2019.10.2(水)
調べたら、多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)でした。
↑こんな立派なお社でした。
でも、参詣した記憶はありません。
もちろん、わたしが住んでたころからあったに決まってます。
調べてみたらなんと!
北条政子が……。
↑大河ドラマ『草燃える(1979年)』で、岩下志麻さん演じる北条政子。怖いです。「完」まで生き延びたわけね。
夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像を祀ったのが始まりだそうです。
って……。
それって、お寺じゃね?
ま、いいです。
怖いので。
商店街から見えた鬱蒼とした樹木は、もちろんこの神社の境内のものでしたが……。
なんと、そこは古墳でした。
全長60メートルの前方後円墳。
「浅間神社古墳」だそうです。
古墳の上に、神社を建てたんですね。
罰当たりな気も……。
↑確かに古墳っぽい。右下の選挙ポスターは、更に罰当たり。落選確実。
うーむ。
そういう神社なら、中に入ってみればよかった。
事前の調査不足ですね。
ていうか……。
ここに住んでながら、なんで1度も参ってなかったんですかね?
↓丸子橋です。
↑「み」
もちろん、多摩川に掛かってます。
↑「古墳展示室」や「湿性植物園」なんかもありますね。うーむ。もう1回、行って来るかな。
この橋を渡った向こうは、神奈川県川崎市。
↓神社の近くのお店。
↑「み」
ほんとに映画のセットのようです。
網は、虫用ではなく、魚の網みたいですね。
↑「み」
でも、ここらの多摩川は、こんな網で魚採りが出来るような小川ではないと思います。
↑やっぱり大河です。
この店が、なぜ営業を続けていられるのか、実に謎です。
神社が経営してるんですかね?
もしそうなら、殺生の道具を売ってもいいんでしょうか?
あ、殺生問題が発生するのは、お寺の方か。
↑こんな立派なお社でした。
でも、参詣した記憶はありません。
もちろん、わたしが住んでたころからあったに決まってます。
調べてみたらなんと!
北条政子が……。
↑大河ドラマ『草燃える(1979年)』で、岩下志麻さん演じる北条政子。怖いです。「完」まで生き延びたわけね。
夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像を祀ったのが始まりだそうです。
って……。
それって、お寺じゃね?
ま、いいです。
怖いので。
商店街から見えた鬱蒼とした樹木は、もちろんこの神社の境内のものでしたが……。
なんと、そこは古墳でした。
全長60メートルの前方後円墳。
「浅間神社古墳」だそうです。
古墳の上に、神社を建てたんですね。
罰当たりな気も……。
↑確かに古墳っぽい。右下の選挙ポスターは、更に罰当たり。落選確実。
うーむ。
そういう神社なら、中に入ってみればよかった。
事前の調査不足ですね。
ていうか……。
ここに住んでながら、なんで1度も参ってなかったんですかね?
↓丸子橋です。
↑「み」
もちろん、多摩川に掛かってます。
↑「古墳展示室」や「湿性植物園」なんかもありますね。うーむ。もう1回、行って来るかな。
この橋を渡った向こうは、神奈川県川崎市。
↓神社の近くのお店。
↑「み」
ほんとに映画のセットのようです。
網は、虫用ではなく、魚の網みたいですね。
↑「み」
でも、ここらの多摩川は、こんな網で魚採りが出来るような小川ではないと思います。
↑やっぱり大河です。
この店が、なぜ営業を続けていられるのか、実に謎です。
神社が経営してるんですかね?
もしそうなら、殺生の道具を売ってもいいんでしょうか?
あ、殺生問題が発生するのは、お寺の方か。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/10/02 06:07
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魚の網
残念ながらわたしは……。
子供のころ、魚採りをした記憶はありません。
あ、一度だけ、簗場には連れて行ってもらいましたね。
川の中に足場を組んで、竹とかで編んだ幅の広い滑り台を、川の中に斜めに入れます。
川の水は、竹の隙間から抜けていきます。
この滑り台は、上から下に滑るものではありません。
下から上です。
つまり、急流に流されてきた魚が……。
この滑り台にかかって、水上に出た部分まで打ちあげられるわけです。
魚はたぶん、鮎がメインだったと思います。
簗場に併設して、採れたての鮎を食べられる店がありました。
店の客が、簗に打ちあげられる鮎を掴み取り出来たんじゃないかな?
行ったのは、1度だけだったと思います。
リピートをリクエストした覚えもありません。
正直、川魚は、子供にとって、さほどのご馳走ではありませんから。
ビールも飲めませんしね。
何を書こうとしてたかと云うと……。
早い話、こうした罠漁です。
今の話ではありません。
縄文時代。
教科書に載ってた挿絵を思い出してみましょう。
猪や鹿を、集団で狩っている図がありました。
丸木舟のような船で、魚を釣ってる図もありました。
縄文時代の暮らしは……。
その日の食料を、命がけで獲る日々だというイメージ。
それも、毎日安定して獲れるわけではなく……。
空腹を抱えて寝る日が続くこともあった。
しかし……。
ほんとうにそうだったんでしょうか?
簗のような仕組みは、縄文時代でも作れたはずです。
材料も、十分にありますよね。
縄は、蔓で作れますし。
一番大変なのは、足場になる材木でしょうが……。
石斧があれば……。
人の腕ほどの丸太を伐り出すのは、さほど難しくなかったんじゃないでしょうか。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/10/02 06:07
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魚の網(つづき)
簗さえ出来れば……。
打ちあげられた魚を獲るのは、女子供でも出来ます。
簗のような大がかりな仕掛けじゃなくても……。
川に、蔓で編んだ罠を沈めておくことは、容易なことだったでしょう。
一晩置いて、引きあげればいいだけです。
地上の獣は、落とし穴で捕獲できます。
つまり、縄文時代は、農耕技術を獲得する以前の……。
不安定な生活を余儀なくされた時代ではないということ。
逆に、農耕が必要じゃなかった時代なんです。
今みたいに、根こそぎ獲ってしまうような漁法はないわけですから……。
獲物が枯渇することもありません。
温暖で、獲物は無尽蔵。
実際、縄文人の体格は、江戸時代の人より大きかったんですよ。
天国の暮らしだったんじゃないでしょうか。
残念なのは、ビールがないことくらい。
でも当時の人は、ビールなんか知らなかったわけですから……。
不幸せではありません。
お酒なら、くこ酒などがありましたし。
それじゃ、縄文の遺跡から……。
釣り針や槍の穂先が出るのはなぜか?
こういうのが出るから……。
教科書に載ってるような生活だったと思われてるわけです。
しかし……。
そうじゃないんじゃないですか?
すなわち、釣り針や槍は、レジャー用品だったんです!
つまり、フィッシングやハンティングの道具です。
たくさん出土したって不思議じゃありません。
今だって、毛針やルアーを、たくさんコレクションしてる人がいるじゃないですか。
すなわち!
簗や魚籠を女子供に任せ……。
縄文人の男は、毎日、フィッシングやハンティングに明け暮れてたんです。
家に帰れば、獲物をサカナに、くこ酒で一杯。
後は、かあちゃんにサービスして、寝てしまえばいいだけ。
こういう暮らしが、毎日続くんです。
これを天国と云わずに、何と云いますか。