2016.5.10(火)
〽みやこをどりはぁあ~
祇園甲部歌舞練場。
都をどりの主会場に、よく通る声が響いた。
舞台の上手袖近くに居並ぶ、三味を抱えた地方※衆の一人が発する、謡いとも掛け声とも、開会の辞とも取れる声であった。
※地方(じかた):舞踊の伴奏、またそれを行う芸妓
〽よぉ~い~や
その声にすかさず応えるように、下手袖近くから、これもよく通る、しかし少し甲高い声が上がった。鉦、鼓、笛をてんでに構える地方衆の一人が上げる、こちらは明らかに掛け声であった。
一呼吸、いや半呼吸置いて、地方衆の全員が一斉に発声した。
〽さあ~
すかさず舞台上に、いや会場全体に、地方衆が奏する三味や笛鼓の音色が響き渡った。京都最大の花街、祇園甲部の総力を挙げて開催される春の公演「都をどり」が華やかに始まったのだ。
舞台下手から、袖隠しの暖簾をかき分け、華やかな衣装に身を包んだ舞妓衆が一列に並んで登場し、舞台中央に向かう。もちろん、ただ歩くのではない。踊りながら舞いながら、腕を振り、手にした舞扇を構え、かざし、誘うように招くようにひらめかせながら、舞い進むのだ。時に伸びあがり、時にかがみ、行き、戻り、回り……。
小まめの志摩子は、その群舞の中ほどにいた。首一つ、とまではいかないまでも、周りの舞妓衆に比べ小柄な志摩子であった。だが、志摩子は大きく見えた。ひときわ華やかに、艶やかに、周りの舞妓衆を圧して、まるで家臣を引き連れる姫君のように志摩子の舞いは見えた。少なくとも、道代の目にはそのように映った。
道代は舞台の袖の奥にいた。
開演中の舞台の袖は戦場である。
小道具、大道具の準備、片付けをする者。次の演目に出演する者と、その介添えをする者。裏方や演出との連絡に走り回る者……。それぞれが、それぞれの動きをするわけであるから、お互いに邪魔をしあっているようなものである。ひっきりなしにぶつかり合い、小突きあい、どなり合う声で喧騒を極めるのが舞台の袖である。だが、実際に大きな音や声を立てるわけにいかないのが袖である。もちろん、舞台や客席に聞こえてしまうからだ。何者かに抑制された、しかし誰もが苛立ちを極める、一種異様な空気が舞台の袖にはあるのだ。道代は、その只中にいた。
もちろん、道代にとって初めての経験であった。要領の分からない道代は、明らかに浮いていた。そのつもりはないのだが、袖にいる誰にとっても邪魔な存在であった。戦場の舞台袖にあって、何の目的も、働きも持たない者は道代だけであった。道代は、ひっきりなしに小突かれ、押し退けられ、小声ではあるが鋭く咎められ……。普段の道代なら逃げ出していたであろう。
だが、道代には大事な役割があるのだ。置屋の女将、としに、懇(ねんご)ろに言い含められた大事な使命があるのだ。道代の使命は……何があっても志摩子を守る、この一つである。
(志摩ちゃんは……小まめ姐さんは、うちが守る)
それはもう、道代にとっては身に付いた習性であった。
いちいち意識に上らせることも無くなった習性になっていた。
道代は志摩子の影になっていた。
影が本体から離れることなどあり得ない。
そんなことをいちいち考えることすら無いのが影であった。
であるから、どんなに邪魔者扱いされようが、この舞台袖を離れることなどあり得ない道代であった。
視界に志摩子を捉えられない場所にいることなど、あり得ない道代であった。
喧騒を極める舞台袖。ひっきりなしに行き交う人々の頭越しに、かろうじて志摩子の姿を追い求める道代であった。
↑「都をどり」の会場に向かう舞妓。
(きれえ〔奇麗〕やなあ、小まめ姐さん)
幾度そう思ったことだろう。
道代の目には、小まめの志摩子以外の舞妓衆は映っていなかった。
志摩子の独り舞台。そうとしか見えていない道代であった。
その目に映る志摩子の舞い姿に、道代は酔った。
小まめの志摩子の、艶やかな舞妓衣装と舞扇は、道代の目を眩ませた。
今、舞台袖の暗がりにいて、華やかな舞台を見つめている……そのことすら道代の頭から欠落していた。
この世界にいる者は、舞う志摩子と、それを見守る自分だけ……そのように思い、そう思っていることすら意識しなくなっている道代であった。
夢の中にいる、夢を見ている。そう考える道代すら希薄になっていった。
道代は、激しい勢いで床に倒された。
袖にいる誰かに突き飛ばされたのだ。
はずみなのか、わざとされたのか、道代にはわからなかったが、道代の夢想は破られた。舞台の舞妓衆が袖に引き上げてくるところだった。道代の目は、目ざとく志摩子を見つけた。跳ね起き、志摩子に近づく。
「志摩……」
言いかけて、道代は言葉を切った。
改めて声を掛けた。
「小まめ姐さん!」
道代が、志摩子をそう呼ぶのは初めての事であったが、小まめの志摩子は平然とそれを聞いた。
「ああ、道。おったんか」
「ほら、おりますがね。姐さんを置いて、どこも行きまへんがね」
「ふん」
「姐さん、次の準備どすなあ」
「ああ、着替えやな」
「ほな、楽屋どすなあ」
「行くで、道」
「へえ、姐さん」
次の演し物のため、衣装替えに楽屋に向かう志摩子の後を、道代は転がるようについていった。
「都をどり」は無事に終わった。
芸・舞妓衆も、置屋もお茶屋も、祇園そのものが穏やかな日常に戻った。
だが、道代と、小まめの志摩子の日常は少し変化した。置屋での起居や、歌舞音曲の稽古はさほど変わらないが、座敷への声のかかる頻度が上がったのだ。
小まめへの声が掛からない日はほとんどなく、二つ、三つの座敷を掛け持ちすることも珍しくなくなった。時に祇園を離れ、嵐山や東山、遠く鞍馬や貴船などの座敷に呼ばれることも多くなった。鴨川沿いの料理屋が設ける川床への呼び出しもしょっちゅうであった。
「都をどり」での小まめの舞いが好評だったのだ。道代の目に映った小まめの、群を抜く舞いの艶やかさ、華やかさは贔屓目ではなかった。その評判が評判を呼び、祇園の小まめの名は広く知れ渡ったのだ。
せわしなく座敷を務める志摩子の傍らには、常に道代がいた。もちろん、道代が座敷にまで顔を出すわけにはいかないが、控えの部屋には常に道代が待機していた。座敷への行き帰りの道中、志摩子の後ろには、一歩遅れて付き従う道代の姿が常にあった。
コメント一覧
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1. 楽屋落ちハーレクイン- 2016/05/10 11:49
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始まりました『都をどり』
と思いましたら、わずか25行で終わってしまいました。
まあ、わたしには舞い踊りの素養などかけらもありませんので、事細かにその情景など、書けるわけもございません。
ならなぜ、このような仕儀に相成ったのか、それは時の勢いとしか言いようがございません。
そもそも『アイリス』はもともと料理小説。舞妓・芸妓の世界を書くこと自体、予定になかったのです。しかし物語の主人公、東中あやめの行く末を描くためには、結局避けては通れなかったわけでございまして、そのあたりは追々お分かりいただけることと思います。
ということで、残念ですが『都をどり』シーンはおしまいです。
が、今回、管理人さんにupしていただきましたように、You Tubeにはわんさとございます。宮川町など、他の花街の公演もございます。ご興味がおありの方は覗いてみてください。わたしは“都をどり”で検索を掛けまして、すぐに見つけました。
舞台もそうですが、今回は袖にご注目ください。
袖の情景についても、まあこのようなものか、というわたしの推測なのですが、注意すべきは語り手の道代です。
道代の、志摩子、いや小まめへの思い、これを今回書きたかったわけです。
小まめ-道代の主従コンビ。小まめはともかく道代はより一層小まめへの思いを深めることになりました。これが大事な伏線なんですねって……作者が伏線をばらしてどうする!
ですがまあ、これは袖の、つまり楽屋話です。
「袖」「上手・下手(かみて・しもて)」などの舞台用語につきましては、『アイリス』本編、戯曲『センセイのリュック』をご参照ください。第二場第二景に、詳しく説明してあります(番宣ではありません、ご案内です)。
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2. シャドウハンターHQ- 2016/05/10 11:52
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>道代は志摩子の影になっていた
>影が本体から離れることなどあり得ない
今回、↑道代の心情を表したものですが……。
アーデルベルト・フォン・シャミッソーの中編小説『ペーター・シュレミールの不思議な物語』(1814年)、という、まあ、寓意に満ちた中編小説があります。
シャミッソーは、フランス出身のドイツの詩人にして植物学者という人物ですが、詳しいことは知りません。
結構有名な小説で、日本では『影を売った男』とか『影をなくした男』(岩波文庫)という表題で知られています。
で、道代です。特にシャミッソーを意識したわけではありませんが、書いた後で、ああそんな小説あったなあ、と思い出しましたので……。
まあ、いずれにしましても“影が失われる”というテーマは人気があるようです。道代はどうでしょうか。
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3. Mikiko- 2016/05/10 19:46
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都をどり
システムが良くわかりません。
あの経費は、入場料で賄われるわけですかね?
でも、その配分は、どうするんでしょう。
出演者の頭数で割るんでしょうか?
でも、十把一絡げの端役と、主役じゃ、かかりも違うでしょうしね。
それとも経費は、旦那衆に出してもらうんでしょうか?
そんなお大尽、いまどきいますかね?
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4. ダフ屋ハーレクイン- 2016/05/10 21:25
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料金は……
そんなに↓高くないんですよね。
特等(お茶付き;1階椅子席、2階椅子席・桟敷席)4,800円、壱等4,200円(2階椅子席・桟敷席)、弐等(3階長椅子席)2,500円。
歌舞伎座などでしたら10,000円以上の席もあるでしょうから(知らんで、聞いた話や)、安いものです。わたしなどでも気軽に行けそうです(チケットが手に入るかどうか、はわかりません)。
ただ、会場の定員がわかりませんので、全体の実入りは不明です。で、その配分とか、旦那衆のかかわりなどはもちろん、極秘事項でしょう。
損を覚悟とか、持ち出しも辞さない、なんてことはないと思います。
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5. Mikiko- 2016/05/11 07:27
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入場料
↓これですね。
http://www.miyako-odori.jp/miyako/offer.html
期間が、丸1ヶ月とは驚きました。
しかも、1日4公演です。
ということは、全期間では、120公演。
↓座席数は、ここに載ってました。
http://www.miyako-odori.jp/kaburenjyo/index.html
都をどりでは、848席。
サイトの情報だけでは、いくらの座席が何席がなのか、よくわかりませんが……。
平均して、3,000円で800席と計算しても、1公演240万!
全期間では、240万×120公演=2億8千8百万!
これなら、興行として成り立つんじゃないですか。
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6. 太鼓持ちハーレクイン- 2016/05/11 12:35
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公演期間が丸1か月!
1日4公演!
これは知りませんでした。大変じゃん。
この間、芸・舞妓衆はお座敷などはないんでしょうかね。あったら大変だよね。昼夜、休む暇なし。しかも稽古もあるだろうし。
報奨金とか、出るんですかね(出るかいな;リス)。
それにしても、祇園祭も7月いっぱいかけてやるし……祇園の人間って、ひと月公演が身に付いてるんでしょうか。
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7. Mikiko- 2016/05/11 19:42
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舞妓が全員皆勤では……
祇園の商売が成り立ちません。
↓当番制ですね。
http://www.miyako-odori.jp/miyako/pdf/deban2016.pdf
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8. 皆勤したことなしHQ- 2016/05/11 22:03
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当番制
ははあ、なるほど。
なんぼなんでも、とは思っていたんですよ。
たしかに、芸・舞妓衆が全員皆勤したら、都をどり終了後は置屋・お茶屋は全部潰れちゃいますね。
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9. Mikiko- 2016/05/12 07:29
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『都をどり』の歴史
始まったのは、明治5年。
東京遷都による、京都衰退の危機感からのようです。
逆に、首都でなくなったことにより……。
京都には、古き良きものが残ることになり、現在の観光都市となれたのでしょうね。
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10. 良くなく古いだけHQ- 2016/05/12 17:16
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千年の都
天皇は、とりあえず関東平定のために東京におられるだけであり、いずれ京都に戻られる……という論があるとかないとか。
それよりも気になるのは、京都直下の活断層が動けば、古い都は壊滅するだろう、ということです。
今から対策を考えておかないと、都をどりを始めた甲斐がなくなっちゃいます。
そういえば、壊れた熊本城の復旧計画が立てられているそうですが、数年がかりになるだろう、とか。
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11. Mikiko- 2016/05/12 20:02
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熊本城
とても、数年なんかのスパンじゃ無理でしょう。
鉄筋コンクリートにするなら別ですが。
でも、戦国時代の武将は、そういう城を、ものすごい短期間で築いたんですよね。
徳川の平和の世が、そういう技術を途絶えさせてしまったということでしょうか。
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12. ラストサムライHQ- 2016/05/12 21:54
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ほとんど……
再建、でしょうね、熊本城。
テレビでちらっと見ただけですが、崩れた石垣は、石の一つ一つに記号・番号を振り(そんなのよくわかるもんだと思いますが)、元の組み合わせで組み直すとか。
徳川二百年の平和が途絶えさせたものは、技術もそうですが、サムライそのものでしょう。