2017.12.26(火)
東中 昂(ひがしなかこう)。
料亭の主にして料理人。
その料理の腕は……。
志摩子が侍る旦那、西陣の相馬禮次郎に言わせれば、東中の料理の腕は文句のつけようもないが、料理人としては捻(ひね)くれ者。
つまりその料理は、食する者に真っすぐには対峙しない。必ず搦め手から攻め入って来る、というようなことであろうか。
志摩子は、自らの膳部の上の料理を次々と腹に収めていった。
どういう料理なのか、食材は何なのか。志摩子には、先ほどのオコゼ料理と同じく、実際に食べていながら見当もつかなかった。わかるのは……「美味しい」、それ以外の言葉は思いつかない志摩子だった。
いや、もう一つ「なんて綺麗(きれえ)な」、だった。初めて東中の料理を見たとき、志摩子がまず思ったのがそれだった。なんて綺麗(きれえ)な……。東中の料理は、まずその美麗さで志摩子を圧倒した。光り輝く様な膳部だった。
美味しい、綺麗、それらに加え志摩子の脳裡を行き交う言葉はもう一つあった。
「ええ匂い……」。
多種多様な料理から立ち上る香りに志摩子は打たれた。日本料理の匂い、香りというものは通常、さほど強いものではない。だが東中の料理群から立ち上る香りは混然一体となり、その見掛けと同様に志摩子を打ちのめした。
味覚、視覚、嗅覚。人の五感のうちの三種。この三種の感覚の総てに、東中 昂(こう)の料理は圧倒的な迫力で迫って来る。
志摩子は陶然となった。
相馬禮次郎に酌をすることも忘れ、愛想を振りまくことも無く、言葉すら無くし、志摩子はひたすら箸を動かし続けた。
「美味(うま)そうに食うのう」
掛けられた相馬の言葉に、志摩子は箸を止めた。思わず左手を見遣る。杯を手にした相馬禮次郎が、軽く笑みながらこちらを見ていた。
志摩子は我に返った。
手早く箸をおき、膳の上の徳利を手に、慌てて相馬に向かう志摩子だった。
「す、すんまへん、旦さん、どうぞ」
「ふむ」
酒を注ぎながら、志摩子は言葉も継いだ。
「ほんまに失礼してしもて……」
「そないに謝る事でもないがな」
注がれた酒を軽く空けた相馬は、そのまま手の杯を突き出した。
「ほれ、あんたもやんなはれ」
「おおきに」
徳利を置いた志摩子は、両手で杯を受け取った。
相馬に習うように、注がれた酒を一気に空け、杯を返す。
「へえ、旦さん、ご返杯」
「うむ」
相馬禮次郎は酒を受けながら、志摩子に問いかけた。
「えらい勢いで食べとったのう、おまはん」
「ほんまに、すまんことどした」
「いや、あいつ、東中の料理を初めて食うたもん(者)は……たいがいそうなる」
「へえ……」
「ほんだけ、あいつの料理がすごい、ゆうことなんやろのう」
「へえ、ほんに、美味しおした」
「ほらほれで結構なこっちゃが……でや、少しは落ち着いたかいな」
「あ、へえ……」
志摩子は前の膳を見た。殆どの料理がきれいに無くなっていた。
(これ……うちがみんな食べたんやろか)
志摩子は、食が細いというほどでもないが、普段はそんなに食べることはない。まして座敷では、ほんの申し訳に箸をつける程度、ということが多かった。
(ほんまに、美味しかったなあ)
「御馳走さまでございました」
志摩子は畳に指を突き、膳に触れるほどに頭を下げた。
「ほら、結構や」
「へえ」
相馬禮次郎は、改めて志摩子を見遣り声を掛けた。
「でや、落ち着いたとこでおまはん、一差し、舞(も)うてくれるか」
「あ、へえ、もちろん舞わせてもらいますぅ」
「ただなあ、ここには音曲は何にもないんや、三味の一つも置いときゃええんやが……」
「かましまへんえ、旦さん、なんも無(の)うても舞えますよってに」
相馬禮次郎は、一度言葉を切った後に続けた。
「いや、かえって邪魔んなるかもしれんが……唄ではどないや」
「唄……旦さんがどすか」
「いや、儂やない、東中や」
「へ? 東中の旦さん……」
「せや、結構上手いもんやで、少なくとも舞いの邪魔にはならん、ちゅうのんは保証する」
「へえ……」
「でや、東中はん、やってくれるか」
相馬禮次郎は、奥の金屏風の前に端座している東中 昂(ひがしなかこう)に声を掛けた。
「よろしおまっせ」
東中はゆらりと立ち上がり、座敷を横切って相馬の横に座り直した。
志摩子も立ち上がり、こちらは逆に部屋の奥に向かう。屏風の手前数歩あたりまで進み、相馬と東中に向き直った。両腕を体側に沿って垂らし、まっすぐに立った。両の振袖が垂れ下がる。。
道代が立ち上がり、たくし上げていた志摩子の着物の裾を下した。畳の上に、志摩子の裾が絹の海を作る。その海のすぐ上には、振袖の端と、だらりの帯のやはり端が、軽く揺らいで揺蕩(たゆた)った。
道代は無言のまま、元の、屏風の端のあたりにひっそりと座した。
「ほな、小まめ……まあ、俗曲やけんどな、『祇園小唄』で頼もか。でや(どうだ)」
「あ、へえ、祇園小唄、舞わせてもらいますう」
「ほうか、ほな……東中はん、頼むで」
東中は無言、軽く顎を引いたかに見えた。
志摩子は深く膝を折ってしゃがみこんだ。が、上体は倒さず、直ぐに立てている。顔は軽く右に倒し、小首を傾げた。
両腕は胸前で交差させる。両の振袖が志摩子の上体を覆い、膝前から畳にまで垂れ下がった。
東中を見遣る。
(いつでもどうぞ)
東中の了解した様を見て取った志摩子は、そのまま立ち上がり、両手を顔の前に翳した。振袖が揺れる。だらりの帯も揺れる。
すかさず、東中が唄い始めた。
♪つきぃ(月)は~
いい声だった。渋いバリトンだった。
東中の声は、先ほどこの踊熊庵に踏み込んだ際、ひと声聞いたはずだったが、改めて感じ入る志摩子だった。
(ええお声やなあ)
(これやったら)
(※地方〔じかた〕はんの代わりに十分ならはる)
※舞踊の、伴奏を担当する者
志摩子は両の腕を左右に大きく広げた。振袖が鳥の両の翼のように広がる。
左腕をほぼ水平に横に伸ばし、右腕は肘を曲げて手を顔の前に翳した。
♪おぉぼぉろ(朧)に~
翳した右腕をまっすぐ前に伸ばしながら、横に伸ばした左腕を引き戻し、右腕に揃えて両腕を前方に伸ばした。
♪ひがぁしぃやぁま(東山)~
右肘を折り、右手を胸前に。右の振袖が大きく左に揺れる。揺れた右袖を、すかさず左手で捉えて抑えた。
抑えた右袖を左手が大きく持ち上げる。その袖を捌くように右腕が左下に直ぐに伸びる。肩から肘、肘から手首、指の先までが一直線に伸びる、その右手の指先を、左に軽く小首を傾げた志麻子の視線が捉えた。
軽く腰を落とす志摩子。
その姿勢のまま、水平に、反時計回りに体全体を回転させる。大きく揺れる左の袖とだらりの帯。頭を飾る花簪のぶらも大きく揺れる。
正面に向き直った志摩子は直ぐと立ち。左手で右袖を押さえたまま、大きく右腕を上にあげた。
♪かぁす(霞)むよぉごぉと(夜毎)の
再び左に小首を傾げる。左手が右袖を離す。二度三度、左手を前に突き出した後、両手で大きく上から下へ円を描く。左手は上から左下へ、右手は上から右下へ。
♪かがぁりぃびぃ(篝火)にぃ~
腰の前あたりで出会った左右の手を一度合わせた後、十指を上方に立て、左右の指先から肘に掛けての両腕で山の形を作る。
志摩子は大きく腰を落とした。いわゆる中腰。苦しい体勢であるが、志摩子はおくびにも出さない。その表情は軽く笑んでいる。
左に一度、右に一度、大きく頷くように首を振る。
♪ゆぅめぇ(夢)も~
中腰のまま、志摩子は今度は右手で左の袖を取った。
立ち上がる。
左腕を伸ばし、大きく下から上へ、正面から見て時計回りに回転させ、伸ばした指先が軽く畳を指す位置で止める。
右手が左の袖を取って顔前あたりまで持ち上げる。膝から上が直ぐに伸び、上体が軽く正面右側に傾く。
そのまま、瞬時静止する。視線は、伸びた左手の指先をぴたりと捉えた。
♪いざぁよう~
右手の指が開く。捉えていた左の袖が離れ大きく揺れる。
体を正面左手寄りに水平に回す。回しながら左手で右袖を捉える。
♪べにぃざぁくぅらぁ~あぁ(紅桜)~
志摩子は、更に体を時計回りに回す。殆ど後ろ向きである。
右腕をほぼ水平に伸ばす。
瞬刻の後、志摩子は逆に反時計回りに体を回した。ほぼ正面を向く。
右腕を正面に直ぐに伸ばす。掌は上向き。左の手指が捉えた右袖から、右腕の肘の辺りまでが剥き出しになった。
♪しぃのぉ(偲)ぶぅ~おもぉ(思)いぃを~
左手が右袖を離す。左右の振袖が本来の姿で垂れ下がる。志摩子は両腕を上げ、胸前で、下に向けた左右の掌を並行に揃える。左と右の掌は指一本分の長さ程に離れていた。
♪ふりぃそぉでぇ(振袖)にぃ~
志摩子は、左右の腕を後ろ腰のあたりに回す。回しながら左右の肘から先を使い、左の腕は左の袖、右の腕は右の袖を、それぞれ外から掬い上げるように持ち上げる。そのまま両袖を捧げ持つように、両腕を胸前に翳した。膝を軽く折る。小腰を屈める。
捧げた両袖を大きく正面右に振る。振りながら体全体も右へ回す。袖先が振れる。ぶらが揺れる。
♪ぎお~ぉおん(祇園)
右手を顔の右横に翳し、左手は袖を離して正面を指す。追いかけるように右手も袖を離す。左右の手を正面に。
♪こい(恋)し~ぃやぁ
身体を軽く正面左に捻る。左腕を腰のあたりで廻し、左手は右腰に。左右の手が右腰の横で揃う。
そのまま体を更に正面左へ捻る。軽く腰を落とす。
志摩子は体を水平に左右に捻る。正面左から右へ。右から左へ。左から正面へ。
♪だあらありぃのぉ
瞬時の間(ま)の後、志摩子は左右に両腕を広げ、体全体を大きく時計回りに水平に回転させた。だらりの帯が宙を掃く。
♪おぉびぃ(帯)よぉ~
いささかも揺らぐことなく一回転した志摩子は、大きく腰を落とした。屈んだまま、上体は直ぐに立てる。胸前に回した左手で右の袖を捉える。
すぐに右袖を離した左手が、正面右手に軽く伸び、宙を叩く。
志摩子の顔が、見栄を切る歌舞伎役者のように動く。見えない相手に呼び掛けるか誘うか。
視線の先は、伸ばした左手の先にあった。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/12/26 11:21
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志摩子の……
ではなく、祇園の舞妓、小まめの舞いで御座います。
その舞の初めからしまい迄を文章で表そうという大胆な試みでしたが、ものの見事に失敗で御座います。
体全体の動き、表情、腕の動き、手指の様、舞いと共に揺れ動く舞妓衣装……これらを写し取ろうと致しましたが、到底私などの手に負える作業では御座いませんでした。
最大の欠点は、管理人さんがこれまで何度も諫めて来られた「視点のブレ」です。
お読みいただければお分かりかと思いますが、踊り手(小まめ)の視点と、観客(相馬の旦さん)の視点が頻繁に入れ替わって目が回りそうです。
つまり、読み手としましては感情移入が非常にしづらい。「ええ加減にせえよ」とは、作者自身が言いたくなるところです。
大見得を切っておきながらの無様な出来。
「アホめ」とご憫笑の上、お読み飛ばしいただきますよう、お願い申し上げます。
代わりと申しましては何ですが、管理人さんに映像をUPしていただきましたので、こちらをお楽しみいただければ、と思います。
ネタ元はYouTube。何点か見つけましたが、どういうわけかみなペア、お二人で舞(も)うてはります。どうやら、能楽のシテとワキのような構成になっているようです。
通常、舞いには音曲(おんぎょく)、伴奏が入ります。
今回、これは曲者料理人、東中 昂にやらせました。
歌だけ、三味もなんも無し。ですがなかなかいい節回しのようです。
ともあれ、これで小まめの舞いはおしまい。
次回より、物語はいよいよクライマックスに突入。「志摩子の受難」「殺したいほどのあやめへの恨み」の顛末を語らせていただくことになります。
『アイリスの匣』、エッチシーンはこれがおそらく最後になりますでしょう。
次回以降を乞う!ご期待。
〔♪祇園恋しやだらりの帯よHQ〕
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2. Mikiko- 2017/12/26 19:47
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『祇園小唄』
作られたのは、昭和5(1930)年と比較的新しいです。
作詞は、長田幹彦。
もともとは小説家で、人気作家だったこともあるようです。
ほかの作詞では、『島の娘(歌・小唄勝太郎)』『天竜下れば(歌・市丸)』など。
『祇園小唄』の歌唱は、藤本二三吉(ふみきち)。
芸妓出身の歌手です。
もちろん、小唄勝太郎も市丸もしかり。
なお、小唄勝太郎は、新潟市の沼垂生まれ。
代表歌は、なんと言っても『東京音頭』。
昭和8(1933)年の発売ですが、発売当時だけで120万枚売ったそうです。
その後の累計では、2,000万枚を超えるとか。
印税契約、してたんでしょうか?
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3. ハーレクイン- 2017/12/26 21:57
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祇園小唄は昭和5年
おー、あぶねえ。なーんにも考えてませんでした。
ということは、小まめの志摩子に祇園小唄で踊らせるのはセーフ、と。
前コメ、少し長くなりすぎまして、かなり刈り込んじゃいました。
ということで、一つ付け足し。
京の花街はいわゆる「五花街」。祇園甲部、祇園東、宮川町(以上3か所はそれぞれ隣り合ってます)、先斗町、上七軒の5か所あります。
で、舞い・踊りに関しては、5か所それぞれに流派が異なります。小まめの志摩子の所属は、これまで単に祇園、祇園と書いてきましたが、小まめの舞の流派は井上流、家元は「井上万寿子」と、以前に書きました(『アイリス』#145)。
このお方は井上流の家元、井上八千代さんがモデルなんですね。で、井上流は「祇園甲部」の流派。つまり、小まめの志摩子は「祇園甲部」に所属する舞妓ということになるんですね。
井上流の家元は、代々「八千代」を名乗られるわけで、現在は五代目だそうです。
ただし、志摩子が舞妓をやってたのは昭和20年代、戦後数年というところです。この頃の八千代さんは四代目、ということになりましょうか。
東京音頭
東京ヤクルトスワローズの応援歌みたくなっちゃいました。作れよ、応援歌くらい。
一つ↓替え歌。
♪ハア~
春はよいよいちょいと桜の下でヨイヨイ
桜掻き分け 桜掻き分け真ん中で
ずずっと挿(い)れたらヨイヨイヨイ
ずずっと挿(い)れたらヨイヨイヨイ
お父(おっと)ちゃんもお母(おっか)ちゃんも
ちんこ出してまんこ出して
〔♪六甲颪に颯爽と~HQ〕
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4. Mikiko- 2017/12/27 07:30
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上七軒は……
ぽん太でしたね。
ヤクルト。
地方移転は出来ないわけね。
なお、神宮球場ですが、2020年のオリンピックでは……。
7月1日から9月20日ごろまでの約80日間、組織委員会に借用されるとか。
この間、ヤクルトはもちろん……。
高校野球の東京予選、東京六大学、東都大学も使えなくなります。
東京六大学、東都大学は、秋季リーグの日程を変えるんでしょうね。
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5. ハーレクイン- 2017/12/27 11:27
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上七軒のぽん太
「鉄舞妓」でしたが、もう登場することは無いでしょう(何でえな、出してえや;ぽん太)。
京の五花街のうち、最大は祇園甲部ですが、最古は上七軒だそうです。室町時代に、北野天満宮の再建の際に生じた廃材でお茶屋が建てられたのが始まりだとか。
春の舞踊公演、祇園甲部の「都をどり」に対し、上七軒では「北野をどり」と称します。流派は花柳流ですね。
神宮球場借り上げ
ま、ヤクルトも、少しは阪神の気持ちがわかることでしょう。
学生野球は気の毒ですが、やはりオリンピックの威光、異議は唱えられないんでしょうね。
〔♪四年経ったらまた会いましょとHQ〕
↑三波春夫『東京五輪音頭』
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6. Mikiko- 2017/12/27 19:45
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北野をどり
北野天満宮で初演されたことが名前の由来のようです。
北野天満宮は京都の神社で、大阪の北野高校とは関係ないみたいです。
阪神は、真夏に甲子園でやらずに済むから喜んでるんでないの?
冷房の入ったドーム球場とでは、消耗の仕方が相当違うでしょう。
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7. ハーレクイン- 2017/12/27 21:17
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北野高校
腹に一物、じゃないですが、わたしらにとっては何かにつけて目障りな高校です。向こうは全く眼中にもないんでしょうけど。
>甲子園でやらずに……
そうでもないよ。
この時期、地方球場での試合が結構あります。
屋根がないどころか、グラウンドの状況とか、ロッカールームの設備とか、そりゃあ劣悪だとか(いつの時代の話や)。
〔♪重いコンダラ試練の道を~HQ〕
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8. Mikiko- 2017/12/28 07:22
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腹に一物、手に荷物
今は、どこも学区制がなくなったんですかね?
新潟の県立高校も、全県一区になりました。
しかし!
新潟の中学生に言いたい。
近隣の高校に行きなされ。
遠方の学校は、冬場、まともに通えませんよ。
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9. ハーレクイン- 2017/12/28 10:39
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学区制
こちらも無くなりました。
しかし「全県一区」。
かつての参院選みたいですね。
遠方の学校
そりゃあ学生寮に入るか、でなきゃ下宿ですね。
で、下宿の娘とねんごろに……。
勉強そっちのけでチョメチョメに励み、大学受験はあえなく落選?
あとは「ヒモ道」一直線。
〔♪ゆくが男のど根性~HQ〕
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10. Mikiko- 2017/12/28 21:26
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新潟県内で……
学生寮のある公立高校は、県立国際情報高校だけです。
私立は、5つありますが。
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11. ハーレクイン- 2017/12/28 22:49
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学生寮
越後新潟と云えど、大学ならともかく、やはりありませんか、高校の寮。
旧制高校の「寮」ときますと「どくとるマンボウ」きーた。
もう、亡くなられて何年ですかねえ。
で、北杜夫ときますと茂吉ですが……こちらはきりがおまへんので……。
〔♪真っ赤に燃える王者のしるしHQ〕
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12. Mikiko- 2017/12/29 07:32
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『どくとるマンボウ青春記』
↓面白かったです。
https://books.rakuten.co.jp/rb/1191421/
旧制松本高校(現・信州大学)で過ごした青春期。
ちなみに、太田和彦は、新制の松本深志高校卒。
田中康夫も同じです。
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13. ハーレクイン- 2017/12/29 14:46
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どくとるマンボウ
ときますと盟友、遠藤周作、狐狸庵先生です。
何を隠そう、『アイリス』の今の舞台、踊熊庵(ようゆうあん)は、一つには狐狸庵を意識して名付けたもの。狐*庵の可能性もあったわけです。
〔ハーレクイン青春記〕