2020.3.15(日)
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長く暑かった夏も、ようやく収まり……。
キャンパスには、静かな秋が来ていた。
銀杏の葉はまだ色づかないが、キャンパスを歩く女子学生の服装は、華やかに色づいていた。
北陸に育った美弥子にとって、秋は物悲しい季節だった。
長い冬を待つ時季だからだ。
しかし、東京の大学に来て驚いた。
秋が好きだという女子が、ことのほか多かったからだ。
由美もそうだった。
夏は、華やかなシーズンである反面……。
汗や日焼けなど、鬱陶しいことも多い。
ファッションも限られる。
秋は、その枷がなくなるのだ。
長袖を着られるので、日焼けも気にならなくなる。
重ね着も楽しめる。
もちろん、東京にも冬が来る。
しかし、北陸の冬とはまったく違う。
それは、今年の初頭、受験で上京したときに痛感した。
空は青く澄み、すべてのものが輪郭をくっきりと刻んでいた。
吸いこむ空気は冷たいが、体内の気が入れ替わり、浄化されるようにさえ思えた。
そんな天気が、毎日のように続くのだ。
実際、冬の東京に感銘を受けるのは……。
日本海側出身者だけではないそうだ。
外国人観光客だ。
ロンドンなど、暗い冬を過ごす地域の人たち。
彼の地の若人の間では、たまに晴れると……。
「今日は晴れてるね」というメールがやり取りされると云う。
それほど、冬の晴れ間は貴重なのだ。
その記事を読んだ美弥子は、大いに共感したものだった。
北陸の冬、ごくたまに晴れると……。
何か悪いことが起きそうな気さえしていたものだから。
レストランでの契約以来しばらく、万里亜からの連絡はなかった。
かといって、こちらから様子を聞くのも催促めいている。
自分の資金を出しているなら、進捗を尋ねるのは当然だろうが……。
借りている身では、ためらわれた。
ときと共に、万里亜と女教授の影は遠のき……。
荒ぶる由美の魂も、鎮まってきたようだ。
最近はもう、夜の散歩に連れ出されることもなかった。
夜は肌寒いほどになったのだから、至極当然だが。
長く暑かった夏も、ようやく収まり……。
キャンパスには、静かな秋が来ていた。
銀杏の葉はまだ色づかないが、キャンパスを歩く女子学生の服装は、華やかに色づいていた。
北陸に育った美弥子にとって、秋は物悲しい季節だった。
長い冬を待つ時季だからだ。
しかし、東京の大学に来て驚いた。
秋が好きだという女子が、ことのほか多かったからだ。
由美もそうだった。
夏は、華やかなシーズンである反面……。
汗や日焼けなど、鬱陶しいことも多い。
ファッションも限られる。
秋は、その枷がなくなるのだ。
長袖を着られるので、日焼けも気にならなくなる。
重ね着も楽しめる。
もちろん、東京にも冬が来る。
しかし、北陸の冬とはまったく違う。
それは、今年の初頭、受験で上京したときに痛感した。
空は青く澄み、すべてのものが輪郭をくっきりと刻んでいた。
吸いこむ空気は冷たいが、体内の気が入れ替わり、浄化されるようにさえ思えた。
そんな天気が、毎日のように続くのだ。
実際、冬の東京に感銘を受けるのは……。
日本海側出身者だけではないそうだ。
外国人観光客だ。
ロンドンなど、暗い冬を過ごす地域の人たち。
彼の地の若人の間では、たまに晴れると……。
「今日は晴れてるね」というメールがやり取りされると云う。
それほど、冬の晴れ間は貴重なのだ。
その記事を読んだ美弥子は、大いに共感したものだった。
北陸の冬、ごくたまに晴れると……。
何か悪いことが起きそうな気さえしていたものだから。
レストランでの契約以来しばらく、万里亜からの連絡はなかった。
かといって、こちらから様子を聞くのも催促めいている。
自分の資金を出しているなら、進捗を尋ねるのは当然だろうが……。
借りている身では、ためらわれた。
ときと共に、万里亜と女教授の影は遠のき……。
荒ぶる由美の魂も、鎮まってきたようだ。
最近はもう、夜の散歩に連れ出されることもなかった。
夜は肌寒いほどになったのだから、至極当然だが。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/03/15 06:23
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今日は何の日
3月15日は、『靴の日・靴の記念日』。
1932(昭和7)年に、日本靴連盟が制定。
1870(明治3)年3月15日(今から150年前)……。
実業家の西村勝三が、東京・築地入船町に、日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場(いせかつぞうかじょう)」を開設しました。
ヨーロッパの洋靴「西洋草履」が日本に入って来たのは幕末でしたが……。
日本人の足には合いにくいものでした。
「伊勢勝造靴場」は、日本陸軍の創始者である大村益次郎の提案によるもので……。
輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るために開設されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/103151.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
↓「伊勢勝造靴場」のあった東京都中央区入船三丁目には、「靴業発祥の地」の記念碑が同連盟により建てられてます。
https://zatsuneta.com/img/103151_01.jpg
碑文にある大村益次郎の肩書き「兵部大輔(ひょうぶたいふ)」とは……。
かつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関「兵部省」の官職で、今の次官に相当します。
大村益次郎は、初代の兵部大輔を務めました。
また碑文には、「伊勢勝造靴場」のあったこの地が日本における製靴産業の原点であると記されてます。
以上、引用終わり。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/03/15 06:24
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今日は何の日(つづき)
「伊勢勝造靴場」は、1902年に「日本製靴」に改称。
1961年、アメリカのブラウン社との技術提携により「リーガル」ブランドの靴製造を始めます。
1990(平成2)年4月には、ブラウン社より「リーガル」の商標権を取得し……。
現社名である「㈱リーガルコーポレーション」となりました。
すなわち!
リーガルシューズの源は、「伊勢勝造靴場」だったわけです。
さて。
この時期。
そろそろ、冬の間、履き続けてきたショートブーツを脱ぐときです。
しかし、タイミングが重要。
ほとんど、心構えですが。
もちろんもう、雪の心配はありません。
でもわたしには、今のブーツをなかなか脱げない理由があるんです。
それは、ずばり!
カイロです。
わたしは冬の間、靴下を重ね履きしてます。
下に五本指。
上に先丸。
それだけではありません。
この上下の靴下の間に、カイロを貼ってるんです。
レギュラーサイズのカイロですので……。
指先から足首の麓まで覆います。
足の甲には、血管が浮いてますよね。
これが直接温められるんです。
暖かいですよ。
もう、ぜったいに止められません。
冬のオフィス業務の必需品。
これを知らなかったころは……。
足先が冷たくて、仕事に集中出来ないほどでした。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/03/15 06:24
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今日は何の日(つづきのつづき)
今となっては、どうやって、この足の甲に貼るカイロ法を知ったのか忘れてしまいましたが……。
とにかくこのおかげで、冬の生活の質が格段に向上しました。
どうもありがとうございました(誰に言っていいかわかりませんが)。
で、なんで冬のブーツを脱げないかと云うと……。
少し大きめのを買ってあるからです。
「靴下重ね履き+カイロ」ですからね。
わたしのワイズ(足囲)は「D」ですが……。
カイロのせいで、かなりの甲高になってます。
すなわち、この大きめのブーツじゃないと、カイロを貼って行けないわけです。
今はもう、ホームセンターのカイロコーナーは無くなってしまってます。
防虫剤コーナーに変わってるんです。
まだ早いだろと言いたいです。
いちおうまだ、この先10日分は買い置きがあります。
でも、まだわかりませんよね。
4月初旬なんか、寒いですよ。
わたしは普段、30パック入りを買ってます。
さすがに、3月下旬から30パックは要らないかも。
15日分ですからね。
どうするかな。
急に寒くなって、カイロが無いと辛いです。
やっぱり、10パック入りは買っておこう。
まさか、コロナで品不足にはなってないよね。