2018.12.23(日)
わたしはうかつにも、前方からしか写真を撮ってませんでした。
↓ほかの方が撮られた写真。
呉服店の名前が入ってます。
ということは、中に高級な着物が入ってることは丸わかりです。
途中、追い剥ぎとかに遭わなかったものですかね?
↑これは、カワハギ。皮がぺろんと剥げるから「皮剥ぎ」だとか。そんなら「皮剥がれ」ですよね。
それでも、行きの荷物は着物ですからまだいいですが……。
帰りは、代金を積んでたのでは?
いや。
それは、あまりにも危険です。
襲われる心配だけじゃありません。
箱車を引く店員が、そのままどこかにトンズラする可能性もあります。
やっぱり、箱車は着物を届けるだけでしょう。
代金は別のときに貰いに行ったはずです。
しかし、落語とかには、箱車は出て来ませんよね。
江戸時代は無かったわけですかね。
そういえば、人力車も明治以降でしょう。
大八車はあったわけですよね。
↑これは、江戸時代のようです。
(いつものとおり)ざっと調べたところ……。
どうやら幕府が、車輪を使った効率的な運搬業を許可しなかったようです。
なぜかというと、急激な社会変革が起きるから。
籠かきや馬子、人足などが、大量に失業します。
船も客を取られるでしょう。
早い話、幕府が最も恐れたのは、「変革」だったのです。
政権を長く維持するためには……。
社会が変わらないことが大事だったわけです。
実際、幕末は、外国と関わらざるを得なくなり……。
もっとも恐れた「変革」を幕府の力で押さえられなくなって、大政奉還に繋がったわけです。
↑大政奉還が行われた『二条城』の展示のようです。常設じゃないかも。
しかしねー。
変革を否定した江戸時代が、ひとえに悪い時代だったとは思えないんですよ。
変わらない方がいいものは、山のようにあります。
貴重な文化が、次々と失われてしまってる今……。
人類を滅ぼすのは、イノベーションなんじゃないかと思います。
あと、車を使った乗り物などが、江戸で発達しなかったのは……。
江戸に坂が多かったという事情もあるかも知れません。
↑買いました。面白かったです。
↓ほかの方が撮られた写真。
呉服店の名前が入ってます。
ということは、中に高級な着物が入ってることは丸わかりです。
途中、追い剥ぎとかに遭わなかったものですかね?
↑これは、カワハギ。皮がぺろんと剥げるから「皮剥ぎ」だとか。そんなら「皮剥がれ」ですよね。
それでも、行きの荷物は着物ですからまだいいですが……。
帰りは、代金を積んでたのでは?
いや。
それは、あまりにも危険です。
襲われる心配だけじゃありません。
箱車を引く店員が、そのままどこかにトンズラする可能性もあります。
やっぱり、箱車は着物を届けるだけでしょう。
代金は別のときに貰いに行ったはずです。
しかし、落語とかには、箱車は出て来ませんよね。
江戸時代は無かったわけですかね。
そういえば、人力車も明治以降でしょう。
大八車はあったわけですよね。
↑これは、江戸時代のようです。
(いつものとおり)ざっと調べたところ……。
どうやら幕府が、車輪を使った効率的な運搬業を許可しなかったようです。
なぜかというと、急激な社会変革が起きるから。
籠かきや馬子、人足などが、大量に失業します。
船も客を取られるでしょう。
早い話、幕府が最も恐れたのは、「変革」だったのです。
政権を長く維持するためには……。
社会が変わらないことが大事だったわけです。
実際、幕末は、外国と関わらざるを得なくなり……。
もっとも恐れた「変革」を幕府の力で押さえられなくなって、大政奉還に繋がったわけです。
↑大政奉還が行われた『二条城』の展示のようです。常設じゃないかも。
しかしねー。
変革を否定した江戸時代が、ひとえに悪い時代だったとは思えないんですよ。
変わらない方がいいものは、山のようにあります。
貴重な文化が、次々と失われてしまってる今……。
人類を滅ぼすのは、イノベーションなんじゃないかと思います。
あと、車を使った乗り物などが、江戸で発達しなかったのは……。
江戸に坂が多かったという事情もあるかも知れません。
↑買いました。面白かったです。
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2018/12/23 07:37
-
江戸の町
もし、タイムマシンに乗れたなら……。
真っ先に行ってみたいのが、江戸の町。
綺麗だったそうですよ。
馬糞や紙くずまで拾う業者がいましたから……。
町にはゴミひとつ落ちてない。
定期的に火事がおきましたから、老朽化した建物もありません。
きっと、何処を歩いてても、木の香がしたんじゃないでしょうか。
でも、江戸の町に行って、一番困るのは、やはりトイレでしょうね。
『単独旅行記』でも、長屋のトイレの展示は取材しましたが……。
あれはあくまで、長屋住民の共同トイレですよね。
よその人が入りこんで借りられたものでしょうか?
ま、男性なら、犬と一緒で、そこらで小は済ませられるでしょう。
でも、女性はどうしたんでしょうね。
町人地は今より密集してたでしょうから……。
身を隠せるような死角は無かったと思います。
「公園」というのも、もちろん存在しません。
女性は、このためもあって、あまり出歩かなかったのかも知れません。
あ、お店に入るという手があるか。
料理屋なら、いくらなんでもあったでしょう。
もし、遠出をする用事なら……。
お昼を兼ねて、そうしたお店で済ませたのかも知れません。
その前後は、ずっと我慢でしょうね。
江戸の町は、非常に男性の比率が高かったのです。
「参勤交代」で、たくさんの武家の男性が江戸に集まってきましたし……。
近在の農家の二男三男も、仕事を求めて江戸に流れてきました。
だいたい、女性1人に対し男性2人の割合だったようです。
なので、トイレなんかの設備においても……。
女性の不便さなんかは、あまり勘案されなかったのかも知れませんね。
続きは次のコメントで。
-
––––––
2. Mikiko- 2018/12/23 07:37
-
江戸の町(つづき)
意外と話が広がらなかったので、もう一題。
坂道。
東京は、ほんとうに坂道が多い街です。
わたしは東京に出て初めて、丸い窪み模様の道路を目にしました。
アスファルトではなく、コンクリートです。
もちろん、窪みは滑り止めです。
窪みの縁を、タイヤの溝が噛むんでしょうね。
コンクリートなのは……。
急坂だと、アスファルトを転圧する機械が使えないからだそうです。
新潟市では、こういう道路は見かけませんでした。
なぜなら、坂が無いからです。
どこもかしこも真っ平ら。
坂があるのは、海沿いくらいですね。
海沿いには、砂丘が連なってるからです。
新潟の町で坂に出くわしたら……。
その向こうは海だと思った方がいいです。
そのほかで、新潟市街で坂があるのは、橋だけでしょう。
橋の下を、漁船や巡視艇が通るので、橋桁を高くしてあります。
なので、橋のたもとが坂道になるわけです。
坂のある街。
風情がありますよね。
憧れます。
でも、歳を取ったら大変でしょうね。
東京ならまだいいですが、函館とかだったら、ほんとにどうするんでしょう。
冬は、滑りますよ。
↓「滑らナイゼン」、必須でしょう。
https://item.rakuten.co.jp/0101marui/to907033850101/
前回の冬は、毎日のようにこれを履いて通いました。
冬が終わったとき、スパイクは磨り減って、ほとんど無くなってました。
もちろん、もう使えません。
でも、捨てる気にならず、今も寝室の鴨居に吊してあります。
辛い一冬を、一緒に頑張り抜いた相棒だからです。
今年も、新しい「滑らナイゼン」を買いました。
使わずに済むことを祈るばかりです。
-
––––––
3. 手羽崎 鶏造- 2018/12/23 08:31
-
明治25年生まれだったワタシの祖母は
下着はたしか腰巻で、「パンツ」は使用して
いなかったように思います。
江戸時代の婦女子は当然、ノーパンなわけで、
その分、用を足しやすかったのではないでしょうか。
と、いうより月のモノの際、どうされていたのか?
の方が心配(シンパイしてもしょうがないけど)
ですね。
-
––––––
4. Mikiko- 2018/12/23 11:41
-
女性の下穿き
白木屋デパートでの火災における逸話が有名です。
和装の女性店員たちはズロースを着けていなかったため……。
風でめくれる裾を押さえようとして、命綱を手放し転落死したとされてます。
その後、女性が下穿きを着ける習慣が広まったとか。
でもこの話は、俗説であるととも云われてます。
白木屋の火事は、1932(昭和7)年12月16日だったそうです。
このころもまだ、和装の女性は下穿きを穿いてなかったんですね。
江戸時代にも……。
貞操帯じゃなくて、月経帯はあったんじゃないですか?