Mikiko's Room

 ゴシック系長編レズビアン小説 「由美と美弥子」を連載しています(完全18禁なので、良い子のみんなは覗かないでね)。
 「由美と美弥子」には、ほとんど女性しか出てきませんが、登場する全ての女性が変態です。
 文章は「蒼古」を旨とし、納戸の奥から発掘されたエロ本に載ってた(挿絵:加藤かほる)、みたいな感じを目指しています。
 美しき変態たちの宴を、どうぞお楽しみください。
管理人:Mikiko
カテゴリ:Mikikoのひとりごと > 総集編・単独旅行記Ⅲ
 ということでわたしは、フーコーは、一種の興行師だったのではないかと思いました。
 わざわざ、巨大な振り子を作り、それを見世物にしたのだと。
フーコーは、一種の興行師だったのではないか

 でも、違ったんです。
 振り子は、巨大である必要があるのです。
 というのは、小さい振り子では、軌道の変化が確認できるまで、振りが続かないのです。
軌道の変化が確認できるまで、振りが続かない

 まず、支点での摩擦や風の影響を小さくするためには、重たいおもりが必要です。
 そして、長く振り続けるためには、振幅を大きくしなければなりません。
 すなわち、長いケーブルが必要なのです。
 ということで、フーコーの振り子は、巨大でなければならないというわけです。
 これが逆に興行的に受けて、万国博覧会などで展示されることとなったのでしょう。

 さて。
 それではなぜ、軌道が変わるのかということですが……。
 実は逆で、振り子の軌道は変わらないのです。
 変わっていくように見える、ということです。
 変わっていくのは、見ているわたしたちの立ち位置なのです。

 一番わかり易い例は、北極のてっぺんです。
 ここに、振り子を設置したとします。
 振り子は、外からの力が加わらない限り、いつまでも同じ方向に振り続ける性質をもっています。
 つまり、振り子が振れる向きは、宇宙空間に対して一定になります。
 しかし、見る人が立っている地表面は、地球の自転により左に回転しています。
 すると、まるで振り子の振れる方向が、右に回転しているように見えるのです。
振り子の振れる方向が、右に回転しているように見えるのです

 ↑上の図を見つけたとき、『コリオリの力』というのが気になりました。
 ココリコじゃありませんよ。
ココリコじゃありませんよ

 Wikiによると……。
『コリオリの力とは、回転座標系上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種』だそうです。
 さっぱりわかりません。
 どうやらわたしには……。
 一流の狙撃手になる資格が無いようです。
 は?、と思われる方もおられると思います。
 実は、長距離狙撃を成功させるためには、『コリオリの力』を理解してなければならないのです。
 地球の自転により、弾道が変わってしまうからです。
 もちろん、ゴルゴ13は、この理論に習熟しています。
ゴルゴ13は、この理論に習熟しています

 実際、ゴルゴ13が、『コリオリの力』を計算して狙撃するというシーンがあるそうです(参照)。

 さて。
 実は、わたしが理解できたのは……。
 北極点でのフーコーの振り子の説明だけです。
 北極点以外の場所を考えると、頭の中で糸がこんがらがります。
 さらに、赤道では振れる向きが変わらないというのは、さらにさっぱりわかりません。
 鉄棒の大車輪みたいに振れそうですけど。
鉄棒の大車輪

 赤道は、自転の影響を、一番受けているはずです。
 赤道の距離は、約4万キロ。
 これを、24時間で一周してるわけです。
 これを時速になおすと、ぶったまげますよ。
 4万キロ÷24時間≒1,667㎞/h。
 音速(1,225㎞/h)を遥かに超えてます。
この人、なんでいつもこのポーズなんですかね?
↑この人、なんでいつもこのポーズなんですかね?

 赤道に住む人は、どうして立っていられるのでしょう。
 さっぱりわかりません。

 ↓『ヒグマ渡来の歴史』。
ヒグマ渡来の歴史
↑「み」

 ↓だそうです(説明略)。
ヒグマ渡来の歴史
↑「み」

 ↓コウモリだけが知っている(説明略)。
コウモリだけが知っている
↑「み」。こんな雑な写真1枚から、説明なんかできまへん。

 ↓これは、知ってます。
北で大きく
↑「み」

 実感として感じたこともあります。
 動物ではなく、植物です。
 前の会社で、北海道に社員旅行に行ったんです。
 当時、新潟空港から、北海道の女満別空港まで直行便がありました。
北海道の女満別空港まで直行便がありました

 オホーツク海方面に便が良かったんですね。
 『小清水原生花園』などを見学しました。
小清水原生花園
↑わたしが行ったときは、こんなに花盛りではありませんでした。

 一番面白かったのは、網走刑務所でした。
一番面白かったのは、網走刑務所でした

 ↑天井にいるフンドシの人物は「昭和の脱獄王」白鳥由栄。
 網走刑務所を含め、4回脱獄しました。
 網走刑務所では、鉄枠に味噌汁を噴きかけ続けて錆びさせて外し……。
 天井の木枠を抜けるときは、肩の関節を外したそうです。

 このときの見学では、お土産に網走刑務所のゾーリを買って帰り、母に呆れられました。
お土産に網走刑務所のゾーリ
↑これこれ。

 玄関に出すことを固く禁じられたので、ベランダの水やりのときに履いてました。
 どうも水に弱いらしく、しばらくすると、バラバラに分解してしまいました。

 話が逸れました。
 その旅行のとき、道端の植物が、やたらとデカいことに驚きました。
 ↓の解説文にあるとおり、確かフキも見ましたね。
トトロが傘にしたフキみたいにデカかったです

 トトロが傘にしたフキみたいにデカかったです。
これは秋田の蕗です
↑これは秋田の蕗ですが、このくらいあった気がします。

 秋田蕗は食用になるようですが、北海道のも食用なんですかね?
 ものすごく食べでがありそうです。

 それとデカかったのが、水芭蕉でした。
 ↓江間章子(新潟県上越市出身)作詞の『夏の思い出』は、とても好きな曲です。


 「♪水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている 水のほとり」というフレーズが印象的ですね。
 水芭蕉には、可憐な花のイメージを抱いてました。
尾瀬の水芭蕉
↑尾瀬の水芭蕉。思っている以上に大きい花だということがわかります。

 ところが、北海道の水芭蕉は違いました。
 まるで、白菜が立ってるみたいでした。
北海道石狩市『マクンベツ湿原』
↑北海道石狩市『マクンベツ湿原』。この写真は、まだ成長途上のようです。大きいものは、1メートルを超えるとか。白菜どころではありません。

 まさに、「北海道はでっかいどう」なんですね。
北海道はでっかいどう

 ↓そうそう、『ベルクマンの法則』でした。
ベルクマンの法則
↑「み」。書かれてる内容については、↓で説明します。

 ↓イノシシが、3体並んでます。
イノシシが、3体並んでます
↑「み」

 左から、長野県、山口県、西表島のイノシシ。
 もちろん、すべて成体のイノシシです。
 明らかに、大きさが違います。

 ベルクマンの法則は、1847年、ドイツの生物学者クリスティアン・ベルクマンがに発表したものです。
 ↓復習してみましょう。
+++++++++++++++++++++++++++++++
『恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息する(Wikipedia)』
+++++++++++++++++++++++++++++++

 ではなぜ、寒冷な地では身体がデカくなり、温暖な地では小さくなるのかと云うと……。
 体温を維持するためには、身体が大きい方が得か、小さい方が得かという話です。
 恒温動物は、体内で常に熱を生産しています。
 その熱は、体表面から放出されます。
 体内での熱生産量は体重に比例し、放熱量は体表面積に比例します。
 体長の3乗が体重であり、体長の2乗が体表面積です。
体長の3乗が体重であり、体長の2乗が体表面積です

 つまり、熱生産量は体長の3乗に、放熱量は体長の2乗に比例します。
 これは、体長が大きくなるにつれ、体重当たりの体表面積は小さくなることを意味してます。
 寒冷な地域では、体温を維持するために、熱生産量を高め、放熱を抑える必要がありますから……。
 体重あたりの表面積は小さい方がいい。
 すなわち、大型である方が有利となります。
北海道の紋別で仕留められたヒグマ
↑北海道の紋別で仕留められたヒグマ。400キロあったそうです。

 逆に温暖な地域では、放熱が大事になりますから、体重あたりの表面積は大きい方がいい。
 つまり、小型である方が有利ということです。

 この法則はあくまで、恒温動物におけるものです。
 変温動物では、逆になる場合が多いです。
 虫などになると、寒冷地では活動期間が短く、大きくなれません。
 熱帯の方が、巨大な昆虫がいますよね。
世界一大きいキリギリス
↑世界一大きいキリギリス『ニューギニアオオコノハギス』。さぞやかましいでしょうね。

 蛇などの爬虫類では、体温を上げるためには日光浴をしなければなりません。
 身体が大きいと、体温が上がるまで時間がかかります。
 その間、活動できなくなってしまいます。
 アナコンダとなどの巨大な蛇は、体温を上げる必要のない暑い地域に住んでます。
とっ捕まったアナコンダ
↑とっ捕まったアナコンダ。このサイズになると、ワニを丸呑みにするそうです。

 ↓ユキツバキとヤブツバキの分布図。
ユキツバキとヤブツバキの分布図
↑「み」

 ↓解説です。
ユキツバキとヤブツバキ
↑「み」

 上の図で、濃い緑色の部分は、両方のツバキの分布がない地域。
 それを囲むように、日本海側と太平洋側の海岸で、ヤブツバキの分布が北の方まで伸びてます。
 これはおそらく、川に落ちた種が海に出て……。
 それを、海流が運ぶからでしょう。
ヤブツバキの種
↑種はかなり大粒です。

 日本海側は、対馬海流が北上してます。
 でも、太平洋側では親潮が南下してます。
 おそらく、対馬海流に乗った種の一部は、そのまま津軽海峡を抜け……。
 親潮に引きずられて南下し、海岸に漂着するんだと思います。
 つまり、日本海側と太平洋側では、種の流れる方向が逆ということです。
日本海側と太平洋側では、種の流れる方向が逆

↓樹形の違い。
ユキツバキとヤブツバキの樹形の違い
↑「み」

 ユキツバキは、冬期、雪に潰された状態になります。
 このことから、耐寒性の強い樹木と誤解されがちですが……。
 逆です。
 耐寒性は、ヤブツバキよりも劣ります。
 雪の中は、風も吹かず、温度も0度前後に保たれます。
 いわば、雪の布団をかぶって、ぬくぬくと過ごしているのです。
雪の布団

 なので、ユキツバキを、雪の積もらない海岸沿いなどに植えると……。
 寒風にやられ、枯れることもしばしばです。
 北関東などでも、まず育たないでしょう。

 ↓ガイコツ。
ガイコツ
↑「み」

 沖縄県に住んでた、港川人です。
 これは、『港川1号』と呼ばれる人骨のレプリカ。
港川1号
↑「み」

 沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の島尻郡八重瀬町字長毛)で発見されたことから、こう呼ばれてます。
 全身骨格の形で残っている日本の人骨の中では、最も古いものだそうです。
 肋骨は、造り物のようですね。

 港川人の身長は、男性で155㎝、女性で145㎝程度。
 ちっちぇーと思われるかもしれませんが……。
 これは、江戸時代の日本人の平均とほぼ同じです。
江戸時代の日本人の平均
↑しかし、こんなに体重があったんですか? 明らかにメタボですよ。京は裕福だったからでしょうか。

 かつて、港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきました。
 しかし、近年の研究で、本土の縄文人とは異なる集団だった可能性が高いとされてます。
 オーストラリア先住民や、ニューギニアの集団に近いとのことです。
 ↓『港川1号』から復元された顔です。
『港川1号』から復元された顔

 確かに、ニューギニア系ですね。

 ↓縄文と弥生の食生活。
縄文と弥生の食生活
↑「み」

 縄文時代は、常に飢えに怯えるその日暮らしで……。
 弥生時代に入り、農耕が始まると、豊かで平和な暮らしが出来るようになった。


 と、思いがちですが……。
 実は、まったく逆です。
 農耕が始まると、穀物を蓄えるようになります。
農耕が始まると、穀物を蓄えるようになります

 すなわち、富の蓄積が始まるのです。
 当然、貧富の差が生じ、富の収奪も起きます。
 つまり、戦乱の時代に入っていくのです。
戦乱の時代に入っていく

 ↓縄文時代の若い女性の人骨。
縄文時代の若い女性の人骨
↑「み」

 四肢の骨が異常に細く、生まれつき寝たきりだったろうと云われてます。
 ポリオ(小児麻痺)だったようです。
 この骨は、20歳前後のものだそうです。
 すなわち、その歳になるまで彼女は、ずっと介護されて育ったのです。
 胸が熱くなりますね。

 ↓さて、わたしの大好物のお人形です。
大好物のお人形
↑「み」。

 ↓この前の写真が、縄文人の少女の骨でした。
縄文時代の若い女性の人骨
↑「み」

 いきなり時代が飛びましたね。
 順番に見てたと思うんですが。
 この場面は、もちろん江戸時代です。
 背中の男性は、寺子屋の先生。
 向かい合うのは、わが子を初めて寺子屋に連れてきた母親。
 先生の前にある球状のハリボテは、なんと地球儀だそうです。
 発明したのは、土浦の沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん)。
土浦の沼尻墨僊

 寺子屋では、読み書き算盤はもちろん、このような高等教育もなされてました。
 江戸人の識字率の高さには、黒船などでやってきた外国人も驚いてたようです。
 外国では、読み書きが出来るのは知識階級だけ。
 19世紀のイギリスでも、下層階級の識字率は、10%くらいだったそうです。
 それに対し、江戸では、庶民の70~80%が、読み書きできたとか。
、江戸では、庶民の70~80%が、読み書きできたとか

 江戸の中心部では、100%近かったようです。

 教育は進んでいましたが……。
 劣っていたのが、体型です。
 江戸期の人の体型は、すっかり縄文時代レベルに戻ってしまいました。
 平均身長は、男性で155~158㎝、女性で143~146㎝。
江戸期の人の体型

 弥生時代は、男性で163㎝、女性で152㎝だったそうです。
 江戸期というのは、日本人の身長が、もっとも低かった時代だとか。
 なぜかということですが……。
 ひとつには、肉食がタブー視され、動物性タンパク質の摂取が減ったということがあるそうです。
山くじらとは、猪のこと
↑山くじらとは、猪のこと。食べなかったわけではなく、“薬食い”と云って、風邪を引いたりしたときに食べてたみたいです。このころの人は、クジラは魚だと思ってたんでしょうね。

 ですが、わたしはもっと大きな理由として、江戸の人口密度もあるんじゃないかと思います。
 江戸は、武士の街で、武家地は、江戸の64%もあったそうです。
緑が武家地。赤が町人地。白が寺社地。
↑緑が武家地。赤が町人地。白が寺社地。

 広大な敷地です。
 寺社地も、15%。
 残りの21%の土地に、商人や職人たちが住んでました。
 町人は人口の半分を占めてましたから、いかにせせこましい暮らしをしてたか想像できます。
 長屋とかですね。


 でも、狭い土地でも、人間が小さくなれば、相対的に狭くなくなります。
縮みゆく人間
↑『縮みゆく人間』。1957年のアメリカ映画。原作は、同名のSF小説(リチャード・マシスン/1956年)。現在、3度目の映画化が進められてるそうです。

 ひょっとしたら、大男や大女は、生き辛かったんじゃないでしょうか。
 で、いじめられたりする。
 特に大女は、体力を見こまれて、郊外の農家に嫁に出される。
見世物にはなったようです
↑見世物にはなったようです。上は3姉妹。中央が姉で16歳。「身のたけ六尺八寸余・重サ三十八貫目余」とあります。身長204㎝、体重143kgになります。

 そんなこんなで、江戸では、チビの血筋が濃くなったんじゃないでしょうか。
右はもちろん、池乃めだか師匠。左はナイナイの岡村。
↑右はもちろん、池乃めだか師匠。左はナイナイの岡村ですから、その小ささがわかります。

 あと、正座の普及もあるんじゃないかな。
 調べてみたら、正座という座り方、さほど歴史のあるものじゃありませんでした。
 まさしく、広まったのは、江戸初期だとか。
江戸城の新年。ひれ伏すのは諸大名。
↑江戸城の新年。ひれ伏すのは諸大名。正座の普及は、こういうことを始めたからですかね。

 この座り方が普及することにより……。
 江戸時代の人は、どんどん短足になっていったんじゃないでしょうか。
江戸時代の人は、どんどん短足になっていった
↑これは、豚足。

 そんな短期間で、脚の長さが変化するかと云われるかも知れませんが……。
 戦後の日本人の体型の変化は、江戸時代の比じゃないでしょう。
 ↓戦後のほんの50年くらいで、身長が10㎝も違ってます。
戦後のほんの50年くらいで、身長が10㎝も違ってます
↑伸びたほとんどが、脚でしょう。生活が洋風になり、正座しなくなった影響が大きいと思います。

 さて、江戸時代を掘り下げていくとキリがないので、先に進みましょう。
 ↓次に撮った写真です。
中世の街中だ
↑「み」

 やはり、時代が遡りました。
 デタラメに歩いてるから、こういうことが起こります。
 この写真は、中世の街中だそうです。
 ハゲのジイサマは、もちろん僧侶です。
 対する2人は、どういう関係でしょうか。
 『国立科学博物館』の解説を読むと、親子ではないそうです(こちら)。
 この解説文には、「このころはすでに、見知らぬ他人との出会いが日常化していた」とあります。
 よくわからない文章です。
 この3人の、誰と誰が見知らぬ他人なのでしょう?
 お坊さんが、知らない人を呼び止めて、説法でも始めたんですかね。
もちろん、日蓮ではありません
↑もちろん、日蓮ではありません。

 とても、そんな場面には見えません。
 もし、女性と女の子が見知らぬ他人なら、明らかに人さらいです。
 坊さんの風体をしてるのは、実は、人買いの親玉でしょうか。
溝口健二『山椒大夫』
↑溝口健二『山椒大夫』。原作はもちろん、森鴎外。悲しすぎるので、読めません。

 見知らぬ他人で思い出したことがあります。
 江戸時代の出来事です。
 天明3(1783)年、浅間山が大噴火しました。
天明3(1783)年、浅間山が大噴火しました
↑『浅間山天明大噴火之図』

 現在観光地となってる、『鬼押し出し』が出来た噴火です。
『鬼押出し園』という公園になってます
↑『鬼押出し園』という公園になってます。運営はプリンスホテル。入園料、取られます(大人650円)。

 この噴火で、群馬県の鎌原村(現在の嬬恋村)が火砕流に飲み込まれ、埋まってしまったのです。
 日本のポンペイと呼ばれてます。
群馬県の鎌原村(現在の嬬恋村)が火砕流に飲み込まれ、埋まってしまったのです
↑この本、持ってます。

 現在、嬬恋村にある観音堂には、15段の石段があります。
現在、嬬恋村にある観音堂は、15段の石段があります

 昭和に入って、ここの発掘調査が行われました。
 すると、石段は土の下にどんどん続いており……。
 結局、50段あったことがわかりました。
結局、50段ありました

 そして、その石段の下から11段目あたりで、2体の亡骸が発掘されたのです。
石段の下から11段目あたりで、2体の亡骸が発掘されたのです

 若い女性と、年老いた女性のものでした。
若い女性と、年老いた女性のものでした
↑『嬬恋郷土資料館』の駐車場にある案内板より。館内は撮影禁止だそうです。

 性別や年齢までわかったのは、非常に保存状態が良かったからだそうです。
 骨はピンク色で、頭部には髪の毛も残ってとか。
 2体は、重なっていたそうです。
 若い女性が年老いた女性を背負って階段を登っているとき……。
 火砕流に襲われ、埋まってしまったと考えられます。
 おそらく、若いお嫁さんが、お姑さんを背負ってたんじゃないでしょうか。
 お姑さんは、「わたしを置いて、おまえだけ逃げろ」と、お嫁さんの耳元で叫んだ。
 でも、お嫁さんは聞かなかった。
 そして……。
わたしは置いて、おまえだけ逃げろ

 そんなことを考えると、胸が痛みます。
 火砕流は、非常にドライな土石の流体で、スピードが速いことが特徴です。


 鎌原村を飲みこんだ火砕流は、秒速20メートルだったと考えられてます。
 100メートルを5秒で駆け抜ける速度です。
 目で見えてから逃げ始めたら、間違いなく追いつかれます。
 逃げ切るには、高いところに登るしかないわけですが……。
 この2人は、間に合わなかったということです。

 この噴火が起こる前、鎌原村の人口は、570人でした。
 噴火後に生き残った人は、93人だったそうです。
赤丸が観音堂
↑赤丸が観音堂。93人は、全員ここに逃げた人たちだとか。

 生存率、16%です。
 生き残った人も、家族を失ってしまった人がほとんどでしょう。
 普通であれば、生き残った人たちは、火砕流に埋まった村を捨て……。
 別の土地に移住するんじゃないでしょうか。
 ポンペイの生存率は、鎌原村よりずっと高かったそうです。
 でも、ポンペイは打ち捨てられ、復興されることはありませんでした。
ポンペイは打ち捨てられ、復興されませんでした

 しかし、鎌原村の生き残った93人は、ここに留まりました。
 見知らぬ土地で、気兼ねして暮らすよりも……。
 どんなに変わり果てても、生まれ育った土地で生きたいと思ったのでしょうか。
 もちろん、土木機械などはありませんから、昔の村を掘り出すことは出来ません。
 一面の岩石の上に、新しい村を作り直すことにしたのです。
現在の観音堂付近
↑現在の観音堂付近。

 このとき取られた施策が、実に驚くべきものでした。
 生存率16%ということは、家族をすべて失ってしまった人がほとんどだったはず。
 生き残った人々がバラバラに暮らしていたのでは、復興はままなりません。
 壮年ならなんとかなるかも知れませんが、老人や子供1人では、生きていくことさえ出来ません。
 では、どうしたかと云うと……。
 まず、壮年の男女を組み合わせ、新たな夫婦としました。
 更にその夫婦に、生き残った老人、子供を足して、新しい家族を作ったのです。
 そんなことが果たして出来るのかという気がしますが……。
 そうするしか無かったのでしょうね。
 昔の村では、貧富の差も多少はあったでしょうが……。
 生き残った人たちは、すべて無一文の身一つです。
 逆に、そのことが、利点となったのかも知れません。
 さっき、新しい「家族」と書きましたが……。
 むしろ、新しい「家」でしょうね。
 日本人の「家」という概念の根深さを、改めて再認識する気がします。
江戸時代の農作業は、家族が力を合わせなければ出来ません
↑江戸時代の農作業は、家族が力を合わせなければ出来ません。

 さて、また話が脱線しました。
 『国立科学博物館』に戻ります。
 ↓次の写真はこれ。
弥生時代
↑「み」。

 時代が、更に遡りました。
 これは、弥生時代です。
 父親の担いでるのは、鋤でしょうか?
 夕餉の支度が出来てます。
 子供と一緒にいる犬は、弥生犬だそうです。
弥生犬

 犬は、単なるペットではありません。
 第1の役割は、警護だったそうです。
 もちろん、野生動物から田畑を守るという役目もあったでしょうが……。
野生動物から田畑を守るという役目もあったでしょうが……

 夜陰に乗じて攻めてくる、ほかの部落の兵士を見つけ……。
夜陰に乗じて攻めてくる、ほかの部落の兵士を見つけ……

 吠え立てて知らせる役目もあったはずです。
 弥生時代は、戦乱の時代でもあったからです。
 気候も寒冷化し、飢饉もあったことでしょう。
鎌倉時代ころ、こんなに暖かかったのは意外でした
↑鎌倉時代ころ、こんなに暖かかったのは意外でした。実際、新潟平野では、平安から鎌倉にかけての遺跡が出ないそうです。すなわち、このころは海の底になっていたということです。

 そして、飢饉のときには……。
 犬は、食料にされるという役目もあったのです。
これがホントの“ホットドッグ”
↑これがホントの“ホットドッグ”。

 かわいそうなどとは言っていられません。
 食べなければ、生きていけないのです。
 泣きながら食べたのでしょうね。

 そのあたりは、狩りの重要な相棒だった縄文犬とは違うようです。
 縄文人にとっては、犬は家族の一員でした。
 犬のお墓が、たくさん見つかってます。
バス停です。和歌山県紀の川市にあります。
↑遺跡ではありません。バス停です。和歌山県紀の川市にあります。由来は定かでないようです。

 犬の骨の上には花粉の痕跡が認められ……。
 おそらく、遺体の上には花が添えられたのだろうということです。
 骨折が治癒した犬の骨も見つかっており……。
 怪我をして猟ができなくなっても、大切に飼われてたことが伺われます。

 さて、弥生犬・縄文犬と、説明しないまま使ってしまいました。
 簡単に補足いたします。

 まず、時代順に縄文犬(じょうもんけん)から。
 犬の骨は、縄文時代の早期の遺跡からも見つかるそうです。
犬の骨は、縄文時代の早期の遺跡からも見つかる

 ユーラシア大陸から渡ってきた人が連れていたと云われています。
ユーラシア大陸から渡ってきた人

 サイズは中型犬。
 立ち耳に巻き尾という、柴犬に似た特徴を持ちます。
 ただ、顔は柴犬より細面で、額から鼻にかけての段差がなく、狐に近い顔つきだったようです。
キツネ(上)と柴犬(下)
↑キツネ(上)と柴犬(下)。微妙ですけどね。

 役割は、先ほど書いたように、猟犬であり番犬です。
役割は、猟犬であり番犬です

 続いて、弥生犬(やよいいぬ)。
 弥生犬は、弥生時代、ユーラシア大陸から渡ってきた人たちが連れていた犬です。
 縄文犬より、さらに家畜化が進められた犬種。
 外見は、今の日本犬にさらに近いそうです。
顔がのっぺりして、人面犬みたいですね
↑『大阪府立弥生文化博物館』の展示。顔がのっぺりして、人面犬みたいですね。ほんとでしょうか。

 頭骨の形は、四国犬に酷似してるそうです。
四国犬です
↑四国犬です。普通の犬ですね。弥生犬と似てるとは思えませんが。

 体格は、縄文犬よりも少し大きかったようです。

 2つの犬種で、もっとも違うのは、人との関係。
 縄文犬が家族として扱われ、丁寧にお墓に埋葬されたことは、先ほど書きました。
 でも、弥生時代の遺跡からは、犬の墓が出ないのです。
 犬の骨が出るのは、ごみ捨て場。
 しかもその骨は鋭く切断されており、明らかに調理された跡だそうです。
 おそらく、狩りが出来なくなった犬は、食べられてしまったのでしょう。
猫鍋は知ってましたが、犬鍋もあるんですね
↑猫鍋は知ってましたが、犬鍋もあるんですね。

 人間が残酷になったわけではないと思います。
 環境が、人と犬との関係を変えたのです。
 寒冷化と戦乱です。
1983(昭和58)年の使い捨てカイロのCM
↑1983(昭和58)年の使い捨てカイロのCM。小学校で流行った気がします。

 さて、2つの犬種ですが、もちろん今は残っていません。
 絶滅したと言うよりは、交雑してしまい……。
交雑してしまい……

 純粋種としては残らなかったということでしょう。
 現在の日本犬の共通の祖先になります。
 北海道犬や琉球犬など、本州と離れた地域の犬は、縄文犬の特徴を残しているそうです。
 これは、人と同じですね。
本州と離れた地域の犬は、縄文犬の特徴を残しているそうです

 ↓続いての写真は、こちら。
縄文人の一家
↑「み」

 またまた歴史を遡り……。
 こちらは、縄文人の一家です。
 母親は、土器を作ってます。
 子供は、土器を造る土をもらい、粘土遊びをしてます。
 そこへ、父親が、大きな魚を銛で突いて帰ってきました。
 夕食のごちそうを期待して、犬も大喜びです。
 ちなみにこの犬が、縄文犬です。
この犬が、縄文犬です
↑「み」。さすが、猟犬だけあって、引き締まってます。

 縄文時代というと、狩猟にたよる不安定な生活を想像してしまいます。
 弥生時代になりって、農耕が始まり……。
弥生時代になりって、農耕が始まる

 ようやく、安定した生活を手に入れることが出来たと。

 でも、はたしてそうでしょうか?
 この2つの時代では、気候が違うということを考慮しなければならないと思います。
 すなわち、縄文時代は温暖で、弥生時代は寒冷です。
縄文時代は温暖で、弥生時代は寒冷

 縄文時代は、早い話、農耕などする必要がなかったんじゃないでしょうか。
 森には動物が駆け回り、秋になれば、採り切れないほどの実りがある。
通称『縄文ポシェット』
↑三内丸山遺跡から出た、通称『縄文ポシェット』。右下は、中にはいっていたクルミ。

 海も豊かで、粗末な石針や銛でいくらでも魚が連れた。
『新潟県立歴史博物館(長岡市)』の展示
↑『新潟県立歴史博物館(長岡市)』の展示。ここは、何回か行きました。

 毎日、ちょっと外に出れば、必ず食べ物を得られるとしたら……。
 農耕など、する必要があるでしょうか?
 なんだか、エデンの園みたいな暮らしを想像してしまいますね。
エデンの園
↑エラストォウス・ソールズベリー・フィールド作『エデンの園』。

 お酒もあったようですしね。
 三内丸山遺跡からは、大量のニワトコの実が出土しています。
ニワトコの実

 ニワトコの実は不味くて、飲みこむことも出来ないそうです。
 それでは、その実を何に利用していたのかと云うと……。
 煮出して発酵させ、お酒を作っていたのです。
酒造りの様子
↑酒造りの様子。くわしくは、こちらで。

 ニワトコの実と一緒に、ショウジョウバエの蛹がたくさん出土したそうです。
 ショウジョウバエは、発酵した果実によく集まります。
 つまり、お酒を絞った後のカスを捨てたところに、ハエがたかったのでしょう。

 お酒がある。
縄文時代の酒器
↑縄文時代の酒器だそうです。わたしが使ってる燗瓶とほとんど変わりません。

 動物の肉がある。
動物の肉

 木の実もある。
木の実

 海の幸もある。
海の幸

 その日暮らしで、ぜんぜんオッケー。

 朝起きたら、男は、縄文犬を連れてイノシシを狩るか……。
男は、縄文犬を連れて、イノシシを狩る

 海に出て、魚を捕る。
海に出て、魚を捕る

 女や子供は、森に入って木の実や山菜を採る。
女や子供は、森に入って木の実や山菜を採る

 で、お昼にはもう、帰ってくるのです。

 女は、午後も土器を造ったりするのでしょうが……。
女は、午後も土器を造ったりするのでしょうが……
↑「み」

 男どもは、獲物を捌いて、さっそく酒盛りです。
さっそく酒盛りです
↑青森のお酒です。

 良い気持ちで酔いつぶれて、1日が終わり。
良い気持ちで酔いつぶれて、1日が終わり

 まさしく、楽園の暮らしです。
 こういう余裕があったからこそ、小児麻痺で寝たきりの子供を……。
 介護して育てることが出来たわけです。
縄文時代の若い女性の人骨
↑「み」。縄文時代の若い女性の人骨。寝たきりのまま成人してます。

 ↓さて、続いてはこちら。
港川人
↑「み」

 古代の変態ではありません。
 以前、骨でご紹介しました。
港川1号
↑「み」

 そう、港川人ですね。
 時代は、旧石器時代まで遡ります。
時代は、旧石器時代まで遡ります
↑やはり、こういうイメージ。

 まだ、服は無かったんですかね。
 ま、沖縄だから暖かいのでしょうが。
 わたしの画像は、角度が良くないので、拝借画像でご紹介します。
旧石器時代

 お父ちゃんが下げてるのは、ヤンバルクイナです。
ヤンバルクイナ
↑飛べない鳥です。

 お母ちゃんは、法螺貝と木の実を採ってきました。
お母ちゃんは、法螺貝と樹の実を採ってきました

 どうやら、軍配はお母ちゃんに上がり、お父ちゃん、少々がっかりのようです。

 港川人の身長は、男性で153~155cm、女性で144cm前後とのことです。
 つまり、江戸時代の人と、同じ体型だったということです。
 港川人の時代は、今から、約2万年前です。
 江戸時代の人が、いかに小さかったかということがわかります。
江戸時代の人が、いかに小さかったかということです

 一連の人形ですが、ほんとに表情が豊かです。
一連の人形ですが、ほんとに表情が豊かです

 いったい誰が造ったのでしょう?
 ネットを探しましたが、情報が見つかりませんでした。

 ↓さて、続いての写真はこちら。
犬が進化して港川人になったわけではありません
↑「み」

 見ればわかりますが、犬です。
 なお、犬が進化して港川人になったわけではありません。
 人類の歴史は、港川人で終了です。
 パネルには、『伴りょ動物としての犬』とありました。

 手前の白犬は、ハチ公だそうです。
手前の白犬は、ハチ公だそうです

 秋田犬ですね。
 どうやら、本物のハチ公の剥製のようです。
 ハチが死んだのは、昭和10(1935)年3月8日。
 渋谷川に架かる稲荷橋近くの路地で、死体が見つかりました。
渋谷川に架かる稲荷橋近くの路地で、死体が見つかりました

 死ぬまで、繋がれずにいたようです。
 ご主人の上野英三郎氏が亡くなったのは、大正14(1925)年5月21日。
 上野氏は、東京帝国大学農学部の教授でした。
 教授会の後、脳溢血を起こし、そのまま帰らぬ人となりました。
 享年53歳。
 ハチとの暮らしは、わずか1年でした。
 しかし、ハチは、ご主人の死後、10年も渋谷駅で帰りを待ち続けたのです。
晩年のハチ公
↑晩年のハチ公。左耳が垂れてるのは、野犬に噛まれたためだそうです。
単独旅行記Ⅲ・総集編(10)目次新春特別座談会2017・総集編(全)
 デスクは、あるにはあったんです。
 でも、ベッドの枕元で壁を向いており、テレビは真後ろになります。
 わたしは、テレビを見ながら食べたいんです。
 と云って、食事のためだけに、大掛かりな部屋の模様替えをするわけにもいきません。
 そもそも、お腹が空きすぎてて、そんな気力もありませんでした。
 なにしろ、朝食を6時前に摂ってから、12時間以上、何も口にしてないんです。
 お願いだから、わたしにテレビを見ながらメシを食わせてくれ!
 ほかには何もいらん。
 ただそれだけが望みです。
 となれば、テレビとの位置関係からして、ベッドの上で食べるしかありません。
 しかし!
 ベッドの上に食材を並べるのは、はばかられました。
 当然、不安定です。
 自らの粗忽を鑑みるに……。
 食材をひっくり返さずに夕食を終える自信は、とうていありませんでした。
 なんとしても、ベッドの上に、安定して食材を並べられるアイテムが必要です。
 灰色の脳細胞をフル回転させ、あたりを見回しました。
 ありました。
 必死に考えれば、思いつくものです。
 ホテルの部屋には、避難経路図などが入ったバインダーが備え付けられてます。
ホテルの部屋には、避難経路図などが入ったバインダーが備え付けられてます

 硬い表紙で、2つに開くタイプ。
 この部屋にも、当然ありました。
 これだ!
 これを開いてベッドに載せれば、小さいながらもテーブル代わりになります。
 さっそく実行。
 といって、バインダーに直接食材を載せて汚してしまっては、申し訳ないです。
 でも、大丈夫。
 わたしはいつも、荷物の中に、レジ袋を数枚入れてあります。
 まったく嵩にならないうえ、いろんな用途に使えるからです。
 まさに今が、そのときでした。
 レジ袋で、バインダーを両脇から包み、保護します。
 これで見事、テーブルが完成!
 ↓食材を並べました。
食材を並べました
↑「み」。右のノートパソコンは、わたしが背負ってきたものです。翌朝、『Mikiko's Room』の投稿は、これで行いました。

 テレビは目の前。
 安倍総理の不景気な顔が映ってますが、わたしは大いにご満悦でした。

 ↓夕食の全貌です。
夕食の全貌です
↑「み」

 まずは、両脇からご説明。
 右サイドは、『豚レバー焼き(¥144・税別、以下同じ)』。
豚レバー焼き
↑「み」

 歩き回ったせいか、鉄分を欲しました。
 左サイドは、『生姜キュウリ(¥139・50円値引き品)』。
生姜キュウリ
↑「み」

 わたしは、野菜系を食べないと胸焼けするので、青物は必須です。
 量も十分でした。
 そして、本日のメインディッシュは、中央!
 言わずと知れた『かき揚げ(¥147×2)』。
かき揚げ
↑「み」

 ボリューム満点、しかも2個。
 目が嬉しかったです。
 キュウリの下方にあるのは、袋入りのお醤油。
袋入りのお醤油
↑「み」

 これは、自宅から持参したものです。
 嵩張らず、漏れる心配もないすぐれものです。
 もちろん、かき揚げに掛けます。
 天ぷらに生醤油は、実によく合います。
 天つゆなどに漬けると、かき揚げのパリパリ感が損なわれてしまいますが……。
 生醤油なら、歯ごたえそのままです。

 そして!
 お酒はなんと、本物のビール。
お酒はなんと、本物のビール

 『スーパードライ』は、毀誉褒貶ありますが……。
 スッキリしてて、とても飲みやすいと思います。
 エビスなどは、わたしには重たく感じます。
 『スーパードライ』を評価するドイツ人も多いそうです。
 販売開始は、1987年。
 来年、30周年ですね。
 このビールがヒットした最大の要因は、デザインじゃないかと思います。
このビールがヒットした最大の要因は、デザインじゃないか

 かっちょいーですよね。
 わたしが、自腹で本物のビールを飲むのは、旅先と、胃カメラ検査の後だけです。
 それ以外のときは、第3のビールですから、基本、何を飲んでも美味しいんですけどね。

 食事を終えたあとは、ビールから焼酎に切り替えました。
 わたしがいつも選ぶのは、『いいちこ』。
いいちこ
↑『下町のナポレオン』というフレーズは、どうもね。こんなの、書かなきゃいいのに。

 飲み慣れた味です。
 旅先で冒険して外れるとイヤなので。
 それに、『いいちこ』には、紙パックがあって便利です。
 サミットストアにも、900mlのパックがあったので買いました。
 もちろん、こんなにたくさんは飲めませんが、これより小さいパックが無いので仕方ありません。
 余った焼酎は、いつもペットボトルに詰めて持ち帰ります。
 紙パックのままだと、リュックに入れると嵩張るので。
 もちろん、帰りの新幹線で飲んだりはしませんよ。

 『いいちこ』は、旅の夜には、水割りで飲みます。
『いいちこ』は、旅の夜には、水割りで飲みます

 これが一番、翌朝に響かない飲み方だと思います。
 二日酔いじゃ、旅の2日目が台無しですから。

 氷は、ロックアイスをサミットで買ってあります。
ロックアイスをサミットで買ってあります

 冷蔵庫の冷凍室には入らないので……。
 例年は、お風呂の洗面ボウルに袋のまま入れて使います。
お風呂の洗面ボウルに袋のまま入れて使います
↑「み」。わたしが泊まった部屋のです。もちろん、氷は解けていきますが、1晩飲む分としては、十分間に合います。

 でも、今年の部屋はキッチン付きですので、シンクに置いておけました。
キッチン付きですので、シンクに置いて使えます
↑「み」

 例年だと、氷の補充には、トイレに入らなければなりませんでした。
 それが今年は、飲んでるすぐ脇のキッチンでできたので、微妙に便利でしたね。
 もちろん、キッチンのない部屋には泊まれないと思うほどではありませんが。

 ちなみに『いいちこ』は、家でも昼酒として飲んでるんですが……。
 最近、お気に入りなのは、トマトジュース割りです。
お気に入りなのは、トマトジュース割りです
↑拝借画像です。わたしが、こんなグラスを使うと、必ずひっくり返します。ポッカレモンを垂らすと美味しいですよ。

 さてさて。
 テレビをザッピングで眺めながら、いつの間にか眠りに付いたようです。
テレビをザッピングで眺めながら、いつの間にか眠りに付いたようです
↑ほぼ、こんな状況。

 若いころは、ひとり飲みでも、ぐでんぐでんになったりもしましたが……。
シラフでも、こんなとこ登れませんがな
↑もちろん、こんなことはしません。ていうか、シラフでも、こんなとこ登れませんがな。

 最近はもう、酔っ払うより先に眠くなるようになりました。
 おかげで、飲みすぎずに済みます。
飲みすぎずに済みます

 そして、翌朝。
 前夜確かめた天気予報が悪かったので、起きるとすぐに窓を開けてみました。
起きるとすぐに、窓を開けてみました
↑「み」

 案の定、ザーザー降りです。
 隣にコンビニがあるので、朝食は、そこで朝に調達しようかとも思ったのですが……。
 わざわざ出かけるのも面倒くさいと思い、昨日のスーパーで調達してありました。
 この雨の中、外に出る気にはならないので、大正解でした。
 ましてや、『松屋』まで食べに行くなど、億劫すぎますね。
 てなわけで、おにぎりとお新香、カップのお味噌汁の朝食を、テレビを見ながら摂りました。
サミットのおにぎり
↑写真を撮るのを忘れました。これは、サミットのおにぎりの拝借画像。わたしが食べたのは、明太子とツナマヨでした。ビニールを順番どおり外していくのが楽しいんですよね。

 これは、正解でしたね。
 部屋から出なくて済むのは、実に楽でした。
 着替える必要もありませんし。
 今度から宿泊は、朝食なしのプランにして、部屋で食べることに決定です。

 さて、この日は金曜日。
 『Mikiko's Room』の投稿があります。
 投稿回のデータは、ノートパソコンに移して持って来てあります。
 あ、書き忘れてましたが、有線LANが部屋に付いてるので、ネット接続は問題ありません。
左の丸まってる青い線が、備え付けのLANケーブルで
↑「み」。左の丸まってる青い線が、備え付けのLANケーブルです。

 投稿も済み、朝風呂にも入りましたが、雨は止みそうもありません。
 チェックアウトは、10時まででいいのですが……。
 いつまでもゴロゴロしててもしょうがないので、出かけることにします。

 ↓扉の外のテンキーロックです。
扉の外のテンキーロック
↑「み」

 精算はチェックインで済んでますし、鍵を返す必要もないので、フロントは素通りです。
 ↓ゆうべ撮れなかったホテルの佇まいを、傘の下からパチリ。
ホテルの佇まいを、傘の下からパチリ
↑「み」

 雨のせいか、物寂しいですね。
 向う隣にコンビニが見えます。
スリーエフ台東谷中三丁目店

 『スリーエフ台東谷中三丁目店』。
 入りませんでしたが、お酒も売ってるようです。

 さて、出発です。
 ↓すぐに、新潟で地図を見てるときから、歩いてみようと思ってた道に入ります。
歩いてみようと思ってた道に入ります
↑「み」

 クネクネと、うねってるのがおわかりでしょうか。
 通称『へび道』。
 何でうねってるかというと、昔、ここが川だったからです。
 藍染川です。
 川は今でも、この道の下を暗渠となって流れてるそうです。
 暗渠化されたのは、大正12年。
 思いのほか古くて驚きました。
 ↓まったく河川改修が行われてない状態で、暗渠にされてますね。
へび道
↑左上にある『松屋』が、『ホテルリブマックス日暮里』から3分のお店です。

 川の名前の由来は、まさしくそのまんまで……。
 川筋に染物屋があって、川の色が藍色に染まっていたためだそうです。
 このことから連想するのは、職人が川に入り、反物を洗ってる情景です。
原田泰治『友禅流し』
↑原田泰治『友禅流し』。

 でも、ここでは、それは無かったんじゃないでしょうか。
 単に、排水だけが流されてたんだと思います。
 だからこそ、暗渠化が出来た。
 反物の洗い場に使われなくなったのは、ドブ川化したためだと思います。
 ほとんど、下水道化してたわけですね。
江戸時代の藍染川(元図には彩色なし)
↑江戸時代の藍染川(元図には彩色なし)。このころは、反物を洗ったりしてたのかも知れません。

 さてさて。
 クネクネくねっていて見通しが悪いためか、車はほとんど通らなかったです。
 でも、そのせいか、自転車が多かったですね。
 スーツを着て乗ってる男性は、通勤に使ってるのでしょうか。
 傘を差しての運転で、曲がった向こう側から、スピードも落とさずに飛び出してきます。
曲がった向こう側から、スピードも落とさずに飛び出してきます
↑「み」

 怖い思いをしました。
 実は前日、『江戸東京たてもの園』へ続く歩道を歩いているときも……。
 自転車が、わたしのすぐわきを、スピードを落とさず走り抜けて行くんです。
自転車が、わたしのすぐわきを、スピードを落とさず走り抜けて行くんです
↑「み」。アジサイの植えこみがはみ出してるので、歩道が狭くなってました。

 東京では、こういう交通マナーが当たり前なんですかね。
 事故が起こらないのが不思議なくらいです。

 ↓へび道を抜けたあたりで、こんな建物を発見。
へび道を抜けたあたりで、こんな建物を発見
↑「み」

 隣のマンションと、SUV車がつや消しですが……。
 ↓入口には、『染物洗張』と描かれてありました。
染物洗張
↑「み」

 まさしく、藍染川の由来そのものですね。
 でも、こういう商売が、まだ成り立ってるということに驚きました。
 さすが東京です。
 むしろ、少なくなった業種には、全国から注文が来るのかも知れません。

 ↓途中、新築住宅のビラを発見。
新築住宅のビラを発見
↑「み」

 値段を見直しました。
 6,380万ですよ。
 3LDKで、建物90㎡。
 3LDKという間取りから考えると、90㎡というのは、延床面積でしょうね。
 2階建てで、総2階に近ければ、建築面積は、この半分です。
 45㎡、13.6坪。
 建ぺい率60%で、ギリギリに建ててるとすると、敷地は、23坪になります。
 新潟市だったら、2,000万がいいところでしょう。
 ていうか、敷地23坪の建売住宅なんて、売られてません。
 最低でも、その倍でしょう。
 こんな物件が6,380万というのは、地方の人間から見たら、完全にバブルですよ。
バブル期の中古(!)マンションの広告
↑バブル期の中古(!)マンションの広告。さすが、桁が違いました。

 ここまでして、千駄木に住む理由って何なんでしょう。
千駄木に住む理由って何なんでしょう
↑こんないいところがありました。名称はいただけませんが。

 上野の裏手までやってきました。
 ↓『上野動物園』の裏側です。
『上野動物園』の裏側です
↑「み」

 たぶん、ここからは入れないと思います。
 岩のようなのは、サル山ですかね。
サル山の表側です
↑サル山の表側です。よーわかりませんね。

 この道路だったと思いますが、なんだか谷間のようになって、薄暗い道でした。
谷間のようになって、薄暗い道でした
↑やっぱり、サル山みたいですね。

 街路には、ハマヒサカキとツツジが混植されてました。
。ガードレールに沿って植えられてるのが、ハマヒサカキとツツジです
↑確か、この道路だったと思います。ガードレールに沿って植えられてるのが、ハマヒサカキとツツジです。

 うっかり、写真を撮り忘れましたが、2つの植物は、対照的な状態でした。
 ハマヒサカキは元気で、ツツジは弱ってました。
 原因は、すぐにわかりました。
 陽あたりが悪いんです。
 ハマヒサカキは陰樹で、ツツジは陽樹なんです。

 ハマヒサカキは、海岸近くの植栽によく使われます。
 塩害に強いんですね。
 新潟では、海岸沿いの新潟砂丘に西海岸公園が整備されてますが……。
 その遊歩道の縁取りとして、ハマヒサカキが植えられてます。
遊歩道の縁取りに、ハマヒサカキが植えられてます
↑遊歩道の両側に伸びる、刈り込まれた低木がハマヒサカキです。

 まわりは、クロマツの林で、陽はほとんど差しません。
 日陰に強い樹木なのです。
小粒な照葉(しょうよう)が可愛いです
↑小粒な照葉(しょうよう)が可愛いです。日陰と乾燥に強いので、砂丘地の西海岸公園にはぴったりなんです。

 ここでまた、少々脱線します。
 新潟の幹線道路、国道などの植栽には、海岸線に自生するような樹木が使われることが多いです。
 海岸から遠い道路でもです。
 シャリンバイやトベラなどですかね。
シャリンバイ(車輪梅)
↑『シャリンバイ(車輪梅)』の名は、一箇所から放射状に枝が出て車輪のように広がり、花が梅に似ていることから付きました。

 さて、それはなぜでしょう?
 実は、雪のせいなのです。
 といって、それらの樹木が、特に雪に強いわけではありません。
 強いのは、塩害に対してです。
 ではなぜ、海から遠い積雪のある地域で、塩害に強い樹木が使われるのかと云うと……。
 幹線道路には、凍結防止剤や融雪剤が撒かれるからです。
 凍結防止剤は塩化ナトリウム、融雪剤は塩化カルシウムです。
塩化ナトリウムは持続性に優れ、塩化カルシウムは即効性に優れます
↑雪を融かす効果は同じですが、塩化ナトリウムは持続性に優れ、塩化カルシウムは即効性に優れます。

 早い話、塩ですね。
 これらにより解けた雪は、シャーベット状になり……。
解けた雪は、シャーベット状になり……

 車がそれを跳ねあげて走ります。
 もちろん街路樹も、そのしょっぱい雪をかぶるわけです。
 これでおわかりでしょう。
 まさしく、塩害そのものです。
 塩害に耐性のない樹木は、ひと冬で枯れてしまいます。

 さてさて。
 いらないことを書きました。
 『動物園通り』に戻りましょう。
 どうやらこの道路、台東区の区道のようです。
 たぶん、街路樹の設計が行われたときは、こんなに両側の樹木が茂ってなかったのでしょう。
 で、特に日陰に強い植物を意識しての設計はされなかったんだと思います。
 しかし、陰樹と陽樹を混植するってのは、どんなもんなんですかね。

 ↓『水月ホテル鴎外荘』というのがありました。
水月ホテル鴎外荘
↑「み」

 当然、森鴎外にゆかりがあるはずです。
 でも、こんな近代的なホテルに、鴎外が泊まったわけがありません。
 今回、改めて調べてみました。
 敷地内に、森鴎外の旧居を保存してあるんだそうです。
敷地内に、森鴎外の旧居を保存してある

 小説『舞姫』が書かれた間(『舞姫の間』)では、宴席などもできるようです。
『舞姫の間』。35畳だそうです。
↑『舞姫の間』。35畳だそうです。ほんとにこんな部屋で執筆したんですかね。落ち着かないですよね。

 どこかから移築されたものではなく、元々、ここにあったということらしいです。
 現在の住所は、台東区池之端ですが……。
 昔は、下谷区上野花園町という町名でした。
 江戸時代には、寛永寺の花畑だったとか。
 鴎外は、明治22(1889)年、27歳の時、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚し……。
 上野花園町の赤松家の持家に住んだとのこと。
上野花園町の赤松家の持家
↑緑色が鴎外邸(たぶん)。

 『舞姫の間』から臨める庭には、樹齢300年の樹木も残り……。
 まさしく、鴎外が眺めていた景色が残っているようです。
鴎外が眺めていた景色
↑しかしながら、鴎外が眺めてたころから、130年近くが経ってます。なんだか、ジャングル風呂みたいですね。

 その屋敷と『水月ホテル』の関係は、ざっと調べただけではわかりませんでした。
 森鴎外の旧居、ぜひ拝みたいところですが……。
 これは、ホテル内の施設ということでしょうから、当然、宿泊しなければ見れないのでしょうね。
 と思ったら、なんと、日帰り温泉もありました。
 ↓その名も、『鴎外温泉』。
鴎外温泉

 料金は、料金1,650円(税込)だそうです。
 旧居の見学も出来るようです。
 『舞姫の間』に宴席が入ってれば、無理でしょうが。
 でも、宿泊費を見てみましたが、たまげるほどではありません。
 2食付きのシングルで、2万円くらいでした。
水月ホテルのシングル
↑広さも設備も、『ホテルリブマックス日暮里』と大差ないようです。

 探したら、素泊まりのプランもありました。
 7,884円(税込)でした。
 『ホテルリブマックス日暮里』が、7,000円ですから、884円は鴎外旧居の見学料と考えれば、決して高くありません。
 地方から遊びに来て、ついでに鴎外の旧居も見てみたいという方には、良いホテルじゃないでしょうか。
 上野から近くて便利ですし。

 なおここで、いらんことを少し書いておきます。
 鴎外がこの屋敷に住んだのは、わずか1年少しのようです。
 なんとなれば、赤松登志子と離婚したからです(結婚生活は、1年半)。
 この屋敷は赤松家の持ち家ですから、当然、鴎外が出なくてはなりません。
 鴎外は、赤松家の人たちと折り合いが良くなかったそうです。
 あまり居心地のいい家ではなかったのでしょうね。

 さて、ようやく上野まで来ました。

 ↓言わずと知れた『不忍池』です。
言わずと知れた『不忍池』です
↑「み」

 まだ雨が降ってました。
 でも、この池を眺めた瞬間は、雨降りで良かったと思いましたね。
 雨の蓮池、とても目に嬉しかったです。
雨の蓮池
↑「み」

 東京のど真ん中に、こんな景色が広がってるんですからね。
 東京に来て、とても羨ましく思うのは、緑が豊富なことです。
 街路樹も、とてつもなく太いです。

 ↓『上野恩賜公園』、通称『上野公園』入口です。
『上野公園』入口
↑「み」

 ここもまた、鬱蒼たる森のようでした。
 雨に緑が映えますね。
 静かな雨の公園に見えますが……。
 上の写真、右奥の階段を登ると、景色が一変しました。
 ↓これです。
修学旅行
↑「み」

 中学生らしい集団が、うじゃうじゃいます。
 この日は金曜日。
 登校時間は、とっくに過ぎてるはず。
 これだけ集団で遅刻してるとは考えられません。
 少し歩くと、ようやく腑に落ちました。
 中学生の話す言葉に、微妙なイントネーションがあります。
 つまり、東京の子ではない。
 学生服姿も垢抜けないというか、ま、良く言えば素朴な感じです。
 修学旅行ですね。
ありましたねー
↑ありましたねー。

 それも、2つや3つの学校じゃありません。
 いったい、どれだけの学校がここに集まってるのでしょうか。
 旅先の興奮なのでしょう、声高に喋り合ってて、ムクドリの群れみたいです。
 その囀りにかぶさって、男の先生の怒声、女の先生の金切り声が聞こえます。
手前の人物は、叫んでいるのではありません。叫びを聞いているのです。
↓ムンクの『叫び』。手前の人物は、叫んでいるのではありません。叫びを聞いているのです。

 先生って、ほんとに大変ですね。
 修学旅行、さぞ憂鬱だろうなと、同情してしまいます。
 これが、毎年あるんですからね。
 ならなくて良かった。

 集団が途切れないので、うっかり撮り忘れましたが……。
 世界文化遺産に登録された、『国立西洋美術館』もありました。
世界文化遺産に登録された、『国立西洋美術館』

 でも、わたしの目的地は、そこではありません。
 そのすぐ隣に建つ『国立科学博物館』です。
 でも残念ながら、その外観も撮ってませんでした。
『国立科学博物館』
↑拝借画像です。

 これは、撮り忘れじゃないと思います。
 すなわち、この日は伊勢志摩サミットの2日目。
 しかも、上野という東京の中心地。
 警備の警察官がたくさんいたんです。
 カメラを向ける雰囲気じゃなかったです。
 入口では、ひとりひとり、手荷物検査がありました。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでの手荷物検査
↑こちらは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでの手荷物検査の様子。『国立科学博物館』では、雨だったこともあり、薄暗く嫌な雰囲気でした。

 このとき初めて、サミットの日に旅程を組んだことを後悔しました。
 わたしのリュックは、当然、金属探知機に反応します。
 ノートパソコンやら、そのAC電源やら、携帯の充電器やら、金属製品満載ですから。
 入口の両脇に長テーブルが並べられてました。
 そのひとつの案内され、上に置かれたプラスチックのカゴに中身を出すよう言われます。
このゲート型金属探知機、なんとレンタルもあるようです
↑別な施設の拝借画像ですが、こんな感じでした。このゲート型金属探知機、なんとレンタルもあるようです。

 わたしに応対したのは女性のスタッフです。
 警察官なんでしょうが、制服ではなく、パンツスーツでした。
 リュックには、当然、下着類も入ってます。
 不透明な袋に入れてあるので、それも開けさせられるのかと……。
 ここで、初めて怒りに近い感情が発現しました。
 でも、そこまではしなくて済みました。
 荷物を半分くらい出したとき、女性スタッフに「もう結構です」と言われたのです。
 膨れたリュックの中身を怪しんだものの……。
 出てくるのがガラクタばかりなので、呆れたのかも知れません。
あまりの巨大リュックに、中身を怪しんだものの
↑わたしのではありません。

 さて、荷物を詰め直し、ようやく入館です。
 入ってみると、中に修学旅行の生徒で満載。
 なぜ、こんなに人気なのかは、入口でもらった『館内ガイド』を見てわかりました。
 入館料は、一般が620円。
 しかし!
 なんと、高校生以下が、すべて無料なんです。
高校生以下が、すべて無料

 ここなら、間違いなく半日時間を潰せます。
 しかも、タダ!
 修学旅行の定番コースなんでしょうね。

 さて、真っ先にわたしがしなければならないことは……。
 巨大なリュックを預けることです。
 子供が走り回ってる中でこんなのを背負ってたら、ぶつかられてひっくり返りかねません。
 展示物を引っ掛けたりする恐れもありますしね。
 で、案内のお姉さんにロッカーのありかを聞いたところ……。
 なんと!
 館内のロッカーは、封鎖してあるとのことです。
 何のために入口で荷物検査されたんじゃ!
 再び怒りモードに入りそうになりましたが、中庭にあるロッカーは使えるとのこと。
 ま、仕方ありません。
 まずは、そのロッカーに向かいます。
 ↓途中、覗いた館内のロッカーはこの有様。
館内のロッカー
↑「み」

 ↓屋外のロッカーに到着。
外のロッカーに到着
↑「み」

 戸外ですが、もちろん屋根がかかってます。
 料金はリターン式で、荷物を出すときに戻ってきます。

 ようやく見学開始です。
 ↓古めかしい造りです。
古めかしい造りです
↑「み」

 耐震性、大丈夫なんでしょうかね?

↓日本の動物ですね。
イノシシとシカが並んでると、どうしても花札を連想してしまいます"
↑「み」

 イノシシとシカが並んでると、どうしても花札を連想してしまいます。

 ↓これは、屋久杉の輪切りだと思います。
屋久杉の輪切り
↑「み」

 修学旅行の子どもたちは、クリップボードを持って、しきりに何か書いてます。
クリップボードを持って、しきりに何か書いてます
↑わたしが行ったときの写真ではありません。

 学校に、課題を提出しなければならないんでしょうね。
 わたしもメモしてれば、もっと詳しいレポートが出来たのですが……。
 まさか、この日の見学の模様を書くのが、半年以上も先になるとは思いもしなかったのです。
 何を見たのか、今となってはもう、忘却の彼方です。

 ↓首長竜の骨格標本ですね。
クビナガリュウの骨格標本
↑「み」

 このときは、ただ通り過ぎただけでしたが……。
 この首長竜、タダものではありませんでした。
 フタバスズキリュウです。
フタバスズキリュウ

 まさしく、日本で見つかった首長竜です。
 発見されたのは、1968(昭和43)年、福島県いわき市です。
発見されたのは、1968(昭和43)年、福島県いわき市

 発見者がまた、驚きです。
 当時、高校生だった鈴木直(ただし)さん(1951~)。
フタバスズキリュウの発見と化石少年の夢
↑『フタバスズキリュウの発見と化石少年の夢』というトークショー(2007)。立っている方が鈴木さん。

 この発見により……。
 日本本土で、中生代の大型爬虫類の化石が発見されることはないとされていた当時の定説が覆されたのです。
 フタバスズキリュウの“スズキ”は、まさしく発見者の名前ですが……。
 それでは、“フタバ”とは何か?
 これは、発見された場所が、双葉層群という地層だったからです。
双葉層群

 この名前で思い出したのが、福島県立双葉高校。
 たしか、甲子園に出てたよなと調べたら……。
 夏の甲子園に、3回出場してました。
 うち、2回は、初戦に勝ってます。
 旧制中学からの伝統校でした。
校名由来の緑の胸マーク
↑“双葉”を表す緑の胸マーク。

 校名の由来は、双葉郡双葉町にあるからです。
 いわき市の北、太平洋に面した町です。
 原発事故により、現在もまだ、町域の大部分が帰還困難区域となってるようです。
現在もまだ、町域の大部分が帰還困難区域

 高校も当然、影響を受けました。
 双葉郡広野町に、新たに中高一貫校の『ふたば未来学園高等学校』が作られました。
ふたば未来学園高等学校

 これに伴い、双葉高校は新たな生徒の募集を停止し、2017年3月の卒業生を送り出した後……。
 「休校」ということになるようです。

 例によって、脱線してしまいました。
 フタバスズキリュウに戻ります。
 わたしが、発見時の話を読んで興味を持ったのは、大量のサメの歯が一緒に見つかったという点。
大量のサメの歯

 一部は、フタバスズキリュウの骨に刺さってたそうです。
 そのことから、この個体は、サメに襲われた、もしくは死体にサメが群がったものと考えられているそうです。
 ここでわたしが疑問に思ったのは、何で歯が落ちてるのかと云うこと。
 よっぽど硬い肉なのかと思いました。
 でも、違ってました。

 サメの歯は、実に簡単に抜けるそうなんです。
 でも、大丈夫。
 後ろ側に次の歯がスタンバイしていて、前の歯が抜けると、すぐに移動して来るんだそうです。
サメの歯は、実に簡単に抜けるそうなんです

 噛みついて落ちなくても、2日くらいで抜け替わるとか。
 一生で、2万本の歯を使うと云われてます。
 鮫の歯は、鱗が変化したものなんだそうです。

 ↓これはおなじみ、アンモナイト。
これはおなじみ、アンモナイト
↑「み」

 ↓上の方に、『川下由太郎コレクション』とあります。
川下由太郎コレクション
↑「み」

 川下由太郎(かわしたよしたろう)氏は、学者ではありません。
川下由太郎(かわしたよしたろう)氏
↑なかなか独特なファッションセンスをお持ちだったようです。ピンクのゴム手(?)が素敵です。

 生まれたのは、1939(昭和14)年、青森県下北郡田名部町(現・むつ市)。
 中学校を卒業後、北海道で林業に従事し、1963(昭和38)年からは三笠市(夕張市の隣)の炭鉱で勤務されました。
 1991(平成3)年からは、ハンターやガイドとして野外事業に従事されていましたが……。
 2000(平成12)年、交通事故により逝去されました(享年61)。

 川下氏は、1960年代にアンモナイトと出合い、収集を趣味とするうち、その学問的意義に興味を抱くようになったそうです。
 抜群の探究心と徹底した採集力で、アンモナイトの新属や新種を相次いで発見されました。
 炭鉱勤務ということから、掘るのは得意だったんでしょうね。
 大学や博物館の研究者と連名で論文を発表し、その業績は国際的にも高い評価を得ているそうです。
 その業績を讃え、多くのアンモナイトに川下氏の名前がつけられています。
 1985(昭和60)年には、稚内市でクビナガリュウの化石を発見し、1992(平成4)年に「ソウヤカワシタリュウ」と命名されています。

 アンモナイトは、大きなものでは直径1メートルほどになるそうです。
 化石ですから、もちろん石です。
 重量は、250キロを超えるものもあったそうです。
 発掘場所には、重機などは入れません。
 すべて人力での作業となります。
 ↓発掘の様子です。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「パキデスモセラス
 大夕張産出の大物 一九七六(昭和五十一)年十月(晴)
 大夕張鹿島支流で、直径約八十センチメートルの大型アンモナイトが、小沢(こざわ)の水の流れを止めていた。
 見たところ、プゾシア類である。
 何とか割らないで運び出そうと考え、仲間に頼んで、タイヤを転がすように、三人で少しずつ移動させ、ようやく五日目で本流まで転がしてきた。
 本流は水が多く、なかなか思うようにいかず、アンモナイトと一緒に何度も転んだ。
 ライトバンに積んで運ぶ途中でも、パンクするなど最後のさいごまで苦労した」
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 実は、この『単独旅行記Ⅲ』を書きつつ、自分で撮った写真を見て、初めて川下さんの名前を知りました。
 で、この度、改めて調べて記述したわけです。
 見学してるとき、わたしはほとんど説明書きを読まないのです。
 とりあえず写真だけ撮っておくというのは、いい手法ですね。

 ↓これは、トナカイですかね?
トナカイですかね?
↑「み」

 あ、ヘラジカか?
 川下氏がこんなものまで発掘したとは書かれてないので……。
 おそらくもう、川下コレクションのエリアを出てたんだと思います。

 ↓螺旋状の階段が吹き抜けになっています。
螺旋状の階段が吹き抜け
↑「み」

 1番底の模様の上に、吊るされた金属球が浮いてます。
番底の模様の上に、吊るされた金属球が浮いてます
↑「み」

 わたしはこの写真を撮ったときは、永遠に振り続ける振り子かと思ってました。
 でも、今、改めて調べて、違ってたことがわかりました。
 この振り子は、「フーコーの振り子」と呼ばれてます。
フーコーの振り子

 特殊な振り子ではありません。
 単に、4階の天井から階段の吹き抜けを通して吊るされた金属球が、地下1階で振れてるだけの仕組みです。
天井の支点
↑天井の支点。

 見ていてもわかりませんが、空気の抵抗や支点の摩擦により、振幅はだんだんと小さくなります。
 4時間で半分くらいになるそうです。
 開館時間の9時に職員によって振られ、振幅が半分になる13時に、もう1度振り直されます。
振り子を振り直す職員
↑振り子を振り直す職員。

 閉館は17時ですから、この時点でも、振幅は半分になってます。
 でも、このときは振り直されることはなく、夜のうちには自然に止まるのでしょう。

 さてそれでは、この何の仕掛けもない振り子、どんな意味があるのでしょう。
 単に大きいというだけ?
 おもりは、直径23㎝のステンレス球で、重さは約50㎏。
おもりは、直径23㎝のステンレス球で、重さは約50㎏
↑鉄球だと、錆が付いたりして、バランスが狂ってしまうからでしょうか?

 これを吊るすステンレス線の長さは、19.5メートル。
 確かに大きいですが、ギネス級というレベルではありません。
 世界には、もっと大きな振り子は、数え切れないほどあるでしょう。
 実際、初めてこの振り子の公開実験が行われたときは、これより遥かに大きな振り子が使われました。
 おもりは鉄球で、これを吊るす鋼鉄線は、67メートルありました。
 設置された場所は、パリのパンテオン。
パリのパンテオン

 この振り子実験の考案者は、フランスの物理学者、レオン・フーコーでした。
フランスの物理学者、レオン・フーコーでした

 フーコーは、自宅の地下室や天文台で実験を行い……。
 振り子により、ある証明が出来ることを確かめました。
 1851年のことです。
 日本では幕末で、嘉永4年。
 将軍は、12代徳川家慶。
 ペリーが、浦賀沖に来航する2年前になります。
ペリーが、7隻の軍艦を率いて江戸湾に来航

 そして、その翌年の1852年。
 フーコーは、ナポレオン3世の後援を得て、パンテオンでの大掛かりな実験を行うこととなりました。
 実験と云っても、単に振り子を振るだけです。
 特に難しい実験ではありません。
 それでは、何のための実験かと云うと……。
 これで、地球が自転されてることを証明することが出来るのです。

 どういうことかと云うと……。
 この振り子、少しずつ振れる方向が動いていくのです。
 軌道が回転していくんですね。
軌道が回転していくんですね

 1周に必要な時間(日)は、「1日/sinθ(θは振り子の場所の緯度)」で算出できるそうです。
 この式も、フーコーが見つけました。
 赤道ではまったく回転運動が起こらず、北半球では右回り、南半球では左回りになります。

 なお、フーコーという人は、在野の研究者でした。
 この公開実験を見た、アカデミックの科学者たちは、こんな簡単な実験は、過去に誰かが思いついて行っているはずだと考え、記録をあたりますが……。
 そのような実験は存在しなかったのです。

 当時はまだ、地動説が一般人にまでは浸透していなかった時代でした。
地動説が一般人にまでは浸透していなかった時代
↑こういうレベル。

 振り子の動きにより、地球が自転していることを、まざまざと見せつけられた人たちは……。
 たいへんなショックを覚えたそうです。
 以来、万国博覧会などの大きな催しでは、たびたびフーコーの振り子が設置されることとなりました。
日本最大(ケーブル長、25.1メートル)の『フーコーの振り子』
↑日本最大(ケーブル長、25.1メートル)の『フーコーの振り子』。長崎県の福済寺というお寺にあります。振り子は、観音様の体内の空洞で振れてるそうです。合掌。
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