2018.6.4(月)
「大丈夫。
わたしがサポートしますから。
それじゃまず、これを着けてもらいますね」
万里亜は腰に手を回し、ハーネスのベルトを外した。
局部を覆う逆三角形のプレートが、陰茎の重みで前に倒れる。
万里亜は、プレートに手をかけると、ゆっくりと真下に引き下ろした。
下から見あげる美弥子には、陰唇から繰り出される漆黒のディルドゥがはっきりと見て取れた。
しかしそれは、思いがけなく短いものだった。
美弥子の所有するロシア製のディルドゥは、双頭が相似形だった。
しかし、全貌を現した万里亜のディルドゥは違った。
装着する側のディルドゥは、外側のディルドゥの半分ほどの大きさだ。
外側の長さはおそらく、15㎝程度。
装着する側は、10㎝を切っているだろう。
しかも、形はペニスを象っていなかった。
例えるのが難しいが、親指のような形だった。
第一関節から先の長い親指を、大きく反らせたようだった。
おそらく、膣内で安定させるために考案された形状なのだろう。
さらに違うのは、表裏のディルドゥが、同じ位置から起ちあがっていないことだ。
表側のディルドゥは、プレートの中央部から突き出ている。
裏側は、プレートのずっと下、プレートを外れた位置から起ちあがっていた。
表裏のプレートは、樹脂かなにかの一体成形のようだ。
そこに革製のカバーが被せられているのだ。
「ほほ。
湯気が立ってるわ」
万里亜は、抜き取ったディルドゥを、目の前に翳した。
「拭わなくていいかしら?」
「もちろんです」
浅井さんが即答した。
「いえ。
むしろ、清拭させてください」
浅井さんは、万里亜の手のディルドゥに手を差し伸ばした。
樹脂の基部を両手で捧げ持つ。
万里亜は、プレートを掴んだままだ。
わたしがサポートしますから。
それじゃまず、これを着けてもらいますね」
万里亜は腰に手を回し、ハーネスのベルトを外した。
局部を覆う逆三角形のプレートが、陰茎の重みで前に倒れる。
万里亜は、プレートに手をかけると、ゆっくりと真下に引き下ろした。
下から見あげる美弥子には、陰唇から繰り出される漆黒のディルドゥがはっきりと見て取れた。
しかしそれは、思いがけなく短いものだった。
美弥子の所有するロシア製のディルドゥは、双頭が相似形だった。
しかし、全貌を現した万里亜のディルドゥは違った。
装着する側のディルドゥは、外側のディルドゥの半分ほどの大きさだ。
外側の長さはおそらく、15㎝程度。
装着する側は、10㎝を切っているだろう。
しかも、形はペニスを象っていなかった。
例えるのが難しいが、親指のような形だった。
第一関節から先の長い親指を、大きく反らせたようだった。
おそらく、膣内で安定させるために考案された形状なのだろう。
さらに違うのは、表裏のディルドゥが、同じ位置から起ちあがっていないことだ。
表側のディルドゥは、プレートの中央部から突き出ている。
裏側は、プレートのずっと下、プレートを外れた位置から起ちあがっていた。
表裏のプレートは、樹脂かなにかの一体成形のようだ。
そこに革製のカバーが被せられているのだ。
「ほほ。
湯気が立ってるわ」
万里亜は、抜き取ったディルドゥを、目の前に翳した。
「拭わなくていいかしら?」
「もちろんです」
浅井さんが即答した。
「いえ。
むしろ、清拭させてください」
浅井さんは、万里亜の手のディルドゥに手を差し伸ばした。
樹脂の基部を両手で捧げ持つ。
万里亜は、プレートを掴んだままだ。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/06/04 07:20
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今日は何の日
6月4日は、『土地改良制度記念日』。
1949(昭和24)年6月4日(今から69年前)……。
『土地改良法』が制定されました。
「土地改良」とは、生産性を高めるために、田んぼの区画整理などを行うことです。
機械化を進める上で、田んぼの区画整理は、なくてはならなかった施策です。
現在、新潟平野の田んぼは、ほぼ完全に碁盤の目になってます。
昔は、パッチワークみたいな田んぼが繋がっていたんでしょうね。
この区画整理で、新潟の田んぼから失われたものがあります。
「稲架木(はさぎ)」です。
文字どおり、稲を架けて干すための木。
畦に並べて植えた稲架木に竹を何段にも渡し、稲を架けるのです。
最上段は、見あげる高さです。
お父さんが梯子を架けて上り、稲を架けます。
お母さんが、下から稲を供給するのですが……。
もちろん、手渡しでは届きません。
かといって、いちいち梯子に登って渡していては、時間がかかってしょうがありません。
どうするかというと……。
稲の束を、投げ上げるのです。
昔の映像で見た覚えがありますが……。
両手で持った束を、股の間から真上に向けて、反動をつけて投げあげてたと思います。
土地改良では、新潟県に偉人が出てます。
佐野藤三郎。
『亀田郷土地改良区』の初代理事長。
亀田郷は、複数の市町村にまたがる広大な地域でした。
そこの親分ですから、市町村長などより、遙かに力があったそうです。
佐野は、司馬遼太郎『街道をゆく』の『潟のみち』にも傑物として登場してます。
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2. 手羽崎 鶏造- 2018/06/06 02:47
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亀田郷って、あのおせんべいの亀田製菓と
カンケイあるのですか?
亀田製菓が新潟のメーカーであるらしい、
でん六豆が山形のメーカーであるらしい、
ぐらいは分かる関東在住のおじさんでした。
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3. Mikiko- 2018/06/06 07:24
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亀田郷
現在、新潟市江南区となっていますが……。
昔、亀田郷の中心地は、中蒲原郡亀田町でした。
この亀田町で創業したお菓子メーカーが、亀田製菓なわけです。
今も本社は、旧亀田町地内にあります。
なお、「亀田のあられおせんべい」のCMでは、“かめだ"の“か"にアクセントを置いてますが……。
こちらで「亀田」という地名を発音するときは、アクセントはなく、フラットですね。