
被害を受けた船も多いのでは?
↓次の橋です。
↑「み」
両国橋。
橋長、164.5メートル。
現在の橋の架橋は、1932(昭和7)年。
しかし、この橋の歴史は深いです。
最初の架橋は、1661(寛文元)年。
↑江戸時代の両国橋(『江戸東京博物館』)。
隅田川に架けられた橋では、千住大橋に次いで古いです。
両国橋と名付けられたのは、武蔵国と下総国をつなげる橋だったから。
↑左が武蔵国、右が下総国(たぶん)。
この橋の管理者は、国土交通省です。
一瞬、東京都と千葉県の境だからかと思いましたが……。
もちろん、違います。
橋の西側は、東京都中央区。
東側は、東京都墨田区です。
なんで、東京都じゃなく、国土交通省が管理するのかわかりません。
あ!
そうか。
そういうことか。
国道だからだ。
両国橋は、国道14号。
これまで渡ってきた橋は……。
すべて都道なんですよ。
だから、東京都が管理者だったんだ。
何のことはありませんでした。
↓わたしが見てたのは、中央区側ということですね。
↑「み」
どうりで、年代物の建物が多いわけです。
↓これは何でしょう?
↑「み」
↓思う間もなく、また橋です。
↑「み」
新大橋。
ずいぶん、風情のない橋名です。
↓地上部は格好良いですね。
橋長、170.0メートル。
架橋は、1977(昭和52)年と、格段に新しい橋です。
通る道路は、東京都道「千葉県道50号東京市川線(新大橋通り)」。
当然のことながら、管理者は東京都です。
しかし、今調べたら……。
「風情のない橋名」などと云うのは、とんでもない話でした。
この橋が最初に架けられたのは、1694(元禄6)年。
隅田川に架かった3番目の橋。
そのとき、「大橋」と呼ばれてた両国橋に続く橋として……。
「新大橋」と名づけられたのです。
つまり、元禄時代からの橋名でした。
なんと、ゴッホが模写したという歌川広重の名作↑「大はしあたけの夕立」が、この新大橋でした。
↑ゴッホの模写です。
5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が……。
↑桂昌院。3代将軍家光の側室。京都の八百屋の娘でした。東洋のシンデレラとも呼ばれます。
橋が少なくて不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を綱吉に進言したと伝えられてます。
この橋が架けられたころのことを、松尾芭蕉が句に詠んでました。
●初雪やかけかかりたる橋の上
●ありがたやいただいて踏むはしの霜
返す返すも由緒のある橋でした。
恐れ入りました。
↓さらに橋は続きます。
↑「み」。右下の丸いのは、船の照明器具が屋根のガラスに映ったものです。
↓清洲橋です。
綺麗な橋ですね。
橋長、186.3メートル。
架橋は、昭和3年。
関東大震災の復興事業です。
上を通るのは、都道です。
↓奇っ怪なビル発見。
↑「み」
形状の通り、名称は「Daiwaリバーゲート」。
門の左右が賃貸マンション、上がオフィスだそうです。
だけど、何で穴を空けたんでしょう?
その部分も建物にしてしまった方が、儲かるでしょうに。
と思って、調べたら……。
早い話、背部のビルの日照を確保するためのようです。
門は東を向いてます。
朝日が通るんじゃないでしょうか。
いろいろ、周辺との交渉が難しかったんでしょうが……。
おかげで、印象的なフォルムとなったわけです。
でも、門の脚の部分の日照は、どうなるんでしょう?
ひょっとして、買いあげたとか?
↓さらに、橋。
↑「み」
隅田川大橋です。
橋長、385.3メートル。
架橋は、1979(昭和54)年。
これまでの橋より、2倍以上長いです。
でも、川幅が広がってるわけではありません。
この橋は、隅田川唯一の二層式なんです。
下が、東京都道475号永代葛西橋線。
その上に、首都高速9号深川線。
高速道路が上を通ってるわけです。
橋長は、両岸の橋台から橋台までの長さのようです。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
高速道路は高いところを通るので……。
橋の立ちあがりが早い。
川よりずいぶん手前から立ちあがるわけです。
なので、橋台間の距離が長い。
ということで、上記の橋長は、高速道路橋の長さだと思います。
↑川を渡る前の隅田川大橋。ビルが傾いてるのは、ストリートビューの画像だからです。
しかし、この場合、橋の管理はどうなるんですかね。
やっぱり、下が東京都で、上は首都高速道路㈱なんでしょうね。
↓きれいな堤防です。
↑「み」
座れるんですかね?
お昼を食べたら、気持ちよさそうです。
↑これもストリートビューの画像。座れる感じはありませんね。
スーパー堤防として整備された箇所のようです。
後ろのビルは、「IBM箱崎ビル」。
↑この画像を見ると、堤防に植えられてるのは、ツツジのようですね。
日本IBMの本社が入ってます。
しかし、日本IBMって、今、何をしてるんでしょう?
パソコンとか、発売してませんよね。
↓見えてる橋は、日本橋川に架かる豊海橋。
↑「み」
↓ここです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
永代橋。
橋長、184.7メートル。
架橋は、1926(大正15)年。
もちろん、関東大震災の復興事業です。
大正12年の関東大震災では、永代橋、厩橋、吾妻橋が炎上し……。
巻き込まれた避難民は、多数が焼死、あるいは溺死しました。
当時の橋は、もちろん鉄橋です。
なぜ炎上したかと云うと、橋底の基部や橋板に木材を使用してたからだそうです。
↑焼け落ちた永代橋。
永代橋が最初に架けられたのは、1698(元禄11)年8月。
隅田川に架けられた、4番目の橋。
5代将軍徳川綱吉の50歳を祝う記念事業だったそうです。
↑渓斎英泉『東都永代橋の図』。
しかし、架橋から20年後、財政が窮乏した江戸幕府は……。
享保4年(1719年)に、永代橋の維持管理を諦めて廃橋を決定します。
しかし町民衆の嘆願により……。
橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に、存続を許されました。
町方は、橋の通行料を取ったり……。
橋詰に市場を開いて収益を上げるなど、費用を工面して維持に努めてました。
ところが!
文化4(1807)年8月19日 (新暦では9月20日)。
深川富岡八幡宮で、12年ぶりの祭礼が行われました。
↑現在の「富岡八幡宮例大祭」。江戸三大祭の一つ。すごい人です。
江戸市中から多くの群衆が、橋を渡って深川に押し寄せました。
しかし、詰め掛けた群衆の重みに橋が耐え切れず……。
橋の中央部よりやや東側の部分で、数間ほどが崩れ落ちたのです。
でも後ろからの群衆は崩落に気が付かず続々と押し寄せ……。
崩落部分から、雪崩をうつように転落。
死傷者、行方不明者を合わせると実に1400人を超える大惨事となりました。
史上最悪の落橋事故と言われてます。
その橋が、また関東大震災で焼け落ちたんですね。
ぜんぜん、永代ではありません。
さすがに今の橋は、完全な鉄橋なので、もう焼け落ちることはないでしょうが。
でも、架橋からまもなく、100年。
大丈夫なんですかね?
↓これは、次の橋を潜る直前。
↑「み」
何か、銅像のようなものが見えました。
↓これのようです。
↑橋には背を向けてるようです。
ネットで検索すると、メッセンジャー像とありました。
引退した阪神のピッチャーが、すでに銅像になったのでしょうか?
しかし、道頓堀ならわかりますが……。
隅田川というのが解せません。
もちろん、違ってました。
これは、パリ市長のジャック・シラクから東京都に贈られた像。
↑後に、フランス大統領になりました。2019年没。
彫刻家オシップ・ザッキンの作で……。
↑いかにも芸術家。
「メッセンジャー」と名づけられた彫像だそうです。
↑川の方からの画像のようですが……。どうもようわからん形状です。
オシップ・ザッキンは、1967年に亡くなってます。
中央大橋の架橋は、 1993(平成5)年。
「メッセンジャー」像は、1937(昭和12)年のパリ万国博覧会に出品された作品だそうです。
↑この万博のスペイン館の壁画として描かれたのが、ピカソの「ゲルニカ」。
早い話、中古をもらったわけです。
ま、こういうのは、古いほど価値があるとも云えますが。
なお、東京都はお返しに、パリ市に「屋形船」を寄贈したとか。
こっちの方が、はるかに持ち出しが大きいですね。
↓中央大橋を潜ります。
↑「み」
中央大橋。
橋長、210.7メートル。
これまでの橋より、長いですね。
隅田川が広がってるわけではありません。
橋台が、川から離れてるのかも知れません。
上を通るのは、都道です。
架橋は、 1993(平成5)年。
隅田川に架かる橋では、2番目に新しいです。
夕刻から夜10時まで、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされます。
建設時期は、バブルの絶頂期。
都道に架かる橋としては、分不相応なほどの贅沢な造りです。
このあたりは、隅田川の左右とも、中央区です。
まさに中央区のシンボルとして、堂々と「中央大橋」の名が冠されました。
↓屋根から覗く高層ビル。
↑「み」
おそらく、左がスカイライトタワー。
右が、リバーポイントタワーだと思います。
↑ストリートビューで見たら、こんなにビルがありました。見えてたのは、矢印のビルだと思います(たぶん)。
建ってるのは、いわゆる佃島です。
↓水路が合流してます。
↑「み」
亀島川です。
水門が見えてますね。
高潮などのときの海水の逆流を防ぐための水門です。
↑船は、左下方向に下ってます。
名前から想像できますが、江戸時代からあった川。
川沿いに御船手奉行所があって、江戸に入る船舶はここであらためを受けたそうです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
橋名の一部が見えてます。
佃大橋です。
画像が斜めってるのは、わたしの腕のせいではありません。
橋が斜めに架かってるのです。
橋の下に橋名が書いてあるのは……。
もちろん、こうしたクルーズ船に見せるためでしょう。
橋長は、476.3メートル。
これまでの橋の中で、格段に長いです。
でも、隅田川は広がってません。
橋の両側に、高架が伸びてるためでしょうね。
架橋は、 1964(昭和39)年。
完成したのは、東京オリンピックの直前。
もちろん、それに備えたインフラ整備です。
このとき、佃島と月島を隔てていた佃川が埋め立てられ……。
佃島は、「島」ではなくなりました。
↓反対側にも高層ビル。
↑「み」
「聖路加ガーデン」です。
手前がオフィス棟で……。
奥が、高齢者向け賃貸マンションのようです。
見えている2つのビルは、空中の通路で繋がってますね。
残念ながら、わたしの写真では、船の屋根で隠れてしまってました。
しかし、大地震のとき通路にいたら……。
通路ごと落下するんじゃないでしょうか。
テーブルもあり、飲食も出来そうです。
2階のテーブルが空いてました。
相席にもならなかったので……。
浅草寺で買ったお土産を撮影してしまうことにしました。
↓まずこれ。
↑「み」
リュックに詰めると、やはり包装紙はしわくちゃになってしまいます。
こういうのがイヤな人は、キャリーバッグにすべきでしょう。
わたしは中身さえ潰れなければ、さほど気になりません。
↓中身は無事でした。
↑「み」
鈴です。
パッケージには、「福聚守」と書いてあります。
わたし用ではありません。
母へのお土産。
実はわたし、身に付けた鈴がしゃらしゃら鳴るのが好きでないのです。
昔、自動車を共有で使ってたとき、母がキーに鈴を付けてました。
その鍵を持ってる間中、音が気になって仕方なかったです。
実は、500円の鈴を買おうとしたのですが、運悪く売り切れ。
↑500円の鈴です。これで、500円……。対価ではなく、お布施ということです。
高かったけど、違う鈴を買いました。
あ、「買いました」じゃなく、「授かりました」ですね。
領収書をもらったわけじゃないので、値段は忘れてしまいました。
↓ようやく、画像を発見。
高!
よく買ったな、これ。
あ、「授かりました」でした。
たぶん、早く帰りたかったんでしょうね。
しかし、今ネットを見ると、わたしが授かった鈴がリスト(こちら)に載ってないんです。
限定品だったんですかね?
ま、わたしの手元を離れたので、もうどうでもいいですが。
↓待合所の天井です。
↑「み」
あえて天井板を張らず、ダクトを見せているのでしょう。
ダクトを統一色で塗ってますからね。
天井板を張ってしまう方が、ずっと安あがりなんじゃないでしょうか。
でも、こっちの方が、近未来感も出て楽しいです。
メンテも、やりやすいでしょうしね。
↓2階の待合所に上り、吾妻橋を撮影。
↑「み」
↓石のアーチがいいですね。
↑「み」
↓同じ待合所から、発着所を撮影。
↑「み」
宇宙船みたいな船が停まってます。
船はどれも、マッハゴーゴー的なシャコタン形状です。
理由は簡単。
橋の下を潜らなければならないからです。
↓どうやら、「ヒミコ」のようです。
デザインは、松本零士氏。
星野鉄郎やメーテルの船内放送が聞けるそうです。
↓出航したのかな。
↑「み」
と思ったら、違いますね。
右下に、まだ停まってます。
左上のは、別の船ですね。
撮影時刻は、10:03分ですから……。
10:00発の「ホタルナ」だったでしょうか。
↑こちらも、松本零士氏デザイン。
10:00発は、「お台場海浜公園」行きです。
わたしの乗る船は、10:40発。
まだまだ時間があります。
わたしは、お台場には行きません。
わたしの行き先は、始発便が10:40分なんです。
なので、いくら早く発着所に着いても、ただ待つだけです。
こんなに待つ羽目になったのは……。
浅草寺の外国人と腰痛のせいです。
↓人がいなくなった隙を付き、ハーさんを撮影。
↑「み」
撮影時刻は、10:07分。
ジュースは、ロキソプロフェンを飲むために買いました。
朝、6時に飲みましたから……。
ちょうど、4時間経ってます。
ロキソプロフェンは、4時間の服用間隔を空けなければならないのです。
↑ロキソニンの説明書きですが、ロキソプロフェンも一緒です。
腰痛が出てるわけではありません。
予防です。
船を下りてから、けっこう歩くことになると思うので。
腰の具合と相談しながら、歩くコースも考えるつもり。
こういう自由が利くのも、ひとり旅の良いところです。
↓ときおり、こんな瞬間もありました。
↑「み」
出航を何便も見送ったからでしょうね。
月曜日だし。
この席には、直前まで女性の2人連れが座ってて……。
しきりと、この日のお天気を嘆いてました。
翌日の天気予報は晴れ。
実際晴れて、東京は27度になったようです。
精進の悪いのは、どっちだったんですかね?
あ、わたしか。
撮影時刻は、10:13分。
わたしの便の出航まで、まだ27分もあります。
↓いきなり乗船してます。
↑「み」
撮影時刻は、10:37分。
出航の3分前。
出航が近づくにつれ、写真を撮ってる余裕がなくなったのでしょう。
窓の水滴が、なんとも恨めしいです。
なお、わたしが乗った船は……。
「ホタルナ」でも「ヒミコ」でも「エメラルダス」でもありませんでした。
↓たぶんこの「リバータウン」というやつです。
内装も古く、↓船内はこんな感じ。
↓屋根は透明。
↑「み」
晴天時には、日焼け対策が必要でしょう。
↓東京スカイツリーが霞んでます。
↑「み」
写真を撮ったときは、スカイツリーが見えてるのは気づいてなかったと思います。
↓船内前方の様子。
↑「み」
↓年代物の内装であることがわかります。
↑「み」
撮影時刻は、10:40分。
出航直前か直後ですね。
最前列は、おばさんの3,4人連れに取られてしまいました(わたしもおばさんですが)。
これは、そのおばさんたちが、飲み物を買いに行った隙に撮りました。
あんなに早くから待ってたくせに……。
一番乗り出来なかったのはアホとしか思えません。
↑誰です、この人?
↓うんこビルが遠ざかります。
↑「み」
雨は降ってますが、風はなく、水面も穏やかです。
揺れた記憶はまったくありません。
バスより揺れないと思います。
バスで酔わない人なら、船酔いする心配はありません。
↓返す返すも、窓の水滴が恨めしいです。
↑「み」
最新式の船には、ワイパーとかないんでしょうか。
しかし、車のワイパーも、進化しない仕組みですよね。
風圧で、窓に水滴があたるのを防ぐとか出来ないものですかね?
↓初めての橋に差しかかります。
↑「み」
側面が覆われてるのからわかるとおり……。
吾妻橋です。
つまり、うんこビルを右後ろにした後……。
船は180度、方向転換したわけです。
まったく覚えてませんでした。
↓吾妻橋を潜ります。
↑「み」
ボケボケでしたね。
屋根が透明なのは、橋の裏側を見せるためでしょう。
船からしか見られない光景ですから。
てことは、橋の管理者としては……。
橋の下のメンテも、きっちりしておかなければならないと云うことです。
塗装はもちろんですが……。
でっかいボルトとかが屋根に落ちたら大変ですから。
調べたら、隅田川に架かる橋の管理者は……。
東京都と国土交通省に分かれるようです。
吾妻橋は、東京都。
橋長、150.1メートル。
現在の橋は、1931(昭和5)年の架設。
関東大震災の復興事業のひとつだそうです。
平成の初めに、浅草寺との調和を図るために赤く塗り替えられたとか。
↑吾妻橋を潜った直後でしょう。お天気が良くて羨ましいです。
↓川岸の船は、屋形船でしょうね。
↑「み」
こういう船で飲むのは風情がありそうですが……。
心配なのはトイレ。
でも、ちゃんと水洗トイレがあるようです。
↑実際の屋形船のトイレです。すげー。
虫とかは入ってこないんでしょうかね。
↑虫、めっちゃ来そうです。
↓次の橋を潜ります。
↑「み」。右の丸いのは、船内の照明がガラス屋根に映ったもの。
駒形橋です。
橋長、146.3メートル(管理者:東京都)。
架設は、1927(昭和2)年。
こちらの橋も、関東大震災の復興事業により架けられました。
↓優雅な橋です。
↓高層ビルはありませんが、びっしり隙間なくビルが建ってます。
↑「み」
↓ここにも屋形船が係留されてます。
↑「み」
↓また橋です。
↑「み」
厩橋(うまやばし)。
橋長、151.4メートル(管理者:東京都)。
現在の橋の架設は、1929(昭和4)年。
同じく、関東大震災の復興事業による架橋。
↓3連アーチの優美な橋。
↓大きな建物は、東京都下水道局かも。
↑「み」
↓タイミングが、ちょっと早すぎました。
↑「み」
蔵前橋です。
橋長、173.4メートル(管理者:東京都)。
架設は、1927(昭和2)年。
同じく、関東大震災の復興事業によるもの。
↓こちらは、アーチが下にある橋です。
↑なんか、わたしの写真の橋とは違う感じもしますね。塗り立てのころですかね。
黄色いのは、米蔵に収められる稲穂をイメージしたものだとか。
吾妻橋同様、平成初期に塗り替えられたそうです(それ以前は水色)。
蔵前には昔、蔵前国技館が建ってました。
1984(昭和59)年に両国国技館に移る前は……。
蔵前国技館で大相撲が行われてたんです。
↑1984(昭和59)年秋場所千秋楽の写真。
その最後となった秋場所を制したのは、平幕の多賀竜。
↑貴乃花の廃業騒動で、協会側の使者となり門前払いを食ってた人です。
↓ご覧のように、船内はガラッガラです。
↑「み」
スマホで船外を撮ってる人たちは、アジアンのようでした。
↓今、初めて気づきましたが、ほかの船とすれ違ってます。
↑「み」
松本零士船ですね。
右の3人連れは、これを撮ってたわけです。
シャコタン船は、確かに格好いいですが……。
わたしはどうしても、昔の汚穢船を連想してしまいます。
糞尿を運搬する船です。
昔は、こういう船が、たくさん停泊しており……。
その船から船へ、八艘飛びで渡る子供がいたそうです。
↑源義経の八艘飛び(壇ノ浦の戦い)。実はこれ、右の平教盛(たいらののりもり)から逃げてるんだとか。
もちろん、度胸試しを兼ねた遊びでしょう。
汚穢の中に落ちるバカも、後を絶たなかったようです。
川で洗っても、臭いは取れなかったでしょうね。
めちゃくちゃ叱られたと思います。
↑かあちゃんに叱られるジャイアン。
↓前のベンチ。
↑「み」
撮影意図は、老朽船であることを伝えたかったのでしょう。
松本零士船とは大違いだと思います。
もちろん料金は、船によって変わりません。
航路ごとに決められてるだけです。
松本零士船が、どの便で運航されるかは、時刻表に明記されてます。
どうしても乗りたければ、その時間に合わせればいいだけです。
↓この撮影意図は、ちょっとわかりかねます。
↑「み」
↓でも、よくよく見たら、岸沿いになまこ壁のようなものが続いてます。
↑「み」
なるほど。
昔の蔵前を表現してるわけですね。
↓どうやら、「隅田川テラス」という川沿いの遊歩道のようです。
堤防を、なまこ壁風にデザインしてあるわけです。
さすが東京、お金があります。
地方だったら、堤防を造るだけで精一杯でしょう。
↓次の橋。
↑「み」
これは、今までの橋とは違います。
道路橋ではありません。
JR総武線が渡る鉄橋です。
名称は、隅田川橋梁のようです。
↑黄色い総武線の電車が渡ってます。
橋長、172メートル。
架橋は、1932(昭和7)年。
管理者はもちろん、JR東日本なんでしょうね。
船が下を通ることなんか、まったく考慮してない雰囲気です。
まさか、スケルトン構造だとは思いませんでした。
糞尿垂れ流しトイレの時代は……。
被害を受けた船も多いのでは?
↓次の橋です。
↑「み」
両国橋。
橋長、164.5メートル。
現在の橋の架橋は、1932(昭和7)年。
しかし、この橋の歴史は深いです。
最初の架橋は、1661(寛文元)年。
↑江戸時代の両国橋(『江戸東京博物館』)。
隅田川に架けられた橋では、千住大橋に次いで古いです。
両国橋と名付けられたのは、武蔵国と下総国をつなげる橋だったから。
↑左が武蔵国、右が下総国(たぶん)。
この橋の管理者は、国土交通省です。
一瞬、東京都と千葉県の境だからかと思いましたが……。
もちろん、違います。
橋の西側は、東京都中央区。
東側は、東京都墨田区です。
なんで、東京都じゃなく、国土交通省が管理するのかわかりません。
あ!
そうか。
そういうことか。
国道だからだ。
両国橋は、国道14号。
これまで渡ってきた橋は……。
すべて都道なんですよ。
だから、東京都が管理者だったんだ。
何のことはありませんでした。
↓わたしが見てたのは、中央区側ということですね。
↑「み」
どうりで、年代物の建物が多いわけです。
↓これは何でしょう?
↑「み」
↓思う間もなく、また橋です。
↑「み」
新大橋。
ずいぶん、風情のない橋名です。
↓地上部は格好良いですね。
橋長、170.0メートル。
架橋は、1977(昭和52)年と、格段に新しい橋です。
通る道路は、東京都道「千葉県道50号東京市川線(新大橋通り)」。
当然のことながら、管理者は東京都です。
しかし、今調べたら……。
「風情のない橋名」などと云うのは、とんでもない話でした。
この橋が最初に架けられたのは、1694(元禄6)年。
隅田川に架かった3番目の橋。
そのとき、「大橋」と呼ばれてた両国橋に続く橋として……。
「新大橋」と名づけられたのです。
つまり、元禄時代からの橋名でした。
なんと、ゴッホが模写したという歌川広重の名作↑「大はしあたけの夕立」が、この新大橋でした。
↑ゴッホの模写です。
5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が……。
↑桂昌院。3代将軍家光の側室。京都の八百屋の娘でした。東洋のシンデレラとも呼ばれます。
橋が少なくて不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を綱吉に進言したと伝えられてます。
この橋が架けられたころのことを、松尾芭蕉が句に詠んでました。
●初雪やかけかかりたる橋の上
●ありがたやいただいて踏むはしの霜
返す返すも由緒のある橋でした。
恐れ入りました。
↓さらに橋は続きます。
↑「み」。右下の丸いのは、船の照明器具が屋根のガラスに映ったものです。
↓清洲橋です。
綺麗な橋ですね。
橋長、186.3メートル。
架橋は、昭和3年。
関東大震災の復興事業です。
上を通るのは、都道です。
↓奇っ怪なビル発見。
↑「み」
形状の通り、名称は「Daiwaリバーゲート」。
門の左右が賃貸マンション、上がオフィスだそうです。
だけど、何で穴を空けたんでしょう?
その部分も建物にしてしまった方が、儲かるでしょうに。
と思って、調べたら……。
早い話、背部のビルの日照を確保するためのようです。
門は東を向いてます。
朝日が通るんじゃないでしょうか。
いろいろ、周辺との交渉が難しかったんでしょうが……。
おかげで、印象的なフォルムとなったわけです。
でも、門の脚の部分の日照は、どうなるんでしょう?
ひょっとして、買いあげたとか?
↓さらに、橋。
↑「み」
隅田川大橋です。
橋長、385.3メートル。
架橋は、1979(昭和54)年。
これまでの橋より、2倍以上長いです。
でも、川幅が広がってるわけではありません。
この橋は、隅田川唯一の二層式なんです。
下が、東京都道475号永代葛西橋線。
その上に、首都高速9号深川線。
高速道路が上を通ってるわけです。
橋長は、両岸の橋台から橋台までの長さのようです。
↑クリックすると、大きい画像が見られます。
高速道路は高いところを通るので……。
橋の立ちあがりが早い。
川よりずいぶん手前から立ちあがるわけです。
なので、橋台間の距離が長い。
ということで、上記の橋長は、高速道路橋の長さだと思います。
↑川を渡る前の隅田川大橋。ビルが傾いてるのは、ストリートビューの画像だからです。
しかし、この場合、橋の管理はどうなるんですかね。
やっぱり、下が東京都で、上は首都高速道路㈱なんでしょうね。
↓きれいな堤防です。
↑「み」
座れるんですかね?
お昼を食べたら、気持ちよさそうです。
↑これもストリートビューの画像。座れる感じはありませんね。
スーパー堤防として整備された箇所のようです。
後ろのビルは、「IBM箱崎ビル」。
↑この画像を見ると、堤防に植えられてるのは、ツツジのようですね。
日本IBMの本社が入ってます。
しかし、日本IBMって、今、何をしてるんでしょう?
パソコンとか、発売してませんよね。
↓見えてる橋は、日本橋川に架かる豊海橋。
↑「み」
↓ここです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
永代橋。
橋長、184.7メートル。
架橋は、1926(大正15)年。
もちろん、関東大震災の復興事業です。
大正12年の関東大震災では、永代橋、厩橋、吾妻橋が炎上し……。
巻き込まれた避難民は、多数が焼死、あるいは溺死しました。
当時の橋は、もちろん鉄橋です。
なぜ炎上したかと云うと、橋底の基部や橋板に木材を使用してたからだそうです。
↑焼け落ちた永代橋。
永代橋が最初に架けられたのは、1698(元禄11)年8月。
隅田川に架けられた、4番目の橋。
5代将軍徳川綱吉の50歳を祝う記念事業だったそうです。
↑渓斎英泉『東都永代橋の図』。
しかし、架橋から20年後、財政が窮乏した江戸幕府は……。
享保4年(1719年)に、永代橋の維持管理を諦めて廃橋を決定します。
しかし町民衆の嘆願により……。
橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に、存続を許されました。
町方は、橋の通行料を取ったり……。
橋詰に市場を開いて収益を上げるなど、費用を工面して維持に努めてました。
ところが!
文化4(1807)年8月19日 (新暦では9月20日)。
深川富岡八幡宮で、12年ぶりの祭礼が行われました。
↑現在の「富岡八幡宮例大祭」。江戸三大祭の一つ。すごい人です。
江戸市中から多くの群衆が、橋を渡って深川に押し寄せました。
しかし、詰め掛けた群衆の重みに橋が耐え切れず……。
橋の中央部よりやや東側の部分で、数間ほどが崩れ落ちたのです。
でも後ろからの群衆は崩落に気が付かず続々と押し寄せ……。
崩落部分から、雪崩をうつように転落。
死傷者、行方不明者を合わせると実に1400人を超える大惨事となりました。
史上最悪の落橋事故と言われてます。
その橋が、また関東大震災で焼け落ちたんですね。
ぜんぜん、永代ではありません。
さすがに今の橋は、完全な鉄橋なので、もう焼け落ちることはないでしょうが。
でも、架橋からまもなく、100年。
大丈夫なんですかね?
↓これは、次の橋を潜る直前。
↑「み」
何か、銅像のようなものが見えました。
↓これのようです。
↑橋には背を向けてるようです。
ネットで検索すると、メッセンジャー像とありました。
引退した阪神のピッチャーが、すでに銅像になったのでしょうか?
しかし、道頓堀ならわかりますが……。
隅田川というのが解せません。
もちろん、違ってました。
これは、パリ市長のジャック・シラクから東京都に贈られた像。
↑後に、フランス大統領になりました。2019年没。
彫刻家オシップ・ザッキンの作で……。
↑いかにも芸術家。
「メッセンジャー」と名づけられた彫像だそうです。
↑川の方からの画像のようですが……。どうもようわからん形状です。
オシップ・ザッキンは、1967年に亡くなってます。
中央大橋の架橋は、 1993(平成5)年。
「メッセンジャー」像は、1937(昭和12)年のパリ万国博覧会に出品された作品だそうです。
↑この万博のスペイン館の壁画として描かれたのが、ピカソの「ゲルニカ」。
早い話、中古をもらったわけです。
ま、こういうのは、古いほど価値があるとも云えますが。
なお、東京都はお返しに、パリ市に「屋形船」を寄贈したとか。
こっちの方が、はるかに持ち出しが大きいですね。
↓中央大橋を潜ります。
↑「み」
中央大橋。
橋長、210.7メートル。
これまでの橋より、長いですね。
隅田川が広がってるわけではありません。
橋台が、川から離れてるのかも知れません。
上を通るのは、都道です。
架橋は、 1993(平成5)年。
隅田川に架かる橋では、2番目に新しいです。
夕刻から夜10時まで、白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされます。
建設時期は、バブルの絶頂期。
都道に架かる橋としては、分不相応なほどの贅沢な造りです。
このあたりは、隅田川の左右とも、中央区です。
まさに中央区のシンボルとして、堂々と「中央大橋」の名が冠されました。
↓屋根から覗く高層ビル。
↑「み」
おそらく、左がスカイライトタワー。
右が、リバーポイントタワーだと思います。
↑ストリートビューで見たら、こんなにビルがありました。見えてたのは、矢印のビルだと思います(たぶん)。
建ってるのは、いわゆる佃島です。
↓水路が合流してます。
↑「み」
亀島川です。
水門が見えてますね。
高潮などのときの海水の逆流を防ぐための水門です。
↑船は、左下方向に下ってます。
名前から想像できますが、江戸時代からあった川。
川沿いに御船手奉行所があって、江戸に入る船舶はここであらためを受けたそうです。
↓橋を潜ります。
↑「み」
橋名の一部が見えてます。
佃大橋です。
画像が斜めってるのは、わたしの腕のせいではありません。
橋が斜めに架かってるのです。
橋の下に橋名が書いてあるのは……。
もちろん、こうしたクルーズ船に見せるためでしょう。
橋長は、476.3メートル。
これまでの橋の中で、格段に長いです。
でも、隅田川は広がってません。
橋の両側に、高架が伸びてるためでしょうね。
架橋は、 1964(昭和39)年。
完成したのは、東京オリンピックの直前。
もちろん、それに備えたインフラ整備です。
このとき、佃島と月島を隔てていた佃川が埋め立てられ……。
佃島は、「島」ではなくなりました。
↓反対側にも高層ビル。
↑「み」
「聖路加ガーデン」です。
手前がオフィス棟で……。
奥が、高齢者向け賃貸マンションのようです。
見えている2つのビルは、空中の通路で繋がってますね。
残念ながら、わたしの写真では、船の屋根で隠れてしまってました。
しかし、大地震のとき通路にいたら……。
通路ごと落下するんじゃないでしょうか。