2015.3.3(火)
「ほれで蹴上はん、モノは何ですやろ、その凶器」
六地蔵が蹴上に問いかけた。
「包丁やな、細身の、柳葉や」
打てば響くように蹴上は答えた。
躍り上がるような勢いで、双子弟、伸之丞巡査が叫ぶ。
「包丁でっか、やっぱし(やはり)。え、柳葉て……一世風靡が何で……」
たちまち伸之丞は口ごもった。
柳辻巡査長が笑い混りに諭す。
「アホ、柳葉敏郎やないわ。刺身包丁の別名を柳葉包丁いうんや。刃渡りが長うて、細身。柳の葉に似とる、ゆうとっから(という所から)付いた名前らしいの。
蹴上はん、それ、刃渡り30センチはおまっしゃろ」
「おう、31センチや」
「はあー、刃ぁだけで31センチ! ほら長い。そこらのおばはんのんやったら、せいぜい15,6センチゆうとこちゃいまっか(という所でしょう)。何でそないアホみたいに長いんでっしゃろなあ」
呆れたように伸之丞が言った。
兄、波之進が答える。
「おまん(お前)は、ほんまにもの知らずやのう、伸。
刺身っちゅうのはやな、包丁の刃の根元から先っぽまで、長ぁい刃をいっぱいに使(つこ)うて引き切りにするもんや。ほれできれえて(綺麗で)美味い切り身になる。しやから、素人のもんはともかく、プロ用は刃渡りが長い」
「へえぇ、ほら知らなんだわ、波師匠。ここは素直に座布団一枚」
「お前は圓楽かい。『笑点』やないんやぞ」
双子刑事は掛け合い漫才を始めた。
「よっしゃ、そこまでや」
会議に一息入れようというのか、しばらく放っておいた六地蔵警部補がようやく止めた。
醍醐巡査が話を戻す。
「ほれにしても、刺身引くんならともかく、殺しに刃渡り一尺の刃物は使いにくいんやおませんかなあ」
「せやのう、使いにくいやろのう。相手は魚やのうて人間やからのう」
漫才の続きのように受けた柳辻巡査長に、六地蔵が慎重に、言葉を選ぶように声を掛ける。
「まあ、確かに殺しには不向きかもしれん。
ちゅうことは(ということは)や、ホシにとっては使い慣れてるもん使(つこ)たか……。ほの(その)場合、ホシはプロの料理人ゆうことになるかのう。
ほんでも、いま波が言うたように、刺身包丁はプロの料理人に使わしたら引くもんや、突くゆうことはないわのう」
考え込む六地蔵の話を、相方の醍醐巡査が引き取る。同じように慎重な口調である。
「せやなかったら(そうでなければ)……。ホシが料理のプロかアマかはわかりまへんけど、とっさに手近にあるもん使(つこ)た……」
山科巡査部長が続ける。相変わらず、唸るような口調である。
「ふん。せやとすると、どこで刺したかが問題になるのう。プロ用の刺身包丁てなもん、そこらに転がっとるもんやないやろ」
「ほの場合、計画性はなかった。それこそとっさの、はずみの犯行やった、ゆうことになるのう」
柳辻巡査長が慎重に受けた。双子弟、伸之丞巡査がまとめるように発言する。
「ちゅうことは(ということは)プロの料理人やったら確信犯、せやなかったらはずみの犯行、ゆうことでっか。これぁ、だいぶ罪がちご(違)てきますなあ」
「アホ、裁判の心配までしてやる義理は儂らにはないやろが」
双子兄、波之進巡査がツッコんだ。
蹴上が声を上げる。
「もいっこ(もう一つ)言(ゆ)うとくとやな。さっきの、刺した後に刃物を捻るゆう話やけんど、凶器からもおんなし(同じ)こと言える。ほれ、被害者の肋骨が削れられとったやろ。ほれに該当する位置で、凶器の刃(は)ぁがちびっと欠けとるわ」
蹴上が息を継いだ。
六地蔵が、逆に息を吐き出しながら応じる。
「ほうでっか……」
六地蔵にも、他の五人の刑事にも、頭の中に少しずつ犯人像が出来上がっていくようであった。
蹴上が改めて声を張り上げる。
「で、や(それで)、厨房以外の建物(たてもの)内やけんど……」
蹴上は「花よ志」の各部屋。客用の座敷、仲居や板場の人間の休憩部屋、住込みの従業員の部屋……廊下や厠に至るまでの検査結果を刑事たちに伝えた。徹底した懇切丁寧な仕事ぶりであった。
鑑識主任、蹴上大(ひろし)の眼をすり抜ける事件情報があろうとは思えなかった。
「なあんもない(無い)わ、なん(何)も出んかった。ほんまに綺麗なもんや。もしほんまになんもないとすると、あのガイシャ、『花よ志』の外から運び込まれた、ゆう(と、いう)ことになるがのう……」
「そうでんなあ。せやけど、そうなるとどこ通って裏庭まで行ったか……」
六地蔵のつぶやきを最後に、室内にはしばらく沈黙が下りた。誰も発言しようとしない。しわぶき一つない。たまに手帳をめくる微かな音がするだけだが、その音がいやに大きく響いた。
六人の刑事と二人の鑑識官は、思い思いの姿勢で考え込んだ。ややあって蹴上が声を上げる。
「ま、今日のとこはあんまし(あまり)時間も無かったし、全体をざっと見ただけや。もうたてもん(建物)のうちそと(内外)の状況もわかったことやし、明日も一回調べる。徹底的にの」
天井裏や床下までも調べてやる、と言いたげな蹴上の勢いだった。六地蔵に念を押す。
「地蔵はん。あの店、まだ客、入れさせいでも(入れさせなくても)かめへん(支障ない)やろ」
「そうでんなあ。ま、客商売のことやし、いつまいでもゆう訳にも行きまへんやろけど、あと2,3日は」
「よっしゃ、明日一日でけりつける。おう英二、行くで」
若手の鑑識、東野英二の胸を漫才のツッコミのように手の甲で叩き、蹴上はそれこそ蹴り破るような勢いで部屋のドアを開け、出て行った。東野が続く。室内は六人の刑事だけになった。
仕切り直しをするように口調を改め、六地蔵は山科巡査部長に呼びかける。
「待たせましたな、山科はん」
「お、何でしたかいな」
不意を突かれたように、それでも変わらず野太い声を山科巡査部長は上げた。相方の波之進巡査がささやく。
「店のもんの事情聴取でんがな」
「じゃっし(喧しい)、だっとれ(黙っていろ)、わあっとるわい(わかっている)」
山科は波之進に吠えた。六地蔵に向き直り、話し始める。
「儂らは女将と、ほれと主に仲居連中を担当したんでっけどな……」
先ほどと同じ語り出しだったが、誰も何も言わなかった。
「まず、女将ですけんど。えーと、名前なんちゅうたかいな、波」
山科は、隣に座る波之進に向き直り、問いかけた。波之進巡査は小声で答える。
「志摩子。竹田志摩子ですわ」
「ああ。客なんかからは、お志摩、て呼ばれとるようですわ。
まあ、そないなこと(そんなこと)はどうでもよろしいんでっけど、とんでもない女ですわ、あの女将。自分とこの都合、喚き散らすばっかしで、話にも何にもなりまへん。実のあることは、なあんにも聞けまへんでしたわ」
山科巡査部長は、事情聴取の際の志摩子の様子を思い出したのか、文字通り吐き捨てるように喚いた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2015/03/03 09:13
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『アイリス』京都編。
時は1988年8月17日です。
携帯電話くんをムショ送りにしてまでこの時点に設定したのは、ついこないだのことです。
で、今回話題に少し上がった柳葉敏郎。ギバちゃんは現在、押しも押されもせぬ俳優さんですが、当時は「一世風靡セピア」のメンバーとして活躍する歌手さんでした。人気あったよー。
俳優業で注目を集めるようになるのは、この1988年ころなんですね。ですから、当時の人は「柳葉」とくると反射的に「一世風靡」だったわけです。
それから、超長寿お笑い番組「笑点」。
司会者も大喜利メンバーも幾度も交替になりました。
現在の司会者は桂歌丸ですが、1988年当時は5代目三遊亭圓楽でした。現在の大喜利メンバーの一人、“腹黒”圓楽は6代目ですね。
ちなみに、タイトルの『笑点』ですが、三浦綾子のヒット作『氷点』(1966年)をもじったものだそうです。
さて中京(なかぎょう)署の捜査会議ですが、長くなりました。刑事さんらそろそろお疲れやろ、いうことで少し端折りましょう。
蹴上主任の鑑識結果といいますか現場検証。「花よ志」内部については「なあんもない(無い)わ、なん(何)も出んかった」でおしまいです。
蹴上はん、何も出んということで、かえっていきり立っているようです。明日またやるということですが、これは鑑識の若い衆、腹きめとかなあかんようです。
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2. Mikiko- 2015/03/03 19:51
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携帯の一件で、そうとう懲りたようですね。
ツッコミどころだと思い、『一世風靡』と『笑点』については、年代を調べました。
結果、間違いなかったので、逆にわざと出したなと思いました。
でもこれでもう、時代は動かせなくなりましたね。
現場検証。
そんなに早く終わるとは……。
『花よ志』のトイレは、水洗だったんでしょうね。
昔の捜査は、さぞ大変だったろうと思いやられます。
便壷の中まで、みんな調べにゃならなかったでしょうから。
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3. ハーレクイン- 2015/03/03 21:37
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じゃなくて猪俣公章が、「一世風靡」と「笑点」に関係あるのかと、少し焦ったぜ。ただの駄洒落か。
代表作は……う~むむむむ、むうううう、えーい『女のブルース』。累計売上110万枚の大ヒット曲。歌うはもちろん演歌の星、藤圭子。これでどや!
>わざと出したな
そおだよ、悪いか(なにイキっとんねん、おっさん)。
息詰まる(?!)捜査会議の最中(“もなか”ではない、「さいちゅう」)、ちょっとした息抜きじゃ。
>現場検証。そんなに早く終わるとは……
終わらんでしょうな。
「花よ志」の部屋数が幾つあるのか、わたしも把握しておりませんが四つ、五つということはありませんでしょう(当たり前や、そこらの飲み屋やないんやから)。しかも出入りする人間の数が半端じゃない。とうてい一日二日で終わるわけありません。
が、しかし。そこはベテラン鑑識官、蹴上大の腕とお考え下さい。
>よっしゃ、明日一日でけりつける(蹴上)
気になるのは、志摩子女将の部屋。
いくら畳替えをしょっちゅうしているとはいえ、ゲロやおしっこの痕跡は当然残っていると思いますが……。
それよりも、早く終わらせたいのは捜査会議だよ。シナリオ形式の方がどれだけ楽か。
なつかしいなあ『リュック』。『アイリス』もその一部なんだけどね。
しかし、まだまだ終わりそうにありません、会議。これから店の人間の人間模様(ん?)を描写せなならんのです。あーしんど(読者、もう飽きとるで)。
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4. Mikiko- 2015/03/04 07:39
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↓終わってるでないの。
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蹴上は「花よ志」の各部屋。客用の座敷、仲居や板場の人間の休憩部屋、住込みの従業員の部屋……廊下や厠に至るまでの検査結果を刑事たちに伝えた。徹底した懇切丁寧な仕事ぶりであった。
鑑識主任、蹴上大(ひろし)の眼をすり抜ける事件情報があろうとは思えなかった。
「なあんもない(無い)わ、なん(何)も出んかった。ほんまに綺麗なもんや。もしほんまになんもないとすると、あのガイシャ、『花よ志』の外から運び込まれた、ゆう(と、いう)ことになるがのう……」
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あとは、鴨川の川ざらいでしょうか。
でも、凶器は見つかってるんだから……。
そこまでの必要は無いか。
やっぱり笑点、否、焦点は、凶器の出所でしょうね。
捜査会議より、現場での捜査場面の方が、書き甲斐があるんでないの?
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5. ハーレクイン- 2015/03/04 12:23
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↓蹴上のセリフです。
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「ま、今日のとこはあんまし(あまり)時間も無かったし、全体をざっと見ただけや。もうたてもん(建物)のうちそと(内外)の状況もわかったことやし、明日も一回調べる。徹底的にの」
……………………………………………………
要するに、引用された「徹底した懇切丁寧な仕事ぶり」というのは、今日行った検証レベルでの話ということですね。明日はさらに精度を上げて検証するわけです。
>凶器の出所
もちろん書きます。
話のポイントの一つになるでしょうね。
>現場での捜査場面の方が、書き甲斐があるんでないの
そおなんですよ。やはり刑事は「歩いてなんぼ」。使い古された言い方ですが「履き潰した靴の数が刑事の勲章」です。
早く現場に出たいなあ。
「張り込み」。いいですねえ、わくわくしますねえ。
『張り込み』は松本清張(1955年)。映画化1回、テレビドラマ化はなんと12回。短編ですが日本推理小説史上、屈指の名作です。
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6. Mikiko- 2015/03/04 19:44
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1ぺんで調べればいいのに。
ま、現場百回ですかね。
ところで、「犯人は現場に舞い戻る」という格言がありますが……。
実際のところ、犯行現場にはまず近づかないそうです。
また、テレビドラマなどで、変質的な犯罪者は、同じ犯罪を繰り返すように描かれますが……。
実際には、1度犯罪を行った後は、そのまま鳴りを潜める場合が多いとか。
その後、一生、何の犯罪も起こさない確率の方が高いそうです。
捜査場面。
そんなら、何で書かないわけ?
次回は、蹴上鑑識官の、“徹底的”な検証場面ですね。
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7. ハーレクイン- 2015/03/04 21:10
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小説では多いようですがさて、実際にはどうなんでしょうね。
捜査がひと段落し、とりあえず落ち着いた事件現場なんて、関係ない者が見ても面白くもなんともないよね。
犯人が見ると、まったく違う景色に見えるんでしょうか。
>1度犯罪を行った後は、そのまま鳴りを潜める場合が多い
えーそうなん。じゃ、連続殺人鬼なんて超珍しいということですか。「前科〇犯」なんてよく聞くけどなあ。
性犯罪者は再犯率が高いと聞いたことあります。あと、放火も繰り返す輩が多いとか。あれは愉快犯が多いからねえ。
次回シーンを勝手に決めるんじゃねえよ、捜査会議はまだ終わっとらんのだ。
途中で別シーンをはめ込むという手もあるのだが、融通のきかん性格でなあ。困ったもんだ。
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8. Mikiko- 2015/03/05 07:43
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珍しいから、歴史に残るんでしょうね。
事件は、会議室で起きてるんじゃない!
と、青島刑事なら言うでしょう。
青島刑事が着ていたモッズコートはカッコ良かったね。
でも、あれを真似てそこらのやつが着てると……。
すごく、みすぼらしいです。
会社の同僚男性に、そんな一人がいました。
彼、曰く……。
防水性も無いし、ポケットも少ない上に、浅い。
ポケットに入れてた手袋を、2回も失くしてしまった。
こんなコート、2度と買わない、だとか。
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9. ハーレクイン- 2015/03/05 15:07
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あんな刑事が実際にいたら、捜査にならんと思います。女性には騒がれて事情聴取どころじゃないだろうし、男性には反感を買うだけですね。もちろん、張り込みや尾行なんてできるわけがない。無茶苦茶目立ちます。
「事件は、会議室で起きてるんじゃない!」。これには、何ら異論はありません。わたしも早く捜査に出たいのだよ。
京都中京署の刑事連中は、おっさんとチンピラ揃い。いかにも、の集団です。ましなのは醍醐保巡査くらいかなあ(というイメージに、わたしの脳内ではなってきました)。