2018.3.28(水)
婆「こうして、思いがけぬ形で帰国が叶うことになったのじゃ。
円仁、54歳のおりじゃ。
唐には結局、10年いたことになる」
み「船は、どうしたわけ?」
婆「新羅商人の貿易船に便乗させてもらったそうじゃ。
朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅を経て、博多津に到着した。
小型ながら、高速で堅牢な新羅船に驚いたそうじゃ」
み「遣唐使船より、遙かにマシだったわけね。
なんか、今と逆ですな」
↑秋田に漂着した北朝鮮の漁船。こんなので冬の日本海に出るのは、死にに行くようなものです。
婆「帰国した円仁は、夢で告げられた霊山を探し歩いた。
苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる」
↑かつては、『宇曾利山(うそりやま)』と呼ばれてました。“ウソリ”はアイヌ語で、入江や湾の意味があるそうです。
み「ま、唐に比べれば狭いでしょうがね。
それでも、博多に着いて、下北半島まで行ったわけね」
み「歩いたんでしょうな?」
婆「歩くほかに方法はない。
円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は……。
関東に209寺、東北に331寺あるとされる。
浅草の浅草寺もそのひとつじゃ」
↑浅草寺『宝蔵門』。『雷門』から『仲見世』を通った奥にあります。
み「そりゃ、無茶でないの?
何歳で亡くなったんだっけ?」
婆「70歳じゃな」
み「帰国したのが、54歳でしょ。
ということは、16年。
えーと、関東の209と東北の331を足すと……。
540ですよ。
16で割ると、年間33.75。
一ヶ月に3つくらい寺を作った計算になるぞ。
どんなスーパーデベロッパーでも、無理でんがな」
↑バブル絶頂期の日本。ほんとに、24時間戦ってた人もいたかも知れません。
婆「ま、それが伝承というものじゃて。
偉い人が開いた寺となれば、箔が付くわけじゃでな」
み「早い話、恐山も“伝承”のひとつってことね」
円仁、54歳のおりじゃ。
唐には結局、10年いたことになる」
み「船は、どうしたわけ?」
婆「新羅商人の貿易船に便乗させてもらったそうじゃ。
朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅を経て、博多津に到着した。
小型ながら、高速で堅牢な新羅船に驚いたそうじゃ」
み「遣唐使船より、遙かにマシだったわけね。
なんか、今と逆ですな」
↑秋田に漂着した北朝鮮の漁船。こんなので冬の日本海に出るのは、死にに行くようなものです。
婆「帰国した円仁は、夢で告げられた霊山を探し歩いた。
苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる」
↑かつては、『宇曾利山(うそりやま)』と呼ばれてました。“ウソリ”はアイヌ語で、入江や湾の意味があるそうです。
み「ま、唐に比べれば狭いでしょうがね。
それでも、博多に着いて、下北半島まで行ったわけね」
み「歩いたんでしょうな?」
婆「歩くほかに方法はない。
円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は……。
関東に209寺、東北に331寺あるとされる。
浅草の浅草寺もそのひとつじゃ」
↑浅草寺『宝蔵門』。『雷門』から『仲見世』を通った奥にあります。
み「そりゃ、無茶でないの?
何歳で亡くなったんだっけ?」
婆「70歳じゃな」
み「帰国したのが、54歳でしょ。
ということは、16年。
えーと、関東の209と東北の331を足すと……。
540ですよ。
16で割ると、年間33.75。
一ヶ月に3つくらい寺を作った計算になるぞ。
どんなスーパーデベロッパーでも、無理でんがな」
↑バブル絶頂期の日本。ほんとに、24時間戦ってた人もいたかも知れません。
婆「ま、それが伝承というものじゃて。
偉い人が開いた寺となれば、箔が付くわけじゃでな」
み「早い話、恐山も“伝承”のひとつってことね」
コメント一覧
-
––––––
1. Mikiko- 2018/03/28 07:35
-
今日は何の日
『三ツ矢サイダーの日』。
「み(3)つ(2)や(8)」の語呂合せ。
制定したのは、発売元である『アサヒ飲料』。
それでは、「三ツ矢」とは何でしょう?
『アサヒ飲料』のホームページ(http://www.asahiinryo.co.jp/mitsuya-cider/sp/academy/mame03.html)に、長々と書いてありました。
↓要約が面倒なので、そのまま転記します。
『「三ツ矢」という名前の由来は、平安時代にまでさかのぼることができます。清和源氏の祖、源満仲が城を築くため、現在の大阪にある住吉大社に祈念したところ、『矢の落ちたところを居城にせよ』と白羽の鏑矢(かぶらや)を与えられました。お告げどおり、満仲が鏑矢を天に向けて放つと、矢は火を吹いて飛び、見えなくなりました。射った鏑矢は、現在の兵庫県にある多田沼に棲みついて住民を苦しめていた”九頭(くず)の龍”に命中。
そこで源満仲は、多田沼に居城を定めて多田源氏と名のりました。満仲の放った矢を見つけた孫八郎には領地ともに三ツ矢の姓と三本の矢羽根の紋を与えました。
そんな満仲がある日、鷹狩りに出かけたとき、居城に近い塩川の谷間の湧き水で一羽の鷹が足の傷を治して飛び立つのを目の当たりにし、湧き水が霊泉であることを知ります。それが、多田村平野(現在の兵庫県川西市)の天然鉱泉です。以来、明治初年頃まで、霊泉を沸かした平野温泉郷は永く繁栄してきました。明治時代に平野温泉の水は「平野水」という鉱泉水として認知され、その後、伝承にちなんだ名称をとりいれた「三ツ矢平野水」「三ツ矢タンサン」として市販されるようになりました。これが、後の三ツ矢という商標になったのです。』
まさか、源義仲まで遡るとは思いませんでしたね。
-
––––––
2. 手羽崎 鶏造- 2018/03/29 23:36
-
三ツ矢サイダーと女優・三ツ矢歌子さんとは、カンケイあるのでしょうかねえ。
-
––––––
3. Mikiko- 2018/03/30 06:20
-
本名は……
宇汰子(うたこ)さんのようです。
結婚前の旧姓はわかりませんでした。
わたしが持ってたイメージは、ふくよかなお母さんでしたが……。
↓若いころは、やはり綺麗ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=b82mG7KjsYY