2012.3.3(土)
み「ありゃ?
丸いんですけど」
律「なんか……。
マンホールの蓋みたいよね」
女1「昔は、標石が地上に出てたそうなんですけど……」
女2「今は、この蓋の下に石が納められてるんです」
女1「ほら。
こんなふうになってます」
み「開けたわけね」
女2「バール持ってますから」
み「なんで、そんなの持ってんのよ……」
女1「マンホールに入った三角点、けっこうあるんですよ」
律「どうして?」
女2「いたずら防止だと思いますけど……。
でもここのは、砂に埋まっちゃうからかも?
砂地でしたから」
み「なるほど。
そもそも、三角点なんてどこにあったの?
聞いたことないんだけど」
女1「えーっと。
今、ノート見ますね。
ありました。
新潟市の北区ですね。
松浜稲荷神社の社殿の裏です。
こんな感じのとこでした」
み「松浜ぁ?
あんなとこに、高い場所なんかないぞ」
女1「この三角点の標高は、24.21メートルですね」
み「おや、けっこう高いね。
あ、そうか。
やっぱり砂丘の上だ」
律「日本海タワーみたいな感じ?」
み「まさに新潟砂丘列の上だね。
でも、そんな高さでいいの?」
女2「相対的に高ければ大丈夫です」
み「あ、そうか。
周りが低ければ問題ないんだ。
こんな低い三角点って、ほかにもあるの?」
女1「新潟県の一等三角点は……。
本点と補点を合わせて、29箇所ありますが……」
み「ちょっとタンマ。
またわからんこと言い出したぞ。
ホンテンとホテンって何よ?」
律「本店と支店ならわかるけど」
み「要らんギャグ入れない!」
女2「本点は、全国測量の骨格として、辺長45kmごとに設置されたものです。
新潟県には、これが12箇所あります。
補点は、その後、辺長が約25kmとなるよう設置したもので……。
新潟県には、これが17箇所。
合計29箇所になります」
み「なるほど。
続けてちょうだい」
女1「で、松ヶ崎は……」
み「ちょっとタンマ」
律「自分だって、待ったばっかりじゃないの」
み「ゴメン。
1回だけ許して。
マツガサキって何よ?」
律「マツカサゴなら知ってるけど」
み「要らんギャグ入れない!」
女1「松ヶ崎は、三角点に付けられた名前です」
み「地名ってこと?」
女1「そうです。
松の木の“松”に、山崎とかの“崎”です」
み「うーん。
松ヶ崎なんて地名、あったかな?
あ、わかった!
松ヶ崎堀の掘られたあたりだね」
律「ローカルすぎて、ついて行けないんですけど」
み「江戸時代初期まで……。
会津から下って来た阿賀野川は……。
海に出る寸前で、真西に方向を変えてたの」
↑今の地図に重ね合わせると、こんな感じ(濃い青が、昔の流路)
み「海に出れないまま、海岸線と並行に流れて……。
結局、信濃川に合流してたのよ」
律「なんでまた?」
み「新潟の海際には、砂丘が屏風のように聳えてたから。
砂丘に阻まれて、海に出れなかったってわけ」
律「またしても、新潟砂丘か……」
み「そんな流れ方してるから、頻繁に洪水を起こしたわけ。
で、バイパスとなる排水路を掘ることにした。
これが、松ヶ崎堀。
松ヶ崎の“崎”は、入道崎の“崎”なんかと一緒で……。
山や丘が突き出た先端のことだと思う。
海辺の『松浜』に対し、小高く岬みたいに高くなった場所ってことだね。
つまり砂丘だよ」
律「その砂丘を崩して、海への排水路を作ったわけ?」
み「そう」
律「大事業じゃない?」
み「砂地だから、そんなに大変じゃなかったみたいだよ。
出来たのが、1730年(享保15年)。
もっとも、常に水を流すつもりはなかったんだ。
新潟の町が反対してたしね」
律「なんで?」
み「もしも阿賀野川の水が来なくなったら……。
湊が浅くなるからだよ。
川港にとっては、死活問題」
↑新潟湊絵図
律「それで反対したのか……」
み「もともと、仲は良くなかったんだけどね。
松ヶ崎のあたりは新発田藩で、新潟の町は長岡藩だったから。
で、結局……。
洪水が起きたときだけ、松ヶ崎堀から排水するという取り決めになった。
でも……」
律「でも?」
み「そんな都合のいい取り決めを……。
自然はあざ笑った」
律「わはは」
み「先生が笑わなくていいの!」
律「結局どうなったのよ?」
み「翌年の雪解け水で、松ヶ崎堀はあっけなく決壊。
阿賀野川の本流が、真っ直ぐ海に出てしまったのよ。
これが、今の阿賀野川の河口」
律「ひえ~」
み「新潟の町は、すぐに川筋を戻せと迫ったけど……。
そんなことは、もう不可能だった。
雪解け水は、砂丘を崩しながら広がり……。
あっという間に、川幅が数百メートルになってしまったからね。
今の土木技術を持ってしても、あの川筋を元に戻すことは至難の業だと思うよ」
律「阿賀野川の河口が、人工的に造られたものだったなんて、初めて知った」
み「西に蛇行していた昔の流れは……。
通船川として、僅かに残ってる」
↑濃い青が、通船川
み「今は、用水路みたいな川になっちゃってるけど……」
み「阿賀野川の本流だったころは……。
幅が600メートルもあったんだよ」
↑現在の阿賀野川河口付近(川幅920メートル)
み「あれ、何の話してたんだっけ?」
律「話の腰ばっかり折ってるから、わからなくなるのよ。
松ヶ崎みたいに低い場所の三角点は、ほかにもあるのかって聞いてたんでしょ」
み「あ、そうか。
ゴメンゴメン。
続けてください」
女1「リストを見ると……。
本点の中では、松ヶ崎が一番低いですね。
でも、補点にはもっと低いところがあります」
み「どこよ?」
女1「上越市にある黒井というところです。
高さは、4.9メートル」
み「上越市も、合併で大きくなっちゃったからね。
どのあたりだろ?」
女1「旧柿崎町ですね」
女1「地図で云うと……。
このあたり」
み「黒井も地名なんだね。
JRの駅もある。
でも、4.9メーターってのは、いくらなんでも低すぎない?」
女2「実はそこも見てきたんです。
黒井神社の境内の裏に……」
女2「綺麗な三角点がありました」
女1「でも……。
周りに住宅が建ったり、樹木が茂ったりして……。
ほとんど見通しが利かないみたいですね」
み「国土地理院も……。
三角点が見えなくなるから家を建てるな、とは言えんわな」
女2「北側のビルの屋上に、偏心点が設けられてるようです」
律「なによそれ?
ビルの屋上で、変身するの?」
み「違うと思います。
話を聞きましょう」
女2「三角点からの測量が難しい場合、偏心点という補助点を設けて測量を行うんです。
通常は、測量のときだけ設置されて、測量終了後には撤去されます。
でも近年、三角点近くに建物が建つなどして、見晴らしが悪くなるケースが増え……。
偏心点が、そのまま残されるようになってきたんです」
律「ところでさ。
あなたたち、なんで三角点なんかに興味持ったの?」
み「だよね。
ぜひ聞きたい。
専攻は、地学かなんか?」
女1「ぜんぜん違います。
人文学部です」
み「理系と正反対じゃない。
よく、三角法なんて理解できたね」
女2「いちおう国立ですから……。
人文学部でも、受験科目に数学があります」
み「なるほど。
数学を理解できるだけで、尊敬に値する」
律「Mikiちゃんは、ぜんぜんダメだったみたいね」
み「中学までは、出来たの!
将来は建築家になろうと思って……。
建築雑誌まで読んでたんだから」
律「なんで突然、ダメになったのよ?」
み「高校に入学して初めての授業で、いきなり挫折した」
律「何があったわけ?」
み「わたしも頑張って、10ページくらい予習して行ったんだよ。
そしたら先生がさ……。
『最初の方は、教えるとこもありませんので』って……。
いきなり、30ページくらいから授業を始めたの。
まわりの人は、必死になって食らいついてったみたいだけどね」
律「それが真っ当な対応じゃないのよ」
み「わたしは、環境の変化に弱いの。
それでなくても、新しい環境に馴染めずに……。
毎日泣き暮らしてたんだから。
もう、毎日が一杯一杯だった。
で、数学初日のショックで……。
心がポッキリと折れました」
律「そんなにヤワな心臓には、見えないんだけどねー」
み「心臓が見えてたまるか。
死んじゃうだろ。
とにかく、ガラスのハートだったの」
律「ふーん。
って、思い切り話がずれてるじゃない。
そうそう。
どうして人文学部なのに、三角点なんかに興味を持ったわけ?」
女1「映画です」
律「三角点の映画?」
み「そんな映画、あるわけなかろ」
女2「あったんです」
み「へ?」
女1「去年(2009年)、公開された映画ですよ」
律「何て映画?」
女1「『剱岳(つるぎだけ)点の記』です」
律「聞いたことある?」
み「ないない」
律「剱岳ってのは、山の名前よね?」
女2「そうです」
律「テンノキのテンは、三角点の点?」
女2「はい」
律「ノキは?」
女1「“の”は、格助詞の“の”です。
“記”は、記録の“記”。
『点の記』とは、三角点とか水準点なんかの測量記録のことです。
国土地理院に保存されてます」
律「どんな映画なのよ?」
女1「原作は、新田次郎の小説なんです」
女1「わたし、出身も信州で……。
新田次郎と同郷なので、小説は中学生のころから読んでました。
で、去年、『剱岳 点の記』が映画化されたので……。
見に行ったんです。
この人誘って、2人で行ったんですけど……。
もう2人とも、大感動して。
終わった後、席を立てないほどでした」
女2「この人、もうタイヘンだったんですよ。
測量士になるって言い出して。
うちの理学部に地質科学科があって……。
ここを卒業すると、自動的に測量士補の資格が取れるんです」
律「どこの大学?」
女1・2「信大(しんだい)です」
み「え!
新潟大学?」
女1「いいえ、信州大学です」
み「あ、そうか。
信州大学も“シンダイ”って云うんだ」
律「神戸大も“シンダイ”って云うよ。
うちの病院に、ひとり神大出の先生がいる」
み「神戸大なら、“カンダイ”じゃないの?」
律「それを云うなら、新潟大学だって“ニイダイ”じゃない。
第一、“カンダイ”じゃ、関西大学と区別つかないでしょ。
って、また話がずれちゃったね。
ゴメン」
女2「で、この人、理学部を受験し直すなんて言い出して……」
律「ずいぶんと思いこんだものね」
女1「国土地理院に入って、三角測量の仕事がしたかったんです」
女2「でも調べてみると……。
今はGPS測量の時代で、三角測量なんて行われてなかったんです」
み「ありゃりゃ」
女2「そんなら、昔の測量官たちが設置した三角点を研究しようって……。
2人で、三角点研究会を立ち上げたわけです」
み「すご……。
でも、俄然興味が出てきたな。
その映画、どんな筋なのよ」
女1「それでは、語らせていただきます。
舞台は、明治39年。
日本の三角測量は、明治4年に工部省で始まったんですが……。
明治17年からは、管轄が陸軍に移ります」
み「なんで?」
女2「地図データは、重要な軍事機密だったからです」
み「なるほど」
女1「測量を引き継いだのは、陸軍参謀本部陸地測量部。
国土地理院の前身になります」
女1「で、明治39年当時、日本の三角測量は大方終わってました。
ただ1箇所を除いて」
律「わかった!
それが剱岳ね?」
女1「そうです。
剱岳は……。
弘法大師が、3,000足の草鞋を費やしても登れなかったという……」
女1「まさに、前人未踏の山でした。
地元では、『登ってはならない山』として畏れられていたんです」
女2「日本地図の、最後に残された空白箇所だったんですよ」
女1「一方そのころ……。
日本山岳会が結成され(明治38年10月)、剱岳への初登頂が計画されてました」
女2「それを知った陸軍は……。
山岳会に先を越されるわけにはいかんと、いきり立つんです」
律「先陣争いってわけ?」
み「いかにも軍人らしい発想だね。
大人げないのぅ」
女1「まぁ、無理もないんです。
修験者の登った山を除いて……。
日本の山はほとんど、陸軍の陸地測量部が初登頂してたんですから」
女2「で、ひとりの測量官に、至上命令が下されました」
女1「山岳会より先に剱岳へ登頂し、三角点を設置せよ!」
み「断れない……、わけよね?」
女2「軍隊ですから……。
命令です」
女1「その命を受けたのが、柴崎芳太郎という測量官」
女2「山の案内人、宇治長次郎らと共に……」
女1「剱岳初登頂を目指した男たちの物語!」
律「へー。
面白そうね。
キャストは?
柴崎という人は、誰がやったの?」
女2「浅野忠信」
み「しぶ……。
測量官のイメージ、あるね」
女1「案内人の宇治が、香川照之」
律「香川照之って、東大出でしょ?」
み「なぜか、インテリ役が来ないよね」
律「龍馬伝でも、小汚かった」
女2「あとは……。
松田龍平とか」
み「おぉ。
松田優作のせがれ」
女1「仲村トオル」
み「おぉ。
鷲尾いさ子の旦那」
み「ちなみに鷲尾いさ子は、新潟市出身」
女1「役所広司」
み「おぉ。
今や大御所ですね」
律「役所って芸名は……。
区役所勤めをしてたからなのよね」
み「どこの区役所だっけ?」
女2「千代田区です」
律「詳しいわね」
女1「ファンなんです」
律「女性陣は出ないの?」
女2「柴崎芳太郎の妻役で……。
宮崎あおい」
み「おぉ。
『フラガール』、だっけ?」
女2「それは、蒼井優です」
律「“あおい”違いね」
み「ありゃりゃ」
律「宮崎あおいは、『NANA』よ」
女1「宇治長次郎の妻役で……。
鈴木砂羽」
み「おぉ。
薫ちゃんの奥さん」
律「それは、役の中でしょ」
み「ところで、ロケはどこでしたの?」
女2「もちろん、剱岳です」
律「ほんとに登ったの?」
女1「この映画、空撮やCGは、一切使われていないんです。
俳優も撮影部隊も、山小屋やテントに泊まり込んで撮影したそうです」
女2「もちろん、地元山岳ガイドの全面支援を受けてですけど」
女1「ほんの数カット撮るために、9時間かけて現場まで歩いたりしたそうです」
律「すご……」
女2「『これは撮影ではなく“行”である』がモットーだったとか」
女1「200日もかかったそうですよ」
女2「出演者が異口同音に、『今までで一番つらい撮影だった』って言ったとか」
み「うーむ。
ますますもって見てみたい。
当然……。
あっさりとは、登れない山なわけよね?」
女1「もちろんです。
地元の人は、山を神体として畏怖してました。
剱岳は、ほかの山の頂上から参拝する山であり……。
登ることを許されない山だったんです」
女1「神の山を汚そうとする柴崎たちに……。
地元の人たちは強く反発します」
律「地元の協力を得られないってわけね」
み「それは辛いよな」
女2「さらに、人を寄せ付けない切り立った尾根」
女1「悪天候」
み「うー。
苦難の連続じゃん」
女2「ただでさえ大変なのに……。
時間も限られてるんです」
女1「近代装備を備えた山岳会より、先に登らなきゃならないわけですから」
み「で、結局、登れたの?」
女2「登れました」
女1「でも……」
み「でも?」
女2「三等三角点の重い標石を、担ぎ上げることができなかったんです」
律「じゃ、三角点は設置できなかったの?」
女1「いえ、四等三角点は設置しました」
み「なんだ、良かったじゃん」
女2「でも……」
律「また、“でも”?」
女2「四等三角点は、あくまで暫定的な扱いなんです」
女1「そのため、剱岳登頂のことは……。
公式報告書に、まったく触れられてないんですね」
女2「なので、一緒に登頂した人の名前なんかも、今もって不明なんですよ」
律「それは、おかしいんじゃないの?
だって、軍の上層部の至上命令だったわけよね。
山岳会より先に、剱岳に登頂せよってのはさ。
柴崎は、それを成し遂げたわけでしょ」
み「そうか。
当然、軍の公式報告書には……。
陸地測量部隊が、剱岳初登頂に成功したと書かれてしかるべき」
女1「それには、わけがあるんです」
律「どんなわけよ?」
女2「剱岳に初登頂したのが……。
柴崎たちじゃないってことがわかったんです」
み「どういうこと?」
女1「頂上に……。
錫杖が置いてあったんです」
律・み「げ」
女2「奈良時代後半から、平安時代初期のものだったとか」
律「そのころ、登った修験者がいたってこと?」
女1「そうです。
初登頂じゃないことがわかると……。
軍の上層部は、すっかり冷淡になってしまったんですね」
み「可哀想だよ。
そんなに苦労して登ったのに」
女2「でも柴崎にとっては……。
初登頂のことなんて、どうでも良かったんじゃないでしょうか」
律「どうして?」
女1「彼は……。
測量官として、三角点の設置に行ったわけですから」
律「なるほど。
勝手に先陣争いしてたのは、上層部だけだったんだ」
女2「そうですよ。
そもそも三角点ってのは……。
山の頂上にある必要は無いんですもの」
み「あ、そうか。
見晴らしのいい場所であればいいわけだよね」
女1「学校の屋上に設置されてる例もあります」
律「でもほんと……。
無事に帰れて良かったわね。
そんなバカな命令のために命を落としたんじゃ……。
勘定が合わないわ」
み「今も、剱岳山頂には四等三角点しか無いの?」
女2「いえ。
三等三角点が設置されました」
律「第二隊が、担ぎ上げたってこと?」
女1「いいえ。
設置されたのは、2004年なんです」
み「ひえ。
柴崎が登頂してから、100年以上経ってるじゃん」
女2「標石なんかは……。
ヘリで輸送したそうです」
律「なるほど」
女1「でも……。
このとき、国土地理院で作成された剱岳の『点の記』には……。」
女1「選点者として、柴崎芳太郎の名が記載されました」
女2「選点日時は、『明治40年7月13日』。
柴崎たちが登頂した日付です」
み「うぅ。
ええ話や」
改めて、しみじみと三角点に見入ってしまいます。
地上に出ている部分は、ほんの小さな石柱ですが……。
この下には、何倍もの深さに柱石が埋まってます。
それぞれの三角点には……。
それぞれの歴史が埋まってるんでしょうね。
ガ「時間で~す」
駐車場で、ガイドさんが旗を振ってます。
時計を見ると、もう出発時間。
み「やべ。
また遅刻だ」
律「急ごう」
4人そろって芝生を掛け降ります。
バスに戻ると、やはりわたしたち4人が最後でした。
4人「すいませ~ん」
ガ「はい。
みなさん、お揃いですね。
いかがでしたか?
寒風山からの眺め」
み「三千世界、まなこのうちに尽きなん!」
ガ「菅江真澄の言葉ですね。
真澄は、近江の伊吹山からの眺めに例えたそうです」
み「あ、そうか。
近江なら……。
琵琶湖が見えるわけだ」
律「干拓前の八郎潟、見てみたかったわね」
ガ「さて、秋の陽も少し傾いてきました。
ただいま、15:30分ちょうどです。
これから男鹿半島を後にして、一路秋田へ向かいます。
最後に立ち寄りますのは……。
秋田が誇る“バブルの塔”、『ポートタワー・セリオン』になります」
み「自分で言うか……」
ガ「到着は、16:20分の予定です。
今しばらく、窓外の景色をお楽しみください」
朝、秋田駅前を出発したのが、8:40分。
すでに、7時間が経過しようとしてます。
最初に降り立ったのが、鵜ノ崎海岸……。
それから、大桟橋を見て……。
男鹿水族館GAO。
豪太、可愛かったな。
入道崎で食べた石焼き鍋、美味しかったぁ。
崖の上では、思わぬハプニングもあっし……。
それから真山神社、伝承館に“なまはげ館”。
マジで怖かった。
そう言えば、隣の女には“なまはげ館”で驚かされたんだ。
思い出したら、改めて腹が立ってきた。
と思い、窓際を見ると……。
律子先生は、すでに夢の中。
妙に幼い寝顔を見せてます。
こうしてバスに揺られてると……。
まるで、今日1日の出来事が、夢のようです。
窓の外は、秋の陽がうらうらと照ってます。
「ぐが~」
後ろから、怪獣みたいな唸り声が聞こえてきました。
振り向くと……。
社長でした。
お水さんに凭れて、大イビキをかいてます。
あ、そうだ。
社長じゃなかったんだっけ。
寒風山に向かう車中で聞いた、「Funiculi Funicula」……。
スゴかったなぁ。
でも未だ、この人が“オペラ歌手”だとは、信じられん。
だって、ヒドい音程のイビキなんです。
耳元でそれを聞かされながら……。
お水さんも、爆睡してます。
思わず、頬が緩みそうな2人です。
結局、仲のいい夫婦なんだね。
三角点コンビも、可愛い寝顔を見せてます。
ありゃりゃ。
OLさんと鉄道くんまで寝ちゃってますよ。
てことは……。
起きてるのは、わたしだけかい!
ま、ガイドさんと運転手さんは起きてるようだけど。
寝てたら怖いわな。
わたしはがんばるぞ!
だって、今見てる景色は……。
もう一生見れないかも知れないじゃない。
しかも、バス料金に入ってるわけだし。
寝てたまるか!
と思いつつも……。
午後のバスの揺れは、あまりに心地よく……。
どうやら……。
逆らうことは……。
無理のようです。
「Z……、z、z」
「ほっ、ほっ、ほ」
突然、水戸黄門のような高笑いが聞こえてきました。
せっかく、人がいい気持ちで寝てるのに……。
って、ひょっとしてこれは、夢の中?
「そうじゃよ」
その声は……。
み「で、出たな、菅江真澄」
丸いんですけど」
律「なんか……。
マンホールの蓋みたいよね」
女1「昔は、標石が地上に出てたそうなんですけど……」
女2「今は、この蓋の下に石が納められてるんです」
女1「ほら。
こんなふうになってます」
み「開けたわけね」
女2「バール持ってますから」
み「なんで、そんなの持ってんのよ……」
女1「マンホールに入った三角点、けっこうあるんですよ」
律「どうして?」
女2「いたずら防止だと思いますけど……。
でもここのは、砂に埋まっちゃうからかも?
砂地でしたから」
み「なるほど。
そもそも、三角点なんてどこにあったの?
聞いたことないんだけど」
女1「えーっと。
今、ノート見ますね。
ありました。
新潟市の北区ですね。
松浜稲荷神社の社殿の裏です。
こんな感じのとこでした」
み「松浜ぁ?
あんなとこに、高い場所なんかないぞ」
女1「この三角点の標高は、24.21メートルですね」
み「おや、けっこう高いね。
あ、そうか。
やっぱり砂丘の上だ」
律「日本海タワーみたいな感じ?」
み「まさに新潟砂丘列の上だね。
でも、そんな高さでいいの?」
女2「相対的に高ければ大丈夫です」
み「あ、そうか。
周りが低ければ問題ないんだ。
こんな低い三角点って、ほかにもあるの?」
女1「新潟県の一等三角点は……。
本点と補点を合わせて、29箇所ありますが……」
み「ちょっとタンマ。
またわからんこと言い出したぞ。
ホンテンとホテンって何よ?」
律「本店と支店ならわかるけど」
み「要らんギャグ入れない!」
女2「本点は、全国測量の骨格として、辺長45kmごとに設置されたものです。
新潟県には、これが12箇所あります。
補点は、その後、辺長が約25kmとなるよう設置したもので……。
新潟県には、これが17箇所。
合計29箇所になります」
み「なるほど。
続けてちょうだい」
女1「で、松ヶ崎は……」
み「ちょっとタンマ」
律「自分だって、待ったばっかりじゃないの」
み「ゴメン。
1回だけ許して。
マツガサキって何よ?」
律「マツカサゴなら知ってるけど」
み「要らんギャグ入れない!」
女1「松ヶ崎は、三角点に付けられた名前です」
み「地名ってこと?」
女1「そうです。
松の木の“松”に、山崎とかの“崎”です」
み「うーん。
松ヶ崎なんて地名、あったかな?
あ、わかった!
松ヶ崎堀の掘られたあたりだね」
律「ローカルすぎて、ついて行けないんですけど」
み「江戸時代初期まで……。
会津から下って来た阿賀野川は……。
海に出る寸前で、真西に方向を変えてたの」
↑今の地図に重ね合わせると、こんな感じ(濃い青が、昔の流路)
み「海に出れないまま、海岸線と並行に流れて……。
結局、信濃川に合流してたのよ」
律「なんでまた?」
み「新潟の海際には、砂丘が屏風のように聳えてたから。
砂丘に阻まれて、海に出れなかったってわけ」
律「またしても、新潟砂丘か……」
み「そんな流れ方してるから、頻繁に洪水を起こしたわけ。
で、バイパスとなる排水路を掘ることにした。
これが、松ヶ崎堀。
松ヶ崎の“崎”は、入道崎の“崎”なんかと一緒で……。
山や丘が突き出た先端のことだと思う。
海辺の『松浜』に対し、小高く岬みたいに高くなった場所ってことだね。
つまり砂丘だよ」
律「その砂丘を崩して、海への排水路を作ったわけ?」
み「そう」
律「大事業じゃない?」
み「砂地だから、そんなに大変じゃなかったみたいだよ。
出来たのが、1730年(享保15年)。
もっとも、常に水を流すつもりはなかったんだ。
新潟の町が反対してたしね」
律「なんで?」
み「もしも阿賀野川の水が来なくなったら……。
湊が浅くなるからだよ。
川港にとっては、死活問題」
↑新潟湊絵図
律「それで反対したのか……」
み「もともと、仲は良くなかったんだけどね。
松ヶ崎のあたりは新発田藩で、新潟の町は長岡藩だったから。
で、結局……。
洪水が起きたときだけ、松ヶ崎堀から排水するという取り決めになった。
でも……」
律「でも?」
み「そんな都合のいい取り決めを……。
自然はあざ笑った」
律「わはは」
み「先生が笑わなくていいの!」
律「結局どうなったのよ?」
み「翌年の雪解け水で、松ヶ崎堀はあっけなく決壊。
阿賀野川の本流が、真っ直ぐ海に出てしまったのよ。
これが、今の阿賀野川の河口」
律「ひえ~」
み「新潟の町は、すぐに川筋を戻せと迫ったけど……。
そんなことは、もう不可能だった。
雪解け水は、砂丘を崩しながら広がり……。
あっという間に、川幅が数百メートルになってしまったからね。
今の土木技術を持ってしても、あの川筋を元に戻すことは至難の業だと思うよ」
律「阿賀野川の河口が、人工的に造られたものだったなんて、初めて知った」
み「西に蛇行していた昔の流れは……。
通船川として、僅かに残ってる」
↑濃い青が、通船川
み「今は、用水路みたいな川になっちゃってるけど……」
み「阿賀野川の本流だったころは……。
幅が600メートルもあったんだよ」
↑現在の阿賀野川河口付近(川幅920メートル)
み「あれ、何の話してたんだっけ?」
律「話の腰ばっかり折ってるから、わからなくなるのよ。
松ヶ崎みたいに低い場所の三角点は、ほかにもあるのかって聞いてたんでしょ」
み「あ、そうか。
ゴメンゴメン。
続けてください」
女1「リストを見ると……。
本点の中では、松ヶ崎が一番低いですね。
でも、補点にはもっと低いところがあります」
み「どこよ?」
女1「上越市にある黒井というところです。
高さは、4.9メートル」
み「上越市も、合併で大きくなっちゃったからね。
どのあたりだろ?」
女1「旧柿崎町ですね」
女1「地図で云うと……。
このあたり」
み「黒井も地名なんだね。
JRの駅もある。
でも、4.9メーターってのは、いくらなんでも低すぎない?」
女2「実はそこも見てきたんです。
黒井神社の境内の裏に……」
女2「綺麗な三角点がありました」
女1「でも……。
周りに住宅が建ったり、樹木が茂ったりして……。
ほとんど見通しが利かないみたいですね」
み「国土地理院も……。
三角点が見えなくなるから家を建てるな、とは言えんわな」
女2「北側のビルの屋上に、偏心点が設けられてるようです」
律「なによそれ?
ビルの屋上で、変身するの?」
み「違うと思います。
話を聞きましょう」
女2「三角点からの測量が難しい場合、偏心点という補助点を設けて測量を行うんです。
通常は、測量のときだけ設置されて、測量終了後には撤去されます。
でも近年、三角点近くに建物が建つなどして、見晴らしが悪くなるケースが増え……。
偏心点が、そのまま残されるようになってきたんです」
律「ところでさ。
あなたたち、なんで三角点なんかに興味持ったの?」
み「だよね。
ぜひ聞きたい。
専攻は、地学かなんか?」
女1「ぜんぜん違います。
人文学部です」
み「理系と正反対じゃない。
よく、三角法なんて理解できたね」
女2「いちおう国立ですから……。
人文学部でも、受験科目に数学があります」
み「なるほど。
数学を理解できるだけで、尊敬に値する」
律「Mikiちゃんは、ぜんぜんダメだったみたいね」
み「中学までは、出来たの!
将来は建築家になろうと思って……。
建築雑誌まで読んでたんだから」
律「なんで突然、ダメになったのよ?」
み「高校に入学して初めての授業で、いきなり挫折した」
律「何があったわけ?」
み「わたしも頑張って、10ページくらい予習して行ったんだよ。
そしたら先生がさ……。
『最初の方は、教えるとこもありませんので』って……。
いきなり、30ページくらいから授業を始めたの。
まわりの人は、必死になって食らいついてったみたいだけどね」
律「それが真っ当な対応じゃないのよ」
み「わたしは、環境の変化に弱いの。
それでなくても、新しい環境に馴染めずに……。
毎日泣き暮らしてたんだから。
もう、毎日が一杯一杯だった。
で、数学初日のショックで……。
心がポッキリと折れました」
律「そんなにヤワな心臓には、見えないんだけどねー」
み「心臓が見えてたまるか。
死んじゃうだろ。
とにかく、ガラスのハートだったの」
律「ふーん。
って、思い切り話がずれてるじゃない。
そうそう。
どうして人文学部なのに、三角点なんかに興味を持ったわけ?」
女1「映画です」
律「三角点の映画?」
み「そんな映画、あるわけなかろ」
女2「あったんです」
み「へ?」
女1「去年(2009年)、公開された映画ですよ」
律「何て映画?」
女1「『剱岳(つるぎだけ)点の記』です」
律「聞いたことある?」
み「ないない」
律「剱岳ってのは、山の名前よね?」
女2「そうです」
律「テンノキのテンは、三角点の点?」
女2「はい」
律「ノキは?」
女1「“の”は、格助詞の“の”です。
“記”は、記録の“記”。
『点の記』とは、三角点とか水準点なんかの測量記録のことです。
国土地理院に保存されてます」
律「どんな映画なのよ?」
女1「原作は、新田次郎の小説なんです」
女1「わたし、出身も信州で……。
新田次郎と同郷なので、小説は中学生のころから読んでました。
で、去年、『剱岳 点の記』が映画化されたので……。
見に行ったんです。
この人誘って、2人で行ったんですけど……。
もう2人とも、大感動して。
終わった後、席を立てないほどでした」
女2「この人、もうタイヘンだったんですよ。
測量士になるって言い出して。
うちの理学部に地質科学科があって……。
ここを卒業すると、自動的に測量士補の資格が取れるんです」
律「どこの大学?」
女1・2「信大(しんだい)です」
み「え!
新潟大学?」
女1「いいえ、信州大学です」
み「あ、そうか。
信州大学も“シンダイ”って云うんだ」
律「神戸大も“シンダイ”って云うよ。
うちの病院に、ひとり神大出の先生がいる」
み「神戸大なら、“カンダイ”じゃないの?」
律「それを云うなら、新潟大学だって“ニイダイ”じゃない。
第一、“カンダイ”じゃ、関西大学と区別つかないでしょ。
って、また話がずれちゃったね。
ゴメン」
女2「で、この人、理学部を受験し直すなんて言い出して……」
律「ずいぶんと思いこんだものね」
女1「国土地理院に入って、三角測量の仕事がしたかったんです」
女2「でも調べてみると……。
今はGPS測量の時代で、三角測量なんて行われてなかったんです」
み「ありゃりゃ」
女2「そんなら、昔の測量官たちが設置した三角点を研究しようって……。
2人で、三角点研究会を立ち上げたわけです」
み「すご……。
でも、俄然興味が出てきたな。
その映画、どんな筋なのよ」
女1「それでは、語らせていただきます。
舞台は、明治39年。
日本の三角測量は、明治4年に工部省で始まったんですが……。
明治17年からは、管轄が陸軍に移ります」
み「なんで?」
女2「地図データは、重要な軍事機密だったからです」
み「なるほど」
女1「測量を引き継いだのは、陸軍参謀本部陸地測量部。
国土地理院の前身になります」
女1「で、明治39年当時、日本の三角測量は大方終わってました。
ただ1箇所を除いて」
律「わかった!
それが剱岳ね?」
女1「そうです。
剱岳は……。
弘法大師が、3,000足の草鞋を費やしても登れなかったという……」
女1「まさに、前人未踏の山でした。
地元では、『登ってはならない山』として畏れられていたんです」
女2「日本地図の、最後に残された空白箇所だったんですよ」
女1「一方そのころ……。
日本山岳会が結成され(明治38年10月)、剱岳への初登頂が計画されてました」
女2「それを知った陸軍は……。
山岳会に先を越されるわけにはいかんと、いきり立つんです」
律「先陣争いってわけ?」
み「いかにも軍人らしい発想だね。
大人げないのぅ」
女1「まぁ、無理もないんです。
修験者の登った山を除いて……。
日本の山はほとんど、陸軍の陸地測量部が初登頂してたんですから」
女2「で、ひとりの測量官に、至上命令が下されました」
女1「山岳会より先に剱岳へ登頂し、三角点を設置せよ!」
み「断れない……、わけよね?」
女2「軍隊ですから……。
命令です」
女1「その命を受けたのが、柴崎芳太郎という測量官」
女2「山の案内人、宇治長次郎らと共に……」
女1「剱岳初登頂を目指した男たちの物語!」
律「へー。
面白そうね。
キャストは?
柴崎という人は、誰がやったの?」
女2「浅野忠信」
み「しぶ……。
測量官のイメージ、あるね」
女1「案内人の宇治が、香川照之」
律「香川照之って、東大出でしょ?」
み「なぜか、インテリ役が来ないよね」
律「龍馬伝でも、小汚かった」
女2「あとは……。
松田龍平とか」
み「おぉ。
松田優作のせがれ」
女1「仲村トオル」
み「おぉ。
鷲尾いさ子の旦那」
み「ちなみに鷲尾いさ子は、新潟市出身」
女1「役所広司」
み「おぉ。
今や大御所ですね」
律「役所って芸名は……。
区役所勤めをしてたからなのよね」
み「どこの区役所だっけ?」
女2「千代田区です」
律「詳しいわね」
女1「ファンなんです」
律「女性陣は出ないの?」
女2「柴崎芳太郎の妻役で……。
宮崎あおい」
み「おぉ。
『フラガール』、だっけ?」
女2「それは、蒼井優です」
律「“あおい”違いね」
み「ありゃりゃ」
律「宮崎あおいは、『NANA』よ」
女1「宇治長次郎の妻役で……。
鈴木砂羽」
み「おぉ。
薫ちゃんの奥さん」
律「それは、役の中でしょ」
み「ところで、ロケはどこでしたの?」
女2「もちろん、剱岳です」
律「ほんとに登ったの?」
女1「この映画、空撮やCGは、一切使われていないんです。
俳優も撮影部隊も、山小屋やテントに泊まり込んで撮影したそうです」
女2「もちろん、地元山岳ガイドの全面支援を受けてですけど」
女1「ほんの数カット撮るために、9時間かけて現場まで歩いたりしたそうです」
律「すご……」
女2「『これは撮影ではなく“行”である』がモットーだったとか」
女1「200日もかかったそうですよ」
女2「出演者が異口同音に、『今までで一番つらい撮影だった』って言ったとか」
み「うーむ。
ますますもって見てみたい。
当然……。
あっさりとは、登れない山なわけよね?」
女1「もちろんです。
地元の人は、山を神体として畏怖してました。
剱岳は、ほかの山の頂上から参拝する山であり……。
登ることを許されない山だったんです」
女1「神の山を汚そうとする柴崎たちに……。
地元の人たちは強く反発します」
律「地元の協力を得られないってわけね」
み「それは辛いよな」
女2「さらに、人を寄せ付けない切り立った尾根」
女1「悪天候」
み「うー。
苦難の連続じゃん」
女2「ただでさえ大変なのに……。
時間も限られてるんです」
女1「近代装備を備えた山岳会より、先に登らなきゃならないわけですから」
み「で、結局、登れたの?」
女2「登れました」
女1「でも……」
み「でも?」
女2「三等三角点の重い標石を、担ぎ上げることができなかったんです」
律「じゃ、三角点は設置できなかったの?」
女1「いえ、四等三角点は設置しました」
み「なんだ、良かったじゃん」
女2「でも……」
律「また、“でも”?」
女2「四等三角点は、あくまで暫定的な扱いなんです」
女1「そのため、剱岳登頂のことは……。
公式報告書に、まったく触れられてないんですね」
女2「なので、一緒に登頂した人の名前なんかも、今もって不明なんですよ」
律「それは、おかしいんじゃないの?
だって、軍の上層部の至上命令だったわけよね。
山岳会より先に、剱岳に登頂せよってのはさ。
柴崎は、それを成し遂げたわけでしょ」
み「そうか。
当然、軍の公式報告書には……。
陸地測量部隊が、剱岳初登頂に成功したと書かれてしかるべき」
女1「それには、わけがあるんです」
律「どんなわけよ?」
女2「剱岳に初登頂したのが……。
柴崎たちじゃないってことがわかったんです」
み「どういうこと?」
女1「頂上に……。
錫杖が置いてあったんです」
律・み「げ」
女2「奈良時代後半から、平安時代初期のものだったとか」
律「そのころ、登った修験者がいたってこと?」
女1「そうです。
初登頂じゃないことがわかると……。
軍の上層部は、すっかり冷淡になってしまったんですね」
み「可哀想だよ。
そんなに苦労して登ったのに」
女2「でも柴崎にとっては……。
初登頂のことなんて、どうでも良かったんじゃないでしょうか」
律「どうして?」
女1「彼は……。
測量官として、三角点の設置に行ったわけですから」
律「なるほど。
勝手に先陣争いしてたのは、上層部だけだったんだ」
女2「そうですよ。
そもそも三角点ってのは……。
山の頂上にある必要は無いんですもの」
み「あ、そうか。
見晴らしのいい場所であればいいわけだよね」
女1「学校の屋上に設置されてる例もあります」
律「でもほんと……。
無事に帰れて良かったわね。
そんなバカな命令のために命を落としたんじゃ……。
勘定が合わないわ」
み「今も、剱岳山頂には四等三角点しか無いの?」
女2「いえ。
三等三角点が設置されました」
律「第二隊が、担ぎ上げたってこと?」
女1「いいえ。
設置されたのは、2004年なんです」
み「ひえ。
柴崎が登頂してから、100年以上経ってるじゃん」
女2「標石なんかは……。
ヘリで輸送したそうです」
律「なるほど」
女1「でも……。
このとき、国土地理院で作成された剱岳の『点の記』には……。」
女1「選点者として、柴崎芳太郎の名が記載されました」
女2「選点日時は、『明治40年7月13日』。
柴崎たちが登頂した日付です」
み「うぅ。
ええ話や」
改めて、しみじみと三角点に見入ってしまいます。
地上に出ている部分は、ほんの小さな石柱ですが……。
この下には、何倍もの深さに柱石が埋まってます。
それぞれの三角点には……。
それぞれの歴史が埋まってるんでしょうね。
ガ「時間で~す」
駐車場で、ガイドさんが旗を振ってます。
時計を見ると、もう出発時間。
み「やべ。
また遅刻だ」
律「急ごう」
4人そろって芝生を掛け降ります。
バスに戻ると、やはりわたしたち4人が最後でした。
4人「すいませ~ん」
ガ「はい。
みなさん、お揃いですね。
いかがでしたか?
寒風山からの眺め」
み「三千世界、まなこのうちに尽きなん!」
ガ「菅江真澄の言葉ですね。
真澄は、近江の伊吹山からの眺めに例えたそうです」
み「あ、そうか。
近江なら……。
琵琶湖が見えるわけだ」
律「干拓前の八郎潟、見てみたかったわね」
ガ「さて、秋の陽も少し傾いてきました。
ただいま、15:30分ちょうどです。
これから男鹿半島を後にして、一路秋田へ向かいます。
最後に立ち寄りますのは……。
秋田が誇る“バブルの塔”、『ポートタワー・セリオン』になります」
み「自分で言うか……」
ガ「到着は、16:20分の予定です。
今しばらく、窓外の景色をお楽しみください」
朝、秋田駅前を出発したのが、8:40分。
すでに、7時間が経過しようとしてます。
最初に降り立ったのが、鵜ノ崎海岸……。
それから、大桟橋を見て……。
男鹿水族館GAO。
豪太、可愛かったな。
入道崎で食べた石焼き鍋、美味しかったぁ。
崖の上では、思わぬハプニングもあっし……。
それから真山神社、伝承館に“なまはげ館”。
マジで怖かった。
そう言えば、隣の女には“なまはげ館”で驚かされたんだ。
思い出したら、改めて腹が立ってきた。
と思い、窓際を見ると……。
律子先生は、すでに夢の中。
妙に幼い寝顔を見せてます。
こうしてバスに揺られてると……。
まるで、今日1日の出来事が、夢のようです。
窓の外は、秋の陽がうらうらと照ってます。
「ぐが~」
後ろから、怪獣みたいな唸り声が聞こえてきました。
振り向くと……。
社長でした。
お水さんに凭れて、大イビキをかいてます。
あ、そうだ。
社長じゃなかったんだっけ。
寒風山に向かう車中で聞いた、「Funiculi Funicula」……。
スゴかったなぁ。
でも未だ、この人が“オペラ歌手”だとは、信じられん。
だって、ヒドい音程のイビキなんです。
耳元でそれを聞かされながら……。
お水さんも、爆睡してます。
思わず、頬が緩みそうな2人です。
結局、仲のいい夫婦なんだね。
三角点コンビも、可愛い寝顔を見せてます。
ありゃりゃ。
OLさんと鉄道くんまで寝ちゃってますよ。
てことは……。
起きてるのは、わたしだけかい!
ま、ガイドさんと運転手さんは起きてるようだけど。
寝てたら怖いわな。
わたしはがんばるぞ!
だって、今見てる景色は……。
もう一生見れないかも知れないじゃない。
しかも、バス料金に入ってるわけだし。
寝てたまるか!
と思いつつも……。
午後のバスの揺れは、あまりに心地よく……。
どうやら……。
逆らうことは……。
無理のようです。
「Z……、z、z」
「ほっ、ほっ、ほ」
突然、水戸黄門のような高笑いが聞こえてきました。
せっかく、人がいい気持ちで寝てるのに……。
って、ひょっとしてこれは、夢の中?
「そうじゃよ」
その声は……。
み「で、出たな、菅江真澄」