2012.12.13(木)
奈緒美は腕まくりした両手を粘土に添えると、足を踏んで慎重にろくろを回し始めた。
気の毒なことにその眼差しは両目が寄って、本人の真剣さに反して可愛くも滑稽な表情を見せている。
奈緒美は一時間ほど工芸館を見学した後、同じ敷地内にある窯元で陶芸体験をしているのである。
今までの奈緒美なら、何となく作品を眺めたり作っているのを見学したりする程度が常であった。
だが今回は独身最後の旅行で、何か記念を残したいという思いが奈緒美をろくろに向かわせているのである。
一通り手解きを受けたものの思った以上にこの作業は難しく、またもや茶碗になるはずの粘土はフニャフニャと抽象的な形に崩れてしまった。
「あっ! ・・・あ~あ、もう・・・。」
奈緒美はそう悔しげな声を上げた。
響子は通りすがりにふと声のした窓の中へ視線を向けた。
「あら、あの人・・・。」
先程目の前にさ迷い出てきてぶつかった可愛い女性が、窓の中で悔しそうに唇を噛んで粘土を見つめていた。
「うふふ・・・。」
響子は自然に笑みがこぼれると同時に、何故かその女性に心惹かれた。
誘われるように工房の中へ足を踏み入れると、彼女の斜め後ろの丸太の椅子に腰を下ろした。
奈緒美は大きなため息をついて気を取り直すと、再びせっせと粘土をこね始めた。
こね直した粘土の形を整えると、ろくろに乗せてゆるゆると回し始める。
その時ふと誰かの視線を感じて、奈緒美はゆっくりと周囲を見回した。
「あ・・・。」
ロビーでぶつかった背の高い女性が、人懐こい笑みを浮かべて後ろから奈緒美を見つめていたのだった。
「さっきはごめんなさい。あたしもちょっと急いでたから。」
そう言うと、響子は小首を傾げて奈緒美に微笑みかけた。
「い、いえ、私の方こそ・・・。」
奈緒美は子供扱いに憤慨したことも忘れて、またしどろもどろに答えてしまった。
「あたし佐々木響子といいます。よろしく。」
響子は奈緒美の前にある粘土に視線を向けると続けた。
「一人で旅行なの・・?」
「ええ、もうすぐ結婚するもので、独身最後の旅行にと思って・・・。」
「まあ本当!? それはおめでとう。」
「あ、ええ、ありがとう。」
奈緒美は満面に笑みを湛えた響子につられて微笑むと、少し顔を赤らめた。
「あはは、それ・・・。」
響子は笑いながら立ち上がると、奈緒美の隣の椅子に座り直した。
「これ、失敗しちゃったの? ねえ、もう一度やって見せてよ。」
ショートヘアーの下で涼しげな眼差しが、横から奈緒美を覗き込んだ。
「え? で、でも・・・。」
「あ、そか。記念の一人旅だもの、お邪魔だったかしら・・?」
「ううん・・・、いいのよ。じゃあもう一度やってみるわね・・・。」
奈緒美は突然現れた響子に当惑はしていたが、何故か嫌な気持ちはしなかった。
何となくこの旅行に明るい日差しが差し込んできた様な気がしたからである。
ゆるゆるとろくろが回り始めた。
丸い粘土に添えられた奈緒美の両手が、その形を少しずつ細長く変えていく。
さらに両手の親指を上から粘土に押し込んでいくと、丸く器の形に上部がへこんでいった。
響子は身じろぎもせずに奈緒美の手元を見つめている。
とその時、粘土がふらつく様にその形をいびつに変え始めた。
「ああっ、あぶないっ!」
響子は思わず椅子から腰を浮かしてそう叫ぶと、奈緒美の両手にその手を添わせた。
だがその手は奈緒美の両手を揺るがし、粘土はフニャフニャと二人の手の中で奇妙な形にふやけてしまったのだった。
「あっははは、あ~だめだ~、あははは。」
響子は粘土まみれの両手で奈緒美の手を掴んで笑いこけた。
一瞬あっけにとられた奈緒美も、すぐに響子につられて吹き出した。
多分一人ならこんなに笑うこともなかっただろう。
響子の両手は温かった。
何事かと振り返った陶芸の指導員も苦笑いで口を開いた。
「やあまた失敗しちゃいましたか。でもお友達も来てにぎやかになりましたね。はははは。」
「ええ、ほんとに。」
奈緒美は粘土が付くのも忘れて、鼻の頭をこすりながら笑みを返した。
もう夕焼けが赤く染めた海辺の小道を、二人はホテルへと歩いていた。
響子は海へ向けていた眼差しを奈緒美に戻すと言った。
「ひとつだけでも焼きに出せてよかったね。でも奈緒美ちゃん、あんなに絵付けが上手だとは思わなかった。」
「ええ? そうかな・・・。イラストとか描くのは好きなんだけど。」
奈緒美は響子の顔を見上げながら照れくさそうに答えた。
「あたしの名前まで書き込んじゃって、フィアンセが“これ誰?”って聞くわよ。」
「うふふ、ええそうね。」
絵付けで名前を書き込む時、奈緒美はやっと響子に自己紹介をしたのだった。
響子が自分の名前も入れてと言うので、ローマ字でKYOUKOと自分の名前の横に書き込んだのである。
子供のような響子の要求も嫌な気はしなかった。
楽しい時間にしてくれた響子の名前を書き込むことは、この旅行のいい記念になったとさえ思った。
「面白かったわね。あなたったら頼りなさそうにやってるんだもの、つい応援したくなっちゃった・・・。あたし図々しくてごめんね。」
「ううん、そんなことないわ。とっても楽しかった。何だか安心してられたもの。」
「ほんと? だったらよかった。 ねえ・・、あたしたちいい友達になれそうね。相性ぴったしって感じじゃない? あははは・・。」
「ええ、そうね。ふふ・・・。」
そう返事をして響子の顔を見上げながら、奈緒美は自然と顔が火照るのを感じた。
「そうだ、よかったらホテルに帰って一緒に食事しましょうよ。あそこはあたしの友達がやってるホテルだから、あの人につけとけばご馳走食べ放題よ。」
響子は新たな楽しみに顔を輝かせながら言った。
「ええっ!? そんなの悪いわ・・・。」
さすがに不安になった奈緒美は、勝手にプランを膨らませる響子に言った。
「いいのいいの。せっかくお友達になれたんですもの、ちょっと早いけど結婚祝いをさせてよ。」
「本当にいいの?」
「いいのよう・・。それにたまには甘えて、悪い子って思わせなきゃね。」
そう言うと響子は、奈緒美の顔を覗き込むようにして悪戯っぽく笑った。
「へえ~、その人、響子さんの彼氏?」
「あはは、ええまあ、そうね・・・。わあっ、見て。きれいねえ。」
奈緒美は響子の視線の方へ眼を向けた。
気の短い夕暮れの海の上で、薄暗くなった中に点々と漁火が輝いている。
頭上にまだうっすらと夕焼けを残した空は、水平線に近づくにつれ紺色を強めながら夜の帳を降ろしにかかっていた。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2012/12/13 07:59
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陶芸教室でじゃれ合う奈緒美さんと響子さん。
陶芸かあ。
全く経験ないなあ。そもそも、焼き物自体に何の知識もないし……。
ま、陶芸はきっかけ。奈緒美さんと響子さんの絡みの流れには関係ないんだろうけど。
『海辺』。
今回は珍しくエッチシーンは全く無し。手を握り合ったくらいだなあ。
その分、次回以降が楽しみです。
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2. Mikiko- 2012/12/13 20:19
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一度もやったことが無いもののうち、一度はやってみたいことがいくつかあります。
そのひとつが陶芸です。
もちろん、小学生のときには、粘土細工で灰皿みたいなのを作った記憶があります。
でも、わたしがやりたいのは、ろくろを回すやつね。
定年後、陶芸を始められる方も多いようです。
気持ちは大いにわかる。
無心になれるんじゃないかな。
手を使って何かを作るって作業は、精神にも身体にも良さそうだよね。
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3. ハーレクイン- 2012/12/13 23:29
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ふうむ。
わたしの場合、何だろ。
やはり、電車の運転、かなあ。でも、本物はもう無理だな。
遊園地のおサルの電車でもいいから、運転させてくれんかのう。
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4. Mikiko- 2012/12/14 07:56
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行くべし!
http://blog-imgs-53.fc2.com/m/i/k/mikikosroom/20120528083006ce3.jpg
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5. ハーレクイン- 2012/12/14 09:44
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あれはダメだよ。
実際に待合室が動くならともかく、ただのダミーじゃなあ。
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6. Mikiko- 2012/12/14 19:51
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イマジネーションという力で動かせるのにね。
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7. Mikiko- 2012/12/14 19:52
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この表現は、ほぼパクリですね。
●中年や遠くみのれる夜の桃(西東三鬼)
「よっしゃー」くんは、わたし的にはツボなんですけど……。
一度も食いつかれないので、しつこく使ってみました。
Nシステム。
ふーん。
初めて知りました。
でも、主要国道だけなんでしょ?
秋田へ向かう7号線には、たぶん設置されてるでしょうが……。
下道なら、その箇所だけ迂回することは可能なはず。
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8. ハーレクイン- 2012/12/14 23:15
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ずいぶん忙しい人だったようですね。
>「よっしゃー」くん
やっぱり、問題が解けたんで快哉を叫んでるんでしょうか。
Nシステム。
犯罪者側から見ての問題点は、設置場所が公表されていない場合が多い、という点でしょうかね。特に地方では。
東京や大阪なら、迂回するのが難しいほど設置密度が高いですから、逆に公表されています。
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9. Mikiko- 2012/12/15 07:53
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上を見てればわかるんでないの?
設置場所を表示してくれるカーナビや、情報雑誌もあるようです。
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10. ハーレクイン- 2012/12/15 08:45
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上を見て発見しても“時すでに遅し”。もはや撮影済みです。
今から犯罪を犯そうという人は、Nシステムの所在を事前調査しておくのがよろしかろう。
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11. Mikiko- 2012/12/15 20:03
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当然、迂回ルートまで調べてたでしょうね。
今、思いつきましたが……。
車で逃走する際に、カーフェリーを使うって手はないでしょうか?
たとえば、新潟から逃げる場合ですが……。
警察は当然、道路に検問を設けたり、高速道路や主要道路のNシステムを見張るでしょう。
でも、新潟から敦賀まで、車ごとカーフェリーに乗れば……。
関西方面に逃げられるんじゃないのか?
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12. ハーレクイン- 2012/12/15 20:32
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もし警察にその方法を察知された場合、それこそ逃げ場がないわけですからあっさり御用、でしょうね。
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13. Mikiko- 2012/12/15 22:26
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初動の機敏性に欠けるとこがありますからね。
フェリーとなると、他県警との連携も必要になるし。
自県内で押さえられる道路の検問に注力してしまうんじゃないの?
案外、抜けられるかもよ。
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14. ハーレクイン- 2012/12/16 01:29
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確かに県を越えての連携は悪いよね、警察。
逆に仲が悪いケースの方が多かったりして。警視庁(東京)と神奈川県警の確執は有名だよね。何が原因なのかは知りませんが。
この、警察組織の弱点を突いた“日本全国にまたがる広域連続殺人事件”、を題材にした『相棒』(またかい!)があったなあ。
「日本には、アメリカのFBIのような組織がありませんからねえ(杉下右京)」
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15. Mikiko- 2012/12/16 08:01
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警視庁と他県警の協力は、頻繁に描かれます。
なにしろ、日本中の観光地が舞台になりますから。
十津川警部ものとか。
刑事って、あんなに簡単に出張できるんでしょうか?
あ、鉄道がタダなのか?
でも、宿はタダってわけ無いよな。
自腹?
思いついた。
『寝袋刑事』。
出張先の警察署の廊下で、寝袋に入って寝ちゃうんですね。
もちろん、出張費を浮かせるため。
現場の署が大迷惑被るシーンが、毎回出てくるわけ。
面白そうじゃない?
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16. ハーレクイン- 2012/12/16 14:23
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あんまり好みじゃないんだよね、西村京太郎。
あと、浅見光彦シリーズの内田康夫とかもパス、だな。
「寝袋刑事」シリーズねえ。
ま、評価は読んでからだな。
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17. Mikiko- 2012/12/16 19:42
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2時間ドラマのネタです。
こんなもん、誰が読むんだ。