2014.3.11(火)
久美はすかさず反応した。舌で、口中の角氷をあやめの口内に送り込む。半分ほどの大きさになった角氷をあやめは受けた。
「くふ」
「むふ」
二人の唇が離れる。
あやめは気付いた。店中の客がこちらを見詰めている。
カウンターの前に佇むあのウェイトレスは、微笑んでいた。
「出るよ、久美」
「せやねえ」
二人は支払いを終え、そそくさと喫茶店を出た。再び、四条通(しじょうどおり)を西に向かう。あやめは、先ほどの客たちの視線が何処までも追いかけてくるような気がした。
あやめと久美は、南北に伸びる堀川通(ほりかわどおり)と、四条通との交差点に行きついた。この交差点を「四条堀川」という。
京都の主要な交差点は、交差する二つの通りの名称を合成して名付けられ、通常、南北方向の通り名を先にする。
であるから、この交差点の名称は原則通りであると"堀川四条"なのだが、四条通の方が大きいということで「四条堀川」ということである。
先ほどの喫茶店のある交差点も、原則に従うと"烏丸(からすま)四条"なのだが、これも実際には「四条烏丸」となっている。
堀川通は、JR京都駅付近から北に伸び、四条通と交差し、二条城や京都府庁を横に見て紫野(むらさきの)まで伸びる、これも京都有数の大通りである。
あやめと久美は「四条堀川」からさらに少し西に歩いた。阪急電車の大宮駅がある。これも地下駅である。
この駅の付近に、京都には珍しい斜めに伸びる道がある。北西から南東方向に伸びて四条通と交差する後院通(こういんどおり)である。二人は、四条通と後院通との交差点を渡って四条通を南へ横切った。
四条通を挟んで、阪急大宮駅と向かい合うように、嵐山(あらしやま)電鉄、略称嵐電(らんでん)のターミナル、四条大宮駅がある。こちらは地上駅である。
あやめと久美は自動券売機で切符を買い、改札を通って電車に乗り込んだ。一両のみ、単行の電車である。
「結構混んでるねえ」
「ほら、嵐山へ行く電車やからね」
「やっぱり、嵐山って、人気あるんやねえ」
「あやめ。あんた、たいがい京都を覚えなあかんで。料理もええけんど、京の料理人が京都を知らんでは話にならんやろ」
「せやねえ。ほらほやね。反省します」
「ふむ。素直でよろしい」
あやめと久美は目を見交わした。途端に、転げる様に笑いあう。周りの乗客の視線を集めたことに気付き、二人は車窓に目を遣った。
行き過ぎる車窓の風景は、何ということもない街中(まちなか)である。人家、工場、倉庫、学校などが立ち並び、見通しはきかない。あやめと久美は片手で電車のつり革を握り、残る片手で相手の腰を抱え、身を支え合った。
あやめは、キスをしたかった。久美も同じ思いなのだろう。二人の視線が絡み合う。互いに顔を寄せ合った。
そこに車内アナウンスが流れる。
「次はぁ、帷子(かたびら)ノ辻ぃ、帷子ノ辻でございます。北野白梅町方面はお乗り換えです」
とたんに久美が身を引いた。
「あ、降りるよ、あやめ」
「え、嵐山へ行くんやないの、久美」
「今日の目的地は嵐山やない」
「そうなん」
「ほら、降りるよ、あやめ。乗り換えや」
あやめと久美は、帷子ノ辻駅のホームに降り立った。乗ってきた電車が発車する。遠ざかる電車に背を向け、二人はホームの端まで歩いた。駅構内であるが、今まで乗ってきた線路を跨ぎ越す踏切になっている。
あやめと久美は、スキップを踏むようにレールを跨ぎ越え、向かいのホームに立つ。嵐山方面からの電車が入って来た。これも一両のみの単行電車である。こちらはすいていた。この路線を、嵐電北野線という。先ほどの路線は嵐電嵐山本線である。
あやめと久美は手を握り合い、一番後ろの座席に並んで腰かけた。座席は縦長のシートである。車窓の風景は先ほどと同じようなものであった。
電車は先ほどとは逆に、京都市内を東に向かって走る。10分ほどで終点に到着した。あやめと久美はホームに降り立つ。駅名表示は「北野白梅町(きたのはくばいちょう)」。
改札口を出た二人は、二本の大きな通りが交差する交差点の角に立った。
「駅の名前はきれいやけど、あんまり変りばえせんねえ」
「そらそや。電車はぐるっと回り道してるけど、この通りを、せやねえ、ほんの2kmも行ったら四条通や。このあたりはまだまだ街中や」
久美は「西大路通(にしおおじどおり)」という表示のある南北方向の道路の南方を指さした。
そのとき信号が変わった。西大路通が青表示になる。
「いくよ、あやめ」
久美は、あやめの手を引いて西大路通と交差する今出川通(いまでがわどおり)を横切った。そのまま西大路通を北に向かう。
二人はしばらく口をきかず、手をつないだまま通りを歩いた。口をきかなくても、つないだ手と手が会話をしていた。
10分ほど歩いただろうか。道の傍に「金閣寺(鹿苑寺)」という表示が見えた。
「あ、金閣寺。こんなとこにあるんやねえ」
「ほやけど、今日は行かんよ」
「どこへ行くのん、久美」
「前の山、見てみ」
「あ」
二人が見上げる山肌の中央あたり、樹木を伐採した跡に巨大な「大」の文字が見えた。
「大文字かあ」
「ちがうよ、あやめ」
「え、だって……」
「大文字は東山や。これは『左大文字』。山の名前は大文字山やけどね。別名、大北山」
「へえ、よく知ってるねえ、久美」
「あんたが知らなすぎるんよ。こんなん京都の常識や。料理のことやったら何でも知ってるくせにねえ」
「ふーん」
「上まで登るよ、あやめ」
「えー、こんな靴で登れるの?」
二人とも、足元は履き古したスニーカーだった。
「高々200m位や。道もきちんとしてるし。だいじょうぶ大丈夫」
あやめと久美は金閣寺の脇を通り過ぎ、大文字山への道を辿った。
「大文字焼きって、いつやったかねえ。もうそろそろやろ」
「あんなあ、あやめ。あれは正式には『五山の送り火』云うんやで。『大文字』以外に『船形』、『妙法』、『鳥居形』、ほれにここの『左大文字』。この五つやからな。船と鳥居は字やのうて絵やけど。
ほれにや、五山の送り火は八月十六日に決まっとる。ほんに常識のないおなごやなあ」
「八月十六日って、お盆やん」
「しやから、五山の送り火は、お精霊(しょらい)さん、つまり亡くなった人の霊をあの世に送り届けるための、まあ……かがり火いうことやね」
「ふううーん」
久美は真正面からあやめを見詰め、きめ付けた。
「ほんっまにあんたは、常識知らずや。高校中退のうちでも知ってんのに」
「だあって」
「だってやない。ちっとは勉強しよし」
「はぁーい」
二人は幼い子供のように、つないだ手を前後に振りながら、大文字山の山道を登って行った。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2014/03/11 10:51
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京都市街図のUP、ありがとうございます。
料亭「花よ志」は、「四条河原町」の交差点の近くですね。
嵐山電車、通称「嵐電(らんでん)」は、四条と嵐山を繋ぐ路面電車です。嵐山には阪急電車も乗り入れていますが、京都っ子にとって便利なのは何と言いましても嵐電です。ほとんどが単行の短い路線なんですが、乗車率は高い。儲かってるんやないかなあ。
左大文字をはじめとする五山の送り火。
ほんとに季節感のない話題になってしまいました。
まあ、しょうおへんわな。
八月にまた読み返して頂けたら嬉しおす。
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2. Mikiko- 2014/03/11 19:47
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ちーっと、力を抜きすぎではないのか?
『花よ志』での緊迫シーンとは、ギャップがありすぎのような気がしますぞ。
季節感は、関係おまへんでっしゃろまんねん。
『由美美弥』本編は、ずーっと夏のままです。
京福電鉄。
↓会社としては、黒字のようです。
http://response.jp/article/2013/05/01/197185.html
↓ロープウェイが人気のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=-epQTqa1-e8
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3. ハーレクイン- 2014/03/11 21:43
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あいにくですが『リュック本編』&『アイリス』は時の流れの中にいます。
それにしても、一体何語でんねん「おまへんでっしゃろまんねん」。
力を抜きすぎ。
ま、確かに。ここ数回、エッチシーンもほとんどないしなあ。
こういうのを「緩急をつける」というんですね。
緊迫シーンの連続では、書く方も読む方も疲れるではないか。
京福電鉄。
あやめさんの実家へ行く鞍馬線と、途中で分岐する叡山本線も、以前は京福だったんですが、京阪電鉄の子会社、叡山電鉄に売却されちゃいました。
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4. Mikiko- 2014/03/12 07:47
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別に無くてもよろし。
料理シーンの方がおもろおす。
あれを、もっと稠密に描いてほしいのだが。
できれば、あやめさんの料理を実際に作って、写真に撮ってもらえれば最高です。
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5. ハーレクイン- 2014/03/12 11:08
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それは面白そうですが、もう出てこないかもしれません。
ま、また気が変わるかもしれませんがね。
今まで出てきたのは二品。
「もやしの牛肉巻き」と「ブロッコリーとベーコンの炒めもの」ですが、ちょっと簡単すぎたなあ。
ま、明日はあやめさんは特別休暇。しばらく板場仕事はありまへんから、その間に思案しますかね。
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6. ハーレクイン- 2014/03/12 14:25
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あやめ料理。
えらいもんを忘れとりました。
『アイリス』#49で調理し、#50で宝田の旦那を絶句させた「タコ足の刺身」です。
あやめさんが今の立場を築き上げた、珠玉の一品ですね。
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7. Mikiko- 2014/03/12 19:53
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「タコ足の刺身」が、ぜんぜんイメージできんのです。
タコ足に見えないのなら、何に見えるのだ?
イカに見えるってのは、どうだ?
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8. ハーレクイン- 2014/03/12 20:56
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だからあ、ネタ元の映像を無くしちゃったんでね、詳しいことはわかりませんのですよ。
確かね、イボも含め皮は全部削ぎ落としてあったと思います。あと、単にスライスするのではなく、あちこちに切れ込みを入れたり、捩じったりして、美術用語の「オブジェ」みたいな感じに仕上げていたような……。
「何に見える」と言われてもねえ。見てもわからんのですよ、何なのか。
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9. Mikiko- 2014/03/13 07:26
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“飾り切り”と云うそうです。
↓タコの足の飾り切り(お刺し身)。
http://blog-imgs-69.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20140313063430ca8.jpg
↓釧路の炉端焼き『番小屋』さんの一品です。
http://turiangya.exblog.jp/tags/%E9%87%A7%E8%B7%AF%E3%80%80%E7%95%AA%E5%B0%8F%E5%B1%8B/。
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10. ハーレクイン- 2014/03/13 13:22
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ふむ。
こんな感じ……だったような気も。
タコ足には見えんでしょ。
どないでっか、宝田はん。
食べてみたいなあ。
しかし、釧路はあまりに遠い。
京か大阪で、出す店ないかなあ。
『アイリス』#50に、こんなやり取りがあります。
宝田「のう、あやめ。
このタコやけんど、どこぞで習(なろ)たんか」
あやめ「いえ、それはわたくしが……」
宝「おまはんの考えか」
あ「へえ」
宝「うーむ」
あやめさんがとぼけているのか、それともたまたま思いついたのか、そんなに珍しい刺身でもないんでしょうかね。テレビで放映してたくらいやし。
NHK『美の壺』やったかなあ。
ええ番組です。
ただ、進行役の草刈正雄はいらんと思います。うっとうしい。
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11. Mikiko- 2014/03/13 19:40
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↓こんなのもありました。
http://blog-imgs-69.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20140313172626dd6.jpg
↓タコには見えませんね。
http://blog-imgs-69.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20140313173223ba9.jpg
松山にある、たこ料理専門店『たこめし 三原』さんです。→http://blog.livedoor.jp/yossan_yumeguri/archives/2011-08.html
↓『美の壺』で該当するとしたら、この回でしょうか?
http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file256.html
最近、NHKのドキュメンタリーなんかでも、やたらと進行役を置きますよね。
俳優とかの。
見るたび、アナウンサーのナレーションだけでやってくれと思います。
あれは、放送時間を水増しするためなんでしょうかね?
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12. ハーレクイン- 2014/03/13 21:36
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やはり、タコの足の特徴はあの皮にあるんでしょうね。
だから、皮を剥いてしまうと印象が大きく異なります。
まして、フグのように薄づくりにしてしまうと、それこそ「これ……なんですやろ(『アイリスの匣』#50より。番宣終わり)」ですわね。
「たこめし三原」さんのタコ刺し。
なんか、えらく歯ごたえがありそうですね。
「美の壺」。
おおっ、これこれ。
ただし残念ながら、タコ刺しの画像がありません。
「時間の水増し」。
さあ、どうでしょう。ただ、少なくとも草刈正雄は何の意味もありません。わたしは見ません、早送りというか飛ばします。
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13. Mikiko- 2014/03/14 08:01
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衰えたとはいえ美形の名残を留めてるので、早送りすることはありません。
「うちのワイフ」は、鼻につきますが。
ま、谷啓さんの味わいを出せる人は、見つからないでしょう。
今日のテーマは、「椿」のようです。
これは見なくては。
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14. ハーレクイン- 2014/03/14 13:18
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いや、美形がどうの、ということではなくてね。
本編を紹介しようというあの小芝居がね、どうにも……。
ま、筋はNHKが作ってるんでしょうが、表現するのは役者だからねえ。
へえ、そちらでは今日放映ですか。
こちらは日曜の夜です。
テーマも違いますね。こちらの次回は「春のフラワーアレンジメント」だそうです。前回は「金沢の和菓子」でした。
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15. Mikiko- 2014/03/14 20:10
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再放送どす。
新作は、毎週金曜日、『BSプレミアム』で放送されます。
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16. ハーレクイン- 2014/03/14 21:05
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そうですな。
メインタイトルは『美の壺・選』となってます。
ええやろが、古いのを見れて。
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17. Mikiko- 2014/03/15 08:02
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大阪だけでやってるわけではありません。
↓全国放送です。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/
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18. ハーレクイン- 2014/03/15 10:29
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ナレーターは礒野佑子アナ。
どんなお方なんでしょうね。
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19. Mikiko- 2014/03/15 19:17
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↓こんな方です。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/program.html#program2009
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20. ハーレクイン- 2014/03/15 19:52
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礒野佑子アナ。
今のお方ですねえ。
(2度も修正しちまったよ、礒と佑でね)
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21. Mikiko- 2014/03/15 20:15
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コピペすれば良いのです。
●赤い椿白い椿と落ちにけり
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22. ハーレクイン- 2014/03/15 21:09
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以前にも書きましたが、なんか「反則」という気がしましてねえ。
んでも、こうなればそうも言うとれんかなあ。
●赤い椿……
いまさら、ですが碧梧桐ですよね。
これを初めて読んだとき、「それがどないやっちゅうねん」と思ったものですが、歳をとるとともにこの句の凄さが身に迫ってきます。
人は、歳を経ないと解らぬ事があるようです。
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23. Mikiko- 2014/03/16 08:21
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安易に剽窃が出来てしまうという怖さもあります。
でも、そこさえ間違わなければ、誤転記を防げる有効な手段でもあります。
赤い椿で印象的なのは……。
『椿三十郎』ですね。
もちろん、三船敏郎の方。
モノクロの映像の中、椿の花だけが真っ赤だった記憶があるのですが。
黒澤も、碧梧桐の句をどこかで意識してたんでしょうかね?
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24. ハーレクイン- 2014/03/16 09:39
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ようわからんなあ。
モノクロ映像で、なんで赤い色が出せるのだ?
そのくらいの説得力があったってことか?
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25. Mikiko- 2014/03/16 12:23
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↓『モノクロの中で赤い椿だけカラーで写す構想があったが、技術的問題で実現しなかった』そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%B8%89%E5%8D%81%E9%83%8E
見た覚えがあるんだけどなぁ。
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26. ハーレクイン- 2014/03/16 16:29
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それは、ご自分の頭の中で赤く塗ったんでしょうね。
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27. Mikiko- 2014/03/16 20:04
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赤く見えた。
それが、クロサワ映画の凄さでしょうか。
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28. ハーレクイン- 2014/03/16 20:46
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なんせ、「世界のクロサワ」ですからねえ。
で、黒澤明ときますと三船「世界のミフネ」ですねえ。
俳優・三船敏郎なくして、監督・黒澤明は語れません。
1997年ミフネ、1998年クロサワ、相次いで死去されました。
黒澤明。
代表作なんぞ絞りようもないですが、やはり「七人の侍」は外せないでしょう。
従三位・文化勲章・文化功労者・国民栄誉賞を受賞。東京都名誉都民。