2017.12.1(金)
で、都市部の各地に寄港しては、肥たごで運ばれてきた下肥を、この大樽に移した。
都市部で下肥を満載した船は、農村の水路に入って、農民に売って歩いたのでしょう。
農民も、多少のお金を払ってでも、下肥を在所で手に入れられれば……。
自ら都市部を回って収集する手間が省けます。
つまり、下肥運搬業は、立派な産業として成り立ってたわけです。
↑「み」
『母屋と水塚』のジオラマです。
この模型、妙なところにお気づきでしょう。
藁葺き屋根が、農家の『母屋』だと思います。
なんだか、縄文時代の竪穴式住居みたいですよね。
↑滋賀県蒲生郡竜王町(復元です)。
つまり、屋根の下の部分が低い。
ていうか、ほとんどないです。
↓ある部分をアップにすると、その理由がわかります。
↑「み」
人が舟に乗ってます。
つまり、一面の茶色は、土の庭ではなく……。
泥水なんです。
早い話、洪水のときの風景。
舟は、右の『母屋』から、奥の建物に向かってます。
奥の建物が、『水塚』です。
ここには、人が2人立ってます。
つまり、水面より高い位置にいるわけです。
土盛りして建物を建ててあるんですね。
倉庫兼、洪水時の避難所だったわけです。
各家の敷地内に、洪水の避難所があったと云うことです。
今の住宅事情では、とうてい考えられないことですが……。
昔は治水が進んでないので、たびたび洪水に襲われたのでしょう。
公共的な避難所は無かったでしょうし。
しかし……。
ここで、ギモンがひとつ。
母屋自体を、土盛りした上に建てられなかったのでしょうか?
低地では、土の入手が大変なのでしょうか。
ここでまた、ちょっと脱線。
東京湾は、埋め立てで土地がどんどん広がっています。
↑クリックすると大きくなります。
最近では、大田区と江東区が、土地の帰属を巡って対立し……。
とうとう、大田区が都の調停を拒否。
江東区を訴えたそうです。
↑しかし、これって「調停」と云えるんですかね? 大田区が怒るのも無理ない気が……。
都市部で下肥を満載した船は、農村の水路に入って、農民に売って歩いたのでしょう。
農民も、多少のお金を払ってでも、下肥を在所で手に入れられれば……。
自ら都市部を回って収集する手間が省けます。
つまり、下肥運搬業は、立派な産業として成り立ってたわけです。
↑「み」
『母屋と水塚』のジオラマです。
この模型、妙なところにお気づきでしょう。
藁葺き屋根が、農家の『母屋』だと思います。
なんだか、縄文時代の竪穴式住居みたいですよね。
↑滋賀県蒲生郡竜王町(復元です)。
つまり、屋根の下の部分が低い。
ていうか、ほとんどないです。
↓ある部分をアップにすると、その理由がわかります。
↑「み」
人が舟に乗ってます。
つまり、一面の茶色は、土の庭ではなく……。
泥水なんです。
早い話、洪水のときの風景。
舟は、右の『母屋』から、奥の建物に向かってます。
奥の建物が、『水塚』です。
ここには、人が2人立ってます。
つまり、水面より高い位置にいるわけです。
土盛りして建物を建ててあるんですね。
倉庫兼、洪水時の避難所だったわけです。
各家の敷地内に、洪水の避難所があったと云うことです。
今の住宅事情では、とうてい考えられないことですが……。
昔は治水が進んでないので、たびたび洪水に襲われたのでしょう。
公共的な避難所は無かったでしょうし。
しかし……。
ここで、ギモンがひとつ。
母屋自体を、土盛りした上に建てられなかったのでしょうか?
低地では、土の入手が大変なのでしょうか。
ここでまた、ちょっと脱線。
東京湾は、埋め立てで土地がどんどん広がっています。
↑クリックすると大きくなります。
最近では、大田区と江東区が、土地の帰属を巡って対立し……。
とうとう、大田区が都の調停を拒否。
江東区を訴えたそうです。
↑しかし、これって「調停」と云えるんですかね? 大田区が怒るのも無理ない気が……。
コメント一覧
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1. ハーレクイン- 2017/12/01 11:42
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水塚
避難所ねえ、聞き初めです。
用語はともかく、土盛りも含めこういう施設は、水郷地帯に多かったのでは。
木曽三川の流域の「輪中」は有名ですね。
大田-江東戦争
はいはい、やってましたねえ。
決着はついたんでしょうか。
休戦状態でしょうか。
軍事境界線が引かれてたりして。
大田から江東へ亡命者が出てたりして。
〔昔「はんもんてん」今「ぱんむんじょむ」HQ〕
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2. Mikiko- 2017/12/01 19:51
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ですから……
葛飾は水郷なんです。
●葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり【水原秋桜子】
大田区は、お金はあると思うんですがね。
羽田空港はあるし、田園調布はあるし。
ちなみに、わたしが東京で最初に住んだのは、大田区田園調布でした。
でも、「田園調布に家が建つ」の地域ではありません。
『田園調布駅』西口から放射状に広がる豪邸街は、田園調布のごく一部分なんです。
わたしが住んだのは、隣の『多摩川駅』の東口でした。
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3. ハーレクイン- 2017/12/01 21:32
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葛飾
どうしても『寅さん』のイメージが先行しますので、水郷とは……。
しかしよく考えたら、家康以前の江戸って、湿地帯でしたよね。まあ、葛飾は江戸じゃなかったんでしょうけど。
「水郷葛飾」の犯人は、やはり利根川でしょうか。
大田区
母方の叔父たちの唯一の生き残りが、雪谷のマンションに住んでます。
洗足池の真ん前。
わたしにとって大田区は、ここのイメージですね。
それと、東急池上線。
〔♪池上線が走る町に~(西島三重子『池上線』)HQ〕
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4. Mikiko- 2017/12/02 08:17
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寅さんでは……
江戸川の土手を歩くシーンが定番です。
利根川が葛飾に来てるわけはありませんが……。
江戸川は、利根川の分流ではあります。
ここで、簡単な問題。
分流と支流の違いを述べよ。
わたしが住んでたところは……。
東横線『多摩川駅』と池上線『雪が谷大塚』の真ん中あたりでした。
仕送りのお金を下ろすのは、『雪が谷大塚』駅前の三井銀行でした。
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5. ハーレクイン- 2017/12/02 11:00
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>江戸川は利根川の分流
>江戸川は利根川の分流
あ、遭難、そうなん。
>分流と支流の違いを述べよ
とりあえず、調べないでの答え。
分流は、人工の水路。
支流は、自然の、えーと、本流から枝分かれした河川。
でや!
え? ということは、江戸川って……。
東急『雪が谷大塚』
『洗足池』の二つ先ですね。
わたしが叔父を訪ねたときは、田園都市線の『自由が丘』から乗って『旗の台』で乗り換えたと思いますが、今思えば、全く分かっていなかったなあ、です。
帰る時は、叔父がJR『品川』駅まで車で送ってくれました。
〔♪池上線にゆられながら~HQ〕
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6. Mikiko- 2017/12/02 12:16
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分流と支流
大不正解。
救済の余地なし。
0点です。
本流に、小さな川が合流する場合、この小さな川を支流と云います。
本流から、小さな川が分離して流れ出す場合、この小さな川を分流と云うのです。
Yの字と、逆Yの字の違いです。
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7. ハーレクイン- 2017/12/02 15:49
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ほんまかいな
分流と支流。
まあ、分流は納得ですが……。
で……調べたやろ「み」さん。
〔♪川の流れのように~HQ〕
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8. Mikiko- 2017/12/02 17:56
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最初に江戸川を調べたとき……
「利根川水系の分流である」とありました。
え、支流じゃないの?、と思って調べて、分流と支流の違いを知りました。
わたしは素人ですから、それでいいのです。
貴殿は、湖沼学ですやろ?
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9. ハーレクイン- 2017/12/03 02:34
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湖沼は……
「止水(しすい)」と云います。
河川は「流水」。
同じ淡水域でも、ちと守備範囲が異なるんですな。
よって件の如し。
それにしても、利根川水系って、治水が大変やったそうですなあ。苦労しはったんですやろ、家康はん。
〔勉強さしてもらいましたHQ〕
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10. Mikiko- 2017/12/03 07:51
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水系とは……
『ある河川とそれに合流する他の河川や内水面(湖沼や池)、さらには分岐する河川を含めた、流路を部分的に共有する河川や湖沼全体を体系化した概念と、その概念に基づく分類をいう【Wikipedia】』
守備範囲が違っても、まるでわからないというのは問題でしょう。
↓利根川は、徳川氏により、東に移されたそうです(利根川東遷)。
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00185.html
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11. ハーレクイン- 2017/12/03 10:19
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水系
もう少し、文章を整理する事をお勧めします、Wikiはん。
利根川東遷
で思うのは、大阪、大和川の付け替え工事です。
これには、琵琶湖・淀川水系の整理も関わってきます。うちらにとっては、こっちの方が大問題でしたがな。
〔♪ああ~川の流れのように~HQ〕