2020.2.22(土)
「美弥ちゃん。
今、自分がどんな顔してるかわかってる?」
美弥子は頷いた。
「ふふ。
自分が思ってるより、ずっと酷い顔よ」
由美は、傍らのドレッサーから、手鏡を取りあげた。
「見なさい」
顔の前に翳される。
同時に、陰核を弾かれた。
「いひぃ」
鏡の中の女が、眼球を剥き出した。
「ほらほら」
「ががががが」
女の顔が崩壊した。
この上なく不様な顔だった。
これがわたしなのだ。
これがわたしの正体。
口角が上がるのがわかった。
「気持ち悪い人ね。
なに笑ってるの?
ほんとに心底、変態なんだから。
今日は、特別の罰を与えなきゃならないようね。
どうしようかな。
そうだ。
せっかくリードも付けてるんだから、このまま散歩に行きましょう」
由美にリードを引かれる。
いくらなんでもそれは無理だ。
美弥子はその場にしゃがみこんだ。
「まぁ。
お散歩がイヤなの?
ほら、ミーヤ。
お散歩行くわよ」
美弥子は懸命にかぶりを振り、両腕を交差させて胸を覆った。
「まさか、裸だからイヤなの?
犬は裸で平気でしょ。
ま、毛は生えてるけどね。
それじゃ、特別にドッグウェアを着させてあげるわ。
ほら、こっち来て。
どうしたの?
立てないの?
そうだ。
四つん這いになって。
わたしを、クローゼットまで乗せてってちょうだい。
ほら。
グズグズしてると、クリ掴んで引っ張って行くわよ。
そのまま外に出ちゃうから。
抵抗できないでしょ。
ほら、四つん這い」
今、自分がどんな顔してるかわかってる?」
美弥子は頷いた。
「ふふ。
自分が思ってるより、ずっと酷い顔よ」
由美は、傍らのドレッサーから、手鏡を取りあげた。
「見なさい」
顔の前に翳される。
同時に、陰核を弾かれた。
「いひぃ」
鏡の中の女が、眼球を剥き出した。
「ほらほら」
「ががががが」
女の顔が崩壊した。
この上なく不様な顔だった。
これがわたしなのだ。
これがわたしの正体。
口角が上がるのがわかった。
「気持ち悪い人ね。
なに笑ってるの?
ほんとに心底、変態なんだから。
今日は、特別の罰を与えなきゃならないようね。
どうしようかな。
そうだ。
せっかくリードも付けてるんだから、このまま散歩に行きましょう」
由美にリードを引かれる。
いくらなんでもそれは無理だ。
美弥子はその場にしゃがみこんだ。
「まぁ。
お散歩がイヤなの?
ほら、ミーヤ。
お散歩行くわよ」
美弥子は懸命にかぶりを振り、両腕を交差させて胸を覆った。
「まさか、裸だからイヤなの?
犬は裸で平気でしょ。
ま、毛は生えてるけどね。
それじゃ、特別にドッグウェアを着させてあげるわ。
ほら、こっち来て。
どうしたの?
立てないの?
そうだ。
四つん這いになって。
わたしを、クローゼットまで乗せてってちょうだい。
ほら。
グズグズしてると、クリ掴んで引っ張って行くわよ。
そのまま外に出ちゃうから。
抵抗できないでしょ。
ほら、四つん這い」
コメント一覧
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1. Mikiko- 2020/02/22 06:37
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今日は何の日
2月22日は、『猫の日』。
愛猫家の学者や文化人で構成される「猫の日実行委員会」が……。
『(社)ペットフード協会』と協力して、1987(昭和62)年に制定。
日付は、猫の鳴き声「ニ(2)ャン、ニ(2)ャン、ニ(2)ャン」と読む語呂合わせから。
同委員会は、ペットブームの中、猫好きの英文学者、柳瀬尚紀(1943~2016年)氏らが発足させたものです。
「猫の日」の日付は、全国の愛猫家からの公募により選定され……。
9,000通の応募の中で約3割を占めた、「2」が3つで猫の鳴き声「ニャン、ニャン、ニャン」となる2月22日に決定されました。
上記の記述は、こちら(https://zatsuneta.com/archives/102221.html)のページから転載させていただきました。
さらに同じページから、引用を続けさせていただきます。
「猫の日」は、「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫と共にこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で制定されました。
この日には、猫のコンテストなどのイベントやキャンペーンが行われるほか、猫に関する啓発活動も行われます。
2010(平成22)年の「猫の日」は、平成では22年であったことから「22.2.22」となりました。
そのため、茨城県水戸市の郵便局3局では「平成ぞろ目の日記念」と題して、猫の記念小型印が当日使用されました。
以上、引用終わり。
再来年は、2022年2月22日になりますね。
平成22年より、「2」がひとつ多いです。
何かイベントがありそうです。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2020/02/22 06:37
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今日は何の日(つづき)
さて、わたしと猫。
飼ったのは、3匹。
最初の1匹は子供のころ。
この猫が、一番長生きしました。
実際の年数もそうですが……。
わたしが子供だったこともあり、いっそう長く一緒にいたイメージがあります。
物心つくころには、もういましたし……。
中学校のころまで生きてたと思います。
小学校のころには、雀を捕ってきたこともありました。
まだ生きてたので、わたしが怒って取りあげました。
雀は、ヨタヨタと飛んでいきました。
恨めしそうに空を眺めてた猫の顔が、今も思い出されます。
冬は、石油ストーブの前が定位置でした。
自分用の小さな座布団の上で、ぐたーっと寝てました。
白い猫だったので、溶けた餅みたいでした。
こたつが点けられると、中に潜りこんで来ました。
たまに外に這い出してきて、ぐたーっと伸びてました。
溶けた餅みたいでした。
死んだときは泣きました。
2匹目は、わたしが東京にいたころに飼われました。
でも、会ったのは、たったの一回。
帰省したとき初めて会い、すぐに懐いてくれました。
コタツのわたしの膝の上で、わたしの箸から焼き魚の身を食べたりしてくれました。
身軽な猫で、台所をしている母の肩に駆けあがったりしてました。
でも、次に帰省したときには、もういませんでした。
家の前で、車に轢かれたそうです。
身軽なのが、あだになったのかもしれません。
切なかったです。
続きはさらに次のコメントで。
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3. Mikiko- 2020/02/22 06:38
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今日は何の日(つづきのつづき)
3匹目は、新潟に帰ってから。
あ、そうそう。
買った猫は、1匹もいないんですよ。
すべて、もらいもの。
3匹目は、保護施設からでした。
茶虎の可愛い猫でしたが……。
成長するにつれ、下半身に異常が出ました。
腰をフラつかせながら歩いてました。
ときには、ひっくり返ったりしてました。
外に出すと、カラスに狙われてました。
でも、あまり自分の身の不幸は感じてない様子でした。
ま、餌の心配がありませんからね。
腰の両サイドを軽く叩いてやると……。
とても気持ちよさそうに目を細めてました。
でも、やはり短命でした。
以後、猫は飼ってません。
飼いたい気はあるのですが……。
やはり、お別れが辛いです。
逆に、わたしが先に逝ってしまったら可哀想すぎますし。
たぶん、もう飼うことはないでしょう。
でも、コタツに猫のいる暮らし、今でも憧れます。
ボロ家ですので、いくら爪とぎされても惜しくありません。
そうか。
わたしの遺産は、継ぐ人がいません。
猫の面倒を見るという条件を付けて、遺産を譲ることも出来ますね。
若い猫友達、探してみますかね。