2014.12.30(火)
車は料亭「花よ志」の前に停車した。あやめと二人の刑事は車から降り立った。
店の前には、テレビドラマの警察ものなどでよく見かける黄色いテープが張り渡してあった。テープには「KEEP OUT 立入禁止」の文字がずらりと並んでいる。制服警官が二人、テープの前に立ち、門に背を向けていた。
若い刑事がテープに近づき、警察手帳をかざす。制服警官の一人が黄色いテープを持ち上げ、刑事に声を掛けた。
「ご苦労様です」
刑事は軽く敬礼し、身をかがめてテープを潜る。口軽刑事がそれに続く。案内するようにあやめの肩に背後から軽く手を当て、テープを潜らせた。
あやめは「花よ志」の店の前に立った。慣れ親しんだ「花よ志」の玄関前である。
先に立った若い刑事は玄関を入らず、店と通りの境をなす格子戸に沿って左へ歩いた。店の左端の小さな木戸の前に立つ。裏庭につながる細い路地の入口である。木戸は開いていた。幾度となく潜った木戸だが、今のあやめには異界への門のように思えた。
二人の刑事は無言で路地を奥に向かう。あやめは二人に挟まれ、こちらも無言で路地を辿った。路地の右側は「花よ志」の建物、左側は高い木製の塀を挟んで、隣の店が建っている。塀の高さは、人の背丈を優に超えている。手を伸ばしても塀の上には届かないだろう。見上げると、「花よ志」の建物と隣の店の屋根に挟まれ、狭い青空が覗けていた。
若い刑事が立ち止まった。その向こうはもう「花よ志」の裏庭である。あやめや幸介が野菜の皮むきを行う場所だ。刑事が振り返った。
「よろしいですか」
若い刑事が初めてあやめに声を掛けた。あやめは少し間をおいて答えた。
「へえ」
若い刑事は「花よ志」の裏庭に踏み込んだ。口軽刑事に背を押され、あやめがそれに続く。空が少し明るくなった。しかし、裏庭と鴨川の流れの境をなす塀はやはり高く、さほど視界が開けたわけではない。若い刑事の背に隠され、あやめには裏庭の様子はまだ見て取れなかった。
「よろしいですか」
先ほどと同じ言葉を若い刑事から掛けられ、あやめはぼんやりとつぶやくように返事をした。
「へえ……」
あやめの様子を伺った後、若い刑事は身を引いて、あやめの前から退いた。あやめの視界が少し明るくなった。裏庭の様子が目に入る。
あやめの視界に、白いものが入った。あやめには、何が見えているのかよくわからなかった。口軽刑事が、背後からあやめの両肩に手を掛けた。
「だいじょうぶでっか、よう見とくれやっしゃ」
「へ……へえ」
あやめは裏庭のほぼ中央にこんもりと盛りあがる、白いふくらみを見つめた。
(あれは……布地……)
(衣服だ……ドレス)
それは純白のサマードレスだった。ということは……。
「あれが……被害者さんどすか」
あやめは、絞り出すように背後の口軽刑事に問いかけた。
刑事は打てば響くように答えた。
「そうですわ」
あやめは、純白のサマードレスに包まれたふくらみをまじまじと見詰めた。
「女性……ですなあ」
「そうですわ」
「死んではるんどすか」
「そうですわ」
白一色と見えたふくらみには、よく見るとアクセントがあった。そのほぼ中央に紅の細い線が通っている。
(あれは……ベルトだろうか)
刑事が、あやめの両肩を幾度か軽く叩き、呼び掛けた。
「もうちょっと近づいて、見てもらえますやろか」
「……へえ……」
あやめは前に一歩踏み出した。続けて二歩、三歩……。足元の地面はたよりないほど感触がない。あやめは夢の中にいるような心地で歩みを進めた。
純白のサマードレスに包まれた女性の全身が見て取れた。頭を鴨川の方に、足を「花よ志」の建物に向けている。姿勢は仰向け。だが顔は横に倒しており、見下ろすあやめに横顔を見せている。
頭髪はセミロング。髪は乱れ地面に散らばっているが、長さは肩にかかるくらいであろう。両腕は体側に沿って足先の方にほぼまっすぐ伸ばされている。手指の爪には赤いマニキュアが施されていた。
ドレスの裾は膝と踝の間くらいであろう、女性の足を覆い地面に広がっている。ドレスから伸びる足先には靴がない。素足である。足指の爪には手指の爪と同色の赤いペディキュアが施されていた。ドレスの裾はさほど乱れてはいない。
白いサマードレスのアクセントは紅のベルトだけではなかった。横たわる女性の胸のほぼ中央に、もう一つ暗紅色の染みがあった。
口軽刑事が再び声を掛けてきた。
「どないですやろ、このお方に見覚えは……」
問われてあやめは、あらためて女性の横顔を見つめた。記憶を探るが見覚えは……ない。
「いえ……」
「お知り合いやおまへんか」
「へえ」
「あんさんの御親戚とか、ご友人とか……やったらすぐわからはりますわな。この店のお客はんとか云うことは、おまへんやろか」
「へえ……うちら板場のもんは、お客はんとはあんまり顔、合わせまへんのんで……」
「ああ、ほらほうでんなあ」
「すんまへん」
「いやいや、そないなこと」
あやめは刑事に問いかけた。
「刑事はん」
「なんでっか」
「あれ……血ぃどすやろか」
あやめは軽く腕を伸ばし、女性の胸にある暗紅色の染みを指差した。
「そうでんなあ」
「ほなら……刺された、と」
「ほうかもしれまへんが……。ま、詳しいことは調べてからになりまんなあ」
若い刑事が声を掛けた。
「親爺(おや)っさん、そろそろ」
「おう、せやなあ。ほな、えーと、東中はんどしたな。中で少しお話を聞かせていただけますやろか」
あやめは背後を振り返り、口軽刑事に返事した。
「へえ……」
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/12/30 08:32
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実況見分ともいいますが、これは警察が行う作業です。
現場の状況を詳しく観察し、写真を撮り、証拠と思われる物品、現場の足跡(警察用語;ゲソ痕*)などを採集していきます。実際の作業の多くは鑑識の仕事ですね。さらに、関係者への事情聴取、近隣への聞き込みなどを行います。
これらをすべてひっくるめて初動捜査というそうで、この段階で手掛かりが掴めないと、事件解決まで長引くことになりかねません。
*ゲソ痕:ゲソは料理用語で「イカの足」。下足(履き物)の意味もある。
あやめは今、この現場検証に立ち会わせられているわけです。あやめは気付いていないようですが、刑事は、現場は無論のこと、あやめの反応、立ち居振る舞いなどを鋭く観察しています。動揺していないか、逆に虚勢を張っていないか、通常でない振る舞いは見られないか、声が震えたりしていないか、こいつが犯人ではないのか……。
いかに「口軽」刑事や「若僧」刑事とは言え、そのあたりに抜かりはありません。
あ、あやめの事情聴取が始まるようです。
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2. Mikiko- 2014/12/30 12:59
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「これは警察が行う作業です」って、ほかに誰が行うんじゃい!
死体。
女性だったんですね。
てっきり、男と思ってました。
でもまだ、女性とは限らないか。
オカマという可能性もあります。
初動捜査で手掛かりが掴めない場合は……。
府警が出張ってきて、所轄に捜査本部が設置されることになります。
いわゆる、「帳場が立つ」という運びですね。
これって、フライング?
犯人が野次馬に混じって、テレビのインタビューに答えてたりすることがあります。
本人は、拒否したり逃げまわったりするのは不自然だと思い、応じるのでしょうが……。
感のいい刑事が見ると、一発であたりを付けられるそうです。
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3. ハーレクイン- 2014/12/30 14:32
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ああ、いやいや、例えばあやめも今現在、現場を「見分」していますからなあ。「参考人が現場を見ることは『実況見分』とは云いまへんで、という、まあ念の為の確認ですわ。余計な心配でしたな。
>てっきり、男と思ってました
わたしもそう思ってました。ころっと気が変わったんですね。ただでさえむさくるしい死体。少しでも華やか!であれ、という気遣いで女性にしました。
というのはウソでして、少おし事件の実態が見えて来たんですね。ほんの少しですけど。
>帳場が立つ
話を広げるためには、解決は遅くなるほうがいいわけでして。となると、府警のお出ましを願わんならんでしょうな。別にフライングではありません。フライングが生じるほど、話の筋は決まっておりませぬ。
>犯人が野次馬に混じって、テレビのインタビューに答えてたりする
放火事件ではよくあるそうですね、現場に犯人がいるケース。だもんで、火災現場では、警察が全ての野次馬を撮影するそうです。消防にはそんなヒマないもんね。
ちなみに、消防にも警察と全く同様の階級制があります。名称は無論異なります。下の方から幾つかあげますと……、
(警察官)⇔(消防官)
巡査 ⇔ 消防士
巡査部長 ⇔ 消防士長
警部補 ⇔ 消防司令補
警部 ⇔ 消防司令
てな具合ですね。
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4. Mikiko- 2014/12/30 18:44
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京都府警と云えば、狩矢警部ですね。
それをもじって、雁高警部なんてのはどうです?
いっそのこと、NY市警から出向してるペッパー警部とか。
消防指令で警部ですか。
あんまり偉くないですね。
と思ったら、もっと上の階級がありました。
(警察官)⇔(消防官)
警視 ⇔ 消防司令長
警視正 ⇔ 消防監
警視長 ⇔ 消防正監
警視監 ⇔ 消防司監
警視総監 ⇔ 消防総監
警察庁長官 ⇔ 消防庁長官
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5. ハーレクイン- 2014/12/30 22:01
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ロス市警のコロンボ警部がいいなあ。
もじって、セイロン警部とか、マドラスとか、ボンベイとか。
でも、海外からの出向組が京都に来るなんて、ありえないだろうね。
雁高警部。
北斎が、わじるし(春画、エッチな浮世絵)を書くときの号が「紫色雁高」だそうです。
この号。後に、北斎の弟子、渓斎英泉が譲り受けたとか。
警察組織には、巡査と巡査部長との間に「巡査長」というのがあります。正式な階級ではなく、なかなか巡査部長になれない古参の巡査への名誉職みたいな感じだそうです。
これに対し消防では、消防士と消防士長との間に「消防副士長」というのがあり、こちらは正式な階級です。ややこしー。