2020.6.24(水)
■
「ひ」
美弥子の全身が凍り付いた。
目の前にいたのだ。
亡霊が。
「おや、美弥子。
覗きの趣味は、相変わらずだね」
そこにいたのは、高校時代の女教師だった。
保健室に詰めていた養護教諭だ。
入学早々、便秘に悩まされた美弥子は……。
その女教師に相談した。
そして……。
浣腸を施されたあげく、陵辱された。
バージンまで奪われたのだ。
あの、ロシア製のディルドゥで。
しかしほどなく、その女教師は自動車事故で亡くなった。
美弥子は、自らのバージンを奪ったディルドゥを保健室から持ち出し……。
現在も所有しているわけだ。
しかし今、目の前の女教師は、そのディルドゥを装着していた。
いや違う。
女教師のはずはない。
美弥子は頭を振った。
こちらを上目に見る女教師を、懸命に見返す。
女教師ともう1人の顔が、二重写しになった。
輪郭がブレながら、顔が交互に入れ替わる。
もう1人は、明らかに由美だった。
そう。
このディルドゥを装着した由美は……。
女教師が憑依したとしか思えない言動を取ることが間々あった。
今が、まさにそうなのだろう。
ディルドゥの付け根に、陰毛がない。
由美に間違いない。
そしてそのディルドゥの先は、もう1人の口中に埋もれていた。
「万里亜。
嬉しいだろ。
いつもの観客が来てくれたよ。
高校時代、おまえがわたしに犯されてる最中……。
この美弥子は、ずっとそれを見てたんだ。
物入れの中から、扉のルーバー越しにさ。
しかも、ただ見てたんじゃない。
オナニーしながらさ。
誰にも見られないことをいいことに……。
外聞を捨ててオナってたよ。
わたしたちのフィニッシュより先にイッちまうこともたびたびだった。
笑ったものさ。
物入れの下から、失禁した小便が流れ出して来るんだからね。
ほら、今日も、そこでオナりな」
「ひ」
美弥子の全身が凍り付いた。
目の前にいたのだ。
亡霊が。
「おや、美弥子。
覗きの趣味は、相変わらずだね」
そこにいたのは、高校時代の女教師だった。
保健室に詰めていた養護教諭だ。
入学早々、便秘に悩まされた美弥子は……。
その女教師に相談した。
そして……。
浣腸を施されたあげく、陵辱された。
バージンまで奪われたのだ。
あの、ロシア製のディルドゥで。
しかしほどなく、その女教師は自動車事故で亡くなった。
美弥子は、自らのバージンを奪ったディルドゥを保健室から持ち出し……。
現在も所有しているわけだ。
しかし今、目の前の女教師は、そのディルドゥを装着していた。
いや違う。
女教師のはずはない。
美弥子は頭を振った。
こちらを上目に見る女教師を、懸命に見返す。
女教師ともう1人の顔が、二重写しになった。
輪郭がブレながら、顔が交互に入れ替わる。
もう1人は、明らかに由美だった。
そう。
このディルドゥを装着した由美は……。
女教師が憑依したとしか思えない言動を取ることが間々あった。
今が、まさにそうなのだろう。
ディルドゥの付け根に、陰毛がない。
由美に間違いない。
そしてそのディルドゥの先は、もう1人の口中に埋もれていた。
「万里亜。
嬉しいだろ。
いつもの観客が来てくれたよ。
高校時代、おまえがわたしに犯されてる最中……。
この美弥子は、ずっとそれを見てたんだ。
物入れの中から、扉のルーバー越しにさ。
しかも、ただ見てたんじゃない。
オナニーしながらさ。
誰にも見られないことをいいことに……。
外聞を捨ててオナってたよ。
わたしたちのフィニッシュより先にイッちまうこともたびたびだった。
笑ったものさ。
物入れの下から、失禁した小便が流れ出して来るんだからね。
ほら、今日も、そこでオナりな」
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2020/06/24 05:55
-
今日は何の日
6月24日は、『林檎忌・麦の日』。
第二次世界大戦後の代表的歌手、美空ひばり(みそら ひばり)の1989(平成元)年の忌日。
ヒット曲『リンゴ追分』から、「林檎忌」。
「ひばり」という名前にちなみ……。
麦畑が鳥のひばりの住処となることが多いことから、「麦の日」とも呼ばれます。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/106245.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、「美空ひばりについて」を引用させていただきます。
1937(昭和12)年5月29日、神奈川県横浜市磯子区滝頭で、魚屋の長女として生まれました。
本名は、加藤和枝(かとう かずえ)。
横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部(現:東海大学付属市原望洋高等学校)を卒業。
家にはレコードがあり、幼いころから歌の好きな両親の影響を受け、歌謡曲や流行歌を歌うことの楽しさを知ります。
1946(昭和21)年、9歳で劇場に出演、1948(昭和23/11歳)年に歌手デビュー、「天才少女歌手」として評判となります。
翌1949年(昭和24年/12歳)、映画『踊る竜宮城』に出演し、その主題歌『河童ブギウギ』でレコードデビューを果たしました。
『悲しき口笛(1949年/12歳)』、『東京キッド(1950年/13歳)』など、主演映画とその主題歌が次々にヒット。
1952年(昭和27年/15歳)、映画『リンゴ園の少女』の主題歌『リンゴ追分』では……。
当時の史上最高記録となる、70万枚を売り上げました。
続きは次のコメントで。
-
––––––
2. Mikiko- 2020/06/24 05:56
-
今日は何の日(つづき)
1954年(昭和29年/17歳)、『ひばりのマドロスさん』で、第5回NHK紅白歌合戦に初出場。
江利チエミ、雪村いづみとともに「三人娘」として人気を博します。
その後、熱狂的なファンの少女に塩酸をかけられるなど、不運な時期もありましたが……。
やがて、「歌謡界の女王」と称される存在となります。
1989(平成元)年6月24日、52歳で死去。
没後、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる国民栄誉賞を受賞。
全作品は1000曲以上に及び……。
その他の代表曲に『哀愁波止場(1960年/23歳)』、『柔(1964年/27歳)』、『悲しい酒(1966年/29歳)』、『川の流れのように(1989年/52歳)』などがあります。
以上、引用終わり。
年譜を見ると、早熟な天才の典型ですね。
あまりにも速く駆け抜けていってしまいました。
国民栄誉賞は当然ですが、生前にもらってほしかったです。
あと、彼女は、外国の歌が上手かったことでも有名。
ここが、天才の所以ですが……。
彼女は、綴りなどで歌詞を覚えたわけではないそうです。
音です。
外人歌手の歌声を、音としてそのまま覚えるんだとか。
例えはヘンかも知れませんが……。
九官鳥。
電話の呼び出し音などを真似すると……。
完璧に電子音。
人間では真似の出来ない真似方です。
ひばりさんもこんな感じだったんじゃなかったでしょうか。
音そのものとして覚えるので、発音は完璧だったとか。
ジャズが上手かったことで有名です。
でも歌詞の意味は、まったくわからなかったそうです。
続きはさらに次のコメントで。
-
––––––
3. Mikiko- 2020/06/24 05:56
-
今日は何の日(つづきのつづき)
↑に載ってない歌で、わたしが好きなのは……。
『港町十三番地(1957年/20歳)』。
『真赤な太陽(1967年/30歳)』。
ちなみに、2019年時点の売上げランキングは、↓のとおり。
1.川の流れのように(1989年) - 205万枚
2.柔(1964年) - 195万枚
3.悲しい酒(1966年) - 155万枚
4.真赤な太陽(1967年) - 150万枚
5.リンゴ追分(1952年) - 140万枚
6.みだれ髪(1987年) - 125万枚
7.港町十三番地(1957年) - 120万枚
8.東京キッド(1950年) - 120万枚
9.悲しき口笛(1949年) - 110万枚
10.波止場だよ、お父つぁん(1956年) - 110万枚
生涯売上げ枚数は、1億枚を超えたそうです。
あと、意外だったのは……。
彼女の身長です。
147㎝だそうです。
舞台姿をみる限り、ぜったい160㎝はありそうでしたよね。
-
––––––
4. 手羽崎 鶏造- 2020/06/25 08:00
-
身長147cm
当時としては150が標準でしょう。
まあ、フツーではないでしょうか。
TVも小さかったし
-
––––––
5. Mikiko- 2020/06/25 08:21
-
日本人女性の平均身長
縄文時代は、149㎝だそうです。
古墳時代が、152㎝。
でもその後、右肩上がりに大きくなったわけではありません。
もしそうなら、今ごろは2メートルです。
実は、一番身長が低かったのは、江戸時代なんです。
女性で143~145cmだったとか。
これは、獣肉を食べるのが禁忌になったせいだそうです。
やっぱり人間、肉食べなきゃ。