2018.5.16(水)
あなたからの衝撃のメールが届いたのは、2018年2月9日午後3:09分のことでした。
『骨髄腫』。
想像してもいなかった病名でした。
そのときのメールでは、入院は数日先とのことでした。
しかし、その日の夜、再度メールが届き……。
入院が翌日の午前になったことを告げられました。
メールの末尾にあった「まことに残念無念です」という言葉が胸に刺さり、わたしの方が動転してしまいました。
「明日、白山神社に参って、お札とお守りを受けてくるから大丈夫」と返信するのがやっとでした。
翌日の2月10日は、雪深かったですが、不思議と良いお天気でした。
↓そのときの写真です。
最初のメールでは、モバイル環境を持たず、PCもデスクトップなので、入院後はスマホを契約するというお話をされてました。
↓なので、受けてきたお守りは、『Mikiko's Room』のスマホ用トップ画面に掲示しました。
スマホから『Mikiko's Room』にコメントが入れられることを確認し、あなたからのコメントを待ちました。
しかし、コメントは入りませんでした。
最後のメールで、わたしのメールアドレスも改めて記載し、紙ベースでメモして欲しい由、お願いしました。
しかし、メールも届きません。
最初のメールでは、入院治療は1ヶ月かかるとのことでした。
入院直前、2月10日の朝8:37分には、気丈にもコメントを入れてくださいました。
↓そのときのコメント全文です。
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休場届
しばらく入院することになりました。
春場所が始まる頃には戻って来られると思います。
ということで『アイリスの匣』も、次週より休載させていただきます。
すんまへん。よろしゅうに。
〔♪しばし別れの涙がにじむ~HQ〕
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春場所は3月11日に始まりましたが、退院の連絡は届きませんでした。
メールもありません。
春場所が終わり、サクラが咲いて、散って……。
夏日のニュースが流れ、そして、田んぼに水が張られる季節になりました。
もうすぐ、夏場所が始まります。
最後のメールから、3ヶ月が経ってしまいました。
やはり、もう諦めるしかないのでしょうか。
『骨髄腫』という病気。
最初は怖くて、調べることも出来ませんでした。
でも、何らかの救いを求めて、調べてみました。
結果……。
やはり、厳しい病気であるという現実を突きつけられてしまいました。
あなたの病名は、『多発性骨髄腫』だったのでしょう。
様々な症状が出る病気のようです。
思えば、あなたが最初の入院をされたのが、2013年の4月。
5年前です。
今から思えば、このとき入院することになった症状の原因も、『多発性骨髄腫』だったんじゃないでしょうか?
でもわたしは、まったく深刻には捉えられませんでした。
わたしの求めに応じ、『潜入突撃レポート「大病院の闇を探る!」』の連載もしてくださいました。
どうしてこのとき、もっと真剣に考え、全身の精密検査を勧めてあげられなかったのか、無念でなりません。
唯一の望みは、あなたへのメールが、まだ宛先不明にならないということです。
返事はありませんが。
メールが届くと云うことは、インターネットの契約が維持されているというです。
でも、インターネットは、ケーブルテレビの契約とセットだと伺ってました。
ということは、ケーブルテレビが解約されない限り、ネットも解約されないということです。
ご家族が、そのままテレビの契約を続けられていれば、ネット環境も維持されているわけですね。
とにかく、わたしとしては待つしかないのですが……。
『アイリス』の愛読者に何も公表せず、ずっとこのままにしておくことは出来ません。
どこかで、区切りを付ける必要があると思いました。
ということで、この一文をしたためることにしました。
これを書こうと決意した日の夜……。
鴨居に載せてあったイタコのフィギュアが、わたしの布団に落ちてました。
あなたからの、何かのメッセージだったのでしょうか。
あなたが、初めてコメントを入れて下さったのは……。
2010年9月11日19時32分。
『由美と美弥子 537回』。
7年半前のことでした。
その後、あなたとほかの読者との間で齟齬が生じ、それについての謝罪メールをいただいたことから、メールのやりとりも始まりました。
そして、初投稿となる原稿をいただき……。
『読者の部屋』に掲載させていただいたのが、『日本酒を飲もう!(Ⅰ)』
2010年11月14日でした。
こちらは、エッセイでしたが……。
その1年後、2011年11月8日からは、小説『風楡の季節』の連載が始まります。
読者の方が小説を書き始め、それを連載して下さるというのは、ほんとうに嬉しい出来事でした。
楽しい日々が続きました。
2018年の2月8日までは。
あっという間の7年半でした。
あなたは、矢沢永吉と同い年ということでしたから……。
お別れのときが、いつか必ず来ることは、頭の隅ではわかってはいました。
でも、こんなに早く、突然なことだとは思ってもいませんでした。
わたしの覚悟も出来ないうちに、遠いところへ旅立ってしまわれました。
『Mikiko's Room』に、大切な時間をたくさん使わせてしまいましたね。
もっとほかにやりたいことがあったんじゃないかと思うと、胸が裂かれる気がします。
わたしもいつか、そちらに参ります。
そのときまでには、わたしの手で『アイリス』を完結させたいと思っています。
先の展開は、まったく聞いておりませんので、ずいぶん見当違いのストーリーになってしまうかも知れませんが。
わたしがそちらに行ったら、ぜひ感想を聞かせてほしいです。
わたしはビビリで方向音痴なので、そのときは必ず迎えに出てくださいね。
お願いします。
仏像を、1体購入しました。
チベットの仏像です。
お顔を存じませんが、イメージの中のお顔に似てました。
ヒゲがお茶目な地蔵菩薩さまです。
早くに父を亡くしたわたしにとって、あなたは父のイメージに重なる存在でした。
仏像は、わたしの枕元に鎮座いただいています。
どうか、見守って下さい。
ゴールデンウィークには、花壇に大輪のヒマワリの種を撒きました。
真夏、あなたの大きな笑顔に出会えますように。
この文章を書くのは、ほんとに辛いことでした。
最期に、この一文をしたためることにした、一番の理由で締めくくりたいと思います。
それは、あなたへのお礼が、一度も言えていなかったことです。
これだけが、今でもほんとうに残念でなりません。
だから……。
遅きに失してしまいましたが、改めて言わせていただきます。
ハーレクインさん!
一緒に笑ってくれて、ありがとう!
一緒に走ってくれて、ありがとう!
ときには怒ってくれて、ありがとう!
いっぱい遊んでくれて、ありがとう!
あなたと出会えたことは、わたしの人生の最大の喜びでした。
わたしがそちらに行くまで、しばしのお別れです。
待っていてください。
また、たくさん楽しい話をしましょう。
ありがとう!
ほんとうにありがとう!
涙が止まらないよ……。
Mikiko