2013.6.25(火)
香奈枝は、高手小手に縛られたまま部屋の中央に立っていた。薄暗い電灯の明かりが、その全身をほの暗く浮かび上がらせている。
全裸である。
いや、身に纏うものがある。
両腕を背に高く引き上げて固定し、両の乳房を上下から挟み込んで香奈枝の胸を締め付けるもの。
縄である。
麻という植物が産み出し、いずこかの、おそらく女性が紡ぎ出し、一筋の縄として編み上げた、その縄。
紡いだ人、編んだ人は、その縄の行く末を知るはずもないが、この縄は今、香奈枝の上体に絡みつき、引き絞り、あたかも蛇が獲物を絡め取るように、香奈枝を締め付けていた。
縄……。蛇……。なわ、へび、縄、蛇……。
その二つの言葉は、いつまでも漂う余韻を残して、香奈枝の脳裏を掠め、通り過ぎて行った
「香奈、ええか」
「はい、あやめさん。どうぞ……お願いします」
あやめは新しく縄を取り上げた。解き、軽く扱き、ごく自然に二重の状態にする。そして、先ほどと同様に、縄の途中に瘤を作る。瘤と瘤との間隔は、先ほどよりずっと短い。指の幅、二本分か三本分か……。
出来上がった瘤の数は、三つ。
あやめは香奈枝に歩み寄り、その胴の中央、腰骨の少し上の、上体が最も括れる部分、いわゆるウェストの位置に縄を巻きつけた。
一巻き、二巻き……。
香奈枝の体の正面、臍のあたりで、横に巻いた縄に絡ませ、結び目を作る。
あやめは一旦、縄から手を放した。香奈枝の臍のあたりから縄が垂れ下がる。三つの瘤は、香奈枝の股間のあたりで揺れていた。
これは……。
さっきの、瘤持つ蛇ではないか。
香奈枝は思う。しかし、蛇の体長は先ほどよりもずっと短い。
この蛇は……、
わたしをどうしようというのだろう。
また、噛みつくのだろうか。
また、股間に噛みつこうというのだろうか。
もう、さっきのあれは……。
あんなことを再びされたら、耐えられるだろうか。
今度こそ……。
思い惑う香奈枝に、あやめの声が掛かった。
「香奈、脚、開き」
「はい」
心中の思いに関わらず、香奈枝の体は即座に反応した。肩幅に両脚を開く。
その開いた両脚の間に縄を通したあやめは、香奈枝の背後、尻のあたりで一気に縄を引いた。
「かっ」
短い悲鳴を上げ、香奈枝は硬直した。
瘤持つ蛇は、香奈枝の股間に深々と食い込んでいた。その瘤は……。
初めの瘤は、香奈枝の陰核に噛みついた。噛みつき、押し潰し、食い切ろうとする。
「んあっ」
次の瘤は膣口に喰い込んだ。喰い込み、押し広げ、潜り込もうとする。
「ぐぅっ」
最後の瘤は肛門だ。
抉り、押し広げ、潜る。
潜る潜る潜る。香奈枝の内臓全てを喰い尽くそうとでも云う様に、深く、どこまでも深く潜り込んでゆく。
「かああああ」
香奈枝は惑乱した。
先ほどの蛇は、香奈枝の歩みと共に通り過ぎて行った。あやめに辿り着けば蛇はいなくなる。そういう希望があった。だが、この蛇は……。
だが、この蛇は、動かない。
香奈枝の股間に食い込んだまま、動かない。
鎌首を香奈枝の腹の上に擡げ、尻尾を背骨と腰骨の交点に絡ませ……。
あやめの手が背後で動いている。
香奈枝の腰に巻いた縄。その縄の、香奈枝の尻の上あたりに、蛇の尻尾を絡ませているのだ。蛇が動かないよう、香奈枝の股間に噛みついたまま動かないように、固定しようというのだ。
「いやああああ」
香奈枝は、あやめの意図を察し悲鳴を上げた。
この蛇は、永遠に私を噛み続けようと云うのだろうか。
そんなことをされては。
そんなことをされては、正気を保てるとは思えない。
そんなことがこの世にあるとは。
そんなことをされるとは。
そんなことを人にするとは。
香奈枝は、底知れない緊縛の世界に戦慄した。
恐怖さえ覚えた。
だが……。
この世界に私を引きこんだのはあやめなのだ。
あやめなのだ。
愛しいあやめなのだ。
香奈枝の脳裏を、古代ローマの詩人ウェルギリウスのイメージがよぎった。ダンテを、彼岸の国に案内するウェルギリウス。ダンテはその旅の果てに、永遠の淑女ベアトリーチェに出会うが……。
あやめはウェルギリウスなのだろうか。わたしはダンテなのだろうか。そして、ベアトリ―チェはいるのだろうか。
ダンテが訪れた地獄。その入り口の門の碑銘にはこう記されていたという。
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
……………………………………
永遠の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、
しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
一切の……望みを棄てよ。
いいだろう。
棄てよう、何もかも。
ただ、あやめさえ。
あやめさえいれば、他には何もいらない。
「あやめえっ」
香奈枝は血を吐くように叫んだ。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2013/06/25 09:52
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梅ヶ丘女子高伊豆研修所の管理人、東中あやめ。このあやめさんの若き日のエピソードをご紹介しようという『アイリスの匣』。早くも第17回を数えることになりました。
ふとしたきっかけで、あやめさんは縛りが特技、恋人を虐めるのが趣味ということになってしましました。
で、そのあやめさんが、巡り合ったばかりの恋人、若き日の香奈枝せんせを縛り始めたのが『アイリス』第8回。その後10回を重ねてようやく、あやめの香奈枝縛りは道半ばを踏破することが出来ました。
今回はその第3弾、ご存知「股縄」です。
これをかまされた香奈枝せんせ、惑乱しております、懊悩しております。わたしなどには想像するしかないのですが、そんなに気持ちいいのかなあ、という気もします、「股縄」。
ま、お話の世界ですからね。香奈枝せんせには思い切り悶え狂っていただきましょう。
で、今後予定しております縛りはあと二種類。縛り終えるまで、あと何回かかるかなあ。香奈枝せんせ、もつかなあ。
そのうち音をあげて「あやめ」を5回、叫んだりして。
今回の本文中……。
「麻という植物が産み出し、いずこかの、おそらく女性が紡ぎ出し、一筋の縄として編み上げた、その縄」
という一文(いちぶん)があります。
まさか今どき、麻縄を手で編むわけはないでしょうから、これは私の頭の中の勝手なイメージです。
もっとも農村などでは、藁縄を手で編むことはあるようです。
え、一つお詫びといいますか、言い訳といいますか。
またまたやっちゃいました。過去の偉大な作品を勝手に引用し、我が愚作に箔を付けようというさもしい魂胆。
今回は、イタリアはフィレンツェ出身の詩人にしてルネサンスの巨匠、ダンテ。ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』。
とんでもないものをパクッてしまいました。お詫び申し上げます。
しかし、『神曲』中の重要登場人物、「永遠の淑女」ベアトリーチェ。この人物に憧れるお方は日本にも多く、様々な作品に引用されています。
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2. Mikiko- 2013/06/25 19:50
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旧制第三高等学校(現京都大学)寮歌『人を恋うる歌』。
出だしを聞けば、どなたも耳にしたことがあると思います。
妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある
友を選ばば書を読みて 六分の侠気四分の熱
この歌の4番は、下記のとおり。
ああ、われダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず
実は、この“ダンテ”ですが……。
原詩は、“コレッジ”だったようです。
でも、誰もが知ってる“バイロン”“ハイネ”に対し……。
“コレッジ(イギリス詩人・コールリッジ)”は、知名度で劣ります。
というわけで、歌われるうちに、“ダンテ”に変化していったみたいなんですね。
麻縄は、ひょっとして、縄自体に陶酔作用があるのかと思いましたが……。
大麻とは、まったく別の植物のようです。
息苦しい場面が続きます。
こういうのを書いてると……。
つい、ギャグを入れたくなりませぬか?
股縄と云えば……。
どうしても、縄でうんこを拭いたという、いにしえの風習を連想します。
あれは、縄の束を、少しずつ繰りながら使ったんでしょうね。
まさか、同じところでは拭かんよな。
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3. ハーレクイン- 2013/06/25 20:42
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確かに元は“ダンテ”ではなく“コレッジ”でしたね。ただし、わたしはこのコレッジを、ダンテの別の読み方だと思ってました(全然ちゃうやんけ!)。
わああ、恥ずかしい。
●ギョエテとは俺のことかとゲーテ云ひ
という川柳があったなあ。明治期、外国人の名前は様々な読まれ方をされたようです。
上記の川柳は、明治期の小説家、斎藤緑雨の作とされています。
で、今回少し調べてみましたら、言語学者の矢崎源九郎は、その著書『日本の外来語』(1964)で、次のように書いているそうです。
「表記の上ではゴエテ、ギューテ、ギェーテ、ギューテ、ギョート、ギョーツ、ゲーテ、ギュエテ、ゲォエテ、ゴアタ、グウィーテ、ゲヱテー、ゲーテー、ゲェテー、ギョウテ、ギヨーテ、ギョーテ、ギョーテー、ギヨテー、ゴエテ、ギョテ、ギヨヲテ、ギヨオテ、ゲョーテ、ゲヨーテ、ゴエテー、ゲエテ、ギヨエテ、ゲイテ、ギョエテ、と、じつに二十九通りの書き方があるという。『ギョーテとは俺のことかとゲーテ言い』という、斎藤緑雨の川柳すらも生まれているほどである。」
麻と大麻が同じだったら、緊縛師は全員逮捕されるぞ。
そうですか、息苦しいですか。
わたしは書いていると、頭が痺れるような感じになってきます。
陶酔作用があるのかなあ。
ギャグを入れる心の余裕など、有りませぬ。
うんこ縄は、包丁で少しずつ切って使ったらしいよ。知らんけど。聞いた話や。
せやけど、こんなんでは綺麗に拭き取れんやろから、昔はこーもんを舐める云うのは大変やったやろなあ。ま、風呂で洗えばすむことなんやろけど。
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4. Mikiko- 2013/06/26 07:42
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のめり込めるってのは、うらやましい限りです。
わたしは、やたらと気が散りますね。
携帯にメールが来たりすると、つい見てしまうし。
20世紀最大の発明は、ウォシュレットじゃないでしょうか。
時間旅行が出来たとしても、過去に遡るのをためらってしまうのは……。
トイレの問題。
排泄環境は、劇的に変わりましたよね。
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5. ハーレクイン- 2013/06/26 08:35
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携帯の電源は落としとくね、わたしは。
それと、やはり夜中が一番集中できますね。昼間書くときは天井の照明は消し、窓のカーテンも閉じて部屋を薄暗くします。
家人なんかは、胡散臭そうに遠巻きにし、近寄ろうとしません。「おっさん、またなんか怪しげなことやっとんな」くらいは思ってるでしょう。
そういえば、携帯ウォシュレットなんてのがありましたね。
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6. Mikiko- 2013/06/26 21:29
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わたしは、3時46分ころ起き出しますが……。
この時期は、もう薄明るくなってます。
わたしも明るいと書けないタチなので……。
執筆中は遮光カーテンを閉め切ってます。
明かりは、電球色のLEDを付けたアームライトのみ。
笠の部分には赤いネックウォーマーを巻き、さらに光量を落としてます。
執筆時間は、55分くらい。
それ以上は、集中力が持ちまへん。
そうか。
時間旅行にも、携帯ウォシュレットを持って行けばいいのか。
でも、もし見つかった場合、説明に困るよな。
「舶来の水筒でござる」
「どうやって飲むのじゃ?
飲んでみせい」
「……」
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7. ハーレクイン- 2013/06/26 22:16
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「飲んでみせい」って言われたって、困ることなかろ。
中身はおしっこじゃなくて水じゃんか。
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8. Mikiko- 2013/06/27 07:38
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うんこが着いてると思います。
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9. ハーレクイン- 2013/06/27 08:48
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それは使い方が下手なんじゃないの。知らんけど。
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10. Mikiko- 2013/06/27 20:11
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肛門から跳ねた水は、必ずかかってると思います。
顕微鏡レベルで見れば、ぜったい着いとる。
だからこそ、ノズルクリーナーという商品が存在してるんです。
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11. ハーレクイン- 2013/06/27 20:57
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へえ、そんなのあるんですか。
なんせ使うどころか、実物を見たことすらないもんなあ。
画像は見たよ、ここで。
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12. Mikiko- 2013/06/28 07:48
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ノズルクリーナーの画像なんて、アップしてませんけど。
↓これのことですよ。
http://blog-imgs-48.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/201306280628419f6.jpg
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13. ハーレクイン- 2013/06/28 08:57
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「見たよ」は、携帯ウォシュレット本体のことです。
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14. Mikiko- 2013/06/28 20:09
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↓588回(https://mikikosroom.com/archives/2671959.html)でしたね。
http://blog-imgs-46.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20101117203647a2a.jpg
新日本海フェリーで、秋田に着いた朝のシーン。
なつかしいのも当然で、掲載は2010年11月21日。
2年7ヶ月前です。
よく覚えてましたね。
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15. ハーレクイン- 2013/06/28 22:15
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ふっふっふ。
Mikiko’s Roomは、本編はもちろん、全ての記事を記憶しておるよ(大ウソ)。
それにしても、2年と7か月か。
旅行記内では丸1日とちょっとしか経っていないんだよね。
このような真似、到底余人の成せる技ではない。
褒めてるんですよー。
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16. Mikiko- 2013/06/29 07:55
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今年度から、リフレッシュ休暇を2日取ることが義務付けられました。
土日と続けて取得することが奨励されてます。
4連休となるわけね。
この休みを使って……。
『東北に行こう!』を、最初から読みなおしてみようかな。
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17. ハーレクイン- 2013/06/29 09:07
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今日から4連休ですかあ?
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18. Mikiko- 2013/06/29 13:00
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よく聞け!
誰も、今日から休みを取るなんて言ってないだろ。
今日なんか、半日仕事をしてきたぞ。
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19. ハーレクイン- 2013/06/29 23:00
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これだけ。
本文に書くこと、なくなっちまったい。