2013.3.5(火)
あやめは、香奈枝と連れ立って大学の構内を歩いていた。手には焼酎の一升瓶を下げている。香奈枝も同様にウィスキーの大瓶を下げていた。
焼き鳥屋を出た後、ついてきたそうな浜田を追い帰し、焼き鳥屋の近くの大衆酒場に入った。ここにも新歓コンパから流れた学生たちが数人いたが、あやめと香奈枝は二人きりで閉店まで飲んだ。
その店を出て、そろそろ帰ろうか、という頃になってあやめは香奈枝に問いかけた。
「南ぃ、あんた、下宿どこなん?」
「あ、小立野(こだつの)です。郵便局の近く」
「小立野かぁ、ちょっとあるなあ。うちは橋場町や。うちの方が近い、うちにおいで」
「え、いいんですかあ」
「ええよ、もちろん。まだ飲みたりんし、外よりゆっくり飲めるやろ」
「じゃ、お邪魔しまぁす」
「酒、買(こ)うてこ」
飲んだ酒場の近くの酒屋で酒を仕入れた後、大学の構内を突っ切った方が早い、とあやめが言い、二人はぶらぶらと急な坂道を登った。もう構内であるが、特に門も塀もない。坂を上りきったあたりに、校舎が幾つか立っており、灯のついている窓も幾つかあった。
「ああ、まだ頑張ってる人もいるんですねえ」
「どやろねえ、案外、飲んでたりして」
「ほんとに皆さん。よく飲みますよねえ」
「あんたもせやろ南。
せやけど南。小立野(こだつの)やったら、大学まで結構時間かかるんちゃうの」
「そうですねえ、歩いて30~40分くらいですかね」
「ふーん、ちょっとあるねえ。自転車か単車かにしたらどうなん」
「自転車はねえ、坂道がつらいでしょ。大学の中自体、坂だらけですし。それに免許もないし」
「せやねえ。大学そのものが高台になるから、どこからどう来たって坂、上らんならんもんねえ」
「ほんとに難儀な大学ですよねえ」
「しやけど南。小立野(こだつの)からやったら、兼六園の中、突っ切ってきたらあんまり坂にはならんよ」
「そうみたいですね。でも、兼六園は夜は閉まるし、空いてる時間でも入園料取られるし、とても通学には使えませんよ」
「あ、そうか、今は有料になったんや。
確かねえ、うちが大学入ったころは、無料(ただ)やったんよ、兼六園。その翌年くらいかなあ、金取られるようになったんは。ま、100円か150円くらいやと思うけど、毎日払(はろ)たら、そらたまらんわね」
「ま、30分くらい歩いても、どってことないです」
大学構内の多くの建物を縫うように、曲がりくねった道が続く。道の両側には樹木が植わり途切れることが無い。緑に覆われたキャンパスであった。
道を歩く二人は少し坂道を下り、グラウンド脇の小道に出る。夜空を見上げたあやめが、香奈枝に肩をぶつけながら声をかけた。
「おー、南ぃ。見てみ、ええ月やで」
「あ、ほんとですね」
「“月夜野”やないの」
「あはは、そうですね」
「満月かなあ」
「いや、もう少しですね。月齢13くらいじゃないですか」
「お、月齢ときたか。なかなか言うのう、南ぃ。
いや、あんた下の名前、香奈枝やったね、香奈枝、でええかなあ」
「もちろん。香奈、でいいですよ」
「ほうか。ほな、香奈ぁ。あんた、月とか詳しいん?」
「ま、高校では地学部でしたから」
「地学部ぅ? 地学部出身が地学科やのうて、何で生物学科なん?」
「ああ、その話は少し長くなりますんで、またいずれ」
「いずれって、何だよう、勿体ぶりおって」
香奈枝は、あやめをなだめるように、あやめの視線を夜空に向けさせる。
「ほらほら、あやめさん、十三夜のいい月ですよ」
「十三夜かあ。♪青い月夜の十三夜……やな」
「何ですかあ、その歌」
「いやあ、ようは知らんけど、なんや古い歌にそんなんある。
あ、歌といえば香奈ぁ、ちょっとここで歌(うと)てみ」
「へ? 歌うって、何をですかあ」
「もう忘れたんかい。あんたさっき『がたろ』で言うてたやんか。そるべえの湖て」
「ああ、『ソルヴェイグの歌』の替え歌、『みずうみ』ですね」
「おいね。それや。歌(うと)とうみ」
「はーい」
香奈枝は、もう一度月を見上げてから、そっと歌いだした。
「♪みずうみの入り江に立てば
波がつぶやく
ここにはもう少女の頃の
君はいないと
風に舞って水に落ちた
白い帽子
濡れた服をしぼってくれた
やさしい夏
逢いたいのは
あなたよりも
そばかす気にしてた日の私
少年は鳥になれずに
大人になって
わたしは水鏡の中
私を探す
誰にもただ一度だけの
夏があるの
それは恋と気づかないで
恋した夏」
香奈枝の歌声は、天の月をめざし夜空に駆け昇って行った。歌い終えた香奈枝は、ひと呼吸おいてあやめに声をかける。
「お粗末さまでした」
「おー、これは……綺麗な歌詞やねえ。『少年は鳥になれずに大人になって』……かあ」
「いいでしょ」
「替え歌、ということは日本語の歌詞を作った人がいるわけやね。何て人?」
「さあ、そこまでは」
「ほうか。ま、知らなしゃあないな。
ほしたらお返しに、うちの好きな歌、歌(うと)たるわ」
「わあ、うれしい、お願いします。何て歌ですか」
「『比叡おろし』。京都が舞台の歌や」
あやめは一瞬唇を引き結び、歌い始める。
「♪風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれて いちご
遠い夜の街を越えて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの
胸を雪にしてしまいますえ
♪風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴をはいていたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの
胸を雪にしてしまいますえ
♪風は今夜も吹いている
死んでは駄目よといいながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京都の闇に捨てて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの
胸を雪にしてしまいますえ」
あやめの絶唱が、先ほどの香奈枝の歌声を追いかけるように夜空に消えていった。
次の瞬間、香奈枝は、体ごと正面からあやめにぶつかり、あやめの脇腹に片腕をまわして抱きしめる。
「お、ど、どないした、香奈ぁ」
「あやめさん、あやめさん、あやめさあん。お願い、抱っこして」
「おう、よしよし、こうか」
あやめも、酒瓶を持っていない方の腕を香奈枝の肩にまわし、しっかり抱きしめる。
「ね、あやめさん。背中ポンポンして」
「お、おう、こうかあ」
あやめは、香奈枝の肩に回した腕で、香奈枝の背中を何度も軽くたたく。母親が、むずかる幼児をあやすようなしぐさであった。
「香奈ぁ、キス、するよ」
「うん、して……あやめさん」
二人は初めて唇を合わせあった。
互いの存在を確かめあうような、軽くついばみ合うようなキスである。
「香奈、行こか」
「はい、あやめさん」
二人は肩を抱き合い、もつれ合い、時折唇を合わせながら、月に照らされた小道を、暗い街並みへ下って行った。
「ここや」
あやめと香奈枝は、川のほとりの道にたどり着いた。川は、『がたろ』の裏を流れる川に比べかなり水量があるが、川幅はやはりさほどはない。道から川に向かい合うと、右手にも左手にも橋が見えた。
二人は、川沿いの、古びた二階建てのアパートの前で立ち止まった。あやめは香奈枝の手を引き、アパートの中央にある、木造のギシギシときしむ古い階段を二階へ上る。階段を上りきると、やはり木張りの廊下が左右に伸びている。あやめは廊下を左に向かい、一番奥の左側のドアの前に立ち、ポケットから取り出した鍵でドアを開けた。
「ここや、入り」
あやめは、上がり框の上のスイッチを探り、電灯をつける。香奈枝の背を押して室内に招じ入れたあやめは、後ろ手でドアを閉じた。
「香奈、その酒の瓶、そこに置き」
あやめは、自らも床の上に酒瓶を置きながら、香奈枝に声をかける。香奈枝が言われた通りにした途端、あやめは香奈枝を背後から激しく抱きすくめた。
「香奈っ」
「あ、やめさんっ」
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2013/03/05 08:53
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小立野(こだつの)、橋場町(はしばちょう)、兼六園……。
前回、大学名を「K大」何ぞと書きましたが、金沢大学であることはバレバレですので、今回は懐かしい地名を書いちゃいました。
兼六園は地名ではありませんが……。水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つですね。
さらに、大衆割烹『川太郎(がたろ)』の裏を流れるのは、室生犀星の名前の由来になった「犀川」、あやめさんのアパートの裏を流れるのは、泉鏡花ゆかりの「浅野川」です。この二本の川は、金沢の象徴ともいえる川、特に犀川の美しさは“絵にも描けない”ほどですね。
浅野川は、少し暗い雰囲気があり、そういう意味ではこちらの方が金沢っぽいかもしれません。
金沢大学と兼六園は、犀川と浅野川にはさまれていることになります。
しかし、こんな個人的な趣味で書いてていいのかなあ。
今回のあやめさんの台詞に「おいね。それや、歌(うと)とうみ」というのがあります。
「おいね」は金沢弁で「そうだ」。「歌とうみ」は京都弁で「歌ってみなさい」です。
京都弁はともかく、金沢弁はほとんど記憶にありません。あと覚えているのは「理屈なねえ」かな。
これは使い方が難しいのですが、ごく普通のおばちゃんに、わたしが大学でどんな研究をやっているのかを説明したところ、嘆息とともにこの語がおばちゃんの口から洩れました。「んまあー、理屈なねえ」。
あやめさんの歌った『比叡おろし』。
知る人ぞ知る有名な歌です。
作詞・作曲は作家の松岡正剛(せいごう)氏。
各聯六行目の「あんさん」は「あなた」です。
第三聯四行目の「闇」は、一般(といっても歌ってるのは小室等と小林啓子くらいですが)には「街」と歌われる場合が多いですが、原詩では「闇」です。
希美の好きな「背中ポンポン」は、あやめ-香奈枝が始まりだったんですねえ。
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2. Mikiko- 2013/03/05 19:52
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前にも書きましたが、1度だけ行ったことがあります。
水色の鉄橋(道路橋)がかかる、大きな川があった覚えがあります。
あれが、犀川でしょうか?
川は、もう1本見ました。
1本目の川よりずっと幅が狭く、橋がたくさん架かってました。
川の両側に、細い道路が沿っていて……。
道路の反対側には、古い街並みが連なってました。
あまり綺麗な川だった記憶はありません。
確かに、少し暗い雰囲気がありました。
浅野川だったんでしょうかね?
『比叡おろし』。
知りませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=nO-_hhuSkBo
この歌では、「街」ですね。
「闇」の方が、ずっといいと思います。
深みが段違い。
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3. ハーレクイン- 2013/03/05 20:31
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犀川大橋でしょうか。色までは覚えていないからなあ。
古い街並みが連なっていた、というと浅野川でしょうか。犀川のたもと、特に東側は市内最大の歓楽街、片町・香林坊ですからねえ。西側には遊郭もあるし。
浅野川の東側には卯辰(うだつ)山という山、というより丘かな、がそびえていますから、浅野川はどうしても日陰になり、暗い雰囲気になります。
それに対して犀川は、遮るものは何もない、日の光を川面一面に浴びて、キラキラ光りながら流れています。
犀川と浅野川。いろんな意味で対照的な顔つきの2本の川ですね。
『比叡おろし』のUP、ありがとうございます。
以前は『みずうみ』もYou Tubeで聞けたんだけど、どういうわけか、削除されちゃいました。
どうも「タダでは聞かせたれへんで」てなことらしいです。
ケツの穴が狭いぞ、NHK。
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4. Mikiko- 2013/03/05 22:21
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まさに大当たり。
↓これです、これ。
http://blog-imgs-48.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/201303052210393a0.jpg
浅野川の方も、当たりみたいですね。
↓確か、こんな感じでした。
http://blog-imgs-48.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20130305221419a76.jpg
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5. ハーレクイン- 2013/03/05 23:56
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南詰ですね。
向かって右手が犀川の上流方向になります。
画像奥が片町ですね、夜になるとネオンの花盛り。
大衆割烹「川太郎(がたろ)」さんこと、「寺喜屋(てらきや)」さんは、画像右手隅方向にありますが、残念ながら画像からは外れています。
あやめと貴子は画像奥から手前に橋を渡り、香奈枝とあやめは逆に手前から奥に渡ったわけですね。
浅野川の方は……こんな道あったかなあ。
ということは、多分ですが、画像奥が下流方向、画像は浅野川右岸ということになります。右岸はあんまり歩いたことなかったんですよね。
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6. Mikiko- 2013/03/06 07:55
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↓あの画像は、主計町茶屋街というところのようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kaze3573/9149548.html
“かずえまち”って読むんですね。
加賀藩士・富田主計の屋敷があったことに由来するそうです。
でも普通なら、“富田町”になるんじゃないのか?
なんで、名前の方になったんだろ?
浅野川の左岸にあるみたいですぞ。
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7. ハーレクイン- 2013/03/06 10:19
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ついぞ足を踏み入れたことなかったなあ。
そうか、あの橋は浅野川大橋なのか。散々渡ったんだけど、なんか印象が違うなあ。
で、左岸、ということは画像奥が上流方向。
画像の道を上流方向へ向かい、浅野川大橋のたもとを過ぎてもう少し行くとと、橋場町ですね。
町の名前がなぜ“富田町”にならなかったか。
「主計(かずえ)」の方が印象的だからじゃないですか。
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8. Mikiko- 2013/03/06 19:48
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武家の主を、名前の方で呼び捨てにするってのは、失礼なんでないの?
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9. ハーレクイン- 2013/03/06 21:32
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そんなこと言ったら「富田町」だって呼び捨てじゃないの。「富田“殿”町」とは言わんだろ。
いやいやいやいやそうじゃない(だからお前は俵星かって)。
やはり同じ呼び捨てでも、名字と名前とではおのずと失礼の度合い(どんなんや)が違うか。
主計町(かずえまち)。
その方面(どの方面や)では有名な街です。
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10. Mikiko- 2013/03/07 07:31
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けっこう有名人だったのかも知れませんね。
道端で、うんこ漏らしたりとか。
きっと、町の人には好かれてたんでしょう。
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11. ハーレクイン- 2013/03/07 10:20
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茶屋街として知られる街ですが、その対岸の浅野川右岸には「ひがし茶屋街」と呼ばれる茶屋街があります。
さらに、犀川左岸には「にし茶屋街」があります。寺喜屋さんの近くですね。
いずれも、江戸時代に始まる歓楽街。当時の金沢は「殷賑を極め」た遊興都市であり消費都市だったんでしょうね。
主計くんが町の人に好かれていたのか、石でも投げられていたのかは、今となってはわかりません。