2018.3.14(水)
「はい!
はい!」
万里亜の掛け声がサウンドを突き抜けた。
この声が聞こえたときには、新しい展開がある。
美弥子は、思い切ってスタジオに向き直った。
同時に、万里亜が身を反転させ、背中を見せた。
会員たちの目が、大きく見開かれるのがわかった。
無理もない。
万里亜の装着するファールカップには、下着の機能は無いのだ。
前面のカップ下端から出た2本のハーネスは、左右に分かれ……。
尻たぶの下を回って、腰部のベルトに接続されている。
すなわち、尻の割れ目は剥き出しだった。
試合時には、スパッツなどの上から装着するものなので、それでいいわけだ。
しかし万里亜は……。
それを、素肌の上に装着しているのだ。
ハーネスのおかげで、ヒップアップも勝ち取っているようだった。
マシュマロを思わせる白さと柔らかさ。
万里亜の動きに呼応し、尻たぶが跳ね踊っている。
視線を切ることが出来ない。
会員たちも同様のようだ。
頭上でリズムを取っていた万里亜の両手が、下に降りた。
両手の先が、腰部の向こうに隠れた。
手先はおそらく、下腹部。
まさか……。
サウンドで聞こえないはずだが……。
美弥子の耳は、はっきりとホックの外れる音を聞いた。
次の瞬間……。
万里亜の尻の下に、カップがぶら下がった。
腹部のベルトに接続するカップのホックを外したのだ。
見ている方が動転した。
まさか、ここまで……。
しかし、万里亜はためらいなく次の動作を起こした。
腰のベルトを掴むと、一気に引き下ろしたのだ。
足踏みをして、ベルトを外す。
なぜか、ジャージやブラのように放り捨てず、足元に落とした。
会員たちのため息が聞こえるようだった。
それほどまでに、万里亜の後ろ姿は美しかった。
トレーナーにありがちなギスギスした身体ではない。
女性らしい丸みを誇っていた。
すぼまったウェストから、腰部が豊かに広がる。
その腰部上方には、「ヴィーナスの笑窪」と呼ばれるディンプルが2つ、翳を孕んでいた。
はい!」
万里亜の掛け声がサウンドを突き抜けた。
この声が聞こえたときには、新しい展開がある。
美弥子は、思い切ってスタジオに向き直った。
同時に、万里亜が身を反転させ、背中を見せた。
会員たちの目が、大きく見開かれるのがわかった。
無理もない。
万里亜の装着するファールカップには、下着の機能は無いのだ。
前面のカップ下端から出た2本のハーネスは、左右に分かれ……。
尻たぶの下を回って、腰部のベルトに接続されている。
すなわち、尻の割れ目は剥き出しだった。
試合時には、スパッツなどの上から装着するものなので、それでいいわけだ。
しかし万里亜は……。
それを、素肌の上に装着しているのだ。
ハーネスのおかげで、ヒップアップも勝ち取っているようだった。
マシュマロを思わせる白さと柔らかさ。
万里亜の動きに呼応し、尻たぶが跳ね踊っている。
視線を切ることが出来ない。
会員たちも同様のようだ。
頭上でリズムを取っていた万里亜の両手が、下に降りた。
両手の先が、腰部の向こうに隠れた。
手先はおそらく、下腹部。
まさか……。
サウンドで聞こえないはずだが……。
美弥子の耳は、はっきりとホックの外れる音を聞いた。
次の瞬間……。
万里亜の尻の下に、カップがぶら下がった。
腹部のベルトに接続するカップのホックを外したのだ。
見ている方が動転した。
まさか、ここまで……。
しかし、万里亜はためらいなく次の動作を起こした。
腰のベルトを掴むと、一気に引き下ろしたのだ。
足踏みをして、ベルトを外す。
なぜか、ジャージやブラのように放り捨てず、足元に落とした。
会員たちのため息が聞こえるようだった。
それほどまでに、万里亜の後ろ姿は美しかった。
トレーナーにありがちなギスギスした身体ではない。
女性らしい丸みを誇っていた。
すぼまったウェストから、腰部が豊かに広がる。
その腰部上方には、「ヴィーナスの笑窪」と呼ばれるディンプルが2つ、翳を孕んでいた。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/03/14 07:29
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今日は何の日
『新選組の日』。
1863(文久3)年3月13日(今から155年前)。
京都の壬生に詰めていた『新選組』の前身『壬生浪士組』に……。
会津藩主で京都守護職の松平容保(かたもり)から、会津藩預りとする連絡が入り、『新選組』が正式に発足しました。
その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行ったわけです。
なお、この3月13日は旧暦の日付です。
新暦では、4月30日になります。
さて、その松平容保【1836(天保6)年~1893(明治26)年・57歳没】。
江戸の高須(美濃国)藩邸で、藩主・松平義建の六男として生まれました(母は側室のため、庶子)。
1846(弘化3)年、満10歳のおり、実の叔父にあたる会津藩第8代藩主・松平容敬(かたたか)の養子となり……。
和田倉門内の会津松平家上屋敷に迎えられました。
容敬も、高須松平家の出身でした。
で、容保を迎えた会津松平家上屋敷。
容保のあまりの美少年ぶりに……。
「お子柄がいい」と、上を下への大騒ぎになったそうです。
↓Wikiに、写真が載ってますが……。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%B9%E4%BF%9D
これは、京都守護職当時のもの。
満30歳前後でしょう。
十分に美青年ですが……。
10代のころを想像すると、怖くなりますね。
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2. 手羽崎 鶏造- 2018/03/15 21:05
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いわゆる「会津戦争」で、会津藩は多くの犠牲者を
出したのに、容保は結構、長生きしているのですね。
ところで、「ヴィーナスのえくぼ」。
うーん、ナマの現物にお目にかかったことは
ありません。
鍛えていない、垂れたお尻もスキですもん。
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3. Mikiko- 2018/03/16 06:25
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徳川慶喜も……
結局、徳川将軍の中では最も長生きしました。
明治政府からは、公爵に叙せられてます。
松平容保。
明治2年、会津藩家老・萱野長修が、戦争責任を一身に負い自刃してます。
容保自身が爵位を賜ることはありませんでしたが……。
長男が、子爵に叙せられてます。
死ぬのは家来ばかりなり。
森友問題でもそうですね。