2018.3.1(木)
ようやく旅支度を終えて、桔梗は猿飛を見下ろした。
「両手を上げて大小を抜くことは出来ぬゆえ、今日のところは帯に差して参ろう」
桔梗を見上げた猿飛は薄っすらと笑みを浮かべる。
「しかし女の身で両刀をお使いとは、いずれでこの技を……?」
一旦帯から刀を抜いた桔梗は、まだおぼつかぬ動きで猿飛の前に腰を降ろす。
「以前御用で肥後を訪れた時、初めてこの二天一流を目にした。その技に目を奪われた私は大殿にお願いし、彼の地で一年余り修行の後にこの技を丹波に持ち帰ったのだ」
神妙に頷く猿飛に向かって、桔梗は恥ずかし気にうつむく。
「その後懸命に稽古を重ねたとはいえ、我ながらまだまだ皆伝を授かるにはほど遠いと感じておる」
「なるほど……、その上男でもなかなか使いこなせぬ剛刀、“兜割り”まで……」
桔梗は脇の刀に手を添えた。
「よくこの刀を見たな。この“胴田貫”は負けず嫌いが災いし、女には使えぬという忠告を押し切って、彼の地で打ってもらったものだ。そしてこの度は、所詮力のみでは扱えぬ剣の道を私に教えてくれたような気がする」
「なるほど……」
猿飛はその目に老婆らしからぬ輝きを宿した。
「ここでお話しいただくのも何かの縁……。そこまでお気づきなら、この年寄りに少々耳をお貸しいただけますか……?」
「何か気付いたことがあれば、この通り、ご教授願いたい」
桔梗の澄んだ瞳が猿飛に向けられる。
「どうかもう、そのような……」
痛む身体で両手をついた桔梗に猿飛は手を添えた。
「なるほど、蔓が心酔した気持ちも分かるような気がいたします。あ、いや、これはまた別の話で……」
少し緩めた表情をすぐ真顔に戻して猿飛は続ける。
「使いこなせれば無類の力を発揮する胴田貫。相手の刃を折り、固い兜も叩き割ってしまいます。しかし剛と剛の力勝負ではなく、柔を相手にした時、その兼ね合いは変わって参ります」
「剛と柔……」
桔梗は老婆を見つめながらつぶやいた。
「太刀捌きの柔らかさとは違って、忍び相手では様々な得物と相対することがございます。その柔とは概して、縄、鞭、網、鎖など……」
「鎖……」
桔梗のつぶやきに猿飛は頷いた。
「聞き及んだところでは、桔梗様が深手を負った際根来の刺客は鎖鎌を使ったと……」
「如何にもそうであったが……、それが?」
数十年を遡ったように、猿飛の顔に壮年の逞しい女の面構えが重なる。
「刀に鎖が絡んだ時、それに逆らい力づくで引きはしませんでしたか?」
「鎖に逆らって……」
桔梗は小さなつぶやきを漏らした。
猿飛の視線が桔梗の目に飛び込む。
「その時もう相手の術中に嵌って、二天一流は半ば封じられておりました」
「う……」
桔梗はその時の光景を脳裏に思い浮かべた。
“もしや相手の鎖鎌に逆らうことに気を取られて、己の技を忘れていたのか……”
その心を読んだ猿飛の表情が微かに緩む。
「相手は誘いにのって力ずくで制しに来るのを待っておりますよ。柔に巻かれても動じず、むしろ流れに引かれるところに勝機が生まれることも……」
顔を上げた桔梗の表情に一瞬光が射した。
「ご教授、かたじけない。まだ未熟な私には何物にも代え難い教え……」
生真面目に頭を下げる桔梗に、もう老婆は優しい笑みを向けた。
「いえいえ、私の申すことなど……。しかし実践では、気付いた時が命を落とす時ということも多うございます。命を拾われた桔梗様は、きっと長生きをなさいますよ」
改めて頭を下げると、桔梗は唇を噛んで立ち上がった。
土間から店先へ出ていく桔梗を猿飛は眩し気に見送る。
“桔梗様が拾った命で開眼されたとすれば、私共にとってまた一人、手ごわい相手がこの世に増えたということでございます……”
明るい日に照らされた桔梗の背中に、もう暗い影になった猿飛はゆっくりと頭を下げたのである。
鷹は腕組みを解いてうっすらと目を開いた。
音もなく廊下から沙月女が入って来る。
「どうだった……?」
正面に腰を下ろした沙月女が鋭い眼光を鷹に向ける。
「伊賀者上がりとは言っても、まず大丈夫だと思う」
「そうか、あんたがそう言うのなら間違いないとは思うが……」
まだ踏ん切りのつかぬ鷹に向かって、沙月女は淫靡な笑みを浮かべた。
「煩悩に溺れて、まるで盛りの付いた雌猫だ。つられてあたしまで夢中になっちまった」
沙月女が襟元を引き開けると、浅黒い首筋の肌に赤い歯形が覗いた。
「ふうん……」
鷹はおもむろに立ち上がって、表に面した窓を開け放つ。
しばらく下の人波を目で追っていたかと思うと、再びゆっくりと後ろを振り返る。
「よし、沙月女。あんたはお蝶と二人で京を廻ってくれ」
「いよいよだね……」
腰を浮かせて居住まいを正す沙月女の前に、鷹も向かい合わせに腰を降ろす。
「美津の働きで、幕府に不満のある武家や病いで悩んでいる公家など、あらかじめ目星を付けてある。その辺りに取り入って、先ずはこの町に根を張るんだ。これはあんたやお蝶が
「ああ、任しときな」
目を輝かせた沙月女に鷹は続ける。
「裏稼業の連中はあたしと春秋花で廻るとして、問題は幕府付きで唯一ここで自由に動ける伊賀者だが……」
「そいつは……、あたしに任しときな」
その声に鷹と沙月女は顔を上げた。
いつの間にか廊下の引き戸が開いて、鳥追い傘を小脇に抱えた女が立っている。
「美津……」
きっちりと結い上げた黒髪の下に涼し気な笑みを浮かべて、粋に着こなした旅芸人姿に見惚れるような三十路女の色気を漂わせていた。
「相変わらず手際のいい女だ……。そんなにめかし込んで、目立ってお役の邪魔になりゃしないか?」
沙月女に会釈をしながら、苦笑いを浮かべた鷹の脇に美津も座り込む。
「ふん、今時もう日陰のくノ一なんて流行りゃあしないのさ。ちょっと目立ったいい女の方が、誰も忍びだなんて思やしないだろう?」
「そいつはどうだか……。まあいずれにしろ、お前が伊賀を押さえてくれれば助かる」
「ああ、なるべく矛先を逸らす算段はするけど、もし何事かあれば前もって知らせるよ」
「うん、それは有り難い」
「そりゃよかった……、と言いたいんだけど……」
そう言葉を区切った美津は、勿体をつけて袖から煙管を取り出す。
「なんだ? 何かあるなら早く言え」
「まあ……、そんな力づくじゃ言いたくても怖くて言葉が出やしない。今夜は久しぶりに二人でゆっくりと……、寝物が……いや一杯やりながら話すことにするよ」
沙月女に遠慮して言葉を濁すと、美津はすまし顔で煙管にきざみを詰め始める。
「美津、お前……」
思わず睨みつけて腰を浮かせた鷹に、美津は顔をかばう様に右手を上げた。
「ああもう……。わかったよ、すぐまじになるんだから。いつもながら洒落も通じないね……。昨日仲間に入った若い女がいるだろう?」
鷹と沙月女は顔を見合わせる。
「あれは伊織のつけ馬だよ。気になったんで旅籠の番頭に鼻薬を効かせて聞き出したんだけど、伊織が訪ねてきたら知らせる段取りを付けてやがったんだ」
「なんだって! よくも、あたしを……」
沙月女は血相を変えて立ち上がった。
「ちょっと待て」
そのまま廊下へ向かう沙月女を鷹は呼び止める。
「しばらく様子を見ようじゃないか」
「様子を見るって……」
途惑った表情を浮かべた沙月女を、美津は意味深な笑みで見上げる。
「いきなり乗り込まれたんじゃ面食らうけど、お出ましになるのが分かってりゃ、もてなしの仕方もあろうってもんじゃないか」
火種に包先を入れて、美津はふくよかな唇を煙管の吸い口にあてがう。
「な、なるほど、そういうことかい……」
吐き出された紫の煙を見ながら、沙月女は小さく頷いた。
脇の美津と緩めた眼差しを交わすと、鷹も沙月女に口を開く。
「とにかくあんたはお蝶と出先を回る準備を進めてくれ。主だった立ち回り先は、また改めて明日伝える」
「ああ、わかった」
立ち去る沙月女の背中を見送りながら、美津は妖しい笑みを浮かべて吸いかけの煙管を鷹の口元にあてがったのである。
部屋の隅で蝋燭の炎がゆらゆらと煤を巻き上げている。
脂の乗った三十路の女体が、恥ずかしげもなく生まれたままの姿で絡み合っていた。
布団の上で仰向けになった美津に身を添わせて、鷹の右手が小刻みに震えている。
「ああ……」
煽る指を股間に受け入れながら、美津は切なげに眉を寄せて鷹の顔を見上げた。
「あんただけだよ、あたしを女にしてくれるのは。ああ……恥ずかしい、こんな小便したみたいに……」
鷹の右手に合わせて蠢く美津の尻から、布団の上に鈍い輝きの雫が伝い落ちていた。
「あんたもあたしに会いたかった?」
潤んだ瞳で美津は鷹に問いかける。
「ああ……」
「本当……?」
ぶっきらぼうに答える鷹に、美津は右手を伸ばしてみる。
「まあ……」
鷹の瞳を見つめる美津の目が一際輝いた。
自分を責める女のものが、指を差し入れた途端熱い蜜を溢れさせたからである。
美津は左手で鷹の頭を抱き寄せると、その耳に唇を寄せる。
「うれしい……。ねえ、舐め合いっこしようか? 一緒に往生したいよ」
鷹は自分のものに触れた美津の手を乱暴に引き離す。
「少し静かにしていな……」
左手でその手を押さえ付けて、鷹は美津の唇を奪った。
再び割り込んだ右手が、激しく美津の股間でうごめく。
「ん……、んぐうう!!」
みるみるその顔が悲し気にゆがみ、狂おしく犯して来る指に合わせてその柳腰が上下する。
「ふんぐうう!!」
やおら美津の裸身が反り上がって、その柔らかみにぶるぶると震えが走った。
「はあっ! ……あがあ……!!!」
息の上がった唇が離れて、美津の唇から断末魔のうめき声がほとばしる。
そして不思議なことに、美津に引導を渡した鷹も背筋をうねらせながらその身を小刻みに震わせたのである。
コメント一覧
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1. Mikiko- 2018/03/01 07:28
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す2018年3月最初の投稿で
春です!
外は嵐ですが……。
春の嵐ですよね。
二天一流。
宮本武蔵が、晩年に熊本で完成させた兵法。
右手に大太刀、左手に小太刀を用います。
春日神社の巫女の太鼓のバチさばきにヒントを得て、工夫したものとか。
なお、武蔵が真剣勝負で二刀を使ったことは、一度も無いそうです。
胴田貫。
元来、武将は鎧を着て戦ってました。
そういう戦いに使う刀には……。
肌に触れただけで斬れるような切れ味は、まったく必要ありません。
肌なんか、出てないんですから。
最も重要なのは、鉈のような頑丈さでしょう。
斬ると云うより、打撃によって動きを封じたんじゃないでしょうか。
「兜割り」と云うのも、本来の目的は「兜を割る」ことではなく……。
「兜を叩いても折れない」ところにあったのかも?
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2. 手羽崎 鶏造- 2018/03/01 10:57
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兜は割るより、合わせることの
方がキモチいいのではと思います
(経験はありませんが。)。
ねえ、管理人さま。
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3. Mikiko- 2018/03/01 19:52
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ははぁ
「兜割り」から、そっちの連想が働くのは大したものです。
わたしは、思いつきもしませんでした。
なんで、あんな場面を書いたのか、はなはだ謎です。
サイト開設当時なら、とても考えられませんでした。
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4. 八十郎- 2018/03/01 23:47
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コメントをいただき、有難うございました。
話は少々逸れますが、岡山と言えばカブトガニ。
笠岡辺りがその生息地として有名です。
この地は岡山というより福山、そして広島に近い倉敷近郊ですね。
もし将来、温暖のどかなこの地を訪うことがあれば、海辺の景色に目を向けてください。
遠浅の砂地の上に、カブトガニは幾何学的な足跡を残しております。
飲み会から帰還してお邪魔しました。
ではおやすみなさい。
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5. Mikiko- 2018/03/02 07:29
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移住候補地
岡山県笠岡市は、人口4万9千人ですが……。
隣接する広島県福山市は、人口46万4千人。
これは、大都市です。
こんな大きな市だとは思いませんでした。
海沿いですが、比較的高台の地域も多いようです。
山陽新幹線も停まりますし……。
移住候補地にリストアップします。
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6. 八十郎- 2018/03/05 19:09
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ええ!
福山は46万も住んでいらっしゃるんですね。
半年ほど暮らして感じたのは、当時もう少なかったデボネアが結構走ってて、三菱の車が目立っていました。
現場が終わって引き上げる時。
新幹線の時間待ちの間、駅裏(北側)の小さなお好み焼き屋で初めて広島風お好み焼きを食べました。(半年も居たのに・・)
おばちゃん曰く、これでも広島市とは違うんじゃけえ・・、とおっしゃいましたが、どこが違うのか分からず仕舞い。
二十年以上を経てグーグルアースで探してみると、私が担当した建物の門扉に不動産屋の看板がかかっておりました。
というような話はともかく、岡山を移住の候補地にしておられることに全く異論はございません。(福山は岡山県ではないのですが・・笑)
本当にいいところです。
長々と失礼しました。
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7. Mikiko- 2018/03/05 19:54
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お好み焼き
もう、何年食べてないか、記憶にないほどです。
新潟では、お店もほとんど見かけません。
広島風というのは、焼きそばが載ってるんでしたっけ?
岡山県、魅力的ですよね。
倉敷市(人口47万7千人)は観光地のイメージですけど、住むにはどうでしょう?