2013.1.31(木)
ローキャビネットの上の置時計が午後2時を廻って、優美と奈緒子は食後のお茶ならぬワインを飲みながら、楽しいお喋りの時間を過ごしていた。
電話は思ったより早く、バザーの二日後にかかってきた。
そしてその翌日のお昼には、奈緒子が優美の家を訪れたのである。
「ご主人にどうぞ。」と奈緒子が持ってきた二本のワインのうち一本を開けて、優美が作ったパエリアを食べた。
楽しかった。二人は色んなことを話した。
生い立ちのこと。今の生活のこと・・・。
そしてワインの酔いが心地よく全身を包んだ頃、会話の合間に少しずつ静寂が漂うようになっていた。
「お家の中、きれいにしてらっしゃるのね。えらいわ・・・。」
奈緒子は改めて部屋の中を見回して言った。
「いやだ、今日はあなたがいらっしゃるからきれいにしてるのよ。掃除も午前中にしたし、洗濯物も朝から干して昼前には取り込んじゃったの。いつもは子供が散らかしちゃって、ごみ箱をひっくり返した様にしてる時もあるのよ。」
「優美さんってほら、キャンディーズの、あれ誰だっけ・・・? この前までちゅらさんのお母さん役やってた人・・・。」
「あはは、いやだ、田中好子?」
「そうそう、似てるって言われない?」
優美は返事の代わりに鼻先で笑ってみせた。
「料理も上手だし、女らしくて綺麗で、ご主人はお幸せよね。」
奈緒子は居間のソファーから立ち上がると、庭に面した窓から外を眺めた。
風に乗って上品なコロンの香りが漂って来る。
優美は立っている奈緒子を見た。
バザーの日とは違って、休日の奈緒子は白いTシャツにジーパン姿である。
肩までかからないショートヘアーとよくマッチして、陸上で鍛えた奈緒子の健康的な魅力に優美は羨望を覚えた。
「私なんか専業主婦であか抜けないし、スタイルだって悪いし・・・。奈緒子さんにそんなこと言われると、皮肉言われてるみたいで何だか落ち込んじゃうわ・・・。」
アルコールの勢いもあり、半分は冗談半分は本気で優美は呟いた。
「あら、どうして? わたし本当にそう思ってるのよ。」
奈緒子は庭の鉢植えに目を通しながら答えた。
優美は少し意地悪な気持ちになり、部屋の中を向いたまま黙ってワインを口に運ぶ。
奈緒子は慌てた感じで近づくと、優美のソファーの横に座った。
「本当よ。本当にそう思ってるの。でも気に障ったのならごめんなさい・・・。わたしと生活も違うし、だからもちろん考え方も違う。これは仕方ないことでしょう? 本当にそう思ったんだから・・・。」
優美は奈緒子の慌て方が少し可笑しくなっていた。
それにも気づかない奈緒子は訴えるように続ける。
「あなたは私と違って、色も白いしお肌だってきれい。目も二重でパッチリしてるし、ふっくらとして女らしいわ。家事も何だって出来て羨ましい・・。」
奈緒子の口調には、子供が大人に言い訳する様なぎこちない雰囲気があった。
さすがに優美は芝居するのが気の毒になり、ちょっと悪戯っぽく笑いながら奈緒子の方を向いた。
その時、思いもかけず奈緒子の顔は優美の近くにあった。
奈緒子の切れ長の目が透き通るように優美を見つめていた。
“ああ、いけない。”
その刹那、優美はすでに思った。
すでに・・・?
優美の顔から潮が引くように笑みが消えた。
“お願い、もうやめて。”
しかし優美は奈緒子を見つめたまま動けなかった。
奈緒子の顔は優美の鼻先から5センチと離れていなかった。
その唇が微かにほころんだ様に見えた。
「本当よ・・・。」
奈緒子の言葉の甘い息を感じると同時に、優美の唇は同性の唇に塞がれた。
その瞬間、唇のめくるめく様な感触と何かが背筋を震えながら駆け上る感覚で、優美は身をのけ反らせた。
“ああ、だめっ!”
優美は思わず奈緒子との間に両手を突っ張り、顔を俯かせて彼女の唇から逃げた。
“こんな事だめ。"としか頭の中で考えられなかった。
奈緒子は優美の肩から背中を左手で抱き、右手で左腕を引き寄せるようにしながら、うつむいた優美の唇を求めて来た。
「あなたが好きなの。本当よ。我慢できなかったの。本当に好きなの。」
奈緒子は熱っぽくそう囁きながら優美を抱きすくめ、首を振って逃げる唇を求め続ける。
熱い吐息が優美の耳や頬に吹きかかった。
「好きよ。ごめんなさい、本当に好き。」
奈緒子のそんな忙しない要求に
“本当? 本当に私のこと好き・・・?”
そう心のどこかで優美が応えた時、再び優美の唇は奈緒子の唇に捕えられていた。
完全に抱きすくめられ、唇を合されたのだ。
再び背筋が震えるような感覚に、優美は唇を塞がれたまま恥ずかしくも荒い鼻息を吐いた。
奈緒子の端正で程よく肉感のある唇がふっくらとした優美の唇に密着し、優しくそしてまた狂おしく優美を愛し続ける。
奈緒子に抱きしめられながら、その両手の中で優美の腰から上半身が小さくうねった。
優美が両手で弱々しい抵抗を試みても、二人の唇は離れることを嫌がる様にそれ自体吸い重なり、奈緒子は腕の中の優美を離さなかった。
まるで肉食動物が獲物の首筋に食らいつき、やがて息絶えて自分のものになるのを待つように。
みっちりと密着した唇から、奈緒子の情熱が伝わってくる様な気がした。
その情念が過ぎ去るのを待ちつつ、しかし同時にその情念に自分が溶けてゆくのを感じつつ、優美は身体の奥に小さな炎が燃え付いた様に感じた。
唇が自然に緩み、それを合図に奈緒子の舌がそっと優美の中へ滑り込んで来た。
そして怯える優美の舌は、優しく奈緒子の舌で愛撫されたのである。
そのどんなに甘く官能的なことか。
優美は耐え切れずに奈緒子の舌を吸った。
奈緒子はゆっくりと舌を抜いて囁いた。
「うれしい・・・。」
言葉尻が消えると同時に、再び奈緒子の唇は深く優美に交わっていく。
優美はもう我を忘れた。
いつの間にか弱々しい両手を奈緒子の背中に廻していた。
背中からすっかりソファーに押し付けられ、上から奈緒子の身体に抱きすくめられている。
ふっくらとした優美の胸は奈緒子の胸に押しひしがれ、舌を吸わされたまま無意識にそれを奈緒子に押し付けさえしていたのだ。
足はすでに軽く絡み合っている。
奈緒子は時々唇を離しては、
「好きよ。好き・・。」
「大好き・・。」
「可愛い。」
などとうわ言の様に耳たぶや唇に囁き、改めて思いを込めて唇を合わせるのだ。
もう優美は堪らなかった。
恥かしいけれど、自分がじっとりと下着を湿らせているのが分かる。
その時、好きよと囁きながら髪を撫でた奈緒子の右手が、優美の薄いブラウスの上から胸を愛撫した。
奈緒子の右手がブラジャーと一緒に優美の乳房を揺るがす。
「んむっ・・・。」
響く様な快感に、優美は息を詰めて胸を反らした。
ブラウスのボタンが片手で外される気配がする。
“ああ、やっぱりこれ以上愛されるんだわ・・・。”
汗ばんだ胸元の肌が空気に晒されるのを感じながら、改めて優美は戸惑いを覚えた。
しかしその直後再び奈緒子に狂おしく唇を侵された時、優美はその舌を強く吸い返していた。
奈緒子の右手でブラジャーの肩ひもが左肩から外された。
何と優美が自分から左ひじを上げて抜こうとした時、
「ただいま~!」
玄関で息子の大きな声がした。
優美と奈緒子は慌てて起き上がり居住まいを正した。
しかし小学校2年生の息子が居間に走り込んで来た時、まだ優美のブラウスはおへその上まで開いたままだった。
「おかあさん、ただいま~。」
優美はまだ上気した顔で、息を弾ませながら言った。
「はい、おかえりなさい。ほら、お客様でしょ、ちゃんとご挨拶なさい。」
「こんにちは!」
奈緒子は笑顔になり、片手で乱れた髪を直しながら言った。
「はい、こんにちは。ご挨拶出来るの? えらいのね~。」
「うん、できるよ。ねえ、おかあさん、なんかない? ・・・あれ、おかあさん暑いの? あはは、おっかし~い。」
「う、うん、ちょっと暑かったの。じゃあ、お客様が帰ったらおやつあげるから。はい、手を洗ってらっしゃい。」
優美は玄関まで奈緒子を見送った。
靴を履くと、奈緒子は帰りしなに言った。
「今日はごめんなさい・・・。でも、私が言ったことはみんな本当よ。」
「ええ・・・。」
「出来たら、また遊びに来ていいかしら・・・。」
優美は返事が出来なかった。
正直に言えば、突然の帰宅で現実に引き戻されたのと同時に、何となく申し訳ない気持ちで自己嫌悪に陥っていたのである。
少しの間、沈黙が流れた。
「今日は本当にごちそうさま。じゃ、わたし帰ります。」
奈緒子はあえて問い返さずに帰って行った。
ブラウスのボタンを留めながら息を吐くと、体中の力が抜けてゆく様な気がした。
スリッパを揃えようとした時、壁掛けの鏡の中に自分の顔を見つけた。
口紅がすっかり取れてしまっている。
優美は何だか身体が震えるのを覚えた。
そして自分の身体の中に、先ほどの狂おしい快感の名残がまだ残ってるのを感じたのである。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2013/01/31 08:51
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優美さんはスーちゃん似か。
キャンディーズの解散は1978年。一つの事件だったよね。
もう30年以上前になるのか。キャンディーズ?なにそれ、という人が多いのかもしれんなあ。
今はAKB全盛だし。
やっぱり子供に邪魔されちまったか。せっかくいい雰囲気だったのになあ。
次はどうするのかなあ、次の約束しなかったし。まさかこれっきり、ということはないよね。
>狂おしい快感の名残がまだ残ってる
わけだし。
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2. Mikiko- 2013/01/31 20:00
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ワイン飲んだら、回るだろうね。
そのうえ、いたしかけたわけですよね。
血も上ったことでしょう。
奈緒子さん、まともに帰れたのかな。
真っ昼間、お酒臭い状態で、電車やバスには乗れないだろうから……。
やっぱ、タクシーだろうな。
しかし……。
昼酒って、どうしてあんなに美味しいんでしょうね。
法事なんかで、昼の会だと、必ず潰れるジジイがいるのは……。
そのせいなんでしょうか。
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3. ハーレクイン- 2013/01/31 21:16
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額に汗して働いているときに、日の光を浴びて飲む。
この後ろめたさが得も言われぬ酔いをもたらすわけですね。
優美さんはともかく、奈緒子さんは独り者……だよね、たぶん。
もうべろんべろんに酔っぱらったんじゃないかね。もちろん、酒だけにじゃなく……。
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4. Mikiko- 2013/02/01 07:41
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美味しいのは、やっぱり……。
罪の味でしょうか。
夜に比べて昼間は、血液の循環が速いそうです。
回るのは、このせいだな。
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5. ハーレクイン- 2013/02/01 09:12
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『罪の味』
♪とうとうおいらやってしまった
越えてはならぬ線をまたいだ
死んだらきっと地獄行きだな
お前とももう離れ離れか
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