2019.4.8(月)
↓初めて、見てすぐに用途がわかるものがありました。
↑「み」
↓まさしくこれです。
↑「み」
しかし、確かに椅子ですが……。
生きた人が座るものではないのでしょう。
副葬品ですね。
あの世での生活に不自由がないように……。
こうした日用品を模したものを一緒に埋葬したのだと思います。
↓またわからないものが出ました。
↑「み」
↓「埴製合子(はにせいごうす」とあります。
↑「み」
「合子(ごうす)」ってのは何ですかね?
あ、「合う」ということは……。
本体と蓋でしょうか。
キノコの笠みたいなのが、蓋です。
↓『世界大百科事典』の解説です(こちら)。
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ごうす【合子】
身と蓋とからなる小型の容器。古墳時代には近畿とその隣接地域で碧玉または滑石で作った石製合子を使用した。平面が円形で、径5cmほどの有脚の碧玉製合子が4世紀にあらわれ、平面が楕円形で、長径10cm以上の平底無脚の滑石製合子は5世紀にくだる。ともに蓋は甲高に作るが、鈕(つまみ)はつけていない。木製品を祖形とするものであろうが、なにを入れるものかはわからない。岡山市金蔵山(かなくらやま)古墳出土の長径40cmほどの埴製(はにせい)合子には各種の鉄製工具を入れてあった。
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大当たりでしたね。
↓碧玉の合子は、生きた人が使ったものでしょう。
埴製合子は、副葬品ですね。
鉄製工具は、その人の生前の職業で使ったものではないでしょうか。
でも、職人に古墳が造られるとも思われません。
埋葬される人に仕えてた職人の工具じゃないですか。
おそらく、職人の代わりには、埴輪像が入れられたのでしょう。
↑茨城県桜川市真壁町『はにわの西浦』。凄いですね。
↑の解説では、「鈕(つまみ)はつけていない」とありますが……。
摘まんで開けられる重さじゃないからでしょう。
両手を蓋の下に差し入れて、持ちあげたんだと思います。
あ、「鈕(つまみ)はつけていない」というのは、生きた人間用の小型の合子のことか。
「径5cm」なら、摘まんで開けられますね。
↑つまみの付いた合子。直径10㎝。現代の作品です。
↑「み」
↓まさしくこれです。
↑「み」
しかし、確かに椅子ですが……。
生きた人が座るものではないのでしょう。
副葬品ですね。
あの世での生活に不自由がないように……。
こうした日用品を模したものを一緒に埋葬したのだと思います。
↓またわからないものが出ました。
↑「み」
↓「埴製合子(はにせいごうす」とあります。
↑「み」
「合子(ごうす)」ってのは何ですかね?
あ、「合う」ということは……。
本体と蓋でしょうか。
キノコの笠みたいなのが、蓋です。
↓『世界大百科事典』の解説です(こちら)。
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ごうす【合子】
身と蓋とからなる小型の容器。古墳時代には近畿とその隣接地域で碧玉または滑石で作った石製合子を使用した。平面が円形で、径5cmほどの有脚の碧玉製合子が4世紀にあらわれ、平面が楕円形で、長径10cm以上の平底無脚の滑石製合子は5世紀にくだる。ともに蓋は甲高に作るが、鈕(つまみ)はつけていない。木製品を祖形とするものであろうが、なにを入れるものかはわからない。岡山市金蔵山(かなくらやま)古墳出土の長径40cmほどの埴製(はにせい)合子には各種の鉄製工具を入れてあった。
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大当たりでしたね。
↓碧玉の合子は、生きた人が使ったものでしょう。
埴製合子は、副葬品ですね。
鉄製工具は、その人の生前の職業で使ったものではないでしょうか。
でも、職人に古墳が造られるとも思われません。
埋葬される人に仕えてた職人の工具じゃないですか。
おそらく、職人の代わりには、埴輪像が入れられたのでしょう。
↑茨城県桜川市真壁町『はにわの西浦』。凄いですね。
↑の解説では、「鈕(つまみ)はつけていない」とありますが……。
摘まんで開けられる重さじゃないからでしょう。
両手を蓋の下に差し入れて、持ちあげたんだと思います。
あ、「鈕(つまみ)はつけていない」というのは、生きた人間用の小型の合子のことか。
「径5cm」なら、摘まんで開けられますね。
↑つまみの付いた合子。直径10㎝。現代の作品です。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2019/04/08 06:41
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なぜか埴製
人形埴輪。
埴製椅子。
そのほかにも、埴製枕などもあるようです。
いずれも、死者と共に埋葬される副葬品です。
でも、どうして埴製なんでしょう?
副葬品の材質として必要なものは……。
ひとつは、腐らないこと。
おそらく、死後の世界は永遠に続くと思われてたでしょうから……。
木など、腐るものは使わなかった。
金属も、錆びて朽ちます。
でもそれなら、一番腐らず変化しないのは、石でしょう。
それではなぜ、石を使わなかったのか?
おそらく、石を加工するには、時間がかかるからだと思います。
生前から副葬品を作っておくわけにいきませんからね。
ま、肝の据わった人なら、生前から作らせておくこともあるでしょう。
でも昔は、急死も多かったはずです。
盲腸も死病だったでしょうから。
だから、亡くなってから埋葬するまでに作りあげなければならない。
量も半端じゃないです。
とてもじゃないけど、石を加工してるヒマはないのです。
でも、埴(粘土)なら出来ます。
あと、埴製では、もうひとつ特性があります。
それは、製作するのに、さほど高度な技術が必要ないこと。
もちろん、品質にもよりますけどね。
でも、造形するだけなら、誰にでも出来るでしょう。
粘土細工なら、小学校の授業で習うほどですから。
続きは次のコメントで。
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2. Mikiko- 2019/04/08 06:42
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なぜか埴製(つづき)
この、素人でも作れるという埴の特性は……。
非常に重要だったと思います。
つまり、あの副葬品を作ったのは、死者の家族だったんじゃないでしょうか。
もちろん、本編にあったような椅子などは、素人では難しいでしょう。
専門の職人に作らせたのかも知れません。
埴製の副葬品を作る専門職があったんじゃないですか。
あ、ひょっとしたら、そういうところには、在庫もあるはずです。
夏場など、すぐに埋葬する必要があるときには……。
すでに出来ている副葬品は重宝します。
しかし、一緒に副葬する人物像などには……。
素人が作ったのも混じってたのではないでしょうか。
早い話、家族が、自分の代わりとなる像を自分で作ったんですよ。
わたしは、埴輪の造形が……。
縄文時代の土偶より、遙かに単純で、稚拙に見えることに疑問を持ってきました。
でも、素人が作ったと思えば、合点がいきます。
つまり、あの単純化された埴輪像は……。
死者の家族が、埴に涙を零しながら作ったものだったのです。
そう云えば、送り火の行事。
本来は、焙烙(ほうろく)と呼ばれる素焼きの平皿に“おがら”を載せてて燃やします。
これは、死者の副葬品として埴製のものを入れた名残りじゃないでしょうか。
ここまで書いて、はたと気づきました。
石製でも、それ専門に造る業者がいれば……。
亡くなってからでも、既製品が調達できますよね。
現在、街道沿いの墓石屋の店先に、墓石がずらーっと並んでますが……。
古墳時代にもああした店があって、副葬品が並べられててもおかしくありません。
なぜ、副葬品が石製でないのかは……。
今後の思いつきに待ちたいと思います。
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3. 手羽崎 鶏造- 2019/04/08 10:43
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あの世に旅立つのがひとりきりというのは
寂しいものだという想いは、いつの世も
同じなのでしょうね。
石製だと、重いこと。細工がし辛いこと。
(それなりの工具が要ること)
ではないでしょうか。
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4. Mikiko- 2019/04/08 19:18
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大昔は……
無理矢理、殉死させてたようですね。
卑弥呼が死んだときは、100人の奴隷が一緒に葬られたとか。
でも、あまりにも残酷なので、古墳時代には禁止されてたようです。